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三世東次郎「乱れて盛んになるよりは、むしろ固く守って滅びよ」

一昨夜、 ◇ 原田香織『狂言を継ぐ ー 山本東次郎家の教え』三省堂 を読み終えた。  本書では、武家式楽の伝統を継ぐ「大蔵流山本東次郎家」、三世東次郎から四世へと相伝された、そのすさまじい稽古ぶりが、原田・笠井賢一 両氏のインタビューに、 四世東次郎が応える という形で紹介されている。 ◆ 式楽「儀式に用いる音楽や舞踊。江戸幕府での能楽など」。江戸幕府公認であり士族階級に属した。 ◆ 相伝: 本書では、三世から四世へ、一対一の稽古のみで伝承すること。 東次郎  何でも手っ取り早くというかね、それに対して家の親父が戒めとしていったのが、狂言なんてものは、そんなに簡単に成果が上がるものじゃない。いいか、でかい盥(たらい)に水をいっぱいに張って、箸一本でそのなかの水を回してみろって。箸一本じゃ初めは回りっこない。けれどもひたすら回して回し続けていると少しずつ水流が出来てくる。そうしたひたむきで地味な努力、それが狂言の演じ方だ。派手にバーンとやって、起承転結を合わして、さあ俺の狂言だって行き方を往々にしてやりがちになるが、そうじゃない、そんなものはうちにはないって、常々いってました。(90頁) 東次郎  (前略)派手な芸に対して、親父は「あれは、わが家ではいかん」というんです。  何故いかんかというと、派手なものを面白いと思う人は沢山いるでしょう、しかし何人かは嫌だと思う人もいる。多分この人たちを大切にしたいという思想なのです。だからどうするかというと、うちでは平凡に地味にやる。地味なものがどこまで面白く聞こえるか、演出として曲として面白くするのではなくて、いかに平凡なものでも優れた演者がやれば万人の耳にいかに面白く聞こえるか、その理想なのです。役者がそこまで稽古するということです。  三十になっても出来ないかもしれない。面白くさせようという意識もなくて、ただまっすぐ謡っているのに面白く聞こえてくる。これが誰に対してでも快く聞こえてくるようになるまでやらなければいけない。それがうちの芸なんだという気がします。 (中略)  結局自分たちには、少しでもよいから共鳴してくださる方がいる、そういう芸にしなければいけない。ある水準の高さで共鳴してくださる方が必要なんです。能面が大泣きしたり、大笑いしたりするわけではない、あのわずかな表情の振幅でいいという、そういう美意識がまた狂言に繋

山本東次郎「神事としての狂言」

「舞台空間における結界」 原田香織『狂言を継ぐ ー 山本東次郎家の教え』三省堂 原田  舞台というのは、古典の世界では神の宿る空間という意識がありまして、神がそこに降りてくるという厳粛さが常にあって、徒(あだ)や疎かにできない神との対峙があったと思うのですが、そういう意識はいつごろか薄れていったのでしょう?  観客の方は、むしろ四本柱の結界もあり、古典芸能で脇能も含めて神の来臨を感じて、期待感と共にありがたく思う向きもあるでしょうし、舞台を拝む感覚もありますし、舞台に勝手に近づくことも遠慮されますが、そうした畏れる心はあるのでしょうか? 東次郎  そうですね。舞台が神聖な場所という認識は、小さいころから植えつけられておりました。だから掃除のときなど「心を込め、気を込めてやれ」とうるさかった。能舞台はどれも寸法は三間四方と決まっております。能舞台というものは、無限に広がる空間を四つの太い柱で押さえつけてあるわけです。無限を示すんです。ある意味それが聖域という考えとも繋がるのでは。  それで、昔、女性は舞台には上がれない時代がずっとあって、女性を舞台に載せなかった。ですから、舞台というものに対して特別な感覚があった。(98-99頁) 「別火」 原田香織『狂言を継ぐ ー 山本東次郎家の教え』三省堂 さて、『翁』を勤める役者は別火(べっか)と呼ばれる精進潔斎(けっさい)が必要となる。江戸時代には厳しい別火があり、大蔵虎明(おおくらとらあきら)によれば、三七日(つまり二十一日間)、魚鳥を断ち、身を浄め、火を忌み(浄めた火を使う)、心を浄めることが必要となった。これはご神体が面にあり、それをかけて舞うという場合には、神の宿りとしての身体という思想があり、穢れを嫌ったのである。 (中略)  別火は、日本では神事を行うものが、穢れに触れないように清浄な切り出した火で調理したものを食べるということだが、世俗を超越する必要があり、多くは別棟で一人で潔斎をした。  現在では、『翁』を舞うときにも、流派や個人によって異なり、七日、三日、一日だけと様々であり、別火を行わず当日の祭壇への祭儀のみであったり多様化している。 原田  別火は、いかがでした? 精進潔斎となりますが…。 東次郎  もちろん、決まりどおりしっかりとやりました。身を浄めると、だんだんこう精神が集中していく感じになって、三日

