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「伊勢・熊野_巡拝の道行き」

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2026/05/10 ◇「椰子の実」歌碑 「歌碑」には、島崎藤村の「椰子の実」の詩が刻まれていた。 「椰子の実」歌碑 (拡大してご覧ください)  また裏面には、その由来が刻まれていた。 「明治三十年の夏 伊良湖に 逗 畄 (留)した 柳田國男氏が この 磯に 漂着した 椰子の実 を拾い 東京に持ち帰り 親友 島崎藤村氏に 見せて この 詩が 生れたことは 昭和二十七年十月 柳田氏の 随筆 海上の道で 明かにされたものである。         昭和三十六年 陽春         記念のため これを 建てる 昭和三十六年 丑之歳 陽春 建立」  さらに作曲者「大中寅ニの碑」があった。 「椰子の実」は、佐々木信綱作詞の「夏は来ぬ」とともに、私にとって大切な歌である。土居裕子さんの歌で聞いている。 ◇「伊良湖オーシャンリゾート(旧伊良湖ビューホテル)」 「ランチビュッフェ&日帰り入浴」  目の前には、太平洋、恋路ヶ浜(こいじがはま) が広がっていた。  その後 15:20 発の「 伊勢湾フェリー」で鳥羽に向かった。 潮風に吹かれ、船首波の綾なす彩りを見つめていた。   ◇「瀧原宮(たきはらのみや)」 「別宮」である。  夕闇迫るころ参拝した。 「御手洗場(みたらしば)」である、 「頓登川(どんとがわ)」 「頓登川」の清らかな谷川の水を しばし見つめていた。 ◇「道の駅 奥伊勢木つつ木館」 「瀧原宮」と目と鼻の先にある。  車中泊。 2026/05/11 ◇「瀧原宮」  今回 二度目の参拝だっだ。早朝の「瀧原宮」には人気がなく、清々しかった。 「瀧原宮 (たきはらのみや) 」,「瀧原竝宮(たきはらのならびのみや)」,「若宮神社」,「長由介(ながゆけ)神社(川島神社)」の「順にお参り下さい」と書かれた「立て札」が立っている。いずれもかわいらしいお社である。 「瀧原竝宮,瀧原宮」 「瀧原宮」 「瀧原宮」 司馬遼太郎『この国のかたち 五「神道」』文春文庫 「古神道というのは、真水(まみず)のようにすっきりとして平明である。  教義などはなく、ただその一角を清らかにしておけば、すでにそこに神が在(おわ)す。  例として、滝原の宮(瀧原宮)がいちばんいい。  滝原は、あ...

辰濃和男『文章の書き方 / 文章のみがき方』_内田百閒「そりゃ、あんたさん、死にもの狂いですぜ」5/5

10 渾身の力で取り組む 辰濃和男『文章のみがき方』岩波新書  「文章はいつも、水をかぶって、座りなおしてはじめる覚悟でいたい」 (串田孫一)  この串田の言葉は、一九五二年一月五日の日記のなかに出てきます。  まだ三十代のころの決意です。  亡くなった勝新太郎が中村玉緒とケンカをしたことがあります。玉緒がすごい形相になって摑みかかると、勝は即座にいったそうです。「おい、いまのその顔だ。その顔を忘れるな。いい顔だ」と。玉緒もつられて「はい」といってしまった、という話を聞きましたが、真偽のほどはわかりません。憤怒の形相も芸のこやしにしようというわけで、勝と玉緒の二人ならありえない話ではないと思いました。  不出来な絵ではあるけれど、その絵の対象になったものをことごとく愛している、と歌ったあと、石垣りんはこう書いています。  「不出来な私の過去のように / 下手ですが精一ぱい / 心をこめて描きました」  私はこの、最後の「下手ですが精一ぱい / 心をこめて描きました」というひかえめな表現が好きで、何度も読み返しては、この真摯な詩人が「精一ぱい」という以上、まことに精一ぱいだったのだろうと思い、文字をつらねるとはそういうことなのだと粛然とした気持ちになるのです。「下手ですが精一ぱい、心をこめて書く」。これ以外に修行の道はない、とさえ思うのです。  「内田百閒の信者」だと自称する随筆家、江國滋はこう書いています。  「あの名文をどんなふうにして書くのかと問われて百閒先生いわく。  『そりゃ、あんたさん、死にもの狂いですぜ』」  さらさらと一気に書いたように見える百閒の文章は、「死にもの狂い」の産物だったのです。  川端康成も、読み手がたじろぐような激しい言葉を使っています。  「文章の工夫もまた、作家にとつては、生命を的の『さしちがへ』である。決闘の場ともいへやうか」  川端は、「われわれの言はうとする事が、例へ何であつても、それを現はすためには一つの言葉しかない」というフローベルの言葉を引用し、そのためにも作家は、不断のそして測り知れぬ苦労を積み重ねるほかはないとも書き、文章の工夫は「決闘の場」だという激しい言葉を使っているのです。  いままで、「これ渾身」ということについて書いてきましたが、この言葉は、実は幸田文の文章から選びました。この人の初期の作品に『こんなこと...

