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「高野往還」1-4

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「高野往還」 2021/11/16(火) 未明に出立した。 ◆「伊吹山 PA (下り)」より「伊吹山」を望む。 ◆「 Hotel & Resorts NAGAHAMA(喫茶室)」 琵琶湖をぼんやり眺めていた。湖畔にたたずみ、さざ波の音に耳を凝らしていた。 ◆「渡岸寺(どうがんじ)」 美しく、慈愛に満ちた観音さまである。永劫を生きるお姿は不動だった。 「長浜市高月町 渡岸寺」 土門拳「考える臍」  2021/02/09 「薬師寺 金堂 日光菩薩立像腹部」 土門拳『古寺を訪ねて 奈良西ノ京から室生寺へ』小学館文庫  まるまるとふくらんだ下腹、指を突っ込んでくすぐりたくなるような大大としたお臍(へそ)、ここには飛鳥、白鵬の仏像には見られなかった肉体への目ざめが見られる。仏教流伝以来三百年、もはや仏菩薩を神秘的な「蕃神(ばんしん)」として、遠くから畏るおそる伏しおがむ段階は終ったのである。仏菩薩の存在そのものを信ずる心が、その像容の上にも、より確かな触覚的なものを期待しないではいられない欲求を、信仰する側に芽生えさせたことがわかる。(34頁) 「向源寺 十一面観音立像腹部」 土門拳『古寺を訪ねて 東へ西へ』小学館文庫  薬師寺金堂日光菩薩(やくしじこんどうにっこうぼさつ)の臍(へそ)には、指を突っ込んでくすぐりたくなるような触覚的な要素が芽生えていたが、そこにはなお古代的な、大々とした造形感覚が息づいていた。 (渡岸寺の)この十一面のそれになると、そういう呑気(のんき)な、古代的な造形感覚は影をひそめてしまっている。一層実人(じつじん)的、写実的になったことはもちろんだが、それ以上に鋭い思想性が脈打つようになった。透鑿(すきのみ)のこまやかな刀法がうかがえるこの臍は、いわば考える臍である。(132-133頁) 「向源寺」はいま「渡岸寺(どうがんじ)」と呼ばれている。拝観券を兼ねたリーフレットにも「渡岸寺」と記されている。  幾度となく「渡岸寺」を訪ねた。そのたびに何度となく観音さまのお臍を拝見しているはずだが、いっこうに記憶にない。 うかつだった。  昨夜 臍が語る深遠な仏教史のお話をはじめてうかがった。  プロ、アマを問わず、カメラマンの方たちがファインダー越しに見つめている景色が気になる。傍にお邪魔することも、時には尋ねることもある。訓練された眼の行方...

司馬遼太郎「漱石が発明した文章語」

 昨年が漱石の没後百年(2025年)、今年が生誕百五十年にあたることを、うかつにも昨年の暮れ、新潮文庫のキャンペーンではじめて知りました。それは奇しくも、司馬遼太郎の「文学から見た日本歴史」を読んだ直後のことでした。 「文学から見た日本歴史」 司馬遼太郎『十六の話』中公文庫  明治は、革命による流血こそすくなかったのですが、徹底的な旧日本否定ということで、文化という意味では、フランス革命よりは過激だったかもしれません。  革命は、それ以前の文章、文体まで消してしまうというはげしい働きをします。スタンダール(Stendhal 一七八三~一八四二)がナポレオン民法の文章を刺激剤として自分の文体を模索したように、明治の作家たちは、あたらしい文章日本語を創り(つく)りだすために、一人一人が苦心しました。  十九世紀末の明治の作家たちの文章は、じつにまちまちで、手作りの織物の展覧会を見るような気がします。  たとえば、泉鏡花(いずみきょうか)が手作りした文章は男女の恋を語ることができても、EC の問題を語ることができません。プラティナのようなかがやきをもっているとしても、弱々しいひとすじの針金(はりがね)にすぎないのです。  また明治期の代表的な評論家である徳富蘇峰(とくとみそほう)が手作りした文章では、政治や歴史を語ることができても、男女の機微を語ることができません。  それらのすべてを文章を語ることができる文章は、むろん天才の出現を待たねばなりません。同時に、社会の成熟をも必要とします。  一八六八年の明治維新で過去のほとんどをすてた日本の社会は、三十四余年後にほぼ第一期の成熟期をむかえました。  そのとき出現したのが、作家夏目漱石(なつめそうせき)(一八六七~一九一六)でした。  漱石によって、大工道具でいえば、鋸(のこぎり)にも鉋(かんな)にも鑿(のみ)にもなる文章ができあがるのです。ということは、たれでも漱石の文章を真似れば、高度な文学論を書くことができるし、また自分のノイローゼ症状についてこまかく語ることができ、さらには女性の魅力やその日常生活をみごとに描写することもできます。  やがて社会が、漱石の文章を共有するようになります。  漱石は、日常語としては、歯切れのいい江戸弁をつかうことができる人でした。その基礎的な教養の中身には、すでに過去のものになった漢文が、...

