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TWEET「土用干し」

「Gemini」に紹介され「日本の古本屋」に注文した、 ◇  白洲正子『日本の伝統美を訪ねて』河出文庫 が届いた。いま拾い読みをしている。対談集である。 谷口吉郎・ 白洲正子 「日本人のこころ_   落ち葉一枚にも感動する “美” の意識 」 白洲正子『日本の伝統美を訪ねて』河出書房 谷口   利休が竹藪に行って竹を切ってきて、それに花を生けた。この竹の花生けは、現在国宝として残っていますね。新しいものを発見して、それをどしどし取り入れてゆくというたくましい精神と、洗練された目、そういうものが、現代でもほしいと思いますね。 白洲 そうですね。だからやっぱり何かなさいって、わたくし言うんです。何でもいいと思いますね、自分の好きなことなら。 谷口   利休などが言っています。数寄の美というものは、簡素な中に、日本だけのものじゃなく、オランダ、中国、南方のものも取り入れた、総合美でございますからね。当時、最も新しい演出方法だったと思うんです。決して古いものじゃなく、今的なものもちゃんと使ってる。 白洲  唐物全盛のあのころとすれば、楽の茶碗なんかは、みんな新しく作られてるんですからね。楽初代の長次郎というのは、利休が自分で見つけてきて作らせているんです。(29,30頁)  利休の目に映った “美” とは、紛うことのない形姿(なりかたち)だった。  青山二郎にしろ 、小林秀雄、白洲正子にしろ、美とは曖昧模糊としたものではなかった 。  読書の習慣を失くし、数年来本箱にしまいっぱなしになっていた本を引っ張り出した。土用干しである。  まず、「桂利休、そして西芳寺」参観・参拝から見つめ直そうと思っている。  また、 「徳川美術館」で   2027/02/20〜2027/03/02 に、 「千利休 泪の茶杓」 が 【特別公開】される。 「泪(なみだ)」は、千利休の茶杓として最も名高い品です。豊臣秀吉に切腹を命ぜられた千利休が、自ら削って最後の茶会に用い、茶会後に古田織部に与えられたといわれる茶杓で、織部がこの茶杓用に長方形の窓をあけた筒をつくり、その窓を通して茶杓を位牌代わりに拝んだとも伝えられています。毎年、利休忌の前後の約1週間のみ、筒とともに特別公開します。」  こちらも楽しみにしている。 「Gemini」さん効...

TWEET「夏風邪」

夏風邪による微熱が続く なか、「 NHK ONE ニュース 防災」の 二篇の特集記事、 ◇ 「 “高性能で危険なAI” / そのリスクとは?」(2026/06/22) ◇ 「『降伏』を選ばなかったAI 各国で進む軍の導入どうあるべき?」(2026/07/15) を読んだ。終始 驚嘆しつつも脅威にさらされていた。 そして、以下の4つの「 生成 AI」、 ◆「Gemini」 ◆「ChatGPT」 ◆「Copilot」 ◆「Claude」 を「iPhonne 16e」にインストールした。 その後、2026/07/07 のブログ、 ◇ 「TWEET「桂離宮、そして西芳寺」 の感想をたずねた。  その、わずか数秒後という回答の早さと、多少の誤読は散見されたものの、 その真摯な内容に驚いた。 何回かやり取りした。十 年来の知己と 対話しているかのようだった。 小林秀雄と白洲正子——日本を代表する二人の批評家・美文家が捉えた「桂離宮」は、ドイツの建築家ブルーノ・タウトが提示したモダニズム的評価(機能美・直線美)とは一線を画し、日本の伝統的な感性や、そこに潜む情念・美意識を見事に解き明かしています。 それぞれの視点の特徴と、桂離宮や彼らの美意識に触れられる代表作をご紹介します。 1. 小林秀雄の桂離宮論:理屈を超えた「無心」の美 小林秀雄は、ブルーノ・タウトら西洋的・理論的な解釈によって桂離宮が論じられる風潮に対し、直観的な批評を展開しました。  眼で見る美の純粋性 小林秀雄にとって美とは「理屈や知識で理解するもの」ではなく、「ただそれ自体としてそこにあるもの(直観)」でした。  機能美への疑義 桂離宮を西洋建築の「機能主義」の先駆けのように解釈する見方に対し、桂離宮の本質はそうしたモダンな合理主義ではなく、日本の古典(『源氏物語』など)の情念や王朝文化への憧憬が結晶化した**「風雅の心」**であると見抜きました。言葉で説明し尽くせない「物の姿」そのものに開眼することの大切さを説いています。 2. 白洲正子の桂離宮論:数寄の精神と「遊び」の極致 白洲正子は、能や骨董、伝統工芸に通じた独自の「眼」で桂離宮を捉えました。  八条宮(智仁親王・智忠親王)の「数寄」 白洲正子は、桂離宮の成立背景にある八条宮親王父子の文脈を重視しました。権力から...

