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「辰濃和男『歩き遍路―土を踏み風に祈る。それだけでいい。』海竜社_師走に『四国遍路』を渉猟する」

一昨日の夕刻すぎ、 ◆ 辰濃和男『歩き遍路―土を踏み風に祈る。それだけでいい。』海竜社 を読み終えた。  たくさんの言葉に接し消化不良を起こしている。  「土を踏む」ことと「風に祈る」こと、それだけでいいというのは、その二つの単純な動詞さえ大切にすれば、あとのことは重要であっても最重要ではない、という意味だ。 「土を踏む」、つまり日々、歩くことをつづければ、どんな御利益があるだろう。  まず、野生をよみがえらせることができる。いいかえれば、生命力が強くなる。  自立心がます。楽天的な思いが湧く。なにごともセーカイセーカイダイセーカイ(正解正解大正解)だと思う。おろかで、欠点だらけの自分に出あうことができる。へんろ道は己の「魔」を照らす「照魔鏡」である。  そして、人との大切な出あいがある。  たくさんのお接待をいただき、手をあわせる。感謝をする。そのことが、人間が生きるうえでの基本だということを知る。  感謝はさらにひろがる。大自然の営みへの感謝がある。  大自然の営みに感謝する祈り ー それこそが「風に祈る」ということだ。私の体験のなかでは、「土を踏む」ことが「風に祈る」ことにつながり、「風に祈る」ことが「土を踏む ことをさらにうながしている。(337頁)  「土を踏む」という言葉が、何百万年前の太古にさかのぼるのに対して「風に祈る」という言葉は一輪の花から宇宙空間にまでひろがってゆく。「風に祈る」の「風」は、風そのものだけではなく、空・風・火(光)・水・地という宇宙を象徴する言葉の代表選手として使っているつもりだ。  究極の祈りは、宇宙の営みへの感謝の祈りである。(「あとがき」341頁)  へんろ道は「祈りの空間」である。 (「あとがき」340 頁) ◆ 高群逸枝著 ,堀場清子校註 『娘巡礼記』岩波文庫  「高群は出かける前「道の千里をつくし、漂泊の野に息(いこ)はばや」と書いている。  高群が四国を回ったのは一九一八年で、二十四歳のときだった。六月から十月までの長い旅である。当時のへんろ道では、「山で若い女が殺されたり、姦(おか)されたり」することがあるという噂話もあった。しかし高群は書く。「でも構はない。生といひ死といふ、そこに何程の事やある」という意気込みだった。  顔や手足に虫が這う草むらで野宿をする。小川のそばに毛布を敷いて寝る。テントも寝袋もない野宿

「師走に『四国遍路』を渉猟する_大なる脇道」

昨夜、 ◆ 小林秀雄『人生について』角川文庫 ◇「私の人生観」 を読み終えた。一読後、間をおかずに再読した。  幾度か目を通したお馴染みの文章であるが、いまだに釈然としない内容もあり、それは後日を期すほか ないだろう。  本評言は、講演の記録であるが、小林秀雄は講演の逐語録の出版を許さず、その後、推敲・加筆されたものである。「私の人生観」という軽薄な「課題」は、主催者の意向であり、小林秀雄は、仏教のいう「観」「観法」から話をはじめ、そ知らぬ顔をしている。  画は、何にも教えはしない、画から何かを教わる人もない。画は見る人の前に現存していれば足りるのだ。美は人を沈黙させます。どんな芸術も、その創り出した一種の感動に充ちた沈黙によって生き永らえてきた。どの様に解釈してみても、遂に口を噤むより外はない或るものにぶつかる、これが例えば万葉の歌が、今日でも生きている所以である。つまり理解に対して抵抗して来たわけだ。解られて了え ばおしまいだ。解って了うとは、原物はもう不要になるという事です。 (中略) 俳句ぐらい寡黙な詩形はない、と言うより、芭蕉は、詩人にとって表現するとは黙する事だ、というパラドックスを体得した最大の詩人である。 (中略) 現代小説に関して、評家達は、思想性が足りぬとか仮構性が足りぬとかいろいろの註文をつけている様ですが、私が強いて註文をつければ、沈黙が一番足りまいと言うでしょう。 (中略) 言霊を信じた万葉の歌人は、言絶えてかくおもしろき、と歌ったが、外のものにせよ内のものにせよ、言絶えた実在の知覚がなければ、文学というものもありますまい。 (54-55頁)  いったん沈黙に捕えられるや、ただ茫然と立ち尽くすばかりである。時間の、また空間の所在が曖昧になる。沈黙が私を拐(さら)ってゆく。自足した、充ちたりたときに身を委ねる。  最近では、このような至福のときを求めて、旅をし、また読書を重ねている。 「観」「観法」から敷衍された多くの話題は、それぞれが皆独立した作品のテーマとなるような、深刻な題材ばかりであり、小林秀雄はこ れらを私たち読者に預けるような格好で展覧した。  一時(いっとき)に多くのものを負ったように感じている。 次回は、 ◆ 辰濃和男『歩き遍路―土を踏み風に祈る。それだけでいい。』海竜社 である。三巡目の「四国遍路」である。