TWEET「念願の」

念願の、 ◇『新潮 臨時増刊 小林秀雄追悼記念号 昭和五十八年四月』 ◇ 小林秀雄『本居宣長(初版本)』新潮社 を手に入れました。 「追悼記念号」で在りし日をしのび、三読目は「初版本」でと考えています。

TWEET「生き様」

いま、 ◇ 原田香織『狂言を継ぐ ー 山本東次郎家の教え』三省堂 を読んでいます。帯には、 「乱れて盛んになるよりは、むしろ固く守って滅びよ ー 三世 東次郎 様式美と相伝の世界」 と書かれています。 「生き様」という言葉が嫌いです。軽率にも口にする輩、浅薄にも書く者の品位を疑いたくなります。  三 世 東次郎がどれほど 「ことば」を大切に思っていたか。 ◆ 西江雅之「文学は『言語』作品、落語は『ことば』作品」  原田香織さんの文章はとかく鼻につきます。大仰で 美文すぎるからです。  読書を続けます。

岡潔 山本健吉「俳諧は万葉の心なり」

岡潔 山本健吉「連句芸術」 岡潔『岡潔対談集_司馬遼太郎,井上靖,時実利彦,山本健吉』朝日文庫 山本  (前略)芭蕉の文学の発想は、結局発句じゃなくて、連句にあるという…。 岡  芭蕉は連句ですよ。連句はものすごいと思いますよ。いまの人は無精して、芭蕉の連句を調べない。 山本  もったいない話です。 岡  日本にとってもったいない。 山本  発句だけでは、芭蕉文学の玄関口にすぎない。とにかく芭蕉が心にもっていた人生の種々相というものは、連句のなかに描れてくるのです。柳田國男先生がこういうことをおっしゃったことがあるんです。とにかく柳田先生は連句がお好きで、『芭蕉七部集』は座右の書とされておりました。そして連句の評釈も書いておられます。柳田先生がおっしゃるには、芭蕉さんというのはじつによくものを知っていらっしゃる、人生、人間というものを知っていらっしゃる。 岡  人生というものを芭蕉くらいよく知っていた日本人は、ほかにないかもしれませんよ。 山本  そうでしょう。 岡  たぶん芭蕉だ。それが連句に出ております。あれをなんでほっておくのかなあ。たなごころをさすようですね。たなごころをさすように連句をよんでいるでしょう。芭蕉が入ったら、たなごころをさすようになっているでしょう。それが大円鏡智です。 山本  いま先生が、芭蕉の頭のなかには図書館のように人生が詰まっていてと言われた…。 岡  そうです。人生が図書館のように詰まっているでしょう。 山本  それが自在に出てくるということをおっしゃったわけです。 岡  一冊抜いたら、すっと出てくる。それが連句ですからね。芭蕉の連句によって日本を知ることは、『万葉集』によって日本を知るよりよほど知りやすい。連句をみな読まんから、わざわざ『万葉集』までかえらなくても、「俳諧は万葉の心なり」といって、あそこでエキスにしてくれてあるのに…。こんどは大いに強調しておいてください。今度、角川書店が『芭蕉の本』を出すということは、ひじょうに時宜を得ています(笑)。大いに連句を強調してほしい。(161-163頁) 山本  芭蕉は、自分のなかの私というものをたえず捨てようとした。なくそうとした。無私ということ、私なしということが芭蕉の心がけの根本にあるわけなんです。俳諧なんてものは三尺の童子にさせよということをいっておりますが、三尺の童子というのは

