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3月, 2021の投稿を表示しています

TWEET「倉本先生に『倉本聰私論』 を送る」

倉本聰先生  当地では桜の花が見ごろを迎えておりますが、春遅き北の地とはいえ処処に、春の兆しが認められるころか、と拝察しております。  お体のお具合はいかがでしょうか、お加減のことばかりが気になっております。 P教授に何度となく背中を押され、幾度となく脅迫され、  平成三年(1991年)九月に提出した卒業論文、 「倉本聰私論 ー『北の国から』のささやきー」 を、今日 倉本先生にお送りしました。 2021/03/31 に到着の予定です。 三十年来の想いがかないました 。

TWEET「美は曇りなき眼が見つける」

  2021/04/09 に還暦を迎える。16日後に迫った。還暦の後先ということをしきりに考えている。焦燥感がある。準備の捗らないこともあり、おぼろげな行方しかみえないこともある。  今日の読書は、小林秀雄か井筒俊彦か迷った末に、井筒俊彦の著作を手にした。 そして、 ◇ 井筒俊彦『意識と本質 ー 精神的東洋を索めて ー 』岩波文庫 ◇ 井筒俊彦『意味の深みへ』岩波文庫 「意味分節理論と空海 ー 真言密教の言語的可能性を探る」 ◇ 井筒俊彦『コスモスとアンチコスモス:東洋哲学のために』岩波文庫 「事事無礙・理理無礙 ー 存在解体のあと」 の三作品のうちの、 ◇ 井筒俊彦『意味の深みへ』岩波文庫 「意味分節理論と空海 ー 真言密教の言語的可能性を探る」 を読んだ。  この世に生を享けたからには、この世の始源・淵源のことについて知りたいという欲求がある。そして、曇りなき眼で四囲を見つめたい。美は曇りなき眼が見つける。 観想体験もなく、観照体験もなく、つい井筒俊彦の著作群に手が伸びる。読前・読後では明らかに差異が認められる。  はじめに「 焦燥感がある 」と書いたが、いままで書き留めたブログを、いかに整理して、 「Kindle Direct Publishing」に載せようかということであって、他愛もないといえば、他愛もないことである。

春分の日に、小林秀雄「本居宣長之奥墓(おくつき)」です。

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◇ 本居宣長「敷島の大和心を人問はば 朝日に匂ふ山桜花」 と題したブログを、 2016/04/03 に載せた。 ◇  小林秀雄『学生との対話』国民文化研究会・新潮社編 』(12-14頁) からの引用だった。    そして、  一年後の 2017/04/02 に再掲した。  季節、時節を問わず毎日のように閲覧があり、本ブログ( 22,8666件 )の首位の座( 1,3169件 )を占めている。それは 全閲覧数の  5.76% に当たる。小林秀雄が、本居宣長が、…。不可思議である。脅威である。 本居宣長「敷島の大和心を人問はば 朝日に匂ふ山桜花」 小林秀雄『学生との対話』国民文化研究会・新潮社編 』  諸君は本居さんのものなどお読みにならないかも知れないが、「敷島(しきしま)の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花(やまざくらばな)」という歌くらいはご存じでしょう。この有名な歌には、少しもむつかしいところはないようですが、調べるとなかなかむずかしい歌なのです。先(ま)ず第一、山桜を諸君ご存じですか。知らないでしょう。山桜とはどういう趣の桜か知らないで、この歌の味わいは分るはずはないではないか。宣長さんは大変桜が好きだった人で、若い頃から庭に桜を植えていたが、「死んだら自分の墓には山桜を植えてくれ」と遺言を書いています。その山桜も一流のやつを植えてくれと言って、遺言状には山桜の絵まで描いています。花が咲いて、赤い葉が出ています。山桜というものは、必ず花と葉が一緒に出るのです。諸君はこのごろ染井吉野という種類の桜しか見ていないから、桜は花が先に咲いて、あとから緑の葉っぱが出ると思っているでしょう。あれは桜でも一番低級な桜なのです。今日の日本の桜の八十パーセントは染井吉野だそうです。これは明治になってから広まった桜の新種なので、なぜああいう種類がはやったかというと、最も植木屋が育てやすかったからだそうで、植木屋を後援したのが文部省だった。小学校の校庭にはどこにも桜がありますが、まあ、あれは文部省と植木屋が結託して植えたようなもので、だから小学校の生徒はみなああいう俗悪な花が桜だと教えられて了(しま)うわけだ。宣長さんが「山桜花」と言ったって分からないわけです。  「匂う」という言葉もむずかしい言葉だ。これは日本人でなければ使えないような言葉と言っていいと思います。「匂う」はもともと

