投稿

ラベル(團伊玖磨)が付いた投稿を表示しています

團伊玖磨さんの波及効果「ひこうき雲」7/7

 昨日(2015/09/05)、消息を絶った「戦闘機」を捜し求めて、ネットサーフィンしているうちに、思わね副産物を手に入れました。團伊玖磨さんの波及効果です。  團伊玖磨さんは、荒井由実さんの曲について、下記のように書かれています。いずれも「孫引き」です。 「はじめにきいたのは『紙ヒコーキ』『ひこうき雲』など。それからはいろいろ。それらを耳にして、非常に驚き、感激もしたのです。なぜならば、そこには、過去の日本の作曲家がやろうとしてできなかった、べたべたしたものからの飛躍があったからです。」 (「朝日新聞」七七年一月十一日夕刊) 「先ず、詩が良い。それと同時に、メロディーに不要な装飾が無く、その事が詩を生かすのだと言う事も気付いた。この娘の上には、いつも曇り空が拡がっていて、どの歌からも、クールな、現代の無愛想さが、不思議なリリシズムとなって流れてくる。そして、よく聴いていると、一見無愛想に動くような動かないようなメロディーが、単に決して無愛想なものでは無い事が感じられてくる。」  (團伊玖磨『好きな歌・嫌いな歌』文春文庫)  昨年の夏 20年あまりぶりに映画館に行きました。宮崎駿さんの「風立ちぬ」を見ました。荒井由美さんの「ひこうき雲」は「風立ちぬ」の主題歌です、と書きましたが、昨日はじめて知りました。早速 iTunes Store で求めて聞いています。両作品の底流をなす切なさ、哀しみに心が痛みます。 「風立ちぬ」には、堀越二郎が美味しそうに煙草を吸う幾つかの場面が出てきます。だいじょうぶなのかな、と思って見 ていました。すると、数日後の asahi.com には、「風立ちぬ」には、主人公が美味しそうに煙草を吸うシーンがたくさんあり困惑している、という主旨の、嫌煙団体さんからのお叱言が掲載されていました。さすがの嫌煙団体さんも、宮崎駿さんを相手にしては、批判の切っ先が鈍ったのか、あたりさわりのない表現でした。  TAMIYA の「三菱 零式艦上戦闘機」のプラモデルを買いました。堀越二郎技師を設計主務者として設計された零戦です。塗料も筆も接着剤も、一式そろえましたが、作るのが惜しくていまだにそのままにしてあります。 追伸: 下世話な話ですが…。 ヒロインの里見菜穂子の「きて」という言葉が印象的でした。

團伊玖磨『パイプのけむり_書籍紹介』朝日新聞社 6/7

團伊玖磨『パイプのけむり』朝日新聞社  学生時代 P教授の下宿にお邪魔した際、『パイプのけむり』をすすめられました。雑然とした P教授の下宿は宝の山でした。既刊分はたちまち読み終えました。  愉快でした。痛快でした。  音楽の世界は新鮮でした。たくさんの人たちを知り、各国各地への道案内もしていただきました。食についても多くのことを学びました。私にとって、團伊玖磨さんは「ダンチガイ」の人でした。 今後(2025/09/06)印象に残っている作品について書く予定でいます。 To be continued.  ◇ 下記、 「團伊玖磨ノート」 より抜粋させていただきました。 制作から18年を要しいまだに未完成という、みごとな、息の長いお仕事ぶりです。すてきなウェブサイトです。 下記、書名です。 たとえば、二段目の「1967」年に発刊された「続」との表記は、書名が『続 パイプのけむり』であることを示しています。以下、「パイプのけむり」を添えて読んでください。 パイプのけむり   続             (1967)   続々         (1968)   又             (1969)   又々         (1970)   まだ         (1972)   まだまだ    (1973)   も一つ     (1975)   なお         (1976)   なおなお    (1978)   重ねて     (1980)   重ね重ね (1981)   なおかつ (1982)   またして (1983)   さて         (1984)   さてさて (198...

