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TWEET「心労 如何ばかりかと想う」

 「 ダイハツの販売店を営む Jくんヘ」 ー ダイハツ 認証取得不正 国内の自動車工場 今日から稼働停止に際して ー 心労 如何ばかりか、と想像しております。 人生 時に非情に過ぎますね。 過度のご無理だけはなさらないように、と祈るばかりです。 心中を察すると、胸が痛みます。 奥様にもその旨、よろしくお伝えしてください。 くれぐれもお大事になさってください。 また。 ご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE. 

TWEET「緩解」

   杞憂という顚倒(てんどう)、疑心暗鬼という夢想の内にあった。  が、「遠離(おんり)一切顚倒夢想(般若心経)」と、すっかり、容易には片づかない ところに自らの業の深さを感じている。 「ここは安全な場所ですから、安心してゆっくり休んでください」 と気づかってくださった、看護師さんの言葉が、いまも鮮明である。  殊更、Hには、恩義を感じ、敬意を表している。どうもありがとう。

「法華堂_東大寺域」

2023/06/14  まもなく拝観時間(8:30〜16:00)が終わりを告げようとしていた。私は、「東大寺・法華堂(三月堂)」に設(しつら)えられた台座の、「 不空羂索観音像」の正面に腰をかけ、ひとりくつろいでいた。ようやく訪れた平安だった。  そんな折もおり、4人の中学生が私の目の前を突っ切った。 「人の前を通るときは会釈くらいしろ」 「そこに座り合掌しろ」 私は中学生を叱咤した。中学生たちは素直に従った。と、そのとき職員がやって来た。 「大きな声がするので来た。 中学生にはなにをいっても仕方ない」 といわれた。そういうものかと思い、 「申し訳ありませんでした」 と、私は謝罪するほかなかった。 「 不空羂索観音像」の前に畏まり、私は合掌・一拝し外に出た。  外には私を待ち受けている女性がいた。 「お水取りでいただいた炭を納めに参りました。母は「法華堂」が好きなんです」 その「法華堂」で、私の狼藉の一部始終を目にしたのであろう。しかし、私にはまったく覚えがなかった。 「あの子たちには忘れられない思い出になったでしょうね」 さりげない女性の言葉に、私は救われた思いがした。  その後、「東大寺」または「東大寺ミュージアム」においてある、 ◇ 森本公誠編『善財童子 (ぜんざいどうじ)求道の旅』朝日新聞社 を読むように勧められた。  また、昨年末来病気がちであること、父を亡くして日が浅いことを告げると、「 東大寺」もしくは「東大寺ミュージアム」で、「薬湯」を購入し、災厄を払うようにいわれた。  彼女は、高野山に参拝し、 また 四国八十八ヶ所霊場の幾 ヶ 寺かを拝観していることを知り、「女人高野 室生寺」を、また「大野寺」を訪ねることを勧めた。その際には、 ◇ 土門拳の四分冊になっている『古寺を訪ねて』小学館文庫 を紹介した。土門拳についてはよく知っているようだった。  また、 ◇ 岡潔『岡潔対談集_司馬遼太郎,井上靖,時実利彦,山本健吉』朝日文庫 についてお話しし、 ◇ 河合隼雄『明恵 夢を生きる』京都松柏社 ◇ 白洲正子『明恵上人』講談社文芸文庫 ◇ 白洲正子『西行』新潮文庫 についても、話題にした。  今夜は京都に宿泊し、明日は「伊勢神宮」を訪れる とのことだった。明日の夜には、黒田清子(くろださやこ)様が、 天皇陛下の御言葉を読まれます、直接その場に立ち会うことはで

ファラデー著,竹内敬人訳『ロウソクの科学』岩波文庫

 周到な用意と、その巧みな配列。矢継ぎ早に繰り広げられる実験群を、聴衆の少年少女たちは身をのり出すようにして見入ったことであろう。  ロウソクの灯りは毎日目にしている。  燃えているロウソクの上部は「お椀」状になり、その「お椀」が溶けたロウを支える。また 、そのロウは芯を伝って燃焼する。炎は静かで安定しているが、炎の輝きは依然として頼りない均衡の内にある。  ロウソクの精細な作りは、ロウソク職人の創意と工夫の歴史を担っている。 「私は、ロウソク以上に、その働きの最後の瞬間まで、一つの部分がお互いに他の部分の役に立つように条件が調整される見事な例を思いつきません」(33頁)  ロウソクは脈々として継承された伝統のなかで培われ完成形をみた。ファラデーは順を追って実験を重ねることによって、その内容を解き明かした。  初読後、間をおくことなく再読した。盛んに炎を上げるロウソクと実験との相関を見失った 。再読後には明らかになったが、6回にわたった講演のすべてを理解したわけではない。かといって、私はなんの不自由も感じていない。  私は、ファラデーによって明かされた帰結をここに披瀝しようとは思わない。結論は二次的であり副次的でさえあるからである。ファラデーは少年少女に、科学的な思考法とそれを立証する手立てを示したかった。科学においては一つの誤ちがすべてをだいなしにする。虚偽を見ぬく子どもたちの嗅覚は鋭い。一つの誤ちがファラデーへの信頼を失墜させる。ファラデーは地歩を固めつつ一歩ずつ前に進んだ。ファラデーが見はるかす道を歩きえたのは、少年少女の、また来るべき 科学の行方に夢を託していたからである。私はファラデーの科学者としての矜持とこの心意気に感服する。  ファラデーは講演の最終項で、動植物による地球上の二酸化炭素の循環について語っている。それは過不足のない自然の摂理を、少年少女が身近に感得するには格好の話題であった。見事にファラデーは掉尾を飾った。  以上の文章はロウソクの「科学」について述べたものではない。興味のある方は、実際に手に取って読んでいただきたいと思う。第一講は概論風の話題となっているので、第一講だけ読まれても、ロウソクのその精緻な作りの一端をうかがうにはじゅうぶんであろう。

「奈良大和路行_いのちの律動の音調」

 2023/06/05 心穏やかならず、奈良大和路行を決めた。喪中に旅は不埒か、私にはそのような了簡はなかった。  まず唐招提寺を目指した。  金堂ののびやかな甍を仰ぎ、参拝、拝観後 本堂へ向った。その際、 「国宝 鑑真和上坐像 / 東山魁夷画伯障壁画 / 御影堂特別公開」 と書さ れた立札を前にして目を疑った 。6月6日は鑑真和上の命日だった。  平成14年(2002)2月に名古屋市博物館で「唐招堤寺金堂平成大修理記念『国宝 鑑真和上展』」 で鑑真和上坐像を拝見したが、今回拝した鑑真和尚は、所在を得て祈りの対象そのものだった。  東山魁夷の障壁画はみごとだった。紺青の、また水墨の淡彩で描かれた『山雲』,『黄山暁雲』を前に茫然と立ちつくした。  出口に向かうころ、般若心経を耳にし、廊下に座し唱和した。それは、 いのちの律動の調べを彷彿とさせるような、ゆったりとした調子の読経 だった。鑑真和上感得の伝来の、音調のような気がしてならなかった。  それ以降 般若心経の唱え方が一変した。 「意味から響きへ、理解から感応へ。262文字のこころを体感する」( 玄侑宗久『現代語訳 般若心経』ちくま新書,「帯」 ) これらはいのちの脈動に和すればこそ、かなうことどもであろう。たいへんな体験をした。  その後 開山御廟にお参りに行った。供えられたまっ赤なお線香が印象的だった。 紀野一義「空を語る」 紀野一義『「般若心経」を読む』講談社現代新書 「『色即是空』が、くるりと転換して『空即是色』になる。この時の『空』は、大きな、深いひろがりとしての空、われわれをして生かしめている仏のいのちのごときものである。そういうものの中に私たちひとりひとりの『色(しき)』がある。存在がある」(126頁) 「『空』は、仏のいのちであり、仏のはからいであり、仏の促しであり、大いなるいのちそのものである。  そういうものがわれわれをこの世に生あらしめ、生活せしめ、死なしめる。死ねばわれわれは、その『空』の中に還ってゆくのである」(131-132頁) 「これ(「般若心経」)を唱えることは、大宇宙の律動を自分のものにすることになる。この真言とひとつになれば、自分が大宇宙そのものになる。そして、すばらしい輝きを発することになる。そう考えると、心が湧き立つようではないか」(63頁) 「盤珪禅師」 「それからの盤珪(

