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TWEET「ゆく年に愛惜を感じているか」

ゆく年に愛惜を感じているか。 くる年に託す願いはあるか。 風が吹き荒れています。風にさらわれ世俗の塵埃を逃れたいと、そんなことばかりを思っています。 一足お先に夢に遊ぶことにします。 この一年、どうもありがとうございました。 よいお年をお迎えしてください。 FROM HONDA WITH LOVE.

「自己本位といい、他己本位といい」

 青山二郎といい、小林秀雄、白洲正子といい、「青山学院」と呼ばれ、「 昭和の文壇を華やかに彩った文士たち」 は、超然として「自己本位」 の境地に遊んだ。  井筒俊彦においては、これらは「コトバ」の自己分節であって、関心の埒外の出来事であったに違いない。意識の深みに「実在」を索め、その階層構造を明らかにし、ついには自身の深層言語学的哲学を展開するにいたった井筒にとって、表層意識への関心は希薄であったといえよう。  一方 漱石はといえば、「利己か利他か」に生涯執着し、その撞着が漱石に小説を書かせた、といえるかもしれない。安易な解決を許さなかった漱石は強靭な精神の持ち主だった。  さて、長らく「他己本位」という惨劇の最中(さなか)にあって、いま私は躊躇することなく「自己本位」に触手を伸ばす。それには多少の荒療治が必要かと感じている。  残された限られた時間、「悪しき道徳教育の、18歳の残滓」の虜になっている暇はない。 「拝復 P教授様_悪しき道徳教育の、18歳の残滓です」 2018/07/31 おはようございます。 我慢する、我儘は許されない、また反省する。 いずれもいずれも悪しき道徳教育の、18歳の残滓ですね。 この際きっぱりとお別れすることにします。 我慢しない。我儘に生きる。「反省なぞしない」。 無頓着で、無造作な、鷹揚で、無邪気な生活を心がけます。 盛夏です、酷暑です。容赦なしです。 くれぐれもご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE. 追伸: 小林秀雄さんが、座談会にて、 「僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか」(『近代文学』昭和二十一年二月号)と話されています。

P教授曰く「人の世は逆説でしか語れない」

「完璧という名の幻想。 原稿は拙速を尊ぶべし! そして、推敲こそが本当の執筆の世界」  「拙速」とい巧遅といい、二律は背反しているように思えてならない。人の世は逆説でしか語れない、ということなのであろうか。  年の瀬にこのパラドックスに頭を抱えている。  生来 素直な性格の私(!?)にとって、逆説でしか語れない人の世を泳ぐのは生半なことではない。

TWEET 「新しい年に願いをこめて」

年内の課題です。 「小鳥のさえずり」です。 いま沈思黙考中です。 TO BE CONTINUED. FROM HONDA WITH LOVE. 

TWEET「冬籠」

 朝のうちから強風が吹き荒れています。一陣の風が我が家を揺らし、午睡から覚めました。  今冬は季節外れの暖かな日が続き、これを私の木枯し一号とします。昨日までとは打って変わり冬空が広がり、明日からは冷え込む予報です。急いで「冬籠」の支度にかかります。  Nさんからいただいた、「大丸」さんの菓子折のノシには「冬籠」と書かれていました。また、夏に送っていただいた、「六花亭」さんの菓子折には「夏見舞」と記されていました。ともに印象に残っております。

「拝復 Kさんへ_Re:ありがとうございます」

「おはようございます。 Hの成人のお祝いも送ってくださり、 ありがとうございました。 重ね重ねお礼申し上げます」 おはようございます。 早や Hが成人とは、寄る年並には勝てず、と白旗を上げています。 浪人生としてではなく、また畏れ多くも見事に、親子二代にわたって W大を一蹴し、T大生として無事 成人の日を迎えられますことに慶びを感じております。 今日 帰札の予定ですね。 Hの鍛え抜かれた身体、楽しみですね。 たびたびのご丁寧なご挨拶、どうもありがとうございました。 では、では。 時節柄くれぐれもご自愛ください。 また。 よいお年をお迎えしてください。 また。 ご家族の皆さんに、よろしくお伝えしてください。 FROM HONDA WITH LOVE. 追伸:昨夜 Dちゃんから、心づくしの 挨拶をいただきました。みごとな返礼文でした。頼もしいですね。

「拝復 P教授様_さしたる用事はなけれども」

「博多駅前の「スタバ」でひとり気焔を吐いています。  旅マタギの心境です。 「さしたる用事はなけれども」と、團(伊玖磨)先生は海外へ出かけ、旅に興じた気持ちが、いまよくわかります。」    この年の瀬に、沖縄と福岡でたて続けに二つの学会とは、ちょっと驚いています。南国づいていますね。  検索の結果、 ◇ 團伊玖磨『さしたる用事はなけれども - 團伊玖磨対談集』読売新聞社 は、未読の対談集であり、今回も隙に乗じて出し抜かれたかと観念し、日の高いうちから酩酊 して おります!? 博多便り、どうもありがとうございました。 実り多きことをお祈りしております。 FROM HONDA WITH LOVE. 追伸:いま私はP教授づいております。 以下、 團伊玖磨『パイプのけむり』_三題 です。

P教授の「風に訊け」です。

「私のこうしたいまの感慨も境遇も、還暦までに支払った 授業料で得たものばかりです。若くして狭量な世界に安穏として、こじんまりとおさまって生きるのは、もうそろそろ止めにしませんか。  価値と評価は違います。自分の価値を見極めることができるのも還暦の特権です。  悔しかったら年を取れ!ということです」 P教授の「風に訊け」ですね。ぜひ連載物にしましょう。 FROM HONDA WITH LOVE. 以下、 ◆ 開高健『風に訊け』集英社文庫 「一気に読まないで下さい。ききすぎるクスリと同じです。1回に2つか3つ読むのが適量です…。 読者から寄せられた難問、奇問、珍問に人生の達人・開高健が該博な知識を駆使して名回答。 笑い、ユーモア、ブラック・ユーモア、そして教養に満ちた異色の書」 ◆ 開高健『風に訊け 2』集英社文庫 ◆ 開高健『風に訊け ザ・ラスト』集英社文庫 「読者から寄せられた難問、奇問の数々に、行動する作家・開高健が一発回答。幻の名著『風に訊け 2』から選りすぐった、悩める若者たちに贈る、ザ・ラスト・アドバイス」 です。

「拝復 P教授様_意のままに」

「『我がままに』から『意のままに』。 『我がまま』は、生半可だから顰蹙を買う。 『意のままに』 は、誰も手出しができない」 「意のままに」は、いまの私には敷居が高く、「我儘」の次のステップとして、「意のままに」を目指すことにします。還暦までの課題です。 「自由」はたちまちのうちに「不自由」に転落する。それに対し「自在」には打ち消しの語がない、といった鈴木大拙の言葉が思い出されました。お門違いの連想だったのでしょうか? FROM HONDA WITH LOVE.

