投稿

8月, 2015の投稿を表示しています

志條みよ子「陸沈」(You Tube)

Amazon を通じて注文した古書が二冊届きました。こんなことになろうとは夢夢思ってもみませんでした。散逸してしまった書籍を恨めしく思っています。 『青山二郎の眼 』別冊太陽 日本のこころ 87 (94-97頁) 志條みよ子「陸沈 - なめくじ横丁・酒場梟(ふくろう)にて」 「小林秀雄最後の対談」(音声ファイル) 小林秀雄さんと河上徹太郎さんとの「歴史について」の対談です。 2013年4月14日 asahi.com で、「小林秀雄・河上徹太郎、最後の対談の音源初公開」の記事を読み、すぐにP教授に連絡するとともに、『考える人』を、張り切って三冊購入しました。ぜひ、小林秀雄さんの生の声に触れてみてください。河上徹太郎さんを気づかう小林秀雄さんの声はとても温かです。 小林秀雄最後の対談「歴史について」考える人 2013年 05月号 新潮社 「小林秀雄最後の日々 その一」  今年は小林秀雄の生誕111年、没後30年の年にあたります。特集では、小林秀雄の「最後の対談」となった名対談をクローズアップしました。1979年7月、小林が亡くなる3年前に行われた対談で、相手を務めるのは60年来の盟友・河上徹太郎です。 河上 「お互いに告別式には出まい。どうせ、出てももう相手はいないのだから」 小林 「要するに思想上で交わっていれば、充分という、そういうことが、確かに君と僕との間に、いつの間にか出来ていた」  小林秀雄にとって河上徹太郎は、議論を闘わせるのにまたといない相手でした。本誌に再録したのは、「文學界」創刊500号記念のために行われた対談です。小林秀雄と河上徹太郎は「文學界」の創刊まもない時から同人として編集に関わるなど心血を注いできました。  さらに、今号ではテキストの再録にあわせて、対談音源を特別付録CDに収録しました。小林秀雄が自分が目を通していない講演や対談の速記類(音源はもちろんのこと)の公開を厳しく禁じていたことは有名です。今回は、両家ご遺族のご理解のもとに、特別に公開できる運びとなりました。  ヴァレリー、ドストエフスキー、ベルグソン論から、歴史小説のありかた、日本論、歴史や民主主義の捉え方について、ふたりの議論は次々と展開してゆきます。対談の現場は、どのような雰囲気だったのでしょう。対談の音源からは、主張が白熱していくなかにもふっと気を抜くやりとりがあるなど

シリーズ授業「高遠な理想と現実のはざまで」

シリーズ授業「高遠な理想と現実のはざまで」 下記、 「佐藤初女さん、こころのメッセージ」 より引用させていただきました。  佐藤初女さんは、青森県の弘前にお住まいで、岩木山の麓に「森のイスキア」という心と命を感じる施設を建て、そこを訪ねる方々を心のこもった料理でもてなしています。初女さんと森のイスキアは、映画「地球交響曲 第二番」で紹介されたことですっかり有名になりました。そして、全国からたくさんの人が、初女さんに会いにやって来るようになりました。  「初女さん伝説」とも呼べる数々のエピソードがあります。たとえば、初女さんの作ったおにぎりを食べたことで自殺を思いとどまった人がいます。見た目はのりで包まれた丸くて何の変哲もないおにぎりです。おにぎりの中身は梅干しですから、これもけっして特別のものではありません。握り方も、指先ではなく手のひらを使うということが彼女の特徴ですが、それほど特殊だとは思えません。  それでいて、なぜ、彼女のおにぎりを食べると生きる意欲がわいてくるのでしょうか。彼女とかかわった人が、それぞれ自分なりの解釈をしているわけですが、私なりには、おにぎりの中のご飯一粒一粒にまで心を配っている彼女のやさしさ、思いやりが、悩み傷ついた人に生きる意味を思い出させるのではないかと、解釈しています。  「おむすびを作るときは、お米の一粒一粒が息ができるようにと思って握ります」 初女さんの言葉です。 だから、ぎゅっとは握りません。お米が苦しくなってしまうからです。   一粒の米の命にさえ心を配る初女さんの思いが、おにぎりを通して、食べる人に伝わります。   一粒の米は、一人ひとりの人間に重ね合わせることができます。ともに取るに足らないちっぽけな命のように見えるけれども、こんなにも大切にしてくれる人がいると思うと、涙が出るほどうれしくなってきます。そして、「一粒の米が集まっておむすびになり、それを食べた人に生きる意欲と勇気を与えることができる」という感動的な話は、こんな自分でも何か役に立てるかもしれないという希望にもつながってきます。 子どもたちに佐藤初女さんの話をした後、 「あるったけの愛をこめて、僕がつくったおにぎりを食べると、心が軽くなったり、他人を思いやれるようになったり、礼儀正しくなったり、学ぶことが好きになり、おま

