洲之内徹「絵が絵であるとき」

「男が階段を下るとき」
洲之内徹『人魚を見た人 気まぐれ美術館』新潮社
批評や鑑賞のために絵があるのではない。絵があって、言う言葉もなく見入っているときに絵は絵なのだ。何か気の利いたひと言も言わなければならないものと考えて絵を見る、そういう現代の習性は不幸だ。(166頁)