茂木健一郎 / 江村哲二『音楽を「考える」』ちくまプリマー新書(全)



◇お読みになる際には、下記の順序でお読みください。

◇ 下記、茂木健一郎 さんと江村哲二(作曲家)さんの対談集『音楽を「考える」』ちくまプリマー新書 の「目 次 ※ Contents」です。

まえがき ーー「聴く」ということ 江村哲二

〈第1楽章〉 音楽を「聴く」
世界には掛け値なしの芸術作品が存在している
モーツァルトが抱えていた「闇」は創造の本質を物語る
世にも美しい音楽と数学の関係
「耳を澄ます」という芸術がある
自分のなかにある音を聴く《4分43秒》という思想
創造するとは、自分自身を切り刻むということ
「聴く」ことが脳に及ばす影響とは?

〈第2楽章〉音楽を「知る」
西洋音楽を考える基本要素 ー 楽譜中心主義
日本人としてのオリジナリティ
「頭の中で鳴る音楽」は自分だけのものか?
「作曲は自分の音を聴くこと』ー ジョン・ケージの問題提起

〈第3楽章〉
音楽に「出会う」
芸術とポピュリズムの狭間で
現代音楽入門 ー 無調・12音技法はなぜ生まれたか?
クラッシックは「ブーム」たりうるか?
世にも不思議な「一回性」という麻薬
名演が生まれるとき、「迷演」となる?!
米国産「ミュージカル」は好きですか?
クラッシック音楽の台所事情

〈第4楽章〉音楽を「考える」
クラッシックは日本に浸透するか?「1%」の高い壁
「お子様向けクラシック」を排除しよう!
クラッシック音楽の多メディア的展開
「美しさ」の感知は、最初のインプットが肝心
美や真理は批評なくしては生まれない
日本にも辛口批評と野蛮人精神を
音楽の密度と思考の密度はイコールである
人生の転機はホメオスタシスの一部である
そして、生命哲学の問いが、音楽と結びつく

あとがき ー 音楽の精神からの「誕生」 茂木健一郎


「究極の指揮者はふらない」
江村 音楽の世界なら、バーンスタインが言っているけれども「自分が指揮者になれるか、自分に指揮者の能力があるかどうか、など考えたこともなかった。ただただ音楽が好きで好きで仕方なくて音楽をやっていた」と。実際にウィーン・フィルのコントラバス奏者から聞いたのですが、バーンスタインの振る指揮棒は、全然テクニックがないらしい。でもそれでいいんだと言う。「テクニックなんて全く持ってない。ただハートがすばらしい。あの人が来るだけで、あのハートに酔っちゃうんだ」と言っていました。
茂木 バーンスタインについては同じような話を僕も聞いたことがある。前に立つだけで音楽が変わっちゃうって言いますね。
江村 あの人が出てくると棒なんてものは、はっきり言っていらないんだって(笑)。
茂木 江村さんのご友人の大野和士さんも、先日私が司会をしているNHKの番組( 『プロフェッショナル 仕事の流儀』)に出られたときに、「最後は指揮者は振らなくていいんだ。究極は、じいっと彫像のようにそこにいるだけで音楽が変わるということが指揮者の理想なんだ」と言っていました。


「とにかくひたすら十年間、がむしゃらにやってみなさい」
茂木 (前略)真のアーティストになる人は、大学に通っていようと、何を教えられようと、自分勝手に何かをやって自分でつかむ。たまたま芸大に通っていても、やっていることは独習、独学だったりするのです。
 表現者になるということを学校では教えられないとしたら、表現者を志している人はどうしたらいいのか、江村さんの立場から何かアドバイスはありますか?
江村 先ほども「何ができるかじゃなくて、何がしたいか」という話になりましたが、結局自発的なものがあるかどうかということだと思います。
 僕も小さいときから作曲はしていましたが、いよいよ本格的に取り組もうというときに、ある先生に「この先どうしたらいいのか」と聞いたのです。そして「とにかくひたすら十年間、がむしゃらにやってみなさい。それでももし結果が出なかったら、それ以上はもう時間の無駄だからやめなさい」と言われました。
 馬鹿正直な私はその言葉を信じて、音になるあてもない楽譜をひたすらに書いていたのです。社会からは何の評価もされない。全く個室の世界が続きました。苦しい時期が続いて「これでもうやめよう」と思って書いて送った曲が、思いがけず国際コンクールで優勝したのです。それは、その先生にその言葉を言われてちょうど十年後のことでした。
 その先生に「十年たったら結果が出ましたよ」と報告したら、「そりゃあそうでしょう。普通は十年も続かないよ」というのです。十年続いたというだけで、大なり小なり何らかの結果は出る。ほとんどの人は途中で断念するか、あるいはアイデアが枯渇する、というわけです。だから芸大や桐朋などの一流の音大に入ったということは問題ではなく、ひたすら自分で何かやりたい、書きたいという意欲が何よりも大事だということです。それさえあれば、べつに大学をやめてもいいのではないかと思います。


