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「伊勢・熊野_巡拝の道行き」

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2026/05/10 ◇「椰子の実」歌碑 「歌碑」には、島崎藤村の「椰子の実」の詩が刻まれていた。 「椰子の実」歌碑 (拡大してご覧ください)  また裏面には、その由来が刻まれていた。 「明治三十年の夏 伊良湖に 逗 畄 (留)した 柳田國男氏が この 磯に 漂着した 椰子の実 を拾い 東京に持ち帰り 親友 島崎藤村氏に 見せて この 詩が 生れたことは 昭和二十七年十月 柳田氏の 随筆 海上の道で 明かにされたものである。         昭和三十六年 陽春         記念のため これを 建てる 昭和三十六年 丑之歳 陽春 建立」  さらに作曲者「大中寅ニの碑」があった。 「椰子の実」は、佐々木信綱作詞の「夏は来ぬ」とともに、私にとって大切な歌である。土居裕子さんの歌で聞いている。 ◇「伊良湖オーシャンリゾート(旧伊良湖ビューホテル)」 「ランチビュッフェ&日帰り入浴」  目の前には、太平洋、恋路ヶ浜(こいじがはま) が広がっていた。  その後 15:20 発の「 伊勢湾フェリー」で鳥羽に向かった。 潮風に吹かれ、船首波の綾なす彩りを見つめていた。   ◇「瀧原宮(たきはらのみや)」 「別宮」である。  夕闇迫るころ参拝した。 「御手洗場(みたらしば)」である、 「頓登川(どんとがわ)」 「頓登川」の清らかな谷川の水を しばし見つめていた。 ◇「道の駅 奥伊勢木つつ木館」 「瀧原宮」と目と鼻の先にある。  車中泊。 2026/05/11 ◇「瀧原宮」  今回 二度目の参拝だっだ。早朝の「瀧原宮」には人気がなく、清々しかった。 「瀧原宮 (たきはらのみや) 」,「瀧原竝宮(たきはらのならびのみや)」,「若宮神社」,「長由介(ながゆけ)神社(川島神社)」の「順にお参り下さい」と書かれた「立て札」が立っている。いずれもかわいらしいお社である。 「瀧原竝宮,瀧原宮」 「瀧原宮」 「瀧原宮」 司馬遼太郎『この国のかたち 五「神道」』文春文庫 「古神道というのは、真水(まみず)のようにすっきりとして平明である。  教義などはなく、ただその一角を清らかにしておけば、すでにそこに神が在(おわ)す。  例として、滝原の宮(瀧原宮)がいちばんいい。  滝原は、あ...

「新春に,空外著を漁る」5-1

 2021/12/06 以来、「四国遍路」を渉猟してきたが、ついに精魂尽き果て、不甲斐なくも、昨日は一日中横になっていた。  なかでも山本空外先生との邂逅は大きな収穫だった。白川静と同様に大きすぎ、手にあまる。しかし、著作を身辺にそろえておくことは不可欠である。いつ何時、何かがはじまらないともかぎらない。一文の理解に眼を開かされることもある。 以下の6冊が、数日中にそろう。 ◆ 山本空外著,龍飛水編集『いのちの讃歌』無二会 ◆ 龍飛水『二十世紀の法然房源空 山本空外上人聖跡素描』無二会 ◆『墨美 山本空外 ー 書と書道観 1971年9月号 No.214』墨美社 ◆『墨美 山本空外 ー 書と書道観(二)1973年6月号 No.231』墨美社 ◆『墨美 山本空外 ー 書論・各観 1979年7月号 No.292』墨美社 ◆ 森田子竜『書:生き方の形』日本放送出版協会 分をわきまえない、大それた買い物である。

小林秀雄,井筒俊彦「書くということ」3/13

「拝復 P教授様_言葉が生まれるのを待つ」  作文を書いている最中に、あるいは推敲中に、文章をぼんやり眺めていると、無意識のうちに、適当な語が浮かんでくることがあります。これらの言葉は、深層から表層にのぼってきたもので、きわめて的確です。我知らず、忘却の彼方より、適切な一語が、ということです。  これは深層意識のなせる技であり、深層領域には、我々が見聞したことのすべてが記憶されていることの証左であると、私は受け止めています。  小林秀雄は、「机の前に座って言葉が生まれるのを待つ」といい、「言葉が言葉を生む」といっています。「どんな作品になるか、はじめからそんなことが解っていたら、おもしろくないじゃないか」とも発言しています。  井筒俊彦も、「机の前に座って言葉が生まれるのを待つ」と書いています。  彼らの「書く」という営為は、両氏の「実存体験」であって、それらの作品は、彼らの「存在論的風景」であると、私は勝手に理解しております。 たびたびのお便り、どうもありがとうございました。 FROM HONDA WITH LOVE.