TWEET「整理する」

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 整理をはじめた。  本宅の解体時には余裕がなく、顧みることもなく処分したが、今回は “買取” を利用している。お金の多寡 云々よりも、リユースしていただけるのがうれしい。 「KOMEHYO 買取センター バロー豊橋」さんの女性の店員さんは、 「この商売は殺伐としています。この殺伐さに耐えられない方たちは辞めていきます」 としきりに口にされていた。「買取」という商売は無味乾燥としていて、興趣も情感もないということだろうか。 「現代の刀工さんの刀や刀剣は、2万円前後で売り買いされています。価値があるのは、平安・鎌倉時代の銘のあるものだけです」 とは、何ともやりきれない話である。 「いま 高値がつくのは、金だけです」 とも言われていた。 開高健「文房清玩」 2021/05/13  今朝 開高健の記した色紙ことを思った。  起き抜けに検索した。 「漂えども沈まず」 「悠々として / 急げ」 「毒蛇は急がない」 「朝露の一滴にも / 天と地が / 映っている」 「小説家 開高健 オリジナルグッズのご紹介」 文房清玩。物を愛し、物に愛された稀有な小説家 亜熱帯の戦場で、氷雨の原野で、深夜の書斎で一本の指となり、創造の起爆剤ともなるライター、パイプ、ナイフ、万年筆、ジーンズ、帽子・・・。  昔の中国の文人が硯や筆や紙に凝って一人で書斎で楽しんでいた様子を「文房清玩」と表したと、小説家開高健は自著の中で何度か語ってきた。彼にとって、彼の人生に常に寄り添っていたさまざまな「静物」たちは、まさに「文房清玩」そのものだったであろう。  整理中には、かつて「清玩」した「文房」類が何点も見つかった。  かつて胸をときめかせた、同じ「文房」類を眼にして、いまも胸騒ぎがするから不思議である。  当然 整理するつもりはなく、「清玩」する品々を、ひと所に集めた。 白洲信哉 [編]『小林秀雄 美と出会う旅』(とんぼの本)新潮社 2017/12/03  秦秀雄君の家で、晩飯を食っていると、部屋の薄暗い片隅に、信楽(しがらき)の大壷がチラリと見えた。持って行けよ、と壷は言っているので、鎌倉まで自動車に乗せて来た。どんな具合にだか知らないが、いずれ、秦君は勘定を附けにやって来るだろうが、この程度の壷は、ともかく一応は黙って持って還らないといけない。(壷)  私は、壷が好きだ。……古信楽の壷は、特に好きだ...