TWEET「長月によせて」

月が明けたら…。 ポータブル WIFI の環境を準備したいと思っています。これでどこでもすべての機器がインターネットにつながります。SIMフリーの2年間の縛りも解約手数料もかからない自由度の高いモバイルルーターを購入する予定でいます。クラウドの使い勝手がよくなり、これで今抱えている不満のほとんどが解消されます。 月が明けたら…。 発売前のまだ見ぬ  iPhone 6s でのテザリングの夢は早々に諦めて、第6世代の iPod touch を購入しデータ通信を行いたいと思っています。ガラパゴス携帯との二台持ちです。SIMフリーになったとはいえ、iPhone 6s の本体価格は高く、二の足を踏んでいました。iPhone 6s を買うならば MacBook を買った方が賢明かなと思っています 。 月が明けたら…。 恒例の大掃除に取りかかりたいと思っています。 月が明けても …。 覚めやらぬ夢の続きを見たいと思っています。 以上、私のささやかな「月が明けたら…」でした。

「小鮒釣りしかの川」

「小鮒釣りしかの川」からフナの姿がすっかり消えてしまいました。護岸工事が原因だという人もいれば、ブラックバスがフナを食べ尽くしたという人もいます。 真相は定かではありませんが、何らかの環境の変化によって、フナがいなくなったことだけは確かです。 フナを見かけなくなり、ニホンウナギが絶滅危惧種に指定され、命のにぎわいのない姿に変わっていく故郷の川を、やりきれない思いで見つめています。

小林秀雄講演「本居宣長」

『小林秀雄講演 第3巻―本居宣長』 [新潮CD] 「話し言葉の力」を駆使、 近代日本最高の知性が 心を満たす、うるおす。 深遠な思索と少年のような熱さ。 そして古今亭志ん生のような軽妙な語り口。 声を聞かなければ分からない、 文字では出会えない小林秀雄がここにいる。 何も申し上げることはありません。お聴きください。 小林秀雄の心地よい声で 、心も 体も満たされます。 『小林秀雄講演 第3巻―本居宣長』 [新潮CD] より。 小林秀雄講演「本居宣長」(音声ファイル)

「県内で甲子園に最も近い、とささやかれる女子高その実力」

「県内で甲子園に最もちかい、とささやかれる女子高とその実力」 参加数一八九校と全国最多の愛知県で、県内の並みいる強豪校を抑え、光ヶ丘女子高等学校が、甲子園に最も近いと噂されていることを耳にしました。 春の選抜、夏の選手権大会の開会式・閉会式の司会進行は、NHK杯全国高校放送コンテストのアナウンス部門・朗読部門の上位入賞者が担当します。詳細は下記のサイトをご覧になってください。 THP 熱闘!高校野球-甲子園を彩ってきた高校生たち 光ヶ丘女子高等学校は、2007年春の第79回選抜大会と2008年春の第80回選抜大会の開会式の司会進行を二年続けて務めています。 甲子園出場を目指して、光ヶ丘女子高等学校の放送部に卒塾生がお世話になりました。全国でたった一枚の切符を手にした者だけが甲子園に出場できるわけですから、それは体育会と見まがうばかりの練習量です。 NHK杯全国高校放送コンテストのアナウンス部門の録音を聞かせてもらう機会がありました。語尾がスー、スー、スーと消え入り聞き取れませんでした。これでいいんです、との返答でしたが、納得がいきませんでした。審査員の方々の世代によって評価が分かれるそうです。一昔前までは、腹話術師さんのような極力口を動かさない話し方が評価されたそうですが、今ではより自然な話し方が評価されるようになったとのことでした。 光ヶ丘女子高等学校の放送部の顧問をされている先生は、 「NHKの女性アナウンサーのスカートの丈の長さが短くなるにつれて、その実力は低下する傾向にあり、その質の低下を憂慮されている」 そうです。 「民放はどうでもいいけど、NHKにだけはちゃんとしてほしい」 と卒塾生は注文をつけていました。 最後になりましたが、 光ヶ丘女子高等学校・放送部の皆様方のさらなるご雄飛をお祈りしております。

