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1月, 2018の投稿を表示しています

「走る月」

 帰り際、  「月がものすごい速さで動いている」 と、中ニ生のS君が言い、夜空を見上げました。  明月の前を、薄雲が間断なく流れていました。  「走る仏像」。  「仏像が走る」のであれば、「月が走る」ことに疑念をはさむ余地はなく、S君は、「走る月」を、私は「行雲」を、しばらく二人して眺めていました。 以下、 土門拳「走る仏像」 です。

「前略 Dr.T様_無事転院しました」

2018/01/29 17:47 いまマクドナルドにいます。江崎(病院)さんから直行しました。 1時間ほど(豊橋市民)病院内の喫茶室で、教科書を読もうと思い、10時に家を出ました。13時、(転院先の)江崎さん着で解放されるものとばかり思っていましたが、15時診察、その後、寺田(クリニック)さんで薬をもらってきてください、とのことで、寺田さんに行きました。診察後処方箋をもって、併設する調剤薬局へ行くと、入院中の患者さんには薬を処方することはできませんと断られ、納得のいかないままに、スギ薬局に行き、江崎さんに薬を届け、一日の務めを終えました。 ベッドから車椅子、車椅子から便座、歩行。人のすこしの支えがあれば、いずれも可能です。順調に回復されていますね、との江崎先生のお話でした。 六人部屋にいます。個室よりも二人部屋の方がいいとのことで、二人部屋をお願いしてきました。入院歴のある病院でしたので、手続きも簡単にすみました。 H君がお見舞いにきてくれました。風邪をひき、病み上がりで、ふらふらするといっていました。一週間風呂に入っていないといっていましたが、入浴については、取りたてていうほどのことでもなく、私とは似た者同士です。 取り急ぎまして、ご連絡まで。 ご返信ご不要です。ご心配ご無用です。 時節柄くれぐれもご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE. 2018/01/30 おはようございます。 2/13,14,15(北部中学校)、2/19,20,21(豊城中学校)に定期テストがあります。学年末テストですので範囲が広く、準備に時間がかかります。が、Nさんのご来豊に備え、気力、体力を温存するように心がけます。今回はガチガチのテスト対策はやめ 、いい加減の、適当なテスト対策を講じることにします。 金曜日の午後、ソーシャルワーカーさんとの面談があります。リハビリの進捗状況等、追ってご連絡いたします。 ご丁寧なご挨拶、どうもありがとうございました.。 時節柄くれぐれもご自愛ください。 TAKE IT EASY! FROM HONDA WITH LOVE. 追伸:新中一生の女の子のお母さんから、お電話をいただきました。休み中にはどうしてもだらけてしまいますので、三月か

「拝復 P教授様_若松英輔という新人」

 三日前に、「井筒俊彦」で検索中に、「若松英輔」を知りました。私にとっては、まったくの「新人」です。「三田文学」畑の批評家です。書名をみると、「小林秀雄」「井筒俊彦」「須賀敦子」「志村ふくみ」等々、錚錚たる面々が 会しており、我知らず、このようなことが進行しているとは思ってもみないことでした。  一昨日には、 若松英輔(編), 安藤礼二( 編) 『 井筒 俊彦 言語の根源と哲学の発生 増補新版』河出書房新社  が届きました。悲しいかな、中学校の教科書と併読しています。「教科書体」のフォントをみるのもいまいましく、できるかぎり遠ざけていますが、逃げ切れるはずもなく、囚われの身になることは目に見えています。見え透いた逃避行は面白くなく、観念して、一刻も早く拘束された者勝ちか、とも思っています。 下記、 慶應義塾大学出版会 より、 「井筒俊彦入門」 (一番下に、若松英輔の紹介文が記載されています) Amazon より、 「若松英輔」 です。 また、 「井筒俊彦を読むということ」 「井筒俊彦というさやけさのなかで」 です。 では、では。 時節柄くれぐれもご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE.

『羽生結弦は助走をしない』

 つい今しがた、紀伊國屋書店より、 「★★ Kinoppyより、『羽生結弦は助走をしない』(集英社新書)ほか話題の新刊近刊ご案内(1/28)」 とのタイトルのメールマガジンが届きました。  「助走をしない」、羽生結弦の生き方は、すてきです。

patagonia 「修理は急進的な行為」

昨日、patagonia より、「修理は急進的な行為」とのタイトルのメールマガジンが届きました。 なにを意味しているのか、 しばらくの間わかりません でした。 修理は急進的な行為 使い捨てが当たり前のスキー/スノーボード・ファッションの時代にスノー製品を長く使うことは、私たちが知る最も急進的な行為です。パタゴニアのスノー製品はいずれも機能が長持ちし、修理しやすいように作られています。皆さんのシェルが損傷を受けた場合は、私たちが修理するか、あるいはその修理方法をお教えしま す。それが修理の限界を超えていたら、 私たちが再利用/リサイクルします。    最後の一文には、意表をつかれました。  すべては、修理してまで使いたい、次世代の手に届けたい、といった思いにかられる、「急進的な」製品づくりからはじまるのは、いうまでもないことです。  patagonia さんの自助努力に期待しています。 以下、 「修理は急進的な行為」 です。