「冬至の日に自転車講習です」

おはようございます。 今日(2019/12/21)から冬期講習です。いまから大慌てで準備をします。自転車操業です。 たいへん遅ればせながらも…。 ご丁寧なご挨拶、どうもありがとうございました。 FROM HONDA WITH LOVE. 「4時半起きですか? 自転車講習ってなにをするんですか?」  その後、6:30 から1時間ほど寝ました。いま 9〜12時の授業を終え、14〜17時の午後の部に備えています。家庭学習ゼロの受験生たちを、私がやむなく拘束しています。  自転車「講習」ではなく、 「自転車『操業』」 です。悲しいかな、私には自転車に関する知識も技術もなにもなく…。  笑いのご提供、どうもありがとうございました。今年の笑い納めかとも思っております。 「自転車講習」は、大晦日の午前中まで、6時間×10日間「英文解釈漬け」です。毎年 暴挙に出ています。自爆テロです。 改めてお便りします。今回はこれにて失礼いたします。 ひき続きすてきな休日をお過ごしください。 今日は冬至ですね。ゆず湯につかって体をいたわってください。 度々のご丁寧なご返信、どうもありがとうございました。 FROM HONDA WITH 💕.

TWEET「若者たちの夢の後先」

  今日の昼少し前、「モンベル 豊橋店」さんの近くを通りましたので、今年の見納めにと思い、近隣に車を駐め、紫煙をくゆらせながら、見るとはなしに外観を眺めていました。  と、「若者たちの夢の後先」という言葉が脳裏に浮かびました。それは感情で彩られる以前の「無彩色」の言葉として脳裏をよぎりました。  異彩を放つこの空間は、「若者たちの夢の後先」であり、「若者たちの夢の後先」故に異彩を放っている、とひとり納得しました。  思い入れのある店舗だけに興味は尽きず、あれこれと詮索したくなります。悪趣味です。 以下、 TWEET「『モンベル 豊橋店』です」

「拝復 P教授様_会心の 9760語」

「会心の 9760語」  時をかえ所をかえ、読み継ぎ読み継ぎし、つい今し方読み終えました。  興味深く、楽しく拝読させていただきました。ご苦労がしのばれますとともに、みごとに結実したことに感慨を覚えております。P教授が着々と歩を進められている最中に当の私は、と思うと忸怩たる思いがしてます。会心の一作ですね。再読、三読させていただきます。 なにかと忙しない時季ですね。くれぐれもご自愛ください。 「いの一番」、どうもありがとうございました。 FROM HONDA WITH LOVE. 「追伸_起き抜けに」  つかみ所のなかったタイトルの意味が、謎解きのように次第に明らかになっていき、面白く読み進めました。やはりタイトルはこれで決まりですね。 では、では。 時節柄くれぐれもお大事になさってください。 FROM HONDA WITH LOVE. 「感謝します」 一読有り難うございました。自分で読んでも面白く思いました。誤字の指摘も感謝します。 「…………」 ワーイ!! 風呂上がりです。 FROM HONDA WITH LOVE.

TWEET「あれから幾星霜かが過ぎ」

 中学校・理科「天体分野」で、伝えたいことが上手く子どもたちに伝わらず苦戦している。明日三回目の授業に挑む。「天体分野」は立体的、相対的な観点に立って眺めなければならず、時間を要する。 「せめて私だけの時間と労力を費やせば、理解できるはずです」 といってみたところで、今時の子どもたちに「自学自習」といった心がけはみられず、 「私はなんでも解っているような顔をして授業をしていますが、実のところなにも解っていません。私が揺らげば君たちが動揺しますので、ただ精一杯突っ張っているだけのことです」 と、本音を口にしてみたところで、家庭学習ゼロ、受験勉強はすべて塾任せ、といった安易な 学習態度は改まらず、先々には、私が揺らぐか、時間切れでやむなく出題予想に奔走するか、といった結末は見え透いており、先の見えたゲームほどつまらないものはない。 小林秀雄『学生との対話』国民文化研究会・新潮社編 「小林秀雄はかくも親切で、熱く、面白く、分かりやすかった! 」 「まあ、学問をしたいというのは、人間の本能ですからな。学問をしたいのが本能じゃなくなったのは現代ぐらいのもんです。(会場笑)。 今は、ただ黙っていたって教えてくれるのだから、学問への欲望がなくなるのですよ。 」(75頁)  私が教えているのは決して学問ではないが、その入り口へと導くもの、との認識はある。 「 学問をしたいのが本能じゃなくなったのは現代ぐらいのもんです」。それ(昭和36年8月15日 於 長崎県雲仙) から幾星霜かが過ぎ、「現代」とは永遠の今のことであり、小林秀雄のそれを見越しての発言は正しかった、ということなのだろうか。 追伸:「 昭和36年8月15日  」とは、私が生まれて間もなくのことであり、決して他人事ではなく、慌てて自戒の言葉とした。 以下、 小林秀雄「学問をしたいというのは、人間の本能ですからな」 です。

TWEET「双方痛み分け」

 昨日の午前中の「夏のやり残し講習」では、受験生諸君を前にして、 「多くの問題に当たれば、解法の勘所が解るようになり、見通しがきくようになる」 「正しい迷い方を身につけ、なんとか正解にたどり着けるように練習してほしい」 「常に出題者の意図を考えながら問題を解く習慣を身につけてもらいたい」 「それには各教科 各分野 類題別に、一気呵成に集中して取り組むのが最も効率的だと思う」 といった話をした。  子どもたちはまたいつもの話かとうんざりし、私は今日も空振りかと半ばあきれ、双方痛み分けといったところである。  双方がともに痛手を負うのは得策ではなく、鳴くまで待とうと諦め、明めた。因果な商売である。

「拝復 P教授様_今の内に 2/2」

「今でなければ書けない」   今を生きる他ない私たちにとって、書くのはいつも今、「今の内」にしか書けない、といった意味合いだったのでしょうか? 今そのような気がしてなりません。悪しからず!! FROM HONDA WITH LOVE.

