白洲正子「なんという転倒、なんという気宇」

「ぜいたくなたのしみ」
白洲正子,牧山桂子 ほか『白洲正子と歩く京都』新潮社
 この春はお花見に京都へ行った。あわよくば吉野まで足をのばしたいと思っていた。ところが京都へ着いてみると、ーー私はいつもそうなのだが、とたんにのんびりして、外へ出るのも億劫になり、昼は寝て夜は友達と遊んですぎてしまった。花など一つも見なかったのであるが、お天気のいい日、床の中でうつらうつらしながら、今頃、吉野は満開だろうなあ、花の寺のあたりもきれいだろう、などと想像している気持は、また格別であった。
「皆さん同じことどす」といって、宿のおかみさんは笑っていた。二、三日前には久保田万太郎さん、その前日は小林秀雄さんが泊っていて、皆さんお花見を志しながら、昼寝に終ったというのである。
 京都に住むHという友人などもっとひどい。庭に桜の大木があるが、毎年花びらが散るのを見て、咲いたことを知るという。千年の昔から桜を愛し、桜を眺めつづけた私たちにはこんなたのしみ方もあるのだ。お花見は見渡すかぎり満開の、桜並木に限らないのである。(「お花見」より抜粋)(70頁)

花に誘われ京へ、そして木も見ず森も見ず、「皆さん同じことどす」と、昼寝を決めこむとは、なんという転倒、なんという気宇。飛び抜けていて、すてきです。