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「動詞(名詞+助詞+)_年をとる」

小林秀雄『人生について』中公文庫 「年齢のせいに違いないが、年をとっても青年らしいとは、私には意味を成さぬ事とも思われる。」(「お月見」177頁) 中井久夫先生はその著書『こんなとき私はどうしてきたか』のインタビュー記事の中で、  「こんなこと言うでしょ?『若いときは病気はわかるけど病人はわからない。中年くらいになってくると病人がわかってくる。年を取ってくると、病気も病人もわからないけど、なぜか患者さんはよくなる』って。まあそれくらいのことは私も言えるかもしれないですけどね。」 とおっしゃられています。そして、この言葉を最後にこのインタビュー記事は終わっています。

大晦日の今日、「動詞_はらう」

「煤(すす)を払う」 「付けを払う」 「穢(けが)れを祓う」 「落ち着き払う」 「明け払う」 「売り払う」 「追っ払う」 「酔っ払う」 「掻(か)っ払う」

「動詞_振る」

茂木健一郎 / 江村哲二『音楽を「考える」』ちくまプリマー新書 江村  音楽の世界なら、バーンスタインが言っているけれども「自分が指揮者になれるか、自分に指揮者の能力があるかどうか、など考えたこともなかった。ただただ音楽が好きで好きで仕方なくて音楽をやっていた」と。実際にウィーン・フィルのコントラバス奏者から聞いたのですが、バーンスタインの振る指揮棒は、全然テクニックがないらしい。でもそれでいいんだと言う。「テクニックなんて全く持ってない。ただハートがすばらしい。あの人が来るだけで、あのハートに酔っちゃうんだ」と言っていました。 茂木  バーンスタインについては同じような話を僕も聞いたことがある。前に立つだけで音楽が変わっちゃうって言いますね。 江村  あの人が出てくると棒なんてものは、はっきり言っていらないんだって(笑)。 茂木  江村さんのご友人の大野和士さんも、先日私が司会をしているNHKの番組( 『プロフェッショナル 仕事の流儀』)に出られたときに、「最後は指揮者は振らなくていいんだ。究極は、じいっと彫像のようにそこにいるだけで音楽が変わるということが指揮者の理想なんだ」と言っていました。 (四八-四九頁)

「動詞_食らう」

 千葉俊二,長谷川郁夫,宗像和重 編『日本近代随筆選 2 大地の声』岩波文庫(67-69頁)  百閒が「南無長野初の霊」と墨書したお位牌をまつり、長春香をたき、先の関東大震災で若くして亡くなった、百閒の教え子長野初の冥福を祈った。   闇汁を囲んでの、箏曲家 宮城道雄に対する不用意な発言には、ひやりとさせられるが、それとてこれからはじまる狂騒に比べれば他愛のないことであって、 「お位牌を煮て食おうか」 と云う百閒先生の呼びかけに、 「それがいい」 と応じた学生は、お位牌を「膝頭にあてて、ばりばりと二つに折」り、 「こうした方が、汁がよく沁みて柔らかくなる」 という。 「何事が始まりました」と宮城さんが聞いた。 「今お位牌を鍋に入れたところです」 「『やれやれ』と云って、それから後は、あんまり食わなくなった。」  また、「学生が二人(追悼会の席上である)夜警小屋を持ち上げる様にして、ゆすぶ」り、「ひどい地震」をおこし皆を驚かせた。  こうして、食べるほどに飲むほどに闇汁を囲んだ初の追悼会は狂乱を極めていった。 悲しみの表出は多彩である。

「動詞_食す その二」

 こんな文章があります。  「冬に深川の家へ遊びに行くと、三井さんは長火鉢に土鍋をかけ、大根を煮た。  土鍋の中には昆布を敷いたのみだが、厚く輪切りにした大根は、妻君の故郷からわざわざ取り寄せる尾張大根で、これを気長く煮る。  煮えあがるまでは、これも三井さん手製のイカの塩辛で酒をのむ。柚子(ゆず)の香りのする、うまい塩辛だった。  大根が煮あがる寸前に、三井老人は鍋の中へ少量の塩と酒を振り込む。  そして、大根を皿へ移し、醤油を二、三滴落としただけで口へ運ぶ。  大根を噛(か)んだ瞬間に、  『む…』  いかにもうまそうな唸り声をあげたものだが、若い私たちには、まだ、大根の味がわからなかった」  なんということはない。大根の輪切りにしたやつを煮るだけの話ですが、池波(正太郎)の手になると、煮あがったばかりの大根をすぐにでも食べてみたいという気になる。 辰濃和男『文章の書き方』岩波新書(4-5頁) ーー味覚について。 『味に想う』の著者、角田房子は、好きな野菜はと聞かれたら「茄子とじゃがいも」と答える、と書いています。  夏の茄子には気に入った食べ方がある。  「まず光沢の美しい新鮮な茄子を選ぶ。料理の腕はないのだから、もっぱら材料のよさに頼る。茄子の皮にこまかく縦に切り目を入れ、茶筅(ちゃせん)茄子にして、昆布と鰹節のだしで火にかけ、醤油とごく少量のみりんで薄く味をつけて、鍋のまま冷蔵庫に入れる。翌日、すっかり冷えて、とろりといい色になった茄子に、おろし生姜を添えて食べる」   読んでいるうちに、私のような無精ものでも、一度やってみようかという気になります。味のことは、あまり律儀にくどくどと、うまさの中身を書くことはない。「とろりといい色になった茄子に、おろし生姜を」とあるだけで味が伝わってきます。  野菜の料理では、甘糟幸子の書いたものが好きです。こんな文章があります。  「のびすぎて大きくなっているタラ芽は二つか三つに割って、まだこぶしを開きかけたような若いものはそのままにして、衣をつけ、ゆっくりと揚げます。揚げたての熱いのにお塩を少しつけて食べると、ほっくりした豊かな歯ごたえと濃い味がして、木の芽というより、まだ名前を知らない動物の肉でも食べているような気がします」  タラの芽