「拝復 P教授様_今の内に 1/2」

 言葉は時の経過とともに過ぎゆくものであって、「今でなければ書けない」ことがあり、「今でなければ」、後々には決して息を吹き返すことのない言葉があること も重々 承知しているつもりですが…。  思えば、夏以降のおびただしい数の「(話し)ことば」の流出は、未だに止むことを知らず、留める術を知りません。「ことば」の多用は、思考の停止を招き、「(書き)言葉」の枯渇につながります。  今週末から冬期講習がはじまります。「ことば」を尽くせば「言葉」が尽きるという二律背反を前にして、足がすくんでいます。

TWEET 「いま あっけらかんと応える」

 先日「デニーズ 豊橋花田店」さんで本を読んでいると、 「本を読むのが好きなんですか」 と、アルバイトの女学生さんに尋ねられ、 「はい」 とだけお応えしておきましたが、いまでもその応接を気づまりに感じています。  それは、趣味、好き嫌いにかぎられたことではなく、もう少しさし迫った深刻な意味合いがあるのですが…。  あっけらかんと聞かれたら、あっけらかんと応えておけばいい、とも思っております。

TWEET「幸先だけでもよければ」

 その後八日経ち、昨日の午前中には、懸念の 愛知県公立高入試 2011年 Bグループ 理科「天体分野」の問題が解決した。右往左往、七転八倒、紆余曲折を経てのことだった。  中学校で斡旋した「解説なし」の一人蚊帳の外の過去問を除き、その他 三社の解説にはどうしても納得がいかなかった。その場しのぎの説明のように思えてならなかった。結局 自分の解法を正解とした。  以下の「天体観測アプリ」、 ◇「Star Walk - 星を見つけるための完璧なコンパニオン」 でシュミレーションしたので間違いないと信じている。  すっかりリラックスした。  夕方には、注文しておいた 2019/12/13 発売のコミック、 ◇ 空木哲生『山を渡る -三多摩大岳部録- 2』ハルタコミックス が届き、また早朝には西にかかったとびきり明るい十六夜の月を遥拝し、幸先よく、幸先だけはよく、幸先だけでもよければ、とひとり合点している。 以下、 TWEET「右も左も分からず」 です。

TWEET 「不自然という名の逸脱」

  街路樹に裸木が目立つようになった。昨日が落葉の最盛期だった。落ち葉を竹ぼうきで集める姿が散見された。  彩りが消えた。落ち葉には路上での 生活さえ許されず、それらは迷惑がられ、ゴミとして焼却される。食物網からすっぽり抜け落ちた格好である。不自然という名の逸脱である。

TWEET「遥拝を続ける」

 昨夜深更 南の空高くにあった満月とオリオン座の共演は聖らかでした。  月はいぜん清々しい姿を見せていますが、 夜もすがら月に寄り添った オリオン座は、西の地平に半ば姿を消し、いま 三つ星が地平にさしかかっています。  白々と夜が明け、東の空が朱に染まっていますが、月はいぜん孤高の姿を見せています。  調べると、月の入りが 7: 31、日の出が  6:49 とありました。  今宵は十六夜の月です。夜空を仰ぎ、遥拝を続けます。

TWEET「月がとっても青いから」

 とりわけ大きく、ことに明るい満月が東の空にかかっています。もったいなくって、うれしくって、今夜は寝ずの番をします!?「寒月」です。「コールドムーン」です。

「動詞_果つ」

 街路樹の紅葉、黄葉が散りしきり、風に吹かれ、路上に舞っています。木枯しとは名ばかりの、春風のような穏やかな風です。  木枯しの吹く時節には枯れるのがふさわしく、果つ時節には果つのが適当で、と柄にもないことを考えております。  今夜は満月です。満ち足りた姿を楽しみにしており ます。

TWEET「右も左も分からず」

  中学・理科の天体分野を前に手を拱いてばかりいる。右往左往、七転八倒はいつものことだが、右も左も分からず東西南北も心もとなく、いつになく重症で、この寒空の下 子どもたちを道連れに露頭に迷うわけにもいかず、途方にくれている。  冬休みになれば冬期講習があり、年末ともなれば、借金取りを煙に巻く算段をせねばならず、慌しく年が暮れ、年が明けそうである。  本を読む暇もなく、作文を書く余裕もなく、意に反して、ということである。

井筒俊彦「己れの身に引き受けて主体化し」

以降、 ◇ 『東洋哲学の構造 ― エラノス会議講演集 (井筒俊彦英文著作 翻訳コレクション)』慶應義塾大学出版会 澤井義次「解説 エラノス会議と井筒『東洋哲学』」(511-530頁) ならびに、 ◇ 井筒俊彦『イスラーム哲学の原像』岩波新書 「序」(ⅰ-ⅻ 頁) ばかりを繰り返し読んでいる。珠玉の小品といった趣がある、といえば失礼にあたるのであろうか。  読書百遍義自ら見る。「自 ら見る」であろう「義」以上のものを見据えての「百遍」の「読書」である。自身初の試みである。

TWEET「それでたくさんだ」

先日 ある塾生に、 「PさんにはPさんのプライドがあり、僕には僕のプライドがある。志望校に合格するには、それでたくさんだ」 と、告げておきました。  不用意な発言だったのでしょうか!?

「拝復 P教授様_火代番(ひじろばん)」

 今回の定期テストの問題のすべてに目を通してから、改めまして当中学の目を覆いたくなるような惨状について、お話ししたいと思っております。  公教育の火を絶やさないために、ぜひ 「火代番」 が必要なようです。情けないありようです。  雨が降っています。時雨どきに春雨のような雨模様です。  異常も常態化すれば正常ということでしょうか。チャップリンの「独裁者」のなかの台詞のようで、イヤですね。 秋冷の候、くれぐれもご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE.

TWEET「うつらうつらの」

 一昨日 第四(二学期末)テスト を終え、高校入試直後かのように疲弊しています。体の欲するままに寝ています。中学校の先生方の恣(ほしいまま)の授業態度を恨めしく思うばかりです。  が、幸いなことに、活字をみるのは苦にならず、昨日届いたばかりの古書、 ◇『創刊600号記念大特集「白洲正子」全一冊』芸術新潮 1999年 12月号 と、 ◇ 『東洋哲学の構造 ― エラノス会議講演集 (井筒俊彦英文著作 翻訳コレクション)』慶應義塾大学出版会 ◇ 『井筒俊彦全集 第九巻 コスモスとアンチコスモス 1985年-1989年』 慶應義塾大学出版会 ◇ 『井筒俊彦全集 第六巻 意識と本質 1980年-1981年』 慶應義塾大学出版会 ◇ 井筒俊彦『イスラーム哲学の原像』岩波新書 の間を行きつ戻りつしています。一向にはかどらないうつらうつらの読書です。  ブラックフライデーについて知り、サイバーマンデーことを知りました。今年は月をまたいでの商戦です。お祭り騒ぎに乗じて復帰を、と思っております。

TWEET「その乱脈ぶり」

 その後今日にいたるまで二週間あまり、明日からはじまる第四(二学期末)テストの対策授業とその準備に追われ、消耗しています。  その間専らしていたことといえば、中学校の先生方の “尻拭い” ばかりです。先生方の授業態度は、投げやりで、捨て鉢で、その乱脈ぶりは目にあまり、お上の裁決を仰ぐ他ないと考えております。  子どもたちとともに音を上げおります。  自律心なく、節度なく、矜恃なく、ということです。

TWEET「野に咲く花、流れる雲」

野に咲く花、流れる雲。 今も昔も、人は心打たれたものを言葉に表そうとする。 それらは珠玉の連なりとなって、読む者の心に響いてくる。 人々が和歌に込めた思いを想像し、いにしえの心と語らおう。 (光村図書『国語 3』136頁)