團伊玖磨『パイプのけむり』_三題 5/7

「ソラ・ソラ・シラミ」 團伊玖磨『パイプのけむり』朝日新聞社 「戦争中、陸軍軍楽隊の上等兵だった時は、同じく上等兵だった作曲の芥川也寸志君と二人で、編曲室と書いた木札をぶら下げた隊内の一室に籠り、大きな木の机を中に、向かい合って坐ったまま、何となく仔細らしい顔付きをして毎日を過ごしていた。」  「そんなある日の午後、虱が一匹机の上を這っているのを芥川君が見付けた。  「虱だね」彼が言った。  「虱だな」僕が言った。 (中略)  「虱だね」と彼がつまらなそうに言い、  「虱だな」と僕もつまらなくそう言いながら、退屈していた僕達は、どちらからともなく一寸したゲームを始めた。  虱 ーしらみ、これは、ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ドの、つまり、音階名の中に含まれている名前である。si・la・mi ーこの小さな旋律を二人で歌っているうちに、この si・la・mi の三音符からなる小さな旋律が、妙に情緒のある音型であるので、二人は全く嬉しくなってしまい、それを少し延ばして、   そらそら虱!   どらどら虱!   見れど見れど虱!   虱!  という、全部ドレミファの中にある発音だけでそのまま歌える小さな歌を共作して、それを楽しんで歌っているうちに、どうやらこれは、少々演技を付けて歌った方が面白かろうということになり、(後略)」 「マッハ1.3」 團伊玖磨『又 パイプのけむり』朝日新聞社 「心の中で緊急脱出の手順を復誦し終ると、僕は、第二0六飛行隊長大◯勝美三佐に伴われて飛行場に出た。丁度上空に漂っていた薄雲の割れ目から射した陽の光の大きな縞の中に、燦然と、今日これから乗るF104戦闘機は数機並んでいた。  「あの一番右側の501号機が、これから貴方に乗って戴く機です。操縦は隊長の私がいたします。」 「では八丈にさよならをして上昇します。八丈と房総の間の海上で、超音速飛行とアクロバット飛行を行ないます。」 「では、ぼつぼつ霞ヶ浦でも見物して、百里の基地に帰りましょう。それにしても、團さん、貴方は職業を間違えましたね。パイロットになれば良かった。少しも怖わがらないばかりか、もっとロールをしろとか、背面の儘飛べとかは、怖ろしくて、仲々素人は言えないものですよ。」 「帰り、土浦の一つ先きの石岡から乗った常盤線の夜の列車の中で、僕は、一人で考えていた。今日の飛行は僅かに五十分だった。...

「團伊玖磨さんの七転八倒 『薬研堀』」4/7

「薬研堀」 團伊玖磨『パイプのけむり 選集 食』  味噌汁にぱらりと薬研堀(やげんぼり〈唐辛子〉)を振りかける。その程度なら一寸(ちょつと)乙なものだと思う。ところがその程度では最早(もはや)僕には効(き)かないのである。従ってどうするかと言うと、蓋(ふた)を開(あ)けて、がさがさと内容を味噌汁に落とし、箸(はし)でかきまわして、真赤な汁を作り、それを辛さに打ち震えながら飲むのである。口中猛火に焼け爛(ただ)れるが如(ごと)く、激痛は咽喉(のど)から食道まで及ぶ。身体(からだ)に怖(おそ)らく悪(わ)るいだろうと反省はするのだが、どうにもこうにも、こうしなければ味噌汁なんぞは飲んだ気もしない。  味噌汁だけならまだ良いのだが、何から何まで薬研堀で真赤にまぶさなければ食べた気がせず、この頃は、刺身だろうが茹(ゆ)で卵だろうがキャベツ巻きだろうがスパゲッティだろうが、要するに何から何までを真(ま)っ赤(か)っ赤(か)にして涙ながらに物を食う。如何(いか)なるところに原因があってこんな恥ずかしいことになってしまったのか、全く他人(ひと)にも言えやしない。  辛子気狂いになったのは、生まれてから二度目である。今から二十何年前、兵隊だった時、一度辛子病になったことがあった。その時は理由がはっきりしていて、あまりの空腹のため、軍隊の食事が足らず、普通に食べればすぐに食べ切ってしまってあとには不満が残る。そこで、戦友と語らって、外出の機会に薬研堀を買って来て、滅茶々々に飯の上に振りかけて食べた。そうすると、辛さのために早く食べることが出来ず、ゆっくり食べることとなり、何がなし食べたという満足が残るのだった。そして、不思議なことに、殆んどあらゆる食品が統制されていた戦争末期にも、どういう訳か、七味唐辛子だけは自由販売であって、又、軍隊の中に持ち込んでも叱られなかった。  その時はそういう賤(いや)しさが原因で辛子を好んだから原因が判るとして、一体何でこの頃急に辛子が欲しくて欲しくてたまらないのかは、どう考えても判らない。(16-17頁,20-21頁)