「奈良大和路行_はじめに」

2023/06/05〜 2023/06/10  2023/06/10 未明に帰宅 七・七日忌法要 その後 会食 2023/06/11  忌明け( 16:35   )   2023/06/12〜 2023/06/19   2023/06/18 「瀧原宮」, 「瀧原 竝宮」, 「 伊勢神宮・外 宮」 「せんぐう館・奉納舞台」 伊藤華野「祈りの舞 インド古典の舞」奉納時間11時30分より 「神宮会館」 2023/06/19 「瀧原宮」, 「瀧原 竝宮」 ,「 伊勢神宮・ 内宮」 伊勢湾フェリー(鳥羽→伊良湖) 帰宅 2023/06/21 〜 2023/06/29 2023/06/26 Dちゃん、Kさんの結婚式  於 「ジャルダン・ドゥ・ボヌール」 大和西大寺駅 → 京都駅 →「栂尾 高山寺」 「高山寺 石水院」    2023/06/28 「大野寺」 「室生寺」 「本居宣長記念館(松阪)」 TWEET「一連の旅の終わりに」 今日の夕方、三重県松阪市の、 「本居宣長記念館」 を訪ねた。 「鈴屋(すずのや) 」は薄暗く、鎮まっていた。  いま 紀勢自動車道の奥伊勢 PA(下り)に いる。十三夜月(じゅうさんやづき)が山の端に沈もうとしている。  明日「瀧原宮」, 「瀧原 竝宮」, 「外宮」,「内宮」の順にお参りし、今回の一連の旅を終えることにする。 2023/06/29 「瀧原宮」, 「瀧原 竝宮」, 「 外宮」,「 内宮」 伊勢湾フェリー(鳥羽→伊良湖) 帰宅  往復の日数を含め、計23日にわたる参拝の道行だった。 「唐招提寺 / 薬師寺・東院堂・聖観世音菩薩像、東塔 / 興福寺・南円堂、国宝館 / 東大寺・法華堂、東大寺ミュージアム / 氷室神社 / 大野寺 / 室生寺」  この間(かん)ごく限られた寺社を何遍となく巡った。時を忘れ仰ぎ見ていると、細部が姿を現わす。全般を知るには自ら刻むほかないと思った。  以降 体が明るくなった。「眼耳鼻舌身意」が変われば、「色声香味触法」が変わる。  たとえばいま、 「 七種鈴 (松坂万古)」( 2021/10/19に、 「本居宣長記念館」 , 「ミュージアムショップ 鈴屋」 で購入)が、鮮やかな音を立てて鳴り響いている。かつてなかったことである。不思議ではあるが、紛うことなき事実である。  この間(かん)のことについて綴るのは容易で

TWEET「立ち位置」

 暑さがやわらいだころ、この酷暑ゆえ 日干しにならなければ、早速上京いたします。お上りさんツアーですね。  都を楽しむための準備にかかります。  都での再会、楽しみにしております。  Dちゃんとタッグを組めば怖いものなしですね。  卒塾生と同姓同名の女の子の写真集が出版されている、との情報に接し、たいへんな一日を過ごしました。  同一人物ではなく、杞憂に終わり、ほっとしています。  自分の立ち位置を探るために、県教委主催の、「こころの電話」にご 相談する等々、緊迫した時間を過ごしました。  何冊かの写真集をダウンロードしました。  女の子の裸には、うんざりしています。 ご丁寧なご挨拶、どうもありがとうございました。 くれぐれもご自愛くださいね。 FROM HONDA WITH LOVE.

TWEET「私は貝になりたい」

◇ 白洲正子『西行』新潮文庫 の帯には、 「能あるものは、 そっと黙っていよ。 ----- ゲーテ」 と記されていますが、能なき私は、 「とかくに、人の世は住みにくい」 「人の世」が「住みにく」ければ、「人で無し」として生きるほかないだろう、と明らめた。

TWEET「一連の旅の終わりに」

今日の夕方、三重県松阪市にある、 「本居宣長記念館」 をたずねました。 「鈴屋(すずのや)」は鎮まっていました。  いま 紀勢自動車道」の奥伊勢 PA(下り)に います。十三夜月(じゅうさんやづき)が山の端に沈もうとしています。  明日「瀧原宮」 , 「外宮」,「内宮」の順にお参りし、今回の一連の旅を終えることにします。

TWEET「慶祝!慶賀!! ご結婚_昨日は」

サクジツハ オヒガラモヨク ジョウゲンノツキデ オボエヤスクッテ イイデスネ。 ジュウニジガツキノデデ ジュウハチジニナンチュウシ ニジュウヨジガツキノイリデシタ。 ミチユクツキニ ココロトキメカセ…。

TWEET「忌明」

2023/06/10 「勧持院」さんにて、七・七日忌 法要。 その後、「甲羅」にて会食。  2023/06/11 16:35 忌明  「甥、姪へ」 世代が交代した。 君たちの時代だ。 自由であれ。 美しくあれ。

TWEET「慶祝!慶賀!! ご結婚」

ハナヨオモイオモイニサケ。 イジョウガ コノセキヲオカリシテノ ワタクシノ ミナサマガタヘノ メッセージデス。 ホンジツハ オヒガラモヨク オフロノヒデ オボエヤスクッテ イイデスネ。

TWEET「法華堂参拝_3/3

   「興福寺 国賓館」  わきの駐車場に車を駐め、いまから、 「東大寺・法華堂」  に向かいます。今日こそは、と気色ばんでいます。かなえば、忌明け後 三たび目の「法華堂」参拝です。

TWEET「法華堂参拝_2/3

氷室神社 「祈 國難 / 氷解」 奈良国立博物館 ミュージアムショップ 東大寺 ミュージアム   結局 法華堂まで到着できずに終わりました。明日に期します。  画像は後日 貼りつけます。悪しからず!!

TWEET「法華堂参拝_1/3

  「興福寺 国賓館」  わきの駐車場に車を駐め、いまから、 「東大寺・法華堂」  に向かいます。  忌明け後、三たび目の「法華堂」参拝です。

TWEET「眠れぬ夜は」

 いま 忌明け後にやることを、忌明け前にやらされています。当地を離れるしかなく、そのタイミングを見計らっています。  あいにくにも台風 2号が近づきつつあり、また北朝鮮がミサイルを発射したらしく、この先の行方は不明です。 ◆ 青色の文字列にはリンクが張ってあります。クリック(タップ)してご覧ください。 小林秀雄「国語伝統の底流」

TWEET「喪中につき_07」

◆「NHK ニュース 防災」(アプリ)  「スティーブジョブ ズ 連載記事」 ← クリックまたはタップしてください。

TWEET「喪中につき_06」

喪中を機に、以下 2冊の本を封印した。 ◇ 濱野ちひろ『聖なるズー』集英社 第17回開高健ノンフィクション賞受賞作 「開高賞史上最大の問題作!」 本屋大賞 2020 年 「動物との性愛。性にタブーはあるのか」 「動物との性愛。禁忌の先に、何がある」 ◇  三田村泰助 『宦(かんがん)官 ー 』中公新書 あまりにも有名な…。

TWEET「喪中につき_05」

Hくんへ  忘れもの、すべてマクドナルドにありました。  どうもありがとうございました。  ◇ 吉田豊『花かおる葦毛湿原』 ほおずき書籍 古書 1,0000円  ◇ 多摩六都科学館 天文チーム 『世界でいちばん素敵な夜空の教室』三才ブックス ◆「NHK ニュース 防災」(アプリ) スティーブジョブの連載記事 ◆「STAT WALK」(アプリ) 「拝復 P教授様 _the most design-savvy professor」  09/22/2017  「明後日 学会で発表する PPを添付しました。  構内では、『名物講義』がはじまりました。教室は満員で、立ち見もでましたが、『名物教授』といわれないように自戒しています」  「Prof.P is the most design-savvy professor in the world.」  おはようございます。 「.pptx」の拡張子をもったファイルをはじめて開きました。ダブルクリックすると、Mac では、「Keynote」といわれる、Windows の「PowerPoint 」に相当するソフトが立ち上がりました。  まずその図表の美しさに目を奪われました。色づかいも、また斜めに書き込みのある棒グラフもお洒落ですね。  ご苦労のほどがしのばれます。実りの秋を実感しています。  明後日の晴れ舞台に期待をよせております」 梅田望夫『ウェブ時代 5つの定理 』文春文庫  「Apple is the most design-savvy company in the world.」 Ray Riley アップルは世界中でいちばんデザインサビーな会社だ。 スティーブ・ジョブズがいるからだ。 アップルはカルト(な会社)だけれど、 デザインチームはもっと強烈にカルトだ。  レイ・ライリー (160-161頁)  これは元アップルのデザイナー、レイ・ライリーの言葉です。デザインサビーとは、デザインに精通し、センスがよくてクールだ、という意味です。カルト(狂信的教団)とは穏やかではありませんが、アップルを離れて「普通の社会」にもどったことで、アップルの尋常ではない感覚を改めて痛感したのでしょう。

TWEET「忌明け早々には_01」

スジオ君  6月25日(日) の朝 大阪駅前「新阪急ホテル」前で待ち合わせ。「浄土寺」で「阿弥陀三尊像」参拝。  その他の訪問地は、呼ばれたところへ。 P 「忌明け(2023/06/11)」を待っていたかのように、P教授からのお誘いがありました。「浄土寺」への行き帰りには、大和古寺を巡る予定でいます。「唐招提寺」,「薬師寺」から大阪駅までの所要時間は1時間ほどです。その後、「伊勢神宮」,「瀧原宮」を参拝し、伊勢湾フェリーに乗船し帰宅する予定でいます。 「呼ぶところ」とは、「三徳山 三仏寺 投入堂」と信じております。

