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TWEET「病気療養中につき_10」

 今年になって訃報に接することが多くなりました。  帯状疱疹のため、通夜・葬儀はご遠慮し、後日 ご挨拶にうかがう、という不義理を重ねています。 「我ガ死ナムズルコトハ、今日ヲ明日ニツグニコトナラズ」  死に臨んだ、明恵上人の言葉です。  死とは殊更のことではなく、「生死一如」、生と死はひとつながりのものであり、個々の「いのち」は、「いのちの根源」,「永遠のいのち」に摂取される、と私は考えています。  故人の方々は、安らかに息をひきとり、いま自足した平安な内にあると、私は信じております。  女性飛行家の草分けである、アン・リンドバーグは、日本語の別れの言葉、「サヨナラ」の意味を、「そうならなければならないなら」と書いています。 「サヨナラ」、「そうならなければならないなら」ば、人事の、人の図らいの、およばないことであり、私たちは受け容れるしかありません。  アン・リンドバーグは、日本語の「サヨナラ」を、世界で最も美しい別れの挨拶であると述べています。  私は亡くなられた方々と、「サヨナラ」で、お別れしています。  ありがとうございました。 「サヨナラ」。

白川静「[ サイ]の発見」

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2021/02/11、P教授から、 ◇『別冊太陽 白川静の世界 漢字のものがたり』平凡社 の画像が添付されたメールが届いた。 表紙には、 文字があった。 文字は 神とともにあり、 文字は 神であった。 と書かれている。 見栄えのする表紙だった。 早速、Amazon に注文した。 そして、昨日(2021/02/15)、到着した。 また、裏表紙には、 白川静の日常。 時間は静かに流れ、 淡々と一日を終える。ただそれだけ。ただそれだけ。 それだけを繰り返し、生み出される仕事の確かさ。 また、明日。 また、あした。 と書かれている。 「泣く子も黙る『漢字』の泰斗の学問人生」 白川静著『回思九十年』(平凡社) 狐『日刊ゲンダイ匿名コラム 水曜日は狐の書評』ちくま文庫  白川静を読むには覚悟を要する。身のほどをわきまえないと、あっという間に投げ出したくなる。  当書評には、吉本隆明の文が引用されている。 「白川静、一九一〇年生まれ、字書三部作『字統』『字訓』『字通』によって、また『孔子伝』などの名著によって、泣く子も黙る文字学、古代学の泰斗である。  かつて吉本隆明もこう書いた。「彼の主著『説文新義』の数冊は、わたしの手元にあるが、いまだ手に負えないでいる。(略)かくの如き学徒は乏しいかな。彼の仕事を遠望するとき、流石に、少し泣きべそをかきそうになるのを、禁じえない」(2000・5・24)(116-117頁)  吉本隆明にしてこのありようである。理解のゆきとどかないところは目をつぶって、とにかく通読することにする。 白川静 監修,山本史也 著『神さまがくれた漢字たち』理論社 また、用意が必要になる。 白川 静「序文」 「第一章 初めの物語」 「第二章 からだの物語」 「第三章    (さい) の物語」 「序文」と各章を、 「漢字の「物語」がより克明に描かれるための準備は、ここをもって万全に整いました。」(70頁) と書かれた一文に至るまで熟読する。  準備をおろそかにして、徒手で白川静と対峙するのは向こう水である。  ちなみに、本書の内容紹介には、 「漢字を見る目を180度変えた、“白川文字学”のもっともやさしい入門書!」 との一文がある。理論社の児童書である。 「はじめに 『白川静』をフィールド・ワークする」 『別冊太陽 白川静の世界 漢字のものがたり』平凡...

