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6月, 2016の投稿を表示しています

白洲正子「あの世で会いたい三人の人」

川村次郎『いまなぜ白洲正子なのか』東京書籍  正子は (白洲) 次郎をどう思っていたか? こんなエピソードがある。  筆者が訪ねたのがお盆の時期だったので、「あの世で会いたい人を三人といわれたら、だれですか」と聞くと、正子は予想通り、  「一番は西行ね」  といった。残りの二人はだれだろうと待っていると、  「あと二人はジィちゃん(青山二郎)と小林さんね」  といった。「小林さん」とは小林秀雄のことである。  「次郎さんはいいんですか?」と聞いてみた。すると、  「ジロちゃんとは、この世で十分おつき合いしたから、もういいわ」  という。 (210-211頁)  青山二郎、小林秀雄もさることながら、いまの私にはやはり西行が一番気になります。今年もはや半年が過ぎようとしています。キリのいい明日からは「大野晋 読書週間」を経て、西行について読み、また調べよう と思っています。

川上二郎「大野晋さんの遺言」

以下、新潮社の「Web でも考える人」より、 川上二郎「大野晋さんの遺言」 全文です。  国語学者、大野晋さんの学識については没後に作家、井上ひさしさんが、「 辞書を調べてもわからない時は、大野先生にお聞きしていました」と話され、作家の丸谷才一さんが、「大野さんは本居宣長より偉い学者だった」と言われたことを記せば十分だろう。  日本語について正しいと思ったことは「千万人といえども我ゆかん」と、国語学界を敵に回すことなど少しも恐れず主張した。そういう生き方を作家の司馬遼太郎さんに、 「抜き身の刀のような方ですね」と言われ、「僕はね、司馬さんに勲章をもらったんだよ」と、喜んでおられた。  大野さんの面識を得たのは三十年以上前だが、朝早くに電話をしばしばもらうようになったのは一九九〇年代のはじめ、筆者が『週刊朝日』編集長から朝日新聞の編集委員になって程なくのことだった。  朝七時過ぎ、電話が鳴って出ると、「今から今朝の朝日新聞一面トップの前文を読むよ。聴いてね」と言われ、読み上げる。  下町・深川育ちのせいか早口だった。しかし、一音一音粒立った発音なので聴きやすい。読み終わると、 「どうしてセンテンスがこんなに長いのかね。わかりにくいじゃないの。なぜこんな書き方をするのか、教えてよ」  と言われる。しかし大抵は政治部の記事なので答えられない。第一、日本語で書かれたもので、大野さんにわからなくて筆者にわかることなど、ありえないではないか。正直にそう言って、社長に伝えておきます」と答えるしかなかった。  もっと困ったのは、「『思う』と『考える』の違いを説明できるかい」などと、電話で国語の試験をされることだった。しどろもどろになっていると、「やっぱりそうか。フフフフ。なら、いいんだ」と言われて終わり。  判断や理由の根拠を示す助詞「ので」と「から」の違いをテストされてからは、記事を「ので」とすべきか「から」でいいのか、考えても考えてもわからない。締め切りがあるので原稿は書いて出しはするものの、モヤモヤが残り、ノイローゼのようになった。  国語のテストは一九九九年一月、『日本語練習帳』(岩波新書)が出版されるまで続いた。「あとがき」を読んで、岩波書店の編集者も試験台になっていたことを知った。  それからは「大学へ行く」と「大学

