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TWEET「立ち位置」

 暑さがやわらいだころ、この酷暑ゆえ 日干しにならなければ、早速上京いたします。お上りさんツアーですね。  都を楽しむための準備にかかります。  都での再会、楽しみにしております。  Dちゃんとタッグを組めば怖いものなしですね。  卒塾生と同姓同名の女の子の写真集が出版されている、との情報に接し、たいへんな一日を過ごしました。  同一人物ではなく、杞憂に終わり、ほっとしています。  自分の立ち位置を探るために、県教委主催の、「こころの電話」にご 相談する等々、緊迫した時間を過ごしました。  何冊かの写真集をダウンロードしました。  女の子の裸には、うんざりしています。 ご丁寧なご挨拶、どうもありがとうございました。 くれぐれもご自愛くださいね。 FROM HONDA WITH LOVE.

TWEET「喪中につき_03_2/2」

故あって、以下の3冊を注文した。結構なお値段になった。 ◇ 橋本敬三, 川上吉昭『 操体法写真解説集』たにぐち書店; 復刻版 (2003/05/01) ◇ 橋本敬三『生体の歪みを正す 橋本敬三論想集』創元社; OD版 (2010/08/25) ◇ 操体バランス協会, 岡嶋邦士 他著『身体マネジメントの極意 最高の操体法 〜 バランス力が動きをアップグレード 〜 』BABジャパン(2022/11/15) ネパールの 20歳の女性と出会い、以下の一連の作品を、 ◇ 夢枕獏『 神々の山嶺(上,下)』集英社文庫 ◇ 夢枕獏,谷口ジロー原作『神々の山嶺 コミック版(全 5巻)』集英社文庫 ◇  夢枕獏,谷口ジロー原作『映画・神々の山嶺(いただき)』 ◇  夢枕獏『 エヴェレスト 神々の山嶺 (上,下) 』角川文庫 を、まず思った。  この出会いを大切にしたいと思っている。  また、 天人・深代惇郎さんの顔が脳裏に浮かんだのは不思議だった。 以下「喪中につき」、一挙 大公開です。 ◆ 左上の「メニューボタン」をクリックしてください。「サイドバー」が開きます。 ◆ 右上には「検索窓」があります。 ◆ 青色の文字列にはリンクが張ってあります。クリック(タップ)してご覧ください。 ◇  本多勇夫「塾・ひのくるま」 ◇  本多勇夫「塾・ひのくるま Plus」 ◇  本多勇夫「塾・ひのくるま / 折々の記」 ◇ Amazon の検索窓に私の名前を入れてください。電子書籍が表示されます。  以来 毎日、「生死」のことどもについて考えている。まず、自分のブログを読み直すことからはじめたいと思っている。

北原白秋「落葉松」_我が「心の幽かなそよぎ」

 “白い秋 ” がやってきた。季節がひとつめぐった。野分の置き土産である。 「落葉松(からまつ)北原白秋(きたはらはくしゅう)」 は、昨年度改定された、光村図書出版『国語 2』(中学校二年生の国語の教科書)で、はじめて取り上げられた作品です。 「落葉松」は、「水墨集」抄 所収の一編です。 ◇ 北原白秋『白秋詩抄』岩波文庫(1984年12月20日 第51刷 発行)   落 葉 松         一     からまつの林を過ぎて、    からまつをしみじみと見き。    からまつはさびしかりけり。    たびゆくはさびしかりけり。        二      からまつの林を出でて、    からまつの林に入りぬ。    からまつの林に入りて、    また細く道はつづけり。        三     からまつの林の奥も    わが通る道はありけり。    霧雨(きりさめ)のかかる道なり。    山風のかよふ道なり。        四     からまつの林の道は    われのみか、ひともかよひぬ。    ほそぼそと通ふ道なり。    さびさびといそぐ道なり。        五    からまつの林を過ぎて、    ゆゑしらず歩みひそめつ。    からまつはさびしかりけり。       からまつとささやきにけり。        六    からまつの林を出でて、    浅間嶺(あさまね)にけぶり立つ見つ。       浅間嶺(あさまね)にけぶり立つ見つ。    からまつのまたそのうへに。        七    からまつの林の雨は    さびしけどいよよしづけし。    かんこ鳥鳴けるのみなる。    からまつの濡(ぬ)るるのみなる。           八     世の中よ、あはれなりけり。    常なけどうれしかりけり。    山川に山がはの音、    からまつにからまつのかぜ。 この清らかさはなんだろう。この「韻(ひびき)」は、なにに由来するものか、数日来考えています。 下記、 「小さな資料室_資料298 北原白秋「落葉松」 からの引用です。すてきなサイトです。 2. 上記の「落葉松」の出典は、『水墨集』(大正12年6月18日アルス発行)です。同詩集には、≪落葉松≫として「落葉松」「寂心」「ふる雨の」「啼く虫の」「露」の5篇が出ているようです。そして、≪落葉松≫の...