折口信夫「大和乙女の恋をせよ」

「大和乙女の恋」 岡潔『一葉舟』角川ソフィア文庫  特に絶対にラテン文化に見倣(みなら)ってもらっては困るものがある。それが大和乙女の恋である。    畝傍山(うねびやま)樫(かし)の尾の上にいる鳥の 鳴き澄むきけば遠つ世なるらし  の作者折口信夫(おりぐちしのぶ)は、終戦後間もなく死んだが、今日あるを予見して、「大和乙女よ、大和乙女の恋をせよ」といい残した。(330頁)

尾形仂『芭蕉の世界』講談社学術文庫

昨日の夕方、 ◇ 尾形仂(つとむ)『芭蕉の世界』講談社学術文庫 を読み終えた。  学生時代 雲英(きら)末雄先生にご紹介していただき、早速読んだ。それ以来の読書だった。  本書は、蕉風俳諧の萌芽から達成に至るまでの過程を、それらの句境の変遷をつぶさに追いつつ 俯瞰した、放送大学実験番組の 講義録である。私は、これほど懇切丁寧な、体系だった講義を 知らない 。  各句はそれぞれ広範な背景、含みをもち、自学自習することの難しさを知った。  芭蕉に興味のある方は、ぜひ一度手にとってご覧になってください。

岡潔 山本健吉「秋の風ふく」

岡潔 山本健吉「連句芸術」 岡潔『岡潔対談集_司馬遼太郎,井上靖,時実利彦,山本健吉』朝日文庫 山本  じつは川端さんは、岡先生の『日本民族』という本をお読みになったんですよ。そして私に手紙をくださった。それは「秋深き隣は何をする人ぞ」の句について…。 岡  あの「秋深き隣は何をする人ぞ」で、芥川は寂しいといっております。寂しがり屋で、まちがっているというか、芭蕉は寂しいとは思わなかったのだけれども、そう取ったってかまいません。小宮豊隆にいたっては、薄気味が悪いといっている(笑)。薄気味が悪いといったら、俳句にならんです。あれは人なつかしいというので…。 山本  そうだと思います。 岡  あたりまえですよ。 山本  その点で、岡先生は寂しさじゃなくて人なつかしさをいったのだとおっしゃっているけれども、どう思われますかと(川端さんが)私に意見を求められたんです。私は、やはり芭蕉の気持ちの底には寂しさはあるので、人間は寂しい存在だということがあって、その上に立って人へのなつかしさ、人と人との本当のつながりを求めています。 岡  寂しさというのは、「蜘(くも)何(なん)と音(ね)をなにと鳴く秋の風」、あれは感心したんですがね。つまり、みのむしが捨て去られるのも知らないで、秋風が吹くとチチヨ、チチヨと鳴く。これですよ。これはなつかしさなんです。寂しさもあります。ありますが、父なつかしさあっての寂しさです。それを芥川は寂しさとだけとった。それならよろしいけれども、それを薄気味わるいというのはむちゃです。 山本  芥川は、あれを寂しさとしかとれなかったところに、自殺しなければならなかったということも考えられます。(158-159頁) 岡  (前略)そこになつかしさあっての寂しさというものと、人ひとり個々別々の人の世は底知れず寂しいというのとは、寂しさの意味がちがいますね。だから、芭蕉が寂しいというは、人なつかしさということですよ。 山本  そうですね。寂しさと懐かしさというのは楯(たて)の裏表みたいなものです。(160-161頁) 「毎日新聞デジタル」 「言い伝えではミノムシは鬼の子といわれた。枕草子によると、秋風が吹くころに戻るから待てと親に言われて置き去りにされ、「ちちよ、ちちよとはかなげに鳴く、いみじうあはれ」となった。こんな話を風流人が見逃すはずはない▲鬼ならぬミノガの