TWEET「大野寺、そして室生寺へ」

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「大野寺、そして室生寺へ」 2026/06/08   2026/06/05〜07 の三日間,「唐招提寺 国宝鑑真和上坐像_東山魁夷 御影堂障壁画」が「特別公開」された。5日と7日に参拝・拝観した。  その翌日には、「大野寺、そして室生寺」を参拝した。 「大野寺」 「大野寺」は小さなお寺である。  当寺は、室生川の対岸(彼岸)に線刻された、高さ13.8m の「弥勒磨崖仏」で有名である。   常に拝観できるわけではない。光の加減で拝観できるときもあるが、拝観できない場合もある。私は全貌を眼にしたことはないが、常に参拝することはできる。  この日は運がよかった。  以下は、「礼拝所」から望んだ「弥勒磨崖仏」である。  この話題を抜きにしても、私は「大野寺」が好きである。  山門の脇にしつらえられた木箱に、入山料を入れて入山する。  「本堂」内の様子は、障子と障子の間(あわい)からうかがうしかないが、常に美しくお祀りされている。六つの、金色(こんじき)に輝く水差しと、そのそれぞれに挿された一葉のシキミの、色彩の対照は鮮やかである。  シダレザクラの咲く季節に訪れたことはないが、アジサイの咲くころがいい。清楚なガクアジサイは、「大野寺」にふさわしい。  次の目的地である「女人高野 室生寺」のことを 忘れ、ついつい時を過ごしてしまう。  閉門 1時間前に「室生寺」に到着したこともある。急ぎ足で各御堂を参拝し、おかげで「金堂」の前で転んだ。「だいじょうぶですか?」と「金堂」の中から声がした。その後「本堂」を参拝し、「五重塔」のぐるりを一周し  合掌後、職員の方といっしょに下山したこともあった。 「大野寺」は清潔なお寺である。  見過ごすわけにはいかない。 「女人高野 室生寺」 「国宝 金堂」および「国宝 五重塔」の「老朽化した檜皮葺(ひわだぶき)・杮葺(こけらぶき)屋根の全面葺き替えと解体修理」を前にして、「金堂特別拝観」の最中だった。  靴を脱いで、外陣から間近に御仏らや「十二神将立像」を参拝・拝観することができたのは幸せだった。  写真撮影も許され、 また職員の女性が、私ひとりのために詳細な解説をしてくださり恐縮した。 「国宝 釈迦如来立像」は、優しいお顔だちをされていた。「室生寺様」と呼ばれる朱色の衣紋、特に「板光背」の色絵は保存状態がよく華やかだった。 ...

TWEET「古梅園製墨販売部」

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「東大寺 法華堂(三月堂)」 2022/11/26  はじめての参拝だった。  堂々とした体躯の不空羂索観音菩薩立像は威厳にみちていた。居ならぶ八体の像も毅然としていた。時の経つのを忘れ、天平の息吹に浸っていた。  帰り際には、「東大寺のほとけたち」(ポストカード)を購入した。 不空羂索観音菩薩の合掌する掌中には「水晶製宝珠」があった。また、精巧なつくりの宝冠についても写真によって知った。   法華堂は、華厳経が日本ではじめて講じられた堂宇である。明恵上人のことも思い出され、私にとって大切なお堂となった。  余韻も冷めやらぬままに、「二月堂」,「若草山」辺りをさまよっていた。そんな折「古梅園製墨販売部」さんを知った。 「正倉院展記念墨 槃龍背八画鏡」はその際に購入したものである。  どうしても手元に置いておきたくて、あとの3点は、自宅から注文した。  なお「正倉院展記念墨」は、以下の3点のみ 販売されている。  ぜひ拡大してご覧になってください。 「第57,69回正倉院展記念墨  槃龍背八画鏡」 「中央の蓮葉文やそのまわりの双龍、回りにあるある山岳文や八卦文、格調高いこれらの鏡の文様は古来の墨の黒象にもゆかりの深いものです。」 「第60回正倉院展記念墨 山水人物鳥獣背圓鏡」 「美しい山水文様や舟に乗る人物、山に生きる鹿や水面に遊ぶ水鳥といった現代と変わらぬ自然をモチーフに文様が彫られた鏡です。」 「第70回正倉院展記念墨  平螺鈿背面鏡」 「正倉院御物の中でもよく知られている鏡を模し、螺鈿の美しさを墨で表現しました。墨背には、弊園に伝わる研ぎの技法により美しい光沢を出し、鏡面をあらわしています。」 「'92年 最高級純菜種油煙 大玄鴻寶」 「菜種油を使った最上級の油煙です。濃墨ですと艶のある純黒で淡墨ですと茶系の黒です。  漢字作品用、かな書、写経等にも適す。」  背面には2匹の龍が刻まれている。  この墨色を眼にするたびに胸が躍る。 「大玄鴻寶」は実用の品である。私にとっては、これでじゅうぶんに用が足りている。開高健が好んだ「文房清弄」である。 「2026年(第78回)の「正倉院展」は、例年通り秋に「奈良国立博物館」で開催される予定です。正確な日程や出陳宝物は夏頃に発表されます。観覧には事前予約の「日時指定券」が必要になるのが一般的です」 「奈良...