中井久夫コレクション『「思春期を考える」ことについて』ちくま学芸文庫

「内容紹介」 中井久夫コレクション『「思春期を考える」ことについて』ちくま学芸文庫 「人生にとって始まりは重要であり、その後の行路に無視できない影響を及ぼす。精神科医として、患者の治療を通して時代を眺めてきた著者は「高度成長は終わったが、そのバランスシートはまだ書かれていない。しかし、その中に損失として自然破壊とともに、青春期あるいは児童期の破壊を記してほしいものである。われわれは大量の緑とともに大量の青春を失ったといえなくもない」と指摘している。思春期の難しさを丁寧に描き出した作品を中心に、豊かな視野と透徹した洞察を物語る「サラリーマン労働」「病跡学と時代精神」「サリヴァンの統合失調症論」などを収める」 「教育と精神衛生」 中井久夫コレクション『「思春期を考える」ことについて』ちくま学芸文庫  遅読を心がけながら読んだのですが、平易な日本語で書かれていますので、どうしても先を急いでしまいます。じゅうぶんにゆっくり読んだ、という実感がありません。   中井久夫コレクション『「思春期を考える」ことについて』ちくま学芸文庫 の「教育と精神衛生」について書かれた第一章を読みました。 1 「思春期における精神病および類似状態」 「思春期患者とその治療者」 「ある教育の帰結」 「精神科医からみた学校精神衛生」 「『思春期を考える』ことについて」 「学校精神衛生ーー世界精神衛生連盟会議、マニラ、一九八一年の報告」 「教育と精神衛生」  身につまされながら読ませていただきました。教育という名の下に、何の反省もなく、至極当然のように行われていることが、いかに子どもたちを追い詰め、病の温床になっているかに思いをいたしたとき、いたたまれない気がいたします。  中学生を対象とした少人数制の学習塾を営んでおります。私が描いている塾の姿と、子どもたちや多くの保護者の方々が求めている塾の姿との間には懸隔があります。  子どもたちのこころに気くばりのできる塾、という初心はいつしかどこへやら、しだいに勉強に、受験へと子どもたちを駆り立てるようになってきている自分、加害者に組するようになっている自分を感じています。ときに二律は背反することはわきまえているつもりです。河合隼雄は、 『こころの処方箋』新潮文庫 に、「ふたつよいことさてないものよ」と書かれています。また、「ふたつわるいこともさてないも...

TWEET「余滴_閉塾後」

 2020/11/22(中学生を対象とした個人)塾を閉じました。  間接的にではありましたが、不謹慎極まる中学校の先生方とのおつき合いがなくなり、開放感に浸っています。我関せず、知らんぷりを決め込んでおります。 TWEET「ボーヨー,ボーヨー」 なぜ返事ができないのか。 なぜ挨拶ができないのか。 昨日塾を閉じました。 快哉!! 晴れて自由の身です。 ボーヨー、ボーヨー、前途茫洋。

