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TWEET「早春の湿原をゆく_一輪のタチツボスミレ」

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 葦毛(いもう)湿原の駐車場に、 16時半過ぎに 到着した。自宅から 9km、29分の道のりである。  長尾池のほとりに立つ、白木蓮が開花するのを躊躇(ためら)っている。「咲くのも散るのもただ潔く」 とは、こと木蓮に関してはいえないようである。木蓮には木蓮の事情があるのだろう。  今日は湿原を尻目に、まず 急登から登山道の分岐まで登った。半ほどまで登り、昨日と同じ岩に腰をおろした。しだいに森閑にまぎれていった。身動きもせず、木像になったかのようだったが、体は弛緩し、温もりを感じていた。脳裏 に「かつ消えかつ結」ぶ物思いから、次第に放たれていった。 まばたきが気になり目を閉じた。  今日は 分岐を左に折れ、登山道を登った。 ゆっくりした歩調で、静かに歩を進めた。 「一息峠」を目指した。「一息峠」から「神石山」 (標高 325m)の頂上までは近い。次回には頂上に立つ予定である。  日没を過ぎ、ヘッドライトの明かりを頼りに下山した。勝手知る道で平気だったが、不案内な道ではそうはいかない。野宿をして朝を待つしかないだろう。それには、それなりの装備が必要になる。  明日は荒天の予報であり、明後日からは三連休である。雨はレインウェアでしのげるものの、人出は避けようがなく、四日間の歩行訓練後の四日間の休日、とは豪勢である。  湿原の入り口の木道脇で、一輪の「タチツボスミレ」を見つけた。 「2022/03/17_タチツボスミレ」 「スミレ」と見聞きすれば、岡潔さんの風采が脳裏に浮かぶ。 「奈良市の自宅での執筆風景。岡 65歳の頃」 「奈良の自宅の前で思索にふける。65歳の頃」 ただ者ではない。ただ事ではない。

「立命館大学 白川静記念 東洋文字文化研究所_白川フォント」

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 一昨夜ブログを書くために、[ (サイ)]の字を探した。しかし、[ ]の字は見当たらず、私がいま使用している[ ]は、画像である。  検索していると、 ◇ 「立命館大学 白川静記念 東洋文字文化研究所」 ◇ 「白川フォント」 ◇ 「白川フォント ダウンロード」 のサイトが見つかった。歩けば棒に、ということか。 以下、 「kanjicafe」 さんからの引用である。 「2016年12月、立命館大学白川静記念東洋文字文化研究所が、コンピューター上での利用が困難であった甲骨・金文などの古代文字を、Microsoft Word などの一般的な文書作成ソフトで簡単に利用できるようにする文字フォント「白川フォント」を発表しました。  同研究所ホームページによると、「白川フォント」に収録されている古代文字は、常用漢字(2136字)・人名漢字(650字)の中で古代文字が判明している漢字を対象としており、古代文字の全収録数は4391字だそうです。これらのフォントは無償で公開されており、簡単にパソコンにダウンロードすることができます。  また、同ホームページにある「検索システム」を使えば、入力した漢字の文字列から古代文字を表示させたり、入力した漢字一字から古代文字の画像を検索することができます。」  早速私はインストールして恩恵に欲している。文字を意匠として楽しんでいる。 「文字は神であった」。文字は神々しかった、というのは当然の帰結であろう。 粋なはからいである。ご苦労がしのばれる。

「もう幾日か夜空を渡れば」

 静かな夜です。   明るい月が南の空にかかっています。もう幾日か夜空を渡れば名月です。危うく見逃すところでした。  李白を思うにつけ、白洲正子を読むにつけ、思うのは仲秋の夜の舟遊びのことばかりです。 「ツキヨミの思想」 白洲正子『夕顔』新潮文庫 ただ詩歌の世界ではなくてはならぬ存在であり、月の運行、或いはその満ち欠けにによって、どれほど多くのことを我々の祖先は学んだか。古典文学だけではなく、日常の生活でも「十三夜」、「十五夜」は申すに及ばず、月を形容した言葉は枚挙にいとまもない。月を愛したことでは日本人にまさる人種はいないであろう。(234頁) 「幻の山荘 - 嵯峨の大覚寺」 白洲正子『私の古寺巡礼』講談社文芸文庫  いくつぐらいの時だったろうか、大沢の池に舟を浮べて、お月見をしたこともある。最近は仲秋の名月の夜に、鳴りもの入りで船遊びを行うと聞くが、そんな観光的な行事ではなく、極く少数の物好きが集まって、ささやかな月見の宴をひらいたのである。その夜のことは今でも忘れない。息をひそめて、月の出を待っていると、次第に東の空が明るくなり、双ヶ丘(ならびがおか)の方角から、大きな月がゆらめきながら現われた。阿弥陀様のようだと、子供心にも思った。やがて中天高く登るにしたがい、空も山も水も月の光にとけ入って、蒼い別世界の底深く沈んで行くような心地がした。ときどき西山のかなたで、夜鳥の叫ぶ声が聞えたことも、そのすき通った風景を、いっそう神秘的なものに見せた。(152頁)  秋麗の候、静謐の秋を願うばかりです。