TWEET「喪中につき_04」

2023/05/19、 「モンベル 豊橋店」さんで、 ◇「スリップオンリストコンパス」 を購入し、 そして今春入社したばかりの男の子に、コンパスを時計のバンドにつけてもらいました、四方位さえわかれば、後はなんとかなります。 方位を知りたい刻があります。 その後、その男の子に勧められるままに、 ◇ ニコラス・オコネル『ビヨンド・リスク』ヤマケイ文庫 を購入しました。 「道(タオ)」についての記述のある、 「ヴォイテク・クルティカ(人名)」 の文章だけでも読んでほしい、とのことでした。 東洋哲学に興味があるならば、井筒俊彦の以下の岩波文庫を読んでみたら… ◇ 井筒俊彦『イスラーム文化 ー その根柢にあるもの』岩波文庫 (1991/06/17-) ◇ 井筒俊彦『意識と本質 ― 精神的東洋を索めて』岩波文庫 (1991/08/08-) ◇ 井筒俊彦『 神秘哲学 ー ギリシアの部』岩波文庫 (2019/02/16-) ◇ 井筒俊彦『 意味の深みへ ー 東洋哲学の水位 』岩波文庫 ( 2019/03/16-) ◇ 井筒俊彦『コスモスとアンチコスモス ー 東洋哲学のために』岩波文庫 (2019/05/17-) きっと貴君には読めないでしょうから、 はじめに、 井筒俊彦『イスラーム哲学の原像』岩波新書 (1980/05/20-) でも読んでみたら、「アホ」といっておきました。  その後、「第二積善病院」さんに、最後のお支払いに行きました。父子ともにお世話になったフロアの主任の看護師さん、受付の方たち、オンライン面会で便宜をはかっていただい男性にご挨拶をしました。急にへなへなになってしまいました。  その帰路、友人の事務所により…。 〈続く〉  昨日「四・七日忌」を終えました。  内を向くはずの気が、外へと向かい霧消しています。四十九日忌までは駄目か、と諦めています。喪に服すことさえ許されず、馬鹿げ過ぎています。 以下「喪中につき」、「一挙 大公開、再び」です。 ◆ 左上の「メニューボタン」をクリックしてください。「サイドバー」が開きます。 ◆ 右上には「検索窓」があります。 ◆ 青色の文字列にはリンクが張ってあります。クリック(タップ)してご覧ください。 ◇  本多勇夫「塾・ひのくるま」 ◇  本多勇夫「塾・ひのくるま Plus」 ◇  本多勇夫「塾・ひのくるま / 折々の記」 以

TWEET「病気療養中につき_40」

豊橋市民病院 2023/04/24 ◇ 発熱外来 ◆「総合診療科1診 内藤岳人先生」 ◇ 採尿 ◇ 採血 ◇ 一般撮影(レントゲン) ◇ 処方あり 豊橋市民病院 2023/05/08 ◆「総合診療科 佐野暢彦先生」 ◇ 経過観察 TWEET「病気療養中につき」、40回にて「経過観察」中。

TWEET 「慶祝!慶賀!!」

慶祝!慶賀!!  P 教授 祝祭の日に、 「小夜の中山」 です。

TWEET「喪中につき_03_2/2」

故あって、以下の3冊を注文した。結構なお値段になった。 ◇ 橋本敬三, 川上吉昭『 操体法写真解説集』たにぐち書店; 復刻版 (2003/05/01) ◇ 橋本敬三『生体の歪みを正す 橋本敬三論想集』創元社; OD版 (2010/08/25) ◇ 操体バランス協会, 岡嶋邦士 他著『身体マネジメントの極意 最高の操体法 〜 バランス力が動きをアップグレード 〜 』BABジャパン(2022/11/15) ネパールの 20歳の女性と出会い、以下の一連の作品を、 ◇ 夢枕獏『 神々の山嶺(上,下)』集英社文庫 ◇ 夢枕獏,谷口ジロー原作『神々の山嶺 コミック版(全 5巻)』集英社文庫 ◇  夢枕獏,谷口ジロー原作『映画・神々の山嶺(いただき)』 ◇  夢枕獏『 エヴェレスト 神々の山嶺 (上,下) 』角川文庫 を、まず思った。  この出会いを大切にしたいと思っている。  また、 天人・深代惇郎さんの顔が脳裏に浮かんだのは不思議だった。 以下「喪中につき」、一挙 大公開です。 ◆ 左上の「メニューボタン」をクリックしてください。「サイドバー」が開きます。 ◆ 右上には「検索窓」があります。 ◆ 青色の文字列にはリンクが張ってあります。クリック(タップ)してご覧ください。 ◇  本多勇夫「塾・ひのくるま」 ◇  本多勇夫「塾・ひのくるま Plus」 ◇  本多勇夫「塾・ひのくるま / 折々の記」 ◇ Amazon の検索窓に私の名前を入れてください。電子書籍が表示されます。  以来 毎日、「生死」のことどもについて考えている。まず、自分のブログを読み直すことからはじめたいと思っている。

TWEET「喪中につき_03_1/2」

イメージ
「ゆでたまご」 向田邦子『男どき女どき』新潮文庫  私にとって愛は、ぬくもりです。小さな勇気であり、やむにやまれぬ自然の衝動です。「神は細部に宿りたもう」ということばがあると聞きましたが、私にとっての愛のイメージは、このとおり「小さな部分」なのです。 マザーテレサ『生命あるすべてのものに』 講談社現代新書  愛の反対は憎しみと思うかもしれませんが、実は無関心なのです。  憎む対象にすらならない無関心なのです。 『ぼくたち地球っこ ― 田沼武能写真集』朝日新聞出版 「いつかお父さんはおっしゃった、誰かを愛する唯一の理由は、理由が無いという事だと。」  福田恆存訳のシェイクスピアの言葉です。  田沼さんは、『田沼武能写真集 ぼくたち地球っこ』の「あとがき」をタゴールの言葉で結んでいらっしゃいます。 「子どもたちはみな『神はまだ人間に失望していない』というメッセージを神さまからもらい、この世に生まれてきた。」 ラビーン ドラーナ・タゴール 『ぼくたち地球っこ ― 田沼武能写真集』朝日新聞出版

TWEET「喪中ににつき_02」

「2023/04/ 26 通夜式 挨拶」 「本日はお忙しいなか、父の通夜式にご参列くださり、ありがとうございます。 「我ガ死ナムズルコトハ、今日ヲ明日ニツグニコトナラズ」(明恵上人「行上記」) 「我ガ死ナムズルコトハ」、死ぬということは、 「今日ヲ明日ニツグニコトナラズ」、今日が明日になることと同様である。  死とは殊更なことではなく、「生死一如」、生と死は、ひとつながりのものであり、ともに永遠の「いのち」の光に照らされている、と私は考えております。  父は安らかに息をひきとり、いま平安な心境の内にあると、私は信じております。  生存中には、皆様方におかれましては、格別にご厚情を賜り、感謝しております。  また、本日はどうもありがとうございました」 「2023/04/27 葬儀 挨拶」 「本日はお忙しいなか、父の葬儀にご参列くださり、ありがとうございます。  女性飛行家の草分けである、アン・リンドバーグは、日本語の別れの言葉、「サヨナラ」の意味を、「そうならなければならないなら」と書いております。 「さようなら」ば、「そうならなければならないなら」ば、人事の、人の図らいの、およばないことであり、私たちは受け容れるしかありません。  アン・リンドバーグは、日本語の「サヨナラ」を、世界で最も美しい別れの言葉であるといっております。  私も父と「サヨナラ」で、お別れしようと思っております」  生存中には、皆様方におかれましては、格別にご厚情を賜り、感謝しております。  本日はどうもありがとうございました」

TWEET「喪中につき_01」

喪に服します。

TWEET「病気療養中につき_39」

小林秀雄「もう終りにしたい 」 小林秀雄『本居宣長 (下)』新潮文庫 「考えをめぐらしていると、「歌の事」という具象概念は、詮ずるところ、「道の事」という抽象概念に転ずると説く理論家宣長ではなく、「歌の事」から「道の事」へ、極めて自然に移行した芸術家宣長の仕事の仕振りに、これ亦極めて自然に誘われる。『直毘霊(ナホビノミタマ)(古道論)』の仕上りが、あたかも「古典(フルキフミ)」に現れた神々の「御所為(ミシワザ)」をモデルにした画家の優れたデッサンの如きものと見えて来る。「古事記」を注釈するとは、モデルを熟視する事に他ならず、熟視されたモデルの生き生きとした動きを、画家の眼は追い、これを鉛筆の握られたその手が追うという事になる。言わば、「歌の事」が担った色彩が昇華して、軽やかに走る描線となって、私達の知覚に直かに訴える。私は、思い附きの喩(たとえ)を弄するのではない。寛政十年、「古事記伝」が完成した時に詠まれた歌の意(ココロ)を、有りのままに述べているまでだ。ーー   「九月十三夜鈴屋にて古事記伝かきをへたるよろこびの会しける兼題 披書視古    古事の ふみをらよめば いにしへの てぶりこととひ 聞見るごとし」(325-326頁) 「概念」を極端に悪んだ宣長にとって、「『歌の事』という具象概念」から「『道の事』という抽象概念」へという飛躍は、及びもつかないことだった。 「歌の事」のことを「熟視」することによって、いつしかそれらは純化され、宣長はそこに、自ずからなる「道の事」をみた。  ここに、四十四巻から成る、三十五年の歳月を費やし、意を尽くした、『古事記伝』の完成をみた。 『本居宣長』の掉尾には、 「もう、終りにしたい。結論に達したからではない。私は、宣長論を、彼の遺言書から始めたが、このように書いて来ると、又、其処へ戻る他ないという思いが頼りだからだ。」(253頁) との記述があり、また、「本居宣長補記」の末尾には、 「もうお終いにする。」(368頁) の一文が見受けられる。  これらは小林秀雄の、精一杯の尽力後の、ため息混じりの言葉であろう。