TWEET「「サイタ サイタ サクラハ サイタカ?」

 2021/03/10 から、 「Kindle Direct Publishing」さんとのおつき合いをはじめ、ふり回されっぱなしで、今日で 9日になる。 曲がりなりにも、 2021/03/13 に、 ◇ 「本多勇夫 / 折々の記_01」 Kindle版 を、2021/03/16 には、 ◇  本多勇夫「倉本聰私論」: 〜『北の国から』のささやき 〜 Kindle版 を、 棚に並べていただいたが、上梓したという感慨も、しがない作家の仲間入りをしたという実感もまったくない。これが電子書籍出版時代の常態ということなのだろうか。  とにかく、疲弊している。困憊している。 消耗している。 「サイタ サイタ サクラハ マダカ?」  桜が散りしくまで、春眠を決めこむことにした。  夢現のままに、次作からの戦略を練ることにした。

「『本多勇夫 / 折々の記_01 Kindle版』_P教授による記念すべき第一冊目のお買い上げ」

今日の午前中、P教授に、 「本多勇夫 / 折々の記_01」 を購入していただきました。「Kindle Direct Publishing」の「レポート」を見ると、確かに記録に残っていました。記念すべき第一冊目のお買い上げです。お気づかいに感激しました。  午後には、P教授から、「カスタマーレビュー」が載っている、とのメールをいただきました。半信半疑でしたが、見ると、「パイプのけむり」さんの、「レビュー」が載っていていました。「星5つ」でした。もったいない内容の「レビュー」でした。 「パイプのけむり」さんの「カスタマーレビュー」を、繰り返し読ませていただいているうちに、小林秀雄が、 「文章を書く際には、七分は運動神経、三分が頭」 と書いているのを思い出しました。私には比率のことまでは分かリません が、文章を書く際には、敏捷性や平衡感覚が不可欠です。  還暦を目前にして、「運動神経」は無惨にも衰えるばかりで、如何せん、と思えば、小林秀雄には、 「年齢のせいに違いないが、年をとっても青年らしいとは、私には意味を成さぬ事とも思われる。」(「お月見」『人生について』中公文庫 177頁) と助け舟を出していただき、岡潔には、 「情操が深まれば境地が進む。これが東洋的文化で、漱石でも西田幾多郎(にしだきたろう)先生でも老年に至るほど境地がさえていた。」(『春宵十話』36頁) と救いの手を差し伸べていただきました。 團伊玖磨さんの「パイプのけむり」には、 第1巻「パイプのけむり」 第2巻「続パイプのけむり」 第3巻「続々パイプのけむり」 第4巻「又パイプのけむり」 第5巻「又々パイプのけむり」 第6巻「まだパイプのけむり」 第7巻「まだまだパイプのけむり」 第8巻「も一つパイプのけむり」 第9巻「なおパイプのけむり」 第10巻「なおなおパイプのけむり」 第11巻「重ねてパイプのけむり」 第12巻「重ね重ねパイプのけむり」 第13巻「なおかつパイプのけむり」 第14巻「またしてパイプのけむり」 第15巻「さてパイプのけむり」 第16巻「さてさてパイプのけむり」 第17巻「ひねもすパイプのけむり」 第18巻「よもすがらパイプのけむり」 第19巻「明けてもパイプのけむり」 第20巻「暮れてもパイプのけむり」 第21巻「晴れてもパイプのけむり」 第22巻「降ってもパイプのけむり」 第23巻