TWEET「アホらし!!」

○○○○ 様 非は一方的に私にあり、という構図ですね。謝罪のひと言もなく、この通知はまるで脅迫状ですね。慇懃無礼。主客が転倒していませんか。ここまで不愉快な思いをしたのは、はじめてのことです。 本多勇夫 ○○○○ 様  貴君の、高圧的、威圧的態度は犯罪行為に近く、最後に「厚顔無恥」とだけ申し上げておきます。これが「大岩保険事務所」さんの手口、やり口、体質、実力ということなんでしょうか。    邪魔立てはさせません。  所長さんにその旨、よろしくお伝えしてくださいませ。 本多勇夫 「旧制三高」 深代惇郎『深代惇郎の天声人語』朝日文庫 京大教授の梅棹忠夫さんが「きらいなもの」を聞かれ、「ざっくばらんが大きらい」と答えているのも面白い。ざっくばらんとは、つまり野蛮なのだろう。(337頁) 「ざっくばらん」とは、前後なく、節度なく、見境なく、ということなのでしょう。 「あまざかる鄙」の明け暮れは、もの言わず腹ふくるることばかりです。

「転ばぬ先の杖はつかない」

 子どもたちと接する際には、「転ばぬ先の杖はつかない」ように心がけているが、時間がないことに託(かこ)つけて、「転ばぬ先の先に杖をつく」失態を繰り返している。「待つ」ことの大切さくらいの心得はあるものの、「猶予もなく」というのが実状である。  「私のカウンセリングの考え方の基本は『無為』ということです。『何もしない』ということですね。それも『何もしないことに全力を傾注する』」 とは、河合隼雄の発言である。  カウンセリングの場面と私の立ち位置と は、自ずから意を異にするが、かといって全く別の世界のできごとでもない。折り合いのつけどころを忖度し、機に応じて子どもたちと向き合うこと、いまの私にいえることはこれしきのことでしかない。 以下、 河合隼雄「何もしないことに全力を傾注する」 です。

「暑気払いに_小林秀雄の遺作『正宗白鳥の作について』を読む」

 明日から夏休みです。予定は未定ですが、夏期講習がはじまれば生活が一変することは明らかで、私の読み書きは壊滅的な打撃を受けることは必至です。この夏の読書週間も最終盤を迎え、井筒俊彦は一度切りにし、昨日から小林秀雄を読みはじめました。 ◇「ゴッホの病気」(『小林秀雄全作品 22 近代絵画』新潮社) を読み、いま、 ◇「正宗白鳥の作について」(『小林秀雄全作品 別巻2 感想 下』新潮社) を読んでいます。「正宗白鳥の作について」は、小林秀雄 最晩年の作品であり、(未完)で終わっています。  「ゴッホの病気」読んでいる最中には、文末表現に違和感をおぼえることがままありました。はじめてのことです。それは、井筒俊彦の哲学の文章ばかりを読んでいた後遺症なのか、それとも小林秀雄の文章に起因するものなのか、定かではなく混乱しています。「正宗白鳥の作について」は、いっこうに平気です。 ◇『小林秀雄講演 第7巻―ゴッホについて/正宗白鳥の精神(新潮CD 講演 小林秀雄講演 第 7巻)』 の行方も気になっています。小林秀雄最後の講演です。  以上、「夏の終わりに_小林秀雄の遺作『正宗白鳥の作について』を読む」、告知編でした。

白洲正子「なんという転倒、なんという気宇」

「ぜいたくなたのしみ」 白洲正子,牧山桂子 ほか『白洲正子と歩く京都』新潮社  この春はお花見に京都へ行った。あわよくば吉野まで足をのばしたいと思っていた。ところが京都へ着いてみると、ーー私はいつもそうなのだが、とたんにのんびりして、外へ出るのも億劫になり、昼は寝て夜は友達と遊んですぎてしまった。花など一つも見なかったのであるが、お天気のいい日、床の中でうつらうつらしながら、今頃、吉野は満開だろうなあ、花の寺のあたりもきれいだろう、などと想像している気持は、また格別であった。 「皆さん同じことどす」といって、宿のおかみさんは笑っていた。二、三日前には久保田万太郎さん、その前日は小林秀雄さんが泊っていて、皆さんお花見を志しながら、昼寝に終ったというのである。  京都に住むHという友人などもっとひどい。庭に桜の大木があるが、毎年花びらが散るのを見て、咲いたことを知るという。千年の昔から桜を愛し、桜を眺めつづけた私たちにはこんなたのしみ方もあるのだ。お花見は見渡すかぎり満開の、桜並木に限らないのである。(「お花見」より抜粋)(70頁) 花に誘われ京へ、そして木も見ず森も見ず、「皆さん同じことどす」と、昼寝を決めこむとは、なんという転倒、なんという気宇。飛び抜けていて、すてきです。