「白川静『初期万葉論』_はじめから」19/19

◇ 白川静『初期万葉論』中公文庫 の付箋のはさんである頁だけを読み直しました。 いま、 ◇ 中西進『古代史で楽しむ 万葉集』角川ソフィア文庫 を再読しています。96頁まで読みました。「はじめから」は、初読時と比較するとはるかに明らかです。    白川静『初期万葉論』中公文庫 「第一章 比較文学の方法 二 発想と表現」 「前期万葉の時代は、なお古代的な自然観の支配する時期であり、人びとの意識は自然と融即的な関係のうちにあった。自然に対する態度や行為によって、自然との交渉をよび起こし、霊的に機能させることが可能であると考えらえていたのである。 (中略)  自然との交渉の最も直接的な方法は、それを対象として「見る」ことであった。前期万葉の歌に多くみられる「見る」は、まさにそのような意味をもつ行為である」。 (中略) 「見る」ことの呪歌的性格は、「見れど飽かぬ」という表現によっていっそう強められる。(15-17頁) (註)「呪」の語源は「祝」であると白川は書いている。「呪」の字は「いのる」とも読む。「呪能」と同義で「呪鎮」と書くこともある。 「第四章 叙景歌の成立 三 見れど飽かぬ」 「古代においては、『見る』という行為がすでにただならぬ意味をもつものであり、それは対者との内的交渉をもつことを意味した。国見や山見が重大な政治的行為でありえたのはそのためである。国しぬびや魂振りには、ただ『見る』『見ゆ』というのみで、その呪的な意味を示すことができた。『万葉』には末句を『見ゆ』と詠みきった歌が多いが、それらはおおむね魂振りの意味をもつ呪歌とみてよい。」(154頁) 「『見れど飽かぬ』は、その状態が永遠に持続することをねがう呪語であり、その永続性をたたえることによって、その歌は魂振り的に機能するのである。」(153頁) 「見る」ことは、見られることである。見交わすこと、見え交わすことによって、人と対象との通路が開ける。「見る」ことは振り向かれるように「見る」ことだった、と思う。  甲骨文や金文に親しんだ白川静にとって、「見る」「見れど飽かぬ」ことの意味を解することは、さして難しいことではなかったはずである。  白川は、「見る」「見れど飽かぬ」についての、何首かの語釈の誤りを指摘した上で、 「初期の万葉歌に叙景の名歌を認め、『人麻呂歌集』的な相聞歌を人麻...

「立命館大学 白川静記念 東洋文字文化研究所_白川フォント」18/19

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   一昨夜ブログを書くために、[ (サイ)]の字を探した。しかし、[ ]の字は見当たらず、私がいま使用している[ ]は、画像である。  検索していると、 ◇ 「立命館大学 白川静記念 東洋文字文化研究所」 ◇ 「白川フォント」 ◇ 「白川フォント ダウンロード」 のサイトが見つかった。歩けば棒に、ということか。 以下、 「kanjicafe」 さんからの引用である。 「2016年12月、立命館大学白川静記念東洋文字文化研究所が、コンピューター上での利用が困難であった甲骨・金文などの古代文字を、Microsoft Word などの一般的な文書作成ソフトで簡単に利用できるようにする文字フォント「白川フォント」を発表しました。  同研究所ホームページによると、「白川フォント」に収録されている古代文字は、常用漢字(2136字)・人名漢字(650字)の中で古代文字が判明している漢字を対象としており、古代文字の全収録数は4391字だそうです。これらのフォントは無償で公開されており、簡単にパソコンにダウンロードすることができます。  また、同ホームページにある「検索システム」を使えば、入力した漢字の文字列から古代文字を表示させたり、入力した漢字一字から古代文字の画像を検索することができます。」  早速私はインストールして恩恵に欲している。文字を意匠として楽しんでいる。 「文字は神であった」。文字は神々しかった、というのは当然の帰結であろう。 粋なはからいである。ご苦労がしのばれる。

高橋和巳「S教授と文弱な私」17/18

「立命館と高橋和巳 ー 『捨子物語』と「六朝期の文学論」」 「対談 ① 神と人との間 漢字の呪力 梅原猛 × 白川静」 『別冊太陽 白川静の世界 漢字のものがたり』平凡社  立命館大学で中国学を研究されるS教授の研究室は、京都大学と紛争の期間をほぼ等しくする。立命館大学の紛争の全期間中、全学封鎖の際も、研究室のある建物の一時的封鎖の際も、それまでと全く同様、午後十一時まで煌々と電気がついていて、地味な研究に励まれ続けていると聞く。団交ののちの疲れにも研究室にもどり、ある事件があってS教授が鉄パイプで頭を殴られた翌日も、やはり研究室には夜おそくまで蛍光がともった。内ゲバの予想に、対立する学生たちが深夜の校庭に陣取るとき、学生たちにはそのたった一つの部屋の窓明りが気になって仕方がない。その教授はもともと多弁の人ではなく、また学生達の諸党派のどれかに共感的な人でもない。しかし、その教授が団交の席に出席すれば、一瞬、雰囲気が変るという。無言の、しかし確かに存在する学問の威厳を学生が感じてしまうからだ。  たった一人の偉丈夫の存在がその大学の、いや少なくともその学部の抗争の思想的次元を上におしあげるということもありうる。残念ながら文弱な私は、そのようではありえない。((高橋和巳)『わが解体』)(37-38頁) (S教授とは、白川静教授のことです) 以下、最後の、 ◇「蘇東坡と陶淵明 ー「白川静」は三人? ◇ 「立命館と高橋和巳 ー 『捨子物語』と「六朝期の文学論」 ◇「長生の術 ー 百二十歳の道」 の三つのタイトルの下では、白川静さん、梅原猛さん、そして編集部の方も加わって、軽妙で洒脱な会話が交わされ、三者三様に楽しまれている。 「当時の立命は素晴らしかった」と言った梅原さんの発言が結論めいているが、九十一歳になられる白川さんへの労りの言葉に満ちており、本対談の掉尾を飾る、粋な計らいとなっている。