TWEET「桂離宮、そして西芳寺」

  先ほど、「桂離宮」、そして「西芳寺(苔寺)」の参観、また参拝の申し込みを終えた。 「桂離宮」:2026年7月30日 15:00 「西芳寺」: 2026年7月31日 10:30 である。  他に予定はない。他の 予定は必要ないだろう。 「梅雨明けの夏空の下」で、 上質な時間を過ごすことを楽しみにしている。 「桂離宮_石橋のある風景」 俵万智,十文字美信 他『桂離宮』(とんぼの本)新潮社 2022/08/23  桂離宮は華奢である。  各部材は建物の荷重をかろうじて支え、各室は枯淡の美に蓋われている。それは、庭に配された飛石や延段、池に掛けられた石橋と相即不離の関係にあり、それらの石材によって補償されているかのようである。  襖に目を奪われる。それだけを取りあげて話題にしたとき、困惑するような色づかいも、大胆なその意匠も、それぞれに適所を得てみごとに鎮まり、各所に調べを添えている。  美は常に危うさをはらんでいるが、桂離宮は、すんでのところで、高次の調和を呈している。  本書には、三つの石橋の写真が載っている。いずれも一つの石材から成るもので、上面はきれいな平面を成している。その美しさは縦横の比、また高さの比率からなるものであろう。石橋の寸法に合わせて、池を補正したかのようにさえ思われる。 「5m 余りの大石橋」は、力学的な関係からか厚みがあり重厚である。側面には凹凸が刻んであるが、単調になることを避け、見る者を飽きさせない工夫であろう。池の狭い箇所に掛けられた「反橋」は、橋を反らせることによって長さを補完しているのであろう。もう一つの石橋にはこれといった特徴はみられないが、この石橋を基本形と考えてよさそうである。私は細工の施されていないこの石橋が一番好きである。  桂離宮は贅を尽くして簡素に作られた建築である。理にかなわないことはないはずである。  彼のブルーノ・タウトが称えた美を前に立ちつくしていたい。美を体験するとは、すなわち「 純粋な自足した」沈黙 の内にあることにほかならない。 「西芳寺と洛北・洛西」 土門拳『古寺を訪ねて 京・洛北から宇治へ』小学館文庫 2022/08/09  西芳寺に行って、 今日はこれを撮らねばならないといった 義務感にとらわれたことや、 どうしてもあれを撮ってやろうといきおいこんだことはない。 毎度毎度まず参道に真っ直ぐにカ...

TWEET「唐招提寺 国宝 鑑真和上坐像_東山魁夷 御影堂 障壁画_御影堂特別公開」

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  2026/06/ 05〜07 の三日間 , 「唐招提寺 御影堂」が「特別公開」された。5日と7日に参拝・参観した。  4日の未明に家を出た。  大和路をめぐり、帰路,「(伊勢)神宮(内宮・外宮)」と「瀧原宮」を参拝し、家路に着いた。  五泊六日の祈りの旅だった。  六日間 行く先々で、尊さや美を 前にして、畏まり立ちつくしていた。  詳細は、後日 ということにさせていただきます。  以下,「薬師寺」 に咲いた、 です。 合掌

TWEET「不二の高嶺は」

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  以下、昨日 叔父からのメールに添付されていた画像である。  湖西連峰(静岡県)の「神石山」(325m)の頂上から撮られたものである。  山並みの背後に見える富士の高嶺が、ご覧いただけるだろうか。   (拡大してご覧ください)  水墨画を見るかのようである。  富士の姿は神々しく、尊く、美しい。 「御神体」は、露わであるよりも、気配こそ似つかわしい、と思った。