「拝復 P教授様_人生で平伏すものは “官能の美 ”です」

2018/01/07 この年であるからこそ、「ワルのすゝめ」です。人間を楽しむ極意です。 小林秀雄や青山二郎も皆、ワルでした。 今西錦司も梅棹忠夫も、相当のワルでした。 2018/01/07 「ワルのすゝめ」、どうもありがとうございました。 ワルに磨きをかけます。 FROM HONDA WITH LOVE. 2018/01/08 「学識と人間性が出逢って学問になる」 2018/01/08 学問には品位が必要とのことですね。 FROM HONDA WITH LOVE. 2018/01/09 「一生を一日の中に完結させる」。そんな生き方を試みてます。 2018/01/09 難題に挑戦中ですね。秘伝をお聞きするのを、楽しみにしています。 午前中に父のご機嫌うかがいに行ってきました。 病室に行く前に喫茶室で読書を一時間、と思っていましたが、結局寝てばかりいました。 体の欲するままに、と思っています。 昨日は車椅子で、病棟内の廊下を何往復かしたそうです。リハビリは容赦なく進行し、驚いています。 時節柄くれぐれもご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE. 2018/01/15 その後、お変わりありませんか? 「道に近道も遠回りもありません。本道であるかどうかだけです」 2018/01/15 「本道」をのんびりいきます。 つい今しがた、Amazon より二冊の本をお送りしました。 本でも読まれて、くつろいでください。 くれぐれもお大事になさってください。ご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE. 2018/01/16 「枕に頭を乗せて考えるな。部屋を明るくし、椅子に座って考えろ」。効能あらたかな薬です。 2018/01/16 効能添付のお薬、どうもありがとうございました。 早速服用いたします。 FROM HONDA WITH LOVE. 2018/01/18 昨日、二冊の「目利き本」を拝受致しました。 目利きによる、「目利き本」の贈呈、どうもありがとうございました。 やはり、人生で平伏すものは “美”です。 折り目正し

「シリーズ授業_人は皆、できそこないの失敗作です」

 「ゆとり教育世代( 2002年度から2010年度 )」の子どもたちに向かって、 「あなたたちは日本の教育行政の失敗作です」 と、私は、はばかることなく言っていました。 「Nさんも失敗作ならば、D君も失敗作です」 「H君もRさんも失敗作です」  さらに、 「あなたたちは、子育ての失敗作であり、できそこないです」 とも言ってきました。  「できそこないの僕と、できそこないの皆さんが会して、これからいったい何がはじまるのか、楽しみですね」  子どもたちは、例によって、このおじさんまた変なこと言いはじめたぞ、といった怪訝そうな面持ちで、私の顔色をうかがっていましたが、その表情はまんざらでもないようでした。  子どもたちを前にして、  「哀しいかな、人は皆できそこないの失敗作です」 と言った、少なくともその一点に関しては、私は健全であったと、今も自負しています。

「『動詞_凍てつく』夜に」

 一昨夜小雪が舞いました。凍てつく夜を、病院内で過ごしました。「せん妄」の症状とみられる、父の深夜のいたずらの見張り番です。  寝るに寝つけず、「灯火親しむ候」よろしく、病室内の洗面台の灯下で院内読書をし、また疲れると、簡易ベッドに横になる、といったことを何度か繰り返しました。  途中喫煙のため外出しました。小雪まじりの寒風の吹きすさぶなか、立ちすくしていました。が、平気でした。レイヤリング(重ね着)に間違いはありませんでした。この試着には、寒風の吹きすさび「小雪の降りかかる」、凍てつく夜がぜひ必要でした。試用なき本番は危険です。  「夜の底」が白み、窓外を見下ろすと、辺り一面がうっすらと雪化粧していました。  目付役の監視の目が厳しかったのか、父はおとなしく寝ていました。  陽が昇り、道路の凍結がみられなくなるころを待って帰宅しました。  今夜もつき添いをお願いします、との電話がありました。たとえつき添い人といえども、病院内で、不健康で非社会的な一夜を過ごすことについては、多少の矛盾を感じないわけではありませんが、院内をみわたせば、不健康な夜を強いられている、医療に携わる方たちの姿ばかりが目につき、医療現場といえども、社会の特異点たるはずもなく、病の温床のようにもみえ、やはり逆説に満ちていました。