TWEET「Kindle Direct Publishing_「倉本聰私論 ー『北の国から』のささやきー」_2/2

 前回(2021/03/13)と同様に、以下のメールが送られてきた。 「Kindle ダイレクト・パブリッシングをご利用いただきありがとうございます。 審査の結果、お客様は、以下の本の出版に関して必要な権利をお持ちでない可能性があるコンテンツが含まれていることがわかりました。お客様の作品の一部またはすべてのコンテンツは、インターネット上で無料公開されています。 「「倉本聰私論 ー『北の国から』のささやき」」 本多勇夫 (AUTHOR)著 (後略)」   「倉本聰私論 ー『北の国から』のささやき」 は、実際に私が書いた「卒業論文」なのかどうか疑わしいという意味なのか、インターネット上で無料で公開されている 「卒業論文」 を出版することはできないという意味なのか分からなかったので、タイトルを、 本多勇夫「倉本聰私論」 〜『北の国から』のささやき 〜 に余儀なく変更した。学生時代に考え抜いた末に つけたタイトルを、変更するのは忍びなかった。  いま「 Kindle Direct Publishing」のサイトでは「出版準備中」となっているが、Amazon では販売されていたので早速購入した。 本多勇夫「倉本聰私論」: 〜『北の国から』のささやき 〜  前回同様、最低限の 100円の定価をつけた。ロイヤリティも最低の 35% に設定した。一冊につき私の手元には、「35 × 0.9 = 32円」のロイヤリティ収入が入る仕組みになっている。 「主査の中島国彦先生」が、 「学籍番号 D50492-0」 が、 「住所 〒171 東京都豊島区雑司が谷2-17-6 星野荘1階2号室」が、 「電話番号 (03)-3980-9346」が、 そして 「学生時代」が、 懐かしい。 「倉本聰私論 ー『北の国から』のささやきー」 が、30年目にして日の目を見た。 出版記念日に なった。

TWEET「Kindle Direct Publishing_「倉本聰私論 ー『北の国から』のささやきー」1/2

「倉本聰私論 ー『北の国から』のささやきー」 は、 平成三年(1991年)九月に提出した卒業論文である。  倉本聰さん宛に書いたお便りである。 二百字詰原稿用紙 599頁を、 二分冊にして、二部ずつ製本した。一部を倉本聰さんにお届けし ようと意気込んでいたが、失速 し、頓挫したままになっている。  再起を期して、 平成二九年(2017年)の四月から六月にかけて活字化したものの、今回は 失墜し、命からがらでいまにいたっている。  今回「Kindle Direct Publishing」さんから出版することによって、倉本聰さんのお目に留まることを願ってやみません。  いまとなっては 古びていて、かび臭い代物であるが、富良野市六郷の森で、五郎が、純が、蛍が息づいている。紛れもなく私の青春でした。若気のいたりでした。  なお目次の頁数は、卒業論文の頁数のままにしてありますのでご寛恕ください。 「倉本聰私論 ー『北の国から』のささやきー」 平成3年9月卒業論文 2冊のうち1号 (指導教員) 主査 中島国彦先生 審査済印 中島 (題目) 「倉本聰私論 ー『北の国から』のささやきー」 総頁数599頁 早稲田大学 第二文学部 日本文学専修 D50492-0 番 氏名 本多勇夫 現住所 〒171 豊島区雑司が谷2-17-6 星野荘1階2号室 TEL (03)-3980-9346 平成3年9月卒業論文 2冊のうち1号 目 次 1. はじめのはじめに 2. 註 3. はじめに 第一章 倉本聰のシナリオをさぐる 1. シナリオ一般の特徴 2. テレビ・シナリオの特徴 3. 間(ま)・沈黙の文学として 4. 主だった特徴あれこれ 5. 註 平成3年9月卒業論文 2冊のうち2号 第二章 倉本聰『北の国から』を探る 1. 恋 2. 別れ 3. 故郷(ふるさと) 4. 告白 5. 男であること 6. まとめ 7. 註 第三章 倉本聰 その底流にあるもの 1. 創る 2. 教育 3. その底流にあるもの 4. 註 おわりに