TWEET「大愚良寛」

  「大愚」とは良寛の自嘲であろうが、私にとってそれは、 最高の敬称であり尊称である。未だ「愚」を知らず、況や「大愚」をや、「日暮れ、塗遠し」、早るのは気持ちばかりである。  井筒俊彦が命名した「理理無碍」の理解がおぼつかなく、悶々とした週末を過ごした。が、それは貴重な時間だった。 「いまなぜ井筒俊彦なのか」 と問われれば、 「白秋だから」 としか申し上げようがない。

「前略 Nさんへ_毒を食らわば」

 「遠州灘天然トラフグ」が旬を迎えました。ご当地グルメです。  美食家の方たちは、口に含んだとき舌がしびれるほどの、毒ののった「てっさ」を好むそうですが、私にとってグルメとは、悪食家の、またゲテモノ喰いの異名以外のなにものでもありません。  今日は学芸会ですね。晴れ舞台ですね。子どもたちを見守る目の優しさは、父兄の方以上かと拝察しております。成功・盛会裡に終わることをお祈りしております。  早速「学芸会の打ち上げ」に「遠州灘天然トラフグづくし」はいかがですか。昨春には 「ホテル 九重」 さんで、ご卒業・ご就職のお祝いをしましたので、今回は趣きを変えて、 「角上楼」 さんで、ということにしましょう。  毒を食らわば皿まで、皿までいただきましょう。美食家の方たちのはるか上をいきましょう。 昨日初雪が、とのことですが、くれぐれもご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE.

「拝復 Nさんへ_熊も眠りにつくという最果ての」

おはようございます。 御地の銘菓の詰め合わせを送っていただきありがとうございました。散財させてしまい、申し訳なく思っております。なかでも「菓子處 大丸」さんの「ふる里もなか」は逸品です。早速父とありがたくいただいております。 今頃 葦毛湿原に咲く 「ホソバリンドウ」 の花 です。 高貴な花です。  昨夜、過酷な環境の物置で一夏を越した灯油を、ファンヒーターに入れ点火すると、異臭が鼻をつき、鼻水が出て、くしゃみが出ました。また、頭まで痛くなりましたので、ストーブの電源を切り、換気しました。敏感に反応した自分の体に老いは認められず安心しました。今年はエアコンで暖を取ることに決めました。簡便でクリーンですし、灯油に比べ電気 の方が安くつく、とのことです。  暖房を入れると、とたんに子どもたちの居眠りがはじまります。授業をはじめる前にはいったん起こしますが、後は自由です。寝る子は育つ。子どもは寝ている間に育つ、と信じております。  かく言う私も授業をしながら、寝ることがあります。子どもたちにあきれた寝姿を披露しています。一瞬の出来事かと思われますが、前後不覚となり、さすがに慌てます。 熊も眠りにつくという最果ての御地は、もう真冬の候ですね。 くれぐれもご自愛ください。 たびたびのご丁寧ご返信、どうもありがとうございました。 FROM HONDA WITH LOVE.

「令成元年 秋空の下 _終わりに」

 風があり、琵琶湖での舟遊びは無理かと思い、秋の陣に終わりを告げました。「令成元年 秋空の下」 、奈良大和路を巡ったのは収穫でした。 ◇ 『東洋哲学の構造 ― エラノス会議講演集 (井筒俊彦英文著作 翻訳コレクション)』慶應義塾大学出版会 を読み継いでいます。  井筒俊彦の緻密な哲学の文章は、明らかです。周縁部を埋め一気呵成に結論へとまとめ上げる筆さばきはみごとです。  井筒俊彦の著作群は、私にとっては実学の書です。実用の書であり、止むに止まれぬ書です。そしてその点において、井筒俊彦は、どうしようもなく福澤諭吉門下の人です。  秋涼の候、読む書くを続けます。

「令成元年 秋空の下 _いまだ旅装を解かず」

  琵琶湖での舟遊びは、来週の 水・木曜日を逸すると、今シーズンは幕切れかと思っています。 このままシーズンオフを迎えるのは恨めしく、いまだ旅装を解かず、天気とにらめっこをしています。琵琶湖のご機嫌次第です。  ご機嫌斜めの際には、 「御即位記念 第71回 正倉院展」 を見にいく予定でいます。今秋は特別展です。

「令成元年 秋空の下 _コンステレート」

  近江・奈良大和路の旅( 2019/10/23,24 )の前日には、 ◇  若松英輔 (編集)『井筒俊彦ざんまい』慶應義塾大学出版会 が届き、琵琶湖での舟遊びの旅( 2019/10/29,30 )から帰豊した日の夕方には、 ◆ 『井筒俊彦英文著作 翻訳コレクション 全7巻(全8冊)』慶應義塾大学出版会 ◇『東洋哲学の構造 ― エラノス会議講演集 (井筒俊彦英文著作 翻訳コレクション)』 慶應義塾大学出版会 が届けられた。  機が熟した。秋風によってもたらされたものを大切に思う。

「令成元年 秋空の下 _古い伝えの竹生島」

「2019/10/31 拝復 P教授様_ 竹生島は依代でした」 こんにちは。  舟遊びに見切りをつけ、竹生島を巡ってきました。視界を妨げるもののない琵琶湖は「 淡海」でした。  「宝物殿」の、 ◆「 弘法大師上新請来目録 (コウボウダイシジョウシンショウライモクロク)(重要文化財)」 「弘法大師が唐より帰朝された大同二年(八0七)、平城天皇に献じた経論疏類(キョウロンショルイ)の目録である。本文にあたる料紙にはうすい金罫(キンケイ)を施し、五百十行にわたって、新約等経百四十二部二百四十七巻、梵字真言讃四十二部四十四巻、論疏章等三十二部百七十巻、その他の項目をあげ、奥書に「大同元年十月二十二日入唐学法沙門空海」とあり、平安時代中期の写本である。(後略)」 (「竹嶋」発行所 宝厳寺寺務所 / 解説 澤実英) 及び、 ◆「 弘法大師諡(シ)号勅書 」 「真言宗の開祖空海(クウカイ)(七七四-八三五)は讃岐(サヌキ)国の生れ、延暦二十二年(八0四)最澄(サイチョウ )とともに入唐留学、長安で恵果(ケイカ)に真言宗を学び、二年後に帰国、弘仁七年(八一六)高野山に金剛峯寺を建て、弘仁十四年京都に東寺(教王護国寺)を勅賜(チョクシ)された。書や詩文にも秀で、とくに書は三筆の一人ともてはやされた。庶民教育にも意を用い、綜芸種智院(シュゲイシュチイン)を開いた。醍醐天皇は、延喜二十一年(九二一)十月二十七日、小納言朝臣惟助(コレスケ)に勅し、弘法大師の諡号をおくり、生前の偉業をたたえられた勅書である。諡号とは死後に生前特別の業績のあった者にのみ天皇より賜わるものである。少納言は三人いて、詔勅宣下(ショウチョクセンゲ)のことをつかさどり、内印(天皇御璽(ギョジ)、官印(太政官印)を取りあつかう役である。」(「竹嶋」発行所 宝厳寺寺務所 / 解説 澤実英) が特に印象的でした。  司馬遼太郎の「空海の風景」を思い、井筒俊彦を思いました。  竹生島は依代でした。  帰りの船中では、白く泡立つ引き波をうつらうつらしながら眺めていました。  その後、湖岸の石積みに座って対岸の山の端に沈む夕日を眺め、湖西に向かいました。 添付画像、どうもありがとうございました。 恍惚としていますね。陰影は 清濁併せ呑む、といった感じでいいですね。 秋涼の候、 くれぐれもご