TWEET「三輪の神糸」

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  盛夏 、食品売り場で、 「三輪の神糸」 に目が留まった。右上には「手延べ素麺」と記されている。 「三輪」,「神糸」の文字に胸がときめいた。  早速 手に取って見ると、 「製造者 / 株式会社 マル勝高田商店 / 奈良県桜井市大字芝374番地の1」 と記載されていた。  もう間違いなかった。  大和の「三輪山」は “神の山” であり、山そのものがご神体である。山中の一木一草、岩根・岩・細石(さいせき)・土塊(つちくれ )にいたるまで、すべてに神が宿っている。 「山が信徒にむかって法を説くはずもなく、論をなすはずもない。三輪山はただ一瞬一瞬の嵐気(らんき)をもって、感ずる人にだけ隠喩(メタフア)をもって示す」( 「神 道 (7)」 司馬遼太郎『この国のかたち 五』文春文庫 67頁)  また、同じ桜井市にある「聖林寺」さんには、 「十一面観音立像」が安置されている 。「 新観音堂」建立前後に二度  参拝した。 高邁な御姿を仰ぎ見ていた。繊美な指の表情に目を凝らしていた。精細な蓮華座に見入っていた。   寺庭にある「聖林茶館」さんの窓ごしに、「三輪山」の山腹を眺めることができた。 「三輪の地は素麺発祥の地だった」  素麺発祥は、1200年前、三輪の里の肥沃な土地と三輪山から流れ出る巻向川の清流が、小麦栽培に適することから、大神神社の大神主であった大神朝臣狭井久佐の次男穀主が種を蒔かせ、その小麦を原料に神意に沿って素麺の生産を始めたと伝承されています。   また、素麺は保存食としても有効で、当時飢饉に苦しむ多くの民を救ったとも言われております。  素麺が日本全国へ広まったのは、江戸時代に流行した「お伊勢参り」が関係し、三輪が街道筋にあったことから、お参りする人々によって全国へ伝えられました。  今でも播州・島原・小豆島・淡路等素麺の主な産地には大神神社の分社があり、この事実からも三輪は”素麺のふるさと”と言われます。(「マル勝高田商店」さんのサイトより) 「三輪の神糸」  - 細きこと糸のごとく、白きこと雪のごとし - 「三輪の神糸」の由来は、手延素麺の発祥の地、 大和・三輪に残る古い言い伝えから。 神業ともいえる細さと、コシの強さは、 こだわりの「本腰熟成製法」ならでは。 厳選された素材を用い、伝承の手延べの技術と、 蔵熟成で丹念に仕上げました。 (「...

TWEET「音楽とこの絵画との出会い」

 2025年10月21日に、 「世界の一流ピアニストへの登竜門として知られる「ショパン国際ピアノコンクール」で東京都出身の桑原志織さん(30)が4位に入賞しました」 というニュースを目にした。  そして、その記事には、 「桑原志織さんを6歳から15歳ごろまで指導したピアノ教室の院長、斎藤恵美子さん」の、 「音色の豊かさについてはほかの誰にも負けておらず心を奪われました」 というコメントが付されていた。 「音色の豊かさ」とは、一つ一つの音が珠玉の輝きを湛えているということだろう。粒のそろった美しい音色のピアノ曲を何曲か知っているが、それは門外漢の私にもはっきりと自覚される。  音に色があるならば、絵に音があっても然るべきであろう。 「最後まで愛した画家ルオー」 白洲信哉 [編]『小林秀雄 美と出会う旅』(とんぼの本)新潮社 「ためらいも繰り返しもない素早い筆は、(「パレットの代りの楕円形の大皿」の)表にピエロを仕上げると、そのまま速度も落さず、裏側に廻り、あっと言う間に花を描き終える、その断絶を知らぬ運動に導かれて、私は皿をひっくり返すようである。 (中略)  叩きつけられた絵具が作る斑点と、顔料を分厚く盛り上げて引かれる描線との対照は、いかにも荒々しく烈しいものだが、其処に、極めて繊細な和音が発生し、皿全体が鳴るのに気附いて驚く。これに聞き入っていると、こういう美しい物が生れて来る、創り出されて来る、その源泉とも言うべきものに向って誘われて行くような、一種の感覚を覚えるのである。〈ルオーの事〉(52頁)  音調という言葉があり、色調という言葉があるが、絵画の世界に「音色」に相当する言葉は見当たらない。色調とは適所に配され響き合う、一つ一つの色の調和のことであり、その高次の調和が、音楽を奏でる。  音楽とこの絵画との出会いはおもしろい。  が、残念なことに、私は絵画から音楽が「鳴る」のを耳にしたことがない。  圧倒的な耳の訓練、眼の訓練の不足である。