「辰濃和男『四国遍路』岩波新書_師走に『四国遍路』を渉猟する」

昨夕、 ◆ 辰濃和男『四国遍路』岩波新書 を、二回目の接種後に読み終えた。二巡目の読書だったが、多少のことを思い出すにすぎなかった。 「へんろ道」は生と死、死と再生の交錯する道である。「はぐれびと」たちの行き交う道である。  辰濃さんが、千数百キロメートルを、七十一日かけて歩いた道であり、本書は多くの話題から成っている。  「出あったときが別れだぞ」  松原泰道師は父の祖来和尚からそう教えられたという。(中略)泰道師は一期一会(いちごいちえ)について書いている。「一期は人間の一生、一会はただの一度の出会いです。これほど「一」の肅然としたたたずまいを感じる語は、他に類例をみません。(『禅語百選』祥伝社、一九八五年)(43頁)  陳腐に成り下がった語が息を吹き返した。これは、 「それ(戦国武将がのぞんだ茶会)は自分が死んでゆくことを自分に納得させる、謂ってみれば死の固めの式であった」(175頁) 井上靖『本覚坊遺文』講談社文芸文庫  でも経験した。  自省・自責・自虐の言葉には嫌気がさした。文章の品位を失する。もうやり過ごした時節のことであり、 「そんな方法では、真に自己を知る事は出来ない、さういふ小賢しい方法は、むしろ自己欺瞞に導かれる道だと言えよう。」(小林秀雄『人生について』角川文庫 36頁) と、いまは確信している。  空海は、 「吾れ永く山に帰らん」 と言い遺している。 原始 の森、いのちの息吹き、 太古の闇。 いま、「石鎚の霊峰」がしきりに気になる。 「澗水(かんすい) 一杯 / 朝(あした)に命(めい)を支え / 山霞一咽(さんかいちいん)/ 夕に神(しん)を谷(やしな)ふ」(朝には清らかな水を飲んで命を支え、夕には山の気を吸って霊妙な精神を養う)(9-10頁) 「高野往来」 以降、四国路がにわかに迫ってきた。 以下、「 辰濃和男『四国遍路』岩波新書_ まとめて」です。 ◇ 「地下足袋で歩きながら、つらつらと」私のへんろ道です。 ◇ 「地下足袋で歩きながら、つらつらと」動詞を大切にする。 ◇ 「地下足袋で歩きながら、つらつらと」履く ◇ 「地下足袋で歩きながら、つらつらと」再会 ◇ 「地下足袋で歩きながら、つらつらと」セエーカイセエーカイダイセエーカイ この項はこれくらいで勘弁していただき、 「読む」を「書く」に優先させていただくことにする。 手にするや、