白川静_「泣く子も黙る『漢字』の泰斗の学問人生」

「泣く子も黙る『漢字』の泰斗の学問人生」 白川静著『回思九十年』(平凡社) 狐『日刊ゲンダイ匿名コラム 水曜日は狐の書評』ちくま文庫  白川静、一九一0年生まれ、字書三部作『字統』『字訓』『字通』によって、また『孔子伝』などの名著によって、泣く子も黙る文字学、古代学の泰斗である。  かつて吉本隆明もこう書いた。「彼の主著『説文新義』の数冊は、わたしの手元にあるが、いまだ手に負えないでいる。(略)かくの如き学徒は乏しいかな。彼の仕事を遠望するとき、流石に、少し泣きべそをかきそうになるのを、禁じえない」  一般書は六十歳になるまで書かなかった。それまでは専門の研究に徹することを自分に課していた。かつて学園紛争のころ、学生たちがバリケード封鎖していた立命館大学の中を、白川静だけはフリーパスで研究室に通っていたという伝説がある。思えば、まだ一般書は書いていない時代であった。白川静が来れば「どうぞ」と通していた学生たちも、なかなか眼力があったといわねばならない。  本書『回思九十年』は、エッセー「わたしの履歴書」と、江藤淳や呉智英をはじめとする面々との対談で編まれた。九十歳になる学者が自分の来歴を語ろうという一冊である。  「私の履歴書」には、やはり前述した「伝説」の時代のことが出てくる。封鎖された研究室棟では、夏など、白川静はステテコ姿で過ごしていたらしい。バリケードをかいくぐって訪ねてきた編集者は、てっきり小使いさんと思い込み、部屋を聞いたという。ステテコ姿の学者は、さらにキャンパスの騒音(学生のアジ演説や学内デモの怒号などであろう)を消すために、謡(うたい)のテープをかけていた。謡を流すと、それが騒音を吸収してくれて、静かに勉強できたそうである。たしかに「かくの如き学徒は乏しいかな」なのである。  作家・酒見賢一との対談で、あらゆる仕事を果たしたあとは、書物の上で遊ぼうと、「大航海時代叢書」全巻を買ってあると語っている。書物の中で大航海時代の世界を旅してみたい。それが先生の夢ですかと尋ねる酒見に、「うん。夢は持っておらんといかん。どんな場合でもね」と白川静は答えている。 (2000・5・24) (116-117頁) いま思えば、 ◇ 狐『日刊ゲンダイ匿名コラム 水曜日は狐の書評』ちくま文庫 との出会いは有意義だった。〈狐〉に化かされるのは幸いかな。

アン・リンドバーグ「サヨナラ」

アン・モロー・リンドバーグ「サヨナラ」 A・M・リンドバーグ著,中村妙子訳『翼よ、北に』みすず書房 「サヨナラ」を文字どおりに訳すと、「そうならなければならないなら」という意味だという。これまでに耳にした別れの言葉のうちで、このようにうつくしい言葉をわたしは知らない。…けれども「サヨナラ」は言いすぎもしなければ、言い足りなくもない。それは事実をあるがままに受けいれている。人生の理解のすべてがその四音のうちにこもっている。ひそかにくすぶっているものを含めて、すべての感情がそのうちに埋み火のようにこもっているが、それ自体は何も語らない。言葉にしない Good-by であり、心をこめて手を握る暖かさなのだ ー 「サヨナラ」は。 「女性飛行家の草分けが書く「東洋』への旅」 アン・モロー・リンドバーグ著 / 中村妙子訳『翼よ、北に』みすず書房 狐『水曜日は狐の書評 日刊ゲンダイ匿名コラム』ちくま文庫  感受力も並でない。とくに日本語の「サヨナラ」について語るところ。「文字通りに訳すと、『そうならなければならないなら』という意味だという。これまで耳にした別れの言葉のうちで、このようにうつくしい言葉を私は知らない」とアンは書く。英語でもフランス語でもドイツ語でも、別れの言葉には再会の希望がこめられている。祈りがあり、高らかな声がある。  しかし日本語の「サヨナラ」は言いすぎもしなければ、言い足りなくもない。「それは事実をあるがままに受けいれている。人生の理解のすべてがその四音のうちにこもっている」  われわれにとっても思いがけない読みだ。須賀敦子も、そこに感銘を受けたと書いていた。アン・モロー・リンドバーグは二00一年二月、逝去。九十四歳だった。(338-339頁) 「葦の中の声」 須賀敦子『遠い朝の本たち』ちくま文庫 さようなら、についての、異国の言葉にたいする著者の深い思いを表現する文章は、私をそれまで閉じこめていた「日本語だけ」の世界から解き放ってくれたといえる。語源とか解釈とか、そんな難しい用語をひとつも使わないで、アン・リンドバーグは、私を、自国の言葉を外から見るというはじめての経験に誘い込んでくれたのだった。やがて英語を、つづいてフランス語やイタリア語を勉強することになったとき、私は何度、アンが書いていた「さようなら」について考えたことか。しかも、ともすると日本から逃...