「シリーズ授業_成り行きまかせで、行き倒れという生き方」

 明日、「学力診断検査」が行われます。豊橋市内の中学1,2年生を対象とした統一テストです。  年が明けてから、通常授業の合間を縫って対策授業を行っていますが、遅々として進まず、また一時(いっとき)に集中して勉強しなければ、なかなか定着するものではありません。  子どもたちには、「成り行きまかせ」のテスト対策です、行きつく先は「行き倒れ」、「共倒れ」です、と告げてあります。  この時期に行われる「学力診断検査」については、私の関心の蚊帳の外のことですので、「みんなで捨てれば怖くない」とも言ってあります。  「成り行きまかせ」で「行き倒れ」とは、僕の人生そのものですね、と言えば、子どもたちはそろって笑っていますが、人の一生とは、「成り行きまかせ」に生き、「行き倒れ」という格好で幕を引く、そういった、どうしようもなく哀しいものなんです、とは言ってみたものの、子どもたちには、深刻さは微塵もなく、いたって無邪気で、健全です。

「週末を読書に、『動詞_充てる』_井筒俊彦 読書覚書」

井筒俊彦『東洋哲学覚書 意識の形而上学   ー 『大乗起信論』の哲学』中公文庫  週末を読書に充てた。  井筒俊彦を読むということは、 「一文を読み、その文の理解が適当であったかどうかを、以下に続く文章を丹念に読むことによって、確認しながら歩を進めるということ」 だった。   私にとっては 持ち重りのするものだった。意を尽くして書かれた『覚書』だったが、おぼつかなく、再読を促された。  詳細は後日あらためて、ということにさせていただく。 下記、 「井筒俊彦というさやけさのなかで」 「井筒俊彦という巨匠と井筒俊彦が師事した巨星」 です。

凧を、「動詞_揚げる,掲げる」

 一昨日豊橋中央図書館に行きましたが、17:00時の閉館時間を少し過ぎており、やむなく引き返しました。  そのころには、野球の練習を終え帰り支度をする、にぎやかな少年たちの姿はなく、隣接するグランドには、凧揚げに興じる父子の姿が見られました。西風をはらんで高く低く、それは和凧ではなく、カイトと呼ばれるものでした。小さな女の子が凧の後を追っていました。  西の空をみると、小さなか細い月が硬質の美しさのままに光っていました。東へ西へと行き交う飛行機雲が、一条の光を放っていました。薄明時の空に描く神々の表現は、思いもよらず常に斬新です。凧は東に月は西に、という構図でした。  父子は凧を手繰り寄せ、帰り支度をはじめました。女の子が凧を高く掲げると、凧は小さな女の子の背丈ほどもありました。

「井筒俊彦を読むということ_井筒俊彦 読書覚書」

井筒俊彦『東洋哲学覚書 意識の形而上学   ー 『大乗起信論』の哲学』中公文庫  週末を読書に充てた。  井筒俊彦を読むということは、 「一文を読み、その文の理解が適当であったかどうかを、以下に続く文章を丹念に読むことによって、確認しながら歩を進めるということ」 だった。  私にとっては持ち重りのするものだった。意を尽くして書かれた『覚書』だったが、おぼつかなく、再読を促された。  詳細は後日あらためて、ということにさせていただく。 下記、 「井筒俊彦というさやけさのなかで」 「井筒俊彦という巨匠と井筒俊彦が師事した巨星」 です。

大寒の日に、あらためて「いい加減の生き方」です。

寒中お見舞い申し上げます。 一昨日には結構なものをいただき、どうもありがとうございました。 つい先ほど、残り一つの「ピーチゼリー」をいただきました。「北海道黒豆」「お米deスイートポテト」とともに、栄養士さんの折り紙つきだけあって、どれもおいしく、また安心していただきました。節分を前にして、「黒豆」を、年の数の倍ほども食べ、早くも立春を迎えたような気分になっています。 下記、ブログより、 「いい加減の生き方」 です。 どの企業をとってみても、期待をよせているのは、社会人一年生の「いま」ではなく、「何年か後」だと思っています。何年か先に、先輩と肩を並べることができれば、それでかまわないのではないでしょうか 。 自己嫌悪、自虐、劣等感、焦燥。自分をいじめることはすべて禁物です。もちろん過度の負荷も禁忌事項です。自分の身体 をいたわることを最優先にしてください。 また、何かの際にはお声をおかけください。お話ぐらいでしたら、いつでもお聴きいたします。 またの、夕暮れの駐車場でのおしゃべり、楽しみにしています。 今日は大寒ですね。時節柄くれぐれもご自愛ください。 また。 すてきな週末をお過ごしください。 TAKE IT EASY! FROM HONDA WITH LOVE. 追伸:ご返信ご不要です。ご心配ご無用です。

「井筒俊彦というさやけさのなかで_井筒俊彦 読書覚書」

  井筒俊彦の文章には彩(あや)がある。学術論文に私情をはさむことは許されないが、井筒俊彦の精緻な文章には、自ずからなる情(こころ)がある。明晰な文の重なりのなかで、文章は美しい形をなす。  井筒俊彦というさやけさのなかにあることを、私は好む。 下記、 「井筒俊彦という巨匠と井筒俊彦が師事した巨星」 です。