「師走に『四国遍路』を渉猟する_『般若心経』邦訳 二篇」

◆ 中村元,紀野一義『般若心経・金剛般若経』岩波文庫 「一、右頁(偶数頁)上段に玄奘訳の『般若波羅蜜多心経』の文をのせ、その下側に漢文の書き下しを記した。この訳が日本では古来最もよく知られ、読まれているからである。さらにその内容をよりよく理解するために、サンスクリット原典からの邦訳を左頁(奇数頁)にのせ、漢文訳と対照させてある。はじめて仏教の経典を眼にするという方には、まず、左頁のみを読み通されるようおすすめする。」(「凡例」9頁)  正統な最も信頼に足る「漢訳」,「書き下し文」であり、「 サンスクリット原典」であり、またその 「邦訳」である。それは枯淡の美をみるかのようだった。「サンスクリット原典( 般若波羅蜜多心経の内実 )」と精緻な「邦訳」との相乗効果からなる美の展覧はみごとだった。  もちろん詳細な「註」も付されている。  ただし、「はじめて仏教の経典を眼にするという方には」、敷居が高く、他の解説書から入ることをお薦めします。 ◆ 柳澤桂子(著)堀文子(イラスト)『生きて死ぬ智慧』小学館 ひとはなぜ苦しむのでしょう…… ほんとうは 野の花のように わたしたちも生きられるのです もし あなたが 目も見えず 耳も聞こえず 味わうこともできず 触覚もなかったら あなたは 自分の存在を どのように感じるでしょうか これが「空(くう)」の感覚です  お釈迦様の気づかれたことは科学的にも正しいことで、わたしたちの認識のほうが間違っているのだと思います。そこに苦しみが生まれます。  般若心経が教える空(くう)について、科学的に理詰めで書くことはできます。 しかし、科学的である以前に、もっと崇高に歓喜を込めて、さとりの喜びを表現したい。  この仕事は、わたしにとって天から命ぜられたもののようにも感じられました。 ◆ 中村元,紀野一義『般若心経・金剛般若経』岩波文庫 を読み、続けて、 ◆ 柳澤桂子(著)堀文子(イラスト)『生きて死ぬ智慧』小学館 を読んだ。読む順序を誤った。饒舌ぶりばかりが目についた。それは、 ◆ 中村元,紀野一義『般若心経・金剛般若経』岩波文庫 の陰に霞んでしまった。  しかし、柳澤桂子さんが、「般若心経」にとらわれることなく、自由に書いた「あとがき」は秀逸である。ぜひ、「あとがき」に触れてみてください。わずか三頁ばかりの内容です。立ち読みで間に合います。

「玄侑宗久『現代語訳 般若心経』ちくま新書_師走に『四国遍路』を渉猟する_1/2」

昨夜、 ◆ 玄侑宗久『現代語訳 般若心経』ちくま新書 を再読し終えた。  本書は「般若心経のすゝめ」であり、またその実践法である。  一切が無化されていくなかで、ひとり 「私」が、とり残された格好である。依然障りある身の 「 私」が、いつまでも残る。 「仕立て上げた『私』」は、執拗でありその 根は深い。  意味を問うことなく、誦んじて読む「般若波羅蜜多(心経)」は、「呪文」であり「真言」であり、その声の響きは、「からだ」や「いのち」、はては「宇宙という全体」と直接つながっていると、玄侑宗久さんは説く。そしてまた、「呪文」を「実践」し、よく「持(たも)」つことによって、「仕立て上げた『私』」という殻は「溶融」し、次第に薄くなる、「その薄くなった殻を透かして、私たちは『空』という」「 実在」「に気づいてゆく」、という。  師走も半ばを過ぎ、一条の光明が射した。「命なりけり」である。ひと続きの命の不思議さを思う。  座右の書となった。座右の書ばかりが増え、身辺が雑然としてきた。うれしい悲鳴である。 ◇ 中村元,紀野一義『般若心経・金剛般若経』岩波文庫 ◇ 柳澤桂子(著)堀文子(イラスト)『生きて死ぬ智慧』小学館 を味読し、次に進みます。 2022/02/03 追伸: 山本空外先生は、  「空」とは難かしくいえば「縁起」のことで(竜樹『中論』四)、これを説明して、「無自性の故に空なり、空亦復(またまた)空なり」といわれる(青目、長行釈)。自性がないということを詳論すれば際限もないほどになるが、簡要にいえば、生きられていることへのおかげのことで、何一つ自分のてがらといえるものがないという意味になる。そのことを心に決めて、その覚悟で書けば「空」を書くことになろう。それでわたくしも南無阿弥陀仏と称名中に揮毫している。(『墨美 山本空外 ー 書論・各観 1979年7月号 No.292』墨美社 49頁) と書かれている。 『空』とは、「 簡要にいえば、生きられていることへのおかげのことで、何一つ自分のてがらといえるものがないという意味になる」と、空外先生は書かれているが、 格の違いを感じている。

「師走に『四国遍路』を渉猟する_『般若心経』」

一昨日、 ◆ 玄侑宗久『現代語訳 般若心経』ちくま新書 を読んだ。本書は「般若心経のすゝめ」であり、またその実践法だった。真摯な好感のもてる内容だった。 わずか 262字ばかりの「般若心経」を二日がかりで覚えた。記憶力の衰えに愕然としている。 小林秀雄『人生について』中公文庫 「年齢のせいに違いないが、年をとっても青年らしいとは、私には意味を成さぬ事とも思われる。」(177頁) 岡潔『春宵十話』 「情操が深まれば境地が進む。これが東洋的文化で、漱石でも西田幾多郎(にしだきたろう)先生でも老年に至るほど境地がさえていた。」(36頁) 「般若心経」は、「歓喜の歌」である。 身体(からだ)が明るくなった。  詳細は再読後とさせていただきます。