「西江雅之という貴人」

西江雅之『マチョ・イネのアフリカ日記』新潮文庫  ジャズピアニストの山下洋輔さんは、西江雅之『マチョ・イネのアフリカ日記』新潮文庫 の 〈解説〉「西江さんの不思議な魅力」のなかで、 「いわく、あの人は三年間一度も風呂に入らない。地球上に存在する言語は全部理解できる。アフリカでは澄んだ水たまりの水は飲まない。バイキンも住めないほど毒かも知れないからだ。さらに、西江さんは子供の時はオオカミ少年で、二階からヒラヒラ飛び降りては野原を走り回り、トカゲやスズメやイヌやネコをつかまえて生のままむさぼり食っていた。等々、話を聞くたびに極端な知識人と極端な野蛮人が一緒になったようなイメージがあって、不思議な魅力を感じ続けてきた。  こういう人はつまり「哲人」なのだと勝手に決めて、だから、会う機会があるたびに何でもかんでも聞いてしまう。すると、ハナモゲラから明治維新まで西江さんは何でも答えてくれるのだ。」 西江雅之,平野威馬雄『貴人のティータイム』リブロポート 当代きっての「奇人」として知られる西江雅之先生と平野威馬雄さんのお二方は、対談集    西江雅之,平野威馬雄『貴人のティータイム』リブロポート のなかで、自分たちは「気品」高く生ているから、「奇人」ではなく「貴人」であると、仲睦しく意気投合していらっしゃいます。 また、山下洋輔さんは、 「現地調査の時にネズミを生齧りにしたなどという暴挙に、『よくバイキンにやられませんね』と言ったら、『それは気品の問題です』と答えた、どこかシャイでナイーブな西江さん像に重なる秘密かも知れない。」 と書かれています。 西江雅之『マチョ・イネのアフリカ日記』新潮文庫 二三八頁 この世の中は、「気品」あることこそがすべて、であることを学びました。 早大の三年次に西江雅之先生の「文化人類学」の講義を受講しました。講義はいつも恥じらいのある口調ではじまりましたが、時の経過とともにことばが疾走しはじめました。「エスノセントリズム」「エスノセントリック」という言葉をよく口にされました。 講義中に「南方熊楠」のお話をされたことがありました。西江雅之先生が師事されたいと思っている人物は「熊楠」である、とのお話であったように記憶しています。講義後には早速書店に向かいました。当然「文化人類学」の後の二

TWEET「自炊」

自炊がこれほど簡単にできるとは思ってもみませんでした。自炊の環境がこれほどまで 整っているとは考えてもみませんでした。 自炊することの利点はわかりますが、本を「積んでおく(積読)」ことと、電子化して「しまっておく」ことの間には、大きな違いがあると思います。 学生時代から自炊は苦手でした。長続きしませんでした。というわけで、目下 自炊は保留中です。 600冊以上の本を電子化した私が答える"自炊"Q&A「裁断・スキャンはどうやって?」「メリットは?」に答えます。

小林秀雄に「あいつだけは天才だ」と言わしめた男

白洲正子『いまなぜ青山二郎なのか』新潮文庫 『青山二郎の眼 』別冊太陽 日本のこころ 87 「俺は日本の文化を生きているのだ」が口癖だった男。あまりにも純粋な眼で、本物を見抜いた男。永井龍男、河上徹太郎、大岡昇平といった錚々たる昭和の文士たちの精神的支柱として「青山学院」と呼ばれた男。あいつだけは天才だ、と小林秀雄が嘆じた男。そして、かの白洲正子を白洲正子たらしめた男……。その伝説的な男の末弟子、韋駄天お正が見届けた、美を呑み尽した男の生と死。

Apple さんが楽しむ「カタカナ語の平板化」

「アクセントの平板化」とは、「若い人を中心に『彼氏』『美人』などの言葉が,昔とは違って平らなアクセントで発音される傾向」のことをいいます。 Apple さんのCMに登場する外来語のほとんどが平板化しています。私の目には、Apple さんが カタカナ語の平板化を楽しんでいるように映ります。新鮮でオシャレな響きは効果てき面です。Appleさんの、「平らにする」ことによって、「際立たせる」といった逆説めいた手法はみごとです。Apple さんが、「外来語の平板化」推進の先陣を切っていることは間違いのないところです。 国立国語研究所 「解説:アクセントの平板化」

「心意気」

それぞれは、それぞれに、それぞれで、 それぞれが、それぞれに、それぞれの春を謳う。 そんな子どもたちを感じていたいと思っています。 こんな教育を自分の内で膨らませたいと考えています。

TWEET「本末転倒 その二」

およそ時系列順に書きたかったタイトルが並んでいます。たくさんの「Coming soon.」があり、これでは本末が転倒しています。「Coming soon.」を埋めます。腰を据えて書くことにします。よろしくお願いいたします。

TWEET「ご盛況」

茂木健一郎 / 江村哲二『音楽を「考える」』_「究極の指揮者はふらない」 は、閲覧数が多いだろうなとは思っていましたが、予想をはるかに越えるご盛況ぶりに驚いております。

TWEET「ジョルジュ・ルオー」

 学生時代 テレビで、「ルオー展」のCMを観て、出光美術館に行きました。 何かに憑かれたようにして向かいました。  いいも悪いもありませんでした。そんなおしゃべりはどうでもよく、ただ見入っていました。  そして、2006年の春、思いもかけず、名古屋市美術館で「ルオー」と再会しました。