TWEET「Kindle Direct Publishing 処女出版記_4/4」

「Kindle ダイレクト・パブリッシング(KDP)」 とは、Amazon が無料で提供している、セルフパブリッシング(自費出版 / 個人出版)のことである。  今朝起き抜けに、「Kindle Direct Publishing」の「本棚」のサイトを見ると、「販売中」になっていた。半信半疑だった。  早速 Amazon で検索すると、 「本多勇夫 / 折々の記_01」  が見つかった。その後何の連絡もなくいきなりだった。「いきなり」、ついでに購入した。表紙をつけていないので見栄えがしないが、その見栄えの悪さが際立っている。  最低限の 100円の定価をつけた。ロイヤリティも最低の 35% に設定した。一冊につき私の手元には、「35 × 0.9 = 32円」のロイヤリティ収入が入る仕組みになっている。  次は、 平成三年九月に提出した卒業論文、「倉本聰私論 ー『北の国から』のささやきー」を出版することにしている。二百字詰原稿用紙で 599頁ある。  平成二九年の三月から六月にかけて活字化した。  古くてかび臭い代物である。 追伸:昨日の 15:17 に「Kindle Direct Publishing」さんから、 「Kindle ストアで販売が開始されました」 とのメールが届いていました。「迷惑メール」に紛れ込んでいました。

井筒俊彦「華厳の,ある形而上的存在風景_事事無礙」

「21 日本と仏教」 司馬遼太郎『この国のかたち 一』文春文庫   仏教は、飛鳥・奈良朝においては、国家統一のための原理だった。『華厳経(けごんぎょう)』は宗教的というより哲学的な経典で、その経典を好んだ聖武(しょうむ)天皇が、この経典に説かれている宇宙の象徴としての毘盧舎那仏(びるしゃなぶつ)(大仏)を尊び、「国の銅(あかがね)を尽くし」て鋳造した。天平(てんぴょう)感宝元年(七四九年)、この天皇が東大寺大仏の前で「三宝(みほとけ)の奴(やっこ)」とみずからを規定して拝跪(はいき)したことほど、奈良朝における仏教と国家の関係を感動的に表現した光景はない。(245頁) 「東大寺と平城京 東大について」 土門拳『古寺を訪ねて 斑鳩から奈良へ』小学館文庫  当文庫には、 「盧舎那仏坐像頭部」 「 盧舎那仏坐像左手」 「盧舎那仏坐像蓮弁毛彫(るしゃなぶつれんべんけぼり)」 の、三葉の毘 盧舎那仏の写真が載っている。  土門拳が大仏さまの大きさを、「振り仰いで見ると、五丈三尺五寸という大きさの螺髪(らほつ)あたりに霞がたなびく感じに想いをめぐらされる」(94頁)と表現しているのはおもしろい。  相貌の凹凸によって 縁取られた細線は高邁な表情を映し出し、白毫(びゃくごう)、螺髪ともに明らかである。また、指は衆生に救いの手を差し伸べているかのようである。さらに、毘盧舎那仏が黄金に輝いていた当時の名残である蓮弁の毛彫には、息づまるような芬々とした「天平の匂いの凄さ」(95頁)が認められる。  「頭部」と「左手」を撮った二枚の写真 には、物を透き通しにする光が差しているかのような明るさがある。「華厳」が描く、光が十重二十重に交錯する世界(「光明遍照」)の中心に坐し、十方に光明を放つ毘盧舎那仏を 思わせる上品な写真に仕上がっている。  大仏さまにこれ以上の尊さを感じたことはなかった。部分が全体を凌ぐことがあることを知った。 一「理事無礙」から「事事無礙」へ 「事事無礙・理理無礙 ー 存在解体のあと」 『井筒俊彦全集 第九巻 コスモスとアンチコスモス 一九八五年 ― 一九八九年』 慶應義塾大学出版会  この講演のテーマとして私が選びました「事事無礙」は、華厳的存在論の極致、壮麗な華厳哲学の全体系がここに窮まるといわれる重要な概念であります。(8頁)  この引用箇所で、(新プラトン主義の