『いまなぜ白洲正子なのか』_大野晋編

川村次郎『いまなぜ白洲正子なのか』東京書籍  会場の「畠山記念館」に着くと、袴をつけた川瀬(敏郎)がにこやかに出迎えた。  国語学者の大野晋夫妻もきていた。正子は大野晋という名前は、「青山学院」のころから聞いていた。岩波書店から『広辞苑』が出たのは昭和三十(一九五五)年だが、この辞書で助詞など、基礎語と呼ばれる単語千語をうけもったのが大野だった。基礎語は使われる頻度が高い分、定義をするのがむずかしい。最も厄介な言葉である。「青山学院」に集まる文士はみんな大野に一目も二目も置いていた。  小林秀雄が昭和五十二(一九七七)年、新潮社から『本居宣長』を出したとき、大野を招いて一席設けた。大野は十七歳年下だが、ただの言語学者ではなく、本居宣長をしっかり読み込み、人間を研究していることを知っていた。どうしても感想を聞いてみたかったのである。  大野は『本居宣長』を急いで読んだ。そして、宣長を論じようとすれば読み落としてはいけない一冊を読んでいないのではないかと睨み、文化勲章を受章した文壇の大御所に、思った通りのことをいった。小林は、「君の言う通りだ。しかし評論家はそれでいいんだよ」といって、笑ったという。  実は正子も『本居宣長』にはキラキラしたところがないと思ったので、小林にその通りにいったことがあった。小林は「そこが芸だ」といっただけで、釈然としないものが残っていたが、大野の指摘に得心がいった。この話を聞いたときから、「大野晋」の名は忘れられないものになった。しかし会うのは、はじめてである。七十七歳というのに、少年のような目をしている。  本当は「オオノ・ススム」なのに、後進の学者や編集者には、いつも前向きでせっかちなところから「オオノ・ススメ」と呼ばれていることを教えられ、韋駄天(白洲正子の愛 称)の同志に会ったようで、初対面のような気がしなかった。 (225-227頁)  どうしてやる気になったかといえば、企画が面白いと思ったからである。企画のタイトルは「千年の恋」といい、『源氏物語』に登場する姫君たちの中から一番興味のある姫君を選び、その姫君のための着物を作って展示する。主催は朝日新聞社だが、手前味噌ながら企画は筆者の妻が考えた。  ついてはデザインをという頼みがあったとき、ためらわず選んだのは「夕顔の君」だった。「夕顔の君」

白洲正子「いかにかすべき我が心」

川村次郎『いまなぜ白洲正子なのか』東京書籍 本書の題名は、『いまなぜ白洲正子なのか』ですが、「なぜ白洲正子は白洲正子たりえたのか」が主題です。 本書には、「いかにかすべき我が心」という言葉が散見されますが、「いかにかすべき我が心」とは、人生の一大事であり、「我が心」を処するのは命がけであって、そこには常に並々ならぬ紆余曲折がついてまわることは容易に察しがつきます。思春期に芽生えた苦悩から目をそらすことなく、一途に、終生この命題と対峙し続けた、そのような意味において、白洲正子さんは生涯にわたって思春期を生きた女性だといえます。 と、ここまで書き進める間にも、「あなたに、私のなにがわかるっていうの」という白洲正子さんの叱責を何度も耳にし、戦々恐々としています。 河合隼雄さんは、白洲正子さんとの対談集、『白洲正子 河合隼雄 縁は異なもの』河出書房新社 のなかで、白洲正子さんを「白洲正宗」とあだ名していらっしゃいますが、「白洲正宗」の気合いで、私などを一刀両断にすることなど雑作なく、白洲正子さんに、私はそんな怖さと畏さを抱いていおります。 To be continued.

「この数日間ぼーっとしてます」

内田百閒「長春香」 千葉俊二,長谷川郁夫,宗像和重 編『日本近代随筆選 2 大地の声』岩波文庫  今春から順次刊行されている岩波文庫『日本近代随筆選1,2,3』の存在を、うかつにも一昨日はじめて知りました。昨日は、北北海道大会で、甥が在部する札幌南高校が、13回を戦って、まさかの一回戦負けを喫し、以後 ずっとぼーっとして過ごしました。今日は今日で、『日本近代随筆選 2 大地の声』に収められている、内田百閒先生の「長春香」を読み、ぼーっとしています。  市内のいくつかの書店をみてまわりましたが、あちらで一冊、こちらで一冊手に入っただけで、三冊すべてはそろわず、 結局 Amazon に注文しました。都会の書店ならば、当たり前に平積みしてあることを思うと、悲しくなります。