「小中学校の再開にあたって_いまこの時期に 再掲です」

 当市の小中学校では、明日(2020/05/18)から学校が再開される。2020/03/02 にはじまった臨時休校以来のことである。分散登校、午前中授業の期間を経て、2020/06/01 から通常授業になる。また、2020/06/03 からは給食もはじまる。  当面の私の気がかりは、各教科 前年度の未習分野から授業が再開されるかどうか、ということである。たとえば、中2の理科(大日本図書)では、「単元4 気象のしくみと天気の変化」、中1の理科では、「単元4 大地の変化」の未習分野がなおざりにされるのではないか、と危惧している。  裁量は個々の先生方の手中にあり、新学年の真新しい教科書の内容からはじめられる先生方が少なからずいることは想像に難くない。受験期に当たる中三生の子どもたちは、「天気」から教えてほしいといっている。至極当然の要求である。 逆に、のん気な中二生の子どもたちは、どこから授業がはじまるかを楽しみにしている。それによって先生方を値踏みしようという目論みである。  やはり行き着く先は、「自律」ということである。  以下、再掲である。 「憲法記念日の今日、『教育を受ける権利』について考える」  新型コロナウイルス禍の下、臨時休校を余儀なくされ、子どもたちの「教育を受ける権利」,「学びの保障」についての議論が交わされている。しかし、概してそれらは、授業日数に関する、授業時数についての数合わせの話題に終始している。大所高所から見た教育行政に関わる議論を否定するつもりは毛頭ないが、私が述べたいのは、日々の教室内での出来事であって、教室において子どもたちの「教育を受ける権利」は本当に保障されているのか、ということである。  1996年から、中学生を対象とした少人数制の個人塾を営んでいる。主要5教科を受け持っている。この23年あまりの間に、学校という風通しの悪い空間で、また教室という閉じられた系の中で、授業放棄という、職務怠慢な授業態度に明け暮れする先生方を少なからずみてきた。そして、それはいまも続いている。バレなければ構わないといった下卑た考えからであろうが、子どもたちの教師を見る目は厳しく、子どもたちは先生方をはっきり色分けしている。  ひとえに自律心の欠如ということである。資質の問題である。自らを律することのできない者は、他者から管理される他ないだろう。彼らに教...

TWEET「全力で応援します」

「豊田工業高等専門学校」の過去問が届きました。先日差し上げた過去問には付箋が入れてあったり、また私の書き込みがあったりしますので交換しましょう。  高専入試、全力で応援します。 ひき続きすてきな休日をお過ごしください。 また。 くれぐれもご自愛ください。 GOOD LUCK! FROM HONDA WITH LOVE.

TWEET「静謐の秋を期す」

週末 中学校二年生の女の子への推薦図書について思いを巡らせていた。 ◇ 梶井基次郎『檸檬』 ◇ 志賀直哉『城の崎にて』 の二冊がまっ先に思い浮かんだが、 ◇ 川端康成『古都』 に決めた。今日の午後、Amazon から到着した。  途中経過とか、感想とか野暮なことを聞くつもりは毛頭ない。届けられたままの状態で渡すつもりであるが、ただ眼の前で封を切ってもらい中身だけは確かめたいと思っている。日々進行する老化による注文間違いだけは避けたい、という情けなさ故のことである。  喧騒の夏はもう懲り懲りである。静謐の秋を期待している。

TWEET「受験生のいない夏」

「受験生のいない夏」は気楽です。心労が半減したかのような開放感を覚えています。「コロナ禍の夏」は、オーバーフローの懸念と常に隣りあわせだった、と想像しております。  また、およそ三か月間に及んだ臨時休校中には、一年間分のカリキュラムを半年でこなせることを自覚しました。私が、また子どもたちが、いかに学校に目を奪われ、よそ見をしていたかの証左です。  これを機に「ご維新だ」と叫びはしたものの、終息までは陋習に甘んじ、「stay loose」を決め込もうと、意気地のないことを考えております。