「動詞_食す その一」3/7

 一日の多くの時間を台所で過ごしていました。平成二一年のことです。ただひたむきにつくり、ひたむきに食していました。エンゲル係数の大きな生活をしていました。 「食」の手ほどきは、 ◇ 團伊玖磨『パイプのけむり』シリーズ 朝日新聞社 で受けました。学生時代のことでした。今、 團伊玖磨『パイプのけむり選集 食』小学館文庫 が出版されています。 空腹が満たされればそれでよし、と心得ていた私にとっては新鮮な驚きでした。  文化人類学の講義で、「カニバリズム(食人俗)」の話題に話がおよんだとき、摩訶不思議な食生活をされている西江雅之先生は、 「私は『人を食ったことはない』が、『人を食った話』はする」 とおっしゃられていました。 「食べられる物」と「食べる物」の違い 「食べ物」は「食べられる物」のほんの一部 「食べ物」は「文化」である 「食べ物と制約」 こんな話もうかがいました。 そして、2012/11/19 には、 ◇ 西江雅之『「食」の課外授業』平凡社新書 が出版されました。 鉢山亭虎魚『鉢山亭の取り寄せ 虎の巻』オレンジページ 「三十代から四十代にかけて十年間、池波正太郎の膝下で男の生き方を学んだ。しかし、十年がかりの勉強で私が何とか身につけたと思っているのは、ただ一つ、 「必ず来る死に向かって、有限の時間を着実に減らして行くーーそれが人の一生だよ。ことに男はそうだ。女には子を生むことによって永遠の生命を生き続けるという特権がある。男にはそれがない。だから毎日、きょうという一日が最後と思って酒を飲め。そう思って飯も食え。」 「食す」ことは人生の一大事であることを思いしらされた私は一念発起しました。例によって形から入りました。「食」について書かれた本を読みあさり、調理器具や調味料、香辛料等々を一通りそろえ、実際に料理をし、食すまでには結構な時間がかかりました。

「團伊玖磨、ちいがわかる男の哀しみ_トルコ・コーヒー」2/7

「トルコ・コーヒー」 團伊玖磨『パイプのけむり 選集 食』   十年も前の事だった。インスタント・コーヒーの宣伝に出て欲しいとの申し込みを受けた。何でも「ちがいがわかる男」とか言うキャッチ・フレーズで、インスタントのコーヒーを飲んでいる姿を写真とヴィデオに撮るのだと言う。貧乏な作曲家にとっては目の玉の飛び出るような礼金も約束されていた。然(しか)し、コーヒーには色々な淹れ方があって、その色々な淹れ方を楽しんでいる男が、ちがいがわかる等と言ってはインスタント・コヒーのメーカーや販売元に悪かろうと考えた。そして、この話しはお断りした。あとでお金が必要だった時、あno 時の宣伝を引き受けていたならとの思いがちらちらと脳裡(のうり)を横切りはしたが、嘘(うそ)を吐(つ)く訳には行かなかったのだから致し方無い。  トルコ・コヒーの香りの中で、ふと、急に昔の事を思い出した。そして、矢張り嘘を吐かなくて良かったと思った。 (218頁)

團伊玖磨「食_料理って?」1/7

團伊玖磨「食_料理って?」 「北京烤鴨子」  團伊玖磨『まだまだ パイプのけむり』  香港に居る、親しい料理通の馬浩中さんが言った言葉を思い出す。或る時、香港では一番美味な烤鴨子〈北京ダック〉を食べさせるというので、よく僕達が行く、九龍のネーザン・ロードとキンバーリー・ロードの角に近い皇后大酒楼で、僕達は鴨子を餅(ビン)に包みながら話していた。北京生まれの彼は、何時(いつ)ものように礼儀正しく、然し一寸(ちょっと)得意そうにこう言った。 「ね、團さん、僕はね、中國料理、西洋料理、日本料理をさんざん食べた末にこう思うのですがね。どうも、本当に料理と呼べるものは中國料理だけだと思うんですよ。料理という語は、料と理という二字から成っていますね、西洋料理はね、種類が少なくて粗雑な材料を何とかして美味(おい)しく食べようとして、ソースやグレイヴィーに凝ったりして、詰まり、悪い材料を何とかしようという理ばかりが発達したものだと思います。日本料理はその反対で、國が小さい関係で、何處(どこ)ででも新しい材料が手に入り易く、そんな関係で、新鮮な材料の美味しさに負(お)んぶしてしまうために、それをもっと美味しく食べようという理が発達せず、詰まり、材料の料だけのように思えるのです。日本料理は料だけ、西洋料理は理だけで、両方とも片輪です。それに較べて中國料理は、材料の豊富さと良さに加えて、それをより美味しく食べるための理論も備わっている訳ですから、これこそ料理なのですよ。そうお思いになりませんか」  僕はその話を聞きながら、全くだと考えた。(204頁) ◇ 團伊玖磨『パイプのけむり選集 食』小学館文庫(63-64頁)