「とにかく一ケタ違った本多勝一」

「四ケタで点を打つ運動」 ( 158-160頁) 本多勝一『しゃがむ姿勢はカッコ悪いか?』朝日文庫 「ここでとりあげる『数字表記の際の点(コンマ)の打ち方』もまた、明白に不合理なまま強引な “慣習 ”として 一般化を押しつけられている例であろう。」 「たとえば 100,000,000 という数字表記を見て、もし一目で読める日本人がいれば、それは銀行マンや会計係のような、こういう表記になれた特別な職業の人とみてよいだろう。普通の人は、いちいちマルを数えないとわかりにくい。これでは何のために点を打ったのかわからなくなる。」 「なぜか。日本語は四ケタごとに(万、億、兆と)呼称単位が変わる万進法だからである。 」 「◆ 123,4567,8912,3456 例えば、「四ケタずつ」に区切られた上記の数字は、「123 兆  4567 億  8912 万  3456」と簡単に読むことができます。」 「なお、欧米は三ケタごとに「thousand(1,000)」,「million(1,000,000)」,「billion(1,000,000,000)」と呼称単位が変わる「千進法」ですから、「三ケタずつ」に区切られた下記の数字は、 ◆12,345,678,912 「12 billion 345 million 678 thousand 912」 と容易に読むことができます。」 「遠山啓(ひらく)氏(数学者)の言葉を借りれば、(中略)日本語は四ケタでないと不合理だし、使いにくい。三ケタ区切りは明治の欧化政策で直輸入したまま一般化したもので,物まねの典型といえます。」 「『植民地的三ケタ法』とも『 植民地的愚挙』とまでもいっています。」 ◆ 2015/08/15 本多勝一の著作で、いま私の手元にあるのは、 ◇『日本語の作文技術』朝日文庫 ◇『山を考える』朝日文庫 ◇『カナダ=エスキモー』朝日文庫 ◇『植村直己の冒険』朝日文庫 ◇『北海道探検記』集英社文庫 の五冊の文庫本だけです。  では、私は「日本語の四ケタ区切り」について、どこで知ったのでしょうか。  いまのこの時代、記憶の断片さえあれば調べがつきますね。ひと昔前では考えられなかったことです。有り難い時代ですね。

シリーズ授業「生徒数二人は適切です」

ただ今、もどりました。体調ももどりつつあります。ご心配をおかけしました。 昨夜 中二生の二人の女の子とはじめて授業をしました。数学の「一次関数」と理科の「消化・吸収」の各分野を扱いました。 生徒数二人は適切です。二人はとても仲がよく申し分ありません。が、ただ時給に換算すると、悲惨です。労働基準法に抵触するかもしれません。 私の乱暴極まりない板書に、「何て読むんですか?」と何度か尋ねられました。その都度「慣れと訓練です」とお答えしておきました。 そのたびごとに解らないことは質問してくれましたので、だいじょうぶだと信じています。 二年ぶりにホワイトボードを使いました。表面がカサついていて滑りが悪く、はじめは書きづらかったのですが、授業が終わる頃にはいつもの滑らかな書き心地にもどりました。筆記用具には多少のこだわりをもっています。握りやすく滑らかな書き心地のものがいいですね。普段はステッドラーの2mmの芯ホルダーに4Bの芯を入れて使っています。

TWEET「秋思」

秋思に耽るために一日お休みをいただくことにいたしました。 閲覧者数を示す折れ線グラフがどんな動きをするのか、楽しみにしております。 明日の夕方には戻ってまいります。よろしくお願いいたします。 では、では。 ごきげんよう。

TWEET「秋愁」

昨夜ひどい下痢にみまわれ、げっそりしてしまいました。緊張の糸がとけ、体に力がなく、季節が一気に喧騒の夏から秋愁の頃に移ってしまいました 。あまりにも突然の、巡る季節の中で戸惑っています。

TWEET「作文」

  文章を書くうえで厄介なことは、文と文の接続と文末表現です。文末決定性は日本語の特徴ですので、当然といえば当然のことなのかもしれません。  初稿を書き終えるまでには、生みの苦しみがありますが、その後の推敲は苦になりません。推敲を繰り返すことによって、文章がすっきりしてきますので喜びがあります。が、推敲はキリのない作業です。どこかで見切りをつけざるをえません。  誤字脱字はハナからあきらめています。自分が書いた文章を自分一人で校正するのはどだい無理な話です。いたし方のないことです。

TWEET「青いトマト」

「あのトマトはまだ青い」 「信号が青なった」 日本人は「緑色」のことを「青色」と表現することが多いようです。 「緑のトマト」は違和感がありますね。「緑信号」は、ピンときませんよね。