「動詞_食す その一」

一日の多くの時間を台所で過ごしていました。平成二一年のことです。ただひたむきにつくり、ひたむきに食していました。エンゲル係数の大きな生活をしていました。 「食」の手ほどきは、 ◇ 團伊玖磨『パイプのけむり』シリーズ 朝日新聞社 で受けました。学生時代のことでした。今、 團伊玖磨『パイプのけむり選集 食』小学館文庫 が出版されています。 空腹が満たされればそれでよし、と心得ていた私にとっては新鮮な驚きでした。 文化人類学の講義で、「カニバリズム(食人俗)」の話題に話がおよんだとき、摩訶不思議な食生活をされている西江雅之先生は、 「私は『人を食ったことはない』が、『人を食った話』はする」 とおっしゃられていました。 「食べられる物」と「食べる物」の違い 「食べ物」は「食べられる物」のほんの一部 「食べ物」は「文化」である 「食べ物と制約」 こんな話もうかがいました。 そして、2012/11/19 には、 ◇  西江雅之『「食」の課外授業』平凡社新書 が出版されました。 鉢山亭虎魚『鉢山亭の取り寄せ 虎の巻』オレンジページ  三十代から四十代にかけて十年間、池波正太郎の膝下で男の生き方を学んだ。しかし、十年がかりの勉強で私が何とか身につけたと思っているのは、ただ一つ、 「必ず来る死に向かって、有限の時間を着実に減らして行くーーそれが人の一生だよ。ことに男はそうだ。女には子を生むことによって永遠の生命を生き続けるという特権がある。男にはそれがない。だから毎日、きょうという一日が最後と思って酒を飲め。そう思って飯も食え。 「食す」ことは人生の一大事であることを思いしらされた私は一念発起しました。例によって形から入りました。「食」について書かれた本を読みあさり、調理器具や調味料、香辛料等々を一通りそろえ、実際に料理をし、食すまでには結構な時間がかかりました。

「センター試験をまじかにひかえたH君へ」

胸中察するに余りありますが…。 陣中お見舞い申し上げます。 洲之内徹「それは、あなた、めでたくなったのよ」 私もどうやら「めでたく」なってきたようで、願はくは、Hにも「めでたき」に便乗されんことをと切に願っております。 寒さ厳しき折、くれぐれもご自愛ください。 TAKE IT EASY! FROM HONDA WITH LOVE. 追伸: 上手く仕上げてくださいね。 また、 ご返信ご不要です。ご心配ご無用です。

洲之内徹「秋田義一ともう一人」

「秋田義一ともう一人」 洲之内徹『人魚を見た人 気まぐれ美術館』新潮社  これが年を取ったということかもしれないが、この頃、私は、物を考えるということをあまりしない。何か感じても感じっぱなしで、それを考えて行くということをしないのだ。 (中略)  そのゴッホの二枚目の絵の前に立ったとき、突然、私は、 「ただ絵を売るためだけなら、何も、こんないい絵を描くことはないんだよなあ」  と、思わず口の裡で呟いてしまった。そして、この、全く以ってお粗末至極な感想に呆れて笑ってしまったが、しかし、すぐに、待てよ、これはだいじなテーマかもしれないぞ、よく考えてみなきゃあ、と思った。  思ったが、それから半年以上たっても、私はそのことで何も考えていない。(295頁)

洲之内徹「これが靉光か!」

「これが靉光か!」 洲之内徹,関川夏央,丹尾安典.大倉宏 ほか『洲之内徹 絵のある一生』(とんぼの本)新潮社    靉光はかつてルオーの絵を見て、「やっちょるのお、手を抜いちょらんわい」と感心していたという。洲之内は、そんな靉光のひたむさが好きだったのだ。(88頁)

「Five Toes Socks」

 寒くなり、室内ばきとして、クロックスをはいています。  いつのころからか、足の指先に痛みを感じ、関節の一段と高くなったところに違和感をおぼえるようになりました。それが“靴ずれ”だとわかったのは、つい最近のことです。自由度の高いクロックスでは、つま先は 前へ前へといく傾向にあり、そしてほどなくゆきづまり、圧迫されることになります。それは階段を降りる際に顕著に認められました。原因がわかり、気をつけるようにもなり、多少改善されましたが、面白くありませんでした。  見ると、室内用の介護シューズをはき、ずり足で歩く父にも同様の、私以上のことが起きていました。指の変形さえみられました。うかつでした。クロックスをはくのをやめ、適当な上ばきにはきかえればいい、という私だけの問題ではなくなりました。  クロックスを脱ぎ、指のつけ根で床を押すようにして足の指を広げるとせいせいします。普段いかに足を窮屈な場所に追いやっているのかがよくわかります。ついでに、手のひらを開くとやはり “快”の感覚が得られます。のびをする。背筋をのばす。胸をはる、 つま先立ちをする。ときに 、身体を解放し、風通しをよくすることの意義を思います。  足の指を放ち、摩擦係数を大きくすればいいならばと思い、 一昨日「ユニクロ」で五本指のソックスを買ってきてきました。予想以上の効果に、ほくそ笑みました。しかし、「ユニクロ」のソックスは薄手で、この時期には重ねばきをしなければ寒く、厄介ですので、早速、「モンベルオンラインショップ」で「 メリノウール トラベル 5トゥーズソックス」を三足注文しました。今日中には届きます。是とでるのか、非 とでるのか、今年最後の運だめしです。  足の指はなく、あるのは「toe(つま先)」ばかりです。私たちには、20本の指がありますが、英語圏の人たちには、10本の指(finger)しかありません。今回、「 5トゥーズ」の表記をみて、不思議に思いました。「つま先」が五つ、十(とお)の「つま先」をもった人種。早速辞書に当たる と「足指 / 足の指は全部 toe とよぶ / 可算名詞」と書かれており、安心しました。  「 5トゥーズソックス」。さすがにモンベルさんに手ぬかりはなく、「吉」とでて、父子二人して、快適な年末年始を約束してくれるものと、安心しきっています。

「2017年 今年最後の積読 全2冊+3冊+1冊です」

◇須賀敦子,松山巖,アレッサンドロ・ジェレヴィーニ,芸術新潮編集部『須賀敦子が歩いた道』(とんぼの本)新潮社 ◇司馬遼太郎『坂の上の雲』(全八巻)文春文庫 今日の午前中には、Amazon から届く予定です。『坂の上の雲』は古書です。正岡子規の足跡が気になります。 ◇松居竜五,ワタリウム美術館 [編]『クマグスの森ー 南方熊楠の見た宇宙』(とんぼの本)新潮社 を求めて、書店に行きましたが、おいてなく、 ◇白洲信哉 [編]『天才 青山二郎の眼力』(とんぼの本)新潮社 ◇洲之内徹,関川夏央,丹尾安典.大倉宏 ほか『洲之内徹 絵のある一生』(とんぼの本)新潮社 の二冊をを買ってきました。そして、 ◇松居竜五,ワタリウム美術館 [編]『クマグスの森ー 南方熊楠の見た宇宙』(とんぼの本)新潮社 を、Amazon に注文しました。 ◇俵万智,十文字美信 他『桂離宮』(とんぼの本)新潮社  有終の美を飾るには、誠にふさわしく、「今年最後の積読」のつもりですが、予断を許さず、「 To Be Continued.」。