TWEET「Kindle Direct Publishing 処女出版記_3/4」

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「Kindle ダイレクト・パブリッシング(KDP)」 とは、Amazon が無料で提供している、セルフパブリッシング(自費出版 / 個人出版)のことである。  今朝早朝に原稿を送った。すると、 「 Kindle ダイレクト・パブリッシングをご利用いただきありがとうございます。 審査の結果、お客様は、以下の本の出版に関して必要な権利をお持ちでない可能性があるコンテンツが含まれていることがわかりました。お客様の作品の一部またはすべてのコンテンツは、インターネット上で無料公開されています。 「塾・ひのくるま / 折々の記」 本多勇夫 (AUTHOR)著 (後略)」 との返信が送られてきた。 「塾・ひのくるま / 折々の記」は、実際に本人が書いているブログなのかどうか疑わしいという意味なのか、インターネット上で無料で公開されているブログを出版することはできないという意味なのか分からなかったので、タイトルを「本多勇夫 / 折々の記」に改名して再送しておいた。 「内容紹介」には、 「季節のうつろいの、過ぎゆくときの、折々にふれてしるした記です。私の気ままな雑記帖です。  2015/08/04 から書きはじめたブログが 、5年と半年あまりになります。  5歳児の作文です。  投稿数が 2689件、閲覧数が 22,8060件になりました。  「思えば遠く来たもんだ」(中原中也「頑是ない歌」)といった感慨があります。  「思えば遠く来たもんだ / 十二の冬のあの夕べ / 港の空に鳴り響いた / 汽笛(きてき)の湯気(ゆげ)は今いずこ」  いずれもいずれも、「2689件」の「頑是ない私の歌」です。 今回は、 ◇ TWEET「寒夜の明月」(2020/12/31 ) から、 ◇ TWEET「Kindle Direct Publishing」(2021/03/11 ) までの、総数 40のブログを載せました。 小林秀雄、白洲正子、井筒俊彦、司馬遼太郎、白川静、梅原猛、土門拳 等々と、顔ぶれは多彩です。 どうかお手に取って、お読みください。」 「 Kindle ダイレクト・パブリッシング」さんのご寛恕を願うばかりです。

TWEET「Kindle Direct Publishing 処女出版記_2/4」

「Kindle ダイレクト・パブリッシング(KDP)」 とは、Amazon が無料で提供している、セルフパブリッシング(自費出版 / 個人出版)のことである。 ◇ TWEET「寒夜の明月」( 2020/12/31  ) から、 ◇ TWEET「Kindle Direct Publishing」( 2021/03/11   ) まで、総数 40の、一つひとつのブログを「Pages」に貼り付け、形を整えるのに途方もない時間を要した。 事務的な作業は淡々と機械的にするにかぎるので、強行した。早朝までかかり、 生活時間帯がすっかりくるってしまった。  「.pages  のファイル」を 「.epub のファイル」に変換するのは簡単であった 。そして、「Kindle Previewer 3」をダウンロードし遊んだ。  総文字数が「4,6247」文字、400字詰め原稿用紙にして115枚と250字足らず、引用ばかりが目立つブログとはいえ、この数字にはさすがに眼を疑った。しかし、 一つのブログ当たりの平均の文字数が「1156.175」文字、 400字詰め原稿用紙にして2枚と356字あまりという数字をみる とすっかり平静をとりもどした。いかに倦まず撓まず書くか、質より圧倒的に量ということをはっきり自覚した。  今日の進捗状況は如何に、祈るような気持ちでいる。 以下の、 「電書ログ / 簡単すぎる!Kindle出版の方法(Amazonで電子書籍を出版する方法)」 さんのサイトを参考にさせていただいている。 感謝している。

TWEET「Kindle Direct Publishing 処女出版記_1/4」

「Kindle ダイレクト・パブリッシング(KDP)」 とは、Amazon が無料で提供している、セルフパブリッシング(自費出版 / 個人出版)のことである。  以前から存在は知っていたが、今回がはじめての試みである。  昨日関連記事を読んでいたが、Windows PC はどうしても使い たくなくて、すねて、ふて寝をきめこんでいたが、深更 PC も使用可能なことを知り蘇生した。  一通りの間違いをしなければ理解できないことは、経験上分かっている。間違いをしなければならないならば、早い方がいい。  この年齢(とし )になって色気づいてきた。目立ちたがりやが頭をもたげてきた。しかし、 利潤云々はとうの昔にあきらめている。

