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4月, 2023の投稿を表示しています

TWEET「喪中ににつき_02」

「2023/04/ 26 通夜式 挨拶」 「本日はお忙しいなか、父の通夜式にご参列くださり、ありがとうございます。 「我ガ死ナムズルコトハ、今日ヲ明日ニツグニコトナラズ」(明恵上人「行上記」) 「我ガ死ナムズルコトハ」、死ぬということは、 「今日ヲ明日ニツグニコトナラズ」、今日が明日になることと同様である。  死とは殊更なことではなく、「生死一如」、生と死は、ひとつながりのものであり、ともに永遠の「いのち」の光に照らされている、と私は考えております。  父は安らかに息をひきとり、いま平安な心境の内にあると、私は信じております。  生存中には、皆様方におかれましては、格別にご厚情を賜り、感謝しております。  また、本日はどうもありがとうございました」 「2023/04/27 葬儀 挨拶」 「本日はお忙しいなか、父の葬儀にご参列くださり、ありがとうございます。  女性飛行家の草分けである、アン・リンドバーグは、日本語の別れの言葉、「サヨナラ」の意味を、「そうならなければならないなら」と書いております。 「さようなら」ば、「そうならなければならないなら」ば、人事の、人の図らいの、およばないことであり、私たちは受け容れるしかありません。  アン・リンドバーグは、日本語の「サヨナラ」を、世界で最も美しい別れの言葉であるといっております。  私も父と「サヨナラ」で、お別れしようと思っております」  生存中には、皆様方におかれましては、格別にご厚情を賜り、感謝しております。  本日はどうもありがとうございました」

TWEET「喪中につき_01」

喪に服します。

TWEET「病気療養中につき_39」

小林秀雄「もう終りにしたい 」 小林秀雄『本居宣長 (下)』新潮文庫 「考えをめぐらしていると、「歌の事」という具象概念は、詮ずるところ、「道の事」という抽象概念に転ずると説く理論家宣長ではなく、「歌の事」から「道の事」へ、極めて自然に移行した芸術家宣長の仕事の仕振りに、これ亦極めて自然に誘われる。『直毘霊(ナホビノミタマ)(古道論)』の仕上りが、あたかも「古典(フルキフミ)」に現れた神々の「御所為(ミシワザ)」をモデルにした画家の優れたデッサンの如きものと見えて来る。「古事記」を注釈するとは、モデルを熟視する事に他ならず、熟視されたモデルの生き生きとした動きを、画家の眼は追い、これを鉛筆の握られたその手が追うという事になる。言わば、「歌の事」が担った色彩が昇華して、軽やかに走る描線となって、私達の知覚に直かに訴える。私は、思い附きの喩(たとえ)を弄するのではない。寛政十年、「古事記伝」が完成した時に詠まれた歌の意(ココロ)を、有りのままに述べているまでだ。ーー   「九月十三夜鈴屋にて古事記伝かきをへたるよろこびの会しける兼題 披書視古    古事の ふみをらよめば いにしへの てぶりこととひ 聞見るごとし」(325-326頁) 「概念」を極端に悪んだ宣長にとって、「『歌の事』という具象概念」から「『道の事』という抽象概念」へという飛躍は、及びもつかないことだった。 「歌の事」のことを「熟視」することによって、いつしかそれらは純化され、宣長はそこに、自ずからなる「道の事」をみた。  ここに、四十四巻から成る、三十五年の歳月を費やし、意を尽くした、『古事記伝』の完成をみた。 『本居宣長』の掉尾には、 「もう、終りにしたい。結論に達したからではない。私は、宣長論を、彼の遺言書から始めたが、このように書いて来ると、又、其処へ戻る他ないという思いが頼りだからだ。」(253頁) との記述があり、また、「本居宣長補記」の末尾には、 「もうお終いにする。」(368頁) の一文が見受けられる。  これらは小林秀雄の、精一杯の尽力後の、ため息混じりの言葉であろう。