辰濃和男『文章の書き方 / 文章のみがき方』_中野好夫「万古不易の翻訳論の名言」4/5

平明(2)ーー読む人の側に立つ 辰濃和男『文章の書き方』岩波新書 「よく引用されることですが、英文学者の中野好夫に「あんたのおばあさんが聞いてもわかるようにちゃんと訳してくれ」という言葉があります。教室で学生にいった言葉だそうです。英米文学者の佐伯彰一はこれを「万古不易の翻訳論の名言」といっています。」(105頁) 「万古不易の翻訳論の名言」を知ってしまったからには、使わない手はなく、早速 昨夜の授業から使わせていただいております。  最終的には、「あんたのおばあさんが聞いてもわかるようにちゃんと訳して」ほしいのですが、はじめから、「あんたのおばあさんが聞いてもわかるように」訳されるとちょっと困ります。単語や熟語の意味はわかっているのか、文法や文の成り立ちを理解したうえでの訳なのかが、こちらに伝わってきません。  直訳からはじめています。ガチガチの英文解釈の授業をしています。そして最後に、「あんたのおばあさんが聞いてもわかるようにちゃんと訳してくれ」と言うことにしました。  英文和訳の問題を解く場合、私はこの英文をちゃんと理解していますよということを、採点者に示すために、「あんたのおばあさんが聞いてもわかるようにちゃんと訳」さない方がいい場合もあります。どのくらい「平明」な日本語にしたらいいのか、そのあたりは出題者とのかけ引きです。「あんたのおばあさんが聞いてもわかるようにちゃんと訳して」マルをくれれば一向に構わないのですが。

辰濃和男『文章の書き方 / 文章のみがき方』_食す 3/5

辰濃和男『文章の書き方』岩波新書  こんな文章があります。  「冬に深川の家へ遊びに行くと、三井さんは長火鉢に土鍋をかけ、大根を煮た。  土鍋の中には昆布を敷いたのみだが、厚く輪切りにした大根は、妻君の故郷からわざわざ取り寄せる尾張大根で、これを気長く煮る。  煮えあがるまでは、これも三井さん手製のイカの塩辛で酒をのむ。柚子(ゆず)の香りのする、うまい塩辛だった。  大根が煮あがる寸前に、三井老人は鍋の中へ少量の塩と酒を振り込む。  そして、大根を皿へ移し、醤油を二、三滴落としただけで口へ運ぶ。  大根を噛(か)んだ瞬間に、  『む…』  いかにもうまそうな唸り声をあげたものだが、若い私たちには、まだ、大根の味がわからなかった」  なんということはない。大根の輪切りにしたやつを煮るだけの話ですが、池波(正太郎)の手になると、煮あがったばかりの大根をすぐにでも食べてみたいという気になる。 (4-5頁) ーー味覚について。 『味に想う』の著者、角田房子は、好きな野菜はと聞かれたら「茄子とじゃがいも」と答える、と書いています。  夏の茄子には気に入った食べ方がある。  「まず光沢の美しい新鮮な茄子を選ぶ。料理の腕はないのだから、もっぱら材料のよさに頼る。茄子の皮にこまかく縦に切り目を入れ、茶筅(ちゃせん)茄子にして、昆布と鰹節のだしで火にかけ、醤油とごく少量のみりんで薄く味をつけて、鍋のまま冷蔵庫に入れる。翌日、すっかり冷えて、とろりといい色になった茄子に、おろし生姜を添えて食べる」   読んでいるうちに、私のような無精ものでも、一度やってみようかという気になります。味のことは、あまり律儀にくどくどと、うまさの中身を書くことはない。「とろりといい色になった茄子に、おろし生姜を」とあるだけで味が伝わってきます。  野菜の料理では、甘糟幸子の書いたものが好きです。こんな文章があります。 「のびすぎて大きくなっているタラ芽は二つか三つに割って、まだこぶしを開きかけたような若いものはそのままにして、衣をつけ、ゆっくりと揚げます。揚げたての熱いのにお塩を少しつけて食べると、ほっくりした豊かな歯ごたえと濃い味がして、木の芽というより、まだ名前を知らない動物の肉でも食べているような気がします」  タラの芽のてんぷらが目の前にちらついて、読みながら、自分も箸をのばしています。文章の力です...

辰濃和男『文章の書き方 / 文章のみがき方』_体言止め。簡潔と粗略は違います」2/5

辰濃和男『文章の書き方』岩波新書  ーーー体言止めについて。  「これも好みの問題ですが、私自身は体言止めの乱用を戒めています。 (中略)  体言止めや助詞止めは和歌や俳句に多いし、新聞の見出しや辞書の説明にも多い。散文にも体言止めの歴史があることは認めます。しかし、散文の場合の体言止め、助詞止めは、言葉を粗略にすることにはならないか、と私は思います。私たちはメモや日記では体言止めを多用します。それはそれでいい。しかし、読者になにかを伝える文章が疎略になってはいけません。谷崎潤一郎は書いています。「いやしくも或る言葉を使ふ以上は、それを丁寧な、正式な形で使ふべきであります」  簡潔と粗略は違います。」(182頁、184頁) 身につまされます。 追伸: 「驚いています」,「驚いてしまいます」,「驚いてしまいました」,「驚きました」。「驚く」としか感情を表現できない私は、「驚く」ばかりを多用しています。我ながら驚いています。  稚拙にすぎます。情けないお話です。