TWEET「病気療養中につき_38」

TWEET「古今和歌集_その普遍的「本質」としての美」 2021/06/14 より、 ◇ 高田祐彦訳注『古今和歌集 現代語訳付き』 角川ソフィア文庫 を読みはじめ、昨夜読み終えた。一週間におよんだ読書(和歌)体験だった。異例づくめだった。 以下の文章は、 ◇ 井筒俊彦『意識と本質 ー精神的東洋を索めてー』岩波文庫 からの引用である。 「少くとも『古今集』において古典的完成に達したものを和歌の典型的形態として考えるなら。『古今』的和歌の世界は、一切の事物、事象が、それぞれその普遍的「本質」において定着された世界だ。春は春、花は花、恋は恋、というふうに自然界のあらゆる事物、事象から人事百般まで、存在界がくまなく普遍「本質」的に規定され、その上でそれらのものの間に「本質」的聯関の網目構造が立てられる。もし現実の経験で、何かが自らの普遍的「本質」に背くような形で生起したり、またはそれの本来的に所属する「本質」聯間から外れたりすれば、その意外性自体が一つ詩的価値を帯びるほどの強力な規定性で、それはある。」(53-54頁)  これは、例えば、『古今和歌集』が、ただ「日本的美意識の原点(鈴木宏子)」である、と評することとは次元を異にしている。それは、井筒俊彦が名づけた「言語アラヤ識」、ユングのいう「集団的無意識」あるいは「文化的無意識」内の普遍的「本質」としての美の表われであり、一切私たちには触れることのできない生得的な、深層の文化的な美意識である。  遅きに失したが、これらへの興味から、今回『古今和歌集』を手にした、のはいいが、七転八倒の毎日だった。一週間におよんだ、と書いたが、毎日ほぼ一日中和歌と向き合ってのお粗末な七日間であった。  各所に、枕詞、序詞、掛詞、縁語、見立て、歌語、歌ことばが配され、三十一字のなかには、幾多の景色が広がっていた。再読を促されているが、眼をつぶり先に進むことにする。 和歌にも少しは慣れ、次回は、 ◇ 白洲正子『西行』新潮文庫 ◇ 中西進『古代史で楽しむ 万葉集』角川ソフィア文庫 を併読し、そして「三代和歌集」へと歩を進めます。細部にとらわれることなく、通読を心がけます。

TWEET「病気療養中につき_35」

 今日の午前中には、「杉浦内科」さんにいきました。 「私には診ることができませんから、先の「寺田クリニック」さんで診てもらってください」 と、いわれました。お金は請求されませんでした。一時間半待ちました。  泌尿器の専門医に、泌尿器の検査ばかりされるのは耐えられず、また微熱がおさまるとはとても考えられず、内科で総合的に診てもらいたかったのですが、私の思いは伝わりませんでした。  このつれなさはなんでしょう。  豊橋市民病院に、紹介状なしにいこうと思っています。 初診時には選定療養費が、7700円かかります。

TWEET「病気療養中につき_34」

「小林秀雄『本居宣長 (下)』_生死の問題」 「私達は、史実という言葉を、史実であって伝説ではないという風に使うが、宣長は、「正実(マコト)」という言葉を、伝説の「正実(マコト)」という意味で使っていた(彼は、古伝説(イニシヘノツタヘゴト)とも古伝説(コデンセツ)とも書いている)。「紀」よりも、「記」の方が、何故、優れているかというと、「古事記伝」に書かれているように、ーー「此間(ココ)の古ヘノ伝へは然らず、誰云出(タガイヒイデ)し言ともなく、だゞいと上ツ代より、語り伝へ来つるまゝ」なるところにあるとしている。文字も書物もない、遠い昔から、長い年月、極めて多数の、尋常な生活人が、共同生活を営みつつ、誰言うとなく語り出し、語り合ううちに、誰もが美しいと感ずる神の歌や、誰もが真実と信ずる神の物語が生まれて来て、それが伝えられて来た。この、彼のいう「神代の古伝説」には、選録者は居たが、特定の作者はいなかったのである。宣長には、「世の識者(モノシリビト)」と言われるような、特殊な人々の意識的な工夫や考案を遥かに超えた、その民族的発想を疑うわけには参らなかったし、その「正実(マコト)」とは、其処に表現され、直かに感受出来る国民の心、更に言えば、これを領していた思想、信念の「正実(マコト)」に他ならなかったのである」(145頁)  最終章「五十」は、生死(しょうじ)の問題についての話題である。 「既記の如く、道の問題は、詰まるところ、生きて行く上で、「生死の安心」が、おのずから決定(けつじょう)して動かぬ、という事にならなければ、これをいかに上手に説いてみせたところで、みな空言に過ぎない、と宣長は考えていたが、これに就いての、はっきりした啓示を、「神世七代」が終るに当って、彼は得たと言う。ーー「人は人事(ヒトノウへ)を以て神代を議(はか)るを、(中略)我は神代を以て人事(ヒトノウへ)を知れり」、ーーこの、宣長の古学の、非常に大事な考えは、此処の注釈のうちに語られている。そして、彼は、「奇(アヤ)しきかも、霊(クス)しきかも、妙(タヘ)なるかも、妙(タヘ)なるかも」と感嘆している。註解の上で、このように、心の動揺を露わにした強い言い方は、外には見られない。  宣長が、古学の上で扱ったのは、上古の人々の、一と口で言えば、宗教的経験だったわけだが、宗教を言えば、直ぐその内容を成す教義

TWEET「病気療養中につき_33」

本居宣長「息を殺して、神の物語に聞き入る」 小林秀雄『本居宣長 (下)』 「新潮文庫 「彼(本居宣長)にとって、本文の註釈とは、本文をよく知る為の準備としての、分析的知識ではなかった。そのようなものでは決してなかった。先ず本文がそっくり信じられていないところに、どんな註釈も不可能な筈であるという、略言すれば、本文のないところに註釈はないという、極めて単純な、普通の註釈家の眼にはとまらぬ程単純な、事実が持つ奥行とでも呼ぶべきものに、ただそういうものだけに、彼の関心は集中されていた。神代の伝説に見えたるがままを信ずる、その信ずる心が己れを反省する、それがそのまま註釈の形を取る、するとこの註釈が、信ずる心を新たにし、それが、又新しい註釈を生む。彼は、そういう一種無心な反復を、集中された関心のうちにあって行う他、何も願いはしなかった。この、欠けているものは何一つない、充実した実戦のうちに、研究が、おのずから熟するのを待った。そのような、言わば、息を殺して、神の物語に聞入れば足りるとした、宣長の態度からすれば、真淵の仕事には、まるで逆な眼の使い方、様々ないらざる気遣いがあった、とも言えるだろう」(197-198頁)  宣長にとって「神代の伝説」をよく知ることと、信仰の境地が深まることは同時進行だった。それは宣長にとって切実な問題であり、喜びでもあった。 「之を好み信じ楽しむ(好信楽) 」とは、宣長の学問に対する生涯変わらぬ態度だった。 「無心」とは「無私な心」と言い換えることができよう。 「小林秀雄」には、皆さん興味がないらしく、閲覧数が驚異的に少なくなり、すてきです。しかし私にとっては、「病気療養中」に「小林秀雄」の文章に触れることは、至福の時、自足の時間となっている。  今日、「佐井皮フ科」さんに行った。後遺症の帯状疱疹後神経痛が治るには、6か月かかるかもしれませんね、 梅雨時には痛くてつらいですよと、佐井先生にいわれました。  微熱が続いているため、叔父にさんざんいわれ、明日は、「杉浦内科」さんを受診する予定です。 「病気療養中につき」から、いつ解放されるのか、刺激的で、興味は尽きません。