TWEET「春の空」

2018/01/17 「12日遅れの小寒の日に思う」  雨が降っています。梅雨明けまじかのような、温かく、激しい雨です。雨上がりには夏空が広がるのか、冬空がひかえているのかなどと、のん気なことを考えています。  「小寒」なくして「大寒」を迎えるのは、酷ですね。 2018/01/18  春の空が広がりました。うららかな空です。意表をつかれました。「種まく人」を続けます。

「12日遅れの小寒の日に思う」

 二十四節気を書き継ぐのを忘れるままに、十二日間が過ぎました。見す見すやり過ごしました。小寒の日に「 人工股関節置換術」の手術を受け、その夜には父につき添い、消耗しました。看護疲れは執拗で、その回復に一生懸命な日々でした。  雨が降っています。梅雨明けまじかのような、温かく、激しい雨です。雨上がりには夏空が広がるのか、冬空がひかえているのかなどと、 のん気なことを考えています。  「小寒」なくして、「大寒」を迎えるのは、酷ですね。

司馬遼太郎講演「風土的日本仏教の基本」

「心と形」 一九九〇年五月 仙台市 東北大学医学部同窓会総会における講演の記録に、大幅な加筆をしたもの 朝日文庫『春灯雑記』から 『司馬遼太郎全講演[4] 1998(II)-1991』朝日文庫  さきに、家の宗旨についてのべましたが、私自身が属している宗教はありません。しかし、 「無宗教です」  というつもりはありません。宗教についてのこういう微妙な気分は、日本の多くの人々と私はおなじです。  しかし、あたらしい文明のなかに私どもはすでに入っていて、しかも臓器移植と他者への臓器の提供という生命の課題が、日常の“事務”としておこりつつある時代に私どもはいます。  生命は、科学が全能として扱うべきではないということも私どもは知っています。  さらには、科学・技術という強力な文明が地球を覆いはじめたために、私どもは、否応なしに、地球人にされています。地球人の基本倫理が、隣人への愛であることも、私どもは知っています。  この状況は、日本の古くからの宗教的風土についてゆけなくなっています。その風土に根ざした哲学的な合意が、“無宗教”的な私どもの間に、なんとかうまれて来ないものなのか、というのが、この話の結論です。  風土的日本仏教の基本を整理しきってしまいますと、宇宙は空であるとともに光であり、生命というただ一種類の体系であるということです。生命ということにおいて、植物や微生物にいたるまで、自分や人間一般とすこしのかわりもなく、平等に生命を、そのかけらを、共有しているものであります。  そこまでは、わかっています。しかもこれだけで十分だと思います。これ以上言えば、宗教や宗派になります。これだけの合意があれば、倫理については個々にまかせればいい、のではないでしょうか。(239-240頁)

司馬遼太郎講演「質実剛健」

「宇和島の独創性」 『司馬遼太郎全講演[4] 1998(II)-1991』朝日文庫  質実剛健とは、文化なしという意味であります。  戦前の教育を考えますと、日本のどの中学にいっても質実剛健でした。  空念仏のようなものでした。  私の経験からいって、熱心に質実剛健を唱える豪傑ぶった人に、ろくな人はいませんでした。  かえって、軟弱で先生の目を盗んでサボっているような人が戦時中は勇敢でした。質実剛健は反文化主義であり、いまは流行りません。  誤解のないように言いますが、質素ということは大事ですよ。 (後略)(349-350頁) 「健康 」も「元気」も怪しくなってくる。

拝復 Nさんへ、何もかも「動詞_うっちゃる」

センター試験のために入校禁止とは、思ってもみないことでした。 論文や作文はとてもやっかいです。まったく進まない日もあると思います。しかし、締め切りには、なんとか間にあうのも、論文であり作文です。先のことは考えずに、今日は思い切ってお休みにしてはいかがですか。 当地は快晴です。看護師さんたちはとてもきれい好きで、容赦なく、いま洗濯物を干してきました。 この週末は、すべてをうっちゃり、寝て過ごすことに決めました。その後、あらためて新年のやり直しです。 お父さんが、センター試験当日の天気を心配していましたので、札幌、釧路、室蘭の予報を調べてみました。釧路は過酷ですね。 ご丁寧なご返信、どうもありがとうございました.。 くれぐれもご自愛ください。 TAKE IT EASY! FROM HONDA WITH LOVE.  昨日は、洗濯物を干し、取りこみ、寝ぼけまなこで煙草を買いに行き、父の見舞いにも行かず、食事もそこそこに、眠りほうけていました。が、何たることか、 惰眠を貪っていることへの罪悪感にかられてか、悪夢のために何度か目を覚ましました。そのたびにおじけづき、 小人の小人たる所以です。  今朝は、九時過ぎに起き出し、ごそごそしていましたが、眠気いまだに冷めやらず、今から寝ることにします。看護疲れは執拗です。今日中に、 父の元に洗濯物を届けられればよし、とします。悪夢をうっちゃることさえできれば、平気です。私ごとの世界です。