「どれみそら」への郷愁_阪田寛夫,工藤直子『どれみそら―書いて創って歌って聴いて』河出書房新社

阪田寛夫,工藤直子(聞き手)『どれみそら―書いて創って歌って聴いて』河出書房新社 ◇ はじめに著書のご紹介です。 「『サッちゃん』をはじめ数々の名曲を生み出した著者が、音につつまれ、音楽を朋として歩んだ思い出や心の底を流れるドレミソラの響き、音の記憶を語りそして綴る。」 ● 小さい頃、僕のまわりには「どれみそら」が飛びかっていた ● 「また、小学校に入ってびっくりしたのは「あいうえお」を皆で音読したときです。」 「小学校に入ったら皆もう「あいうえお」を知ってて、五十音図を横にも言えるんです。しかも調子あわせて、みんなが突然(大阪弁で)うたいだした。♪ あ・か・さ・タ・な・ハ・マ・や・ら・わ と。「た」で少し、「はま」でうんと高くなり、「な」と「わ」で下がる。「ドドドレラ.ソソドレラ.」って感じ。ちょっとついていけないなあと、子ども心に思いました(笑)。」 「こんなふうにあえて西洋の音階に翻訳してみると、みんな「ドレミソラ」の中のどれかを使っているんですね。」 「さっきの「あ・か・さ・タ・な…」なんかは、ぜいたくに四つも使っています。」 「子どもたちが遊び歌にフシをつけて歌うと、みんなこの五音(ドレミソラ)におさまります。ファとかシは、子どもの自然なフシまわしの中にはないみたいです。  いわば日本のわらべ歌の基本音というか。(後略)」(八頁-十二頁) ● ドレミソラにファとシが加わると、ちょっと気取る ● 「『かなりや』西条八十作詞・成田為三作曲(「赤い鳥」大正七年十一月)」 「そのあと突然、三拍子に変わって西洋風になります。で、♪月夜の海に浮かべればーァー、この「ァー」が、旋律(ふし)の中で初めて出てくるファの音なんですね。この部分を歌うと、なんか、ちょっとすまして表情まで気取ってくる(笑)。」(八頁-十二頁) ◇ 私にとって、芸術の世界にお住まいの方々のお話は、いつも新鮮な驚きに満ちています。 ◇ 團伊玖磨『パイプのけむり』朝日新聞社 が書きかけのままになっています。申し訳なく思っております。團伊玖磨さんからもたくさんのことを教えていただきました。

「『本多勇夫 / 折々の記_01 Kindle版』_P教授による記念すべき第一冊目のお買い上げ」

今日の午前中、P教授に、 「本多勇夫 / 折々の記_01」 を購入していただきました。「Kindle Direct Publishing」の「レポート」を見ると、確かに記録に残っていました。記念すべき第一冊目のお買い上げです。お気づかいに感激しました。  午後には、P教授から、「カスタマーレビュー」が載っている、とのメールをいただきました。半信半疑でしたが、見ると、「パイプのけむり」さんの、「レビュー」が載っていていました。「星5つ」でした。もったいない内容の「レビュー」でした。 「パイプのけむり」さんの「カスタマーレビュー」を、繰り返し読ませていただいているうちに、小林秀雄が、 「文章を書く際には、七分は運動神経、三分が頭」 と書いているのを思い出しました。私には比率のことまでは分かリません が、文章を書く際には、敏捷性や平衡感覚が不可欠です。  還暦を目前にして、「運動神経」は無惨にも衰えるばかりで、如何せん、と思えば、小林秀雄には、 「年齢のせいに違いないが、年をとっても青年らしいとは、私には意味を成さぬ事とも思われる。」(「お月見」『人生について』中公文庫 177頁) と助け舟を出していただき、岡潔には、 「情操が深まれば境地が進む。これが東洋的文化で、漱石でも西田幾多郎(にしだきたろう)先生でも老年に至るほど境地がさえていた。」(『春宵十話』36頁) と救いの手を差し伸べていただきました。 團伊玖磨さんの「パイプのけむり」には、 第1巻「パイプのけむり」 第2巻「続パイプのけむり」 第3巻「続々パイプのけむり」 第4巻「又パイプのけむり」 第5巻「又々パイプのけむり」 第6巻「まだパイプのけむり」 第7巻「まだまだパイプのけむり」 第8巻「も一つパイプのけむり」 第9巻「なおパイプのけむり」 第10巻「なおなおパイプのけむり」 第11巻「重ねてパイプのけむり」 第12巻「重ね重ねパイプのけむり」 第13巻「なおかつパイプのけむり」 第14巻「またしてパイプのけむり」 第15巻「さてパイプのけむり」 第16巻「さてさてパイプのけむり」 第17巻「ひねもすパイプのけむり」 第18巻「よもすがらパイプのけむり」 第19巻「明けてもパイプのけむり」 第20巻「暮れてもパイプのけむり」 第21巻「晴れてもパイプのけむり」 第22巻「降ってもパイプのけむり」 第23巻...