TWEET「病気療養中につき_31_2/2」

開高健「明窓浄机 / 文房清玩」  南に面した部屋で、窓も大きく取ってあり、「明窓」には違いないが、窓は汚れている。 「浄机」とは耳の痛い言葉で、机上は雑然としている、Mac 一台分のスペースが、わずかに残された自由な場である。  明窓浄机とは、私にとっては、所詮 夢物語である。 「漂えども沈まず」 「悠々として / 急げ」 「毒蛇は急がない」 「朝露の一滴にも / 天と地が / 映っている」 「小説家 開高健 / オリジナルグッズのご紹介」 「文房清玩。物を愛し、物に愛された稀有な小説家。  亜熱帯の戦場で、氷雨の原野で、深夜の書斎で一本の指となり、創造の起爆剤ともなるライター、パイプ、ナイフ、万年筆、ジーンズ、帽子・・・。  昔の中国の文人が硯や筆や紙に凝って一人で書斎で楽しんでいた様子を「文房清玩」と表したと、小説家開高健は自著の中で何度か語ってきた。彼にとって、彼の人生に常に寄り添っていたさまざまな「静物」たちは、まさに「文房清玩」そのものだったであろう」  どうしようもなく欲しくて買った文房具類がある。眼鏡、登山用品、釣り具類ならば何点もある。  使用目的で買ったものばかりではなく、所有欲で買ったものもある。手元にあればそれでじゅうぶんに満足している。  2023/04/13 には、 ◇「RONSON オイルライター スタンダード R02」 ◇「RONSO オイル フリント 消耗品 純正品] が届いた。 「1886 年創業者ルイス・V・アロンソンによって設立されたポケットライターの老舗『RONSON』。 「RONSON STANDARD」は、RONSON社の代表的モデルであり、1943年の発売以来世界中のスモーカーによって支持され続けてきたオイルライターの名品です。  レバーを押し下げることにより、ヤスリが回転し、フリントの火花が発生。オイルを吸い上げたウィックに火花が引火することにより、力強い炎が発生する。同時に、連結されたキャップが開閉することで、着火から消火までをワンモーションで行うことができます。  これらの綿密に計算された動きは、ライターひとつずつを丁寧に作る職人の技術の賜物です」 「 Windmill ターボライター AWL-10」は、「WIND PROOF, WATAR PROOF」であり、「Windmill ターボライター JP-10」は

TWEET「病気療養中につき_31_1/2」

開高健「明窓浄机 / 文房清玩」  南に面した部屋で、窓も大きく取ってあり、「明窓」には違いないが、窓は汚れている。 「浄机」とは耳の痛い言葉で、机上は雑然としている、Mac 一台分のスペースが、わずかに残された自由な場である。  明窓浄机とは、私にとっては、所詮 夢物語である。 「漂えども沈まず」 「悠々として / 急げ」 「毒蛇は急がない」 「朝露の一滴にも / 天と地が / 映っている」 「小説家 開高健 / オリジナルグッズのご紹介」 「文房清玩。物を愛し、物に愛された稀有な小説家。  亜熱帯の戦場で、氷雨の原野で、深夜の書斎で一本の指となり、創造の起爆剤ともなるライター、パイプ、ナイフ、万年筆、ジーンズ、帽子・・・。  昔の中国の文人が硯や筆や紙に凝って一人で書斎で楽しんでいた様子を「文房清玩」と表したと、小説家開高健は自著の中で何度か語ってきた。彼にとって、彼の人生に常に寄り添っていたさまざまな「静物」たちは、まさに「文房清玩」そのものだったであろう」  どうしようもなく欲しくて買った文房具類がある。眼鏡、登山用品、釣り具類ならば何点もある。  使用目的で買ったものばかりではなく、所有欲で買ったものもある。手元にあればそれでじゅうぶんに満足している。  2023/04/09 が誕生日ということもあって、 ◇ Windmill  ターボライター  AWL-10 レッド ◇  Windmill  ターボライター  JP-10 アルミサテン を買い、 2023/04/11 には、 ◇ Windmill  ターボライター  AWL-10 ガンメタル を買った。また、 2023/04/12 には、 ◇  Windmill ターボライター JP-10 レッド を購入し、そして、 2023/04/13  には、 ◇  Windmill  ターボライター  JP-10 アルミバレル が届いた。 「 Windmill  ターボライター  AWL-10」には洗練された美しさがあり、また「 Windmill  ターボライター  JP-10」には無骨な美しさがある。 どのライターをとってみても、仕上げが美しい。  病気療養中の身であり、活字を眼で追えば体温が上がりそうで、これほどの楽しみしかない。  矯めつ眇めつ、あるいは手に取って戯れ、時には煙草に火をつけと、上等な時間をもっ

TWEET「病気療養中につき_30」

 一昨日の「寺田クリニック」さんの診療について、 Dr.T から、婉曲的な表現だが疑問視する旨のメールが届いた。  泌尿器がご専門の寺田先生が処方された、すべての薬を中止した。  もし私が「総合内科」を受診した際に、「泌尿器科」に回されることは、あり得ないだろう。  大所高所から診て、優先順位をつけて、治療する のが名医というものである。  また、この年齢で、「精密検査をうければ、何箇所もの悪いところが見つかるのは必至である」と書いたが、その時々の症状にみあった対症療法を、医師は常に行っているはずである。  私たち患者は、医師のされるがままである。医療的弱者である。  父も私も寺田先生にはお世話になったが、これを機に清算することにした。

TWEET「病気療養中につき_29」

「寺田クリニック」さんは、最寄りのかかりつけ医です。きちんと説明 する必要があると思い、前立腺肥大の薬を中止したことの、そのお断りにうかがったのですが、受付であれこれ聞かれ、結局 受診することになりました。昨日のことです。 以下、概要です。 → 個室に案内される → 採血 → レントゲン → 診察 → 炎症反応 ゼロ、肺に異常なし → 前回出た薬の説明、副作用はない → 超音波検査 → 左右の腎臓とも腎盂炎のような気がします、との歯切れの悪い言い方をする → 尿検査 → 一時帰宅し牛乳を飲みつつ、尿意を催すのを待つ → オシッコを持って「寺田クリニック」さんへ → 異常なし → 肛門から指を入れ、前立腺の様子をうかがう → 信じられないような痛み → 前立腺の炎症 → 前立腺に触れたため、再度 尿検査 → 待合室に置かれた自動販売機でアイスコーヒー、ミネラルウォーターを買って飲みつつ、 尿意を催すのを 待つ → 尿を渡したまま結果は知らされないままに、会計、調剤薬局 → 帰宅  Dr.T  が電話で話していたように、泌尿器の専門科医はまず泌尿器を疑いますね。木を見て森を見ず、という感を抱いています。3時間ほどかかりました。ただいまの体温、37.5度。受診前の体温より、0.8度上昇し、 肛門の痛みとともに、嫌気がさしています。

TWEET「病気療養中につき_28」

 通読することを旨 とする。初読後、間もなく再読、と決めてから、積読するままになっていた大部の作品を読み、また理解するようになった。その代表例が、 ◇ 小林秀雄『本居宣長 (上,下)』新潮文庫 である。 初読、また再読に 25日を要した。特に初読は困難な道のりだった。立ち止まり、耳を澄ませて待つことを覚えた。貴重な読書体験だった。  ここに、四十四巻から成る、三十五年の歳月を費やし、意を尽くした、『古事記伝』の完成をみた。    九月十三夜鈴屋にて古事記伝かきをへたるよろこびの会しける兼題 披書視古    古事の ふみをらよめば いにしへの てぶりこととひ 聞見るごとし  また、小林秀雄は、『本居宣長』を、昭和四十(1965)年、六十三歳の夏から雑誌『新潮』に十一年あまりにわたって連載した。その後一年をかけて推敲し出版した。小林秀雄は、十二年を超える歳月をかけて、本居宣長と対峙した。  これらの歳月を思えば、25日はかすんで見える。恥いるばかりである。 「稗田阿礼の『声』と本居宣長の『肉声』と、また小林秀雄と井筒俊彦と」 小林秀雄『本居宣長 上』新潮文庫 「宣長の述作から、私は宣長の思想の形体、或は構造を抽き出そうとは思わない。実際に存在したのは、自分はこのように考えるという、宣長の肉声だけである。出来るだけ、これに添って書こうと思うから、引用文も多くなると思う」(24頁) 『本居宣長をめぐって』 小林秀雄 / 江藤 淳 小林秀雄『本居宣長 下』新潮文庫 小林  それでいいんです。あの人(本居宣長)の言語学は言霊学なんですね。言霊は、先ず何をおいても肉声に宿る。肉声だけで足りた時期というものが何万年あったか、その間に言語文化というものは完成されていた。それをみんなが忘れていることに、あの人(本居宣長)は初めて気づいた。これに、はっきり気付いてみれば、何千年の文字の文化など、人々が思い上っているほど大したものではない。そういうわけなんです。(388頁) (中略) 江藤  宣長は『古事記』を、稗田阿礼が物語るという形で、思い描いているのですね。『古事記』を読んでいる宣長の耳には、物語っている阿礼の声が現に聞えている。(391頁)  また、『本居宣長』は、小林秀雄の「肉声」が、活字の体裁をとったものである。本居宣長は、稗田阿礼の「声」を聞き、小林秀雄は、本居宣長の「肉声」