白川静「鳥が運んだものがたり」16/19

「死・再生の思想 ー 鳥が運んだものがたり」 「対談 ③ 孔子 狂狷の人の行方 梅原猛 × 白川静」 『別冊太陽 白川静の世界 漢字のものがたり』平凡社 梅 原  特に縄文時代、しかし弥生時代にも多分に縄文が残っているでしょう 、殷的なものが。それから、やはり「死・再生」です。魂が古い屍を去って、あちらへ行く。無事あちらへ送らなくちゃいけない。そういうのが大きな願いなんですね。生まれるのは、今度はあちらからこっちへ帰って来る。  死・再生というのは東洋の重要な宗教儀式だと思っているんですが、例の伊勢神宮の柱ですね。 編集部  心(しん)の御柱(みはしら) 梅 原  御遷宮(ごせんぐう)ですね、柱の建て替え。それと同じようなものが 「 諏訪(すわ)の御柱(おんばしら)」。 (また能登の「真脇(まわき)遺跡のウッドサークル」) (中略)  だから御遷宮のように木を作り替える。ウッドサークルは縄文まで遡るんですよ。それはやはり生命の再生。木は腐る、だから腐らないうちに、神の生命が滅びないうちに、また新しい神の命を入れ替えてですね、ずっと伝える。こういうのがですね、私、日本の宗教の基本だと思ってますが、こういう儀式をもっと壮大にしたのが殷の姿だと、字の作り方なんかで感じました。 白 川  中国ではね、鳥形霊(ちょうけいれい:鳥の信仰は全世界に分布する。鳥は必ず水鳥・渡り鳥である)という考え方があるんですが、これはやはり祖先が回帰するという考えに繋がっておるんじゃないかと思う。季節的に決まった鳥が渡って来るでしょ。 梅 原  水鳥ですね。鳥の信仰は殷にはありますか、鳥は霊ですか。 白 川  あります、鳥は霊です。星でも鳥星(ちょうせい)ちゅう星を特別に祀っています。どの星のことか知らんけど、甲骨文に出て来る。特別の信仰を持っておったんではないかと思うんですがね。  鳥星は「好雨(こうう)」の星と考えられていたので、「止雨(しう)」を祈るんです。甲骨文にそのことが書いてある。 梅 原  (前略)だから今の日本でやる玉串奉奠(たまぐしほうてん)というのは、あれ、(鳥の)羽根ですね。ひらひらしているの。これはやっぱり僕は共通の信仰だった気がしますね。はっきり出て来ますか、鳥は。 白 川   ええ、だから色んな民俗的なものにも出て来てね。例えば軍隊を進めるかどうかという時ね、...

白川静「死と再生のものがたり」15/ 19

「殷と日本 ー 沿海族の俗」 「対談 ③ 孔子 狂狷の人の行方 梅原猛 × 白川静」 『別冊太陽 白川静の世界 漢字のものがたり』平凡社 まずはじめに、 梅 原  私が興味を持っているのは少数民族なんです。アイヌの人たちに興味を持ったのは、彼らが縄文の遺民であり、縄文文化を理解するにはアイヌ文化を理解しなければならないと思ったからです。縄文時代のことで考古学では解らんことは、アイヌの風習で解いたんですが、それで大体当たっている。(133頁) 編集部  先生、あの「殷」という字ですけど、少し説明して頂けますか。 白 川  「殷」は商の蔑称ですからね。扁(へん)は身重(みおも)の形。旁(つくり)は「叩く」。どういう意味か解らんけども妊婦を叩くんだから、何か呪的な意味があったんでしょうね。それを廟中(びょうちゅう)、御霊屋(みたまや)で行う字形もある。妊婦の持っている特別な力を作用させるために、妊婦を叩く。「殷」というのは「激しい」とか「破壊」、血が出る場合には「万里朱殷(ばんりしゅあん)たり」いう風に、万里血染めになるという。だから非常に激しい意味を持った字ですね。 梅 原  ああ、そうですか。これは面白いですね。その妊婦でいえば縄文の土偶(どぐう)は、全部妊婦なんです。 (中略)   その意味が長い間解らんかったんですが、ハル婆ちゃんにアイヌの葬法について聞きますと、妊婦を埋葬するのがいちばん難しいと言うんです。というのは、子供が生まれるというのは新しく生まれるのではなくて、祖先の誰かが帰って来たということなんです。だから子供が出来ると、A家とB家の祖先が相談して、誰を帰すか決める。で、決まったら妊婦の腹に入って出て来る。だから胎児が死ぬと閉じこめられて、出て来れない。これは大きなタタリになる。ですから妊婦が死ぬと霊を司るお婆さんが妊婦の腹を割いて赤子を取り出し、妊婦にその子を抱かせて葬るということを聞いたんです。  そこから土偶を見ると、「妊婦」「異様な顔」(死者の顔)「腹を縦に割く」(赤子を取り出す)「バラバラにする」(この世で不完全なものはあの世で完全という思想)「丁寧に埋葬されている」という風に条件が当てはまる。こういうことをある媒体に書きましたら、福島の方から手紙を頂いて、福島の方では明治の頃までは、死んだ妊婦の腹を割いて胎児を取り出し、妊婦に抱かせて、しか...