TWEET「Kindle Direct Publishing_『本多勇夫 / も一つ 折々の記_08』: 〜白川静編〜」

◆ 2021/04/13、未使用の「お絵かき帳」状態から抜け出し、「Kindle」で読むことができるようになりました。「 頑是ない私の歌」です。 ぜひご覧くださいませ。長い道のりでした。 ◆ 懇切丁寧に教えていただき、原因は解ったのですが、いまだ非表示・白紙状態、「お絵かき帳」状態になっております。いましばらくお待ちください 。 つい今し方、 ◇ 「本多勇夫 / も一つ 折々の記_08」: 〜白川静編〜 を、「Kindle Direct Publishing」にアップしました。 上梓されました。早速購入しました。  本編には、はじめて上梓した、「本多勇夫 / 折々の記_01」と重複している内容が相当数含まれています。試行編と思い、当初はたいした考えもなく、 ◇ TWEET「寒夜の明月」(2020/12/31 ) から、 ◇ TWEET「Kindle Direct Publishing」(2021/03/11 ) までの、総数 40のブログを載せました。その内に白川静先生についての叙述が少なからず含まれていた、ということです。  私にとって、「白川静」先生の書名のない連作は考えられず、今回、「も一つ」に乗じて、「『本多勇夫 / も一つ 折々の記_08』〜白川静編〜」を上梓させていただきました。  白川静は神々との交通の整理役に徹した。その旗振りはみごとだった。白川は意のままにペンを走らせた。長年月にわたる白川の、神々との交際が結実した。神々は、「字書三部作」の偉業をさぞお慶びになられていることだろう。  神々に愛された人、白川静はやはり大き過ぎる。

TWEET「Kindle Direct Publishing_『本多勇夫 / まだまだ 折々の記_07』: 〜夏目漱石編〜」

◆ 予期せぬ不具合の発生により、非表示状態、白紙状態、「お絵かき帳」状態になっております。ただいま交渉中です。親身になっていただいております。いましばらくお待ちください 。 つい今し方、 ◇ 「本多勇夫 / まだまだ 折々の記_07」: 〜夏目漱石編〜 を、「Kindle Direct Publishing」にアップしました。 上梓されました。早速購入しました。 此の憂誰(た)れに語らん語るべき一人の君を失ひし憂 寺田寅彦「思ひ出(いづ)るまゝ」 十川信介 編『漱石追想』岩波文庫(128頁)

TWEET「Kindle Direct Publishing_『本多勇夫 / 又々 折々の記_05』: 〜司馬遼太郎編〜」

◆ 予期せぬ不具合の発生により、未出版状態のままになっております。申し訳ありませんが、復旧までいましばらくお待ちください 。 つい今し方、 ◇ 「本多勇夫 / 又々 折々の記_05」: 〜司馬遼太郎編〜 を、「Kindle Direct Publishing」にアップしました。 上梓されました。早速購入しました。  司馬遼太郎の「歴史小説」について書いた文章ではないことをはじめにお断りしておきます。  司馬遼太郎が是とした「すがすがしさ」。 「すがすがしさ」とは漢字で表記すれば「清々しさ」であって、換言すれば、司馬遼太郎は「美しくあること」をもって是とした、と私は解釈しています。「すがすがしくあること」、また「美しくあること」は、行住座臥、あらゆる方面についてまわる試金石です。明恵上人の「阿留辺畿夜宇和(あるべきようは)」を思い出します。  宗教を哲学として平易な言葉で語っていただけたことのありがたさ。歴史に生身の人間が息づいていることへの歓心。歴史を見はるかす目の確かさ、またその明晰さ。いましばらく、博覧強記にして言葉を自在にあやつる司馬遼太郎の史観に沈潜したいと考えております。

