「正岡子規 生誕150年_継承」

司馬遼太郎『八人との対話』文春文庫
「師弟の風景 吉田松陰と正岡子規をめぐってーー大江健三郎」

 大江 (前略)そしてたとえば、プラトンが同じように若い人たちと話し合って教育するシステムとしてつくったアカデメイア、紀元前三五0年にできたものがユスティニアヌス帝によって潰される紀元後五00年頃まで、だいたい千年ぐらい続くということがあって、ヨーロッパの学問の規範をつくったと思うんです。ある教育がなされ、それを継承していくということもあるんですね。その継承の仕方ということも、教育のシステムを考える上で重要な要素だと思うんです。
 虚子はほんとうに継承したわけですね。いちばんパッとしないような生徒だったと思いますけれども。(笑)

 司馬 何にしても継承というのは一つの発展でしょうから、正岡子規がやっても高浜虚子がいなければ、日本の短詩型である俳句はもうなかったでしょうね。虚子の人柄には、子規がもっていた書生の清らかさという魅力はなかったですが。(157頁)



赤尾兜子「空海・芭蕉・子規を語る」
司馬遼太郎 対話選集 2 『日本語の本質』文春文庫

 司馬 とにかく、自分の短い生涯で背負いきれんようなテーマを、自分はやっているんだ、という場合にね、お前頼むから後継者になってくれ、といやがるのを追っかけ回してでも、ねじ伏せてでも、後継者にしようとする、というのが大体そういう人のーー僕は大変な人間というのは、たいていそうだろうと思います。大変の大を抜いても、変な人間というのはそんなものかもしれない(笑)。大きなテーマを背負い込んでいる、っていうのはやっぱり変な人じゃないでしょうか。背負い込んでしまっている、という感じの。吉田松蔭もそうでしょ。(109頁)

 司馬 まあ彼(吉田松蔭)は刑死するんですけれども、どうも若死を予感しているような雰囲気がありますね。それで結局、弟子にのしかかるように、自分の持ってる電池でもって弟子のお腹の中にも充電させようとするんですね。子規も松蔭も、教育者といえば真の意味でそうですけど、せっぱ詰まっているでしょ、教育者というのは職業でもあるでしょうが、かれらの場合はせっぱ詰まってしまっている。(110頁)


 司馬 子規というのは、死期を感じてて、自分の生涯をそのまま三十何年なら三十何年と、こう見切ってしまった凄さがあるでしょう。そして、自分の生涯でやれることは半ばで、そのあとをやってくれるのは誰々だというふうに、後継者といのものに異常に執着して…。(108頁)

 司馬 (前略)子規はその真実にまでゆくのは、自分の死後だれかがやればいいと思っていたのでしょう。それは清(虚子)さんがやれとか、秉五郎(へいごろう)(碧梧桐)(へきごとう)がやれとか、いうようなことがあって、かれらが学問(短詩型についての)をやってくれることにあれだけ執着したのはそれだと思います。(中略)
 日本で、リアリズムというものを実際にやって、多分にその行者のようにやって行ったのはこのグループしかないでしょう。そんなのあるかしら、ほかに。(104頁)