TWEET「草むしり」

 検索すると、「除草」と「草取り」は同義語で、「草むしり」は草を根から抜き取ること、「草刈り」は道具を使って雑草を刈ること、と意外なことが分かった。  私は「草むしり」をしようとしているが、なかなか根こそぎに、とはいかない。  除草剤はまきたくない。地中の微生物が絶え、土が死んでしまう、とはいえ、今春 土の上にシートを敷きつめ、その上に玉砂利を敷くという蛮行に及んだ。が、シートの下のことは多少 気になっている 。  シートの上に生えた草は、気持ちよく根こそぎ抜ける。その網状に張りめぐらされた “ひげ根” を見ると、「草むしり」は到底かなわないと思う。  「草取り」をしながら屋敷内を一巡すると、さらに もう一巡 促される。 「草取り」は、 際限のない作業である。適当で、 いい加減な、が「草取り」の秘訣か、と思っている。  

TWEET「頭ごしに」

 叔母の介護に、従姉妹たちの頭ごしに携わった。もちろん叔父の依頼・了解のもとだったが、終始 息苦しさを感じていた。  “老年精神科” の O先生からお電話をいただいた。 「甥・姪が介護に関わって、上手くいった例はありません。叔父・叔母が自宅に来たとき、ガス抜きに、話を聞いてあげる程度にしてください。あなたがまいってしまいますよ」  介護は家族皆の納得のもとで、協力して行われるのが本来の姿であろう。  いったんは、私の手から家族のもとへ移ったかにみえた介護も、依然 私の内で燻っている。  「頭ごしに」は「頭ごなしに」であり続けている。

TWEET「なによりも日本語です」

  “介護” にことよせて。  活字を読み理解する習慣さえあれば、例えば私が送った、適当な書物の内容を、容易に共有することができる。もしそうでなければ、簡潔に口頭で伝えるか、メールを書くしかない。いずれにしても言葉たらずである。  要は「なによりも日本語」である。  あるいは、「メディアリテラシー」。  「メディアリテラシー」とて、しょせんは「日本語」の範疇のことである。

TWEET「解体・整地工事の終了」

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 2024/12/05 解体・整地工事のすべてが終了した。 「我が 死に支度の嚆矢」を終えた。   「 嚆矢 」の続編へと、早々に歩を進めたいが、何事につけ業者さん主導であり、待つことしかできないのがもどかしい。私ひとりでは、なにもできない証である。  家屋の下積みになっていた表土が、いま冬の陽を浴びている。健全な眺めである。同敷地内に建つもう一棟の木造家屋もこの際 解体し、更地にしてしまいたいという衝動がある。 “善事” のためにはホームレスも厭わない、ということである。  断片が続きます。

アン・リンドバーグ「サヨナラ」

アン・モロー・リンドバーグ「サヨナラ」 A・M・リンドバーグ著,中村妙子訳『翼よ、北に』みすず書房 「サヨナラ」を文字どおりに訳すと、「そうならなければならないなら」という意味だという。これまでに耳にした別れの言葉のうちで、このようにうつくしい言葉をわたしは知らない。…けれども「サヨナラ」は言いすぎもしなければ、言い足りなくもない。それは事実をあるがままに受けいれている。人生の理解のすべてがその四音のうちにこもっている。ひそかにくすぶっているものを含めて、すべての感情がそのうちに埋み火のようにこもっているが、それ自体は何も語らない。言葉にしない Good-by であり、心をこめて手を握る暖かさなのだ ー 「サヨナラ」は。 「女性飛行家の草分けが書く「東洋』への旅」 アン・モロー・リンドバーグ著 / 中村妙子訳『翼よ、北に』みすず書房 狐『水曜日は狐の書評 日刊ゲンダイ匿名コラム』ちくま文庫  感受力も並でない。とくに日本語の「サヨナラ」について語るところ。「文字通りに訳すと、『そうならなければならないなら』という意味だという。これまで耳にした別れの言葉のうちで、このようにうつくしい言葉を私は知らない」とアンは書く。英語でもフランス語でもドイツ語でも、別れの言葉には再会の希望がこめられている。祈りがあり、高らかな声がある。  しかし日本語の「サヨナラ」は言いすぎもしなければ、言い足りなくもない。「それは事実をあるがままに受けいれている。人生の理解のすべてがその四音のうちにこもっている」  われわれにとっても思いがけない読みだ。須賀敦子も、そこに感銘を受けたと書いていた。アン・モロー・リンドバーグは二00一年二月、逝去。九十四歳だった。(338-339頁) 「葦の中の声」 須賀敦子『遠い朝の本たち』ちくま文庫 さようなら、についての、異国の言葉にたいする著者の深い思いを表現する文章は、私をそれまで閉じこめていた「日本語だけ」の世界から解き放ってくれたといえる。語源とか解釈とか、そんな難しい用語をひとつも使わないで、アン・リンドバーグは、私を、自国の言葉を外から見るというはじめての経験に誘い込んでくれたのだった。やがて英語を、つづいてフランス語やイタリア語を勉強することになったとき、私は何度、アンが書いていた「さようなら」について考えたことか。しかも、ともすると日本から逃...