白川静「ディオニュソス的中国観」14/19

「『白川静』の学問 ー 異端の学?」 「対談 ① 神と人との間 漢字の呪力 梅原猛 × 白川静」 『別冊太陽 白川静の世界 漢字のものがたり』平凡社 梅 原  もう三十年も前になりますか。それからずっと、先生をみてますと、先生は年々偉くなってる。年々先生の凄さが私にも解ってきたような気がする。  前は先生を偉いが異端の学者だと思ってましたけど、中国学の本道ではないと思ってました。しかしだんだん、先生が一つの大きな学問を開かれているんだという、そういうことを実感し始めたのです。私は先生の本の全部を理解するにはとても及びませんけど、私の理解した部分だけでも、一つの新しい中国学がここで始まっていると、中国の文明というものを本当に理解するためにはどうしても必要な、世界的に重要な新しい学問が先生によって作られているんだ、ということをつくづく感じます。  この例は適当かどうか解りませんけど、私が若い時から好きなニーチェ、このニーチェがディオニュソス的ギリシアを発見した。今まではアポロン的に、合理主義的に理解されて来たギリシア哲学は理性の体系だと、ギリシャ思想は “もの”をクリアに見るアポロン精神でのみ理解されて来たんですが、そればかりではない、もう一つギリシアには、違った精神がある、それはディオニュソスだと。ディオニュソスというのは酒の精神ですからね、情熱が溢れ出るようなそういう熱狂の精神がギリシアにある。それがニーチェの新しいギリシアの発見です。そのニーチェの発見と同じものが先生にはある。  私は吉川幸次郎(よしかわこうじろう:京都大学名誉教授)先生の著作を愛読しているんですけど、吉川先生が中国でいちばん好きなのは孔子(こうし)と杜甫(とほ)だと、特に杜甫ですね。それは不可思議な世界があることを感じてはいるが、認識を人間の及ぶ理性の範囲に留めた。いわゆる「怪力乱神 を語らず」です。そういう点で、孔子と杜甫をいちばん評価している。「吉川中国学」というのは、アポロン的な中国観なんですよ。  ところが先生はディオニュソス的中国観を開いたのです。アポロン的なものの見方を真っ向から変えてしまった。漢字の背後に全く不合理としかいえないような、畏しい神の世界がある。(26頁)  従来の「中国学」は、「白川中国学」を通して見直しを余儀なくされ、また今後の「中国学」は、「白川中国学」の上に築か...

白川静「中国の神話 ー 奪われたものがたり」13/19

「 中国の神話 ー 奪われたものがたり」 「対談 ③ 孔子 狂狷の人の行方 梅原猛 × 白川静」 『別冊太陽 白川静の世界 漢字のものがたり』平凡社 梅 原  白川先生の三作を選ぶとしたらね、絶対『孔子伝』は入れんならん。それに、字引ですね、字書三部作。それからもう一つは古代中国の専門的な研究だなあ、或いは『詩経』だな。 (中略) ギリシア神話はよく知られてる、ローマ神話は知られてる、日本の神話は知られてるけど、中国の神話ってものがあんまり知られていないような気がしますけどね。 白 川  日本の場合には神話が一つの国家神話的な形で統一されてね、本来別々のものが何か関連があるという風な形にそれぞれ部署が与えられてね、まとめられて、そしてそういうまとまったものが神話である、という考え方が我々の中にあった。 梅 原  ギリシアもそうですね。 白 川  ところが中国のはバラバラなんですね。それは非常に古くからあった部族国家が、それぞれみな神話を持っておった。それが色々、滅ぼされたり移動したりする間にね、場合によっては受け継がれることもあるけれども、或るものは滅びてしまう、という風にしてね。まとまった形では殆ど残ってないんですね。  ただ、しかし残されたものが、先刻言いましたように『楚辞』の中に、或いは『荘子』の中にたくさん出て来る。それから『山海経』という大変不思議な書物ね、あの中にまた色々な神像が出て来る。 白 川  (前略)本来は実際に神話として生きておった時代がある訳ですね。そういう風なものが形骸的に残ったのが『山海経 』。 梅 原   日本神話というのも、実際はあちこちに語られておる神話を一つの体系にまとめたんです。非常にそこに無理があるんですけどね。中国は殷も周もそういう神話を統一するという、そういう要求を持たなかったんですかね。 白 川  それは違った神は信仰しないという考え方があるの。その神にあらざれば祀らず、というね、違った神様を祀るということは決して幸せなことでないという考え方がある。 梅 原   ギリシアでも『神統記(しんとうき)』とか、統一しようとする動きがあります。神を祀っている部族を統一しようとする要求の中から起こって来た。日本の神話も、ギリシア神話もね。中国は「神を祀らず」だから、自分の神しか出て来ない。だから神話が落ちた訳ですか。 白 ...