「いまなぜ洲之内徹なのか」

下記の白洲正子の文章が、発端となった。 「さらば『気まぐれ美術館』洲之内徹」 白洲正子『遊鬼』新潮文庫   「小林(秀雄)さんが洲之内さんを評して、「今一番の評論家だ」といったことは、週刊誌にまで書かれて有名になったが、 (中略) だが、小林さんの言葉は私がこの耳で聞いたから確かなことなので、一度ならず何度もいい、その度に「会ったことないの?」と問われた。  変な言いかただが、小林さんは「批評」というものにあきあきしており、作者の人生と直結したものでなくては文学と認めてはいなかったのである。小林さんだけでなく、青山二郎さんも、「芸術新潮では洲之内しか読まない」と公言していた」(220-221頁) いま以下の六冊の本が、私の脇にある。ずいぶん昔に買って、積んだままにしてあった。 ◇洲之内徹『絵のなかの散歩』新潮社 ◇洲之内徹『気まぐれ美術館』新潮社 ◇洲之内徹『帰りたい風景 気まぐれ美術館』新潮社 ◇洲之内徹『セザンヌの塗り残し 気まぐれ美術館』新潮社 ◇洲之内徹『人魚を見た人 気まぐれ美術館』新潮社 ◇洲之内徹『さらば気まぐれ美術館』新潮社 2017/12/21 に、 ◇洲之内徹 , 関川夏央 , 丹尾安典 . 大倉宏 ほか『洲之内徹 絵のある一生』(とんぼの本)新潮社 を買ったのが、今回『気まぐれ美術館』を手にするきっかけだった。 ◇洲之内徹『人魚を見た人   気まぐれ美術館』新潮社 の帯に、 「批評や鑑賞のために絵があるのではない。絵があって、言う言葉もなく見入っているときに絵は絵なのだ。何か気の利いたひと言も言わなければならないものと考えて絵を見る、そういう現代の習性は不幸だ。(本文より)」 と書かれているのが気になり、本文に当たった。目で追いつつ、拾い読みしつつを繰り返し、さがしあてたときには読者になっていた。 『人魚を見た人   気まぐれ美術館』の後部 に配された作品はことに面白く、後ろからさかのぼって、頁を繰っていったのが幸いしたのかもしれない。 「自転車について」 洲之内徹『帰りたい風景 気まぐれ美術館』新潮社  「松田(正平)さんのアトリエは汚いが、汚ならしくはない。そういう汚ならしいもの、他人を意識したものが一切ない」( 286頁)  洲之内徹は、「汚な

洲之内徹「言葉を超えたその向こうに」

「秋田義一ともう一人」 洲之内徹『人魚を見た人  気まぐれ美術館 』新潮社  最近では、九月に、旅行の帰途ふとその気になって倉敷へ寄ったとき、時間がなくて大原美術館だけ、それも本館と新館とを三十分ずつ駈足で見て廻ったが、こういう見方にも思い掛けぬ面白さがあって、特に日本人の画家のものを並べた新館では、その一人一人の画家について従来いろいろと語られている美術史家や批評家の言葉を超えたその向こうに、その画家の存在はあるのだということを、なぜかしらないが、私は強く感じた。 (中略)  私は更に、日本人の油絵は、岸田劉生だろうと萬鉄五郎だろうと小出楢重だろうと安井曾太郎だろうと川口軌外だろうと鳥海青児だろうと松本竣介だろうとその他誰であろうと、みんな共通して、われわれ日本人のある切なさのようなもの、悲しみのようなものを底に持っている、と思った。(296頁)

「拝復 P教授様_『文の人』です」

「塾長は、煎じつめると文の人です。」 ありがとうございます。 「文の人」といわれたので、 「文の人」です。 「文の人」ならば「文の人」らしく、「抜き書き」はこの辺にして、観念して、「作文」に励もうと思っています。 今年も残すところ一週間ですね。 くれぐれもご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE.

洲之内徹「美しいものがそこにある」

「今年の秋」 洲之内徹『人魚を見た人   気まぐれ美術館 』新潮社 汗をかきながら興奮して撮影を続けていたMさんは、終ると、その間傍でただ呆んやり煙草をのんで眺めていた私に、 「取材はもういいんですか」  と、けげんそうに言った。そのとおりで、取材なんて面倒なことは、私は全然する気にならないのであった。美しいものがそこにあるという、ただそれだけでよかった。(90頁)

南方熊楠「もう一つの森」

飯沢耕太郎(写真評論家 / キノコ切手収集家)「見えない森に踏み込むー “キノコ王”クマグス」 松居竜五,ワタリウム美術館 [編]『クマグスの森ー 南方熊楠の見た宇宙』(とんぼの本)新潮社  南方は生涯に一万五千種の菌類を採集し、稿本にまとめたといわれており、これは少年の頃に立てたバークレー(イギリスの植物学者、世界初の『菌そう類標本集』を刊行)の六千種を超えるという目標の二倍以上である。だが全世界の菌類は一00~一五0万種と推定されており、彼のエネルギーをもってしてもほんのとっかかりを作ったに過ぎないのだ。  このようなわけのわからない対象物を相手に、ドン・キホーテのような戦いを挑みつつも、南方はそのことを心から愉しみ、内から湧き上がる至福の感情に身をまかせていたのではないだろうか。彼が残した、詳細な英文解説付きの自筆菌類図譜を見るとそのことがよくわかる。そこに描かれているキノコたちの、なんと不可思議な生命力に満ちあふれていることか。それらは植物と動物の中間的存在であり、今にもひょこひょこ歩き出し、うなり声をあげ、大口を開けて哄笑しそうに見える。「キノコ的思想」はそういった野放図な生命力を、枠付けしたり矯めたりすることなく、ポジティブに肯定していこうする営みの総称といえる。南方が生涯にわたってその優れた実践者であったことはいうまでもない。 「キノコ的思想」で捉えられた世界は、われわれが普通認知している「目に見える」世界とはかなり様相を異にしている。在野のキノコ研究家である大舘一夫氏は『都会のキノコ』(八坂書房、二00四年)で「もう一つの森」という卓抜な表現を用いている。光あふれる地上の森を一八0度回転させると、そこには「菌類の菌糸の森」が広がっているというのだ。地上の森に光が降り注ぐように、この地下の森には「多様な腐葉菌の生み出す地中の無機物質が降り注ぐ」。南方熊楠はこのような「もう一つの森」を幻視する。無類の眼力を備えていたのだろう。キノコたちを道標にその「見えない森」に踏み込むことこそ、彼の生涯の大望だったのではないだろか。