「拝復 P教授様_再読は友情の証_團伊玖磨篇」

35年ぶりの『パイプのけむり』 塾長のブログでバックナンバーを紐解いていると、 (團伊玖磨) 『パイプのけむり』 (朝日新聞社) が…。 いま この全巻は研究室の書棚に眠っています。 35年の熟成を経た再読が楽しみです。 「再読は友情の証」 長田弘『読書からはじまる』日本放送出版協会 おはようございます。 團伊玖磨さん公認のウェブサイト、 「團伊玖磨ノート」 が、見つかりません。残念です。 閲覧、どうもありがとうございました。 顧みる、また推敲するいい機会になりました。 では、では。 すてきな週末をお過ごしください。 また。 くれぐれもご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE. 追伸:不快指数が高くてやりきれませんね。 以下、 ◇  團伊玖磨『パイプのけむり』朝日新聞社 page 01 ◇ 「動詞_食す その一」 ◇  団伊玖磨「食_料理って?」 ◇ 「團伊玖磨、ちいがわかる男の哀しみ_『トルコ・コーヒー』」 ◇ 「團伊玖磨の七転八倒 _『薬研堀』」 ◇ 團伊玖磨『パイプのけむり』_三題 です。愉快です。痛快です。

阪田寛夫,工藤直子「『どれみそら』への郷愁」

阪田寛夫,工藤直子『どれみそら―書いて創って歌って聴いて』河出書房新社 はじめに、【内容紹介】です。 「『サッちゃん』をはじめ数々の名曲を生み出した著者が、音につつまれ、音楽を朋として歩んだ思い出や心の底を流れるドレミソラの響き、音の記憶を語りそして綴る。」 ● 小さい頃、僕のまわりには「どれみそら」が飛びかっていた ● 「また、小学校に入ってびっくりしたのは「あいうえお」を皆で音読したときです。」(9頁) 「小学校に入ったら皆もう「あいうえお」を知ってて、五十音図を横にも言えるんです。しかも調子あわせて、みんなが突然(大阪弁で)うたいだした。♪ あ・か・さ・タ・な・ハ・マ・や・ら・わ と。「た」で少し、「はま」でうんと高くなり、「な」と「わ」で下がる。「ドドドレラ.ソソドレラ.」って感じ。ちょっとついていけないなあと、子ども心に思いました(笑)。」 (9頁) 「こんなふうにあえて西洋の音階に翻訳してみると、みんな「ドレミソラ」の中のどれかを使っているんですね。」 「さっきの「あ・か・さ・タ・な…」なんかは、ぜいたくに四つも使っています。」 「子どもたちが遊び歌にフシをつけて歌うと、みんなこの五音(ドレミソラ)におさまります。ファとかシは、子どもの自然なフシまわしの中にはないみたいです。  いわば日本のわらべ歌の基本音というか。 (後略)」(10頁) ● ドレミソラにファとシが加わると、ちょっと気取る ● 「西条八十作詞・成田為三作曲 『かなりや』(「赤い鳥」大正七年十一月)」 「そのあと突然、三拍子に変わって西洋風になります。で、♪ 月夜の海に浮かべればーァー、この「ァー」が、旋律(ふし)の中で初めて出てくるファの音なんですね。この部分を歌うと、なんか、ちょっとすまして表情まで気取ってくる(笑)。」(12頁)  私にとって、音楽の世界にお住まい方々のお話は、いつも新鮮な驚きに満ちています。 ◇ 團伊玖磨『パイプのけむり』朝日新聞社 の項が書きかけのままになっており、申し訳なく思っていますが 。團伊玖磨さんからもたくさんのことを教えていただきました。

「拝復 P教授様_さしたる用事はなけれども」

「博多駅前の「スタバ」でひとり気焔を吐いています。  旅マタギの心境です。 「さしたる用事はなけれども」と、團(伊玖磨)先生は海外へ出かけ、旅に興じた気持ちが、いまよくわかります。」  この年の瀬に、沖縄と福岡でたて続けに二つの学会とは、ちょっと驚いています。南国づいていますね。  検索の結果、 ◇ 團伊玖磨『さしたる用事はなけれども - 團伊玖磨対談集』読売新聞社 は、未読の対談集であり、今回も隙に乗じて出し抜かれたかと観念し、日の高いうちから酩酊 して おります!? 博多便り、どうもありがとうございました。 実り多きことをお祈りしております。 FROM HONDA WITH LOVE. 追伸:いま私は P教授づいております。 以下、 團伊玖磨『パイプのけむり』_三題 です。