白川静「荘子の儒家批判」12/19

「荘・老 ー 『荘子』・神々のものがたり」 「対談 ③ 孔子 狂狷の人の行方 梅原猛 × 白川静」 『別冊太陽 白川静の世界 漢字のものがたり』平凡社 梅 原  (前略)もう一つ面白かったのは、老子(ろうし)がですね、そういう殷の思想を受け継いでいるんじゃないかという先生の指摘ですけどね。これも大変面白かったですね。 白 川  それはね、儒教の批判者としては、荘周(そうしゅう)、荘子(そうし)ですね、荘子が初めに出て、老子というのは実は後なんです。 梅 原  普通逆に考えられますけど。 白 川  『老子』という書物は全部箴言(しんげん)で出来ている。全部韻(いん)をふんで、格言みたいなね。箴言集なんです。  荘周の学派は、どちらかというと儒教とやや近いんですけれども、うんと高級の神官のクラスですね。この連中はお祭を支配する司祭者ですから、古い伝統をよく知っている。神話なんかもよく知っている。そして古い氏族の伝統なんかもよく知っている。そういうことを知っておらんと祭は出来ませんからね。  だから同じ祭儀を行うにしてもね、儒家はそれの下層の方、荘周の一派はそれのうんと上層のね、神官の知識階級ですね。だから彼らのものの考え方はかなり哲学的であるし、ニーチェなんかに似とるとよく言われますね、あの文章は。そういう非常に思弁的なグループなんですね。そして彼らが儒家の思想を批判するのです。儒家の考え方というものはね、葬式とかそういう「もの」に即して具体的であり、現実的であるけれどもね、超越的な、絶対的なという風な、形而上的なものがないという。 梅 原  その通りです。 白 川  そういう立場から、儒家を批判する。そしてその批判する議論の仕方にね、単に論理を使うだけではない、いわゆる寓話を使う。その寓話の大部分が神話です。当時おそらくあったと思われる神話は、殆ど『荘子』三十三篇の中にある。儒教はね、神話は殆ど使わない。 梅 原  そうですね。ないですね。 白 川  彼らはその伝承にあずかっておらんのです。ところが荘周の一派はね、そういう神話の伝承を持っておって、そういう立場から古代の葬式を支配しておった。彼らからみると、儒家の考え方は相対的であり、思弁的でないと。もっと超越的な立場というものを持たなければ、思想というものは完成されないという、そういう立場からね、儒家の実践道徳的なそ...

白川静「やっぱり、蘇東坡かな」10/19

「蘇東坡と陶淵明 ー「白川静」は三人? 「対談 ① 神と人との間 漢字の呪力 梅原猛 × 白川静」 『別冊太陽 白川静の世界 漢字のものがたり』平凡社 梅 原  先生は、中国史の中に登場する人物では、誰がいちばんお好きですかね。 白 川  一人だけですか。ず〜っと歴史的にみていって… 梅 原  ええ。 白 川  やっぱり、蘇東坡(そとうば)かな。 梅 原  蘇東坡ですか、ああ。どういうところでしょうかね。 白 川  彼はね、非常に才能もあり、正しいことを言うとるんだけれどもねえ、何遍も失脚してね、海南島(かいなんとう)まで流されたりして、死ぬような目に遇(お)うて、それでも知らん顔してね、すぐれた詩を作り、文章を書き、書画を楽しんでおった。 梅 原  ああ、そこがいいんですか。陶淵明(とうえんめい)はどうですか、陶淵明は。 白 川  陶淵明はね、ちょっと悟り過ぎ。詩はいいですよ。 梅 原  ああ、詩はいいですね。 白 川  詩はいい。詩はいいけどもね、生き方としてはね、ちょっと悟り過ぎだしね。晩年どうしとったんか解らん。四十ぐらいまでは詩でよう解りますけどね、あと死ぬまで何しとったんかね、よう解らん。まあ、世に隠れておった訳でしょうね。 梅 原  今度先生の本読んで、先生はね、隠れた詩人だと僕は思ったなあ。だからね、先生の文にはどこか解りにくいところがあるんだな。やっぱり詩のようにね。ちょっとこう独自の文体ですよ。ちょっと気負った文章なんですよ、先生のはね(笑)。 白 川  (笑) 梅 原  洒落た文章なんですよ。最後はちょっとねえ、わざと解らないようにしてるんですよ。言葉の深い意味を捉えて、それを抑えて表面には出さずに文章を書く。先生は詩人だと思ったなあ。文章が美しいんだよ。 白 川  三(散)ぐらいでしょ(笑)。 (←「散人」の意?) 編集者 詩(四)人じゃなくて、三(散)ぐらい(笑)。 梅 原  いやあ、先生は三より上の四、やっぱり詩人ですよ(笑)。(36-37頁)  蘇東坡の「知らん顔」はいいですね。 「小林(秀雄)は、ランボーが詩を棄てた原因を、『面倒になった』からだといった。」 (若松英輔『叡知の詩学 小林秀雄と井筒俊彦』慶應義塾大学出版会 166頁)  陶淵明についての会話を聞いて、こんな一文が思い出された。また 、散人、詩人の順列は愉快である。 「や...