TWEET「おほめに預かり、慌てる」

以下、 「かまなび 第三の選択 集団か 個別か かまなびか」 さんのサイトからの無断引用です。 「自分の子どもを通わせたい塾」  以下のチラシの一部は全てコンビニ塾がばらまいている最近の広告です。ポストに入っていました。「無料」「0」のオンパレードチラシが目立っています。  個別指導の授業の価値はゼロだと自らうたっています。これら全て大手のコンビニ塾です。無料で新規のカモを釣り上げることに力を入れるのではなくて、今いる子達をどうするかを最優先に考えてほしいですよね。  これらのようなどこにでもあるコンビニ塾に対して、ここだったら自分の子どもを入れてもいいなと思える塾もあります。そんな全国の塾を見つけて勝手に紹介してみようと思います。 まずは、愛知県の塾です。 【塾・ひのくるま・本多塾】  ここの先生は、「塾をさっさと辞めて欲しい」とHPに書いているところがいいですね。やっぱり自学が大事なんだと認識されています。  また、「最短でできるようにする」ためにオリジナルプリントを作って指導されているようです。プロだったら最短でなんとかさせる手法を考えるのが普通なんですけど、コンビニ塾ではそうではありません。 「これができるようになるにはこれだけの授業を買ってくれ」というスタイルなんです。  それだけ授業を買わせてできるようにさせるのはプロの仕事ではないと僕は思いますね。  集団塾でも生徒を長時間拘束して無理させるところもありますけど、それもプロの仕事とは言えないでしょう。短期的な効果を出すために生命力を削らせるというのは受験で結果を出せても、それは後になって反動が起こることがあります。  グリグリ力まかせに治すようなヤブ整体のようです。以前私がお世話になった整体は、ほとんど力をかけずに指で軽くトントン押したりするだけで治してくれて大変驚きました。  僕が通っている歯医者の先生も、1・2回通えば直してくれます。  本当にすごい先生は少ない回数で、身体への負担をかけずになんとかしてくれるようです。  最短をうたうここの塾では、おそらく相当入念な準備をされているのでしょう。コンビニ塾では到底真似できない芸当だと思います。  2016/ 03/05 に書かれたものです。うかつにも昨日気づきました。おほめに預かり、慌てております。「ここの先生」とは自分のことか、と驚きました。過大評価...

TWEET「バーサタイル(versatile)」

「バーサタイル(versatile)」という釣り用語がある。「バーサタイルロッド」といえば、「汎用性のある釣竿」というほどの意味である。特化した点 のない「バーサタイルロッド」ほど釣趣に欠けたロッドはない。「バーサタイル」とは面白みがなくつまらない、と私は解釈している 。  いまなぜ「バーサタイル」かといえば、卒塾生で釣友の H君にソルトウォーターフィッシングに再三誘われ、ついにその気になり、この数日間釣り道具と戯れているうちに、ふとそんなことを思った、ということだけの話で ある。  2020/08/02 AM3:00時 集合である。  釣りの世界には魔物が住んでいる。H君の悪魔のささやきを機に、釣りに現を抜かすことを恐れているが、人生を賭する覚悟がなければ面白くなく、釣果も上がらないのもまた事実である。  「そぞろ神の物につきて心を狂はせ」「取るもの手につかず」、早くも釣りと心中する勢いである。

