「西江雅之という貴人」



ジャズピアニストの山下洋輔さんは、西江雅之『マチョ・イネのアフリカ日記』新潮文庫 の 〈解説〉「西江さんの不思議な魅力」のなかで、
「いわく、あの人は三年間一度も風呂に入らない。地球上に存在する言語は全部理解できる。アフリカでは澄んだ水たまりの水は飲まない。バイキンも住めないほど毒かも知れないからだ。さらに、西江さんは子供の時はオオカミ少年で、二階からヒラヒラ飛び降りては野原を走り回り、トカゲやスズメやイヌやネコをつかまえて生のままむさぼり食っていた。等々、話を聞くたびに極端な知識人と極端な野蛮人が一緒になったようなイメージがあって、不思議な魅力を感じ続けてきた。
 こういう人はつまり「哲人」なのだと勝手に決めて、だから、会う機会があるたびに何でもかんでも聞いてしまう。すると、ハナモゲラから明治維新まで西江さんは何でも答えてくれるのだ。」



当代きっての「奇人」として知られる西江雅之先生と平野威馬雄さんのお二方は、対談集(西江雅之,平野威馬雄『貴人のティータイム』リブロポート)のなかで、自分たちは気品高く生ているから、「奇人」ではなく「貴人」であると、仲睦しく意気投合していらっしゃいます。

また、山下洋輔さんは、
「現地調査の時にネズミを生齧りにしたなどという暴挙に、『よくバイキンにやられませんね』と言ったら、『それは気品の問題です』と答えた、どこかシャイでナイーブな西江さん像に重なる秘密かも知れない。」
と書かれています。
(西江雅之『マチョ・イネのアフリカ日記』新潮文庫 二三八頁)

この世の中は、「気品」あることこそがすべて、であることを学びました。


早大の三年次に西江先生の「文化人類学」の講義を受講しました。講義はいつも恥じらいのある口調ではじまりましたが、時とともにことばが疾走しはじめました。「エスノセントリズム」「エスノセントリック」という言葉をよく耳にしました。

講義中に「南方熊楠」さんのお話をされたことがありました。西江先生が最も師事したいと思っている人物は「熊楠」さんである、とのお話であったように記憶しています。講義後には早速書店に向かいました。当然「文化人類学」の後の二時限目の講義は欠席しました。故あってのことです。然るべきことでした。私には全く迷いはありませんでした。「懐の深い大学?」でした。

「そう言えば、数年前に雑誌の『文芸春秋』に、今、自分がある特定の先生につくとしたらどういう先生につきたいかという、そういうものを書けといわれて書いたんです。そのとき、ぼくは南方熊楠を書いたんです。」
西江雅之,平野威馬雄『貴人のティータイム』リブロポート(158-159頁)


「“文化”という語の定義を試みよ」
「“ETHNOCENTRISM”という語を説明せよ」
というのが、前期、後期のレーポートの題名でした。

下記、当該箇所についての私の講義ノートです。


2015/06/14 にご逝去されたことを今日はじめて知りました。
西江先生の「老病死」については思いもよらないことでした。
それほど精力的でした。
それほど「浮世離れ」していました。
それほどまでに「貴人」であり尊い存在でした。
訃報に接しご冥福をお祈りするばかりです。

大切な方たちが一人また一人と亡くなられていきます。
大切な方たちとのお別れが続きます。