「令成元年 秋空の下_行方定めぬ旅枕」

「2019/10/30 拝復 P教授様」 おはようございます。 いま「ホテル&リゾーツ 長浜」の喫茶室にいます。琵琶湖を正面に望んでいます。波立つ湖面を観光船が巡っていきます。出廷を見合わせています。凪ぐことばかりを祈っています。 40年後を見越しての、とは壮大ですね。 FROM HONDA WITH LOVE.

「令成元年 秋空の下_『神さま』の降臨」

2019/10/23   聖林寺 からの帰路、近鉄橿原線の車中で小林秀雄に似た年配の女性を拝見した。横顔しか分からなかったが、瓜二つだった。  突然「神さま」が降臨された。ようやく出会えた気がした。静かに拝顔させていただいた。乗り換えの平端駅では、心中で合掌しつつ、別れを惜しみつつ、席を立った。

TWEET「自由という名の修羅場」

「自由参加」の「 夏のやり残し講習」に困惑している、と幾人かの父兄がこぼしていることを耳にした。「自由」に盾を突いた格好である。と時を同じくして、通常授業を含めたすべての授業を「 自由参加」にした。また、遅刻、病欠はいっさい顧みず、と子どもたちに告げた。 「京都大学は自由という名の修羅場である」とは、石井完一郎 京都大学名誉教授の言である。「修羅場」をくぐることが通過儀礼であり、身にひき受けなければ自由の味わいが分からないとすれば、身にひき受けざるを得ないだろう。そうであれば早い時期に、修羅場をくぐるにこしたことはない。  顛倒している。  もちろん退塾は自由であるが、退塾勧告の裁量は私の掌中にあり、私の自由であることを改めて申し上げておく。  また、「自由参加の夏期講習」にいくと先生に叱られる、とは塾を休む口実 であって、私とは無縁であることを申し添えておく。  この地平に留まるのはやりきれず、今後委細かまわず、ということにさせていただく 。

「令成元年 秋空の下_合格祈願」

  聖林寺と渡岸寺で、合格祈願の御守りを三つずつ買った。 「この御守りは私の祈りであり、愛の賜物です」 と言って受験生諸君に渡した。  御仏にすがる思いをしているのは私だけで、受験諸君はいたって呑気である。思えば、私の願いさえかなえば、ということである。それにしても「合格祈願」とは、いかにも即物的である。

「令成元年 秋空の下_旅時の支度」

  道案内に時刻表、乗り換え駅に到着時間に、と「Google MAP」なしには成り立たない旅だった。  帰宅後早速、 ◇ エレコム「車載 スマホホルダー マグネット式【スマホリング付き】」 を注文し、つい今しがた取り付けた。   デイパックを背負っての旅だったが、「サコッシュ」または「ウエストバッグ」があれば、小物の出し入れに便利である。いずれも釣行時、冠婚葬祭用のもので代用が効く。  後は「ザックカバー」、 Bose のポータブルワイヤレススピーカー「SOUNDLink Mini」、「下着の替え!!」といったところか…。 「秋空の下」、試行錯誤を続けます。

「令成元年 秋空の下_『井筒俊彦ざんまい』を携えて」

 近江・奈良大和路の旅( 2019/10/23,24 )の前日には、 ◇ 若松英輔 (編集)『井筒俊彦ざんまい』慶應義塾大学出版会 が届き、また、 ◇ 信濃川日出雄『山と食欲と私 9(鮎美の富士山リベンジ編 ①~④)』新潮社 ◇ 塀内夏子 『おれたちの頂 復刻版』ヤマケイ文庫 ◇ 空木哲生『山を渡る -三多摩大岳部録- 1』ハルタコミックス の三冊の漫画を携えていったもののいずれも開かずに終わった。  帰宅後、『井筒俊彦ざんまい』を拾い読みし、いま『おれたちの頂 復刻版』を再読している。そして、「渡岸寺」また「国友鉄砲の里資料館」で耳にした、 ◇ 井上靖『星と祭り』角川文庫( Kindle版) を、絶版中につきダウンロードした。 なお、 ◇  本間順治『日本刀(復刻版)』岩波新書 については手に入らず、「重版」待ちである。  以上、私の貧しい「秋の読書週間・中間報告」でした。

「令成元年 秋空の下_ホテル&リゾーツ 長浜」

  ホテル&リゾーツ 長浜(旧:長浜ロイヤルホテル) で、朝食にトーストセットをいただいた。琵琶湖を眺めながら優雅なひと時を過ごした。喫茶室のトーストは絶品だった。 「日帰りプラン」があることを知り、一人息巻いている。

「令成元年 秋空の下_旅装を解かず」

「拝復 Dr.T様_旅装を解かず」 おはようございます。 返信されたメールを見失い、たいへん遅ればせながらも…。 琵琶湖での舟遊びは、来週の、また再来週の 水・木曜日を逸すると、今シーズンは絶望的かと思っています。旅装を解かずに、天気とにらめっこしています。防寒着については、「モンベル 豊橋店」さんで適当に見繕ってもらいました。 雪の降りしきる、雪の降り敷く湖北の地を夢見ています。列車を乗り継いでの旅の予定です。 FROM HONDA WITH LOVE.