TWEET「病気療養中につき_38」

TWEET「古今和歌集_その普遍的「本質」としての美」 2021/06/14 より、 ◇ 高田祐彦訳注『古今和歌集 現代語訳付き』 角川ソフィア文庫 を読みはじめ、昨夜読み終えた。一週間におよんだ読書(和歌)体験だった。異例づくめだった。 以下の文章は、 ◇ 井筒俊彦『意識と本質 ー精神的東洋を索めてー』岩波文庫 からの引用である。 「少くとも『古今集』において古典的完成に達したものを和歌の典型的形態として考えるなら。『古今』的和歌の世界は、一切の事物、事象が、それぞれその普遍的「本質」において定着された世界だ。春は春、花は花、恋は恋、というふうに自然界のあらゆる事物、事象から人事百般まで、存在界がくまなく普遍「本質」的に規定され、その上でそれらのものの間に「本質」的聯関の網目構造が立てられる。もし現実の経験で、何かが自らの普遍的「本質」に背くような形で生起したり、またはそれの本来的に所属する「本質」聯間から外れたりすれば、その意外性自体が一つ詩的価値を帯びるほどの強力な規定性で、それはある。」(53-54頁)  これは、例えば、『古今和歌集』が、ただ「日本的美意識の原点(鈴木宏子)」である、と評することとは次元を異にしている。それは、井筒俊彦が名づけた「言語アラヤ識」、ユングのいう「集団的無意識」あるいは「文化的無意識」内の普遍的「本質」としての美の表われであり、一切私たちには触れることのできない生得的な、深層の文化的な美意識である。  遅きに失したが、これらへの興味から、今回『古今和歌集』を手にした、のはいいが、七転八倒の毎日だった。一週間におよんだ、と書いたが、毎日ほぼ一日中和歌と向き合ってのお粗末な七日間であった。  各所に、枕詞、序詞、掛詞、縁語、見立て、歌語、歌ことばが配され、三十一字のなかには、幾多の景色が広がっていた。再読を促されているが、眼をつぶり先に進むことにする。 和歌にも少しは慣れ、次回は、 ◇ 白洲正子『西行』新潮文庫 ◇ 中西進『古代史で楽しむ 万葉集』角川ソフィア文庫 を併読し、そして「三代和歌集」へと歩を進めます。細部にとらわれることなく、通読を心がけます。

TWEET「病気療養中につき_35」

 今日の午前中には、「杉浦内科」さんにいきました。 「私には診ることができませんから、先の「寺田クリニック」さんで診てもらってください」 と、いわれました。お金は請求されませんでした。一時間半待ちました。  泌尿器の専門医に、泌尿器の検査ばかりされるのは耐えられず、また微熱がおさまるとはとても考えられず、内科で総合的に診てもらいたかったのですが、私の思いは伝わりませんでした。  このつれなさはなんでしょう。  豊橋市民病院に、紹介状なしにいこうと思っています。 初診時には選定療養費が、7700円かかります。

TWEET「病気療養中につき_34」

「小林秀雄『本居宣長 (下)』_生死の問題」 「私達は、史実という言葉を、史実であって伝説ではないという風に使うが、宣長は、「正実(マコト)」という言葉を、伝説の「正実(マコト)」という意味で使っていた(彼は、古伝説(イニシヘノツタヘゴト)とも古伝説(コデンセツ)とも書いている)。「紀」よりも、「記」の方が、何故、優れているかというと、「古事記伝」に書かれているように、ーー「此間(ココ)の古ヘノ伝へは然らず、誰云出(タガイヒイデ)し言ともなく、だゞいと上ツ代より、語り伝へ来つるまゝ」なるところにあるとしている。文字も書物もない、遠い昔から、長い年月、極めて多数の、尋常な生活人が、共同生活を営みつつ、誰言うとなく語り出し、語り合ううちに、誰もが美しいと感ずる神の歌や、誰もが真実と信ずる神の物語が生まれて来て、それが伝えられて来た。この、彼のいう「神代の古伝説」には、選録者は居たが、特定の作者はいなかったのである。宣長には、「世の識者(モノシリビト)」と言われるような、特殊な人々の意識的な工夫や考案を遥かに超えた、その民族的発想を疑うわけには参らなかったし、その「正実(マコト)」とは、其処に表現され、直かに感受出来る国民の心、更に言えば、これを領していた思想、信念の「正実(マコト)」に他ならなかったのである」(145頁)  最終章「五十」は、生死(しょうじ)の問題についての話題である。 「既記の如く、道の問題は、詰まるところ、生きて行く上で、「生死の安心」が、おのずから決定(けつじょう)して動かぬ、という事にならなければ、これをいかに上手に説いてみせたところで、みな空言に過ぎない、と宣長は考えていたが、これに就いての、はっきりした啓示を、「神世七代」が終るに当って、彼は得たと言う。ーー「人は人事(ヒトノウへ)を以て神代を議(はか)るを、(中略)我は神代を以て人事(ヒトノウへ)を知れり」、ーーこの、宣長の古学の、非常に大事な考えは、此処の注釈のうちに語られている。そして、彼は、「奇(アヤ)しきかも、霊(クス)しきかも、妙(タヘ)なるかも、妙(タヘ)なるかも」と感嘆している。註解の上で、このように、心の動揺を露わにした強い言い方は、外には見られない。  宣長が、古学の上で扱ったのは、上古の人々の、一と口で言えば、宗教的経験だったわけだが、宗教を言えば、直ぐその内容を成す教義