辰濃和男『文章の書き方 / 文章のみがき方』_文の接続と文末表現 1/5

辰濃和男『文章の書き方』岩波新書   を読み終え、一昨夜(2016/01/21)深更、 辰濃和男『文章のみがき方』岩波新書   を買いに書店に行きました。併読中の  司馬遼太郎『空海の風景』中公文庫   は一時おあずけです。               TWEET「作文( 2015/08/28)」で、 「文章を書く上で厄介なことは、文と文の接続と文末表現です。文末決定性は日本語の特徴ですから、当然といえば当然のことなのかもしれません。  初稿を書き終えるまでには、生みの苦しみがありますが、その後の推敲は苦になりません。推敲を繰り返すことによって、文章がすっきりしてきます 。が、推敲はキリのない作業です。どこかで見切りをつけざるをえません。  誤字・脱字はハナからあきらめています。自分が書いた文章を自分一人で校正するのはどだい無理な話です。いたし方のないことです。」 と書きました。 辰濃和男『文章の書き方』岩波新書 「この作品(「人違い」)の見所は、文節と文節との接続のありようです。接続に使われているのは「とき」です。さきほどの「翌朝」もそうですが、 (中略) 「たぶんその頃…」で、ぱっと場面が変わる。ある場面からある場面へ飛ぶ。切替が早くて読んでいて心地がいい。井伏鱒二は「以前」とか「今年の夏は」とかいう形で、「とき」を文節と文節の接続に使うことの名人だったと思います。 (中略)  井伏は接続詞を使わずに場面の展開をはかり、石橋(湛山)は、接続詞を上手に使って、論旨を進めてゆく。接続詞によって文章の流れは強くなったり、少し曲がったり、また直線になったり、ということになります。」 (230-233頁) 辰濃和男は、接続の問題を「文章の流れ」の中でとらえています。 III 推敲する   7 文末に気を配る 辰濃和男『文章のみがき方』岩波新書 「私は文章を書くとき語尾に手こずっている」(井伏鱒二)  井伏鱒二ほどの作家が「語尾(文末)にてこずっている」と書いているのを読むと、やはり日本語は大変なのだなと思います。動詞が文章の末尾にくるせいでしょう。井伏は語尾に手こずっていると書いてはいますが、できあがった作品はみごとなものです。」 (160頁) 「厄介」としか表現できなかった「厄介さ」の所在が、自覚されるようになり...

「師走に『四国遍路』を渉猟する」3/7

「師走に『四国遍路』を渉猟する」 2021/12/06  以下の新書は、出版(2001/04/20)されると間もなく手に入れたが、積読したままになっていた。 ◇ 辰濃和男『四国遍路』岩波新書 下記の三冊は発送待ちである。辰濃さんの文章に触れるのは久しぶりである。 ◇ 辰濃和男『歩き遍路―土を踏み風に祈る。それだけでいい。』海竜社 ◇ 川崎一洋『弘法大師空海と出会う』岩波新書 ◇ 石川文洋『カラー版 四国八十八カ所―わたしの遍路旅』岩波新書  ◇ 中村元,紀野一義『般若心経・金剛般若経』岩波文庫 ◇ 紀野一義『「般若心経」を読む』講談社現代新書 ◇ 紀野一義『「般若心経」講義」PHP研究所 ◇ 紀野一義『「法華経」を読む』講談社現代新書 ◇ 紀野一義『遍歴放浪の世界』NHKブックス 以上 五冊は学生時代に読んだ。紀野一義さんの本をよく読んだ。 ◆ 紀野一義『明恵上人―静かで透明な生き方』PHP研究所  また、下記の文庫も見つかった。 ◆ 公方俊良『般若心経 90の智恵―276文字にこめられた生き方の真髄』知的生きかた文庫 玄侑宗久さんのお名前は早くから存じ上げていたが、はじめて文章に触れたのは、 ◆玄侑宗久(作家・臨済宗僧侶)「井筒病」(『井筒俊彦全集 第八巻』 月報第八号 2014年12月 慶應義塾大学出版会) だった。 ◇ 玄侑宗久『現代語訳 般若心経』ちくま新書 を注文した。 検索しているうちに、柳澤桂子さんが気になりはじめ、 ◇『般若心経 いのちの対話』(文藝春秋 2006年12月号での玄侑宗久との対談)』 ◇ 柳澤桂子(著)堀文子(イラスト)『生きて死ぬ智慧』小学館 ◇ 柳澤桂子『いのちの日記 神の前に、神とともに、神なしに生きる 』小学館 また、多田富雄さんが気になりはじめ、 ◇ 多田富雄,柳澤桂子『露の身ながら 往復書簡 いのちへの対話』集英社文庫 を注文した。  本の世界で『四国遍路』を渉猟する際にも、八十八冊ほどの書籍は必要となりそうな勢いである。今日から本が届く。年内に、遅くとも年始までには読み終えようと思っている。師走との “かけっこ” である。「いのち」の森厳に触れる、「同行二人」での道行である。