「江村哲二さんの超越的経験 その一」
江村 今は普通です(笑)。
 作曲というのは、集中してはじめて、音楽がワーッとオーケストラの状態で鳴り出すわけです。作業としては、自分の頭の中で鳴り出すそれを、楽譜に書き落としていく感じです。もうダーッと一気に書いていきます。その最中というのは、はっきり言って時間の感覚がぶっ飛んでしまう。
 具体的な話をすると、夜の十時ごろに書き始めたときのことです。アイデアがあふれんばかりに浮かんできて、「これはいい!」と、どんどん出てくるままに書いていました。このとき、意識ははっきりしています。基本的には書いている自分の手元を見ているわけですが、それでも、「窓の外が白くなってきた。たぶん朝になったのかなあ」とか、「鳥が鳴き出したなあ」とか、わかってはいるのですが、ものすごく集中して書いていると、時間の感覚を失ってしまって、ふと顔を上げたら、目の前に置いてある時計の針が一回りして十時を差していたのです。一二時間ずっと書き続けていた。横を見ると、五線紙がドーッと積み上がっている。めくってみると、明らかに自分の筆跡なのだけれど、それを書いたという記憶がないのですよね。一種の危ない、ぶっ飛んでしまっていた状況が目の前の楽譜にある。この感覚は本当によくわかりません。脳のメカニズムとしては、ドーパミンが出て…、とかそういう状態なのですか?
 一種のフロー状態ですね。非常に稀に起こる、超越的な経験です。たとえば、モーツァルトだって一瞬のうちにシンフォニーを構想したといいますが、同じ状態だったと思います。
茂木 これは才能のあるなしに関係なく、というより才能なんて自分がそう思っているかどうかなので問題にしませんが、とにかくどんな人でもある程度経験するものなのです。
 そこで江村さんにお聞きしたいことがあるのですが、そういう状態のときには生命の危険とか感じませんか?
江村 危険?

「江村哲二さんの超越的経験 その二」
江村 危険?
茂木 脳には、あるところでブレーキをかけるという安定化機構がホメオスタシスとして備わっています。フロー状態というのは、その制限をかけているタガを外してしまった状態ですから、それをどう外すかというのは生命体にとって深刻な問題なのです。
江村 それは、後になってはじめてわかりますね。作曲ではないときにもし同じことが起きたら、ちょっと危ないなあと思います。
 だけどこの体験をして作っ曲は、外国である賞を貰うことに繋がりました。本当に集中をしたときに出てくるものというのは、何かが込められていると思います。
 でも不思議なのは、そのようなインスピレーションというものを、どうすれば手に入れることができるのか、全くコントロールできないということなんです。自分がどうしたらそうなれるのかが全然わからない。降臨というか、何かが降りてきたみたいな感覚で、待つしかないわけですが、この辺りの話は脳科学ではまだまだ未解明なのですか?
茂木 そうですね。僕は大きな流れとしては、最近の脳科学の狭さについてずっと考えていました。(後略)


「美」の生まれ出ずるところ
茂木 (前略)そこで、まさに江村さんが曲を書いているときに脳の中で何が起こっているかということに繋がります。いかに「超える」か、いかに「際に立つ」か、いかに「疾走する」かということは特別なことで、どうしたらそれが可能になるかをわれわれは考えがちです。この逸脱が人格の変容にもつながるわけですが、自分の人格が変わるような人生の転機で起こっていることって、むしろホメオスタシスなのではないかと気づいたのです。いろんな事態が襲ってきて、自分がどうしようもなくなったとき、必死になって自分を保とうとする。その中で起こるある種の精神運動とかダイナミクスは恒常性の維持であって、その結果気づくと新しい自分ができている。
江村 なるほど。さっき「危険」と言ったのはそれですね。
茂木 (前略)フロー状態のときというのは、無理をしているという感じがないですよね。努力なしに時間が流れている。でも実は、脳の中では大変な騒動が起こっていて、荒波の中で、木の葉のように揺れる小舟みたいに、くねくねとうねっている。その中で何とか姿勢を保とうとしている。自我の働きとしては、ホメオスタシスを志向しているのだと考えられるわけです。
茂木 大変な嵐の中にさらされて、脳内に大変な運動が起こっているという状況のなかで、その軌跡として出てくるものが創造性だとすると、それを得るために必要なものは何かがわかります。まず一つは、嵐の中に身をさらす自分の勇気。もう一つは強靭な自我。この両方がそろったときに、創造性というものが生まれるのではないか、という仮説に行き着いたわけです。
江村 おもしろいですね。危険に身をさらすことができるときというのは、何かを創り出そうという志向性が後押ししているのではないかと思います。脳内がパニック状態であるという重大な局面において、何とか自分を立て直そうとするプロセスの中から、新しい曲を生み出そうとしている。
茂木 だからその大激動が終わった後って癒されているというか、満足をしているんじゃないですか。
江村 そう、文字通り心からの満足を感じています。だけど不思議なのは、僕は意識的にそれができるわけではなくて、「なっちゃった」という状態なのです。(後略)
茂木 意識していてはそういう状態にはいけないでしょう。無意識のうちに働く作用なのではないかと思います。
江村 (前略)社会的には非日常の体験なのですよね。日常的には、安全地帯にいる。安全地帯はもちろん必要なのだけれど、そうではない場所も世の中にはあるということを知っているのも大切ですね。
茂木 そこに、美というものが存在しているのがまた不思議なことです。荒波の中でホメオスタシスを一所懸命に保っていると、美が生まれてくるという。