臼井吉見「言わでものこと 敬愛する現場の指導者へ」

「国語教科書批判」 丸谷才一『完本 日本語のために』新潮文庫  ーー(湯川豊)丸谷さんの中学生時代も教科書は文部省の検定制で、何種類かから先生が選んで採用していたんですか。 丸谷 そうですよ。そのうち『岩波国語』は、第一に文学的に質が高くてしっかりしたいい文章が載っていた。第二に皇国史観的、軍国主義的な文章がなかった。一年のときに教わった他の社の教科書は『岩波国語』と対蹠(たいせき)的にひどいものでした。  国語教科書で僕がいままでに感心したのは、明治時代に坪内逍遥がつくった『国語読本』、それから僕が教わった『岩波国語』、戦後のものでは筑摩書房の教科書がかなりいい。しかし、一番いいいのは谷川俊太郎や大岡信がつくった小学一年のための『にほんご』(福音館書店)で、これは検定を受けようという気持ちがなくてつくったものらしく、すばらしい出来です。その四つです。  教科書批判をやるときに全部の教科書を集めて目を通したのですが、筑摩の教科書は突出してよかった。しかし、採択率は問題にならないくらい、一番低い。  筑摩の編集者に会ったとき、その教科書をやんやと褒めて、しかしどうしてあんなに採択率が低いのかと聞いたことがある。すると彼がいうんです。地方自治体の教育委員が東京に出てくるとなると出版社にあらかじめ連絡がある。東京にくると、後楽園球場に連れていって野球を見せて、それからキャバレーに連れていって、接待をするんですって、各社こぞって。もちろんそのあとの面倒も見る。それで「うちの営業の連中はそんなことをするより帰って本を読みたいってのが揃(そろ)ってますから、まあ仕方がない」というんですね。僕はそれを聞いて、「もし俺が筑摩の営業だったら、日本中の子どものために、毎晩後楽園にも行き、キャバレーにもいって教科書を売るがなあ。会社のためにじゃなく、子どもたちのために」といった記憶があります。  ーー(湯川豊)うーん、ただ唸(うな)るのみですね。(324-324頁) ◇『にほんご』福音館書店 再読、遅読の必要を感じています。 また、 ◇『名指導書で読む 筑摩書房 なつかしの高校国語』ちくま学芸文庫 が気になっていました。市内の書店で手に取ってみるのは絶望的で、筑摩の営業の方たちの頑張りに期待するほかありませんが、期待薄と悟り、注文し、いま手元にあります。 『名指導書で読む 筑摩書房 なつ...

小林秀雄「無私な全的な共感に出会う機会を待つ」

 書店の参考書売り場で、通りがかりに、 ◇『2021年度受験用 豊田工業高等専門学校』英俊社 を手に取り、レジへ向かった。時期尚早のため、「国立高専」の過去問しか並んでいなかった。2860円というお値段に慌てた。  国語 大問2 の問題文を幾度 か読んだ。引用した古文を題材にしての考察(鑑賞文)である。  以下、その出典を最近のものから順に並べたものである。 ◇ 中西進『ことばのこころ 』東京書籍 ◇ 藤田正勝『日本文化をよむ 5つのキーワード 』岩波新書 ◇ 大輪靖宏『なぜ芭蕉は至高の俳人なのか』祥伝社 ◇ 小林一彦『NHK『100分de名著』ブックス 鴨長明 方丈記』NHK出版 ◇ 森朝男『読みなおす日本の原風景 古典文学史と自然 (はなわ新書)』塙書房  うかつにも中西進しか存じ上げなかった。「三夕の歌」が二つの問題文で話題になっている。明恵上人の名が見えるのもうれしい。  なかでも 中西進の作品が際立っている。『紫式部日記』の冒頭部分,「三夕の歌」を引いての「秋」についての随想 である。  「特段にどこの何が秋めくというのでもなく、それでいて秋のけはいがたつという季節の体感こそが、じつはこの国の秋の感触なのだろう。  空もおおかたの様子が艶だといい、秋のけはいとともに感じるものは、これまた風のけしきだという。  とくに涼気が漂ってきた、天地宇宙の全体が緊張へと向かっていく、そんな季節の移行が秋なのであろう。」  「こうした作者の目や耳に、あれこれの景物が一つの生命体をなして感じられることこそ、自然の季節を深めゆく営みとの、いちばん深い対面なのであろう。  この文章が、名文をもって聞こえる理由も、そこにあるにちがいない。  自然は人事を包含してしまうものだということを、この文章を見ながら、わたしはつくづくと思う。」  「また三首に共通することば遣いは、「なかりけり」「なき」「なかりけり」という否定である。秋の風景は否定の言い方と、心の深奥(しんおう)の部分で、無意識的に結びついているのにちがいない。」  古文の出題はなく、「大問2」がそれに相当する。受験時に古典を楽しんでもらうには格好の題材となっている。心憎い演出であるが、受験生泣かせの問題であることは想像に難くない。  理科の天体分野、公民の需要供給曲線の問題を各一題ずつ解いた。「 大問2」 を含めて後は手...