「祖霊を祀る」

 今日からお盆である。祖霊を迎える大切な日である。宗派によっては、迎え火を焚き、送り火を焚く。京都「五山送り火」、大文字の炎は、あまりにも有名である。 「死・再生の思想 ー 鳥が運んだものがたり」 「対談 ③ 孔子 狂狷の人の行方 梅原猛 × 白川静」 『別冊太陽 白川静の世界 漢字のものがたり』平凡社 梅 原  特に縄文時代、しかし弥生時代にも多分に縄文が残っているでしょう、殷的なものが。それから、やはり「死・再生」です。魂が古い屍を去って、あちらへ行く。無事あちらへ送らなくちゃいけない。そういうのが大きな願いなんですね。生まれるのは、今度はあちらからこっちへ帰って来る。  死・再生というのは東洋の重要な宗教儀式だと思っているんですが、例の伊勢神宮の柱ですね。 編集部  心(しん)の御柱(みはしら) 梅 原  御遷宮(ごせんぐう)ですね、柱の建て替え。それと同じようなものが「諏訪(すわ)の御柱(おんばしら)」。 (また能登の「真脇(まわき)遺跡のウッドサークル」) (中略)  だから御遷宮のように木を作り替える。ウッドサークルは縄文まで遡るんですよ。それはやはり生命の再生。木は腐る、だから腐らないうちに、神の生命が滅びないうちに、また新しい神の命を入れ替えてですね、ずっと伝える。こういうのがですね、私、日本の宗教の基本だと思ってますが、こういう儀式をもっと壮大にしたのが殷の姿だと、字の作り方なんかで感じました。 白 川  中国ではね、鳥形霊(ちょうけいれい:鳥の信仰は全世界に分布する。鳥は必ず水鳥・渡り鳥である)という考え方があるんですが、これはやはり祖先が回帰するという考えに繋がっておるんじゃないかと思う。季節的に決まった鳥が渡って来るでしょ。 梅 原  水鳥ですね。鳥の信仰は殷にはありますか、鳥は霊ですか。 白 川  あります、鳥は霊です。星でも鳥星(ちょうせい)ちゅう星を特別に祀っています。どの星のことか知らんけど、甲骨文に出て来る。特別の信仰を持っておったんではないかと思うんですがね。  鳥星は「好雨(こうう)」の星と考えられていたので、「止雨(しう)」を祈るんです。甲骨文にそのことが書いてある。 梅 原  (前略)だから今の日本でやる玉串奉奠(たまぐしほうてん)というのは、あれ、(鳥の)羽根ですね。ひらひらしているの。これはやっぱり僕は共通の信仰...

TWEET「歳時」

 いま美しいことばに出会いたいと、しきりに思う。それには、「歳時記」を繰るのが適当か、と思っている。  2015/09/08 に、「俳句の角川」を信じて、 ◆『合本俳句歳時記 第四版』角川学芸出版  をインストールした。万を持しての登場である。  日本人の歳時によせる思いは、細やかである。いまそれにならいたいと思う。

TWEET「用の美」

 一昨日のブログに、 「山人が “用” のためにつけた径(みち)を俯瞰したとき、幾筋かの径筋が細線として映える。 用の美である」 と書いた。 「用の美である」で結ぶことは、あらかじめ決めていた。 「俯瞰」という言葉が浮かび、「細線」という言葉が浮かぶまでに、1日をゆうに越えた。  文章を書くとは、こういったことの繰り返しだと思っている。  この数日間、人と話していない。痛痒は感ぜず、清清としている。