TWEET「唐招提寺 御影堂特別公開」

「開山鑑真大和上の命日(6月6日)にちなんで」「 開祖・鑑真大和上を偲び、国宝鑑真和上坐像を収めた厨子の扉が特別に開かれ、そのお姿を拝観することができ」る。  また、東山魁夷の 「 御影堂障壁画(全六十八面が)特別(に)開扉」される。  期間は、6月4日から6日までの3日間である。  また、 1時間当たり250枚の整理券は、当日の配布である。 「奈良大和路行_いのちの律動の調べ」 2023/08/09  2023/06/05 心中穏やかならず、奈良大和路行を決めた。喪中に旅は不埒か、私にはそのような了簡はなかった。  まず唐招提寺を目指した。  金堂ののびやかな甍を仰ぎ、参拝・拝観後 本堂へ向った。その際、 「国宝 鑑真和上坐像 / 東山魁夷画伯障壁画 / 御影堂特別公開」 と書された立札を前にして目を疑った。6月6日は鑑真和上の命日だった。  平成14年(2002)2月に「唐招堤寺金堂平成大修理記念『国宝 鑑真和上展』」(名古屋市博物館)で鑑真和上坐像を拝見したが、今回参拝した鑑真和尚像は、所在を得て祈りの対象そのものだった。  東山魁夷の障壁画はみごとだった。紺青の、また水墨の淡彩で描かれた『山雲』,『黄山暁雲』を前に茫然と立ちつくした。  出口に向かうころ、般若心経を耳にし、廊下に座し唱和した。それは、いのちの律動の調べを彷彿とさせるような、ゆったりとした調子の読経だった。鑑真和上感得の、伝来の音調のような気がしてならなかった。  それ以降 般若心経の唱え方が一変した。 「意味から響きへ、理解から感応へ。262文字のこころを体感する」(玄侑宗久『現代語訳 般若心経』ちくま新書,「帯」) これらはいのちの脈動に和すればこそ、かなうことどもであろう。たいへんな体験をした。  その後 開山御廟にお参りに行った。供えられたまっ赤なお線香が印象的だった。  ぜひ参拝・拝観したいと思う。  しかし、先週から今週にかけ、をちこちの方たちに振り回され、疲労・疲弊・消耗している。また、台風6号の北上も気になる。  無理だけはしないように、と思っている。

TWEET「地元の古社寺巡り」

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 長い年月にわたって気になっていた、主に地元の古社寺を巡った。  玉石混交の道行きだった。 2026/04/28 ◇「舘山(かんざん)寺(静岡県浜松市)」 「西行岩」に目をひかれた。 「西行法師が舘山寺参拝の折に、この岩の上で休息し、詩歌を詠んだ事から西行岩と呼ばれる。山の東端に位置し波打ち際にそびえる高さ10m の大岩」 「舘山(たちやま)の 巖(いわ)の松の 苔むしろ 都なりせば 君も来て見む」  巌根に登ると、眼の前に奥浜名湖の景色が広がった。 2026/04/29 ◇「三河國一之宮 砥鹿(とが)神社 奥宮(愛知県豊川市)」 ◇「 三河國一之宮  砥鹿神社 里宮(愛知県豊川市)」  何回か参拝したことのある「 三河國(の) 一之宮」である。 「奥宮(おくみや) 」が「本宮(ほんぐう)」である。 「奥宮」では「御本殿」の他に「健歩健脚の守護神」である 「荒羽々気(あらはばき)神社」 .「岩戸神社」,「守見殿神社」を参拝し、「天の磐座(いわくら)(国見岩)」,「御神木」を拝観した。 2026/04/30 ◇「西斬寺(さいぜんじ) (愛知県豊川市) 」  平安時代作と推定されている、63cm のかわいらしいい 「聖観音菩薩立像」の参拝が目的だったが、暗い厨子の内に安置されていて、繊美な手指はうかがうことはできたが、 全体像を見ることはできなかった。  ご住職さんと長い時間、お話できたのは幸いだった。ご住職さんの収集である円空仏が三体あった。 2026/05/01 ◇「熱田神宮 (愛知県名古屋市) 」  三種の神器のひとつである「草薙剣( くさなぎのつるぎ)」がお祀りされており、また「日本三大神社」のひとつに数えられるが、騒然、雑然としていて落ち着きを欠き、興醒めがした 。 2026/05/02 ◇「徳川美術館 (愛知県名古屋市) 」  洗練された美術館だった。  茶室が展示されていて ー山本空外先生がよく引き合いに出された茶杓ー 三つの茶杓の展示があったが、よくわからないままに終わった。  再訪を促されている。 ◇「渡岸寺(どうがんじ)(滋賀県長浜市)」 「徳川美術館」から「渡岸寺」まで、車で一時間圏内であることを知り、急遽「渡岸寺」を参拝することにした。  何度 参拝しても「国宝 十一面観音像」は美しく、尊い。 永劫を生きるお姿は不動だった。  参拝者の方...