TWEET「病気療養中につき_33」

本居宣長「息を殺して、神の物語に聞き入る」 小林秀雄『本居宣長 (下)』 「新潮文庫 「彼(本居宣長)にとって、本文の註釈とは、本文をよく知る為の準備としての、分析的知識ではなかった。そのようなものでは決してなかった。先ず本文がそっくり信じられていないところに、どんな註釈も不可能な筈であるという、略言すれば、本文のないところに註釈はないという、極めて単純な、普通の註釈家の眼にはとまらぬ程単純な、事実が持つ奥行とでも呼ぶべきものに、ただそういうものだけに、彼の関心は集中されていた。神代の伝説に見えたるがままを信ずる、その信ずる心が己れを反省する、それがそのまま註釈の形を取る、するとこの註釈が、信ずる心を新たにし、それが、又新しい註釈を生む。彼は、そういう一種無心な反復を、集中された関心のうちにあって行う他、何も願いはしなかった。この、欠けているものは何一つない、充実した実戦のうちに、研究が、おのずから熟するのを待った。そのような、言わば、息を殺して、神の物語に聞入れば足りるとした、宣長の態度からすれば、真淵の仕事には、まるで逆な眼の使い方、様々ないらざる気遣いがあった、とも言えるだろう」(197-198頁)  宣長にとって「神代の伝説」をよく知ることと、信仰の境地が深まることは同時進行だった。それは宣長にとって切実な問題であり、喜びでもあった。 「之を好み信じ楽しむ(好信楽) 」とは、宣長の学問に対する生涯変わらぬ態度だった。 「無心」とは「無私な心」と言い換えることができよう。 「小林秀雄」には、皆さん興味がないらしく、閲覧数が驚異的に少なくなり、すてきです。しかし私にとっては、「病気療養中」に「小林秀雄」の文章に触れることは、至福の時、自足の時間となっている。  今日、「佐井皮フ科」さんに行った。後遺症の帯状疱疹後神経痛が治るには、6か月かかるかもしれませんね、 梅雨時には痛くてつらいですよと、佐井先生にいわれました。  微熱が続いているため、叔父にさんざんいわれ、明日は、「杉浦内科」さんを受診する予定です。 「病気療養中につき」から、いつ解放されるのか、刺激的で、興味は尽きません。