TWEET「Kindle Direct Publishing_『本多勇夫 / まだ 折々の記_06』: 〜大野晋編〜」

◆ 予期せぬ不具合の発生により、未出版状態のままになっております。申し訳ありませんが、復旧までいましばらくお待ちください 。 つい今し方、 ◇ 「本多勇夫 / まだ 折々の記_06」: 〜大野晋編〜 を、「Kindle Direct Publishing」にアップしました。 上梓されました。早速購入しました。  大学では日本文学を専修した。今回 橋本進吉先生の『古代国語の音韻に就いて 他二篇』岩波文庫 を三十年あまりぶりに再読した。  精緻な研究から成った成果である。「万葉仮名の用法を精査し」、そして「奈良時代の大和地方の言語は八十七の音節を区別する音韻体系を持つものであったことを発見」された。  大野晋がその後進に当たった。それは有無を言わせないものだった。  学習院では「大野ススメ」と呼ばれ、司馬遼太郎からは「先生は、抜き身の刀のような方ですね」といわれた大野と、「石橋を叩いても渡らない」といわれた質朴、朴訥な橋本との性格の相違は歴然としているが、 「日本語に美しい秩序があることを若い人たちに知らせたい」 という点においては一致していたといえよう。また大野は、 「おそらく先生は日本語の文法だけでなく、音韻の体系についても美しい秩序を見ておられたに相違ない。心の底ではそのことを先生は人々に語ろうとされたのではなかろうか」 とも述べている。  日本語は美しい。 追伸:気まぐれな Amazon に弄ばれて散々な毎日を送りました。還暦を迎えた今日を境に、つかず離れず、気の向くままにおつき合いすることにしました。もう Amazon のご機嫌とりはしません。  老い先は短く、 「我儘」に「気儘」に「自己本位」に生きます。もちろん「反省なぞしません」。   還暦を迎えた今日の、我が「 立志」です。

「言葉の一々である」

 ことば、言葉、コトバ、いま「ことば」の渦中にある。神、神々、霊、仏、に四囲を囲まれている。  学生時代からの関心事が一同に会した。  いくつもの偶然が重なっていまに至った。私に系統だった読書ができるはずもなく、道順を聞く人もいなかった。が、インターネットには、ずいぶん助けられた。  井筒俊彦は、「存在はコトバである」と措定した。「ことば」が一気に心底にまで達した。思いもよらぬことだった。これ以上の慶事はなかった。私の趣向のすべてが一括りに括られた。 ◇ 河合隼雄『明恵 夢を生きる』京都松柏社 は、1987/04/25 に出版され、間もなく読んだ。学生時代のことだった。明恵上人を知り、白洲正子を知った。井筒俊彦と出会い、はじめて華厳の世界に触れた。「華厳の世界」(284-290頁)に引かれた井筒俊彦の文章は明晰だった。コピーしてもち歩いた。 そして、 ◇ 井筒俊彦『叡智の台座 ー 井筒俊彦対談集』岩波書店 を求めた。河合隼雄がとりもつ縁だった。しかし、それ以降井筒との接点はなかった。 2018/01/22 のブログには、 井筒俊彦『東洋哲学覚書 意識の形而上学 ー『大乗起信論』の哲学』中公文庫  週末を読書に充てた。  井筒俊彦を読むということは、 「一文を読み、その文の理解が適当であったかどうかを、以下に続く文章を丹念に読むことによって、確認しながら歩を進めるということ」 だった。  私にとっては持ち重りのするものだった。意を尽くして書かれた『覚書』だったが、おぼつかなく、再読を促されている。  詳細は後日あらためて、ということにさせていただく。 とあり、 また、2018/01/19 のブログには、 「井筒俊彦というさやけさのなかで_井筒俊彦 読書覚書」  井筒俊彦の文章には彩(あや)がある。論文に私情をはさむことは許されないが、井筒俊彦の精緻な文章には、自ずからなる情(こころ)がある。明晰な文の重なりのなかで、文章は美しい形をなす。  井筒俊彦というさやけさのなかにあることを、私は好む。 とある。  入院中だった父の病室で読んだ記憶がある。 Amazon の「注文履歴」を見ると、 その後井筒俊彦づいていることが分かる。わずか三年あまりのおつき合いにしかならない事実に慌てている。  ここ数年で小林秀雄の文章が読んで解るようになり、白洲正子の文章をまとめて 読むよう...