司馬遼太郎講演「文明と文化について」

2017/12/16 大学時代キャンパス内で、司馬遼太郎さんの講演をお聞きしたと思うのですが、定かな記憶はなく、頼りは、 司馬遼太郎『司馬遼太郎全講演(全5冊)』朝日文庫 だけです。記憶をたどります。 2018/01/12  書店の書棚に、「全5冊」が並んでいた。この機にと思い、さがした。在学期間が長かったために、たどり着くまでに結構時間を要した。見当違い、ということもじゅうぶんに考えられた。  その講演は、 『司馬遼太郎全講演[4] 1998(II)-1991』朝日文庫 に、 「大隈重信が目指した文明」(29-42頁) と改題されて載っていた。  原題は、 「一九八八年十月二十日 東京・早稲田大学大隈講堂 大隈重信生誕百五十年記念講演 原題=文明と文化について」 であった。大学四年次に行われたものでだった。  キャンパス内で聞いた講演中には、よく居眠りをした。それは、構内での講演に限られたことであった。学び舎が体質と合っていなかったのか、相性がよすぎたのか、と今更ながらに思うが、時すでに遅く、ボタンのかけ違えは、いまなお進行中である。これも人生、とあきらめている。  明治維新の官僚機構を支えたのは佐賀人だとよく言われますが、大隈はこの佐賀藩特有のガリ勉をののしっています。(33頁) 大隈と西郷は互いに嫌いでした 「ついに佐賀藩では倜儻不羈(てきとうふき)の人物を出すことは不可能になった」  独立心の強い、人の手綱で動かない人間を、倜儻不羈の士といいます。  大隈は、激しいと言ってもいいほどのリベラリストでした。特に教育面については、そういうはっきりした思想を持っていた人でした。文無しの政府をとにかく運営し、しかも経綸の才もあり、明治政府をつくりあげていった。  ところで大隈という人は西郷隆盛が嫌いでした。西郷も大隈が嫌いでした。ここからだんだん本題に入っていくのですが、二人の考え方には大きな隔たりがありました。  国というものをどう考えていくかが決定的に違ったのです。 (中略)  地生えの国々をネーションと呼び、人工的につくった、つまり法によってつくられた国をステートと呼ぶことにします。もっとも、ネーションとして始まった国々もやがてスーテトにならざるをえなくなります。フランス革命以後、国家という

白洲正子「銭金じゃあねえから、何とかせい」

白洲正子『日本のたくみ』新潮文庫 2018/01/09 「なに当てにするともなく」 用を足したついでに、なに当てにするともなく、書店に立ち寄りました。 白洲正子『日本のたくみ』新潮文庫 は、書棚に並んでいましたが、 白洲正子『私の古寺巡礼』講談社文芸文庫 は、ありませんでした。 『日本のたくみ』を買って帰りました。早速数編の作品を読みました。院内読書です。「韋駄天お正」の本領発揮です。足で書かれた本です。白洲正子のいつもの叙情は散見されるばかりで、叙事に終始していますが、「たくみ」の抒情がそれを補って余りあります。 2018/01/13 「水晶のふる里―朝山早苗」 今度の朝山さんの作品は、細工師が上部の波型の部分を切ったが、やはりはじめは断ったので、今沢さんが「銭金じゃあねえから、何とかせい」と、無理やりおしつけて成功したという。(145-146頁)  「たくみ」の世界とは、目的意識とか、ときに無欲という欲も無心という心さえ障りのある世界であることを知った。実に多くの裏方さんたちの「愛情と努力」よって支えられている世界だった。  名匠たちによって織り成された綾は、初春には誠にふさわしく、清々しい作品であった。また、当作品でも、河合隼雄があだ名した「白洲正宗」の切っ先は鋭く、健在であった。新春の夢見心地はきっぱり払拭された。 「糸に学ぶ―田島隆夫」 なかでも「結城の在に名人のお婆さんがいて、死ぬ前に寝床の中でひいた」という「死花」の話は、人の心をうつ。(202頁)

「センター試験を明日にひかえた、H君へ」

祈!ご健闘!! いよいよですね。いよいよに向けての備えは抜かりなく、と思っています。 夏以来の晴れ舞台ですね。ひと暴れしてきてください。 たいへん申し訳なくも、Hに限っては、と常に信じきって、油断しています。 お父さんは、当日の天気のことを心配していました。穏やかな日に恵まれるといいですね。 清々しい気持ちでのぞんでください。 TAKE IT EASY! GOOD LUCK!! FROM HONDA WITH LOVE.