TWEET「すきま風」

久しぶりに口笛を耳にしました。 Yさん(中三生の女の子)が口笛を吹いているのを聞いて、Sさん(同じく中三生の女の子)が、 「Yの口笛って、すきま風みたい」 と言っていました。ひとしきり笑わせてもらいました。

「三度、『札幌南高等学校 野球部の皆さん方へ』です」

無念です。 勝負の世界はときに非情ですね。 気持ちの整理がつくのを待って、三年生の皆さん方には希望校に向けて、一・二年生の皆さん方には新チームの結成に向けて、歩を進めていただきたいと思っています。 どうもお疲れさまでした。ありがとうございました。 FROM HONDA WITH LOVE.

TWEET「バーサタイル」

(ブラック)バス釣りの世界ではよく、バーサタイル(versatile)という言葉が使われます。バーサタイルなロッド(釣り竿)とは、多目的に使用できる、汎用性の高いロッドのことです。バーサタイルなロッドといえば聞こえはいいのですが、いい方をかえれば何をするにしても面白み、釣り味 に欠けるロッドのことです。何でもできるロッドとは、何もできないロッドともいえます。 バーサタイルとは、意味深長な言葉です。

小林秀雄「文章を書く場合『七分は運動神経、三分が頭』」

川村二郎『いまなぜ白洲正子なのか』東京書籍(207-208頁)  忘れられない小林の言葉がある。文章を書く場合、「七分は運動神経、三分が頭」といわれたことだった。  この言葉について正子は後に、 「簡単にいってしまえば、運動神経をリズムと解しても間違っていないと思うが、日本語には『呼吸』とか『間』とかいういい言葉がある。文書を書く場合も、既成の概念や知識にとらわれず、自然の息づかいに従って事に当たれ、という意味だったかもわからない。それは結局、自分自身を発見することにつながるであろう」(『遊鬼』) と書いている。 白洲正子『いまなぜ青山二郎なのか』新潮文庫 人間でも、陶器でも、たしかに魂は見えないところにかくれているが、もしほんとうに存在するものならば、それは外側の形の上に現れずにはおかない。それが青山二郎の信仰であった。 (中略)  何事につけジィちゃん(青山二郎)は、「意味深長」という言葉を嫌っていた。精神は尊重したが、「精神的」なものは認めなかった。意味も、精神も、すべて形に現れる。現れなければそんなものは空な言葉にすぎないと信じていたからだ。これを徹底して考えてみることはむつかしい。生きることはもっとむつかしい。金持になった日本人は、これからは精神の時代だ、などと呑気(のんき)なことをいっているが、相も変らず、夢二の夢から一歩も出ていはしない。 そのようなメタフィジックな物言いは、ごまかすのにはまことに都合のいい言葉で、お茶は「わび」の精神の蔭(かげ)にかくれ、お能は「幽玄」の袖(そで)に姿をくらまし、お花の先生は、蜂(はち)みたいに花の「心」の中で甘い汁を吸う。形が衰弱したからそういうところに逃げるので、逃げていることさえ気がつかないのだから始末に悪い。 (57-58頁) おそらく小林(秀雄)さんも、陶器に開眼することによって、同じ経験(沈黙している陶器の力強さと、よけいなことを何一つ思わせないしっかりした形を知ったこと)をしたのであって、それまで文学一辺倒であった作品が、はるかに広い視野を持つようになり、自由な表現が可能になったように思う。小林さんが文章を扱う手つきには、たとえば陶器の職人が土をこねるような気合いがあり、次第に形がととのって行く「景色」が手にとるようにわかる。文章を書くのには、「頭が三分、運動神経が