白川静「初期万葉論_見る,見れど飽かぬ」

 白川静『初期万葉論』中公文庫 「第一章 比較文学の方法 二 発想と表現」 「前期万葉の時代は、なお古代的な自然観の支配する時期であり、人びとの意識は自然と融即的な関係のうちにあった。自然に対する態度や行為によって、自然との交渉をよび起こし、霊的に機能させることが可能であると考えらえていたのである。(中略)  自然との交渉の最も直接的な方法は、それを対象として「見る」ことであった。前期万葉の歌に多くみられる「見る」は、まさにそのような意味をもつ行為である」。(中略) 「見る」ことの呪歌的性格は、「見れど飽かぬ」という表現によっていっそう強められる。(15-17頁) (註)「呪」の語源は「祝」であると白川は書いている。「呪」の字は「いのる」とも読む。「呪能」と同義で「呪鎮」と書くこともある。 「第四章 叙景歌の成立 三 見れど飽かぬ」 「古代においては、『見る』という行為がすでにただならぬ意味をもつものであり、それは対者との内的交渉をもつことを意味した。国見や山見が重大な政治的行為でありえたのはそのためである。国しぬびや魂振りには、ただ『見る』『見ゆ』というのみで、その呪的な意味を示すことができた。『万葉』には末句を『見ゆ』と詠みきった歌が多いが、それらはおおむね魂振りの意味をもつ呪歌とみてよい。」(154頁) 「『見れど飽かぬ』は、その状態が永遠に持続することをねがう呪語であり、その永続性をたたえることによって、その歌は魂振り的に機能するのである。」(153頁)   「見る」ことは、見られることである 。 見交わすこと、 見え交わすことによって人と対象との通路が開ける。「見る」ことは振り向かれるように「見る」ことだった、と思う。  甲骨文や金文に親しんだ白川静にとって、「見る」「見れど飽かぬ」ことの意味を解する ことは、さして難しいことではなかったはずである。  白川は、「見る」「見れど飽かぬ」についての、何首かの語釈の誤りを指摘した上で、 「初期の万葉歌に叙景の名歌を認め、『人麻呂歌集 』的な相聞歌を人麻呂の呪的儀礼歌に先行させるような史的倒錯を、許すべきではない。『万葉』の理解は、まずその正しい軌跡の図形を描くことからはじめるべきである。」 と述べ、 「それには、東アジア的な社会として基礎条件を同じうする文化圏の文学のありかたとの間に、比較文学的な方法を...

白川静「やっぱり、蘇東坡かな」

「蘇東坡と陶淵明 ー「白川静」は三人? 「対談 ① 神と人との間 漢字の呪力 梅原猛 × 白川静」 『別冊太陽 白川静の世界 漢字のものがたり』平凡社 梅 原  先生は、中国史の中に登場する人物では、誰がいちばんお好きですかね。 白 川  一人だけですか。ず〜っと歴史的にみていって… 梅 原  ええ。 白 川  やっぱり、蘇東坡(そとうば)かな。 梅 原  蘇東坡ですか、ああ。どういうところでしょうかね。 白 川  彼はね、非常に才能もあり、正しいことを言うとるんだけれどもねえ、何遍も失脚してね、海南島(かいなんとう)まで流されたりして、死ぬような目に遇(お)うて、それでも知らん顔してね、すぐれた詩を作り、文章を書き、書画を楽しんでおった。 梅 原  ああ、そこがいいんですか。陶淵明(とうえんめい)はどうですか、陶淵明は。 白 川  陶淵明はね、ちょっと悟り過ぎ。詩はいいですよ。 梅 原  ああ、詩はいいですね。 白 川  詩はいい。詩はいいけどもね、生き方としてはね、ちょっと悟り過ぎだしね。晩年どうしとったんか解らん。四十ぐらいまでは詩でよう解りますけどね、あと死ぬまで何しとったんかね、よう解らん。まあ、世に隠れておった訳でしょうね。 梅 原  今度先生の本読んで、先生はね、隠れた詩人だと僕は思ったなあ。だからね、先生の文にはどこか解りにくいところがあるんだな。やっぱり詩のようにね。ちょっとこう独自の文体ですよ。ちょっと気負った文章なんですよ、先生のはね(笑)。 白 川  (笑) 梅 原  洒落た文章なんですよ。最後はちょっとねえ、わざと解らないようにしてるんですよ。言葉の深い意味を捉えて、それを抑えて表面には出さずに文章を書く。先生は詩人だと思ったなあ。文章が美しいんだよ。 白 川  三(散)ぐらいでしょ(笑)。 (←「散人」の意?) 編集者 詩(四)人じゃなくて、三(散)ぐらい(笑)。 梅 原  いやあ、先生は三より上の四、やっぱり詩人ですよ(笑)。(36-37頁)  蘇東坡の「知らん顔」はいいですね。 「小林(秀雄)は、ランボーが詩を棄てた原因を、『面倒になった』からだといった。」 (若松英輔『叡知の詩学 小林秀雄と井筒俊彦』慶應義塾大学出版会 166頁)  陶淵明についての会話を聞いて、こんな一文が思い出された。また 、散人、詩人の順列は愉快である。 「や...