南方熊楠「神社合祀に反対し投獄される」

中村紀(作家)「未来の人、熊楠」 松居竜五 , ワタリウム美術館 [ 編 ] 『クマグスの森ー 南方熊楠の見た宇宙』(とんぼの本)新潮社     熊楠は、ふんどし一枚で大楠の前に立ちはだかり、伐採を止めようとした。さらに、(神社)合祀反対の声を記した原稿を新聞社などに送り続けた。運動中に投獄されたが決して諦めなかった。その間読書に励み、獄中で珍しい粘菌を見つけたりし、釈放の日も「ここは静かだし涼しいからもう少し置いてくれ」などと言って平然としていたという。そして、一地方の運動だけではどうにもならないと、民俗学会の権威、柳田國男など中央の学者たちに働きかけた。柳田は国会へ『南方二書』という合祀批判文書を持ち込み、熊楠の思いは全国的に知られることとなった。熊楠の何者にも屈しない情熱のおかげで、大正七年には神社合祀は廃止された。  人と自然とは常に連携している。熊楠は、粘菌の研究者として有名であるが、ただ地べたを這いつくばって菌類ばかりを見つめていたわけではない。目に見えない菌でさえ、われわれ人類が暮らす地球、さらには宇宙という大きな世界の重要な役割を担っているという考えが、彼の脳裏には常にあったのだろう。今になって粘菌が健康のために注目され出しているが、この時代、そこに目を向けた人が他にいただろうか。 (102-103頁)

洲之内徹「しんとする」

「続 海辺の墓」  洲之内徹『帰りたい風景 気まぐれ美術館』新潮社   そういうことにならなかったのは、「あなたって、どうしてこんなに恋しいの」と手紙に書いてきたりした彼女が、一年半ほど経ったある日、突然また、「あたし、なんだかしんとしてしまったのよ、煮え立ったお鍋に水を注したときのように、急にしんとしてしまったのよ」と言ってきたからであった。つまり私は一旦振られたわけだが、振られながら、自分の心の状態をこんなに正確に、しかもなんのためらいもなく言ってくる彼女に、更めて感心してしまうのであった。(102頁)

洲之内徹「絵が絵であるとき」

「男が階段を下るとき」 洲之内徹『人魚を見た人   気まぐれ美術館 』新潮社 批評や鑑賞のために絵があるのではない。絵があって、言う言葉もなく見入っているときに絵は絵なのだ。何か気の利いたひと言も言わなければならないものと考えて絵を見る、そういう現代の習性は不幸だ。(166頁)

「南方熊楠 生誕150年_まとめて」

松居竜五,ワタリウム美術館 [編]『クマグスの森ー 南方熊楠の見た宇宙』(とんぼの本)新潮社 が届きました。「略年譜」をみているうちに、今年が南方熊楠の生誕150年に当たることに気がつきました。漱石、子規に次いで三人目です。危うく見過ごすところでした。 以下、「南方熊楠 生誕150年 まとめて」です。 「貴人なるお二方 西江雅之先生と平野威馬雄氏が語る『南方熊楠という博覧強記の異人』 他一題」 日本最大の「枠外の人」、南方熊楠の「珍しい羞恥心」 南方熊楠「神社合祀に反対し投獄される」 南方熊楠「もう一つの森」 「南方熊楠という博覧強記の異人_旅の覚書」 下記、 「夏目漱石 生誕150年_まとめて」 「正岡子規 生誕150年_まとめて」 です。

洲之内徹「それは、あなた、めでたくなったのよ」

「私の顔ーあとがきに代えて」 洲之内徹『絵のなかの散歩』新潮社  麻生三郎氏に私の顔を描いてもらったこのデッサン(略)を、ある婦人雑誌の女性記者が見て、イタリアの神父のようだと言い、  「イタリアの神父なんていうのには悪いのがいるんですってね、あっちこっちに子供を作ったりして……」  と言った。デッサンがすごくリアルなだけに、気になる一言である。  新潮社の人はさすがにそんな「はしたない」ことは言わないが、  「推定年齢八十歳くらいですね」  と、これまた、私の胸を抉るようなことを言った。  八十にはまだちょっと間があるが、この頃私は、絵を見れば絵がますます面白く、本を読めばどの本もみな面白く、女の人に会えばどの人も美しく、可愛らしく、まことに仕合せな心境に在る。先日、佐藤碧子さんと話していて、そう言ったら、佐藤さんは私の顔をつくづくと見て、  「それは、あなた、めでたくなったのよ」  と言った。私は、あまりめでたくない気分になった。(昭和四十八年春)(304頁)

洲之内徹「夫婦喧嘩ですか」

「靉光の死を見届けた人」  洲之内徹『気まぐれ美術館』新潮社   とりとめもない話をする。靉光のことになると、きえさんはいつものように、自分は靉光の女房にはちがいないが、結婚生活といっても十年ほどだし、それに自分は毎日勤めに出、靉光は靉光で、二階の画室には人を寄せつけず、ときにはひと月もふた月もそこへ籠りきりで、だから、そんなときは顔を合わせることもあまりない、そういう具合ですからねと言い、たまに二階から降りてきたと思うと、何も言わずにあたしの頭をはたいておいて、また上って行ってしまったりするんですよ、と笑っている。 「夫婦喧嘩ですか」 「そうじゃないんですよ、仕事の緊張が続いて自分で耐えられなくなると、そうやって気を晴らすんでしょう」  黙って殴られている靉光夫人の姿に、私は感動した。なんという素敵な夫婦だろう。(150頁)

「動詞_弄(いじ)る」

白洲信哉 [編]『天才 青山二郎の眼力』(とんぼの本)新潮社 骨董弄りは女道楽より高級でも下等でもない。そう言った青山は、惚れ込んで手に入れても、新鮮味を失えば手放した。だが、この李朝井戸徳利は(81頁参照)は、ずっと傍に置きたかったのではないか、『愛陶品目録』には、情熱の炎に包まれたように描写されている。(12頁)

「冬至の日の明けの空」

 午前六時、いま日の出を待っている。一年で最も遅い夜明けだ。自室での出来ごとであり、特に思惑があってのことではない。たまたま目を覚まし、居合わせただけのことである。  南東の空が朱に染まり、夜が白んできた。  年の瀬の思い、年頭の感慨。  時の流れのところどころに結節がないのは困る。過去をしのび、未来を語るにも不自由する。  二十四節気を書き継いでいる。半月もすれば、季節の移ろいが感じられる。みごとな結び目だと思う。  夜が明けた。小鳥のさえずりが聞こえる。小学校の校舎の屋上から、日が昇った。

TWEET「寒月」

かぼそい月が西の空にかかっています。冬にはさえわたった光の月が見られます。朱の空との共演に、しばし立ちつくしました。

「動詞_出世する」

白洲信哉 [編]『天才 青山二郎の眼力』(とんぼの本)新潮社 昭和17年夏、疎開中の伊東で青山が描いた、井戸茶碗の絵。『愛陶品目録』と称する和綴じ仕立ての中面に描かれたもの。「これだけは生涯持っていたい」と念じたのだろう。茶碗のまわりには、「女房の留守に / そっと出して / 可哀いがるべし / 夢手離すナ / 出世さすナ」などと描かれている(7頁) 世に出したくない、世間の風にあたらせたくない、という青山二郎の切なる願いである。別の頁では、「人が視たら蛙に化(な)れ」(66頁)ともいっている。美に憑かれた男の溺愛ぶりには、凄みを感じる。 下記、 青山二郎「意味も、精神も、すべて形に現れる」 小林秀雄に「あいつだけは天才だ」と言わしめた男 です。