井上靖「原始帰り」

井上靖 岡潔「美へのいざない」 岡潔『岡潔対談集_司馬遼太郎,井上靖,時実利彦,山本健吉』朝日文庫 井上  先生は柳田國男先生をどうお考えになっていらっしゃるか…。 岡  いや、あの人はえらいですね。 井上  それはうれしいですね。 岡  あの人、えらいですよ。 井上  この間、柳田さんの神隠しの随筆を読んでおもしろうございました。明治時代まで、私たちの村にもやっぱり神隠しというのがありました。その解釈を柳田さんは、何県の何郡の何村にいつ神隠しがあった、それはどこの太郎兵衛だというのを、たくさん集めてまいりまして…。 岡  それは実際、腰をすえて調べる価値がありますね。 井上  そして、その村の人がどういう反響を示したかという例もとってあります。「あそこのお嫁さんは夕方田んぼへ出ていった。わたしは悪いときに出ていくなあ、と思った。そうしたら、果たしていなくなった」というようなことも出ています。この悪いときということばを使った例が三つくらいあるんです。悪いときという、ある空間的、時間的条件を持った悪いときというものが、そのころの神隠しがあると信じられた時代には確かにあったということなんですね。柳田さんは、神隠しを寂寞の畏怖に触れるということばで説明しています。非常に大きい、深いさびしさというようなものに触れると、人間がその瞬間に、これは私流のことばでいうと、どうも原始帰りするということらしいんですが、原始というものにさわられるとか、つかまれるとか、そういうように柳田先生は説明しておられる。要するに原始帰りして、原始の心に立ち返って山へ向かって歩いて行く。そうして発見されて村へ連れ帰ってもらうものもいるが、発見されないと、三年でも四年でも原始時代の生活をしたんだろうと…。 岡  それはおもしろいですなあ。原始帰りということばもおもしろい。 井上  それで私は、月のまわりをぐるぐる飛行機で回るような時代になっても、原始からは自由にはなっていないと考えるのですがね。いま、蒸発とかなんとかいわれていますけど、悪いときはこれから多くなると思います。この時代に、とくに。 岡  柳田先生がえらいのはわかってましたが、そんないい論文あるとは知らなかった。 井上  たいへんおもしろうございました。柳田先生のお書きになったもののなかでも。 岡  造化の秘密がわかっていくかもしれません、そ

井上靖 岡潔「文明というイズム」

  一昨日の午前中には、岡潔『夜の声』新潮社 を読み終えた。 井上靖 岡潔「美へのいざない」 岡潔『岡潔対談集_司馬遼太郎,井上靖,時実利彦,山本健吉』朝日文庫 岡  魔物の正体がわからんと小説(『夜の声』)の主人公にいわせているのですが、先生自身、不思議だなあと思っておられることもあるんでしょうね。 井上  ええ、ございます。 岡  そうでしょうね。そこがたいへん実感があって、おもしろい。あれについて、ずうっと考えどおしで、汽車んなかも、そればかりでした。 井上  そうでございましたか 。 岡  それで、私なりに考えてみた。あれは文明というイズムじゃないかと…。 井上  そうでございます。 岡  イズムちゅうのはこわいですよ。顔の形まで変わる。イズムができる場所が(ひたいをたたいて)ここなんです。つまり、万葉が宿る場所と同じなんでしょうね。だもんだから、ひどい影響がある。あの仏教の六道輪廻(りんね)の宿る場所も、ここなんでしょうね。 井上  そうですか。 岡  『ある偽作家の生涯』のああいう形で出たり、イズムの形で出たり、それから万葉の形で出たり、つまり (ひたいをたたいて)ここなんでしょうね。 中国のことばで、ここを泥おん宮(ないおんきゅう)っていうんです。これは有無を離れる戦いという意味です。だから、ここにあるものは、どれも実体がないんですね。だからして、実体のない思想なんかがあると思ったら、だめなんです。つまり、日本人はすみれの花を見ればゆかしいと思う。それから、秋風を聞けばものがなしいと思う。そのとき、ここには、すみれの花とか秋風とかいうものはない。しかし、ゆかしいもの、ものがなしいものはある。 井上  なるほど。 岡  こういう思想は、東洋にはずっとあるんですが、西洋にはないんです。西洋では、まずそこに実体があるとしか考えられない。 井上  逆になっているんですね。 岡  逆なんです。実際見ているのに、そうなんです。(69頁) ◆「ないおんきゅう」の「おん」は「氵に亘」です。  また、「実際見ているのに、そうなんです」とは、「実際見ている」ものには実体がないことが見えていない、というほどの意味であろう。  けっして他人事ではなく、また「有無を離れる戦い」とは凄絶である。  人心は乱れ、自然は破壊されつくし、昼夜もなければ季節感もなく、この乱脈な「文明と