「動詞_食す その一」

一日の多くの時間を台所で過ごしていました。平成二一年のことです。ただひたむきにつくり、ひたむきに食していました。エンゲル係数の大きな生活をしていました。 「食」の手ほどきは、 ◇ 團伊玖磨『パイプのけむり』シリーズ 朝日新聞社 で受けました。学生時代のことでした。今、 團伊玖磨『パイプのけむり選集 食』小学館文庫 が出版されています。 空腹が満たされればそれでよし、と心得ていた私にとっては新鮮な驚きでした。 文化人類学の講義で、「カニバリズム(食人俗)」の話題に話がおよんだとき、摩訶不思議な食生活をされている西江雅之先生は、 「私は『人を食ったことはない』が、『人を食った話』はする」 とおっしゃられていました。 「食べられる物」と「食べる物」の違い 「食べ物」は「食べられる物」のほんの一部 「食べ物」は「文化」である 「食べ物と制約」 こんな話もうかがいました。 そして、2012/11/19 には、 ◇  西江雅之『「食」の課外授業』平凡社新書 が出版されました。 鉢山亭虎魚『鉢山亭の取り寄せ 虎の巻』オレンジページ  三十代から四十代にかけて十年間、池波正太郎の膝下で男の生き方を学んだ。しかし、十年がかりの勉強で私が何とか身につけたと思っているのは、ただ一つ、 「必ず来る死に向かって、有限の時間を着実に減らして行くーーそれが人の一生だよ。ことに男はそうだ。女には子を生むことによって永遠の生命を生き続けるという特権がある。男にはそれがない。だから毎日、きょうという一日が最後と思って酒を飲め。そう思って飯も食え。 「食す」ことは人生の一大事であることを思いしらされた私は一念発起しました。例によって形から入りました。「食」について書かれた本を読みあさり、調理器具や調味料、香辛料等々を一通りそろえ、実際に料理をし、食すまでには結構な時間がかかりました。

「拝復 P教授様_倉本聰さんに倣いて」

以来、かゆみは体の周辺部の、辺縁部のいたるところにまで広がり、七転八倒、転げ回っています。湿疹は顔にも転移し、多少ほてり腫れた赤ら顔をしています。あいにくの休日で、受診もままならず、お若いお兄さん、お姉さんの薬剤師さんばかりが目立つドラッグストアさんは避け、創業八十年という日の丸薬局さんで、相談しました。二種類のパッケージを手にし、丹念に成分を見比べていましたので、ためらうことなく、二つともいただいてきました。團伊玖磨さんならば、何種類もの錠剤を口いっぱいに頬張り、鯨飲馬食とでもいわんばかりの荒療治にでて、快癒するにちがいなく、しかし私にはそんな芸当はとてもできず、やはり段違いの團さんは偉大です。 「天下取り」との壮大なお話に驚きもし、恐縮もしておりますが、申し訳なくも、情けなくも、いまは「天下国家」のことを考える余裕はなく、私事のごくごく矮小な「痒み取り」で精一杯です。 時節柄くれぐれもご自愛ください。 TAKE IT EASY! FROM HONDA WITH LOVE. 追伸: 軟膏を塗布する際には無精髭は邪魔で、四枚刃の髭剃りでそっと剃り落としました。しかし、「あご髭」だけは残しておきました。「倉本聰さんのまねごと」です。この GW 中の一番の洒落っ気 です。精一杯の遊び心です。

「團伊玖磨の七転八倒 『薬研堀』」

「薬研堀」 團伊玖磨『パイプのけむり 選集 食』  味噌汁にぱらりと薬研堀(やげんぼり〈唐辛子 〉 )を振りかける。その程度なら一寸(ちょつと)乙なものだと思う。ところがその程度では最早(もはや)僕には効(き)かないのである。従ってどうするかと言うと、蓋(ふた)を開(あ)けて、がさがさと内容を味噌汁に落とし、箸(はし)でかきまわして、真赤な汁を作り、それを辛さに打ち震えながら飲むのである。口中猛火に焼け爛(ただ)れるが如(ごと)く、激痛は咽喉(のど)から食道まで及ぶ。身体(からだ)に怖(おそ)らく悪(わ)るいだろうと反省はするのだが、どうにもこうにも、こうしなければ味噌汁なんぞは飲んだ気もしない。  味噌汁だけならまだ良いのだが、何から何まで薬研堀で真赤にまぶさなければ食べた気がせず、この頃は、刺身だろうが茹(ゆ)で卵だろうがキャベツ巻きだろうがスパゲッティだろうが、要するに何から何までを真(ま)っ赤(か)っ赤(か)にして涙ながらに物を食う。如何(いか)なるところに原因があってこんな恥ずかしいことになってしまったのか、全く他人(ひと)にも言えやしない。  辛子気狂いになったのは、生まれてから二度目である。今から二十何年前、兵隊だった時、一度辛子病になったことがあった。その時は理由がはっきりしていて、あまりの空腹のため、軍隊の食事が足らず、普通に食べればすぐに食べ切ってしまってあとには不満が残る。そこで、戦友と語らって、外出の機会に薬研堀を買って来て、滅茶々々に飯の上に振りかけて食べた。そうすると、辛さのために早く食べることが出来ず、ゆっくり食べることとなり、何がなし食べたという満足が残るのだった。そして、不思議なことに、殆んどあらゆる食品が統制されていた戦争末期にも、どういう訳か、七味唐辛子だけは自由販売であって、又、軍隊の中に持ち込んでも叱られなかった。  その時はそういう賤(いや)しさが原因で辛子を好んだから原因が判るとして、一体何でこの頃急に辛子が欲しくて欲しくてたまらないのかは、どう考えても判らない。 (16-17頁,20-21頁)