鈴木孝夫『日本語と外国語』岩波新書_「緑のリンゴ」

鈴木孝夫『日本語と外国語』岩波新書 (28-33頁) 「真の国際理解を進める上で必読の、ことばについてのユニークな考察」 「ところが、リンゴといえば赤ではなく、緑と決まっている国があるのだ。その代表はフランスである。」 「よく日本人は、ある事物を形容するとき、《リンゴのような》とか《リンゴみたいに》という比喩を使う。いうまでもなく、それが意味するところは、何かが赤い、真赤だということである。」 「大変面白いことに、フランス語にも、まさに《リンゴのような》に当る comme une pomme という比喩がある。」 「フランス語には 《リンゴのように丸い》という意味の慣用句があって、 その用例としてヴィクトル・ユーゴーの作品から〈リンゴのような頬をした可愛い元気な男の子〉という文を引いている。したがって、 ここでの《リンゴのように》は、明らかに色(緑色)ではなく、事物(頰)の丸さを表現しているわけだ。」 (28-33頁)

貴人なるお二方 西江雅之先生と平野威馬雄氏が語る「南方熊楠という博覧強記の異人」

下記、 西江雅之,平野威馬雄『貴人のティータイム』リブロポート   よりの引用です。 ◇日本最大の「枠外の人」、南方熊楠 平野 ぼくの知っている学者、文学者を総くるめにして、南方熊楠(ミナカタクマクス)ほどの「枠外の人」はいませんね。 (148頁) ◇平野さん、南方熊楠に会う ◇南方熊楠の書庫 平野 (前略)だって書庫が三階建で、階段がなくて、ちょっとひっかけると上がれる梯子になってるんですよね。とにかく何千冊、何万冊の本ですよ。  奥さんが一緒について来て、どれでも一冊取ってごらんなさいって言うんで、抜いて見たら、その当時のぼくにはどこの国のことばかわからなかったけど、その本の欄外の余白に、アラビア語だかヘブライ語だかのことばで全部書き入れがしてあるんですよ。中国のことばも中国の字でもって朱書きがしてある。 (中略) 西江 本当にあの人は、さまざまな国の文献を持っていてそれにいちいち目を通していたらしいですね。うわさはうわさとしても、大英百科辞典を全部読む馬鹿はいない。だがそれを二回も読んだ奇人がいる。それが南方熊楠、、だとか神話伝説的な話も多い。 平野 平凡社の『南方熊楠全集』の中に、ところどころ英語やフランス語の論文が出てるけど、フランス語なんかうまいフランス語ですものね。あんな人はもうでませんね。(152-153頁) ◇南方熊楠の記憶力 西江 あの人のやり方は暗記ひとすじで、とにかく信じ難い暗記力ですね。ああいうタイプの人に、トロイの発掘をしたシュリーマンがいますが、シュリーマンなんかは外国語をやるとき、対訳本を入手して初めからその本一冊を丸暗記したらしい。 (154頁) 平野 (前略)そうしたら二晩がけでもって、ノートがなくなった日から半年後のその日までの、温度と天候と、したことをいっぺんに書いちゃったっていうんだな、記憶で。それは事実らしい。その話は奥さんに聞いたから。たいへんな記憶力ですよね、実際。 (156頁) ◇珍しい羞恥心 平野 あの人がグリニッジの天文台に行って、子午線の位置が違うと文句を言ったので、「南方熊楠によって子午線の場所を変えた」と彫ってあるそうですよ、南方熊楠二十六歳の時。 (157頁) 西江雅之,平野威馬雄『貴人のティータイム』リブロポート  

TWEET「アナウンス」

ブログは季節のもの、旬のものであることが、おぼろげながら解ってきましたので、「Coming soon.」に は書き終えた時点の「日時」を付させていただくことにします。よろしくお願いします。 ブログが「季節のもの、旬のもの」であるならば、走り続けるしかないということです。はたして無事 駆け抜けることができるのでしょうか。「?」です。

「どれみそら」への郷愁_阪田寛夫,工藤直子『どれみそら―書いて創って歌って聴いて』河出書房新社

阪田寛夫,工藤直子(聞き手)『どれみそら―書いて創って歌って聴いて』河出書房新社 ◇はじめに著書のご紹介です。 「『サッちゃん』をはじめ数々の名曲を生み出した著者が、音につつまれ、音楽を朋として歩んだ思い出や心の底を流れるドレミソラの響き、音の記憶を語りそして綴る。」 ●小さい頃、僕のまわりには「どれみそら」が飛びかっていた● 「また、小学校に入ってびっくりしたのは「あいうえお」を皆で音読したときです。」 「小学校に入ったら皆もう「あいうえお」を知ってて、五十音図を横にも言えるんです。しかも調子あわせて、みんなが突然(大阪弁で)うたいだした。♪あ・か・さ・タ・な・ハ・マ・や・ら・わ と。「た」で少し、「はま」でうんと高くなり、「な」と「わ」で下がる。「ドドドレラ.ソソドレラ.」って感じ。ちょっとついていけないなあと、子ども心に思いました(笑)。」 「こんなふうにあえて西洋の音階に翻訳してみると、みんな「ドレミソラ」の中のどれかを使っているんですね。」 「さっきの「あ・か・さ・タ・な…」なんかは、ぜいたくに四つも使っています。」 「子どもたちが遊び歌にフシをつけて歌うと、みんなこの五音(ドレミソラ)におさまります。ファとかシは、子どもの自然なフシまわしの中にはないみたいです。  いわば日本のわらべ歌の基本音というか。 (後略)」(八頁-十二頁) ●ドレミソラにファとシが加わると、ちょっと気取る● 「『かなりや』西条八十作詞・成田為三作曲(「赤い鳥」大正七年十一月)」 「そのあと突然、三拍子に変わって西洋風になります。で、♪月夜の海に浮かべればーァー、この「ァー」が、旋律(ふし)の中で初めて出てくるファの音なんですね。この部分を歌うと、なんか、ちょっとすまして表情まで気取ってくる(笑)。」(八頁-十二頁) ◇私にとって、芸術の世界にお住まいの方々のお話は、いつも新鮮な驚きに満ちています。 ◇團伊玖磨『パイプのけむり』朝日新聞社 が書きかけのままになっています。申し訳なく思っております。團伊玖磨さんからもたくさんのことを教えていただきました。