井上靖『夜の声』新潮社

井上靖 岡潔「美へのいざない」 岡潔『岡潔対談集_司馬遼太郎,井上靖,時実利彦,山本健吉』朝日文庫 岡  あの、この前の御作『夜の声』、感心いたしました。 井上  おそれいります。(67頁) 岡  (前略)それにしても、ほんとうに『夜の声』は、あれは実にいい本ですなあ。 井上  ありがとうございます。こんなうれしいことないですね。 岡  みんな、それほどほめませんでしょ。 井上  ええ、ほめません。(笑い) 岡  わからんだろうと思う。(78頁) 一昨日の夕方、 ◇ 井上靖『夜の声』新潮社 が届けられました。古書です。 ◇  岡潔『岡潔対談集_司馬遼太郎,井上靖,時実利彦,山本健吉』朝日文庫 からの引用はいったん 中止し、読書にいそしみます。

岡潔 井上靖「あのお念仏の変な人」

井上靖 岡潔「美へのいざない」 岡潔『岡潔対談集_司馬遼太郎,井上靖,時実利彦,山本健吉』朝日文庫 井上  欧米文化を受け入れていって日本はどうなったと、いろいろと現代史や近代史が書かれていますけれど、確かに欧米文化を受け入れて日本はそれで大きいプラスになった面もありますけれど、とんでもないマイナスになっている面もいっぱいございますね。 岡  そのほうが、むしろ多いんじゃないか。 井上  中国文化も、インドの文化も、同じようにいえると思いますね。 岡  明治以後の日本といったら、なんていうか、学問のために魂を売ったっていうような感じですね。 井上  明治の人たちで、いま考えると、なかなかいい仕事をしている人もおります。たとえば、明治の洋画家が描きました洋画というもの、あれはなかなかいいと思うんです。 岡  ごくはじまりのころは、よく描いていますね。はじまりがよくって、いつもだんだん悪くなるのは、不思議だなあと思う。 井上  そうなんですね。いまでも、日本の美術史の上でも、明治の洋画家というのは、いやおうなしに高く買わざるを得ないんです。あれは、やはり日本人の心というものを失わないで、その上でヨーロッパ風のリアリズムというものを自然に受けとったと思います。それですから、ああいう洋画が描けた。 岡  リアリズムというのは、なんというか、習作なんです。ほんとうは、それから上へ出るためのものであることを忘れているんですね。欧米人は、実在性はけっして抜けないんですよ。実在を確かめてからでなければ、人は思想し、行為はできないと思っている。ところが、日本民族や漢民族の住んでいるところは、実在性を抜いたエキスだけの世界、それが泥おん宮(ないおんきゅう)でしょ。それが、初めのうちはあるが、いつのまにか天上から地上におりてしまう。 岡  地上に住むのは、日本人はへたで適していません。いつもそうだと思う。あの、明治維新以後悪くなったと思っているんですよ。日本歴史を少し調べてみますと、応神天皇以前と以後と違うらしい。応神天皇以前の日本人って、だいたいこんなものだろうとは想像するけど、とてももう見られないと思っていた。ところが近ごろ、私のところへ一人の人が訪ねてきた。六十ぐらいかな。その人は学校はまるでできなかった。よく卒業させたと思うくらいだが、いろいろ学校へは行ったらしい。明治の文科へ行

井上靖 岡潔「郷里」

井上靖 岡潔「美へのいざない」 岡潔『岡潔対談集_司馬遼太郎,井上靖,時実利彦,山本健吉』朝日文庫 井上  私は昨年の暮、飛鳥(あすか)へまいりましたんですが、上代では、何回も何回も飛鳥の都へ戻っております。たとえば難波へ都を移しても、またその次は飛鳥へ帰っている。またその次は近江(おうみ)へ都を移します。するとまたその次には飛鳥へ戻っているのです。 岡  どうしても戻りたいという気持が強かったんでしょうね。 井上  どうしてあんなに飛鳥へ戻るのか、なぜ戻るのか。歴史のなかでなんとなく疑問だったのです。学生時代にももちろん飛鳥へ行っておりますけれど、何回となく…。昨年の暮にまいりましたら、初めてあれは大和朝廷のくにだな、郷里だなと思ったんです。それで疑問がとけたような気がしました。 岡  ああ、なるほど。 井上  私の家の一族は、父も祖父もみんな町へ出て働いていましたが、必ず伊豆の山の中へはいっていくんです。それと同じようなもので、あれは郷里だったなと思いますと、飛鳥へ帰ることは自然なんです。そういう気がいたしましたね。それでないと、あんなにたびたび…。 岡  はあ、そんなに戻ってきますか。戻るんですなあ。 井上  くにだなあ、という気がいたしました。 岡  いっぺん日本人を応神天皇以前に戻さなきゃいかんと思うのですがね。ご協力くださいませんか。 井上  もう、ほんとうに…。 岡  これはぜひやらなきゃいかん。私近ごろ、あのお念仏の変な人に会って、いよいよ一度このかすをとりのぞかなきゃだめだと思いました。これはちゃんとしたかたにやっていただかなきゃいかん。私なんか、それが大事だと思ってもどうやるかわからない。ほんとうにそれをやらなきゃ、日本はどうなるかわかりゃしませんよ。(114-115頁)  時代が飛鳥を求めた。飛鳥に 風土と化した日本民族 の原風景をみたのであろう。それは飛鳥の地に立てば、いまも感じられるに違いない。 “郷里” に日がなたたずんでいたいと、いましきりに思う。