「師走に『四国遍路』を渉猟する_結構な寄り道篇」

 還暦を過ぎ訃報に接することが多くなった。家柄、それらは、「日蓮正宗」の儀に則って行われることが多く、読経中には、お経( 法華経)本の字面を眼で追っている。  渉猟するに当たり、近くを通りかかったのでたち寄った。結構な寄り道だった。 ◆ 紀野一義『「法華経」を読む』講談社現代新書 を、昨日の午前中には、二回通り読み終えた。  とかく、「私事(わたくしごと)」が多く、「私」が先陣を切って走っているのは、いかがなものだろうか。  また、 「岡潔先生が言っていたが、芸術作品を理解するやり方は、信解(しんげ)、情解(じょうげ)、知解(ちげ)という順だそうである。  たとえば、良寛の書いた『天上大風』という字を見ていると、何だかよく分らないけれども、これは真正のものだとすぐに信じてしまう。これが「信解」というものだという。  次に、見ていると、気持がよくなり、すがすがしくなり、大らかになる。これが「情解」というものだという。  あくる日になると、風が左から右に吹いているのだなということまで分るようになる。これが「知解」だというのである。  岡潔先生は、この「信解」の出所として、道元の『正法眼蔵』恁麼(いんも)の巻であると明記しておられた。  やはり一流の人というものは眼の付けどころが違っている。道元のこの言葉を、あっというまにそんな風に理解してしまったのは岡潔先生ひとりである。」(159-160頁) といった、あまりにもたくさんの話題から成り、それらはそれで興味深いが、「新書サイズ」の、過不足のない、「法華経」を展開していただきたかったと思う。学生時代には、これらの豊富なエピソード(「エピソード 法華経」)に魅かれて読んでいたのであろうが…。 先に読んだ、 ◆ 川崎一洋『弘法大師空海と出会う』岩波新書 は、意を尽くし、至極真面目であった。  それに対し、本書の内容は、饒舌に過ぎた、講演の筆記録のような風合いのものだった。  久しぶりに宗教色一色に染まった。  ひき続いて、午後には、「道の駅 藤樹の里  あどがわ」近くに位置する、「近江聖人 中江藤樹記念館」で、 2021/11/16 に 購入した、 ◆ 内村鑑三著,稲盛和夫監訳『代表的日本人』講談社 ◇「上杉鷹山」 ◇「中江藤樹」 ◇「日蓮」 を読んだ。 「小林秀雄『正宗白鳥の作について』より_人物編(中編)」 2018/07

「富嶽遥拝の旅_小夜の中山_たなびく雲」

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晴れると信じていた。疑う余地は微塵もなかった。 2021/12/09 いまだ明けやらぬころ出立した。 ◆「EXPASA 浜名湖」  ひと眠りし、目を覚ますと、雲ひとつない青空が広がっていた。湖面は静まり、冬の陽光を反射して、まぶしかった。対岸には舘山寺温泉が見晴らせた。 観覧車の半円が小高い山の上から顔をのぞかせ、また一方の頂では、「浜名湖オルゴールミュージアム」がたたずんでいた。  幾度もお邪魔した 「ホテル 九重」 さんから見た景色を、ちょうど反対の位置に立って望んでいる格好だった。  2021/10/31 をもって、「ホテル 九重」さんは、営業を終了した。もう新たな思い出を紡ぐことはできず、過去の思い出だけが残された。  陽だまりのベンチに座り、去来する思いに身をまかせていた。 ◆「道の駅 掛川」  駅内の「山の坊」さんで、「遠州そば」と「自然薯とろろ汁」をいただいた。 ◆「小夜の中山」  再訪だった。前回は、2021/09/29 に訪れている。 「2021/09/29_富嶽遥拝」    あるべきはずの富士の嶺(ね)が見当たらず、あわてた。しばらくすると頂上の一角が見えはじめた。山全体をすっぽり覆っていた白雲が南西の風に吹かれ、右から左へとゆっくり動いていた。棚びく雲の切れ切れから、頂上が姿を現しはじめた。想像以上に雄大だった。その雄姿は神々しかった。 「2021/12/09_富嶽遥拝」   二時間ばかり見つめていたが、たなびく雲は間断なく続き、晴れわたることはなかった。 この夏、 ◇ 小林秀雄『モオツァルト・無常という事』 新潮文庫 ◆「西行」 を読み、 ◇ 白洲正子『西行』新潮文庫 を読んだ。 「「彼(西行)は、歌の世界に、人間孤独の観念を、新たに導き入れ、これを縦横に歌い切った人である。孤独は、西行の言わば生得の宝であって、出家も遁世(とんせい)も、これを護持する為に便利だった生活の様式に過ぎなかったと言っても過言ではないと思う。」(小林秀雄「西行」100頁) 「『山家集』ばかりを見ているとさほどとも思えぬ歌も、『新古今集』のうちにばら撒(ま)かれると、忽(たちま)ち光って見える所以(ゆえん)も其処にあると思う。」(小林秀雄「西行」91-92頁) 「  風になびく富士の煙の空にきえて行方も知らぬ我が思ひかな  これも同じ年(西行 69歳)の行脚のうちに詠