TWEET「いくつかの記憶の断片」

今の時代、いくつかの記憶の断片さえあれば容易に調べがつきます。一昔前では考えられなかったことです。有り難い時代です。 Google さんは「世界中のすべての情報を整理する」と言っています。常時 およそ30万台のコンピュータが稼動しているそうです。頼もしいですね。有り難いですね。

西江雅之「世界ことば巡り」、「ランボーが見つけたものを探して。」

西江雅之先生の書かれた貴重な文章と出会うことができました。一つは三省堂さんの「ことばパティオ」、もう一つはゆうちょ銀行さんご提供の「LETTER for LINKS」によるものです。 連載 「世界ことば巡り」(全12回) 西江雅之 西江雅之「ランボーが見つけたものを、探して。」

TWEET「慶祝!ご来塾!!」

先週の金曜日の夜、中二生の女の子がお母さんと一緒に体験入学にいらっしゃいました 。HPを見てやって来たはじめての子です。関西ご出身のすてきなお母さんでした。終始 僕のことを不思議そうな顔をして眺めていらっしゃいました。すっかり檻の中の動物にされてしまいました。およそ二時間 三人で仲良くお話していました。「貴重な体験」入学だったことと思っています。

「ええんや、ええんやで!!」

 湖北はもう晩秋の装いでした。  琵琶湖への釣行の夜、長浜港の観光船乗り場の駐車場に車を駐め、エンジンをかけっぱなしにして、暖房を入れ、一人車中で寝ていると、 深更、 「コツコツ、コツコツコツ」 とウィンドウガラスをノックする音に目を覚ましました。  寝ぼけ眼で外を見やると、警察手帳の身分証明書の頁をこちら向きに差し出した警察官の方と目が合いました。 「まずかったかな」と思い、窓を開け、 「ここに車を駐めてはいけませんでしたか」 と私はたずねました。 すると、 「ええんや、ええんやで!!」 という意外なことばが返ってきました。 はじめて聴く関西弁でした。あたたかく、包容力があり、優しさに包まれたことばでした。  排気ガスを車内引き込んで自死しているかもしれない、と思われたのだと思います。  安堵の気持ちのいっぱいにつまった「ことば」でした。 私には、生きているだけで「ええんや、ええんやで!!」に聞こえました。

TWEET「二つ愛の行方」

今日 ブログ上で「二つの愛」をお届けしました。 「愛」に寄せる皆様の関心の高さに目をみはっています。 今後も、精一杯の「愛」をお届けしたいと考えております。

『田沼武能写真集 ぼくたち地球っこ』_「神はまだ人間に失望していない」

イメージ
田沼さんは、『田沼武能写真集 ぼくたち地球っこ』の「あとがき」を、タゴールの言葉で結んでいらっしゃいます。 「子どもたちはみな「神はまだ人間に失望していない」というメッセージを神さまからもらい、この世に生まれてきた。」                           ラビーン ドラーナ・タゴール 田沼武能『 田沼武能写真集 ぼく たち 地球っこ』朝日新聞出版

向田邦子「神は細部に宿りたもう」

「ゆでたまご」 向田邦子『男どき女どき』新潮文庫  私にとって愛は、ぬくもりです。小さな勇気であり、やむにやまれぬ自然の衝動です。「神は細部に宿りたもう」ということばがあると聞きましたが、私にとっての愛のイメージは、このとおり「小さな部分」なのです。 芥川龍之介 「 人生を幸福にするためには、日常の 些事を 愛さなければならぬ。」 以下、ご参考まで。 ◇向田邦子『父の詫び状』文春文庫 ◇向田邦子『あ・うん』文春文庫 ◇向田邦子『無名仮名人名簿』文春文庫 ◇向田邦子『霊長類ヒト科動物図鑑』文春文庫 ◇向田邦子『向田邦子ふたたび』文春文庫 ◇向田邦子『眠る盃』講談社文庫 ◇向田邦子『男どき女どき』新潮文庫 ◆向田邦子「言葉が怖い 新潮CD 講演」新潮社