白川静「三千年前の現実を見ることができる」9/19

「三つの文化 ー 文身、子安貝、呪霊」 「対談 ① 神と人との間 漢字の呪力 梅原猛 × 白川静」 『別冊太陽 白川静の世界 漢字のものがたり』平凡社 白 川  第一にはね、殷の文化と日本の文化、これは一つの東アジア的な「沿海の文化」として捉えることが出来るのではないかと思った。  殷の文化のいちばん特徴的なものは、まず文身(ぶんしん:入青のこと。ただ文身は刺青と違って描くだけ。刻さない。)の俗があること、これは殷以降にはありません。それから貝の文化。子安貝(こやすがい)ですね。 白 川  もう一つはね、呪霊(じゅれい)という観念ですな。シャーマニズム的なね。お祭が殆どそういう性格のお祭なんです。何々のタタリに対する祭、というね。 白 川  そしてこの三つが共通した基礎的なものとして、文化の底にある。だから日本と中国は十分比較研究に値する条件を持っとる訳ですね。それで殷の文化を深く調べてみたいと。 梅 原  その大きな違いは文字があったかないかですわな。日本では文字がない訳ですね。だから民俗学的な方法によって明らかにするしか仕様がない。それで柳田(國男)・折口(信夫・ おりくちしのぶ)がああいう形で日本の古代を明らかにしたんですけどね。 (中略)民俗が似ているんだから、もとより文字学の成果と柳田・折口の民俗学の成果と、大変似てくる訳ですね。 白 川   柳田・折口は事実関係だけでいく訳ですけど、僕は文字を媒介としてみる訳です。 梅 原  文字を媒介にしますと、正確な答が出て来る訳ですよね。(中略)柳田・折口の民俗学は年代を考えることが出来ない。そういう弱みを持っています。先生の学問は文字を媒介としているから、年代を特定することが出来る。 白 川   日本の場合には伝承という形でしか見られないけれども、向こうの場合には文字がありますからね、文字の中に形象化された、そこに含まれておる意味というものを、その時代のままで、今我々が見ることが出来る訳です。だから三千年前の文字であるならば、その三千年前の現実をね、見ることが出来る。 白 川  そう、象形文字であるからそれが出来るんで、これが単なるスペルだったら、見ることが出来ません。 「神聖王と卜占 ー 神と人との交通」 白 川  日本に文字が出来なかったのは、絶対王朝が出来なかったからです。「神聖王」を核とする絶対王朝が出来...

白川静「『字書三部作』の偉業」8/19

「ことばと文字」 白川静『漢字』岩波新書 「はじめにことばがあった。ことばは神とともにあり、ことばは神であった」と、ヨハネ伝福音書にはしるされている。」(2頁) 「次に文字があった。文字は神とともにあり、文字は神であった』ということができよう。(3頁) また、さらにつづけるとすれば、 「文字は埋もれていた。文字は白川によって蘇生し、文字は神の威光を回復した」 ということができよう」。 『別冊太陽 白川静の世界 漢字のものがたり』平凡社 本誌には、以下の対談が掲載されている。 「対談 ① 神と人との間 漢字の呪力 梅原猛 × 白川静」 「対談 ② みえるもの・みえないもの “境”の不思議の出来事 岡野玲子× 白川静」 「対談 ③ 孔子 狂狷の人の行方 梅原猛 × 白川静」  白川静 91歳。  矍鑠(かくしゃく)としている。また、「狂狷の人」である。  それぞれの質問に対し、その都度必要十分な回答がなされる。寸分の隙もない回答に疲弊した。休み、寝みの三日がかりの読書だった。  白川静への興味は尽きない。  一昨日、叔父の四十九日の法要後、 ◇ 白川静『孔子伝』中公文庫 を、珍しく書店で購入した。孔子への関心ではなく、 「第四章 儒教の批判者」 への興味である。 そして、今日中には、 白川静『回思 90年』平凡社ライブラリー が到着することになっている。 これで、白川静の本が、 ◇『別冊太陽 白川静の世界 漢字のものがたり』平凡社 ◇ 白川静 監修,山本史也 著『神さまがくれた漢字たち』理論社 ◇ 白川静『漢字』岩波新書(2冊) ◇ 白川静 『初期万葉論』中公文庫 ◇ 白川静 『漢字百話』中公文庫  計 7(8)冊になった。お目当ては、「神々」のことである。 「『尹』が見えました ー 神が書かせ給うた…」 「対談 ② みえるもの・みえないもの “境”の不思議の出来事 岡野玲子× 白川静」 白 川  そんなもの(神との交通を司る者「尹」)が憑(つ)いとるんかな。僕には見えんがな、後ろには目がないからね。そう。その三人が三部作を書いたのかな。そうすると僕は手を動かしとっただけかな。  いや自分でもね、ほんとに僕が書いたのかなあって思う時がある。瞬(またた)く間にやったからな。『字統』は一年で書いてしまったでしょ。『字訓』も一年で書いてしまった。『字通』はね、用例など...

白川静「文字は神であった」7/19

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「ことばと文字」 白川静『漢字』岩波新書 「はじめにことばがあった。ことばは神とともにあり、ことばは神であった」と、ヨハネ伝福音書にはしるされている。」(2頁) 「文字は、神話と歴史との接点に立つ。文字は神話を背景とし、神話を承けついで、これを歴史の世界に定着させてゆくという役割をになうものであった。したがって、原始の文字は、神のことばであり、神とともにあることばを、形態化し、現在化するために生まれたのである。もし聖書の文をさらにつづけるとすれば、『次に文字があった。文字は神とともにあり、文字は神であった』ということができよう。(3頁) (注意してほしいのは、白川静のいう神とは、キリスト教の「神」ではなく、神話に登場する「神々」のことである。白川は、「神々」を「神」に仮託している。)   また、「さらにつづけるとすれば」、「文字は埋もれていた。文字は白川によって蘇生し、文字は神の威光を回復した」 ということができよう。 「一九七〇年の出来事」 『別冊太陽 白川静の世界 漢字のものがたり』平凡社 一九七〇年、そのことは、広く世間に知られることとなった。 [ (サイ)] の発見である。 岩波新書としてその年、出版された『漢字』という一冊の本は衝撃的 な のデビューとなる。 は一九七〇年を遥かに遡る時代に既に発見されている。 発見者はもちろん「白川静」。 古代中国文学者・白川静は、今はあまりにも「漢字」で有名である。 白川静は或る日、常連であった古本屋で一冊の本と出会う。 『字説』(呉大澂(ごだいちょう))。この本との出会いから時を経ずして、 白川静の甲骨文・金文の研究が始まり、 の大発見となる。 とは? ー そう、ここで語る とは、 今まで「口(くち)」と考えられ、それによって解釈されていた “漢字”を 「口は口にあらず、祝詞即ち神への申し文を入れる “器”である」と説いたことである。 この発見により「口」では解けなかった「漢字の生い立ち」が、 スルスルと、まるでもつれた糸がほぐれるように解けていった。(6-7頁)  ドラマチックで華麗な文章に仕上がっている。  しかし、『漢字』の最初に出てくる [ ] の説明は、下記のように通り一遍のものである。 「わが国では、文字のことをナといった。漢字は真名(まな)、カナは仮名である。名の上部は肉の省略形で祭肉、下 の 形は祝詞を...