「團伊玖磨、ちいがわかる男の哀しみ_『トルコ・コーヒー』」

「トルコ・コーヒー」 團伊玖磨『パイプのけむり 選集 食』   十年も前の事だった。インスタント・コーヒーの宣伝に出て欲しいとの申し込みを受けた。何でも「ちがいがわかる男」とか言うキャッチ・フレーズで、インスタントのコーヒーを飲んでいる姿を写真とヴィデオに撮るのだと言う。貧乏な作曲家にとっては目の玉の飛び出るような礼金も約束されていた。然(しか)し、コーヒーには色々な淹れ方があって、その色々な淹れ方を楽しんでいる男が、ちがいがわかる等と言ってはインスタント・コヒーのメーカーや販売元に悪かろうと考えた。そして、この話しはお断りした。あとでお金が必要だった時、あno 時の宣伝を引き受けていたならとの思いがちらちらと脳裡(のうり)を横切りはしたが、嘘(うそ)を吐(つ)く訳には行かなかったのだから致し方無い。  トルコ・コヒーの香りの中で、ふと、急に昔の事を思い出した。そして、矢張り嘘を吐かなくて良かったと思った。 (218頁)

「2016/08/03_Anniversary_One Year Old」

   ブ ログを書きはじめて今日で一年になります。  この一年間に 939 のブログを書き、内 887 のブログを公開しています。年間の総閲覧数が 47307。各国別の閲覧数の内訳は、アメリカが 36074、日本が 9549、ロシア 779、フランス 218、その他の国々の順になっています。アメリカの閲覧数が群を抜いており、全体の 76.3% を占めています。日本の各国別の閲覧率は 20.2% です。また、ロシア、フランスの閲覧数も多く、この数字をどう受けとめればいいのか解らないままでいます。  私自身、特定の誰かのフォロワーになっているわけでも、特定のHPやブログをリーディングリストに入れているわけでもなく、必要に応じて検索し、検索上に出てきたHPなりブログなりをたまたま読んでいるわけですが、閲覧者の方たちがどのような経路をたどって、私のブログを読んでくださっているのか、依然不明です。最も多い日には、750 の閲覧がありました。  書籍から多くの引用をしましたが、私ごときが引用するほどの著作の多くは、すでにUPされていることを知りました。ただし、著者名、著作名、出版社名、頁数の記載がなく、内容に正確さを欠くものが多いのが現状です。最低限のルールさえ守れば、ネット空間はより豊かになることを思うと残念でなりません。が、玉石混淆というのがネット空間の必然であって、それはいたし方のないことです。今後も書物からの引用の記載を続けます。ブログは、私の恰好のメモ帳であり、スクラップブックです。  この一年間に「文章読本」に類する本を何冊か読みました。文章を書くのは厄介で、一筋縄ではいきません。だから面白い、と言いたいところですが、そうのん気に構えているわけにもいきません。今さしあたって気になっているのは、敬語表現と文体です。敬語が使えません。二重敬語がたくさんあります。團伊玖磨は、「敬語が正しく使えるようになるには、百年。親・子・孫の三代かかる」と、どこかで書いていました。こんな言葉に触れると絶望的になりますが、正しい敬語の使用を心がけたいと思っています。文体については、私はほとんどの文章を「です」「ます」調で書いていますが、中井久夫は、 「『ます』調がいけないというのではないが文章にすると語尾が単調になるのと、形容詞の終止形の処理に困る。(『汚いです』は...

團伊玖磨「食_料理って?」

「北京烤鴨子」   團伊玖磨『まだまだ パイプのけむり』  香港に居る、親しい料理通の馬浩中さんが言った言葉を思い出す。或る時、香港では一番美味な烤鴨子〈北京ダック〉 を食べさせるというので、よく僕達が行く、九龍のネーザン・ロードとキンバーリー・ロードの角に近い皇后大酒楼で、僕達は鴨子を餅(ビン)に包みながら話していた。北京生まれの彼は、何時(いつ)ものように礼儀正しく、然し一寸(ちょっと)得意そうにこう言った。 「ね、團さん、僕はね、中國料理、西洋料理、日本料理をさんざん食べた末にこう思うのですがね。どうも、本当に料理と呼べるものは中國料理だけだと思うんですよ。料理という語は、料と理という二字から成っていますね、西洋料理はね、種類が少なくて粗雑な材料を何とかして美味(おい)しく食べようとして、ソースやグレイヴィーに凝ったりして、詰まり、悪い材料を何とかしようという理ばかりが発達したものだと思います。日本料理はその反対で、國が小さい関係で、何處(どこ)ででも新しい材料が手に入り易く、そんな関係で、新鮮な材料の美味しさに負(お)んぶしてしまうために、それをもっと美味しく食べようという理が発達せず、詰まり、材料の料だけのように思えるのです。日本料理は料だけ、西洋料理は理だけで、両方とも片輪です。それに較べて中國料理は、材料の豊富さと良さに加えて、それをより美味しく食べるための理論も備わっている訳ですから、これこそ料理なのですよ。そうお思いになりませんか」  僕はその話を聞きながら、全くだと考えた。 (204頁) ◇  團伊玖磨『パイプのけむり選集 食』小学館文庫 (63-64頁)