「川崎一洋『弘法大師空海と出会う』岩波新書_師走に『四国遍路』を渉猟する」

一昨日の夕方、 ◆ 川崎一洋『弘法大師空海と出会う』岩波新書 が届いた。一番乗りだった。今回注文した七冊の書籍のなかで最も注視していた本だった。  一昨夜拾い読みし、昨夜読み終えた。 昔日の「岩波新書」のよき伝統を継ぐ渾身の書だった 。  川崎一洋の実力を知った。 川崎の導きによって空海との出会いを果たした。この先のことは、私次第、あなた任せの世界である。  来春新緑が芽吹くころ、高野山を、また東寺を訪ねようと思っている。その際には再読する必要を感じている。復習であり、予習であり、「友情の証」である。  やはり空海は天才だった。 読むことを書くことに優先させていただきます。また書く機会もあるかと信じています。 次は、 ◇  紀野一義『「法華経」を読む』講談社現代新書 です。早速寄り道です。脱線です。

「師走に『四国遍路』を渉猟する」

以下の新書は、出版(2001/04/20)されると間もなく読んだ。 ◇ 辰濃和男『四国遍路』岩波新書 下記の三冊は発送待ちである。辰濃さんの文章に触れるのは久しぶりである。 ◇ 辰濃和男『歩き遍路―土を踏み風に祈る。それだけでいい。』海竜社 ◇ 川崎一洋『弘法大師空海と出会う』岩波新書 ◇ 石川文洋『カラー版 四国八十八カ所―わたしの遍路旅』岩波新書 ◇ 中村元,紀野一義『般若心経・金剛般若経』岩波文庫 ◇ 紀野一義『「般若心経」を読む』講談社現代新書 ◇ 紀野一義『「般若心経」講義」PHP研究所 ◇ 紀野一義『「法華経」を読む』講談社現代新書 ◇ 紀野一義『遍歴放浪の世界』NHKブックス 以上 五冊は学生時代に読んだ。紀野一義さんの本をよく読んだ。 ◆ 紀野一義『明恵上人―静かで透明な生き方』PHP研究所  また、下記の文庫も見つかった。 ◆ 公方俊良『般若心経 90の智恵―276文字にこめられた生き方の真髄』知的生きかた文庫 玄侑宗久さんのお名前は早くから存じ上げていたが、はじめて文章に触れたのは、 ◆玄侑宗久(作家・臨済宗僧侶)「井筒病」(『井筒俊彦全集 第八巻』 月報第八号 2014年12月 慶應義塾大学出版会) だった。 ◇ 玄侑宗久『現代語訳 般若心経』ちくま新書 を注文した。 検索しているうちに、柳澤桂子さんが気になりはじめ、 ◇『般若心経 いのちの対話』(文藝春秋 2006年12月号での玄侑宗久との対談)』 ◇ 柳澤桂子(著)堀文子(イラスト)『生きて死ぬ智慧』小学館 ◇ 柳澤桂子『いのちの日記 神の前に、神とともに、神なしに生きる 』小学館 また、多田富雄さんが気になりはじめ、 ◇ 多田富雄,柳澤桂子『露の身ながら 往復書簡 いのちへの対話』集英社文庫 を注文した。  本の世界で『四国遍路』 を渉猟する際にも、八十八冊ほどの書籍は必要となりそうな勢いである。今日から本が届く。年内に、遅くとも年始までには読み終えようと思っている。師走との “かけっこ” である。「いのち」の森厳に触れる、「同行二人」での道行である。