「新春に『四国遍路』を渉猟する」2/7

「新春に『四国遍路』を渉猟する」 2022/01/01 頌春 新春のお慶びを申し上げます。 辰濃和男『四国遍路』岩波新書  この寺(五十八番霊場「 仙遊寺」)には阿坊(あぼう)仙人の話が残っている。  養老年間というから八世紀のはじめだが、それほどの昔の昔、阿坊仙人という僧がいて、ここで修行し、諸堂を整えた。四十年ほどこの地にいたというからかなりの歳月だ。石鎚山をのぞみ、かなたに瀬戸の海を見るこの地は、当時は人里をはるか離れた仙郷であったろう。そしてある日、阿坊さんは雲と遊ぶかのように忽然と姿を消した。(165頁)  遊ぶとは生半なことではない。一大事である。一時(いっとき)の気まぐれな戯れとは様相を異にしている。遊戯三昧の境地からすれば、雲と遊び、雲と消えることなど如何ほどのことでもないだろう。 「ご住職」の「小山田憲正(おやまだけんしょう)さん」は、「このごろ、人に頼まれて字を書くときは『遊べ』と書くそうだ。」(辰濃和男『歩き遍路―土を踏み風に祈る。それだけでいい。』海竜社 212,215頁)   いまはもう消えてしまったらしく、見つけることができなかったが、昔、四十三番明石寺(めいせきじ)にこんな立て札があった。「悟りは迷いの道に咲く花である」(141頁) (四十二番霊場)仏木寺(ぶつもくじ)は銀木犀(ぎんもくせい)の香りに包まれていた。茅葺きの鐘楼がいい。「悟りの花はどこに咲く。悩みの池の中に咲く」と書かれた立て札があった。それを見ていた団体遍路のおばさんが「ほんとじゃろか」と笑っていたのがおもしろかった。(129頁) 「ほんとじゃろか」 「おばさん」はたくましく、たくましい「おばさん」に与(くみ) するに如くはなく、と思っている。

師走に『四国遍路』を渉猟する」_「辰濃和男『歩き遍路―土を踏み風に祈る。それだけでいい。』海竜社 1/7

一昨日(2021/12/31)の夕刻すぎ、 ◆ 辰濃和男『歩き遍路―土を踏み風に祈る。それだけでいい。』海竜社 を読み終えた。  たくさんの言葉に接し消化不良を起こしている。 「土を踏む」ことと「風に祈る」こと、それだけでいいというのは、その二つの単純な動詞さえ大切にすれば、あとのことは重要であっても最重要ではない、という意味だ。 「土を踏む」、つまり日々、歩くことをつづければ、どんな御利益があるだろう。  まず、野生をよみがえらせることができる。いいかえれば、生命力が強くなる。  自立心がます。楽天的な思いが湧く。なにごともセーカイセーカイダイセーカイ(正解正解大正解)だと思う。おろかで、欠点だらけの自分に出あうことができる。へんろ道は己の「魔」を照らす「照魔鏡」である。  そして、人との大切な出あいがある。  たくさんのお接待をいただき、手をあわせる。感謝をする。そのことが、人間が生きるうえでの基本だということを知る。  感謝はさらにひろがる。大自然の営みへの感謝がある。  大自然の営みに感謝する祈り ー それこそが「風に祈る」ということだ。私の体験のなかでは、「土を踏む」ことが「風に祈る」ことにつながり、「風に祈る」ことが「土を踏む ことをさらにうながしている。(337頁) 「土を踏む」という言葉が、何百万年前の太古にさかのぼるのに対して「風に祈る」という言葉は一輪の花から宇宙空間にまでひろがってゆく。「風に祈る」の「風」は、風そのものだけではなく、空・風・火(光)・水・地という宇宙を象徴する言葉の代表選手として使っているつもりだ。  究極の祈りは、宇宙の営みへの感謝の祈りである。(「あとがき」341頁)  へんろ道は「祈りの空間」である。(「あとがき」340頁) ◆ 高群逸枝著,堀場清子校註『娘巡礼記』岩波文庫 「高群は出かける前「道の千里をつくし、漂泊の野に息(いこ)はばや」と書いている。  高群が四国を回ったのは一九一八年で、二十四歳のときだった。六月から十月までの長い旅である。当時のへんろ道では、「山で若い女が殺されたり、姦(おか)されたり」することがあるという噂話もあった。しかし高群は書く。「でも構はない。生といひ死といふ、そこに何程の事やある」という意気込みだった。  顔や手足に虫が這う草むらで野宿をする。小川のそばに毛布を敷いて寝る。テントも寝袋...

