「正岡子規 生誕150年_継承 その二」

赤尾兜子「空海・芭蕉・子規を語る」
司馬遼太郎 対話選集 2 『日本語の本質』文春文庫

 司馬 とにかく、自分の短い生涯で背負いきれんようなテーマを、自分はやっているんだ、という場合にね、お前頼むから後継者になってくれ、といやがるのを追っかけ回してでも、ねじ伏せてでも、後継者にしようとする、よいうのが大体そういう人のーー僕は大変な人間というのは、たいていそうだろうと思います。大変の大を抜いても、変な人間というのはそんなものかもしれない(笑)。大きなテーマを背負い込んでいる、っていうのはやっぱり変な人じゃないでしょうか。背負い込んでしまっている、という感じの。吉田松蔭もそうでしょ。(109頁)

 司馬 まあ彼(吉田松蔭)は刑死するんですけれども、どうも若死を予感しているような雰囲気がありますね。それで結局、弟子にのしかかるように、自分の持ってる電池でもって弟子のお腹の中にも充電させようとするんですね。子規も松蔭も、教育者といえば真の意味でそうですけど、せっぱ詰まっているでしょ、教育者というのは職業でもあるでしょうが、かれらの場合はせっぱ詰まってしまっている。(110頁)

 司馬 子規というのは、死期を感じてて、自分の生涯をそのまま三十何年なら三十何年と、こう見切ってしまった凄さがあるでしょう。そして、自分の生涯でやれることは半ばで、そのあとをやってくれるのは誰々だというふうに、後継者といのものに異常に執着して…。(108頁)

 司馬 (前略)子規はその真実にまでゆくのは、自分の死後だれかがやればいいと思っていたのでしょう。それは清(虚子)さんがやれとか、秉五郎(へいごろう)(碧梧桐)(へきごとう)がやれとか、いうようなことがあって、かれらが学問(短詩型についての)をやってくれることにあれだけ執着したのはそれだと思います。(中略)
 日本で、リアリズムというものを実際にやって、多分にその行者のようにやって行ったのはこのグループしかないでしょう。そんなのあるかしら、ほかに。(104頁)