「令成元年 秋空の下_覚書き」

淡青色に染まった狭霧に包まれ、 満々と水を湛えた 朝ぼらけの 琵琶湖のある風景は、殊に美しかった。 2019/10/23 ◇ 奈良県桜井市 聖林寺「十一面観音」 はじめての拝観だった。高邁な御姿を、畏まり仰ぎ見ていた。繊美な指の表情に目を凝らしていた。 ◇ 奈良県奈良市五条町 唐招提寺 「天平の甍」を望み、「鑑真大和上御身代り像」に見え、「鑑真和上御廟」で合掌した。 2019/10/24 ◇ 滋賀県長浜市高月町 渡岸寺「十一面観音」 今春来の再会だった。去り難く名残は尽きなかった。 ◇ 滋賀県長浜市国友町 「国友鉄砲の里資料館」 いまも変わらぬ国友の町の心意気を感じた。清潔な町だった。司馬遼太郎の『街道をゆく 24』で知った。

TWEET「とんだお笑い種」

「(父が死んだ際には)相続税を納めることができるかどうか、楽しみにしています」 と、先日塾生の父兄から誠に有難いお言葉をいただき、世の中にはずいぶんいろいろな楽しみがあるものだ、と感心しきりでした。 「存分にお楽しみください」 としか申し上げようがなく、もし納めることができないようでしたら、とんだお笑い種ですが、それはそれでいっこうに構わず、と観念しております。鴻鵠の心延えは、私の如き燕雀には理解し難く、以来秋思に暮れております。 「小鳥のさえずり」が続きます。

TWEET「大特集 富士山_登拝,遥拝」

◇ 『山と溪谷 2019 No.1015 11』山と溪谷社 の、「大特集 富士山」におおよそ目を通した。 「大特集」だった。 「登拝(とはい)」,「遥拝」という言葉を知った。「登拝」はとうていかなわないとしても、P教授から招待券をいただいた、「白洲正子のライフスタイル 暮らしの遊(すさ)び展」の往復には、車窓から、ぜひ「遥拝」したいものである。 以下、 TWEET「大特集 富士山」 です。

TWEET「見透かされる」

「楽天市場」の「売れ筋アイテムランキング」を見るとはなしに見ていると、 ◇ 本間順治『日本刀』岩波新書 が目に留まった。今月「復刊」されたばかりの新書である。早速注文した。   京都国立博物館で、 「 京(みやこ)のかたな 匠のわざと雅のこころ」展 を見たのは、 2018/10/12  のことだった。 「内容紹介」には、 「日本刀の研究にかけては当代随一であった著者が,その蘊蓄を傾け,基礎的知識を平易明快に説いた書.日本刀の歴史,特色,鍛錬,研磨,鑑定,取扱い,保存まで多岐にわたり解説,国宝・名物等にも論及.1939年刊.」 とある。  また、 「 京(みやこ)のかたな」展  前後には、井筒俊彦の著作に耽っていたが、そうこうしているうちに、 ◇  若松英輔 (編集)『井筒俊彦ざんまい』慶應義塾大学出版会 を Amazon が提示してきた。こちらは 2019/10/12 に発売されたばかりの新刊である。好悪の別はさておき、Amazon さんの演出は心憎く、見透かされ、いつも痛いところをついてくる。  秋の読書週間 事始め、とします。 以下、 「前略 H君へ_やはり気になるのは、東大・仏文科です」

TWEET「楽譜が大事と思いたい」

 伯父の通夜式、告別式を通じ、経を音曲を聞くように聞いていた。音曲に人品が反映されないはずは なく、終始意地悪な、場違いなことばかり考えていた。  「楽譜」か「演奏」か。「楽譜」が大事と思いたい。

TWEET「私は貝になりたい」

◇ 白洲正子『西行』新潮文庫  の帯には、 能あるものは、 そっと黙っていよ。 -----ゲーテ と記されていますが、能なき私は…。 「とかくに、人の世は住みにくい」 「人の世」が「住みにく」ければ、「人で無し 」として生きる他ないだろう、と諦めた。 「 三十六計逃げるに如かず」 固く口を閉ざし、雲隠れすることに決めた。 一人がいい一人でいい。

TWEET「ご破算」

  伯父が急逝し、テスト明けの 近江・奈良大和路への旅がご破算になりました。旅路で訃報に接することを思えば、と納得しています。  冥福を祈るばかりです。

TWEET「大特集 富士山」

予約しておいた、 ◇ 『山と溪谷 2019 No.1015 11』山と溪谷社 が昨日届いた。 「大特集 富士山」 「富士山」の「大特集」とあらば、読まねば日本人の沽券に関わると大仰なことを思い、予約した。何項かに目を通した。以降が楽しみである。  そして、これを呼び水に、「信仰の対象と芸術の源泉」である霊峰について思いを巡らせ、裾野を広げたいと思っている。  私には「新春特別号」のように思えてならない。

「拝復 P教授様_吹く風も野分めいて」

お心づかいに感謝しております。 郵送していただいた、「白洲正子のライフスタイル 暮らしの遊(すさ)び展」の「招待券」を無駄にしないようにと、カレンダーとにらめっこしております。 上京のときがきたようです。 どうもありがとうございました。 小林秀雄の読み書きが、いつしか白洲正子の読み書きに化けてしまいました。 「吹く風も野分め」く候、くれぐれもご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE.

TWEET「テスト明けに_聖林寺 十一面観音像」

週末には、近江、奈良大和路へと思っている。脈絡のない乱雑な旅です。 「聖林寺から観音堂へ」 白洲正子『十一面観音巡礼』講談社文芸文庫  はじめて聖林寺をおとずれたのは、昭和七、八年のことである。当時は今とちがって、便利な参考書も案内書もなく、和辻哲郎氏の『古寺巡礼』が唯一の頼りであった。写真は飛鳥園の先代、小川晴暘氏が担当していた。特に聖林寺の十一面観音は美しく、「流るる如く自由な、さうして均衡を失わない、快いリズムを投げかけてゐる」という和辻氏の描写を、そのまま絵にしたような作品であった。聖林寺へ行ったのは、それを見て間もなくの事だったと記憶している。 (中略) お寺へ行けばわかると思い、爪先上りに登って行くと、ささやかなお堂につき当った。門前には美しいしだれ桜が、今を盛りと咲き乱れていた。  案内を乞うと、年とったお坊さまが出て来られた。十一面観音を拝観したいというと、黙って本堂の方へ連れて行って下さる。本堂といっても、ふつうの座敷を直したもので、暗闇の中に、大きな白いお地蔵さんが、座っていた。「これが本尊だから、お参り下さい」といわれ、拝んでいる間に、お坊さまは雨戸をあけてくださった。さしこんで来るほのかな光の中に、浮び出た観音の姿を私は忘れることが出来ない。それは今この世に生まれ出たという感じに、ゆらめきながら現れたのであった。その後何回も見ているのに、あの感動は二度と味えない。世の中にこんな美しいものがあるのかと、私はただ茫然とみとれていた。(7-8頁)  十一面観音は、三輪神社の神宮寺に祀ってあったのを、明治の廃仏毀釈の際に、ここへ移されたと聞いている。住職は当時のことをよく覚えていられた。発見したのはフェノロサで、天平時代の名作が、神宮寺の縁の下に捨ててあったのを見て、先代の住職と相談の上、聖林寺へ移すことにきめたという。その時住職は未だ小僧さんで(たしか十二歳と聞いた)、荷車の後押しをし、聖林寺の坂道を登るのに骨が折れたといわれた。三輪には、観音様といっしょに、地蔵菩薩も祀ってあり、一旦はここに移したが、聖林寺には本尊がいられるので、そちらの方は先代住職の兄弟弟子がひきうけ、法隆寺へ移転した。 (中略)  住職は、フェノロサのこともはっきり覚えていられた。穏やかなおじいさんで、観音様を移した時