TWEET「病気療養中につき_31_2/2」

開高健「明窓浄机 / 文房清玩」  南に面した部屋で、窓も大きく取ってあり、「明窓」には違いないが、窓は汚れている。 「浄机」とは耳の痛い言葉で、机上は雑然としている、Mac 一台分のスペースが、わずかに残された自由な場である。  明窓浄机とは、私にとっては、所詮 夢物語である。 「漂えども沈まず」 「悠々として / 急げ」 「毒蛇は急がない」 「朝露の一滴にも / 天と地が / 映っている」 「小説家 開高健 / オリジナルグッズのご紹介」 「文房清玩。物を愛し、物に愛された稀有な小説家。  亜熱帯の戦場で、氷雨の原野で、深夜の書斎で一本の指となり、創造の起爆剤ともなるライター、パイプ、ナイフ、万年筆、ジーンズ、帽子・・・。  昔の中国の文人が硯や筆や紙に凝って一人で書斎で楽しんでいた様子を「文房清玩」と表したと、小説家開高健は自著の中で何度か語ってきた。彼にとって、彼の人生に常に寄り添っていたさまざまな「静物」たちは、まさに「文房清玩」そのものだったであろう」  どうしようもなく欲しくて買った文房具類がある。眼鏡、登山用品、釣り具類ならば何点もある。  使用目的で買ったものばかりではなく、所有欲で買ったものもある。手元にあればそれでじゅうぶんに満足している。  2023/04/13 には、 ◇「RONSON オイルライター スタンダード R02」 ◇「RONSO オイル フリント 消耗品 純正品] が届いた。 「1886 年創業者ルイス・V・アロンソンによって設立されたポケットライターの老舗『RONSON』。 「RONSON STANDARD」は、RONSON社の代表的モデルであり、1943年の発売以来世界中のスモーカーによって支持され続けてきたオイルライターの名品です。  レバーを押し下げることにより、ヤスリが回転し、フリントの火花が発生。オイルを吸い上げたウィックに火花が引火することにより、力強い炎が発生する。同時に、連結されたキャップが開閉することで、着火から消火までをワンモーションで行うことができます。  これらの綿密に計算された動きは、ライターひとつずつを丁寧に作る職人の技術の賜物です」 「 Windmill ターボライター AWL-10」は、「WIND PROOF, WATAR PROOF」であり、「Windmill ターボライター JP-10」は

TWEET「病気療養中につき_31_1/2」

開高健「明窓浄机 / 文房清玩」  南に面した部屋で、窓も大きく取ってあり、「明窓」には違いないが、窓は汚れている。 「浄机」とは耳の痛い言葉で、机上は雑然としている、Mac 一台分のスペースが、わずかに残された自由な場である。  明窓浄机とは、私にとっては、所詮 夢物語である。 「漂えども沈まず」 「悠々として / 急げ」 「毒蛇は急がない」 「朝露の一滴にも / 天と地が / 映っている」 「小説家 開高健 / オリジナルグッズのご紹介」 「文房清玩。物を愛し、物に愛された稀有な小説家。  亜熱帯の戦場で、氷雨の原野で、深夜の書斎で一本の指となり、創造の起爆剤ともなるライター、パイプ、ナイフ、万年筆、ジーンズ、帽子・・・。  昔の中国の文人が硯や筆や紙に凝って一人で書斎で楽しんでいた様子を「文房清玩」と表したと、小説家開高健は自著の中で何度か語ってきた。彼にとって、彼の人生に常に寄り添っていたさまざまな「静物」たちは、まさに「文房清玩」そのものだったであろう」  どうしようもなく欲しくて買った文房具類がある。眼鏡、登山用品、釣り具類ならば何点もある。  使用目的で買ったものばかりではなく、所有欲で買ったものもある。手元にあればそれでじゅうぶんに満足している。  2023/04/09 が誕生日ということもあって、 ◇ Windmill  ターボライター  AWL-10 レッド ◇  Windmill  ターボライター  JP-10 アルミサテン を買い、 2023/04/11 には、 ◇ Windmill  ターボライター  AWL-10 ガンメタル を買った。また、 2023/04/12 には、 ◇  Windmill ターボライター JP-10 レッド を購入し、そして、 2023/04/13  には、 ◇  Windmill  ターボライター  JP-10 アルミバレル が届いた。 「 Windmill  ターボライター  AWL-10」には洗練された美しさがあり、また「 Windmill  ターボライター  JP-10」には無骨な美しさがある。 どのライターをとってみても、仕上げが美しい。  病気療養中の身であり、活字を眼で追えば体温が上がりそうで、これほどの楽しみしかない。  矯めつ眇めつ、あるいは手に取って戯れ、時には煙草に火をつけと、上等な時間をもっ