村瀬明道尼『ほんまもんでいきなはれ』

 積読すること十数余年、「ほんまもんで行きなはれ」とばかり読んでいました。  ある年の晩春の琵琶湖釣行時には、あまりもの貧果に喘ぎ、釣りに見切りをつけ、彦根市街を散策中に、店主の人柄のしのばれる小さな書店で、お土産にと思って求めたのがご縁でした。  「ほんまもんで生きなはれ」と読むのが一義だ、と気づいたのは、昨年の暮れのことでした。   早速「第三章 再生」と「終章」を読みました。 帯には、 9つで親元を離れ仏門に入り、 33ではじめて知った道ならぬ恋…。 尼として、おんなとして精一杯、生きてきた。 精進料理の月心寺 「庵主さん」痛快一代記! 「庵主さん」をひと口にいえば、 一休和尚を女にしたような尼さんで、 お酒も飲めば、熱烈な恋もする。    白洲正子著『日本のたくみ』より と書かれています。  今度(来世で)も悪名がついてくるとしたら、なるたけ高いと楽しいなあ、と思います。悪名というものは、立つまでがまた、一苦労なのですから。(284頁)  ふたりきりの病室で、師匠は私の事故後の姿を初めて見て、手を取って泣きました。 「五体満足で、よう生き抜いたな、宗清。わしが死んだら宗弘を頼むで。苦労したな」(276頁) の言葉が身につまされます。

「拝復 Nさんへ_雨のち曇り、のち晴れです」

父へのお手紙、どうもありがとうございました。届き次第、父に届けます。 当地の今日の天気は、雨のち曇り。のち晴れ、いまは強風が吹き荒れています。 大学で、卒論の執筆ですか。行きづまったら、休んで時間をおくこと。散歩、掃除、整理整頓、午睡、そんなことをしているうちに、突然視界が開ける 時がやってきます。『芸術の神様が降りてくる瞬間』です。あせる、頑張る、根を詰めるは、禁句の世界です。 以下、 倉本聰「とにかく初稿を書き上げること」 です。ご参考まで。 午前中に父のご機嫌うかがいに行ってきました。病室に行く前に喫茶室で読書を一時間、と思っていましたが、結局寝てばかりいました。体の欲するままに、と思っています。 昨日は車椅子で、病棟内の廊下を何往復かしたそうです。術後すぐにはじまったリハビリは容赦なく、過酷です。 度重なるお見舞いのメール、どうもありがとうございました。 くれぐれもご自愛ください。 TAKE IT EASY! FROM HONDA WITH LOVE.

成人の日に、「動詞_闊歩する」

父の入院している病院内で、何人かの新成人の方たちを見かけました。羽織、袴、髪の毛、すべてまっ赤ずくめの男の子が、通路の真ん中を闊歩していました。そのふる舞いやお支度には、抜け目なく、天晴れでした。

「なに当てにするともなく」

用を足したついでに、なに当てにするともなく、書店に立ち寄りました。 白洲正子『日本のたくみ』新潮文庫 は、書棚に並んでいましたが、 白洲正子『私の古寺巡礼』講談社文芸文庫 は、ありませんでした。 『日本のたくみ』を買って帰りました。早速数編の随筆を読みました。院内読書です。「韋駄天お正」の本領発揮です。足で書かれた本です。白洲正子のいつもの叙情は散見されるばかりで、叙事に終始していますが、「たくみ」の抒情がそれを補って余りあります。

「拝復 P教授様_ワルに磨きをかけます」

「今の年であるからこそ、「ワルのススメ」です。 人生を楽しむ極意です。 小林秀雄や青山二郎も皆、ワルでした。 今西錦司も梅棹忠夫も勿論ワルでした。」 「ワルのすゝめ」、どうもありがとうございました。 ワルに磨きをかけます。 FROM HONDA WITH LOVE.

「P教授様_都は快晴です」

当地は快晴です。 「御父さんは、順調に回復されているようで良かったですね。 都も快晴です。」 看護師さんたちは、そろってきれい好きで、容赦なく、洗濯日和で、助かります。 落人にとって、都は聖地です。 都の西北は、精緻とは対極にあって、雑然としており、すぐれて 居心地のよい地でした 。 ご丁寧なご挨拶、どうもありがとうございました。 ひき続き、すてきな休日をお過ごしください。 FROM HONDA WITH LOVE.

「Nさんへ_とびきり上等な京都案内です」

おはようございます。 昨日は、14:00 時頃、午睡をするために病院へ向かいました。が、叔父に捕まりました。 昼前には、36.9度、午後には、37.8度の熱があり、アイスノンで冷やしていただきました。管の数もだいぶ減りました。 足首の曲げ伸ばしを30回、足を上げたままの状態で5秒間、膝の曲げ伸ばし、膝を下方に圧しつける、といった内容のリハビリがありました。 夕食の残りものをいただき、服薬を見届け、帰宅。早々に寝ました。 熟睡し、一気に解放されました。 今日からは、ペースダウンします。 ご返信ご不要です。ご心配ご無用です。 当地は今日も快晴です。 FROM HONDA WITH LOVE. 追伸: 桂離宮の参観の申込はがきを出されたとのこと、「大吉」に望みを託しています。 Nさんの手元に、 白洲正子,牧山桂子 ほか『白洲正子と歩く京都』(とんぼの本)新潮社 があると思います。とびきり上等な京都案内です。 いま私の目は専ら、 小林秀雄(現役時には、センター試験の大問1に「鍔(つば)」が出題され、平均点が大きく下がり、物議をかもしましたよね)、白洲正子、洲之内徹、そして中井久夫先生 の各諸氏に釘付けです。私には遠くおよばぬ、雲の上の人たちばかりです。この年になってようやく読めるようになりました。年をとるのもまんざらではありません。