「『とんぼの本』_危うきに遊ぶ」

2017/11/26 のブログに、  「『とんぼの本』は、誠によくできた本ですが、その便利さゆえに、どこか不自由で窮屈な感じがしています。手っとり早いことの危うさを感じています。やはり、「君子危うきに近寄らず」ということなのでしょうか」 と書きましたが、書いたまでのことで、その後にいたっても、その勢いは止まず、 ◇ 松居竜五,ワタリウム美術館  [編]『 クマグスの森ー 南方熊楠の見た宇宙』 (とんぼの本)新潮社 を求めて、書店に行きましたが、置いてなく、 ◇白洲信哉 [編]『天才 青山二郎の眼力』(とんぼの本)新潮社 ◇洲之内徹,関川夏央,丹尾安典.大倉宏 ほか『洲之内徹 絵のある一生』 (とんぼの本)新潮社 の二冊をを買ってきました。そして、 ◇ 松居竜五,ワタリウム美術館  [編]『 クマグスの森ー 南方熊楠の見た宇宙』 (とんぼの本)新潮社 を、Amazon に注文しました。 ◇ 白洲正子『名人は危うきに遊ぶ』新潮文庫 「名人」ならずとも「危うきに遊ぶ」ところに面白みがあります。「とんぼの本」づいています。しかし、「とんぼの本」との心中は、御免こうむります。 以下、ラインアップです。思い入れのある方たちの名前が並んでいます。 ◇白洲信哉 [編]『小林秀雄 美と出会う旅』(とんぼの本)新潮社 ◇白洲正子,牧山桂子 ほか『白洲正子と歩く京都』(とんぼの本)新潮社 ◇芸術新潮編集部 [編]『司馬遼太郎が愛した「風景」』(とんぼの本)新潮社 ◇司馬遼太郎,白洲正子,水上勉 他『近江路散歩』 (とんぼの本) 新潮社 ◇永坂嘉光,静慈圓『空海の道』 (とんぼの本)新潮社 ◇須賀敦子,松山巖,アレッサンドロ・ジェレヴィーニ,芸術新潮編集部『須賀敦子が歩いた道』(とんぼの本)新潮社 ◇永井永光,水野恵美子,坂本真典『永井荷風 ひとり暮らしの贅沢』(とんぼの本)新潮社

「2017年 今年最後の積読 全2冊+3冊です」

◇須賀敦子,松山巖,アレッサンドロ・ジェレヴィーニ,芸術新潮編集部『須賀敦子が歩いた道』(とんぼの本)新潮社 ◇司馬遼太郎『坂の上の雲』(全八巻)文春文庫 今日の午前中には、Amazon から届く予定です。『坂の上の雲』は古書です。正岡子規の足跡が気になります。 ◇松居竜五,ワタリウム美術館 [編]『クマグスの森ー 南方熊楠の見た宇宙』(とんぼの本)新潮社 を求めて、書店に行きましたが、置いてなく、 ◇白洲信哉 [編]『天才 青山二郎の眼力』(とんぼの本)新潮社 ◇洲之内徹,関川夏央,丹尾安典.大倉宏 ほか『洲之内徹 絵のある一生』(とんぼの本)新潮社 の二冊をを買ってきました。そして、 ◇松居竜五,ワタリウム美術館 [編]『クマグスの森ー 南方熊楠の見た宇宙』(とんぼの本)新潮社 を、Amazon に注文しました。

「拝復 P教授様_いよいよラストランですね」

師も走る季節ですね。 ジョギングをされているとのことですが、私にはハードルが高く、 歩くのが精一杯です。 当地ではすばらしい青空が広がっています。 散策にでかけようと思っています。 歩くのが精一杯なら、精一杯ゆっくり歩こうと思っています。 明日は冬至ですね。 いよいよラストランですね。 以上、師に倣いて、でした。 お便り、どうもありがとうございました。 時節柄くれぐれもご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE.

TWEET「どこか悲しい音がする」

 昨日、玄関を出たすぐのところに、手すりをつけていただきました。  「工具はどこで買われるんですか」 と業者さんにきくと、 「専門店で」 とのお話でした。ホームセンターは安いが、やはりそれなりの物しかおいてないそうです。プロの使用には耐えないということなのでしょう。  ホームセンターに並べられている、1つ100円のコンクリートブロックを叩くと、建材店のブロックに比べて、高い音がするそうです。スカスカ、ということです。  このごろでは、叩いたことも、叩かれたこともありませんが、自分の頭を叩いてみれば、どんな音がするのか、興味津々です。「どこか悲しい音がする」といえば、間違いないように思っています。 下記、 夏目漱石「どこか悲しい音がする」 です。

須賀敦子「光と影、そして人々の祈り」

須賀敦子,松山巖,アレッサンドロ・ジェレヴィーニ,芸術新潮編集部『須賀敦子が歩いた道』(とんぼの本)新潮社 夢でないヴェネツィア。まるでアリジゴクに堕ちた小さな昆虫のように私はヴェネツィアの悲しみに捉えられ、それに寄り添った。「時のかけらたち」(64頁)   それでも、この階段がまるで一冊の本みたいに私の中に根をおろしているのは、いったいどういうわけなのだろう。まるでなつかしい友人をたずねるように、しげしげとあの階段を登っていたころが、じぶん自身をいちばん扱いかねていた時期と重なっていたことに繋がっているのだろうか。すぐうえにある教会のバンビン・ジェズの像が、がまんできないほど俗っぽいように、聖と俗がたえずいりまじるローマという言語体系の中で、もしかしたら、アラチェリの大階段だけが、思いがけない聖の表象として私のなかに刻みこまれたというのか。一段、一段、息をきらせて階段を登るという行為を、あのころはどちらをむいても虚像でしかなかった人生の代償として、私は、ほんとうの時間を埋めているつもりで、ただそれを摩滅させ浪費していたのではなかったか。「時のかけらたち」(32頁)  そこには、カトリックの世界が広がっていた。数々の石造建築、石畳、教会内の壁画、彫像。光と影、そして人々の祈り。見慣れぬ世界をかいま見て、ときに違和感をおぼえることもあったが、そのなかにあって、須賀敦子の文章は、いまも美しく精彩を放っていた。