白川静「[サイ]の発見」6/19

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白川静と向き合うには用意が必要である。 白川静 監修,山本史也 著『神さまがくれた漢字たち』理論社 白川 静「序文」 「第一章 初めの物語」 「第二章 からだの物語」 「第三章 (さい)の物語」 「序文」と各章を、 「漢字の「物語」がより克明に描かれるための準備は、ここをもって万全に整いました。」(70頁) と書かれた一文に至るまで熟読する。  準備をおろそかにして、徒手で白川静と対峙するのは向こう水である。  ちなみに、本書の内容紹介には、 「漢字を見る目を180度変えた、“白川文字学”のもっともやさしい入門書!」 との一文がある。理論社の児童書である。 「はじめに 『白川静』をフィールド・ワークする」 『別冊太陽 白川静の世界 漢字のものがたり』平凡社 「白川静(しらかわしずか)」ー 大き過ぎる。 (中略) 「白川静」と言えば、 [   (サイ) ] の発見である。現在の漢字の「口」は、口耳の「口」のみの意であるが、古代中国においては、 「口」には二つの意があり、口耳の “口”に対して、もう一つ、神への申(もう)し文(ぶみ)(人が神に願事(ねぎごと)をするために書かれた手紙)を入れる “器”という意味があった。 それが白川静、曰(い)うところの [   ] である。 この [   ] の発見は、従来の漢字の意味を解く法を完全にひっくり返した。 そればかりではない。その [   ] という “器”を通すと、漢字の背後のものがたり、民俗が象(かたち)として見えてくる。 民族 ー そう「白川民俗学」が「白川文字学」を支える。三千年前の人々の暮らし、それは神々と人々とが交通していた時代の出来事。 それが今、そこ、目の前にあるかの如(ごと)く、甦(よみがえ)る。(2頁) 文字があった。 文字は 神とともにあり、 文字は 神であった。  私にとって、これほどうれしい文句はなく、明日からはしばらくの間、「白川静詣」をする予定である。

白川静「また、明日。 また、あした」_2021/02/11 5/19

白川静「また、明日。 また、あした」 2021/02/11 2021/02/11、P教授から、 ◇『別冊太陽 白川静の世界 漢字のものがたり』平凡社 の画像が添付されたメールが届いた。 表紙には、 「文字があった。 文字は 神とともにあり、 文字は 神であった」 と書かれている。 見栄えのする表紙だった。 早速、Amazon に注文した。 そして、昨日(2021/02/15)、到着した。 また、裏表紙には、 「白川静の日常。 時間は静かに流れ、 淡々と一日を終える。ただそれだけ。ただそれだけ。 それだけを繰り返し、生み出される仕事の確かさ。 また、明日。 また、あした」 と書かれている。

「思いもよらず、白川静です_2/2」〈『意識と本質』_はじめから〉_2017/05/18 4/19

「思いもよらず、白川静です_2/2」〈『意識と本質』_はじめから〉 若松英輔『井筒俊彦―叡知の哲学 』慶應義塾大学出版会 2017/05/18   和歌における「見る」働きに、実存的ともいえる特別な意味を込めて論じたのが、白川静だった。新古今あるいは万葉にある、「眺め」、「見ゆ」という視覚的営為に、二人(白川静と井筒俊彦)が共に日本人の根源的態度を認識しているのは興味深い。この符合は、単なる学術的帰結であるよりも、実存的経験の一致に由来するのだろう。  井筒俊彦が根本問題を論じるときはいつも、実存的経験が先行する。むしろ、それだけを真に論究すべき問題としたところに、彼の特性がある。プラトンを論じ、「イデア論は必ずイデア体験によって先立たれなければならない」(『神秘哲学』)という言葉は、そのまま彼自身の信条を表現していると見てよい。  以下に引くのは白川の『初期万葉論』の一節である。  前期万葉の時代は、なお古代的な自然観の支配する時期であり、人びとの意識は自然と融即的な関係のうちにあった。自然に対する態度や行為によって、自然との交渉をよび起こし、霊的に機能させることが可能であると考えらえていたのである。 〔中略〕  自然との交渉の最も直接的な方法は、それを対象として「見る」ことであった。前期万葉の歌に多くみられる「見る」は、まさにそのような意味をもつ行為である。  「『見る』ことの呪歌的性格は『見れど飽かぬ』という表現によっていっそう強められる」とも白川は書いている。  井筒、白川の二人が和歌、すなわち日本の詩の源泉に発見したのは、芸術的表現の極ではなく、「日本的霊性」の顕現だった。 (中略)  白川は文字を「見る」ことから始めた。文字の前に佇み、何ごとかが動き出すまで、離れない。次に彼が行ったのは、ひたすらにそれを書き写すことである。すると文字は自らを語り始めると白川は考えた。井筒もまた、同じ姿勢で、テクストに対峙したのではなかったか。 (中略)   学問とは知識の獲得ではなく、叡智の顕現を準備することであるという態度において井筒俊彦と白川静は高次の一致を現出している。(251-253頁) 唐突」にも、白川静でした。思いもかけず、両氏の符合でした。