「雪舟における『間』について」

 長い間気になっていることがある。  それは雪舟の画中の平面についてのことである。 ◇ 小林秀雄『モオツァルト・無常という事』 新潮文庫 ◆「雪 舟」 を三読四読したばかりの私が、畏れ多くも、しかし私が覚えた感慨は感興として如何ともしがたく、思い切って書くことにした。 白洲信哉 [編]『小林秀雄 美と出会う旅』(とんぼの本)新潮社 いま私は、 ◇「雪舟〈山水長巻〉春景部分 1486 紙本墨画淡彩 39,8×1653 毛利博物館」 ◇「雪舟〈慧可断臂図〉1496 紙本墨画淡彩 183,8×112,8 斎年寺」 を見ている。小片である。  〈山水長巻〉では、「開鑿(かいさく)された」平らかな「山径」、切り立った岩肌に広がる垂直面、そして渓流にかかった岩橋の平面の美しさが眼をひく。雪舟の画のなかにあって、「平面」が「間(ま)」になっており、その「間」の置き方の上手さが、雪舟の構図の上手さとなっている。  〈慧可断臂図〉における、「入門の決意を示すため、左腕を切り落として達磨に差し出す」「神光(後の慧可)」の、額や眉根に深く刻まれた皺は悲壮である。達磨は面壁の姿勢を崩さないが、虚ろな、戸惑いの眼をしている。達磨の纏う衣の線は柔らかく、身体を消失し、宙をたゆたっているかのようである。  薄衣(うすぎぬ)を一枚を纏っただけの達磨は、淡彩の「平面」として描かれ、達磨自身が「間」になっている。また、背景のおよそ半分が「平面」で構成されており、世界は深い沈黙の内にある。  雪舟における平面のなす意味について、たわいもないことを長い間考えてきた。  雪舟の描く平面は時宜を得て美しい。

「言葉の一々である」

 ことば、言葉、コトバ、いま「ことば」の渦中にある。神、神々、霊、仏、に四囲を囲まれている。  学生時代からの関心事が一同に会した。  いくつもの偶然が重なっていまに至った。私に系統だった読書ができるはずもなく、道順を聞く人もいなかった。が、インターネットには、ずいぶん助けられた。  井筒俊彦は、「存在はコトバである」と措定した。「ことば」が一気に心底にまで達した。思いもよらぬことだった。これ以上の慶事はなかった。私の趣向のすべてが一括りに括られた。 ◇ 河合隼雄『明恵 夢を生きる』京都松柏社 は、1987/04/25 に出版され、間もなく読んだ。学生時代のことだった。明恵上人を知り、白洲正子を知った。井筒俊彦と出会い、はじめて華厳の世界に触れた。「華厳の世界」(284-290頁)に引かれた井筒俊彦の文章は明晰だった。コピーしてもち歩いた。 そして、 ◇ 井筒俊彦『叡智の台座 ー 井筒俊彦対談集』岩波書店 を求めた。河合隼雄がとりもつ縁だった。しかし、それ以降井筒との接点はなかった。 2018/01/22 のブログには、 井筒俊彦『東洋哲学覚書 意識の形而上学 ー『大乗起信論』の哲学』中公文庫  週末を読書に充てた。  井筒俊彦を読むということは、 「一文を読み、その文の理解が適当であったかどうかを、以下に続く文章を丹念に読むことによって、確認しながら歩を進めるということ」 だった。  私にとっては持ち重りのするものだった。意を尽くして書かれた『覚書』だったが、おぼつかなく、再読を促されている。  詳細は後日あらためて、ということにさせていただく。 とあり、 また、2018/01/19 のブログには、 「井筒俊彦というさやけさのなかで_井筒俊彦 読書覚書」  井筒俊彦の文章には彩(あや)がある。論文に私情をはさむことは許されないが、井筒俊彦の精緻な文章には、自ずからなる情(こころ)がある。明晰な文の重なりのなかで、文章は美しい形をなす。  井筒俊彦というさやけさのなかにあることを、私は好む。 とある。  入院中だった父の病室で読んだ記憶がある。 Amazon の「注文履歴」を見ると、 その後井筒俊彦づいていることが分かる。わずか三年あまりのおつき合いにしかならない事実に慌てている。  ここ数年で小林秀雄の文章が読んで解るようになり、白洲正子の文章をまとめて 読むよう