「食_食す」その一

一日の多くの時間を台所で過ごしていました。平成二一年のことです。ただひたむきにつくり、ひたむきに食していました。エンゲル係数の大きな生活をしていました。 「食」の手ほどきは、 團伊玖磨『パイプのけむり』シリーズ 朝日新聞社 で受けました。学生時代のことでした。今、 團伊玖磨『パイプのけむり選集 食』小学館文庫 が出版されています。 空腹が満たされればそれでよし、と心得ていた私にとっては新鮮な驚きでした。  文化人類学の講義で、「カニバリズム(食人俗)」の話題に話がおよんだときには、摩訶不思議な食生活をされている西江雅之先生は、 「私は『人を食ったことはない』が、『人を食った話』はする」 とおっしゃられていました。 「食べられる物」と「食べる物」の違い 「食べ物」は「食べられる物」のほんの一部 「食べ物」は「文化」である 「食べ物と制約」 こんな話もうかがいました。 そして、2012/11/19 には、 西江雅之『「食」の課外授業』平凡社新書 が出版されました。 鉢山亭虎魚『鉢山亭の取り寄せ 虎の巻』オレンジページ  三十代から四十代にかけて十年間、池波正太郎の膝下で男の生き方を学んだ。しかし、十年がかりの勉強で私が何とか身につけたと思っているのは、ただ一つ、 「必ず来る死に向かって、有限の時間を着実に減らして行くーーそれが人の一生だよ。ことに男はそうだ。女には子を生むことによって永遠の生命を生き続けるという特権がある。男にはそれがない。だから毎日、きょうという一日が最後と思って酒を飲め。そう思って飯も食え。 「食す」ことは人生の一大事であることを思いしらされた私は、一念発起しました。例によって形から入りました。「食」について書かれた本を読みあさり、調理器具や調味料、香辛料等々を一通りそろえ、実際に料理をし、食すまでには結構な時間がかかりました。

團伊玖磨『パイプのけむり』_三題

「ソラ・ソラ・シラミ」 團伊玖磨『パイプのけむり』朝日新聞社 「戦争中、陸軍軍楽隊の上等兵だった時は、同じく上等兵だった作曲の芥川也寸志君と二人で、編曲室と書いた木札をぶら下げた隊内の一室に籠り、大きな木の机を中に、向かい合って坐ったまま、何となく仔細らしい顔付きをして毎日を過ごしていた。」  「そんなある日の午後、虱が一匹机の上を這っているのを芥川君が見付けた。  「虱だね」彼が言った。  「虱だな」僕が言った。 (中略)  「虱だね」と彼がつまらなそうに言い、  「虱だな」と僕もつまらなくそう言いながら、退屈していた僕達は、どちらからともなく一寸したゲームを始めた。  虱 ーしらみ、これは、ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ドの、つまり、音階名の中に含まれている名前である。si・la・mi ーこの小さな旋律を二人で歌っているうちに、この si・la・mi の三音符からなる小さな旋律が、妙に情緒のある音型であるので、二人は全く嬉しくなってしまい、それを少し延ばして、   そらそら虱!   どらどら虱!   見れど見れど虱!   虱!  という、全部ドレミファの中にある発音だけでそのまま歌える小さな歌を共作して、それを楽しんで歌っているうちに、どうやらこれは、少々演技を付けて歌った方が面白かろうということになり、(後略)」 「マッハ1.3」 團伊玖磨『又 パイプのけむり』朝日新聞社 「心の中で緊急脱出の手順を復誦し終ると、僕は、第二0六飛行隊長大◯勝美三佐に伴われて飛行場に出た。丁度上空に漂っていた薄雲の割れ目から射した陽の光の大きな縞の中に、燦然と、今日これから乗るF104戦闘機は数機並んでいた。  「あの一番右側の501号機が、これから貴方に乗って戴く機です。操縦は隊長の私がいたします。」 「では八丈にさよならをして上昇します。八丈と房総の間の海上で、超音速飛行とアクロバット飛行を行ないます。」 「では、ぼつぼつ霞ヶ浦でも見物して、百里の基地に帰りましょう。それにしても、團さん、貴方は職業を間違えましたね。パイロットになれば良かった。少しも怖わがらないばかりか、もっとロールをしろとか、背面の儘飛べとかは、怖ろしくて、仲々素人は言えないものですよ。」 「帰り、土浦の...