「思いもよらず、白川静です_1/2」〈『意識と本質』_はじめから〉_2017/05/17 3/19

「思いもよらず、白川静です_1/2」〈『意識と本質』_はじめから〉 若松英輔『井筒俊彦―叡知の哲学 』慶應義塾大学出版会 2017/05/17  すべて名づけられたものはその実体をもつ。文字はこのようにして、実在の世界と不可分の関係において対応する。ことばの形成でなく、ことばの意味する実体そのものの表示にほかならない。ことばにことだまがあるように、文字もまたそのような呪能をもつものであった。  井筒が書いたのではない。『漢字百話』中の白川静による文章である。 (中略)  呪の語源は「祝」であると白川は書いている。「呪」の字は「いのる」とも読む。白川は「呪能」と同義で「呪鎮」という表現を用いることもある。  白川静を登場させるのは唐突に見えるかもしれない。しかし、「コトバ」、文字に対峙する態度はもちろん、孔子、荘子、屈原、あるいはパウロといった人物について、あるいは詩経、万葉集、和歌誕生の来歴、すなわち詩論など論じた主題と対象、発言を並べてみれば、交わりがなかったことがかえって不思議に思われるほど二人(井筒と白川)の論説は呼応している。  文字は、神話と歴史との接点に立つ。文字は神話を背景とし、神話を承けついで、これを歴史の世界に定着させてゆくという役割をになうものであった。したがって、原始の文字は、神のことばであり、神とともにあることばを、形態化し、現在化するために生まれたのである。もし、聖書の文をさらにつづけるとすれば、「次に文字があった。文字は神とともにあり、文字は神であった」ということができよう。(白川静『漢字』岩波新書)(241-241頁)  井筒と白川の間に見るべきは言語観の一致だけではない。むしろ、両者の「神」経験の実相である。「文字は神であった」以上、それを論じる学問が、神秘学、すなわち高次の神学になることは白川には当然の帰結だった。井筒俊彦にとってもまた同じである。言語学 ー 「コトバ」の学 ー に井筒俊彦が発見していたものも、現代の「神」学に他ならない。  井筒は、ヴァイスゲルバーとサピア=ウォーフが、何の直接的な交わりもないにもかかわらず、ほぼ同じ時期に高次な同質な思想を構築していたことに驚き、共鳴する思想が共時的に誕生することに強く反応している。同じことは、彼自身と白川静にも言えるのである。(244頁) 「唐突」にも、白川静でした。思いもかけず...

白川静 監修,山本史也 著『神さまがくれた漢字たち』理論社_2016/11/29 2/19

◇ すべては、「神さま」のために。 「目」のはたらき 白川静 監修,山本史也 著『神さまがくれた漢字たち』理論社 2016/11/29  「民(たみ)」すなわち「たみ」は、あるいは「田見(たみ)」という語のうちにその語源を求めることができるのかも知れませんが、その「民(みん)」の漢字の成り立ちには、むしろそのうち(農耕に従事する人、罪を負う人、天皇の財宝とされる人など)の「罪を負う人」のイメージにいくらか通うものがあるようです。「民(みん)」の字は、もとは、大きい矢か針で目を突き刺す形で記されました。おそらく殷王朝を脅かす異族を戦争で捕え、その「人」の「目」に加える処罰を示すものと考えられます。こうして眼睛(まなこ)を失った捕虜のおおぜいは神の僕として仕える身となります。  これらもの見えぬ「民(たみ)」は、音の領域でこそ、残された耳の感覚を研ぎすましてゆきます。その「民(たみ)」の奏でる音曲(おんぎょく)はきっと神の心を限りなく楽しませたにちがいありません。のちそのような盲目の楽人すなわち演奏者は「瞽史(こし)」と呼ばれ、宮廷や各国の王のもとで、宮廷楽のゆたかな伝統を育んでゆくのです。春秋時代に至ってもなおその伝統は継承されます。 (中略)  孔子が、こうまでこまやかな配慮を、盲目の楽人にほどこしているのは、当時なお人々の心のうちに、盲目の「瞽史」を尊重する気風が深々としみついていたからにちがいありません。  日本各地をめぐり歩きながら、三味線の音色を響かせつづけた「瞽女(ごぜ)」もまた、視力に障害をもつ人々の集団でした。そして、その「瞽女」によって、悲哀に満ちた音曲の調べが、民衆の心の底へと浸透します。こうして「目」の「物語」は、わずかに「目」の物語にとどまらず、音楽の「物語」をも紡ぐのです。  「目」を象(かたど)る漢字には、ほかに「臣(しん)」「賢(けん)」「童(どう)」などがあり、それらはみな神に仕える人々を表す文字です。(30-33頁) ◇ 白川静先生のお名前は存じ上げていましたが、「白川文字学」という言葉にははじめて触れました。 「死」の物語 白川静 監修,山本史也 著『神さまがくれた漢字たち』理論社 2016/11/29  人は免れようもなく、この運命的な孤独に身をゆだねなければならなぬときを迎えます。それが「死」というものでしょう。  「死...