TWEET「病気療養中につき_30」

 一昨日の「寺田クリニック」さんの診療について、 Dr.T から、婉曲的な表現だが疑問視する旨のメールが届いた。  泌尿器がご専門の寺田先生が処方された、すべての薬を中止した。  もし私が「総合内科」を受診した際に、「泌尿器科」に回されることは、あり得ないだろう。  大所高所から診て、優先順位をつけて、治療する のが名医というものである。  また、この年齢で、「精密検査をうければ、何箇所もの悪いところが見つかるのは必至である」と書いたが、その時々の症状にみあった対症療法を、医師は常に行っているはずである。  私たち患者は、医師のされるがままである。医療的弱者である。  父も私も寺田先生にはお世話になったが、これを機に清算することにした。

TWEET「病気療養中につき_29」

「寺田クリニック」さんは、最寄りのかかりつけ医です。きちんと説明 する必要があると思い、前立腺肥大の薬を中止したことの、そのお断りにうかがったのですが、受付であれこれ聞かれ、結局 受診することになりました。昨日のことです。 以下、概要です。 → 個室に案内される → 採血 → レントゲン → 診察 → 炎症反応 ゼロ、肺に異常なし → 前回出た薬の説明、副作用はない → 超音波検査 → 左右の腎臓とも腎盂炎のような気がします、との歯切れの悪い言い方をする → 尿検査 → 一時帰宅し牛乳を飲みつつ、尿意を催すのを待つ → オシッコを持って「寺田クリニック」さんへ → 異常なし → 肛門から指を入れ、前立腺の様子をうかがう → 信じられないような痛み → 前立腺の炎症 → 前立腺に触れたため、再度 尿検査 → 待合室に置かれた自動販売機でアイスコーヒー、ミネラルウォーターを買って飲みつつ、 尿意を催すのを 待つ → 尿を渡したまま結果は知らされないままに、会計、調剤薬局 → 帰宅  Dr.T  が電話で話していたように、泌尿器の専門科医はまず泌尿器を疑いますね。木を見て森を見ず、という感を抱いています。3時間ほどかかりました。ただいまの体温、37.5度。受診前の体温より、0.8度上昇し、 肛門の痛みとともに、嫌気がさしています。

TWEET「病気療養中につき_28」

 通読することを旨 とする。初読後、間もなく再読、と決めてから、積読するままになっていた大部の作品を読み、また理解するようになった。その代表例が、 ◇ 小林秀雄『本居宣長 (上,下)』新潮文庫 である。 初読、また再読に 25日を要した。特に初読は困難な道のりだった。立ち止まり、耳を澄ませて待つことを覚えた。貴重な読書体験だった。  ここに、四十四巻から成る、三十五年の歳月を費やし、意を尽くした、『古事記伝』の完成をみた。    九月十三夜鈴屋にて古事記伝かきをへたるよろこびの会しける兼題 披書視古    古事の ふみをらよめば いにしへの てぶりこととひ 聞見るごとし  また、小林秀雄は、『本居宣長』を、昭和四十(1965)年、六十三歳の夏から雑誌『新潮』に十一年あまりにわたって連載した。その後一年をかけて推敲し出版した。小林秀雄は、十二年を超える歳月をかけて、本居宣長と対峙した。  これらの歳月を思えば、25日はかすんで見える。恥いるばかりである。 「稗田阿礼の『声』と本居宣長の『肉声』と、また小林秀雄と井筒俊彦と」 小林秀雄『本居宣長 上』新潮文庫 「宣長の述作から、私は宣長の思想の形体、或は構造を抽き出そうとは思わない。実際に存在したのは、自分はこのように考えるという、宣長の肉声だけである。出来るだけ、これに添って書こうと思うから、引用文も多くなると思う」(24頁) 『本居宣長をめぐって』 小林秀雄 / 江藤 淳 小林秀雄『本居宣長 下』新潮文庫 小林  それでいいんです。あの人(本居宣長)の言語学は言霊学なんですね。言霊は、先ず何をおいても肉声に宿る。肉声だけで足りた時期というものが何万年あったか、その間に言語文化というものは完成されていた。それをみんなが忘れていることに、あの人(本居宣長)は初めて気づいた。これに、はっきり気付いてみれば、何千年の文字の文化など、人々が思い上っているほど大したものではない。そういうわけなんです。(388頁) (中略) 江藤  宣長は『古事記』を、稗田阿礼が物語るという形で、思い描いているのですね。『古事記』を読んでいる宣長の耳には、物語っている阿礼の声が現に聞えている。(391頁)  また、『本居宣長』は、小林秀雄の「肉声」が、活字の体裁をとったものである。本居宣長は、稗田阿礼の「声」を聞き、小林秀雄は、本居宣長の「肉声」