白川静「初期万葉論_見る,見れど飽かぬ」

 白川静『初期万葉論』中公文庫 「第一章 比較文学の方法 二 発想と表現」 「前期万葉の時代は、なお古代的な自然観の支配する時期であり、人びとの意識は自然と融即的な関係のうちにあった。自然に対する態度や行為によって、自然との交渉をよび起こし、霊的に機能させることが可能であると考えらえていたのである。(中略)  自然との交渉の最も直接的な方法は、それを対象として「見る」ことであった。前期万葉の歌に多くみられる「見る」は、まさにそのような意味をもつ行為である」。(中略) 「見る」ことの呪歌的性格は、「見れど飽かぬ」という表現によっていっそう強められる。(15-17頁) (註)「呪」の語源は「祝」であると白川は書いている。「呪」の字は「いのる」とも読む。「呪能」と同義で「呪鎮」と書くこともある。 「第四章 叙景歌の成立 三 見れど飽かぬ」 「古代においては、『見る』という行為がすでにただならぬ意味をもつものであり、それは対者との内的交渉をもつことを意味した。国見や山見が重大な政治的行為でありえたのはそのためである。国しぬびや魂振りには、ただ『見る』『見ゆ』というのみで、その呪的な意味を示すことができた。『万葉』には末句を『見ゆ』と詠みきった歌が多いが、それらはおおむね魂振りの意味をもつ呪歌とみてよい。」(154頁) 「『見れど飽かぬ』は、その状態が永遠に持続することをねがう呪語であり、その永続性をたたえることによって、その歌は魂振り的に機能するのである。」(153頁)   「見る」ことは、見られることである 。 見交わすこと、 見え交わすことによって人と対象との通路が開ける。「見る」ことは振り向かれるように「見る」ことだった、と思う。  甲骨文や金文に親しんだ白川静にとって、「見る」「見れど飽かぬ」ことの意味を解する ことは、さして難しいことではなかったはずである。  白川は、「見る」「見れど飽かぬ」についての、何首かの語釈の誤りを指摘した上で、 「初期の万葉歌に叙景の名歌を認め、『人麻呂歌集 』的な相聞歌を人麻呂の呪的儀礼歌に先行させるような史的倒錯を、許すべきではない。『万葉』の理解は、まずその正しい軌跡の図形を描くことからはじめるべきである。」 と述べ、 「それには、東アジア的な社会として基礎条件を同じうする文化圏の文学のありかたとの間に、比較文学的な方法をとること