TWEET「病気療養中につき_27」

 2022/12/30 に、帯状疱疹で、「休日夜間急病診療所」を受診するまでは、愉快で呑気だった。そのおよそ2か月後 帯状疱疹の治療を終えたが、後遺症として帯状疱疹後神経痛が残った。また肺炎になり治療後、微熱が続くままに、いまにいたっている。なんらかの病の予兆か、無関心でいいものか、いまだに定かではない。  今年になり、記憶らしい記憶がない。帯状疱疹のあの痛みの記憶さえ遠のいてしまった。  長らく疎遠だった、死の予感を覚えている。  以下の二つの「TWEET」を読むと、忸怩たるものがある。  奇しくも明日、62歳の誕生日である。 TWEET「美は曇りなき眼が見つける」 2021/03/24  2021/04/09 に還暦を迎える。16日後に迫った。還暦の後先ということをしきりに考えている。焦燥感がある。準備の捗らないこともあり、おぼろげな行方しかみえないこともある。  今日の読書は、小林秀雄か井筒俊彦か迷った末に、井筒俊彦の著作を手にした。 そして、 ◇ 井筒俊彦『意識と本質 ー 精神的東洋を索めて ー 』岩波文庫 ◇ 井筒俊彦『意味の深みへ』岩波文庫 「意味分節理論と空海 ー 真言密教の言語的可能性を探る」 ◇ 井筒俊彦『コスモスとアンチコスモス:東洋哲学のために』岩波文庫 「事事無礙・理理無礙 ー 存在解体のあと」 の三作品のうちの、 ◇ 井筒俊彦『意味の深みへ』岩波文庫 「意味分節理論と空海 ー 真言密教の言語的可能性を探る」 を読んだ。  この世に生を享けたからには、この世の始源・淵源のことについて知りたいという欲求がある。そして、曇りなき眼で四囲を見つめたい。美は曇りなき眼が見つける。観想体験もなく、観照体験もなく、つい井筒俊彦の著作群に手が伸びる。読前・読後では明らかに差異が認められる。  はじめに「焦燥感がある」と書いたが、いままで書き留めたブログを、いかに整理して、 「Kindle Direct Publishing」に載せようかということであって、他愛もないといえば、他愛もないことである。 ◇ 井筒俊彦『意識と本質 ー 精神的東洋を索めて ー 』岩波文庫  上記以外の 3冊の岩波文庫本は、2019/02/15 から順次発刊されたもので、以前は、慶應義塾大学出版会の新しく編まれた全集本で読んでいた。私の嗜好するおよその作品は、岩波文庫本におさめられて

TWEET「病気療養中につき_25」

 桜が葉桜になりつつあるこの時期に際し、平熱になりつつあります。処方された前立腺肥大の薬を中止したことが原因かどうかは、定かではありません。  いま、「武士道」です。 「おのが誠を咲くさくらかな」 明石康,NHK「英語でしゃべらナイト」取材班『サムライと英語』角川oneテーマ21 「新渡戸稲造の孫にあたる加藤武子さんの自宅に、新渡戸に関する様々な遺品や記録が残されている。その中の一枚の色紙に、次のような新渡戸の歌が書かれていた。 「見ん人のためにはあらで奥山に おのが誠を咲くさくらかな」 (中略)  新渡戸が『Bushido(武士道)』で説きたかった日本人の精神性をひとことで言い表した歌である」(221頁) 人さえ見れば出し抜こうと思う、見苦しい時代になったものである。誠心誠意ということに欠ける。 新渡戸稲造「吾人はこれを余裕と呼ぶ」 新渡戸稲造著,矢内原忠雄訳『武士道』岩波文庫   岩波文庫『武士道』の 「第四章 勇・敢為(かんい)堅忍の精神」 を読んだ。何の気なしに読んだ。 「ーー吾人はこれを「余裕」と呼ぶ。それは屈託せず、混雑せず、さらに多くをいるる余地ある心である。」(48頁) 「混雑せず」とは、おもしろい表現である。英文和訳に由来するものだろう。矢内原忠雄の意図したものかどうかは、原文に当たっていないので定かではないが、翻訳の妙味であることにかわりない。 「上杉謙信は十四年の間、武田信玄と戦ったが、信玄の死を聞くや「敵の中の最も善き者」の失(う)せしことを慟哭(どうこく)した。謙信の信玄に対する態度には終始高貴なる模範が示された。信玄の国は海を距(へだた)ること遠き山国であって、塩の供給をば東海道の北条氏に仰いだ。北条氏は信玄と公然戦闘を交えていたのではないが、彼を弱める目的をもってこの必需品の交易を禁じた。謙信は信玄の窮状を聞き、書を寄せて曰く、聞く北条氏、公を困(くるし)むるに塩をもってすと、これ極めて卑劣なる行為なり、我の公と争うところは、弓箭(ゆみや)にありて米塩にあらず、今より以後塩を我が国に取れ、多寡(たか)ただ命(めい)のままなり、と。」(50頁)  簡潔な文章で意を尽くしている。さらさらと流れ、障るところがない。偶然手にした『武士道』の、内容如何にもまして、まず文体に感心した。新渡戸稲造の手になるものか、矢内原忠雄の翻訳に因るものかは不明で

TWEET「病気療養中につき_24」

◇ 松谷みよ子著,瀬川康男絵『いないいない ばあ』童心社  当書は、1967年に出版され、出版総数 700万部を越えるロングセラーです。 「日本でいちばん愛されています」 ◇ なかがわりえこ,おおむらゆりこ『ぐりとぐら』福音館書店  おおむらゆりこさんが亡くなられた、2022/09/29 に購入しました。 ◇ V. ベレストフ原案,阪田寛夫文,長新太絵『だくちる だくちる ― はじめてのうた』福音館書店  私の最も好きな絵本です。 ◇ エリック・カール作,もりひさし訳『はらぺこあおむし』偕成社 「世界中の子どもたちに読まれている、エリック・カールの絵本」 ◇ レオ=レオニ著,谷川俊太郎訳『じぶんだけのいろ ー いろいろさがしたカメレオンのはなし』好学社  レオ=レオニの作品の中で最も好きな絵本です。 ◇ レオ=レオニ著,谷川俊太郎訳『スイミー  小さな / かしこい / さかなの / はなし 』 好学社  この絵本にも、意外性が待ち受けています。 ◇ レオ=レオニ著,谷川俊太郎訳『フレデリック ー ちょっとかわったのねずみのはなし』 好学社 「ちょっとかわった」詩人、 フレデリック は、私の理解を遠く越えています 。  2022/07/29 に、TWEET「絵本 Best 7」を書きましたが、以下、その中の一節です。自戒の言葉としています。 「絵本を読む際には、遅読を心がけ、絵に目を凝らしてください。簡単に頁を繰らないでください。絵本とは、絵が主、文は従と心得てください。特に、レオ=レオニの絵は卓越していて、細部を注意して見ないと面白みが半減します」   絵本は間もなく、私の手をすり抜けて 、誰彼の手に渡ってしまいます。どうやら私にとって絵本とは、そのようなものらしい。  今日の午前中に、すべての絵本が届けられました。   解熱剤の特効薬になることを願っております。

TWEET「病気療養中につき_22」

  2023/03/29 に、「寺田クリニック」さんで、炎症反応ゼロということで、肺炎の治療を終えたが、どうやらぬか喜びだったらしい。  以来、平時の体温が 37度を越え、少し動くと37.7度、37.8度になる。  昨夕たまらず、Dr.T に電話をした。詳細は省くが、Dr.T の脳内は 、また医師の脳内もそろってのことだろうが、明晰だった。  結論だけいえば、肺炎の治療を終えるとともに処方された、前立腺肥大の薬の副作用の可能性も考えられるということで、数日間 服用をやめて様子をみることにした。  父は、胃薬のタケプロンの薬害で浮腫となり、体重が10kg 以上も増え、もう駄目かと思ったことがある。  副作用であってほしいと思う。もしそうでなければ、寺田先生に紹介状を書いていただき、豊橋市民病院で精密検査、ということになるだろう。この歳で、精密検査をうければ、何箇所もの悪いところが見つかるのは必至である。  TWEET「病気療養中につき」が 22回も続き、まだ先がある、とは思ってもみなかったことである。  病体が正常である、と 思うことにした。さもなければ、事が先に進まない。  昨日、Amazon で、 ◇ 相馬御風『新装版 良寛坊物語』新潟日報事業社 を注文した。長らく在庫切れになっていた本である。また、いまも在庫切れになっている。 積読でもかまわない、こういった書物との出会いの喜びに浸りたいと思っている。

TWEET「病気療養中につき_21」

「ぜいたくなたのしみ」 白洲正子,牧山桂子 ほか『白洲正子と歩く京都』新潮社 この春はお花見に京都へ行った。あわよくば吉野まで足をのばしたいと思っていた。ところが京都へ着いてみると、ーー 私はいつもそうなのだが、とたんにのんびりして、外へ出るのも億劫になり、昼は寝て夜は友達と遊んですぎてしまった。花など一つも見なかったのであるが、お天気のいい日、床の中でうつらうつらしながら、今頃、吉野は満開だろうなあ、花の寺のあたりもきれいだろう、などと想像している気持は、また格別であった。 「皆さん同じことどす」といって、宿のおかみさんは笑っていた。二、三日前には久保田万太郎さん、その前日は小林秀雄さんが泊っていて、皆さんお花見を志しながら、昼寝に終ったというのである。  京都に住むHという友人などもっとひどい。庭に桜の大木があるが、毎年花びらが散るのを見て、咲いたことを知るという。千年の昔から桜を愛し、桜を眺めつづけた私たちにはこんなたのしみ方もあるのだ。お花見は見渡すかぎり満開の、桜並木に限らないのである。(「お花見」より抜粋)(70頁) 花に誘われ京へ、そして木も見ず森も見ず、「皆さん同じことどす」と、昼寝を決めこむとは、飛び抜けていて、すてきです。