「夏至の日に思う」

夏至は梅雨明けとともにやってくる、との思いが私にはあります。当地方では例年七月の二十日前後に梅雨が明けます。日没は一日におよそ一分、梅雨明けのころには、今日より三十分ほど早くなりますが、まだ七時ちかくまで明るく、日が短くなったという実感はありません。梅雨明けは喧騒の夏の到来であって、狂想曲のはじまりです。真夏の太陽とともに夏至を迎える、そんな思いが私にはあって、夏至の日を見過ごしがちです。 今日は梅雨空が広がり、静かに雨が降っています。梅雨には梅雨らしく、梅雨らしいのがいいと思っています。

小林秀雄「末期の眼」

「サヨナラ」 A・M・リンドバーグ著, 中村妙子訳『翼よ、北に』みすず書房 「サヨナラ」を文字どおりに訳すと、「そうならなければならないなら」という意味だという。これまでに耳にした別れの言葉のうちで、このようにうつくしい言葉をわたしは知らない。…けれども「サヨナラ」は言いすぎもしなければ、言い足りなくもない。それは事実をあるがままに受けいれている。人生の理解のすべてがその四音のうちにこもっている。ひそかにくすぶっているものを含めて、すべての感情がそのうちに埋み火のようにこもっているが、それ自体は何も語らない。言葉にしない Good-by であり、心をこめて手を握る暖かさなのだ ー 「サヨナラ」は。  人と別れ、遠ざかっていく人の後ろ姿を見ながら、「サヨナラ」と思うことが多くなりました。別離に際して感傷的になることが少なくなりました。別れはいずれやってきます。年齢(とし)を重ねるつれ、事実は事実としてあるがままに受け容れることができるようになってきました。言葉としては知っていても、いまにいたるまで何もわかっていなかったということです。  「四苦」を思い、「八苦」を思います。ウィキペディアには、「苦とは、『苦しみ』のことではなく『思うようにならない』ことを意味する」と書かれています。「思うようにならないこと」ならば、我が身に引きうけるしかありません。 小林秀雄最後の対談「歴史について」考える人 2013年 05月号 新潮社 「繰り返して言おう。本当に、死が到来すれば、万事は休する。従って、われわれに持てるのは、死の予感だけだと言えよう。しかし、これは、どうあっても到来するのである。」 ー「本居宣長」より (32頁)  小林秀雄の凄みのある文章です。鬼気迫るものを感じます。やがて、すべての人・もの・こと、との別離のときがやってきます。「万事が休する」ときが訪れます。自覚のある今、責任のある今を過ごすこと、「さようなら」と身を引くときの、引き際の覚悟を、小林秀雄 は、私たちに迫っているのだと思います。 「神には過去もなければ未来もなく、神は『永遠の今』という時間の表現者である」といった内容の文章を読んだ記憶があります。神に過去もなく未来もなければ、私たちに過去や未来があるはずもなく、神は「永遠の今」の表現者ですが、私たちに与えられた時間は有限です。 芥川龍

「もの忘れ」

年齢のせいもあってか、もの忘れがひどくなりました。 確かにしまっておいたものを見失い、不用意に置いたものを見失い、そこここと見失った眼鏡をさがしているうちに、眼鏡をかけていることに気づくこともあります。この頃では、こんなとき、見つけることとはさがさないこと、とわきまえ、見失ったものとの偶然の出会いを待つことにしています。 確と覚えておいた言葉を見失い、言葉にならず、オロオロすることも多くなりました。 人の道を見失っては一大事と思い、気をつけていますが、今のところはだいじょうぶなようです。 また、人生などというやっかいで、私の手にはおえないものは、ハナっから手にした覚えはなく、見失うにも見失いようもなく、唯一の救いとなっています。