「正岡子規 生誕150年_磁場としての座」

赤尾兜子「空海・芭蕉・子規を語る」 司馬遼太郎 対話選集 2 『日本語の本質』文春文庫 「子規のたおやめぶり、芭蕉のますらおぶり」 「磁場としての座」   赤尾  これは、僕の方から司馬先生に一度たずねたいと思っていたのですがね。俳句は「座」の文学であり、「連衆の文学」といわれ、それがまた世界でも珍しいかけがえのない特色ですが、どうでしょう。蕉門の「座」を見ると、芭蕉という師がその座に加わることによって、その座の人たちの作がぐっとレベルアップしている。「七部集」を読むと、しきりにそう思うんですが…。   司馬  人間というものは、人間が好きでしょう(笑)。とくに精神がえきえきとして光っているような人間に出くわすと、どうしてもその人の磁場の中に月に一度でも入っていたい気がする。自分まで磁気を帯びてきて、意外な面を出してしまう。短歌もそうですが、俳句はその契機を作ってくれるわけで、それを介してその人のそばに寄ってゆくことができる。すぐれた俳人で個人作家として終始される人もなければなりませんが、師匠は磁場を作れる人であることが望ましいですな。芭蕉も子規も磁場を作りえた人で、弟子たちはもうその中にいてその座にいるときだけだけでも磁気を帯びている自分がうれしくてしようがない。  短詩型というのはサロン芸術だといわれますが、僕もそうだと思います。しかし人格もしくは精神像として磁場を作れない人は、やはり師匠になってはいけませんな。其角(きかく)なども芭蕉の磁場の中で磁気を帯びた人で、芭蕉の死後は、磁気が去っている。そういう面が短詩型の世界にはーーよくわからんがーーあるのと違うかしら。   赤尾  おっしゃるとおりです。いまの俳句の世界には、その“座”の指導者の一部に月並的退廃も出てきているようで、人ごとならず、心せねばならないと思います(笑)。(124-125頁)

司馬遼太郎,赤尾兜子「師匠を語る」

赤尾兜子「空海・芭蕉・子規を語る」 司馬遼太郎 対話選集 2 『日本語の本質』文春文庫 「磁場としての座」   赤尾  これは、僕の方から司馬先生に一度たずねたいと思っていたのですがね。俳句は「座」の文学であり、「連衆の文学」といわれ、それがまた世界でも珍しいかけがえのない特色ですが、どうでしょう。蕉門の「座」を見ると、芭蕉という師がその座に加わることによって、その座の人たちの作がぐっとレベルアップしている。「七部集」を読むと、しきりにそう思うんですが…。   司馬  人間というものは、人間が好きでしょう(笑)。とくに精神がえきえきとして光っているような人間に出くわすと、どうしてもその人の磁場の中に月に一度でも入っていたい気がする。自分まで磁気を帯びてきて、意外な面を出してしまう。短歌もそうですが、俳句はその契機を作ってくれるわけで、それを介してその人のそばに寄ってゆくことができる。すぐれた俳人で個人作家として終始される人もなければなりませんが、師匠は磁場を作れる人であることが望ましいですな。芭蕉も子規も磁場を作りえた人で、弟子たちはもうその中にいてその座にいるときだけだけでも磁気を帯びている自分がうれしくてしようがない。  短詩型というのはサロン芸術だといわれますが、僕もそうだと思います。しかし人格もしくは精神像として磁場を作れない人は、やはり師匠になってはいけませんな。其角(きかく)なども芭蕉の磁場の中で磁気を帯びた人で、芭蕉の死後は、磁気が去っている。そういう面が短詩型の世界にはーーよくわからんがーーあるのと違うかしら。   赤尾  おっしゃるとおりです。いまの俳句の世界には、その“座”の指導者の一部に月並的退廃も出てきているようで、人ごとならず、心せねばならないと思います(笑)。(124-125頁)

「正岡子規 生誕150年_子規,漱石と文章日本語」

赤尾兜子「空海・芭蕉・子規を語る」 司馬遼太郎 対話選集 2 『日本語の本質』文春文庫   司馬  (前略)泉鏡花はいいが、しかしあの文章では、ロッキード問題は論じられない(笑)。しかし夏目漱石の文章は恋愛でも外交でも論じられるしルポルタージュでもやれるといういわば万能性をもっているという点であの時代にはきわめてめずらしい。そういう文章を手づくりで完成したところに、漱石の大きさの一つがあると思います。しかし子規もそうですね。子規も、みなが共有していいーーいろんなことを表現できるーー文章日本語をつくり上げたと思うんですが、そういう点を子規はあまり認めてもらっていない。(99-100頁)  司馬  (前略)ところでその面での一完成者である子規がね、あれは漱石の文章よりも非常に漢語が少ないでしょう。   赤尾  そう、そう。   司馬  そして、漱石の文章よりもしなやかで、表現の万能性においては漱石の文章と遜色(そんしょく)がない。蘇峰や愛山の文章では愚痴は書けないが、子規の文章では十分にそれが表現できる。たとえば、日常の、庭に陽が射して、鶏頭が……。   赤尾  十四、五本もありぬべし。(101頁)     司馬  それからまた彼は、あまり政論なんかは論じなかったでしょうけども、それも論じることができると思うんですね、あの文章で。ただ、語尾の文語形にわずかに固執しているけどね、だけど文語意識は少なくて。きわめて平易な文章をつくりあげた。まあ僕は子規の業績の一つは散文だと思うんですけどね。なぜそうかっていうと、ここから向こうは俳句になってくるんだけど……。  結局、彼はリアリズムに固執した人だから、リアリズムっていうのは、万人共有のものですからね。海のヒトデは星形をしているとか、これはもう確かにそうであるし、それから、石っころは多少丸いとか、トンボの羽根は透きとおっているとか、ということは万人共通のものですから、しぜんとその散文まで、わかりやすい散文ができ上がってゆくという……リアリズムの精神というのは、評論でなく、実際に地でそれをやった人というのは、少ないと思うんです。子規は、その最大の一人じゃないか、と思いますね。   赤尾  それは僕も感じますよ。(101-102頁) 下記、 司馬遼太郎「漱石が発