向田邦子「私にとって愛は、ぬくもりです」

「ゆでたまご」 向田邦子『男どき女どき』新潮文庫  私にとって愛は、ぬくもりです。小さな勇気であり、やむにやまれぬ自然の衝動です。「神は細部に宿りたもう」ということばがあると聞きましたが、私にとっての愛のイメージは、このとおり「小さな部分」なのです。 芥川龍之介 「 人生を幸福にするためには、日常の 些事を 愛さなければならぬ。」 以下、ご参考まで。 ◇ 向田邦子『父の詫び状』文春文庫 ◇ 向田邦子『あ・うん』文春文庫 ◇ 向田邦子『無名仮名人名簿』文春文庫 ◇ 向田邦子『霊長類ヒト科動物図鑑』文春文庫 ◇ 向田邦子『向田邦子ふたたび』文春文庫 ◇ 向田邦子『眠る盃』講談社文庫 ◇ 向田邦子『男どき女どき』新潮文庫 ◆ 向田邦子「言葉が怖い 新潮CD 講演」新潮社

「いつかお父さまはおっしゃられた」

イメージ
「いつかお父さまはおっしゃられた、 誰かを愛することの唯一の理由は、理由がないということだと。」 シェイクスピアの言葉です。 田沼武能さんの、 『ぼくたち地球っこ ― 田沼武能写真集』朝日新聞出版(1985/06 出版) で知りました。 田沼武能『田沼武能写真集 ぼくたち 地球っこ』朝日新聞社   学生時代にデパートで催されていた写真展を見にいきました。その会場にいた人たちは皆穏やかな表情をしていました。  私の独断と偏見で「福田恆存さんの訳」の一部を改変しました。  福田恆存さんは、 「いつかお父さんはおっしゃった、誰かを愛する唯一の理由は、理由が無いという事だと。」 と訳していらっしゃいます。

「自分を釣る」

何度か自分を釣ったことがあります。何度か自分を釣ったのを見かけたことがあります。 時には魚の痛みを知るのもいいことですが、鈎がカエシの部分まで入っているのを見ると泣けてきます。プライヤーでつかみ一気にひき抜けばいいことはわかっているのですが、女々しい私にはそれができません。 プライヤーで恐る恐る鈎を持ち上げるとそれにつれて皮膚が盛り上がってきます。鈎のカエシと皮膚の引っぱり合いっこを、力を加減しながら、息を詰め、痛みに耐えながら、顔をゆがめて見つめています。鈎が外れる時にはイヤな音がします。イヤな感触が手に伝わってきます。 くるぶしの周りに 三本のキスバリが 刺さったことがありました。小さなキスバリのことですから、容易に抜けるかと思いましたが、そうはいきませんでした。満身に創痍を負ったような凄惨な結果になりました。 中一生の男の子のひとさし指の腹にハゼバリが刺さったことがありました。自分で抜こうかとも思いましたが、病院で抜いていただくことにしました。一部始終を見学していた私は、釣りバリの扱いに不慣れな先生の手さばきに、「代わりましょうか」という言葉をかけたくなりました。五千円近くの治療費がかかりました。 魚体への、また自分へのダメージを少なくするために、今ではカエシのない、カエシをつぶした(バーブレスの)鈎を使うようにしています。イカリの形をした三本バリ(トレブルフック、トリプルフック)ではなくシングルフックを使うように心がけています。 釣りの醍醐味は、意のままに釣ることだと心得ています。大物が欲しいとはゆめゆめ思っていませんが、時おり大物がかかり、泣くハメになります。

阿佐田哲也『麻雀放浪記』角川文庫

有り金を使い果たし、土地も屋敷も手放し、最後に「最愛の妻」を賭けた博徒の、妻への比類なき愛がわかりますか? 万事に窮し、万策尽きた末に、「最愛の妻」を賭けることを選んだ、博徒の哀切を理解できますか? 博徒の妻としての冥利を思うことができますか? 「覚悟もなく生半可な気持ちでギャンブルに手を出すことはやめた方がいいと思う」と、私は子どもたちに言っています。 「真剣勝負」です。「一所懸命」ということです。武士の世界です。侍の世界です。 阿佐田哲也『麻雀放浪記』角川文庫 追伸: 驚くことに、パチンコ業界の収益は、自動車業界のそれを上回っているとのことです。