「せっかくですので、The Amazon part 2」

中学校では四年に一度教科書が改訂されます。今年度はその年にあたり、憂き 目に合っています。 下記の文章は、 中学校三年生の英語の教科書『NEW HORIZON』東京書籍  (29頁) に、 今年度 はじめてお目見えした文章です。 コラム column アマゾン川や熱帯雨林の恩恵と環境問題 (下線部への適語補充問題です) ①How has the Amazon been helpful to us ? 1.The Amazon’s water power produces about eighty percent of Brazil’s electricity. 2.The rain forest around the Amazon produces about twenty percent of the world’s oxygen. ②  What is happening around the Amazon now ? 1.People are destroying the rain forest. An area almost twice the size of Japan disappeared between the 1970s and 2010. 2.It is a big problem for the unique animals of the Amazon,and also for everyone on the Earth. 中学生の教科書とはいえ、侮れない文章に出会うことがあります。意表をつかれ、あわてます。 何事であれ、 ブラジルでは驚ろいたり 感嘆したりするとき、 「オーパ!」という。 開高健先生の、『オーパ!』集英社文庫 の一文です。 追記: アマゾン川は世界一 流域面積の大きな川です、とは誰しもが覚える受験知識ですが、その河口の川幅は、300Km、東京・名古屋間に相当する距離です。 河口にあるマラジョーという島は九州よりも大きいそうです、 と説明を加えると、子どもたちは皆驚きの表情を見せます。

「The Amazon」

中学校では四年に一度教科書が改訂されます。今年度はその年にあたり、憂き 目に合っています。 下記の文章は、 中学校三年生の英語の教科書『NEW HORIZON』東京書籍 に、 今年度 はじめてお目見えした文章です。 1970年代から2010年の間に、森林の乱伐によって、 アマゾン川の流域では 、日本の国土面積のおよそ二倍ちかくの熱帯雨林が失われ、その 熱帯雨林に生息する固有な動物たちは、すみかを失いつつあります、という内容の文章に続いて、以下の三文の記述があります。 It( The Amazon ) runs through a huge rain forest. That forest produces about twenty percent of the world' oxygen. The  oxygen in this classroom may come from Brazil! 「Read and Think」という標題がつけられています。子どもたちはこの事実をどうとらえ、どう考えているのかはわかりませんが、中学生の教科書とはいえ、侮れない文章に出会うことがあります。意表をつかれ、あわてます。 何事であれ、 ブラジルでは驚ろいたり 感嘆したりするとき、 「オーパ!」という。 開高健先生の、『オーパ!』集英社文庫  の一文です。 追記: アマゾン川は世界一 流域面積の大きな川です、とは誰しもが覚える受験知識ですが、その河口の川幅は、300Km、東京・名古屋間に相当する距離です。 河口にあるマラジョーという島は九州よりも大きいそうです、 と説明を加えると、子どもたちは皆驚きの表情を見せます。

「北海道に早い夏の到来です。再び、『札幌南高等学校 野球部の皆さん方へ』です」

北海道の夏は早いですね。 抽選結果が、16:49 にUPされました。以下、URLです。 http://www.hokkaido-hbf.jp/tspdf/TS20160616164958044525.PDF くじ運 云々のことは、私にはわかりかねますが、初戦の恵庭北戦に向けて、ベストコンディションでのぞまれんことをと、お祈りするばかりです。 「札幌南高等学校 野球部の皆さん方へ」 三年生最後の夏に向けて団結するのが、札幌南高校 野球部の強さだと心得ています。 最後の夏を制するのが、札幌南だと信じています。 夏に期待しています。 GOOD LUCK! FROM HONDA WITH THE BIGGEST LOVE.

シリーズ授業「ある一つの美学」

年度末になって、無計画に進めてきた授業のツケがまわって、また目の前にひかえた定期テストのテスト範囲に加えたいがために、駆け足の、おざなりの、説明不十分な授業が行われることがあります。 「ここは読めばわかりますので、読んでおいてください」 「この問題は難しいので、塾で教えてもらってください」 立派な授業放棄です。この上なく迷惑な話ですが、そうとばかりいっているわけにはいかず、時間をやりくりしてなんとか間に合わせようと躍起になります。 「これは、先生から皆さんに売られた喧嘩のようなものです」 「売られた喧嘩は、買いましょう」 「そして、買ったからには、勝つのが美学です」 「時間との勝負です。早く進めますが、心して聴いていてください」 受験生にとっては一大事です。はりつめた空気になります。緊張感が走ります。