TWEET「病気療養中につき_27」

 2022/12/30 に、帯状疱疹で、「休日夜間急病診療所」を受診するまでは、愉快で呑気だった。そのおよそ2か月後 帯状疱疹の治療を終えたが、後遺症として帯状疱疹後神経痛が残った。また肺炎になり治療後、微熱が続くままに、いまにいたっている。なんらかの病の予兆か、無関心でいいものか、いまだに定かではない。  今年になり、記憶らしい記憶がない。帯状疱疹のあの痛みの記憶さえ遠のいてしまった。  長らく疎遠だった、死の予感を覚えている。  以下の二つの「TWEET」を読むと、忸怩たるものがある。  奇しくも明日、62歳の誕生日である。 TWEET「美は曇りなき眼が見つける」 2021/03/24  2021/04/09 に還暦を迎える。16日後に迫った。還暦の後先ということをしきりに考えている。焦燥感がある。準備の捗らないこともあり、おぼろげな行方しかみえないこともある。  今日の読書は、小林秀雄か井筒俊彦か迷った末に、井筒俊彦の著作を手にした。 そして、 ◇ 井筒俊彦『意識と本質 ー 精神的東洋を索めて ー 』岩波文庫 ◇ 井筒俊彦『意味の深みへ』岩波文庫 「意味分節理論と空海 ー 真言密教の言語的可能性を探る」 ◇ 井筒俊彦『コスモスとアンチコスモス:東洋哲学のために』岩波文庫 「事事無礙・理理無礙 ー 存在解体のあと」 の三作品のうちの、 ◇ 井筒俊彦『意味の深みへ』岩波文庫 「意味分節理論と空海 ー 真言密教の言語的可能性を探る」 を読んだ。  この世に生を享けたからには、この世の始源・淵源のことについて知りたいという欲求がある。そして、曇りなき眼で四囲を見つめたい。美は曇りなき眼が見つける。観想体験もなく、観照体験もなく、つい井筒俊彦の著作群に手が伸びる。読前・読後では明らかに差異が認められる。  はじめに「焦燥感がある」と書いたが、いままで書き留めたブログを、いかに整理して、 「Kindle Direct Publishing」に載せようかということであって、他愛もないといえば、他愛もないことである。 ◇ 井筒俊彦『意識と本質 ー 精神的東洋を索めて ー 』岩波文庫  上記以外の 3冊の岩波文庫本は、2019/02/15 から順次発刊されたもので、以前は、慶應義塾大学出版会の新しく編まれた全集本で読んでいた。私の嗜好するおよその作品は、岩波文庫本におさめられて