井上靖 岡潔「唐招提寺 / 新宝蔵 / 破損物 如来形立像」

井上靖 岡潔「美へのいざない」 岡潔『岡潔対談集_司馬遼太郎,井上靖,時実利彦,山本健吉』朝日文庫 井上   唐招提寺(とうしょうだいじ)に行きますと、破損仏といって、こわれた仏様が並んでおります。そのなかに如来形立像という仏像がある。それは首がありませんで、手首が欠けております。脚も一部破損しているんです。しかし、胸から衣を着ております。そのひだにあかい朱がちょっと残っていまして、もとはまっ赤だったのでしょうけど、すそのほうには黒が少し残っているんです。確かに破損仏ですけれども、それが実に自由で、豊かで、大らかでございます。首がないということでいっそうそう感じられてくるのです。それを地蔵菩薩だというような見方をしている人もいますが、地蔵菩薩だろうと観音様だろうと、なんでもかまわないのです。実にそれはきれいでございます。それは頭と手を欠いたことで、ほんとうは完全になっているのだと私は思います。 岡  ええ、そうでしょうね。そこがおもしろいんですね。詩ですね。 井上  美術品を見る場合ですが、これはりっぱだと教えこむことに問題があるので、それは各自が発見したらいいと思うんです。いまでは美術史関係の本がいっぱいあって、法隆寺のどれはりっぱな仏様、どれは…、とそういう教育の仕方をしますから、自分で仏のいのちとの触れあいをしていないわけです。たとえばルーブル美術館へ行きましても、国立博物館へ行きましても、いわゆる傑作といわれる世界の名品というものがいっぱい 陳列されているわけです。しかし、それを見たためにこちらの大切なものが変わらせられてしまうような出会いというのは、必ずしも期待できるかどうかわかりませんね。ところが唐招提寺の破損仏の場合、私は確かに出会ったんです。 岡  初めてそのお話うけたまわりましたが、井上先生を象徴するにたります。 井上  美術品がいい悪いというのは、確かに不思議な出会いでございますね。人間の出会いと同じです。 岡  そうなんです。つまり、詩というのは余韻であって、だからそんなふうになるんですね。そうですか、 唐招提寺にそんなのがありますか。それはいいお話です。 (100-102頁) 岡  本物は余韻のほうであるということを知らないんです。まだ明けきらぬ朝のよさにあることを知らない。それを自覚したら、やらなければならんことはいくらでもある。人まねし