「夜ふけの交差点での交感」

 夜、たとえば、近所の ある小さな交差点で、信号待ちをしている対向車のヘッドライトの光が目に入ってまぶしいとき、私は自分の車のヘッドライトを消すことにしています。きっと相手もまぶしいんだろうなという私なりの配慮であって、私もあなたと同じようにまぶしいおもいをしていますので、ヘッドライトを消していただけないでしょうか、というささやかな願いでもあります。私のささやかな願いがかなえられるのは、年に数回あるかないか程度のことで、年に数回程度のことですから、願いがかなったときには、うれしくもあり、ありがたくもあります。  インタラクティブ、双方向ということがいわれはじめて久しくなりますが、夜ふけの道路をはさんでの交感は、いつまでたってもワンウェイであり、一方通行であって、お互いのやりとりが成立するのはごくごく稀なことです。つらつらと考えれば、これも私の哀しきひとり遊びというだけのことなのかもしれません。

「漱石先生、ない智慧をしぼる」

下記のサイト、 「漱石と隻腕の学生」 からの孫引きです。近日中に  江藤淳『漱石とその時代 第三部』にあたります。 懐手事件  夏目漱石が東京帝国大学で講師をしていた時に、隻腕の学生に対してそうと知らずに小言を言ってしまうという小事件があったらしい。江藤淳「漱石とその時代 第三部」で引用されている、森田草平「漱石先生と私 上」からの孫引き(くの字点を使わないようにするなど、一部、仮 名遣いを改めた。他の引用部も同様)。  明治38年11月10日ごろのこと。講義を突然中断した漱石は、教室の中ほどの席につかつかと歩み寄ると、そこにいた学生に説教を始めた。前列の席にいた森田には、最初は漱石が何を言ってるのかよくわからなかった。 が、だんだん聞いてゐると、その学生は毎も懐手をして頬杖を突いたまゝ、先生の講義を聴いてゐる。それが毎々のことだ。何うでもいゝやうな事ながら、それでは余りに師に対する礼を失しはしないか。ちやんと手を出したらよからうと注意してゐられるものらしい。然るにその学生は、いくら云はれても、俯向いて黙つてゐるばかりで、返辞もしなければ手を出さうともしない。先生の声がだんだん高くなる。見兼ねて、隣席の学生が「先生、この人は元来手がないのです」と注意した。その時先生はさつと顔を赧くされた。何とも言葉が出ない程の衝撃を受けられたらしい。そのまゝ黙つて教壇へ引返されたが、暫くは両手を机に突いたまゝ、顔を上げられなかつた。教室内も水を打つたやうに鎮まり返つてゐた。学生一同も、何うなることかと一寸気を呑まれた形である。が、やつと顔を上げると、先生は「いや、失礼をした。だが、僕も毎日無い智慧を絞つて講義をしてゐるんだから、君もたまには無い腕でも出したらよからう。」かう云つて、直ぐさま後の講義を続けて行かれた。 「漱石先生、ない智慧をしぼる」のお話は、日本近代文学の講義で清水茂先生からおうかがいしました。ウェブサイト上にこのように詳細が書き込まれているとは知りませんでした。 「そこのカップル、おしゃべりしたいなら教室を出ていきなさい。外には闇が待っておる」と学生を注意し、私たちの笑いを誘った清水茂先生も、漱石先生に劣らず、なかなかのものでした。