TWEET「うら寂れたこの地に住む義理もなく」

滋賀県長浜市の「渡岸寺(どうがんじ) 」さんの「国宝 十一面観音像」を参拝すると、 ◇ 井上靖『星と祭』角川文庫 ◇ 水上勉『湖(うみ)の琴』講談社文庫 の二冊の書名をよく耳にする。そろそろ読む時期か、と思い注文した。古書である。 「渡岸寺」さんには あきれるほど訪れているが、 ◆ 「出会いの森・井上靖記念室」 「小説「星と祭」や随筆「美しきものとの出会い」の中で湖北の観音像を描いた井上靖氏。縁の深い氏の助言を得て造られた「高月図書館」内には、生前の氏と湖北の人々の交流を紹介し、著作物や遺品を集めた「井上靖記念室」と地元の文献資料を紹介した「郷土資料室」があります。」 があることを、つい今し方知った。うかつだった。 そして、 ◇ 井上靖『 美しきものとの出会い 』文藝春秋 を追加注文した。  年内の、道路が凍結する前に、どうしても再訪したい地がある。車でほんの数時間の 旅である。冬晴れが絶対条件である。いま機をうかがっている。  それに加えて、 「出会いの森・井上靖記念室」、知ってしまったからには、行くしかないだろう。  旅からの帰路、当地が近づいてくるにつれて心が萎えてくる。  美しい人、もの、ことに囲まれて生活したい。当地でかなわないなら、彼の地を求めるしかないだろう。年に数回くらいの旅では追いつかない。うら寂(ぶ)れたこの地に住む義理はない。

「高山寺往還」

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2021/11/24(水) 「勤労感謝の日」の翌日、人混みを避け、紅葉の盛りを避け、昼過ぎに出立した。 ◆「無印良品 クロスモール豊川」 旅行用品を仕入れた。 ◆「東京庵 豊川店」 「味噌煮込みうどん定食」を食べ、勇んで出かけた。 ◆「養老 PA」 車中泊をし、薄明を待った。 2021/11/25(木) ◆「伊吹山 PA (下り)」より「伊吹山」を望む。 2021/11/ 23  に、初冠雪を記録したとのことだったかが、新雪を戴いた伊吹山を見ることはできなかった。 ◆「渡岸寺(どうがんじ)」 朝一番に、「渡岸寺」さんの観音さまに見えた 。お堂内は鎮まっていた。去りがたく、つい時間を過ごしてしまった。 2021/11/26(金) ◆「栂尾山 高山寺」  今回もバス停脇の裏参道から「石水院」へと向かい、逆順をたどった。 「石水院」内を、 参拝、参観し、「石水院」の 南面濡縁で裸足になって日向ぼこをしてくつろいだ。こういった過ごし方を、明恵上人は喜んでくださっている、と信じている。 「明恵上人御廟」 「開山堂」「明恵上人御廟」「仏足石」「金堂」「春日明神社」の順に参拝し、「表参道」を通って、バス停に向かった。 「栂尾山  高山寺」のリーフレットが新調され た。 ◆「ぎをん 権兵衛」  13:30 過ぎに行ったが、行列ができていて後尾に並んだ。ガイドブックで紹介されたのだろうか、若い女性客が目立った。  前回と同じく、「きつねうどん」と「親子丼」を注文した。  女将さんが帳場で、てきぱきとやりとりしている姿は、なによりだった。 ◆「東寺」 「東寺」とは相性が悪い。薄暗い堂宇に所狭しと納められた像は、私の目には明らかに映らず、残念である。「東寺」さんには「東寺」さんの事情があるのは察しがつくが、無念である。  閉館時間を気にしながらの駆け足の参拝、参観だった。最後に「 大師堂」を参拝し、「食堂」で「輪袈裟」と「ピンバッチ」を購入した。 「身は高野 心は東寺に おさめおく            大師の誓い 新たなりけり」 「東寺」を後にして、薄暮のなかを京都駅まで歩いた。 追伸:「東寺」さんのパンフレットには、 「講堂・立体曼荼羅」 「堂内の白亜の壇上には大日如来を中心とした五智如来をはじめ、五菩薩、五大明王、四天王、梵天、帝釈天の二十一躯の仏像が安置されています。 これは弘法