TWEET「台風19号_問題の風です」

〈18:32〉 雨が上がり、風が出ました。問題は風です。屋根瓦が飛ばされないことを祈っています。

「前略 H君へ_野分見舞いです」

おはようございます。 都は今年 台風の当たり年ですね。都人 一年目の試練ですね。 台風の影響でこの三連休に、試験対策の授業ができずに弱っています。天災には勝てるはずもなく、受験生さえ仕上がれば、と腹をくくっています。 ラグビーはいいですね。やはり英国発祥のスポーツに限りますね。これを機に、米国とサヨナラしてはいかがですか!? では、では。 台風接近中にて、くれぐれもご用心ください。 FROM HONDA WITH LOVE. 追伸:ご返信ご不要です。ご心配ご無用です。 大学祭の中止はつらいですね。 台風にはいつも、肩透かしを食っていますので、いたって呑気にかまえています。いまマクドナルドで授業の準備をしています。 ご丁寧なご挨拶、どうもありがとうございました。 台風接近中にて、くれぐれもご用心ください。 FROM HONDA WITH LOVE. 以下、 「拝復 Dr.T様_対サモア戦後に」 です。

「そして,その翌々日には_仏の御手に抱かれて」

 そして、その翌々日には、途中、信長が鉄砲 500丁をあつらえたと伝えられる鉄砲鍛冶の町 国友を訪ね、湖北に位置する渡岸寺の観音さまを拝観しようと考えています。  あわよくば、観光船で竹生島へ、とも思っています。  旅の終わりには、伊吹 PA から伊吹山を望み、帰路につきます。  旅程といえばこれしきのことで、頼りなく、とはいつものことです。 「湖北の旅」 白洲正子『十一面観音巡礼』講談社文芸文庫  早春の湖北の空はつめたく、澄み切っていた。それでも琵琶湖の面には、もう春の気配がただよっていたが、長浜をすぎるあたりから、再び冬景色となり、雪に埋もれた田圃の中に、点々と稲架(はさ)が立っているのが目につく。その向うに伊吹山が、今日は珍しく雪の被衣(かずき)をぬいで、荒々しい素肌を中天にさらしている。南側から眺めるのとちがって、険しい表情を見せているのは、北国の烈風に堪えているのであろうか。やがて、右手の方に小谷山が見えて来て、高月から山側へ入ると、程なく渡岸寺の村である。  土地ではドガンジ、もしくはドウガンジと呼んでいるが、実は寺ではなく、ささやかなお堂の中に、村の人々が、貞観時代の美しい十一面観音をお守りしている。私がはじめて行った頃は、無住の寺で、よほど前からお願いしておかないと、拝観することも出来なかった。茫々とした草原の中に、雑木林を背景にして、うらぶれたお堂が建っていたことを思い出す。(265頁) 「伊吹の荒ぶる神」  白洲正子『近江山河抄』講談社文芸文庫  近江に十一面観音が多いことは、鈴鹿を歩いた時にも気がついたが、特に伊吹山から湖北へかけては、名作がたくさん残っている。中でも渡岸寺の十一面観音は、貞観時代のひときわ優れた檀像で、それについては多くの方々が書いていられる。こういう観音に共通しているのは、村の人々によって丁重に祀られていることで、彼らの努力によって、最近渡岸寺には収蔵庫も出来た。が、私がはじめて行った時は、ささやかなお堂の中に安置されており、索漠とした湖北の風景の中で、思いもかけず美しい観音に接した時は、ほんとうに仏にまみえるという心地がした。ことに美しいと思ったのはその後ろ姿で、流れるような衣紋のひだをなびかせつつ、わずかに腰をひねって歩み出そうとする動きには、何ともいえぬ魅力がある。十一面観音は

「寒露の今日_夢は枯れ野をかけ廻る」

「大和は 国のまほろば たたなづく 青垣山ごもれる 大和し 美し」  その翌日には、聖林寺の十一面観音菩薩像を拝観し、そして『天平の甍』を望み、あわよくば東大寺へと欲張りなことを考えています。 「聖林寺から観音堂へ」 白洲正子『十一面観音巡礼』講談社文芸文庫 はじめて聖林寺をおとずれたのは、昭和七、八年のことである。当時は今とちがって、便利な参考書も案内書もなく、和辻哲郎氏の『古寺巡礼』が唯一の頼りであった。写真は飛鳥園の先代、小川晴暘氏が担当していた。特に聖林寺の十一面観音は美しく、「流るる如く自由な、さうして均衡を失わない、快いリズムを投げかけてゐる」という和辻氏の描写を、そのまま絵にしたような作品であった。聖林寺へ行ったのは、それを見て間もなくの事だったと記憶している。 (中略) お寺へ行けばわかると思い、爪先上りに登って行くと、ささやかなお堂につき当った。門前には美しいしだれ桜が、今を盛りと咲き乱れていた。  案内を乞うと、年とったお坊さまが出て来られた。十一面観音を拝観したいというと、黙って本堂の方へ連れて行って下さる。本堂といっても、ふつうの座敷を直したもので、暗闇の中に、大きな白いお地蔵さんが、座っていた。「これが本尊だから、お参り下さい」といわれ、拝んでいる間に、お坊さまは雨戸をあけてくださった。さしこんで来るほのかな光の中に、浮び出た観音の姿を私は忘れることが出来ない。それは今この世に生まれ出たという感じに、ゆらめきながら現れたのであった。その後何回も見ているのに、あの感動は二度と味えない。世の中にこんな美しいものがあるのかと、私はただ茫然とみとれていた。(7-8頁) 白洲正子の叙事、叙情、情景描写には、やはり見入ってしまう。 井上靖『天平の甍』   平成九年三月に唐招提寺を訪れた季節、また 平成十四年二月に名古屋市博物館で開かれた  「 唐招堤寺金堂平成大修理記念『国宝 鑑真和上展』」 で 鑑真和上坐像を拝した季節のことが思い出されます。また、 奈良国立博物館『 国宝 鑑真和上展 唐招提寺金堂平成大修理記念 公式図録』が手元にあります。  井上博道『東大寺』中央公論社 で、毎月六日には戒壇院千手堂にて、「鑑真講式(がんじんこうしき)」の法会が行われていることを知りました。 「鑑真講式」については、