「地下足袋で歩きながら、つらつらと」_セエーカイセエーカイダイセエーカイ 6/6

「地下足袋で歩きながら、つらつらと」_セエーカイセエーカイダイセエーカイ 辰濃和男『四国遍路』岩波新書  お遍路をはじめてから、いつのころからか、夜、宿で夕食を終え、床につき、天井を見上げながらセエーカイセエーカイダイセエーカイとつぶやくことが多くなった。子どもじみた話で気恥ずかしいことだが、漢字で書けば「正解正解大正解」である。  今日もいろいろあったけれども、まあ、なんとかいい一日を過ごすことができたと思う。失敗も数々あったが、上出来の日だったと思いこむ。自分をそう思うように仕向ける。そのための呪文がこれだ。お参りしながらナムダイシヘンジョウコンゴウ、ナムダイシヘンジョウコンゴウ、セエーカイセエーカイダイセエーカイとなってしまうことが再三あった。  どちらの道を行こうか、どこまで歩いて行こうか、どの宿にしようかと迷うことがある。どんなに迷っても、一度きめてその道を選び、一度きめてその宿を選んだ以上は、その選択が「正解正解大正解」だったと思う。そう思いこむ。選択が間違っていたかどうかなどといつまでもぐじぐじ考えず、まずは正解だったと思う。それも一つの修行だろう。  セーカイセーカイダイセーカイというつぶやきがでてくる。迷ったからこそ、いまこの小宇宙に独りでいることができる。深い山の懐にあって、雲の流れをこころゆくまで眺めることができる。見渡す限り、人の姿はなく、山々は深い沈黙のなかにある。なんとぜいたくなことだろう。これこそ、大正解でなくてなんだろう。そんな感じをもった。   この世に生きていれば、迷うことばかりだ。小さな迷いもあり、大きな迷いもある。迷わない、という人がいればそれは自分を偽っているのだ。迷ったら、立ち止まればいい。立ち止まって新鮮な空気を思いっきり肺に流し込めばいい。迷ったことで初めて得られる体験、というものがあると思えばいい。  迷って遠回りをすることを恐れることはない。百の道のうち一つを選ぶということは、九十九の道を失うことになるのだ。失った九十九の道に執着することはない。どの道を選んでも、たくさんの道を失うことに変わりはない。それよりも、自分が選んだ道を楽しむことだ。  私たちは日常の暮らしで、迷うことを恐れすぎているのではないだろうか。  いまはもう消えてしまったらしく、見つけることができなかったが、昔、四十三番明石寺にこんな立て札があっ...

「地下足袋で歩きながら、つらつらと」_再会 5/6

「再 会」   辰濃和男『四国遍路』岩波新書  土との融和、について書きたい。  四十六番札所浄瑠璃寺をお参りしたとき。名誉住職、岡田章敬師に話を聞いた。 「土はお地蔵さんだ」と師はいう。 「お地蔵さまの本体は土そのものなんです。真言宗の秘密の解釈として「地蔵は土なんぞお」と先輩がもらすことがありました。地球そのものがお地蔵さまなんですね。土の中からたくさんの草が生えてくる。あれはお地蔵さまの活動の表れなんですよ」 「私どもも土から生まれてきて、死んだあと土に帰ってゆくんですな。私は、死んだら骨壷などに入れないでじかに土に入れてもらいたいといっているんです。土に帰ってお地蔵さまに抱かれたい、と思いますね」  人は土をコンクリートで覆うことに熱中してきた。舗装道路はぬかるみをなくし、車の流れをよくしたが、お地蔵さまの力を封じこめ、人を土から遠ざけてしまった。私たちは土に触れることが少なくなり、お地蔵さまの力を感じとる機会が少なくなった。 (中略)  金子みすゞの詩に。「かあさん知らぬ / 草の子を、 / なん千万の / 草の子を、 / なん千万の / 草の子を、 / 土はひとりで育てます。 / 草があおあお / しげったら / 土はかくれてしまうのに」  章敬師流にいえば、草の子を育てているのは地蔵の力なのだ。土は手柄話はしない。何千万の草の子を育てたんだなどと自慢げにいったりしない。しかも、草が育ったあと、土は隠れてしまい、黙って次の草の子を育てる準備に入る。それこそが大いなるものの営みなのだろう。そこには、際々しいさかしらごころというものがない。 (157-158頁) 『四国遍路』で金子みすゞさんに出会うとは思ってもみませんでした。  長い間顧みられなかった金子みすゞが見出され、1984年8月に、 ◇ 金子みすゞ,与田準一『金子みすゞ全集』JULA出版局 が発売されると、間もなく購入しました。卒業論文のテーマを、金子みすゞにしようか、種田山頭火にしようかと迷いつつ、それなりの資料に目を通しました。山頭火について読む中で、同じ無季自由律俳句の大山澄太に出会うのは当然の成り行きでした。結局、金子みすゞも種田山頭火も私の手には負えず、「倉本聰 シナリオ文学私論」という題名で、私は卒業論文を書きました。学生時代には、早坂暁さんのテレビドラマを見ていました。また、何冊かのシ...