「正岡子規 生誕150年_継承 その二」

赤尾兜子「空海・芭蕉・子規を語る」 司馬遼太郎 対話選集 2 『日本語の本質』文春文庫   司馬  とにかく、自分の短い生涯で背負いきれんようなテーマを、自分はやっているんだ、という場合にね、お前頼むから後継者になってくれ、といやがるのを追っかけ回してでも、ねじ伏せてでも、後継者にしようとする、よいうのが大体そういう人のーー僕は大変な人間というのは、たいていそうだろうと思います。大変の大を抜いても、変な人間というのはそんなものかもしれない(笑)。大きなテーマを背負い込んでいる、っていうのはやっぱり変な人じゃないでしょうか。背負い込んでしまっている、という感じの。吉田松蔭もそうでしょ。(109頁)   司馬  まあ彼(吉田松蔭)は刑死するんですけれども、どうも若死を予感しているような雰囲気がありますね。それで結局、弟子にのしかかるように、自分の持ってる電池でもって弟子のお腹の中にも充電させようとするんですね。子規も松蔭も、教育者といえば真の意味でそうですけど、せっぱ詰まっているでしょ、教育者というのは職業でもあるでしょうが、かれらの場合はせっぱ詰まってしまっている。(110頁)   司馬  子規というのは、死期を感じてて、自分の生涯をそのまま三十何年なら三十何年と、こう見切ってしまった凄さがあるでしょう。そして、自分の生涯でやれることは半ばで、そのあとをやってくれるのは誰々だというふうに、後継者といのものに異常に執着して…。(108頁)   司馬  (前略)子規はその真実にまでゆくのは、自分の死後だれかがやればいいと思っていたのでしょう。それは清(虚子)さんがやれとか、秉五郎(へいごろう)(碧梧桐)(へきごとう)がやれとか、いうようなことがあって、かれらが学問(短詩型についての)をやってくれることにあれだけ執着したのはそれだと思います。(中略)  日本で、リアリズムというものを実際にやって、多分にその行者のようにやって行ったのはこのグループしかないでしょう。そんなのあるかしら、ほかに。(104頁)

「2017年 今年最後の積読 全2冊です」

◇須賀敦子,松山巖,アレッサンドロ・ジェレヴィーニ,芸術新潮編集部『須賀敦子が歩いた道』(とんぼの本)新潮社 ◇司馬遼太郎『坂の上の雲』(全八巻)文春文庫 今日の午前中には、Amazon から届く予定です。『坂の上の雲』は古書です。正岡子規の足跡が気になります。 下記、昨年末の、 「今年最後の積読 全5冊+3冊+2冊です」 司馬遼太郎については、Yさんから、お姉さんが『燃えよ剣』を読んでいる、とのお話をうかがったことを契機に、再燃しました。数十年ぶりのことです。司馬遼太郎から視界が開けるとは思ってもみないことでした。

「拝復 Dr.T様_その旨、よろしくお伝えしてください」

Nさんから届く、四季折々の封筒や便箋は楽しく、また感謝もしています。 その旨、よろしくお伝えしてください。 一日に三回もの雪かきはつらいですね。 腰痛に気をつけてください。 雪国のご苦労がしのばれます。 地理の教科書に記載されている雨温図をみると、札幌と釧路はおよそ異なり、釧路の気候は特異です。海洋や海流、風のおよぼす影響の大きさを思います。 釧路、室蘭、今まで見すごしていた都市が気になります。 父がデイケアから帰ってくる時間です。 明日、玄関を出たすぐのところに手すりをつけてもらいます。 1メートルほどの手すりですが、工事費がおよそ10万円かかります。 これで、介護保険の枠で使用できる30万円は、ほどなく尽きます。 また、午後には、介護老人保健施設のIさんとの、月に一度の打ち合わせがあります。 これですべて、年内の予定は終了です。何事もないことを祈るばかりです。 ご丁寧なご挨拶、どうもありがとうございました。 時節柄くれぐれもご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE.

司馬遼太郎,大江健三郎「教育を語る」

司馬遼太郎『八人との対話』文春文庫 「師弟の風景 吉田松陰と正岡子規をめぐってーー大江健三郎」  大江   独りぽっちで考えるのではなく、グループでものを考える。対話をする。(中略)また、どんな悲惨な状況にいても、グループを通じての話し合い、対話というものはユーモアを生じるもののようですね。(後略)   司馬  (前略)ユーモアというものは、松陰、子規両方に共通していたと思います。 大江 若いグループの中に入りこんで語りかけて、対話を通じてものごとを明らかにしていく上で、彼らのユーモアが生じてくる、というように思われます。(138-139頁)   司馬  (前略)教育の場でユーモアのない人は、やっぱり教育をするのに向かないし、される方も、ユーモア感覚のある人間が教育されやすいかも知れませんね。(140頁)   司馬  人格がある姿として記憶に残るのは、やっぱり温度のあるユーモアが介在する場合が多いんでしょうね。   大江  そうじゃないでしょうか。現代の作家で世界中でいちばん教育的なのはサルトルだったと思います、(中略)  彼は死ぬまで若い人をいつまでも、教育したいと思っているんですね。そして彼は、自分は生まれてこの方、人に対して、微笑しながらでなければ命令することはできなかったと書いています。子どものときから、笑いながらでなければ何かをしようと言えなかったと言っているんですが、その通りだろうと思います。  そして、正岡子規にしても吉田松陰にしても、やはり笑いながら、微笑しながら命令するタイプだったんじゃないかと、僕にはそういう気がします。   司馬  それは共通しているようですね。(141-142頁)   大江  僕はいちばん最初に言ったように、教える側には一度もならなくて、もっぱら教わる側でしたが、自分が教育にかかわる何かができるとすれば、具体的にあの人は、松陰は、子規は、あるいは渡辺一夫は、吉川幸次郎は、このように実際の振舞いとして、実際のパフォーマンスとして教育したということを、自分も学びたいし、それを次の人に伝えたいわけです。  具体的にこういう教育家のイメージがあり、また実際の振舞いがあって、ここに教育というものの流れがある、ということを基本に置かなければ、教育について何か言ったりする

「拝復 Nさんへ_あわてんぼうのサンタクロースがやってきた」

父へのお手紙、どうもありがとうございました。 昨日、郵便受けを見るのを忘れ、つい今しがた確認しました。 父は今食事中です。 後ほど連絡させていただきます。 取り急ぎまして、ご挨拶まで。 くれぐれもご自愛ください。 また。 すてきな休日をお過ごしください。 FROM HONDA WITH LOVE. 「Happy Merry Xmas!!」 父へのすてきなクリスマスカード、どうもありがとうございました。 おかげで、父は幸せそうな顔をして寝ています。 金色の封筒、またクリスマスカードのいたるところがキラキラ光り、豪華ですね。 切手に描かれた家は、笑みをうかべているかのようにもみえ、幸せそのものですね。 大晦日のそば屋さんのアルバイトは、大忙しですね。 年越しそばをいただいてから、大急ぎで帰省してください。 最低気温が氷点下10度以下になるとのこと、気をつけてくださいね。 くれぐれもご自愛ください。 TAKE IT EASY! FROM HONDA WITH LOVE. 追伸: サンタクロースは、いますよ。 僕は確信しています!! 下記、 『Yes, Virginia, there is a Santa Claus.』 https://jukuhinokuruma.blogspot.jp/2015/12/francis-p-churchyes-virginia-there-is.html です。