「拝復 Dr.T様_対サモア戦後に」

「RUGBY WORLD CUP JAPAN 2019」  地元愛知県出身の、姫野選手情報、どうもありがとうございました。  ホームの豊田スタジアムでの初トライ、見事でしたね。  昨日、NHKの朝7時のニュースを偶然に目にし、中日新聞の一面を読み、そして今朝、インターネットで検索し、姫野和樹選手について、おおよそのことを知りました。たいへんな選手ですね。 「五郎丸歩」vs.「廣瀬俊朗」、両雄の解説者対決は、慶應さんに分がありそうですね。 廣瀬俊朗の母校 大阪府立北野高校の昨年度の大学合格者数は、 東工大 4 東大 3 京大 72 大阪大 58 神戸大 42 と、はじめて目にしたその偏向具合に戸惑いを覚えています。 札幌_北見間の往復で、お疲れのことと拝察いたします。 くれぐれもご自愛ください。 ご丁寧なご返信、どうもありがとうございました。 FROM HONDA WITH LOVE. 追伸: 授業のため、スコットランド戦は観戦できません。私にとっては、時差 -3時間ほどの国での開催が適当です。

「上弦の月にこと寄せて」

明るい上弦の月が南の空にかかっている。 「あかあかやあかあかあかやあかあか(表記は「くの字点」です)やあかあかあかやあかあかや月」 「山のはにわれもいりなむ月もいれよなよな(表記は「くの字点」です)ごとにまた友とせむ」 明恵上人の歌です。縦書きで表記できないのが残念です。 また、 「名月や池をめぐりて夜もすがら」 芭蕉の句です。 「名月」とは「中秋の名月」をさすとのことですが。 如何せん如何せん。夜もすがら、如何せん。「名月」をいただいて、如何せん。

「白洲正子の本領_仲秋の名月」

明るい上弦の月が南の空にかかっている。 「ツキヨミの思想」 白洲正子『夕顔』新潮文庫 ただ詩歌の世界ではなくてはならぬ存在であり、月の運行、或いはその満ち欠けにによって、どれほど多くのことを我々の祖先は学んだか。古典文学だけではなく、日常の生活でも「十三夜」、「十五夜」は申すに及ばず、月を形容した言葉は枚挙にいとまもない。月を愛したことでは日本人にまさる人種はいないであろう。(234頁) 「幻の山荘 - 嵯峨の大覚寺」 白洲正子『私の古寺巡礼』講談社文芸文庫  いくつぐらいの時だったろうか、大沢の池に舟を浮べて、お月見をしたこともある。最近は仲秋の名月の夜に、鳴りもの入りで船遊びを行うと聞くが、そんな観光的な行事ではなく、極く少数の物好きが集まって、ささやかな月見の宴をひらいたのである。その夜のことは今でも忘れない。息をひそめて、月の出を待っていると、次第に東の空が明るくなり、双ヶ丘(ならびがおか)の方角から、大きな月がゆらめきながら現われた。阿弥陀様のようだと、子供心にも思った。やがて中天高く登るにしたがい、空も山も水も月の光にとけ入って、蒼い別世界の底深く沈んで行くような心地がした。ときどき西山のかなたで、夜鳥の叫ぶ声が聞えたことも、そのすき通った風景を、いっそう神秘的なものに見せた。(152頁)

TWEET「行方定めぬ 波枕」

 柿の枯葉がカラカラと音をたてて舞っていた。野分が残暑を一掃した。季節が巡った。  第三テスト(2019/10/16,17)明けには、琵琶湖で舟を浮かべようと思っている。水面に漂う木の葉でありたいと思っている。行方不明になろうと思っている。  その翌日には…。

「拝復 P教授様_宮沢賢治『なめとこ山の熊』」

「宮沢賢治の『なめとこ山の熊』は、マタギの第一級の資料です。」 「モンベル 豊橋店」で冬物のパンツを物色し、お隣のマクドナルドで遊び、つい今しがた帰宅しました。午睡後、「青空文庫」で 「なめとこ山の熊」 を読みます。久しぶりの宮沢賢治です。  彼らは死に対して鷹揚だった。小十郎と「なめとこ山の熊」たちにとって、死は観念ではなかった。殊更なことではなく、彼らは従容として死を受容し、ときに彼ら は粛々と自らの命を捧げることさえ厭わなかった。  小十郎は「旦那」の前では終始卑屈であり、「旦那」は常に横柄だった。「旦那」は、暇に飽かせて生死(しょうじ)を弄び、生死に弄ばれている者たちの象徴ように思えてならならなかった。  それにつけても、掉尾の「なめとこ山の熊」たちによる野辺の送りは美しい。小十郎と「なめとこ山の熊」たちとのすべてを物語っている。  宮沢賢治の力量である。  読書中には、雑司ヶ谷の下宿を懐かしく思った。今思えば、学生時代の四畳半での読書は貴重だった。

「拝復 P教授様_河上肇『老後無事』」

「羨む人は世になくも、  われはひとりわれを羨む」 河上肇の「老後無事」という題名の詩ですが、所収の詩集を探しています。ご存知ありませんか。 満ち足りた、自足した者の詩(うた)ですね。早速 探してみます。 以下、古書です。お高いですね。 ◇ 『河上肇詩集』筑摩叢書 「青空文庫」にありました。 ◇  河上肇『閉戸閑詠』 「六月十九日」の日付があります。 以下、引用です。副産物です。蛇足です!? 茨木のり子『詩のこころを読む』岩波ジュニア新書 より。 河上肇「老後無事」 たとひ力は乏しくも 出し切ったと思ふこヽろの安けさよ。 捨て果てし身の なほもいのちのあるまヽに、 飢ゑ来ればすなはち食ひ、 渇き来ればすなはち飲み、 疲れ去ればすなはち眠る。 古人いふ無事是れ貴人。 羨む人は世になくも、 われはひとりわれを羨む 岩波ジュニア新書『詩のこころを読む』(茨木のり子著)より  「アンタになんかアタシの気持ちわかんないよ、フン!」 と言われて、ムッとした経験を多くの人が持っていると思う。  私も一度、友達にそれを言ってしまったことがある。もう何年も前のことなのだが、 友達はそれをずっと悲しんでいたけれど、私はそれを口にしたこと自体、忘れていた。 そのことを友達から伝えられてもやっぱり思い出せず、 「そういや、そんなこともあったような気がする。」 と思った。 その頃、いろいろと落ち込んでいたのを表に出さないようにしていたのに、 私の普段の振る舞いを友達に「乱暴である」と指摘されて切なかった。  私と友人では環境が違うので、悩んでみせるのも悪いかと、言いかけた愚痴を途中で止めた。 どうしたのかと聞く友達に、私は、 「あなたにはわからないからいいわ。」 と一言つぶやいた。それが友達の胸には重く沈んだ。  人はそれぞれの社会的背景や家族構成を持っている。 自分にとっては今自分が居る環境が「普通」だから、その感覚で、他人を見ると、奇妙で、納得行かない。  どんな社会にもヒエラルヒー(階級組織)がある。図にすると、それは三角形で、 下の階層ほど人口が多く、頂点はまさしく「点」なのだ。生きていく前提として、 人は先ず不平等に生まれる。世の中に、完全な横並び社会は存在しない。  こういう書き方をすると差別肯定論