「地下足袋で歩きながら、つらつらと」_履く 4/6

「8 履く」  辰濃和男『四国遍路』岩波新書  薬王寺を過ぎると、あとは海辺の道を歩くことが多くなる。初遍路では軽登山靴を履いていたが、あのときは、ちょうどこのあたりで右の膝を痛め、足をひきずりながら歩くことになった。    こんどのお遍路で選んだのは、山歩きのときに履く愛用の革製登山靴だった。靴のなかには、うすい靴下と厚手のウールの靴下の二枚を着用している。むれる感じはあるが、両足が堅固に守られている安心感がある。 「そんな靴じゃ、重たくて歩きにくいでしょ」。そういって私の登山靴を見つめるお遍路さんもいたが、「とんでもない。この靴のおかげで快調です」とむきになって反論した。反論はしたものの、いかに堅固な靴に守られていても、足のあちこちに痛みがでてくるのは避けられない。絆創膏(ばんそうこう)やらをべたべたと足に貼るのが朝の行事になった。    長丁場では靴の選択はきわめて大切な意味をもつ。  遍路修行の若いお坊さんに出あうと、私はまず足元を見る。たいていは真新しいウォーキングシューズで、地下足袋や草履の坊さんはまずいない。「地下足袋で足を痛くした先輩の話をよく聞きますからね。このごろは、みなウォーキングシューズか登山靴です」。修行僧がそういっていた。  名僧山本玄峰は一八七〇年代、何回も四国遍路をしているが、記録によると裸足(はだし)で回ったという。目がかなり不自由だったうえの「裸足参り」である。厳しい修行を己に課すためのお遍路だった。  一九一八年にお遍路をした高群逸枝は草履だった。  演歌師、添田啞蟬坊(そえだあぜんぼう)は一九三〇年代前半、何年間もお遍路をしているが、このときは地下足袋だ。  種田山頭火も地下足袋だ。一九三九年の遍路日記に、地下足袋が破れて、左の足を痛めて困っていたところ、運よくゴム長靴の一方が捨ててあるのを見つけた。それを裂いて足袋代用にしたので助かった、と書いている。  草履ー地下足袋ー歩行用の靴、という変遷をたどって、登山靴派が現れた。  引用が長くなってしまいましたが、私の今の興味は「履く」ことにありますので了解していただくことにして、早速 登山靴で舗装された道路を歩いてみようと思っています。  吉田宿の近くに住んでいます。まず手はじめに、近辺の東海道を歩いてみます。デイパックを背負って東海道を歩いている人たちが結構います。今ま...

「地下足袋で歩きながら、つらつらと」_動詞を大切にする。3/6

  なにはともあれ、六十八歳から七十歳までの間に続けた私の「区切り打ち歩き遍路」は終わった。たくさんのことを学んだ。いちばん大きいのは「動詞」を大切にする、ということだった。  動詞は、抽象的、論理的なことがらが苦手で、人のからだやこころの動きに寄り添っているところがある。等身大で、具体的で、行動的だ。そういう動詞の数々と親しむ生き方をお遍路は教えてくれた。(225頁) 辰濃和男『四国遍路』岩波新書   目次には、 誘われる、着る、歩く、いただく、打たれる、出あう、はぐれる、履く、 解き放つ、突き破る、泊まる その一、包みこむ、体得する、あこがれる、食べる、ほどこす、 痛む、泊まる その二、迷う、修行する、回る、融和する その一、遊ぶ、ゆだねる、 哭く、死ぬ、捨てる、融和する その二、洗う、結ぶ、 の、三十の動詞と、そして番外として、 番外 登る が記されています。  辰濃和男さんのご案内で八十八ヶ所を巡る旅は、三十一の動詞に思いをめぐらせる旅でもありました。  四国遍路に誘われ、いま 石鎚山にあこがれています。

「地下足袋で歩きながら、つらつらと」_私のへんろ道です。2/6

今年  はじめての本です。 ◇  辰濃和男 『四国遍路』岩波新書  あれこれ拾い読みはしていましたが、一冊の本を通読するのは今年(2016/01/13)になってはじめてです。  第一刷は、2001/04/20 に発刊されています。私の手元にあるのは、 2001/05/10 に発行された第三刷です。およそ15年の積読を経て、ようやく日の目を見ることになりました。  つい今しがた、父のつき添いで行った歯科医院から帰宅しました。待ち時間に読んでいました。南に面した暖かな日射しの射す待合室で、うつらうつらしながらの読書でした。 「菅笠と金剛杖は新しいものを買った。菅笠には「同行二人(どうぎょうににん)」と書かれていて、さらに 迷故三界城 悟故十方空  迷うが故に三界(さんがい)は城 悟るが故に十方(じゅっぽう)は空 本来無東西 何処有南北 本来東西無し 何処(いずく)にか南北有らん  と書かれている。迷えば狭い枠のなか、悟れば宇宙のただなかだ、風にまかせて歩くだけ、といった意味だろうか。  お遍路の旅は、たとえひとり歩きでも、「同行二人」だという。いつもお大師さんがついていてくださるという意味で、それでは「お大師さんがついていてくださる」とはどういうことなのか。これをからだで知るまでには長い道のりが必要なのだ。」(14-15頁)  辰濃和男さんの書かれた『四国遍路』は、私のへんろ道をはじめるにあたっての恰好の道連れです。「同行三人」です。