白川静「[サイ]の発見」

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2021/02/11、P教授から、 ◇ 『別冊太陽 白川静の世界 漢字のものがたり』平凡社 の画像が添付されたメールが届いた。 表紙には、 文字があった。 文字は 神とともにあり、 文字は 神であった。 と書かれていた。  ドトールコヒーでおくつろぎの様子だった。政治学者にして白川静とは粋人 である。  見栄えのする表紙だった。  返信をする前に、Amazon に注文した。  そして、昨日(2021/02/15)、到着した。 また、裏表紙には、 白川静の日常。 時間は静かに流れ、 淡々と一日を終える。ただそれだけ。ただそれだけ。 それだけを繰り返し、生み出される仕事の確かさ。 また、明日。 また、あした。 と書かれている。 「泣く子も黙る『漢字』の泰斗の学問人生」 白川静著『回思九十年』(平凡社) 狐『日刊ゲンダイ匿名コラム 水曜日は狐の書評』ちくま文庫  白川静を読むには覚悟を要する。身のほどをわきまえないと、あっという間に投げ出したくなる。  当書評 には、吉本隆明の文が引用されている。 「 白川静、一九一〇年生まれ、字書三部作『字統』『字訓』『字通』によって、また『孔子伝』などの名著によって、泣く子も黙る文字学、古代学の泰斗である。  かつて吉本隆明もこう書いた。「彼の主著『説文新義』の数冊は、わたしの手元にあるが、いまだ手に負えないでいる。(略)かくの如き学徒は乏しいかな。彼の仕事を遠望するとき、流石に、少し泣きべそをかきそうになるのを、禁じえない」 (2000・5・24) (116-117頁)  吉本隆明にしてこのありようである。理解のゆきとどかない ところには目をつぶって、とにかく通読することにする。 白川静 監修,山本史也 著『神さまがくれた漢字たち』理論社 また、用意が必要になる。 白川 静「序文」 「第一章 初めの物語」 「第二章 からだの物語」 「第三章  (さい)の物語」 「序文」と各章を、 「漢字の「物語」がより克明に描かれるための準備は、ここをもって万全に整いました。」(70頁) と書かれた一文に至るまで熟読する。  準備をおろそかにして、徒手で白川静と対峙するのは向こう水である。  ちなみに、本書の内容紹介には、 「漢字を見る目を180度変えた、“白川文字学”のもっともやさしい入門書!」 との一文がある。理論社の児童書である。 「...

「プー太郎は暇そうだけど、気苦労もありますか?」

「プー太郎は暇そうだけど、気苦労もありますか?」 とのP教授からの問いに、 「呑気と見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする。」 と応えておきました。 山村修『増補 遅読のすすめ』ちくま文庫  先日、漱石の『吾輩は猫である』を読んでいると、ほとんどラストに近いあたりで、次の一行が目にふれた。  呑気と見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする。  この小説を読むのは三度目である。一度目は高校生のころ、二度目は二年ほどまえのこと。一度目の高校時代ははるかな昔のことで、みごとなくらい内容の記憶は失われているから除外するとして、二度目に読んだとき、この一行には気がつかなかった。 (中略)  前回は気がつかなかった。そのときはたぶん、右の痛切ともいえる一行は目をかすめただけである。読んで感銘を受けたけれども忘れてしまったというのではない。目には映っているが印象をとどめない。なぜだろうか。答えはきまっている。速く読んだからだ。(11-12頁) 下記、 山村修『増補 遅読のすすめ』ちくま文庫(全) です。

「見覚えのある景色だった」

◇  松岡享子さく,加古里子え『とこちゃんはどこ』福音館書店 を書いている途中、必要にかられ、 「本の名前」で検索すると、たくさんの「本の部分の名称」を記した画像が表示された。それらの間を一羽のかもめが羽を広げて飛んでいた。見覚えのある景色だった。 「かもめ来よ天金の書をひらくたび」 山村修『増補 遅読のすすめ』ちくま文庫  北村薫も「いかにも蛇足ですが」といって天金の説明をしているが、装丁法の一で、書物を立てたとき上方になる切り口すなわち天に、金箔をつけたものを指す。 (中略)  その須永朝彦による読みに、北村薫は「目を開かされました」と書いている。さらに重ねて、「いえ、開かされたというより、くらくらさせられました」と書いている。北村によれば、須永朝彦はこの句の発想が、手に開いた本をそのまま目の高さに据え、地の切り口のほうから水平に見た一瞬にあったのではないか、と記しているという。  そのとき読んでいた北村薫の本を、私もそのように、まんなかあたりで開いたまま目の高さに上げてみた。そして地の切り口から水平に見た。瞬間、さすがに胸がさわいだ。  たしかにかもめが見える。さらに一ページずつ繰っていくと、次々に白いかもめが翼をひろげて飛んでくる。  北村薫は「もとより句は、謎々でも頭の体操でもありません。理屈がついて、なーんだと小さくなってしまうのでは仕方がない。ここにあるのは理以上の理です。」と書いている。むろん句をつくった三橋敏雄が、須永朝彦の考えた通りに発想したのかどうか確証はない。しかし、これはそれこそ気づくか気づかぬかであって、いったん気づいてしまったら、ほかの発想はもはや考えられなくなる。  須永朝彦によれば、三橋敏雄がこの句をつくったのは早くて十五歳、遅くとも十八歳くらいの時期とのことだ。三橋は一九二0(大正九)年の生まれだから、一九三0年代後半の作ということになる。 (中略)  一つの発見が、こうしてあたかも本から本へ、白い翼をひろげたかもめが渡るように、私のところまで伝わってくる。  私にはそれがうれしい。いままさに本を手にしている、その本を読んでいるー、そういう思いがわいてくる。うれしいときは、なぜか時間もまた茫洋とわきたつような気がする。現実にはほんのいっときであっても、時間は果てしなくわきおこり、ひろがり、みちるー、...