「懸案だった AirMac Extreme 802.11ac の導入」

春先から WIFI 経由でウェブサイトに接続する際にタイムラグが生じるようになり、イライラをつのらせていました。購入後九年あまりを経過した第一世代の AirMac Extreme 802.11n に起因するものだろう、と思っては いたものの、確信をもつまでにはいたらず、また今回購入した  AirMac Extreme 802.11ac   は、 2013年に発売された製品で、GW 明けに新製品が出ないとも限らないという憶測もあって、二の足を踏んでいました。 いたって簡単につながりました。その都度リセットボタンを押し、惨憺たる苦労のすえに開通にこぎつけたふた昔前のことを思うと、そのあっけなさに拍子抜けしました。タイムラグによる待ち時間 もなくなり、ストレスからも解放されました。ようやく1GBの通信環境が整いましたが、それは自宅内に限られたことで、プロバイダーさんとの契約は、上り・下りともに 100Mbps であり、かといって現時点では何ら不足はなく、旧態然とした頭で技術の革新を横目で見やって います。

「小学生と交わす『おはようございます』という生きがい」

「小学生と交わす『おはようございます』という生きがい」 旧くからの家の多いなか、比較的最近になって越してきて、近所づき合いもさほどないかにみえる初老のご婦人が、毎朝通学路に立って、列をなして登校する小学生と、「おはようございます」の挨拶を交わしています。もう何年かになります。そのきっかけがなんであったのかはわかりませんが、たいへんな生きがいを見つけたな、と思いながら、小学生と毎朝交わし合う「おはようございます」の挨拶を聞いています。 はちきれんばかりの元気さで、ひときわ大きな「おはようございます」の声があります。小学校三・四年生くらいだろうと思われる何人かの男の子たちの声です。それは、何年経っても変わることなく、小学校三・四年生と思われる何人かの男の子たちの声で、サービス精神の旺盛な子はこの年代の男の子に多いのかな、と思って聞いています。 ありったけの声に、気持ちはこ れっぽっちも込められていませんが、微笑ましく、それでいっこうにかまわず、このご婦人の方ともどもそんな小学生たちを、陰ながら応援しています。

「社会の窓」

日本語俗語辞書より。 社会の窓とは男性が履くズボンの前部にあるファスナー(ジッパー、チャックともいう)のことである。これは1948年(昭和23年)~1960年(昭和35年)にNHKラジオが放送した番組『社会の窓』からきている。同番組は社会の内情を暴きだすという内容であった。これが大事なものが隠された場所という解釈になり、男性の大事な部分が隠されているズボンのファスナーを社会の窓と呼ぶようになった。なお、トイレ以外でファスナーが閉じていない状態を社会の窓が開いているという。  「社会の窓」とは「社会の内情」と触れ合う境界のことであって、すなわち「男性の大事な部分が隠されているズボンのファスナー」のことであり、ご子息様と「社会と内情」との接点のことである、ととらえた方がだんぜん面白いですよね。誰がいいはじめたのかはわかりませんが、とびっきりのセンスを感じます。  かねてから、私の「社会の窓」は小さく、そして知らぬが仏、また余命いくばくもないことを思ったとき、うかうかしているわけにはいかないと、ただでさえ小さかった窓枠を、昨年より、より小さなものにしつらえたために、「社会の内情」にはますますうとく、人との接触も限られていますが、かといってこれといった不都合もなく、必要にせまられて一日に何度かは「社会の窓」を開け閉めをしますが、ときには風通しがよすぎて情報過多となり、見ると、「社会の窓」が開けっぴろげになっており、あわてて閉めることもあります。

TWEET「一通りの それなりの推敲を終えました」

予定よりもずいぶん早く、871/871 のブログの一通りの、それなりの 推敲を終えました。十日あまりかかりました。力づくでねじ伏せました。つらい現実を前に、天を仰ぐことが多く、横になってばかりいました。 埋もれていた 33個のブログを「revival」のラベルを付し、再掲しました。今後の閲覧数の推移が楽しみです。 今月の末に第二(一学期期末)テストが組まれています。明日が15日前です。中三生は一昨日修学旅行から帰ってきたばかりです。第一テスト後には、テストの解説と修学旅行の準備で、各教科とも授業らしい授業は行われておらず、今回は極端に狭い範囲でのテストになるのか、来週から一気に授業が進むのか気になるところです。授業内容を三割減らした「ゆとり教育」時から、新学習指導要領に完全に移行し、もとの内容にもどったのが五年前のことです。授業時数が圧倒的に不足しています。中学校の先生方は気の毒だなと思ってながめています。当然現場の先生方の声は文部科学省にとどいていることでしょうから、早急に手を打たないと、消化不良、塾への丸投げ、という事態にもなりかねません。教育格差にもつながる由々しき事態です。