TWEET「脈絡なく」

数日前に、以下の二冊が届きました。 ◇ 池上彰,佐藤優『人生に必要な教養は中学校教科書ですべて身につく ー 12社54冊、読み比べ』中央公論新社 ◇ 手塚治虫,手塚プロダクション『手塚治虫の山』ヤマケイ文庫 いずれも予約しておいた新刊本です。 ◇ 池上彰,佐藤優『人生に必要な教養は中学校教科書ですべて身につく ー 12社54冊、読み比べ』中央公論新社 を、つい先ほど読み終えました。  教科書を読む習慣のある中学生は10%に満たない、と感じております。活字を読むことさえ厭わなければ、自学自習ができることを思うと残念でなりません。 「超多忙な大人のための 学びなおしプロジェクト」(帯より) 中学校の教科書を大人の専有物にしてしまうのはもったいなく、主客が転倒しています。中学生諸君の奮起に期待しております。 そして、 ◇ 手塚治虫,手塚プロダクション『手塚治虫の山』ヤマケイ文庫 を、読み始めました。 「ヤマケイ文庫(2010年刊)」.「ヤマケイ新書(2014年刊)」の創刊を知ったのは、2019/07/14 のことでした。「モンベル 豊橋店」さんの書籍コーナーで目にしました。ときに「山と広告」と揶揄される月刊誌「山と溪谷」とは一線を画し硬派です。その充実ぶりに、先鞭をつけられた編集長の萩原浩司氏に敬意を表しております。 脈絡なき読書です。 詳細は近日中に、ということにさせていただきます。 以下、2020/05/09 のブログ、 池上彰,佐藤優『人生に必要な教養は中学校教科書ですべて身につく 」 です。

「拝復 P教授様_ガラガラポン」

「行き詰ったら、一度ガラガラポン。蘇生します。」 「行き詰ったら、一度ガラガラポン」 いいですねぇ。蘇生しました。 明日から学校再開です。 各学年、各教科、優に一学期分の授業を終えました。 休校中は、心穏やかで授業がはかどります。 名品、どうもありがとうございました。 くれぐれもご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE.

「小中学校の再開にあたって」

 当市の小中学校では、明日(2020/05/18)から学校が再開される。2020/03/02 にはじまった臨時休校以来のことである。分散登校、午前中授業の期間を経て、2020/06/01 から通常授業になる。また、2020/06/03 からは給食もはじまる。  当面の私の気がかりは、各教科 前年度の未習分野から授業が再開されるかどうか、ということである。たとえば、中2の理科(大日本図書)では、「単元4 気象のしくみと天気の変化」、中1の理科では、「単元4 大地の変化」の未習分野がなおざりにされるのではないか、と危惧している。  裁量は個々の先生方の手中にあり、新学年の真新しい教科書の内容からはじめられる先生方が少なからずいることは想像に難くない。受験期に当たる中三生の子どもたちは、「天気」から教えてほしいといっている。至極当然の要求である。 逆に、のん気な中二生の子どもたちは、どこから授業がはじまるかを楽しみにしている。それによって先生方を値踏みしようという目論みである。  やはり行き着く先は、「自律」ということである。  以下、再掲である。 「憲法記念日の今日、『教育を受ける権利』について考える」  新型コロナウイルス禍の下、臨時休校を余儀なくされ、子どもたちの「教育を受ける権利」,「学びの保障」についての議論が交わされている。しかし、概してそれらは、授業日数に関する、授業時数についての数合わせの話題に終始している。大所高所から見た教育行政に関わる議論を否定するつもりは毛頭ないが、私が述べたいのは、日々の教室内での出来事であって、教室において子どもたちの「教育を受ける権利」は本当に保障されているのか、ということである。  1996年から、中学生を対象とした少人数制の個人塾を営んでいる。主要5教科を受け持っている。この23年あまりの間に、学校という風通しの悪い空間で、また教室という閉じられた系の中で、授業放棄という、職務怠慢な授業態度に明け暮れする先生方を少なからずみてきた。そして、それはいまも続いている。バレなければ構わないといった下卑た考えからであろうが、子どもたちの教師を見る目は厳しく、子どもたちは先生方をはっきり色分けしている。  ひとえに自律心の欠如ということである。資質の問題である。自らを律することのできない者は、他者から管理される他...