山村修『増補 遅読のすすめ』_鑑賞の指南書

山村修『増補 遅読のすすめ』ちくま文庫  先日、漱石の『吾輩は猫である』を読んでいると、ほとんどラストに近いあたりで、次の一行が目にふれた。 呑気と見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする。 この小説を読むのは三度目である。一度目は高校生のころ、二度目は二年ほどまえのこと。一度目の高校時代ははるかな昔のことで、みごとなくらい内容の記憶は失われているから除外するとして、二度目に読んだとき、この一行には気がつかなかった。 (中略) 前回は気がつかなかった。そのときはたぶん、右の痛切ともいえる一行は目をかすめただけである。読んで感銘を受けたけれども忘れてしまったというのではない。目には映っているが印象をとどめない。なぜだろうか。答えはきまっている。速く読んだからだ。 本書では、山村修さんが遅読中にも、さらにゆっくり読んでいるところ、立ち止まり、行きつもどりつしつつ、感慨にふけっている場面が、山村修さんの鑑賞文とともにふんだんに紹介されています。読書家 山村修の面目を再認識させられます。 本書は「遅読のすすめ」であって、恰好の「図書案内」であって、「鑑賞の指南書」であって、私にとっては「作文のお手本」であって、「作文の作法」です。 引き続きまして、遅読を実践します。

須賀敦子「遠い霧の匂い」(全)

狐『水曜日は狐の書評 日刊ゲンダイ匿名コラム』ちくま文庫 「いきなり現れ、去った文学者の残したもの」(104-105頁) 須賀敦子『須賀敦子全集 第1巻』河出文庫 十年前の一九九0年、須賀敦子という聞き覚えのない著者が出したエッセー集『ミラノ 霧の風景』(白水社)を読んだ者は、だれもが目をみはらされた。どうやら処女出版らしい。しかしすでに作家の確信ともいうべき力が文章の内にこもっている。イタリアという異邦の風土をめぐる思いが、書き手の内部ですっかり熟成しているのを感じさせられる。つまり私たちの前に、いきなり文学者が現れたのだった。 そうした日常の局面を、須賀敦子はおどろくべき多彩さでエッセーに書いた。そのエッセーの魅力を知るのに恰好の一文といえるのが、本書所収「ミラノ 霧の風景」の冒頭に置かれた「遠い霧の匂い」だろう。このたった六ページの短文には、霧という自然現象をモチーフに、異郷ミラノの土地の感触が、そしてそこに生きることの哀切、痛み、喜び、希望などが、しんしんと身にしみるように書かれている。その後の須賀敦子のおそらくすべてがこの六ページに凝縮されているといっていい。神品。何度読んでもすばらしい。  明日には、 須賀敦子『ミラノ 霧の風景』白水社  が届くと思われ ますが、待ちきれずに、図書館へ「遠い霧の匂い」をコピーしに行こうと思っています。図書館にあることは確認しました。9:30 開館です。朝一番に 行こうと考えています。  朝一番で行ってきました。会社勤めの人たちが出社するかのように、「ぞろぞろぞろぞろ」と皆足早に朝一番の図書館に入っていきました。静かな朝を想像していましたので、呆気にとられました。コピーはやめて、 須賀敦子『須賀敦子全集 第1巻』河出書房新社   を借りてきました。帰路、デニーズさんに立ち寄り読みました。「狐」さんが「神品」とまで賞賛した作品を、なぜいままで読まないままにやり過ごしてきたのか、不思議な気がしています。感想は項を改めて書きます。 須賀敦子「遠い霧の匂い」(全文) つい今しがた読み終えました。三度目です。前回読んだのはちょうど一月前のことでした。回を重ね、作品の味わいが少しずつわかるようになってきました。「狐」さんが評した「神品」へのとらわれから、解き...