「動詞_詮索する」

「ミヒャエル・エンデ 『モモ』_キョンキョンはすてきです!!」 の閲覧が、一日に150 を越え、あまりにも唐突なことに、不思議に思っています。冬休みも残りわずかで、課題を手っとり早く、終わらせようということなのでしょうか。 夏休みの終わり近くには、 五木寛之講演「見て知りそ 知りてな見そ」 で、同様なことを経験しましたが、つまらない詮索はやめることにします。

「術前、術後_まとめて」

2018/01/04 今朝 いまだ明けやらぬころ、父が転倒し、市民病院の救急外来を受診しました。右大腿骨上部骨折との診断で、手術をし、人工骨頭を、との手順です。 いま、診察室内のあわただしさの中にいます。病室への案内を待っています。 父は、いたって平らけく安らけく、いびきをかいてご就寝中です。 祖母の際に、経験していますので、安心しきっています。油断しきっています。 「対談」の件、あらためましてご連絡させていただきます。 機運に乗じて、ひたむきに、ただひたすら、急いでください。 以上、たいへん遅ればせながらも、第一報でした。 では、では。 時節柄くれぐれもご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE. 務めを終え、帰宅しました。 十六夜の月は、人事とは関係なく、鮮やかです。 以下、お父さんへのメールの転載です。 明日 9 時から、「人工股関節置換術」の手術を受けることに決まりました。 30cm ほど切るそうです。多量の出血が予想されるため、輸血の必要が出てくるかと思います、とのご説明でした。 3 時 間ほどかかるそうです。数パーセントにも満たないような、リスクの説明に終始しました。その前には、麻酔科の看護師さんによる説明もあり、医師の説明責任、また医療過誤について、過敏以上のものを感じました。 2018/01/05 無事終了しました。 私の不手際で、 M 先生の説明をうかがうまでに、時間がかかってしまいました。 実際には、 9:30~11:30 の、 2時 間ほどの手術でした。 いまクリーンルームにいます。父は眠っています。今夜は、つき添いでお泊まりです。私の最も苦手とする、クリーンな環境に閉じこめられ、この上なく息苦しく、いま脱獄の方法を模索中です。 ご心配していただき、どうもありがとうございました。 明日から早速リハビリ、とのことです。 FROM HONDA WITH LOVE. その後二回嘔吐しましたが、「手術後には、よくみられるとのことです」とのご説明でした。 「吐き止め」、抗生剤の点滴をしています。また、痛み止めの錠剤を飲みました。 水を飲むと、むせて、咳きこみます。肋骨の骨折が気がかりです。 早々のご丁寧なご挨拶、どうもあり

祈りの歴史を、「動詞_感得する」

年明け早々に手にした、 ◇白洲正子『十一面観音巡礼』講談社 文芸文庫 のカバーには、 「“女躰でありながら精神はあくまでも男” 荒御魂を秘めて初々しく魅惑的な十一面観音の存在の謎。 奈良の聖林寺の十一面観音を始めに、泊瀬、木津川流域、室生、 京都、若狭、信濃、近江、熊野と心の求めるままに訪ね歩き、 山川のたたずまいの中に祈りの歴史を感得し、 記紀、万葉、説話、縁起の世界を通して古代と現代を結ぶ。 瑞々しい魂で深遠の存在に迫る白洲正子のエッセイの世界。」 と書かれています。どなたの文章かは知る由もありませんが、そのみごとなできばえに、白洲正子の後見ということに思いをいたしました。

春雷が、「動詞_とどろく」

宅配クック123 豊橋店 さんにお電話をした際に、 「あ、ほんとう」 との、あまりにも不躾な応接に 、春一番の春雷が轟きました。 「旧制三高」 深代惇郎『深代惇郎の天声人語』朝日文庫 京大教授の梅棹忠夫さんが「きらいなもの」を聞かれ、「ざっくばらんが大きらい」と答えているのも面白い。ざっくばらんとは、つまり野蛮なのだろう。 ( 337 頁) 意気軒昂は、P教授譲りです。