TWEET「馬鹿たる所以」

塾生に、たとえばコンビニで、 「先生」 と声をかけられると、周囲 の視線がいっせいに私に集まり、困惑します。 そんなとき私は、瞬時に後ろを振り返ることにしています。 「先生と呼ばれるほどの馬鹿でなし」 ということです。 「馬と鹿の区別がつかない人のことを馬鹿といいます。馬鹿は気楽です。気にされることもなく、気にすることもなくのん気で、やはり馬鹿にかぎります」 とも子どもたちにはいっています。 (注)  一見二者は背反しているかのように思われますが、同じ馬鹿でも、 「 先生と呼ばれるほどの馬鹿の最たる者ではなし」 という意味です。 悪しからず。

池上彰,佐藤優「人生に必要な教養は中学校教科書ですべて身につく」

昨夜、 ◇ 池上彰,佐藤優『教育激変 ー 2020年 大学入試と学習指導要領大改革のゆくえ』中公新書ラクレ の数葉のコピーを読んだ。故あって新書は差し上げてしまい手元にはない。 池上彰,佐藤優「新テストを前向きに評価する、稀有な人間」 前略 P教授様 昨日(2020/04/24)Amazon より届いた、 ◇ 池上彰,佐藤優『教育激変 ー 2020年 大学入試と学習指導要領大改革のゆくえ』中公新書ラクレ を、つい今しがた読み終えました。教育界の一隅に位置する者として、との思いから求めたものです。途中で、デニーズに場所を移しました。日がな一日、ひとり部屋に閉じこもっていると、やり切れなくなる時間帯があります。  まんざらでもなく、血気盛んなお二人のこととて、当書でも精力的ですが、勢いあまって、牽強付会といった箇所も散見されました。 池上  私たちは、この世界にいて新テストを前向きに評価する、稀有な人間だと自覚しています。(笑)(209頁)  教職に就かれている方たちには、ぜひ一読をお薦めいたします。見晴らしがよくなります。二時間ほどの読書です。 草々 その後、 ◇ 池上彰,佐藤優『人生に必要な教養は中学校教科書ですべて身につく ー 12社54冊、読み比べ』中央公論新社 が、2020/06/23 に出版されることを知り、仕事柄必読書かと思い予約した。 以下、ご多分に漏れず、いささか大仰な「内容紹介」である。 ◆ 生き残れるかどうかは、基礎学力が鍵になる。 ◆ 超多忙な社会人の学びなおしに最適のツールだ! ◆【公民】自分を支配する社会のシステムを再点検せよ! ◆【理科】日常を成立させる科学の基礎を理解せよ! ◆【地歴】世界を鷲掴みにするために、地理と歴史は欠かせない! ◆ 中学校教科書には、ビジネスパーソンが習得すべき基礎知識のすべてが詰まっている。 ◆ 地理、歴史、公民、理科、国語、数学、英語、そして道徳まで。激動の世界を爆走し続ける池上彰、佐藤優の両巨匠が12社54冊分を読み解いた。中学校教科書で足元を固めろ。 ◆ポストコロナの世界、AI社会を生き抜くためには、付け焼刃の知識じゃ太刀打ちできない。生き残りをかけ、基礎力を鍛え直せば、社会の深層が見えてくる。  義務教育 9年間の知識を身につければ、...