TWEET「螢狩り_恋慕の情」

 いつもの池のほとりの、いつもの場所に座し、目を凝らしていたが、十分ほどの間(ま)をおいては繰り返される明滅を、目にするばかりだった。「ほのかにうち光て行く」景色は望めなかった。  時季外れの恋慕の情を目にした格好だった、と簡単に文を結んでしまうのは不憫で、逡巡していると、アン・モロー・リンドバーグの「サヨナラ」を思い出した。 アン・モロー・リンドバーグ「サヨナラ」 A・M・リンドバーグ『翼よ、北に』中村妙子訳、2002年、みすず書房 「サヨナラ」を文字どおりに訳すと、「そうならなければならないなら」という意味だという。これまでに耳にした別れの言葉のうちで、このようにうつくしい言葉をわたしは知らない。…けれども「サヨナラ」は言いすぎもしなければ、言い足りなくもない。それは事実をあるがままに受けいれている。人生の理解のすべてがその四音のうちにこもっている。ひそかにくすぶっているものを含めて、すべての感情がそのうちに埋み火のようにこもっているが、それ自体は何も語らない。言葉にしない Good-by であり、心をこめて手を握る暖かさなのだ ー 「サヨナラ」は。  日本には「サヨナラ」があった。これに優る言葉は思い当たらず、「サヨナラ」を結びの語とすることにした。 以下、 アン・リンドバーグ「サヨナラ」 です。

TWEET「どこか悲しい音がする」

2019/03/08 TWEET「山師稼業」  Aグループ(03/07,08)の愛知県公立高入試を今日終え、週明けには、Bグループ(03/11,12)入試が行われます。愛知県では二校、受験可能です。二日目は面接試験です。  相も変わらず、出題予想に勤しんでいます。山師稼業もすっかり板に付きました。伸るか反るかの大博打、といきたいところですが、どうもせせこましくっていけません。息苦しくってなりません。 2019/03/14 TWEET「 どこか悲しい音がする」  的を射たものもあった。かすめただけのものもあった。大きくそれたものもあった。しかし、概観すれば、私の今年度の出題予想は、上出来だったと自負している。  山師といい、私といい、「浮遊層」に属する者たちである。ただ、山師は、白黒がつけば一旦着地するが、私の場合には着底するということがない。さすれば、山師の身過ぎ世過ぎは、私のそれよりも健全で地に足がついたものといえよう。私の常態は、山師以上に山師ということになろう。こんなくだらないことを真面目に考えていること自体、山師の上をいく者といえるかもしれない。  今回の山師稼業を通して感じたのは、  「呑気と見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする。」(夏目漱石『我輩は猫である』) ということである。 やはり、漱石先生は偉いもの である。 以下、 山村修『増補 遅読のすすめ』ちくま文庫(全) です。

「拝復 P教授様_睡眠について」

「昼寝こそが頭、心、体の万能の医者です。 塾長が一年中、昼寝をしているのは本能ですね!」 午睡に逃避しているだけのことです。ただのたわけ者です。三年寝太郎です。 以下、ブログより、「睡眠について」です。 ◇ 「地下足袋で歩きながら、つらつらと」_睡眠のリズムと夢作業 ◇  河合隼雄「考えが行き詰まったら寝たほうがまし」 ◇ 「 そっと起こす」その二  堀忠雄『快適睡眠のすすめ』岩波新書 FROM HONDA WITH LOVE.

「動詞_詮索する」

「ミヒャエル・エンデ 『モモ』_キョンキョンはすてきです!!」 の閲覧が、一日に150 を越え、あまりにも唐突なことに、不思議に思っています。冬休みも残りわずかで、課題を手っとり早く、終わらせようということなのでしょうか。 夏休みの終わり近くには、 五木寛之講演「見て知りそ 知りてな見そ」 で、同様なことを経験しましたが、つまらない詮索はやめることにします。