岡潔「阿鼻叫喚」

井上靖 岡潔「美へのいざない」 岡潔『岡潔対談集_司馬遼太郎,井上靖,時実利彦,山本健吉』朝日文庫 岡  胡蘭成さんに孔子が作曲したと伝えられる五弦琴の「幽蘭の曲」というレコードをもらいました。かけてみたんですけど、それ聞いたあと、西洋音楽はあれは阿鼻叫喚(あびきょうかん)だなっていう気がしました。孔子は泥おん宮(ないおんきゅう)という世界をよく知っていたから、ああいう曲を作曲できたんですよ。そういう見方で、もういっぺん支那のこれといったすぐれたものを、見直さなけりゃいけない。ところが、これというところはちっとも輸入してない。孔子のいう楽とは、たとえば「幽蘭の曲」のようなものかというところを輸入してない。それどころか、五弦琴すら輸入してないんですよ。十三弦を箏(そう)といい、五弦を琴という、その箏だけ輸入したんですね。これじゃ、孔子の曲を聞けるわけがない。すると、礼楽の楽がわかるわけがない。勉強の仕方がずさんだったんでですね。 井上  そうなんでしょうね。 岡  理屈をいわずに、「幽蘭の曲」を聞きゃあいいんですよ。あのころはレコードがないでしょうから、五弦琴を輸入していくべきです。私はそれを聞いて、西洋音楽のひとつ上の世界の音楽というものがあり得るんだなあと思いました。 井上  先生こそ詩人ですね。阿鼻叫喚で西洋音楽を衝(つ)かれたのはすごい指摘ですね。(97-98頁)  我が頭(こうべ)を回(めぐ)らせど、岡潔の前に詩人なく、岡潔の後に詩人なし。  なお、孔子の「幽蘭の曲」とは、泥おん宮(ないおんきゅう)が奏でる曲、天子の、天人の奏する楽曲を意味すると考えられる。 ◆「ないおんきゅう」の「おん」は「氵に亘」です。 岡  (前略)つまり(ひたいをたたいて)ここでしょうね。中国のことばで、ここを泥おん宮(ないおんきゅう)っていうんです。これは有無を離れる戦いという意味です。だから、ここにあるものは、どれも実体がないんですね。だからして、実体のない思想なんかがあると思ったら、だめなんです。つまり、日本人はすみれの花を見ればゆかしいと思う。それから、秋風を聞けばものがなしいと思う。そのとき、ここには、すみれの花とか秋風とかいうものはない。しかし、ゆかしいもの、ものがなしいものはある。 井上  なるほど。 岡  こういう思想は、東洋にはずっとあるんですが、西洋にはないんです

西田幾多郎「心のことは心にまかせる」

井上靖 岡潔「美へのいざない」 岡潔『岡潔対談集_司馬遼太郎,井上靖,時実利彦,山本健吉』朝日文庫 岡  喜怒哀楽のかな(悲)しいは、前頭葉で感じるんです。ものがなしいのかな(哀)しいは、頭頂葉で感じる。西田(幾多郎)先生のなすったことは、あれは西洋人の哲学の思索ではなくて、東洋の瞑想をなすったんです。パンセではない。瞑想というのは、西田先生によると心のことは心にまかせるということなのです。 井上  いいことばですね。 岡  私は西田先生のもの、読んでおりません。西洋哲学だと思っていたんです。それで、読まなかったんですが、あのことばを聞いて、それじゃやはり釈尊と同じようなことをなすったんだとわかりました。釈尊のしぶきも瞑想だと思う。泥おん宮(ないおんきゅう)に心を遊ばせる、泥おん宮を逍遥すると申しますか、ところで、井上先生は哲学をなすったんですか、美学をなすったんですか。 井上  美学でございます。 岡  まあ、似たもんですね。(72頁) ◆「ないおんきゅう」の「おん」は「氵に亘」です。 岡  (前略)つまり(ひたいをたたいて)ここでしょうね。中国のことばで、ここを泥おん宮(ないおんきゅう)っていうんです。これは有無を離れる戦いという意味です。だから、ここにあるものは、どれも実体がないんですね。だからして、実体のない思想なんかがあると思ったら、だめなんです。つまり、日本人はすみれの花を見ればゆかしいと思う。それから、秋風を聞けばものがなしいと思う。そのとき、ここには、すみれの花とか秋風とかいうものはない。しかし、ゆかしいもの、ものがなしいものはある。 井上  なるほど。 岡  こういう思想は、東洋にはずっとあるんですが、西洋にはないんです。西洋では、まずそこに実体があるとしか考えられない。 井上 逆になっているんですね。 岡 逆なんです。実際見ているのに、そうなんです。(69頁) 「実際見ているのに、そうなんです」とは、「実際見ている」ものには実体がないことが見えていない、というほどの意味であろう。  けっして他人事ではなく、また「有無を離れる戦い」とは凄絶である。