折口信夫「ムスビ神_すべての宗教から自由」

 三日前には、 白川静「中国の神話 ー 奪われたものがたり」 中の、170字の作文に苦戦し、まる一日を費やした。辛酸を嘗めた。 「神話の喪失はどういった事態を招くか、それは神話の存在意義を解することでもある。  共通の神々を戴くことで集合していた結束を失い、あるいは離散し、畏れ畏(かしこ)まることを忘れ、矜持は薄れ民度は低くなる。寄る辺なく寄す処(よすが)なく、活力なく、心的な安定を欠くようになる。日々神々とともに暮らしていた古代人にとって、神話の喪失は致命的であったといえよう。」  繰り返し読んでいると時代が交錯し、時代の感覚が怪しくなってくる。 「古代」を「いま」に置きかえて読んだとき、さして違和感を覚えず、寄る辺なく依す処なく、活力なく、 私たちは混迷の時代を生きていることが自覚される。 ◇  中沢新一『古代から来た未来人 折口信夫』ちくまプリマー新書 「第五章 大いなる転回」 「第六章 心の未来のための設計図」 において、折口信夫は、ムスビ神(高皇産霊神(たかみむすびのかみ)・神皇産霊神(かみむすびのかみ))をおおもとに 据えた。ムスビの神は三位一体( 魂・生命・物質 )の内部構造をもっている。 「つまり神によつて体の中に結合せられた魂が、だんだん発育して来る、それとともに物質なり肉体なりが、また同時に成長して来る、その聖なる技術を行ふ神が、 高皇産霊神・神皇産霊神、即(すまわち)むすびの神であります。つまり霊魂(れいこん)を与へるとともに、肉体と霊魂の間に、生命を生じさせる、さういふ力を持つた神の信仰を、神道教の出発点に持つてをります。」(127頁)(『 折口信夫全集』中央公論新社、第二十巻 所収) 「魂には、自然に自分の内部から純粋(じゅんすい)な力を放出してくる能力が宿っている。つまり、放(ほう)っておいても、自然状態におかれた魂はだんだんと発育し、膨らみ、増殖してくるのである。こういう魂を、ムスビ神は生命と結びつけている。そのために魂の発育につれて、生命はいよいよ活発な活動をおこない、生命に結ばれた物質(肉体)の成長がおこってくる。三位一体をしたムスビの神は、そのままで増殖をおこなう霊であり物質であり生命なのである。」(128頁) 「ムスビ神は、神々が棲息することになる空間」以前に形成される「『前空間』に住んでいる」。「ムスビの神は、空間の原基をつく

司馬遼太郎『この国のかたち 五「神道」』文春文庫

 一昨日には、 白川静「中国の神話 ー 奪われたものがたり」 中の、190字の作文に苦戦し、まる一日を要した。辛酸を嘗めた。そして昨日、 ◇ 司馬遼太郎『この国のかたち 五』文春文庫 「神 道 (一)〜(七)」 ◇  中沢新一『古代から来た未来人 折口信夫』ちくまプリマー新書 「第五章 大いなる転回」 「第六章 心の未来のための設計図」 ◇ 白川静『初期万葉論』中公文庫 「第一章 比較文学の方法 二 発想と表現」 「第四章 叙景歌の成立 三 見れど飽かぬ」 を読んだ。いずれも再読、三読目である。 司馬遼太郎『この国のかたち 五』文春文庫 「神 道 (一) 」   神道に、教祖も教義もない。  たとえばこの島々にいた古代人たちは、地面に顔を出した岩の露頭ひとつにも底(そこ)つ磐根(いわね)の大きさをおもい、奇異を感じた。  畏(おそ)れを覚えればすぐ、そのまわりを清め、みだりに足を踏み入れてけがさぬようにした。それが、神道だった。  むろん、社殿は必要としない。社殿は、はるかな後世、仏教が伝わってくると、それを見習ってできた風である。  三輪(みわ)の神は、山である。大和盆地の奥にある円錐(えんすい)形の丘陵そのものが、古代以来、神でありつづけている。  ここに唐破風造(からはふづくり)の壮麗な拝殿ができたのは、ごく近世(江戸中期)のことにすぎない。(9-10頁) 古神道には、神から現世の利をねだるという現世利益(げんぜりやく)の卑しさはなかった。(11頁) 「神 道 (四) 」  げんに、(伊勢神宮の)内宮・外宮の社殿建築をみても、大陸からの影響はない。宇宙のしんを感じさせるほどに質朴簡素である。 (中略)  正殿の棟に、十個のふとい堅魚木(かつおぎ)が載せられている。装飾といえば、これくらいのものである。それも棟をおさえる実用材であるとすれば、まことに禁欲的な造形というほかない。(41頁) 「神 道 (三)」  伊勢神宮の遷宮の儀は、夜、老杉の森の闇のなかでおこなわれる。  一夜明けて翌朝、おなじ境内に入り、新しい宮居がかがやいているのをみたとき、たれもが、その若々しさに圧倒される。すべてヒノキ材で組まれた簡潔この上ない構造物だけに、宮居も神垣も、誕生したばかりのいのちの威厳を感じさせ、見ていると、浴びているような感じがする。(33頁) 「神 道 (四) 」  平