白川静_「泣く子も黙る「漢字」の泰斗の学問人生」

狐『日刊ゲンダイ匿名コラム 水曜日は狐の書評』ちくま文庫 「泣く子も黙る『漢字』の泰斗の学問人生」 白川静著『回思九十年』(平凡社) 白川静、一九一〇年生まれ、字書三部作『字統』『字訓』『字通』によって、また『孔子伝』などの名著によって、泣く子も黙る文字学、古代学の泰斗である。  かつて吉本隆明もこう書いた。「彼の主著『説文新義』の数冊は、わたしの手元にあるが、いまだ手に負えないでいる。(略)かくの如き学徒は乏しいかな。彼の仕事を遠望するとき、流石に、少し泣きべそをかきそうになるのを、禁じえない」  一般書は六十歳になるまで書かなかった。それまでは専門の研究に徹することを自分に課していた。かつて学園紛争のころ、学生たちがバリケード封鎖していた立命館大学の中を、白川静だけはフリーパスで研究室に通っていたという伝説がある。思えば、まだ一般書は書いていない時代であった。白川静が来れば「どうぞ」と通していた学生たちも、なかなか眼力があったといわねばならない。  本書『回思九十年』は、エッセー「わたしの履歴書」と、江藤淳や呉智英をはじめとする面々との対談で編まれた。九十歳になる学者が自分の来歴を語ろうという一冊である。  「私の履歴書」には、やはり前述した「伝説」の時代のことが出てくる。封鎖された研究室棟では、夏など、白川静はステテコ姿で過ごしていたらしい。バリケードをかいくぐって訪ねてきた編集者は、てっきり小使いさんと思い込み、部屋を聞いたという。ステテコ姿の学者は、さらにキャンパスの騒音(学生のアジ演説や学内デモの怒号などであろう)を消すために、謡(うたい)のテープをかけていた。謡を流すと、それが騒音を吸収してくれて、静かに勉強できたそうである。たしかに「かくの如き学徒は乏しいかな」なのである。  作家・酒見賢一との対談で、あらゆる仕事を果たしたあとは、書物の上で遊ぼうと、「大航海時代叢書」全巻を買ってあると語っている。書物の中で大航海時代の世界を旅してみたい。それが先生の夢ですかと尋ねる酒見に、「うん。夢は持っておらんといかん。どんな場合でもね」と白川静は答えている。 (116-117頁) (2000・5・24)

「井筒俊彦という巨匠と井筒俊彦が師事した巨星」

アラビア語とイスラームとの切っても切れぬ関係 ー 井筒俊彦『イスラーム誕生』 山村修『〈狐〉が選んだ入門書』ちくま新書(172-174頁) 右の対談で、司馬遼太郎は井筒俊彦につき、「二十人ぐらいの天才が一人になっている」と語っています。それがけっして大げさに思えないのは、ひとつには井筒俊彦のただならぬ語学力のためでしょう。なにしろ、英語だのフランス語だのドイツ語などは「平凡」だというのです。それら近代ヨーロッパ語は、どうも抵抗がない。要するに言語学的にはあまりに簡単すぎてつまらないというのです。(司馬遼太郎ならずとも、そんなことをいわれると「まいってしまいます」と苦笑したくなります)。  それらの言語にくらべ、ヘブライ語、ギリシア語、サンスクリット語、アラビア語などは、そのむずかしさが「快い」抵抗になる。ムズカシければ、むずかしいほど、おもしろい。とりわけアラビア語は語彙がおそろしく豊富で、しかも一々のがおどろくほど流動的かつ多義的である。そこがすばらしく魅力的だ、と井筒俊彦はいうのです。  ここで大事なのは、まさにそのアラビア語のむずかしさ(井筒流にいえば、その快さであり、魅力であるもの)でしょう。井筒俊彦が宗教についても思想や文化についてもイスラーム世界のことを語るとき、ほとんど必ず、アラビア語のことも語られます。それはイスラームの特性が、あるいはアラビア人の特性が、アラビア語そのものの特性とひとつのものであるからです。  言語は、それをつかう人々の生活環境や、感覚や知覚などと、底の底のところでつながっている。そのことをアラビアについて、井筒俊彦はくりかえし強調しています。 アラビア語とイスラームとの切っても切れぬ関係 ー 井筒俊彦『イスラーム誕生』 山村修『〈狐〉が選んだ入門書』ちくま新書(172-173頁)  大学の助手をしていた頃、井筒俊彦は二人のすごい先生にアラビア語を習っています。二人ともトルコ人で、アラビア人よりもアラビア語ができるといわれていました。  何がすごいといって、本を持っていない。イスラームの古典は頭に入っていて、その知識で教えるのです。一人目はイブラーヒームという名の人。昔でいえば国士です。トルコを中心に往年のイスラーム帝国の再建をめざしていた。そのために頭山満など右翼の大物たちを通じて日本...