TWEET「病気療養中につき_25」

 桜が葉桜になりつつあるこの時期に際し、平熱になりつつあります。処方された前立腺肥大の薬を中止したことが原因かどうかは、定かではありません。  いま、「武士道」です。 「おのが誠を咲くさくらかな」 明石康,NHK「英語でしゃべらナイト」取材班『サムライと英語』角川oneテーマ21 「新渡戸稲造の孫にあたる加藤武子さんの自宅に、新渡戸に関する様々な遺品や記録が残されている。その中の一枚の色紙に、次のような新渡戸の歌が書かれていた。 「見ん人のためにはあらで奥山に おのが誠を咲くさくらかな」 (中略)  新渡戸が『Bushido(武士道)』で説きたかった日本人の精神性をひとことで言い表した歌である」(221頁) 人さえ見れば出し抜こうと思う、見苦しい時代になったものである。誠心誠意ということに欠ける。 新渡戸稲造「吾人はこれを余裕と呼ぶ」 新渡戸稲造著,矢内原忠雄訳『武士道』岩波文庫   岩波文庫『武士道』の 「第四章 勇・敢為(かんい)堅忍の精神」 を読んだ。何の気なしに読んだ。 「ーー吾人はこれを「余裕」と呼ぶ。それは屈託せず、混雑せず、さらに多くをいるる余地ある心である。」(48頁) 「混雑せず」とは、おもしろい表現である。英文和訳に由来するものだろう。矢内原忠雄の意図したものかどうかは、原文に当たっていないので定かではないが、翻訳の妙味であることにかわりない。 「上杉謙信は十四年の間、武田信玄と戦ったが、信玄の死を聞くや「敵の中の最も善き者」の失(う)せしことを慟哭(どうこく)した。謙信の信玄に対する態度には終始高貴なる模範が示された。信玄の国は海を距(へだた)ること遠き山国であって、塩の供給をば東海道の北条氏に仰いだ。北条氏は信玄と公然戦闘を交えていたのではないが、彼を弱める目的をもってこの必需品の交易を禁じた。謙信は信玄の窮状を聞き、書を寄せて曰く、聞く北条氏、公を困(くるし)むるに塩をもってすと、これ極めて卑劣なる行為なり、我の公と争うところは、弓箭(ゆみや)にありて米塩にあらず、今より以後塩を我が国に取れ、多寡(たか)ただ命(めい)のままなり、と。」(50頁)  簡潔な文章で意を尽くしている。さらさらと流れ、障るところがない。偶然手にした『武士道』の、内容如何にもまして、まず文体に感心した。新渡戸稲造の手になるものか、矢内原忠雄の翻訳に因るものかは不明で

TWEET「病気療養中につき_24」

◇ 松谷みよ子著,瀬川康男絵『いないいない ばあ』童心社  当書は、1967年に出版され、出版総数 700万部を越えるロングセラーです。 「日本でいちばん愛されています」 ◇ なかがわりえこ,おおむらゆりこ『ぐりとぐら』福音館書店  おおむらゆりこさんが亡くなられた、2022/09/29 に購入しました。 ◇ V. ベレストフ原案,阪田寛夫文,長新太絵『だくちる だくちる ― はじめてのうた』福音館書店  私の最も好きな絵本です。 ◇ エリック・カール作,もりひさし訳『はらぺこあおむし』偕成社 「世界中の子どもたちに読まれている、エリック・カールの絵本」 ◇ レオ=レオニ著,谷川俊太郎訳『じぶんだけのいろ ー いろいろさがしたカメレオンのはなし』好学社  レオ=レオニの作品の中で最も好きな絵本です。 ◇ レオ=レオニ著,谷川俊太郎訳『スイミー  小さな / かしこい / さかなの / はなし 』 好学社  この絵本にも、意外性が待ち受けています。 ◇ レオ=レオニ著,谷川俊太郎訳『フレデリック ー ちょっとかわったのねずみのはなし』 好学社 「ちょっとかわった」詩人、 フレデリック は、私の理解を遠く越えています 。  2022/07/29 に、TWEET「絵本 Best 7」を書きましたが、以下、その中の一節です。自戒の言葉としています。 「絵本を読む際には、遅読を心がけ、絵に目を凝らしてください。簡単に頁を繰らないでください。絵本とは、絵が主、文は従と心得てください。特に、レオ=レオニの絵は卓越していて、細部を注意して見ないと面白みが半減します」   絵本は間もなく、私の手をすり抜けて 、誰彼の手に渡ってしまいます。どうやら私にとって絵本とは、そのようなものらしい。  今日の午前中に、すべての絵本が届けられました。   解熱剤の特効薬になることを願っております。

TWEET「病気療養中につき_22」

  2023/03/29 に、「寺田クリニック」さんで、炎症反応ゼロということで、肺炎の治療を終えたが、どうやらぬか喜びだったらしい。  以来、平時の体温が 37度を越え、少し動くと37.7度、37.8度になる。  昨夕たまらず、Dr.T に電話をした。詳細は省くが、Dr.T の脳内は 、また医師の脳内もそろってのことだろうが、明晰だった。  結論だけいえば、肺炎の治療を終えるとともに処方された、前立腺肥大の薬の副作用の可能性も考えられるということで、数日間 服用をやめて様子をみることにした。  父は、胃薬のタケプロンの薬害で浮腫となり、体重が10kg 以上も増え、もう駄目かと思ったことがある。  副作用であってほしいと思う。もしそうでなければ、寺田先生に紹介状を書いていただき、豊橋市民病院で精密検査、ということになるだろう。この歳で、精密検査をうければ、何箇所もの悪いところが見つかるのは必至である。  TWEET「病気療養中につき」が 22回も続き、まだ先がある、とは思ってもみなかったことである。  病体が正常である、と 思うことにした。さもなければ、事が先に進まない。  昨日、Amazon で、 ◇ 相馬御風『新装版 良寛坊物語』新潟日報事業社 を注文した。長らく在庫切れになっていた本である。また、いまも在庫切れになっている。 積読でもかまわない、こういった書物との出会いの喜びに浸りたいと思っている。