岡潔,井上靖「詩人は指摘する」

井上靖 岡潔 「美へのいざない」 岡潔『岡潔対談集_司馬遼太郎,井上靖,時実利彦,山本健吉』朝日文庫 井上  私は文字の上で詩というものを考えますと、やはり一番大きい影響を受けたのは、伊東静雄という詩人がございましてね。この人は五十歳くらいで亡くなりました。大阪の中学校の先生なんです。一般的にはあまり有名ではありませんけれど…。 岡  初めてうけたまわります、その方の名前。 井上   最近になって、私が関係してますような 詩人の全集には、みんなはいりだしました。その詩人の詩ですけれども ー よそから帰ってきて、書斎の机の前にすわって、蝉の鳴き声を聞くのです。その詩の一説に、「前生(ぜんしょう)のおもひ」ということばが出てきます。 岡  ほう、いいことばですね。それはいいことばですけど、蝉の鳴き声に前生のおもひを感じた人は、いままでに聞いたことがない。(73- 74頁) 井上  詩人といわれる人の仕事は、その(岡潔先生のいわれた)指摘ということでございますね。 岡  行基(ぎょうき)菩薩が、ほろほろと山鳥の、って歌っているでしょ。そしたら、芭蕉はさっそく、ほろほろと山吹散るか、って詠んでいるでしょ。ああいうふうな…あれ、やっぱり指摘でしょうね。 井上  そうですね、指摘でございますね。 岡  なかなか、そんなに指摘の例は数多くあるもんじゃないんですね。(75頁) 井上  三好達治という詩人がおりますね。その人の詩の一節に “ 海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がゐる。そして母よ、仏蘭西の言葉では、あなたの中に海がある。” (『郷愁』より)というのがあります。この詩では、ここだけが詩だと思うのですが。 岡  フランスのことばでは、どうして母が…、ああ、メール(mere)か。 井上  mer(海)に  mere(母)ですね。これは思いつきのように思われるでしょうけど、単なる思いつきの詩ではないんです。 岡  思いつきじゃありませんな。 井上  海と母との関係を指摘した詩です。私は詩の手本として、いつでもそれを感じるんですよ。 岡  ほんとうに詩とはそんなもんです。 芭蕉が山吹に使っている、ほろほろっていうことば、ああいうのを使わなきゃ…。 岡  先生が指摘だとおっしゃった、その指摘ということばで一番よく説明できると思います。(76頁)  ある「もの・こと」と似ても似

岡潔,井上靖「日本民族と詩」

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井上靖 岡潔 「美へのいざない」 岡潔『岡潔対談集_司馬遼太郎,井上靖,時実利彦,山本健吉』朝日文庫 岡  あの、この前の御作『夜の声』、感心いたしました。 井上  おそれいります。(67頁) 岡  井上先生のねらっておられるものは、常に詩ですよ。それぞれ違った味わいの詩を感じます。縹渺(ひょうびょう)として詩がある。それから、なくなってしまった民族の描きだした詩も、われわれの血のなかに脈打っている。なんか、そんな感じで、『敦煌』にしろ、『楼蘭』にしろ、おもしろい。ああいう民族があって、やはり日本民族なんかもあるんだなって気がしますね。滅んだ民族が滅びない民族に、深い色どりを与えているということ…。(72-73頁) 岡  日本民族は、結局、詩がわかるんでしょ。それ以外になんにもわからんのじゃないですか。 井上  詩を失ったら、日本民族を日本民族たらしめている最もたいせつなものがなくなるということになりますね。 岡  ええ、いろいろなものがある、その一番上に位置するものが詩であって、この一番大事なものを日本民族が持っているんだってことを忘れたらだめだ。あとはなにも持ってないんですよ。持ってないからまねようとするが、うまくいかんのです。それで劣等民族だと思うらしい。日本民族くらい、ほんとうに詩のわかる民族ってないだろうと思います。 井上  その一番たいせつなものを失ったら困るし…。それから、全世界はみんなそれぞれ民族特有なものがあるんでしょう。ものの考え方、ものの感じ方、それぞれ違う。全部を一本にできるという信仰が困るんです。(98-99頁) 2022/10/25 岡潔『岡潔対談集_司馬遼太郎,井上靖,時実利彦,山本健吉』朝日文庫  入浴後、マクドナルド 23号新栄店で、井上靖との対談を読み、あまりのことに茫然とし、深夜の書店内を、『敦煌』,『楼蘭』の2冊の文庫を手に彷徨っていた。  帰宅後、 岡潔『岡潔対談集_司馬遼太郎,井上靖,時実利彦,山本健吉』朝日文庫 を読み終えた。 2022/10/26 井上靖『楼蘭』新潮文庫 『楼蘭』を読み終えた。気の遠くなるようなお話だった。秋の陽は短く、闇の気配を感じていた。  伏線の引き方、結末は見事だった。  その後、『敦煌』を読みはじめた。 心急き、以下、「覚書き」です。 2022/10/28 ◇「道の駅 つくで 手作り村」 ◇