高橋和巳「S教授と文弱な私」

「立命館と高橋和巳 ー 『捨子物語』と「六朝期の文学論」」 「対談 ① 神と人との間 漢字の呪力 梅原猛 × 白川静」 『別冊太陽 白川静の世界 漢字のものがたり』平凡社  立命館大学で中国学を研究されるS教授の研究室は、京都大学と紛争の期間をほぼ等しくする立命館大学の紛争の全期間中、全学封鎖の際も、研究室のある建物の一時的封鎖の際も、それまでと全く同様、午後十一時まで煌々と電気がついていて、地味な研究に励まれ続けていると聞く。団交ののちの疲れにも研究室にもどり、ある事件があってS教授が鉄パイプで頭を殴られた翌日も、やはり研究室には夜おそくまで蛍光がともった。内ゲバの予想に、対立する学生たちが深夜の校庭に陣取るとき、学生たちにはそのたった一つの部屋の窓明りが気になって仕方がない。その教授はもともと多弁の人ではなく、また学生達の諸党派のどれかに共感的な人でもない。しかし、その教授が団交の席に出席すれば、一瞬、雰囲気が変るという。無言の、しかし確かに存在する学問の威厳を学生が感じてしまうからだ。  たった一人の偉丈夫の存在がその大学の、いや少なくともその学部の抗争の思想的次元を上におしあげるということもありうる。残念ながら文弱な私は、そのようではありえない。((高橋和巳)『わが解体』)(37-38頁) (S教授とは、白川静教授のことです) 以下、最後の、 ◇「蘇東坡と陶淵明 ー「白川静」は三人? ◇ 「立命館と高橋和巳 ー 『捨子物語』と「六朝期の文学論」 ◇「長生の術 ー 百二十歳の道」 の三つのタイトルの下では、白川静さん、梅原猛さん、そして編集部の方も加わって、軽妙で洒脱な会話が交わされ、三者三様に楽しまれている。 「当時の立命は素晴らしかった」と言った梅原さんの発言が結論めいているが、九十一歳になられる白川さんへの労りの言葉に満ちており、本対談の掉尾を飾る、粋な計らいとなっている。

白川静「三千年前の現実を見ることができる」

「三つの文化 ー 文身、子安貝、呪霊」 「対談 ① 神と人との間 漢字の呪力 梅原猛 × 白川静」 『別冊太陽 白川静の世界 漢字のものがたり』平凡社 白 川  第一にはね、殷の文化と日本の文化、これは一つの東アジア的な「沿海の文化」として捉えることが出来るのではないかと思った。  殷の文化のいちばん特徴的なものは、まず文身(ぶんしん:入青のこと。ただ文身は刺青と違って描くだけ。刻さない。)の俗があること、これは殷以降にはありません。それから貝の文化。子安貝(こやすがい)ですね。 白 川  もう一つはね、呪霊(じゅれい)という観念ですな。シャーマニズム的なね。お祭が殆どそういう性格のお祭なんです。何々のタタリに対する祭、というね。 白 川  そしてこの三つが共通した基礎的なものとして、文化の底にある。だから日本と中国は十分比較研究に値する条件を持っとる訳ですね。それで殷の文化を深く調べてみたいと。 梅 原  その大きな違いは文字があったかないかですわな。日本では文字がない訳ですね。だから民俗学的な方法によって明らかにするしか仕様がない。それで柳田(國男)・折口(信夫・ おりくちしのぶ)がああいう形で日本の古代を明らかにしたんですけどね。 (中略)民俗が似ているんだから、もとより文字学の成果と柳田・折口の民俗学の成果と、大変似てくる訳ですね。 白 川   柳田・折口は事実関係だけでいく訳ですけど、僕は文字を媒介としてみる訳です。 梅 原  文字を媒介にしますと、正確な答が出て来る訳ですよね。(中略)柳田・折口の民俗学は年代を考えることが出来ない。そういう弱みを持っています。先生の学問は文字を媒介としているから、年代を特定することが出来る。 白 川   日本の場合には伝承という形でしか見られないけれども、向こうの場合には文字がありますからね、文字の中に形象化された、そこに含まれておる意味というものを、その時代のままで、今我々が見ることが出来る訳です。だから三千年前の文字であるならば、その三千年前の現実をね、見ることが出来る。 白 川  そう、象形文字であるからそれが出来るんで、これが単なるスペルだったら、見ることが出来ません。 「神聖王と卜占 ー 神と人との交通」 白 川  日本に文字が出来なかったのは、絶対王朝が出来なかったからです。「神聖王」を核とする絶対王朝が出来...