「日本人はなぜ『さようなら』と別れるのか」(全)

アン・モロー・リンドバーグ「サヨナラ」 2015/08/10 「女性飛行家の草分けが書く『東洋』への旅」 アン・モロー・リンドバーグ著 / 中村妙子訳『翼よ、北に』みすず書房 狐『水曜日は狐の書評 日刊ゲンダイ匿名コラム』ちくま文庫  2002/09/04 に「日刊ゲンダイ」に寄稿されたコラムです。 「感受力も並でない。とくに日本語の「サヨナラ」について語るところ。「文字通りに訳すと、『そうならなければならないなら』という意味だという。これまで耳にした別れの言葉のうちで、このようにうつくしい言葉を私は知らない」とアンは書く。英語でもフランス語でもドイツ語でも、別れの言葉には再会の希望がこめられている。祈りがあり、高らかな声がある。  しかし日本語の「サヨナラ」は言いすぎもしなければ、言い足りなくもない。「それは事実をあるがままに受けいれている。人生の理解のすべてがその四音のうちにこもっている」  われわれにとっても思いがけない読みだ。須賀敦子も、そこに感銘を受けたと書いていた。アン・モロー・リンドバーグは二00一年二月、逝去。九十四歳だった」 (三二八ー三二九頁) 再び「サヨナラ」です。奇遇です。 2015/09/24  手元にあった、   竹内 整一 『〈かなしみ〉と日本人 ( NHKこころをよむ)』 NHK出版(2007/03)  の目次をみていると、「日本人は、なぜ『さよなら』と別れるのか」という講義があり、もしやと思い、ページを繰ると、A・M・リンドバーグ『翼よ、北に』中村妙子訳、2002年、みすず書房 からの引用があり、驚きました。   「サヨナラ」を文字どおりに訳すと、「そうならなければならないなら」という意味だという。これまでに耳にした別れの言葉のうちで、このようにうつくしい言葉をわたしは知らない。…けれども「サヨナラ」は言いすぎもしなければ、言い足りなくもない。それは事実をあるがままに受けいれている。人生の理解のすべてがその四音のうちにこもっている。ひそかにくすぶっているものを含めて、すべての感情がそのうちに埋み火のようにこもっているが、それ自体は何も語らない。言葉にしない Good-by であり、心をこめて手を握る暖かさなのだ ー 「サヨナラ」は。 竹内 整一 『...

須賀敦子「翻訳という世にも愉楽にみちたゲーム」(全)

須賀敦子「翻訳という世にも愉楽にみちたゲーム」  「本があったから、私はこれらのページを埋めることができた。夜、寝つくまえにふと読んだ本、研究のために少し苦労して読んだ本、亡くなった人といっしょに読みながらそれぞれの言葉の世界をたしかめあった本。翻訳という世にも愉楽にみちたゲームの過程で知り合った本。それらをとおして、私は自分が愛したイタリアを振り返ってみた。」 須賀敦子さんは、 『ミラノ 霧の風景』白水uブックス   の「あとがき」に「翻訳という世にも愉楽にみちたゲーム」と書かれています。以来ずっと、この言葉が気になっています。 翻訳には当然原書があり、そこから逸脱することは許されないことを、決められたルールの下で行われるゲームに見立てて、須賀敦子さんはこう表現されたのでしょうか。一定のルールに従いさえすれば、あとは自由です。自分の裁量で動くことができます。 学生時代に、『ソクラテスの弁明』を新潮文庫で読みはじめ、そのあまりにも難解な、日本語の体をなしていない日本語に音をあげて放りだし、久保勉さんが翻訳された岩波文庫で読んだことがあります。これも学生時代のことですが、当時読売新聞社から出版されていたエリザベス キューブラー・ロスの『死ぬ瞬間』を読んだときにも同じような経験をしました。『死ぬ瞬間』については、その十数年後に鈴木晶さんの翻訳で中央公論社から出版されましたが、時すでに遅く、当時は日本語もどきの日本語で我慢して読むしかありませんでした。翻訳の功罪ということを思うと同時に、また原書で読めない自分を悲しく思いました。生半可な翻訳は、著者にとっても読者にとっても迷惑この上ない話です。 山岡 洋一『翻訳とは何か―職業としての翻訳』日外アソシエーツ  「 では、その(翻訳の)職業倫理とは何か。本書に倣って強引に要約すれば、それは、「訳文に対する“結果責任”をまっとうすること」なのではあるまいか。実例を交えた翻訳の考察、歴史上の翻訳者たちの足跡紹介、翻訳技術論…。本書を貫く記述のすべてが、この基本の延長線上にあると思えるのだ。(今野哲男) 大学二年時の英語の講義のテキストは、George Robert Gissing『The Private Papers of Henry Ryecroft』で...