TWEET「病気療養中につき_20」

「小林秀雄氏」 白洲正子『夢幻抄』世界文化社  そんなことを考えていると、色んなことが憶い出される。はじめて家へみえたとき、 ー その頃は未だ骨董の「狐」が完全に落ちてない時分だったが、「骨董屋は誰よりもよく骨董のことを知っている、金でいえるからだ」という意味のことをいわれた。私にはよくのみこめなかったが、少時たって遊びに行ったとき、沢山焼きものを見せられ、いきなり値をつけろという。 「あたし、値段なんてわかんない」 「バカ、値段知らなくて骨董買う奴があるか」  そこで矢つぎ早に出される物に一々値をつけるハメになったが、骨董があんなこわいものだとは夢にも知らなかった。その頃小林さんは、日に三度も同じ骨董屋に通ったという話も聞いた。  あるとき、誰かがさんざん怒られていた。舌鋒避けがたく、ついに窮鼠猫を嚙むみたいに喰ってかかった。 「僕のことばかし責めるが、じゃあ一体、先生はどうなんです?」 「バカ、自分のことは棚に上げるんだ!」  最近はその舌鋒も矛(ほこ)をおさめて、おとなしくなったと評判がいい。(15-26頁)   今日は、「エープリルフール」,「四月馬鹿」である。しかしこれは、いつの時も真実である。

TWEET「病気療養中につき_19」

「続 海辺の墓」  洲之内徹『帰りたい風景 気まぐれ美術館』新潮社   そういうことにならなかったのは、「あなたって、どうしてこんなに恋しいの」と手紙に書いてきたりした彼女が、一年半ほど経ったある日、突然また、「あたし、なんだかしんとしてしまったのよ、煮え立ったお鍋に水を注したときのように、急にしんとしてしまったのよ」と言ってきたからであった。つまり私は一旦振られたわけだが、振られながら、自分の心の状態をこんなに正確に、しかもなんのためらいもなく言ってくる彼女に、更めて感心してしまうのであった。(102頁)   今日は、「エープリルフール」,「四月馬鹿」である。嘘から出た真か、真から出た嘘か、嘘でも真でもかまわず、読むたびに、やはり「感心」してしまう。

TWEET「病気療養中につき_18」

小林秀雄『人生について』中公文庫 「年齢のせいに違いないが、年をとっても青年らしいとは、私には意味を成さぬ事とも思われる」(177頁) 岡潔『春宵十話』角川ソフィア文庫 「情操が深まれば境地が進む。これが東洋的文化で、漱石でも西田幾多郎(にしだきたろう)先生でも老年に至るほど境地がさえていた」(36頁)  老いが若さに優るのは、まず健康体であってのことである。老いぼれることは、ぜひ慎まなければならない。

TWEET「病気療養中につき_17」

 昨日、「寺田クリニック」さんで、肺炎の治療を終えました、と同時に、前立腺肥大の薬が処方されました。いまだに少し動くと、体が熱っぽく感じられます。  帯状疱疹後神経痛については治療中です。日常生活に差し障ること はありませんが、この少しの痛み、違和感が、すっかり治癒するものかどうか、次回の、「さい皮フ科クリニック」さん 受診時にお聞きしようと、思っています。  この 3ヶ月間 体をいじめてきました。これからは体を労ることを考えます。   いま眼の前が開け、春の陽が射しこんでいます。病体であったこの 3ヶ月を 、どう補償するのか考えています。

TWEET「病気療養中につき_16」

 2023/03/10「Facebook」を書きはじめました。  同姓同名の方がいて、よく間違えられますので 、「Facebook」さんのお世話になることにしました。   2023/03/19 には、  私のブログ中の、洲之内徹さんの文章、また洲之内さんについての話題のすべてを載せました。  そして、小林秀雄 の文章、また小林秀雄に関する話題のすべてを載せようと思っていましたが、昨夜 途中で断念しました。  所詮、「Facebook」は、私の住めるような場所ではないことが、次第にわかってきました。  いまも微熱があり、寝たり起きたりの生活をしています。起きているときの手持ち無沙汰も手伝って、「Facebook」に文章を載せ続けてきましたが、それもこれで終わりにします。遅きに失した感を抱いています。  61歳になり、殊更 今年になり、虚弱体質になりました。加齢だけではすまないものを感じています。  TWEET「病気療養中につき」が続きます。 追伸:「お友達の要請」は、すべてお断りすることに決めました。悪しからず。

TWEET「病気療養中につき_15」

 2023/03/12、39度前後の熱がでて、早速 Dr.T に電話しました。今夜と明朝は、ロキソニンを飲んで、翌日 発熱外来にいくようにいわれました。  かかりつけ医の「寺田クリニック」さんにいきました。コロナ、インフルエンザともに陰性でした。看護師長さんには「本多さんだね」といわれ、寺田先生には「久しぶりだね」といわれ、やはり、かかりつけ医はありがたいですね。採血し、また抗生剤が処方されました。  2023/03/10「Facebook」を書きはじめました。  同姓同名の方がいて、よく間違えられるので、「Facebook」さんのお世話になることにしました。  はじめてのことで、試行錯誤、右往左往しています。  昨日、私のブログ中の、洲之内徹さんの文章、また洲之内さんについての話題のすべてを載せました。  二人の友達ができました。  しかし、「Facebook」に時間を取られるのは心外です。 「Facebook」は動作が遅く、中央揃え、太字表記もできず、厄介です。  興味のある方は、ご覧になってください。 「本多勇夫」で検索してください。 「Facebook」に、もう少し書きたい気持ちもありますが、その行方は不分明です。  2023/03/18 熱が思うように下がらず、また咳も出て、「寺田クリニック」さんを再受診しました。採血をし、その後 レントゲンを撮り、軽い肺炎であることがわかりました。30 分抗生剤の点滴をしました。また、頻尿、残尿感があります、というと、次回尿検査をすることになりました。  次回の受診は、明日です。  いま三つの病院に通っています。朝夕の薬の量はただ事ではなく、 感嘆するばかりです。 61歳になった途端に、この有様です。    Dr.T からは、還暦後は老人と思った方がいい、といわれました。  この行方もまた、不分明です。

TWEET「病気療養中につき_14」

 「Facebook」に、私と同姓同名の方がいて、よく間違えられますので、 昨日から、 「Facebook」をはじめました。  洲之内徹さんの、ブログ上にある 6 作品を載せて放っておくことにしました。   一日の文字数の制限があるようで、一回では済まず、厄介 です。また、中央そろえや太字表記もできず、動作も遅く、何かと不便です。  返信を書くのが嫌で、 「Facebook」に時間を取られるのは、まっぴらです。しかし、どんな経過をたどるのか、には興味があります。  この数日間、コピペを続けます。  帯状疱疹後神経通の痛みがあります。しかし、日常生活に支障をきたすほどの痛みではありません。体を温かくしておくようにいわれていますので、真冬の格好をしています。季節はずれです。服薬のおかげですが、治癒した、と考えています。

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こんにちは。 昨日は失礼いたしました。  訃報に接し、体の震えが止まりませんでした。  伯母は、私の一番 怖い人でしたが、人一倍 優しい人でもありました。  とてもよくしていただきました。  また、 3人分は ゆうに働いた人でもありましたね。  2023/02/16 (木) に、病院の待合室で、お話ししたのが最後でした。  別離は、つらいですね。   伯母 のご冥福をお祈りいたしております。   伯母 の目の前で、 「解らないことは、聞いてくださいね」 「受験勉強にも、おつき合いしますよ」 といった以上は、きちんとします。きちんとしなければ、 伯母 が化けて出そうで、所詮 私のかなう相手ではなく、しっかりやらせていただきます。 くれぐれもご自愛くださいね。 また。 Hさんに、よろしくお伝えしてくださいね。 ご返信ご不要です。ご心配ご無用です。 FROM HONDA WITH LOVE.