白川静「『字書三部作』の偉業」

「ことばと文字」 白川静『漢字』岩波新書 「はじめにことばがあった。ことばは神とともにあり、ことばは神であった」と、ヨハネ伝福音書にはしるされている。」(2頁) 「文字は、神話と歴史との接点に立つ。文字は神話を背景とし、神話を承けついで、これを歴史の世界に定着させてゆくという役割をになうものであった。したがって、原始の文字は、神のことばであり、神とともにあることばを、形態化し、現在化するために生まれたのである。もし聖書の文をさらにつづけるとすれば、『次に文字があった。文字は神とともにあり、文字は神であった』ということができよう。(3頁)  また、「さらにつづけるとすれば」、「文字は埋もれていた。文字は白川によって蘇生し、文字は神の威光を回復した」「 ということができよう」。 『別冊太陽 白川静の世界 漢字のものがたり』平凡社 本誌には、以下の対談が掲載されている。 「対談 ① 神と人との間 漢字の呪力 梅原猛 × 白川静」 「対談 ② みえるもの・みえないもの “境”の不思議の出来事 岡野玲子× 白川静」 「対談 ③ 孔子 狂狷の人の行方 梅原猛 × 白川静」  白川静 91歳。  矍鑠(かくしゃく)としている。また、「狂狷の人」である。  それぞれの質問に対し、その都度必要十分な回答がなされる。寸分の隙もない回答に疲弊した。休み、寝みの三日がかりの読書だった。  白川静への興味は尽きない。  一昨日、叔父の四十九日の法要後、 ◇ 白川静『孔子伝』中公文庫 を、珍しく書店で購入した。孔子への関心ではなく、 「第四章 儒教の批判者」 への興味である。 そして、今日中には、 白川静『回思 90年』平凡社ライブラリー が到着することになっている。 これで、白川静の本が、 ◇『別冊太陽 白川静の世界 漢字のものがたり』平凡社 ◇ 白川静 監修,山本史也 著『神さまがくれた漢字たち』理論社 ◇ 白川静『漢字』岩波新書(2冊) ◇ 白川静 『初期万葉論』中公文庫 ◇ 白川静 『漢字百話』中公文庫  計 7(8)冊になった。お目当ては、「神々」のことである。 「『尹』が見えました ー 神が書かせ給うた…」 「対談 ② みえるもの・みえないもの “境”の不思議の出来事 岡野玲子× 白川静」 白 川  そんなもの(神との交通を司る者「尹」)が憑(つ)いとるんかな。僕には見え...

白川静「文字は神であった」

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「ことばと文字」 白川静『漢字』岩波新書 「はじめにことばがあった。ことばは神とともにあり、ことばは神であった」と、ヨハネ伝福音書にはしるされている。」(2頁) 「文字は、神話と歴史との接点に立つ。文字は神話を背景とし、神話を承けついで、これを歴史の世界に定着させてゆくという役割をになうものであった。したがって、 原始の文字は、神のことばであり、神とともにあることばを、形態化し、現在化するために生まれたのである。もし聖書の文をさらにつづけるとすれば、『次に文字があった。文字は神とともにあり、文字は神であった』ということができよう。(3頁)  注意してほしいのは、白川静のいう神とは、キリスト教の「神」ではなく、神話に登場する「神々」のことである。白川は、「神々」を「神」に仮託している。 「一九七〇年の出来事」 『別冊太陽 白川静の世界 漢字のものがたり』平凡社 一九七〇年、そのことは、広く世間に知られることとなった。 [ (サイ)]の発見である。 岩波新書としてその年、出版された『漢字』という一冊の本は衝撃的な のデビューとなる。 は一九七〇年を遥かに遡る時代に既に発見されている。 発見者はもちろん「白川静」。 古代中国文学者・白川静は、今はあまりにも「漢字」で有名である。 白川静は或る日、常連であった古本屋で一冊の本と出会う。 『字説』(呉大澂(ごだいちょう))。この本との出会いから時を経ずして、 白川静の甲骨文・金文の研究が始まり、 の大発見となる。 とは? ー そう、ここで語る とは、 今まで「口(くち)」と考えられ、それによって解釈されていた “漢字”を 「口は口にあらず、祝詞即ち神への申し文を入れる “器”である」と説いたことである。 この発見により「口」では解けなかった「漢字の生い立ち」が、 スルスルと、まるでもつれた糸がほぐれるように解けていった。(6-7頁)  ドラマチックで華麗な文章に仕上がっている。  しかし、 『漢字』の最初に出てくる [ ]の説明は、下記のように通り一遍のものである。 「わが国では、文字のことをナといった。漢字は真名(まな)、カナは仮名である。名の上部は肉の省略形で祭肉、下の 形は祝詞を入れる器で、このとき祝詞を奏上して名を告げる。これもまた加入式である。」(20頁)  また、加入式については、 「子が生まれて一定の期間を過ぎる...