TWEET「病気療養中につき_21」

「ぜいたくなたのしみ」 白洲正子,牧山桂子 ほか『白洲正子と歩く京都』新潮社 この春はお花見に京都へ行った。あわよくば吉野まで足をのばしたいと思っていた。ところが京都へ着いてみると、ーー 私はいつもそうなのだが、とたんにのんびりして、外へ出るのも億劫になり、昼は寝て夜は友達と遊んですぎてしまった。花など一つも見なかったのであるが、お天気のいい日、床の中でうつらうつらしながら、今頃、吉野は満開だろうなあ、花の寺のあたりもきれいだろう、などと想像している気持は、また格別であった。 「皆さん同じことどす」といって、宿のおかみさんは笑っていた。二、三日前には久保田万太郎さん、その前日は小林秀雄さんが泊っていて、皆さんお花見を志しながら、昼寝に終ったというのである。  京都に住むHという友人などもっとひどい。庭に桜の大木があるが、毎年花びらが散るのを見て、咲いたことを知るという。千年の昔から桜を愛し、桜を眺めつづけた私たちにはこんなたのしみ方もあるのだ。お花見は見渡すかぎり満開の、桜並木に限らないのである。(「お花見」より抜粋)(70頁) 花に誘われ京へ、そして木も見ず森も見ず、「皆さん同じことどす」と、昼寝を決めこむとは、飛び抜けていて、すてきです。

TWEET「病気療養中につき_20」

「小林秀雄氏」 白洲正子『夢幻抄』世界文化社  そんなことを考えていると、色んなことが憶い出される。はじめて家へみえたとき、 ー その頃は未だ骨董の「狐」が完全に落ちてない時分だったが、「骨董屋は誰よりもよく骨董のことを知っている、金でいえるからだ」という意味のことをいわれた。私にはよくのみこめなかったが、少時たって遊びに行ったとき、沢山焼きものを見せられ、いきなり値をつけろという。 「あたし、値段なんてわかんない」 「バカ、値段知らなくて骨董買う奴があるか」  そこで矢つぎ早に出される物に一々値をつけるハメになったが、骨董があんなこわいものだとは夢にも知らなかった。その頃小林さんは、日に三度も同じ骨董屋に通ったという話も聞いた。  あるとき、誰かがさんざん怒られていた。舌鋒避けがたく、ついに窮鼠猫を嚙むみたいに喰ってかかった。 「僕のことばかし責めるが、じゃあ一体、先生はどうなんです?」 「バカ、自分のことは棚に上げるんだ!」  最近はその舌鋒も矛(ほこ)をおさめて、おとなしくなったと評判がいい。(15-26頁)   今日は、「エープリルフール」,「四月馬鹿」である。しかしこれは、いつの時も真実である。

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「続 海辺の墓」  洲之内徹『帰りたい風景 気まぐれ美術館』新潮社   そういうことにならなかったのは、「あなたって、どうしてこんなに恋しいの」と手紙に書いてきたりした彼女が、一年半ほど経ったある日、突然また、「あたし、なんだかしんとしてしまったのよ、煮え立ったお鍋に水を注したときのように、急にしんとしてしまったのよ」と言ってきたからであった。つまり私は一旦振られたわけだが、振られながら、自分の心の状態をこんなに正確に、しかもなんのためらいもなく言ってくる彼女に、更めて感心してしまうのであった。(102頁)   今日は、「エープリルフール」,「四月馬鹿」である。嘘から出た真か、真から出た嘘か、嘘でも真でもかまわず、読むたびに、やはり「感心」してしまう。