「憲法記念日の今日、『教育を受ける権利』について考える」

 新型コロナウイルス禍の下、臨時休校を余儀なくされ、子どもたちの「教育を受ける権利」,「学びの保障」についての議論が交わされている。しかし、概してそれらは、授業日数に関する、授業時数についての数合わせの話題に終始している。大所高所から見た教育行政に関わる議論を否定するつもりは毛頭ないが、私が述べたいのは、日々の教室内での出来事であって、教室において子どもたちの「教育を受ける権利」は本当に保障されているのか、ということである。  1996年から、中学生を対象とした少人数制の個人塾を営んでいる。主要5教科を受け持っている。この23年あまりの間に、学校という風通しの悪い空間で、また教室という閉じられた系の中で、授業放棄という、職務怠慢な授業態度に明け暮れする先生方を少なからずみてきた。そして、それはいまも続いている。バレなければ構わないといった下卑た考えからであろうが、子どもたちの教師を見る目は厳しく、子どもたちは先生方をはっきり色分けしている。  ひとえに自律心の欠如ということである。資質の問題である。自らを律することのできない者は、他者から管理される他ないだろう。彼らに 教師としての矜持はないのだろうか。  公教育の場がこの為体(ていたらく)であれば、子どもたちの「教育を受ける権利」が保障されているとはとてもいえまい。授業日数・授業時数の確保が子どもたちの権利を遵守するとはいえない現状が教育現場に瀰漫(びまん)している。  教育の死と再生。再生には死を賭することが不可欠である。この先現行以上の体を晒さ なければ、教育の再生はありえないのであろうか。いまこそ底を打ち、再生へと向かう絶好の時宜である。  昨日 西村経済再生担当大臣は、小池都知事の要望に、 「日本社会を10年進めるくらいインパクトのある改革を協力しながら進めていきたい」 と応えている。  上意下達という常套手段も結構であるが、笛吹けども踊らず、といった実際を、私は見続けてきた。政策によっては、下意上達、隗より始めることの有意さもあることを、この機に臨んで申し上げておきたい。  また、始業後の先生方の動向を注視している。

「教育の死と再生」

 公立高校入試は、範囲の限られたテストです。数学や理科のある分野については、多少の受験テクニックが必要となりますが、それとて学習指導要領内での出来事であって、中学校で行われる定期テストと同様、明確に出題範囲の示されたテストです。  範囲の限られた試験ですから、細大漏らさず勉強することが大切になってきます。たかが知れた範囲ですから、細大漏らさず勉強することはさして難しいことではありません。  しかし、ひとりでは、細大漏らさずといった勉強ができないために、入試数日前にしてなお、教科書を一頁ずつ繰って確認するといった直前対策講習を行わざるをえず、情けないかぎりです。  教科書を読まない、読もうとしないいまの大多数の子どもたちは、自身の手では細も大もすくい上げることができず、みじめです。そんな子どもたちとおつき合いせざるをえない私は、悲惨です。「転ばぬ先の杖はつかない」ことを標榜してはじめた学習塾ですが、いつしか初心は潰え、いまでは見る影もありません。このあたりが引き際かと考えています。  暉峻康隆先生の『女子大生亡国論』に倣っていえば、学習塾・予備校・各種専門学校等々に準ずる民間教育(?)機関が、また塾を恃み、塾に任せることをよしとし、おざなりの授業でお茶をにごす公教育の現場の先生方の体質が、ついにはこの国を亡すことになる、と私は考えています。暉峻先生の「亡国論」に比すれば、私の「亡国論」などは穏健派に組みするものです。自覚なく内省なく、したり顔をしている現場の先生方を想像すると、総毛立ちます。教育をなんと心得ているのでしょうか。自らの教育に対する矜持はないのでしょうか。  「死と再生」。「再生」には「死」を経ることが不可欠ですが、この先現行以上の地獄図絵のような体を経なければ、教育の「再生」はありえないのでしょうか。底を打ち、「再生」へと向かうとき、蘇生すべき体力が残されているのでしょうか。絶えることにならないことを祈るばかりです。  「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」。狭隘な自己保身、子どもたちを喰いものにした下卑た教育とは、もうこのあたりで訣別して、潔く「再生」へと舵を切るべきです。それには、身を投げ出す覚悟、「死」を賭す覚悟が必要です。「死」なきところに教育の「再生」はありえません。