「1 / 年齢」という数式

一年が過ぎるのはあっという間ですね。今年も早八か月が過ぎ去ろうとしています。歳を重ねるごとに早く感じられるようになってきます。 「1 / 年齢」という数式 は、各年齢によって一年をどれくらいの時間に感じるか、という体感時間を表したものです。もちろん私の思いつきではありません。今となっては典拠はわかりませんが、以下、文章として書かれていたものを数式にしてみました。 3歳児は、一年を1/3年(1年/3歳=1/3年)と感じています。3歳児にして早くも1年を4か月と感じるのですから恐ろしくなります。 40歳の人は、1/40年(1年/40歳=1/40年)。日数に換算すると9.125日になります。 60歳の人は6.1日。80歳の人は4.56日になります。 ちなみに私の場合は、一年が 6.76日の速さで疾走しています。余命は幾ばくもなく、数か月 です。あせります。あわてています。 0歳児は無限の時間を過ごしていることになります。無限の時間を生きている0歳児は、すてきです。「詩の中の住人」です。 追伸:「体感年齢」は「年齢」に反比例しています。双曲線のグラフを頭に描くと、恐ろしい世界ですね。

「教育実習の思い出」_紡木たく『瞬きもせず』集英社

紡木たく 『瞬きもせず』集英社 母校の中学校での教育実習の最終日に、金田いさむ君からいただいた思い出の品です。 学生時代の一番の友人は、紡木たくさんの書かれた『瞬きもせず』を、「向田邦子さんのコミック版」と絶賛していました。 中学校の先生方は、やんちゃな「いさむとその愉快な仲間たち」に手をやかれていました。「いさむとその愉快な仲間たち」は休み時間になるときまって実習生の控え室に遊びにやってきました。そして、私は休み時間に彼らと話すのを楽しみにしていました。が、それもほどなく禁じられてしまいました。 「本多先生に道徳の授業をしてもらいたい」とお願いされましたが、「僕は道徳的な人間ではありませんので、僕には道徳の授業はできません」と丁重にお断りしました。 To be continued. 観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日(ひとひ)我には一生(ひとよ)        栗木京子

はじめての「ハゼング」_「黙して語れず」編です。

今 Google と Yahoo! の検索エンジンで「ハゼング」を検索してみました。すると、なんとトップの座を占めていました。まさかこんなことになっているとはつゆ知らず…。 ◇「実釣経験ナシ」ですので、お知りおきください。 ◇「手ほどき」はいたしかねますので、お知りおきください。 「ハゼング」が呼び水となって、他のブログにもお立ち寄りいただくことを願ってやみません。 好機到来ですから「ハゼング」で釣ることを真剣に考えています。 ルアーの種類やタックル等々を含めた「釣果報告」は後ほどさせていただきます。 今回の釣りに限りましては「キャッチ」しても決して「リリース」することはいたしません。悪しからず!! 下記、「ハゼング」です。 「ハゼング」 以下、「ハゼング_TACKLE編」です。 「ハゼング_TACKLE編」

はじめての「ハゼング」_台風情報編です。

釣行予定日の 2014/08/25(火)には、台風15号が当地域に最接近しそうです。 大水が出るとハゼは海に下ってしまいます。濁りがとれ、晴れた日が何日か続くと、上げ潮に乗って「城海津界隈」までハゼが上ってきます。 九月の中旬以降に大水が出て、水温が一気に下がると、ハゼは海に下り、再び遡上することはなく、当地での「夏ハゼ」シーズンは幕を閉じます。 一昔前までは、ハゼの上ってくる水脈には、たくさんの網がかけられていましたので、ポイントは一目瞭然でした。網の入り口付近で釣りをすれば間違いありませんでした。獲れた「夏ハゼ」は甘露煮にされ、おせち料理として供されていました。 「ハゼング」の流行によって、釣ったハゼをリリースするのが当たり前の時代がくるのでしょうか。 下記、「ハゼング」です。 「ハゼング」 以下、「ハゼング_TACKLE編」です。 「ハゼング_TACKLE編」

「処暑の日に思う」

イメージ
2015/08/03 から本格的にブログを書きはじめ、20日ほどが経ちました。 「統計」を見て、一人もの思いにふけっています。 ブログは、 ◇「タイトル」が先なんですか、それとも「文章」が先なんですか? ◇「内容」で読むんですか、それとも「文」で読ませるんですか? ◇旬のブログばかりが読まれ、トウの立ったブログはふり返られることもなく埋もれていってしまうんですか? ◇「アメリカ合衆国」での閲覧者数が異様に多いのはどう考えればいいんでしょうか? ◇「ハゼング」がトップとは、解せないんですが…。 ◇ 「サヨナラ」 をもっと多くの人に読んでいただくためにはどうすればいいんでしょうか? ◇こんなにも多くの「Coming soon.」を抱えて、私はこの先いったいどうすればいいんでしょうか? ◇ 「 To write or not to write that is the question. 」By  stray sheep ……… ……… ……… 「白露」に向かって試行錯誤を繰り返します。 最後に、繰り返しになりますが、 「求めれば誰もが表現する場を見つけることができる今の時代を有り難く思っております」。 不健康で非社会的な生活すると元気になります。 「2015-08-23_月間の閲覧者数」 「2015-08-23_全期間の閲覧者」 追伸:殊更に「ベルギー」と「ルーマニア」にお住まいの方々を大切に思っております。