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「セカンド オピニオン」  昨日の午前中には、かかりつけ医の「さい皮フ科クリニック」さんを受診した。思ように帯状疱疹が治らないので、佐井先生にご相談にうかがった。 「もう治ってるじゃん。いまの痛みは(後遺症の帯状疱疹後)神経痛です」 と言われ、混乱した。 「塗り薬もガーゼも必要ないですよ」 と看護師さんには言われた。 「入浴してもかまいませんか」 とお聞きすると 「入浴して体を洗ってもかまいませんよ」 と言われ、長足の進展にひとり取り残された恰好だった。  また、 「なるべく体を温めるように心がけてください」 と助言された。  そして、 神経痛の治療薬を 処方していただいた。  唐突な幕切れであり、幕開けだった。  薬剤師さんに、  「神経痛が治癒するには 6か月くらいかかるんですか」 とお尋ねすると、薬剤師さんは 笑みを浮かべていた。  脳内がざわついていた。  帰路 うかつにも、「マクドナルド 23号新栄店」さんで、40円 値上がりした「ダブルチーズバーガーセット」を食したが、ざわつきは一向に治まらなかった。 浅はかだった。  帰宅後 午睡した。ようやく脳内が鎮まった。  その後、「コロナの湯 豊川店」さんで入浴した。恐る恐るシャワーを浴びたが、平気だった。ごしごしと体を洗わないように心がけた。が、さすがに 患部を洗うのはためらわれた。  2022/12/30 以来の入浴だった。  入浴とは慣習であり文化である。私は日本文化の埒外(らちがい) にある、と平気な顔を装っていた。  何日か続けて、スーパー銭湯に通う予定でいる。  日本回帰である。

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「秋田義一ともう一人」 洲之内徹『人魚を見た人 気まぐれ美術館』新潮社 「これが年を取ったということかもしれないが、この頃、私は、物を考えるということをあまりしない。何か感じても感じっぱなしで、それを考えて行くということをしないのだ。 (中略)  そのゴッホの二枚目の絵の前に立ったとき、突然、私は、 「ただ絵を売るためだけなら、何も、こんないい絵を描くことはないんだよなあ」  と、思わず口の裡で呟いてしまった。そして、この、全く以ってお粗末至極な感想に呆れて笑ってしまったが、しかし、すぐに、待てよ、これはだいじなテーマかもしれないぞ、よく考えてみなきゃあ、と思った。  思ったが、それから半年以上たっても、私はそのことで何も考えていない」(295頁) 「これが靉光か!」 洲之内徹,関川夏央,丹尾安典.大倉宏 ほか『洲之内徹 絵のある一生』(とんぼの本)新潮社   「靉光(あいみつ)はかつてルオーの絵を見て、「やっちょるのお、手を抜いちょらんわい」と感心していたという。洲之内は、そんな靉光のひたむさが好きだったのだ」(88頁) 「靉光の死を見届けた人」  洲之内徹『気まぐれ美術館』新潮社  「とりとめもない話をする。靉光のことになると、きえさんはいつものように、自分は靉光の女房にはちがいないが、結婚生活といっても十年ほどだし、それに自分は毎日勤めに出、靉光は靉光で、二階の画室には人を寄せつけず、ときにはひと月もふた月もそこへ籠りきりで、だから、そんなときは顔を合わせることもあまりない、そういう具合ですからねと言い、たまに二階から降りてきたと思うと、何も言わずにあたしの頭をはたいておいて、また上って行ってしまったりするんですよ、と笑っている。 「夫婦喧嘩ですか」 「そうじゃないんですよ、仕事の緊張が続いて自分で耐えられなくなると、そうやって気を晴らすんでしょう」  黙って殴られている靉光夫人の姿に、私は感動した。なんという素敵な夫婦だろう」(150頁)

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 今年になって訃報に接することが多くなりました。  帯状疱疹のため、通夜・葬儀はご遠慮し、後日 ご挨拶にうかがう、という不義理を重ねています。 「我ガ死ナムズルコトハ、今日ヲ明日ニツグニコトナラズ」  死に臨んだ、明恵上人の言葉です。  死とは殊更のことではなく、「生死一如」、生と死はひとつながりのものであり、個々の「いのち」は、「いのちの根源」,「永遠のいのち」に摂取される、と私は考えています。  故人の方々は、安らかに息をひきとり、いま自足した平安な内にあると、私は信じております。  女性飛行家の草分けである、アン・リンドバーグは、日本語の別れの言葉、「サヨナラ」の意味を、「そうならなければならないなら」と書いています。 「サヨナラ」、「そうならなければならないなら」ば、人事の、人の図らいの、およばないことであり、私たちは受け容れるしかありません。  アン・リンドバーグは、日本語の「サヨナラ」を、世界で最も美しい別れの挨拶であると述べています。  私は亡くなられた方々と、「サヨナラ」で、お別れしています。  ありがとうございました。 「サヨナラ」。

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 2023/02/17「まひろ皮ふ科クリニック」さん受診時には、 「ぜんぜんいいですね」 と真弘(まひろ)先生に笑顔で言われました。 8回目の受診時でのことです。( 帯状疱疹が) 快方に向かっていることは自覚しているものの、いぜん 軟膏を塗布する際には、塗り薬をつけたガーゼが患部に触れると、刺すような痛みが走る箇所が幾つかあります。  いつ完治するのでしょうか。桜の花ころか、新緑の季節か、と思っています。  最近、せっかくの覚書きである、ブログを読んでいる。たとえば、検索窓に「良寛」と入れて検索すると、ブログ内を横断し、「良寛」に関する項が串刺しにされて現れる。横断的読書法である。書き散らしたブログがひと所に集約される。  重複した文も多くみられるが、一話完結のブログにあっては仕方のないことである。  以下、覚書きの覚書きである。 白洲正子『現代日本のエッセイ 明恵上人』講談社文芸文庫 「仏法に能く達したりと覚しき人は、いよいよ(くの字点)仏法うとくのみなるなり」(「遺訓」124頁) 「我れ常に志ある人に対していふ。仏になりても何かせん。道を成じても何かせん。一切求め心を捨てはてて、徒者(いたづらもの)に成り還りて、ともかくも私にあてがふことなくして、飢え来たれば食し、寒来れば被(かぶ)るばかりにて、一生はて給はば、大地を打ちはづすとも、道を打ちはづすことは有るまじき」(125頁) 『墨美 山本空外 ー 書論・各観 1979年7月号 No.292』墨美社 「(竜樹の説くように)仏教要語のすべてにわたって、これを一辺としか認めず、したがって仏・菩薩・菩提・般若波羅蜜までもこれを一辺として、どこまでも『無量般若波羅蜜の相』に迫らなければやまない」( 41頁)  明恵上人の言葉にしろ、竜樹の、また空外先生の言葉にしろ、ともに味わい深い。  喉もと過ぎれば、それらは方便にすぎなかった。  真理とは身辺にあった。明恵上人にとって、それは生活信条だった。  行き着く先を、私たちはよくわきまえておく必要があると思っている。 白洲正子「吉越立雄_梅若実『東岸居士』2/4」 「吉越立雄(たつお)能の写真」 白洲正子『夢幻抄』世界文化社 「変ないい方だが、お能はお能にも執着してはならないのだ」(120頁) 井筒俊彦『イスラーム哲学の原像』岩波新書 「しかし考えてみれば、自我が無化したと

TWEET「病気療養中につき_08」

 丁重な応接、ご丁寧なご説明に、最近はっとすることが間々(まま)ある。我と我が身をふり返れば、4月には 62歳になり、年寄りあつかいされてもおかしくはない年齢になった。  それで思い出すのは、佐藤碧子さんの言葉である。 「私の顔ーあとがきに代えて」  洲之内徹『絵のなかの散歩』新潮社  麻生三郎氏に私の顔を描いてもらったこのデッサン(略)を、ある婦人雑誌の女性記者が見て、イタリアの神父のようだと言い、   「イタリアの神父なんていうのには悪いのがいるんですってね、あっちこっちに子供を作ったりして……」  と言った。デッサンがすごくリアルなだけに、気になる一言である。   新潮社の人はさすがにそんな「はしたない」ことは言わないが、   「推定年齢八十歳くらいですね」  と、これまた、私の胸を抉るようなことを言った。   八十にはまだちょっと間があるが、この頃私は、絵を見れば絵がますます面白く、本を読めばどの本もみな面白く、女の人に会えばどの人も美しく、可愛らしく、まことに仕合せな心境に在る。先日、佐藤碧子さんと話していて、そう言ったら、佐藤さんは私の顔をつくづくと見て、   「それは、あなた、めでたくなったのよ」  と言った。私は、あまりめでたくない気分になった。(昭和四十八年春)(304頁)  私もいよいよめでたくなったのかも知れない。

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 歩く際には(帯状疱疹による)痛みをともなうものの、我慢できる程度にまで回復した。しかし、軟膏を塗布するとき、塗り薬をつけたガーゼが、患部に触れると刺すような痛みが走る。  足元には、手の届くところに、 ◇  井上靖『美しきものとの出会い』文藝春秋 があるが、手を伸ばす気がしない。  以下の、2022/12/25 に写した「目次」を見れば、私の処処での「美しきものとの出会い」、また美の体験が思い出される。 井上靖『美しきものとの出会い』文藝春秋 「目次」 「室生寺の五重塔」 「浄瑠璃寺の九体佛」 「秋の長谷寺」 「東大寺三月堂」 「法隆寺ノート」 「渡岸寺の十一面観音像」 「東寺の講堂と龍安寺の石庭」 「鑑真和上坐像」 「日本の塔、異国の塔」 「水分神社の女神像」 「漆胡樽と破損仏」 「タジ・マハル」 「バーミアンの遺跡」 「扶余の旅、慶州の旅」 「飛鳥の石舞台」 「十一面観音の旅」   美は直覚されるが、よく見ることは難しい。たとえば、私が井上靖の文章を読み、また土門拳の写真を見るのは、私の眼には映らないものがみたいからである。しかし、土門拳の写真をよく見ることは難しい。  最後に付言しておけば、小林秀雄の文章はどんな媒体にもひけをとらない。それは自ら発明した文体によるものである。文章には力があることを知らされる。