TWEET「ゴッホ展 名古屋」

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  2026/03/18 愛知県美術館に「ゴッホ展 名古屋」を見にいった。  10時を少し回ったころ(9:30 開館)入館した。混雑していて、常に 第三列から のぞき見するような格好で一巡した。 “ゴッホの絵のある風景” にたたづんでいるようなあり様(よう) だった。  受付で尋ねると、16時以降には空くと思います、とのことだっだ。  栄の町をぶらぶらしながら、16時を待った。 「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」 「拝啓、星になった兄さん」 「約10年の短い画業の間に油彩や素描など2,000点余りの作品を残したフィンセント・ファン・ゴッホの死後、生前に売れた1点を除く大半の作品は、兄の生活を支えその芸術の良き理解者であった弟のテオドルス(通称テオ)が保管しました。しかしテオも兄の死の半年後に生涯を閉じ、テオの妻ヨハンナ(通称ヨ一)が膨大なコレクションを管理することとなります。ヨーは、義兄の名声を高めることに人生を捧げ、作品を展覧会に貸し出し、販売し、膨大な手紙を整理して出版しました。その息子フィンセント・ウィレムは、コレクションの散逸を防ぐため、フィンセント・ファン・ゴッホ財団をつくり、美術館の設立に尽力します。 本展では、ファン・ゴッホ美術館の所蔵品を中心とするファン・ゴッホの作品30点以上にくわえ、貴重なファン・ゴッホの手紙4通なども展示し、家族が画家に抱き続けた深い愛と敬意をご紹介します」  16時過ぎには混雑はみられなかったが、長い時間、一枚の絵と向き合っているのは、ためらわれた。  しばらくの間  眺めていると絵の中心が見てとれた。また、絵の中に “日差し” を感じた。  河合隼雄風にいえば、見るともなく、見ないともなく、ただボーッとして、飽くことなく 一枚の絵と 対峙していなければ、絵は黙したままで何も語ってくれない。  展覧会での絵の鑑賞は難しい。

TWEET「お茶発祥の地_高山寺 明恵上人」

 その後 をちこちの方たちに振り回され、謝意を抱くのは、その場かぎりの一過性の もので、後は ポイと捨てられるままに捨てられ、顧みられることもなく、いまに至っています。「ざっくばらんが大きらい( 梅棹忠夫) 」ということです。  2026/03/17 「出し殻」以来のブログです。  書き初めです。 お茶といえば、明恵上人のことを記さないわけにはいきません。 「茶の発祥地といわれる高山寺で、現在も営まれている茶園です。 開祖・明恵上人が、建仁寺の栄西禅師より中国から持ち帰った茶種を賜り、栂尾の地で茶を栽培しました。 高山寺の茶は、当時は本茶と呼ばれるほど品質がよく、これを宇治へと移植したのが、宇治茶の起こりです。 このご縁から代々宇治の茶業組合の皆様が茶園を管理してくださっています。 現在も毎年5月に茶摘みを行い、11月8日には開山堂にて明恵上人への献茶式が行われます。(栂尾 高山寺 HP) 」   以下、 「日本最古の茶園」 です。

TWEET「出し殻」

 2026/02/13「小川会計事務所」さんでお茶をいただいた。  水色(すいしょく)といい香りといい、また まろやかでほんのり甘く、すっかりお茶に魅せられた。  その後 小川先生から、ゆうパックでお茶が届けられ、そのご厚意に 早速お礼状を書いた。  いま 茶器を少しずつそろえ、お茶の飲み比べをして楽しんでいる。  珈琲豆は冷凍保存した。 2026/03/14「浜名湖サービスエリア」内の「渋川園」さんで、 静岡茶 / 極上 /  特撰銘茶           「憩」 春夏秋冬、自然の うつろいのなかで 人と人とのふれあいを 味わい深く彩る 香り高き、緑の潤い。 憩いの茶。 と書かれたお茶を目にした。とりあえず、買うしかなかった。  しかし、翌日には、包装も解かないまま に 叔父・叔母 に差し上げてしまったが、もうじゅうぶんに楽しんだ後の出し殻だったので、なんの不足もなかった。