拝復 P教授様、「動詞_動転,顛倒(てんどう)する」です。

「お疲れさまでした。御父さんの回復を祈念しております。 一番の心配は、塾長の転倒骨折です。 100倍のご自愛を!」 おはようございます。 塾長は動転、 顛倒しつつも、骨を折っています。瀕死の重症です。 骨休みする頃合いを見はからっています。 長丁場です。 こつこつと、を心がけます。 ご丁寧なご挨拶、どうもありがとうございました。 時節柄くれぐれもご自愛ください。

「拝復 Nさんへ_「ぞうさん」の「ぞ」です」

おはようございます。 今日中には、もう釧路ですね。東端の地での、もうひと頑張りに期待しています。 ご丁寧なご連絡、どうもありがとうございました。父は、ご来豊時には完治していることと思われますが、再び、三たび、ということもじゅうぶんにありうることで…。 席を一つ予約しました。その際には、 「N様のお名前の「ぞ」は、ひらがなで、「ぞうさん」の「ぞ」ですね」 と、あまりにもかわいらしくたずねられましたので、可笑しくって、 「はい、「 ぞうさん」の「ぞ」です」 と、精一杯かわいらしくお答えすると、笑っていました。 では、では。 気をつけて、お戻りください。 また。 時節柄くれぐれもご自愛ください。 ご返信ご不要です。ご心配ご無用です。 TAKE IT EASY! FROM HONDA WITH LOVE. 追伸: 十六夜の月が、人事とは関係なく、鮮やかに照っています。

TWEET「人事とは関係なく、鮮やかです」

務めを終え、帰宅しました。 十六夜の月は、人事とは関係なく、鮮やかです。

「拝復 P教授様_平らけく安らけく」

 今朝 いまだ明けやらぬころ、父が転倒し、市民病院の救急外来を受診しました。右大腿骨上部骨折との診断で、手術をし、人工骨頭を、との手順です。 いま、診察室内のあわただしさの中にいます。病室への案内を待っています。 父は、平らけく安らけくご就寝中です。 祖母の際に、経験していますので、安心しきっています。油断しきっています。 「対談」の件、あらためましてご連絡させていただきます。   機運に乗じて、ひたむきに、ただひたすら、急いでください。 以上、たいへん遅ればせながらも、第一報でした。 では、では。 時節柄くれぐれもご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE.

TWEET「露の干ぬ間に」

 辺りは明るくなりましたが、日の出の時刻までには、まだ時間があります。西の空の雲間に、寒月が見え隠れしています。  日の出の時刻を過ぎ、月の姿を見失いました。意気消沈、拍子抜けしています。  

TWEET「今年も健在です」

夜空は一帯にほの白く、南の空高くにあるはずの月影は見当がつかず、茫然としています。見れば、明け方まで曇りの予報です。私も行方をくらますことにします。行方不明は私の得意技です。

拝復 P教授様、「動詞_滞る」

お年始の叔父・叔母との応接に忙しく、また、お正月休みで、すべてが滞り、一身にひき受けた父の介助に疲れ果て、あい間あい間には惰眠を貪ってばかりいます。つい今しがた、今日何度目かの午睡から目覚めました。『坂の上の雲』全巻を、三が日中に、と思っていましたが、みごとに当てははずれ、一転して寝正月を決めこんでいます。三が日をやり過ごせば、と思っています。 P教授の「ツキ」にあやかりたいものだと思っています。 命運の尽きぬよう、用心します。 お便り、どうもありがとうございました。 では、では。 くれぐれもご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE.

センター試験を目前にひかえたH君へ、「動詞_知らせる」

今 夜空を見上げています。 南東の空に月がかかっています。寒月です。今年はじめての満月です。一人孤高の姿を保っています。 他意はありません。言葉を尽くすつもりもありません。ただ、明月のことをお知らせしたかったまでのことです。悪しからず! では、では。 くれぐれもおだいじになさってください。ご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE.

「動詞_睥睨(へいげい)する」

東の空に満月がかかっています。叢雲(むらくも)を睥睨し、威風堂々と輝いています。初春(はつはる)の頼もしい明月です。

「動詞_祈る / 畏まる / 詣でる」

◇ 白洲正子『十一面観音巡礼』講談社 文芸文庫 の口絵には、 「聖林寺・十一面観音像」 「盛安寺・十一面観音像」   「観菩提寺・十一面観音像」 「薬師寺・十一面観音像」 「渡岸寺・十一面観音像」 「那智出土の十一面観音像」 六体の観音像の写真が添えられています。 白洲正子,牧山桂子 ほか『白洲正子と歩く京都』(とんぼの本)新潮社  仏像に関する知識などまるでないので、ぼんやり眺めているだけでしたが、やはりほんとうに美しい仏さまは、ただ美しいというだけで、自然に拝みたくなりました。これは当たり前のことでしょう。(68頁 ,『私の古寺巡礼』「古寺を訪ねる心ーはしがきにかえて」より抜粋) 白洲正子の眼が選んだ観音像を前に畏まり、一年の無事を祈りました。 結構な初詣でした。 見るほどに陶然とした気分になります。