「師走に『四国遍路』を渉猟する_辰濃和男『四国遍路』岩波新書」1/6

昨夕(2021/12/25)、 ◆ 辰濃和男『四国遍路』岩波新書 を、二回目の接種後に読み終えた。二巡目の読書だったが、多少のことを思い出すにすぎなかった。 「へんろ道」は生と死、死と再生の交錯する道である。「はぐれびと」たちの行き交う道である。  辰濃さんが、千数百キロメートルを、七十一日かけて歩いた道であり、本書は多くの話題から成っている。  「出あったときが別れだぞ」  松原泰道師は父の祖来和尚からそう教えられたという。(中略)泰道師は一期一会(いちごいちえ)について書いている。「一期は人間の一生、一会はただの一度の出会いです。これほど「一」の肅然としたたたずまいを感じる語は、他に類例をみません。(『禅語百選』祥伝社、一九八五年 43頁)  陳腐に成り下がった語が息を吹き返した。これは、 「それ(戦国武将がのぞんだ茶会)は自分が死んでゆくことを自分に納得させる、謂ってみれば死の固めの式であった。」 ( 井上靖『本覚坊遺文』講談社文芸文庫  175頁)   でも経験した。  自省・自責・自虐の言葉には嫌気がさした。文章の品位を失する。もうやり過ごした時節のことであり、 「そんな方法では、真に自己を知る事は出来ない、さういふ小賢しい方法は、むしろ自己欺瞞に導かれる道だと言えよう。」(小林秀雄『人生について』角川文庫 36頁) と、いまは確信している。  空海は、 「吾れ永く山に帰らん」 と言い遺している。 原始 の森、いのちの息吹き、 太古の闇。 いま、「石鎚の霊峰」がしきりに気になる。 「澗水(かんすい) 一杯 / 朝(あした)に命(めい)を支え / 山霞一咽(さんかいちいん)/ 夕に神(しん)を谷(やしな)ふ」(朝には清らかな水を飲んで命を支え、夕には山の気を吸って霊妙な精神を養う)(9-10頁) 「高野往来」 以降、四国路がにわかに迫ってきた。 以下、「 辰濃和男『四国遍路』岩波新書_ まとめて」です。 ◇ 「地下足袋で歩きながら、つらつらと」私のへんろ道です。 ◇ 「地下足袋で歩きながら、つらつらと」動詞を大切にする。 ◇ 「地下足袋で歩きながら、つらつらと」履く ◇ 「地下足袋で歩きながら、つらつらと」再会 ◇ 「地下足袋で歩きながら、つらつらと」セエーカイセエーカイダイセエーカイ

天人 深代惇郎「夕焼け雲」2/7

解説 辰濃和男 深代惇郎『深代惇郎の天声人語』朝日文庫  「深代惇郎と私は、同期だった。  深代は四十六歳で亡くなり、私はいま、深代が書いた『天声人語』のゲラの一ページ一ページを丁寧に読んでいる。まだ若いころの彼の姿をしばらく追って時を過ごすこともあった。  彼が亡くなった直後、ある会合でお会いした作家の有吉佐和子さんは、こういっていた。 『深代さんはものすごく勉強していたわ。もう、オドロキでした』  深代の作品の中で一印象に残るのはどれか、私は「夕焼け雲」(五〇三頁)をあげたい。(後 略)」 (525頁) 深代惇郎「夕焼け雲」 深代惇郎『深代惇郎の天声人語』朝日文庫  夕焼けの美しい季節だ。先日、タクシーの中でふと空を見上げると、すばらしい夕焼けだった。丸の内の高層ビルの間に、夕日が沈もうとしていた。車の走るにつれて、見えたり隠れたりするのがくやしい。斜陽に照らされたとき、運転手の顔が一杯ひっかけたように、ほんのりと赤く染まった。  美しい夕焼け空を見るたびに、ニューヨークを思い出す。イースト川のそばに、墓地があった。ここから川越しに見るマンハッタンの夕焼けは、凄絶といえるほどの美しさだった。摩天楼の向こうに日が沈む。赤、オレンジ、黄色などに染め上げた夕空を背景にして、摩天楼の群れがみるみる黒ずんでいく。  私を取りかこむ墓標がある。それがそのまま、天空に大きな影絵を映し出しているように思えた。ニューヨークは東京と並んで、世界でもっとも醜い大都会だろう。その摩天楼は、毎日のお愛想にいや気がさしている。踊り疲れた踊り子のように、荒れた膚をあらわにしている。だが夕焼けのひとときだけは、ニューヨークにも甘い感傷があった。  もう一つ、夕焼けのことで忘れがたいのは、ドイツの強制収容所生活を体験した心理学者V・フランクルの本『夜と霧』(みすず書房)の一節だ。囚人たちは飢えで死ぬか、ガス室に送られて殺されるという運命を知っていた。だがそうした極限状況の中でも、美しさに感動することを忘れていない。  囚人たちが激しい労働と栄養失調で、収容所の土間に死んだように横たわっている。そのとき、一人の仲間がとび込んできて、きょうの夕焼けのすばらしさをみんなに告げる。これを聞いた囚人たちはよろよろと立ち上がり、外に出る。向こうには「暗く燃え上がる美しい雲」がある。みんなは黙って、ただ空をな...