「螢狩り」

「 螢 狩り」 2016/06/11 昨夜 P池に行ってきました。昨夜は釣り道具は持たずに空手で、螢狩りに行ってきました。 螢は山からのわき水が流れこんでくる辺りの、木の葉の茂みに集まっていました。ぽつり、ぽつりと間をおいて光っていました。ぽつり、ぽつりくらいがいいな、と思いながら眺めていました。なかには、高く舞い上がり光の尾を引いて遠方にまで出かける 螢 も何匹かいました。心にくい演出です。遠目には 螢 の発する光は、透明なひとしずくの露のように見えました。自然の発色です。人工の色ではなかなかこうはいきません。 「日々是活き生き 暮らし歳時記」 「ホタルの成虫は、腹部後方に発光器があり、発光物質が光ることで光が発生します。 この光は、蛍のラブコール。オスは光を発しながら飛び回り、メスは草や木の葉の上で弱く光ります。お互いを見つけて両方が強く光れば婚約成立です。 実は、蛍の成虫期間は約1~2週間。この間、エサを食べずに夜露だけで過ごしてパートナーを探します。そして、繁殖が終わると死んでしまいます。 また、蛍でも発光しない種類もあります。」 ホタルの「婚約成立」はわかりやすくていいですね。木の葉の茂みの中で遠慮しがちに明滅していたのは、メスのホタルだったのでしょうか。帰宅後に知ったことですので、雌雄のホタルの事情には無頓着でした。 命を継ぐ。生あるもの皆同じなんですね。精一杯の愛ですから美しくないはずがありません。命のかぎりの明滅ですから尊くないはずがありません。昨夜はうかつでした。覚悟に欠けていました。近日中に出直します。 帰りには一匹の 螢 が夜道を照らすかのように、私を先導してくれました。まじかに見る光は、ほのかに緑色を帯びていました。二十メートルほど、 螢 の明かりを頼りに歩きました。 螢 がとって返し、茂みにもどるのを見とどけて、家路を急ぎました。

「天然ボケと作為的なボケ」

中三生の二人の女の子が、 「ボケたふりをするあの子、気にならない?」 「気になってた」 「気になってた」と言った女の子は天然ボケで、自覚症状があるのか、 「私のボケは気にならない?」 と尋ねていました。 「Nのボケは天然なので、面白い」 「よかった」 との会話を耳にしました。 確かに天然ボケのNさんの受け答えは、いつもユニークで面白く皆の笑いを誘っています。時に私は、いじって遊んでいますが、Nさんの今後を思うと心配になることもあります。 二人の間では天然ボケに軍配が上がったようですが、天然ボケと作為的なボケとではどちらが深刻なのか、ない頭を悩ませています。

「芒種の日に思う」

今日は二十四節気の「芒種」です。 「芒(のぎ)」とは「のぎへん」の「 禾」のことで、「 イネ科の植物の花についている針のような突起」をさす言葉だそうです。 「 芒 のある穀物や稲や麦などの穂の出る穀物の種をまく季節ということから、芒種(ぼうしゅ)と言われています」とのことです。 05/31 に第一(一学期中間)テストを終え、以降ずっとブログの推敲をしています。320 / 832 のブログを冷や汗をかきながら見直しました。ブログを書きはじめて一年になる 08/03 までには、と悠長にかまえています。その間ブログの投稿は、しばらくおあずけです。 昨日東海地方が梅雨入りしました。五月雨の季節です。 螢 狩りのシーズンの到来です。