「正岡子規 生誕150年_まとめて」

「夏目漱石 生誕150年_まとめて」 を書いた後、 「子規・漱石 生誕150年記念の取り組み 松山市ホームページ」 をみて、子規も生誕150年にあたることを知りました。  子規との馴染みはうすく、先日、 司馬遼太郎『八人との対話』文春文庫 「師弟の風景 吉田松陰と正岡子規をめぐってーー大江健三郎」(123頁) を読み、 司馬遼太郎『坂の上の雲』文春文庫 を冬季休暇に読むべく、古書を物色し、目星をつけたところでした。『坂の上の雲』は、司馬遼太郎が自作品中、第一に推す大作です。  昨夜、「師弟の風景 吉田松陰と正岡子規をめぐってーー大江健三郎」を読み直しました。そして、『坂の上の雲』を注文しました。  諸事情が重なり、はるかに『坂の上の雲』をのぞみながらの、「去年今年(こぞことし)」です。 下記、 「正岡子規 生誕150年_子規のリアリズム」 「正岡子規 生誕150年_郷党への愛」 「正岡子規 生誕150年_子規の学問」 「正岡子規 生誕150年_教育者とユーモア」 「正岡子規 生誕150年_継承」 「正岡子規 生誕150年_子規,漱石と文章日本語 「正岡子規 生誕150年_磁場としての『座』」 「正岡子規 生誕150年_教育を語る」 です。 下記、 高浜虚子「去年今年貫く棒の如ききもの」 です。

「正岡子規 生誕150年_教育を語る」

司馬遼太郎『八人との対話』文春文庫 「師弟の風景 吉田松陰と正岡子規をめぐってーー大江健三郎」   大江  僕はいちばん最初に言ったように、教える側には一度もならなくて、もっぱら教わる側でしたが、自分が教育にかかわる何かができるとすれば、具体的にあの人は、松陰は、子規は、あるいは渡辺一夫は、吉川幸次郎は、このように実際の振舞いとして、実際のパフォーマンスとして教育したということを、自分も学びたいし、それを次の人に伝えたいわけです。  具体的にこういう教育家のイメージがあり、また実際の振舞いがあって、ここに教育というものの流れがある、ということを基本に置かなければ、教育について何か言ったりすることはもっとも危険だと思うんです。   司馬  そうですね。先生のパフォーマンスというのは、教育を受ける側にしてみればほぼそれだけを覚えていくものでしょうが、それは教育する側が自然にパフォーマンスになっていくからで、それはおそらく大変な緊張の結果、ーー緊張というのは複雑な意味なんですがーーできるわけですね。だから職業としての教育はむろん存在しなければならないものでしょうが、職業意識というものはあまり教育にふさわしくないですね。松陰も子規も職業で周囲の人たちを教えていったわけではないのですから。教育者はある意味でどうしても職業的にならざるを得ないでしょうが、職業をはずして教育とは何かを考えてみると、いつもどこかで二律背反の緊張があるという必要があるかも知れませんね。  子どもっていうのは、僕らのようなバカな子どもでも、不思議に先生の優劣、精神の高低がわかるんですね。この先生はダメだっていうのがわかる。一つの教室にレントゲン撮影機が何十個もいるわけで、そんなことを思うと、教育は人間の社会の中でいちばんこわいテーマですね。(157-158頁)

「正岡子規 生誕150年_継承」

司馬遼太郎『八人との対話』文春文庫 「師弟の風景 吉田松陰と正岡子規をめぐってーー大江健三郎」   大江  (前略)そしてたとえば、プラトンが同じように若い人たちと話し合って教育するシステムとしてつくったアカデメイア、紀元前三五0年にできたものがユスティニアヌス帝によって潰される紀元後五00年頃まで、だいたい千年ぐらい続くということがあって、ヨーロッパの学問の規範をつくったと思うんです。ある教育がなされ、それを継承していくということもあるんですね。その継承の仕方ということも、教育のシステムを考える上で重要な要素だと思うんです。  虚子はほんとうに継承したわけですね。いちばんパッとしないような生徒だったと思いますけれども。(笑)   司馬  何にしても継承というのは一つの発展でしょうから、正岡子規がやっても高浜虚子がいなければ、日本の短詩型である俳句はもうなかったでしょうね。虚子の人柄には、子規がもっていた書生の清らかさという魅力はなかったですが。(157頁) 赤尾兜子「空海・芭蕉・子規を語る」 司馬遼太郎 対話選集 2 『日本語の本質』文春文庫   司馬  とにかく、自分の短い生涯で背負いきれんようなテーマを、自分はやっているんだ、という場合にね、お前頼むから後継者になってくれ、といやがるのを追っかけ回してでも、ねじ伏せてでも、後継者にしようとする、というのが大体そういう人のーー僕は大変な人間というのは、たいていそうだろうと思います。大変の大を抜いても、変な人間というのはそんなものかもしれない(笑)。大きなテーマを背負い込んでいる、っていうのはやっぱり変な人じゃないでしょうか。背負い込んでしまっている、という感じの。吉田松蔭もそうでしょ。(109頁)   司馬  まあ彼(吉田松蔭)は刑死するんですけれども、どうも若死を予感しているような雰囲気がありますね。それで結局、弟子にのしかかるように、自分の持ってる電池でもって弟子のお腹の中にも充電させようとするんですね。子規も松蔭も、教育者といえば真の意味でそうですけど、せっぱ詰まっているでしょ、教育者というのは職業でもあるでしょうが、かれらの場合はせっぱ詰まってしまっている。(110頁)   司馬  子規というのは、死期を感じてて、自分の生涯をそのまま

「正岡子規 生誕150年_教育者とユーモア」

司馬遼太郎『八人との対話』文春文庫 「師弟の風景 吉田松陰と正岡子規をめぐってーー大江健三郎」  大江   独りぽっちで考えるのではなく、グループでものを考える。対話をする。(中略)また、どんな悲惨な状況にいても、グループを通じての話し合い、対話というものはユーモアを生じるもののようですね。(後略)   司馬  (前略)ユーモアというものは、松陰、子規両方に共通していたと思います。     大江  若いグループの中に入りこんで語りかけて、対話を通じてものごとを明らかにしていく上で、彼らのユーモアが生じてくる、というように思われます。(138-139頁)   司馬  (前略)教育の場でユーモアのない人は、やっぱり教育をするのに向かないし、される方も、ユーモア感覚のある人間が教育されやすいかも知れませんね。(140頁)   司馬  人格がある姿として記憶に残るのは、やっぱり温度のあるユーモアが介在する場合が多いんでしょうね。   大江  そうじゃないでしょうか。現代の作家で世界中でいちばん教育的なのはサルトルだったと思います、(中略)  彼は死ぬまで若い人をいつまでも、教育したいと思っているんですね。そして彼は、自分は生まれてこの方、人に対して、微笑しながらでなければ命令することはできなかったと書いています。子どものときから、笑いながらでなければ何かをしようと言えなかったと言っているんですが、その通りだろうと思います。  そして、正岡子規にしても吉田松陰にしても、やはり笑いながら、微笑しながら命令するタイプだったんじゃないかと、僕にはそういう気がします。   司馬  それは共通しているようですね。(141-142頁)