内田百閒「そりゃ、あんたさん、死にもの狂いですぜ」10/10

10 渾身の力で取り組む 辰濃和男『文章のみがき方』岩波新書(235-239頁)  「文章はいつも、水をかぶって、座りなおしてはじめる覚悟でいたい」 (串田孫一)  この串田の言葉は、一九五二年一月五日の日記のなかに出てきます。  まだ三十代のころの決意です。  亡くなった勝新太郎が中村玉緒とケンカをしたことがあります。玉緒がすごい形相になって摑みかかると、勝は即座にいったそうです。「おい、いまのその顔だ。その顔を忘れるな。いい顔だ」と。玉緒もつられて「はい」といってしまった、という話を聞きましたが、真偽のほどはわかりません。憤怒の形相も芸のこやしにしようというわけで、勝と玉緒の二人ならありえない話ではないと思いました。  不出来な絵ではあるけれど、その絵の対象になったものをことごとく愛している、と歌ったあと、石垣りんはこう書いています。  「不出来な私の過去のように / 下手ですが精一ぱい / 心をこめて描きました」  私はこの、最後の「下手ですが精一ぱい / 心をこめて描きました」というひかえめな表現が好きで、何度も読み返しては、この真摯な詩人が「精一ぱい」という以上、まことに精一ぱいだったのだろうと思い、文字をつらねるとはそういうことなのだと粛然とした気持ちになるのです。「下手ですが精一ぱい、心をこめて書く」。これ以外に修行の道はない、とさえ思うのです。  「内田百閒の信者」だと自称する随筆家、江國滋はこう書いています。  「あの名文をどんなふうにして書くのかと問われて百閒先生いわく。  『そりゃ、あんたさん、死にもの狂いですぜ』」  さらさらと一気に書いたように見える百閒の文章は、「死にもの狂い」の産物だったのです。  川端康成も、読み手がたじろぐような激しい言葉を使っています。  「文章の工夫もまた、作家にとつては、生命を的の『さしちがへ』である。決闘の場ともいへやうか」  川端は、「われわれの言はうとする事が、例へ何であつても、それを現はすためには一つの言葉しかない」というフローベルの言葉を引用し、そのためにも作家は、不断のそして測り知れぬ苦労を積み重ねるほかはないとも書き、文章の工夫は「決闘の場」だという激しい言葉を使っているのです。  いままで、「これ渾身」ということについて書いてきましたが、この言葉は、実は幸田文の文章から選びました。この人の初期の...

「ポン酢の味がした」

  TWEET「三輪の神糸(手延べ素麺)」  を麺つゆをつけずに食べ続けていた。味もそっ気もなかった。が、製造者の 「マル勝高田商店」さんが、そんな風であれば、先般 廃業の憂き目にあっている ことだろう。  と、 「三輪の神糸」 の味わいが、ある日突然わかった。そして、それはいまも変わらない。  この数日間「湯豆腐」ばかり食している。食材は「北海道 御札部浜 だし用 真昆布」と 「絹ごし さとの雪」、そして  ひとつまみの「塩」だけである。  昔ながらの手作りの豆腐と出会うために、どれだけのまがいものの豆腐を食べさせられたことだろう。かといって「 さとの雪」に不満がないわけではない。  豆腐に真昆布のうま味成分がからみ合って美味である。たれは要らない。  昆布を羅臼、利尻、 日高にかえてみようと思っている。  簡素な料理だけに、素材選びが決手となる。  何度食べても、「てっさ(ふぐ差し)」の味がわからない。これは私の沽券に関わることである。はたして「三輪の神糸」のように、飽くことなく食べ続ければ、淡白な味がわかるようになるのだろうか。が、高級魚のため逡巡している。 「(三島由紀夫『潮騒』の舞台となった)「神島」に「てっさ」を食べに行ってきたが、「神島」の「てっさ」はポン酢の味がした」 と言った初老の紳士 を知っている。その話を聞いた際には大いに笑った が、いまは 同類相憐れみ、それどころではなく深刻である。 「文章の書き方・みがき方_食す」 辰濃和男『文章の書き方』岩波新書 2016/01/26  こんな文章があります。  「冬に深川の家へ遊びに行くと、三井さんは長火鉢に土鍋をかけ、大根を煮た。  土鍋の中には昆布を敷いたのみだが、厚く輪切りにした大根は、妻君の故郷からわざわざ取り寄せる尾張大根で、これを気長く煮る。  煮えあがるまでは、これも三井さん手製のイカの塩辛で酒をのむ。柚子(ゆず)の香りのする、うまい塩辛だった。  大根が煮あがる寸前に、三井老人は鍋の中へ少量の塩と酒を振り込む。  そして、大根を皿へ移し、醤油を二、三滴落としただけで口へ運ぶ。  大根を噛(か)んだ瞬間に、  『む…』  いかにもうまそうな唸り声をあげたものだが、若い私たちには、まだ、大根の味がわからなかった」  なんということはない。大根の輪切りにしたやつを煮るだけの話...