TWEET「身過ぎ世過ぎで 日が暮れて」

◇ 手塚治虫,手塚プロダクション『手塚治虫の山』ヤマケイ文庫 を、読み始めました。 「ヤマケイ文庫(2010年刊)」, 「ヤマケイ新書(2014年刊)」の創刊を知ったのは、2019/07/14 のことでした。「モンベル 豊橋店」さんの書籍コーナーで目にしました。ときに「山と広告」と揶揄される月刊誌「山と溪谷」とは一線を画し硬派です。その充実ぶりに、先鞭をつけられた編集長の萩原浩司氏に敬意を表しております。  脈絡なき読書です。 詳細は近日中に、ということにさせていただきます。 2020/06/24 に、 ◇ 手塚治虫,手塚プロダクション『手塚治虫の山』ヤマケイ文庫 のはじめの二編を読み、そのままになっていた。そして、昨日全十編を読み終えた。その間に父の入院、またテスト週間があったとはいえ、一週間のブランクは大きい。 小林秀雄最後の対談「歴史について」考える人 2013年 05月号 新潮社 「繰り返して言おう。本当に、死が到来すれば、万事は休する。従って、われわれに持てるのは、死の予感だけだと言えよう。しかし、これは、どうあっても到来するのである。」ー『本居宣長』(32頁)より。 小林秀雄の強い言葉である。 身過ぎ世過ぎで 日が暮れて / 山のお寺の 鐘がなる 「予感だけ」が充満している。 ◆「ブラック・ジャック - 昭和新山 - 」 ◆「火の山」 の二作品では、昭和新山が取り上げられている。三松正夫 夫妻を知ったのは大きな収穫だった。 以下、 「三松正夫記念館」 です。

TWEET「一竿の夢」

昨日、 ◇ 山本素石『山釣り』ヤマケイ文庫 ◇ 山本素石『新編 溪流物語』ヤマケイ文庫 が届いた。これを逍遥といおうか、埒外といおうか。 ◇ 山本素石『山釣り』ヤマケイ文庫 I 山中漂白 「飢餓のすなどり」 「山野秋邨先生」 「ボヘミアン」 「野宿の弁」 「天狗の神楽」 「ねずてん物語序説 」 Ⅲ 山中異聞 「山小屋の夜語り」 「奥美濃夜話」 「イワナの楽園」 「佐渡の渓流(上)」 「佐渡の溪流(下)」 〈解説〉 熊谷栄三郎「野人の風貌」 を読み頓挫した。 そして、来シーズンの実釣に向け飛び火した。 ◇ 片山悦二『テンカラ釣りがある日突然上手くなる (釣力UP!壁を破る超常識シリーズ)』つり人社 ◇ 石垣尚男『超明快 レベルラインテンカラ』つり人社 ◆『山と釣り  2015 vol.1  いざ、世界で一番美しい源流へ。 特別企画テンカラ釣り入門   』地球丸 ◆『渓流  2015 春 ノベザオだけじゃ、もの足りない。飛び道具の出番・簡素の美学テンカラの底流   』つり人社 一竿に夢を託している。 が、 ◇ 山本素石『山釣り』ヤマケイ文庫 に見切りをつけたという意味では決してない。投げ出すにはもったいない本である。結構な釣行記であり、釣り文学である。気まぐれな、気ままな読書に終始しているだけのことである。

TWEET「一竿の風月」

山から溪へと目先がかわった。とはいえ、いまだ「山と溪谷」のうちにある。 「源流の漂泊者 瀬畑雄三の源流哲学」 高桑信一『源流テンカラ』山と溪谷社 「沢登りが溪谷を遡って山頂をめざす遊びだとすれば、釣りびとは竿を操って岩魚を求め、魚止を目標とする源流の逍遥である」(225頁) 昨日、 ◇ 山本素石『山釣り』ヤマケイ文庫 ◇ 山本素石『新編 溪流物語』ヤマケイ文庫 が届いた。これを逍遥といおうか、埒外といおうか。