小林秀雄「光悦_天才に裏附けられたこの職人の審美上の自得」

小林秀雄『光悦と宗達』 小林秀雄『モオツァルト・無常という事』 新潮文庫 「彼(本阿弥光悦)が年少の頃から修練した相剣(刀剣鑑定などをいう)の技術は、自(おのずか)ら古刀時代に赴く道を彼に教えたに相違ない。彼にとって、日本の美術の故郷とは、即(すなわ)ち日本人が空前絶後の名刀を作り得た時代であった。そして、彼は、それを、砥石(といし)の上で、指の下から現れて来るのを見たのである。天才に裏附けられたこの職人の審美(しんび)上の自得が、桃山期という美術史上の大変革期に際して、諸芸平等と観じもし、そう実行もした彼の生活の扇の要(かなめ)の如(ごと)き役を果した様に思われる。」(186頁) 「彼の指は、名刀に訓練された視覚に導かれ、当代の需要に応ずる為に、健康児の動きのごとく的確に鋭敏に、休みなく運動した。(狩野)探幽(たんゆう)の理想も(狩野)永徳の夢想も、彼を驚かすに足りなかったのである。」(186-187頁)  「相剣」、また「名刀に訓練された」光悦の眼は、ゆるぎないものだった。「形」をとって鮮やかに映じる眼に、虚実を過つことはなかった。そしてそれは、創造へと向かった。自身の仕事に最も厳しい目を向けるのが「職人気質」というものだろう。  本編においても小林秀雄の筆はさえわたっている。浮浪の輩である「観念」の内に夢遊することを一貫して拒み、これを退けている。小林秀雄の信用したものは、確かな「形」あるものだけだった。  光悦なり、また宗達なりの人品に接したことのない私に書けるのは、いかほどのものでもない。ただ小林秀雄の織りなす文章の「形」に見入っているだけである。本末が転倒している。かといって、やめられないのも、また事実である。

白洲正子『名人は危うきに遊ぶ』新潮社_まとめて

◇ TWEET「雑味をおぼえる」 ◇ 白洲正子「福原麟太郎_大人の文章」 ◇ 白洲正子「短い生をたのしまずば如何せん」 ◇ 洲之内徹「セザンヌの塗り残し」 ◇ 白洲正子「西行と私」 ◇ 「行き着く先」 ◇ 「小暑の日に記す」 ◇ 「いま最も気になる、坂本睦子という女性」 ◇ 「いま最も気になる、坂本睦子という女性_参考文献」 ◇ 「拝復 P教授様_ヤクザよりもヤクザな世界です」 ◇ 河上徹太郎「沈黙は相手を選ぶ」 ◇ 小林秀雄「河上(徹太郎)の方が大事なんだ」 ◇ 白洲正子「美神は常に嫉妬深い」 ◇ 白洲正子『名人は危うきに遊ぶ』_特装本

「いま最も気になる、坂本睦子という女性」

「魔性の女」といえば、坂本睦子は、確かにその範疇におさまる女性だが、この世のスキャンダル、狐と狸の化かし合い、惚れた腫れたは、私の関心の埒外のことであって、しかしなお私が坂本睦子に魅かれる理由は、坂本睦子に「超然」としたものを感じるからである。「神々に愛された女性」をみるからである。 「むうちゃん(坂本睦子)は、李朝(りちょう)の白磁のように物寂しく、静かで、楚々(そそ)とした美女であった。若い頃の写真を見たことがあるが、私にいわせれば年をとってからの方がはるかに魅力があったように思う。」 白洲正子『いまなぜ青山二郎なのか』新潮文庫(118-119頁) 繊細な感性の持ち主である、昭和の文壇を華やかに彩った文士たちの嗅覚は鋭く、放っておくはずはなく、放っておかれるはずもなく、 「曰(いわ)く、直木三十五(さんじゅうご )、菊池寛(かん)、小林秀雄、坂口安吾(あんご)、河上徹太郎、大岡昇平 ect ect。」 「銀座に生き銀座に死す」白洲正子『行雲抄』(40頁) あまたの遍歴を重ねて、なお汚れなき坂本睦子は無邪気です。 「そういう意味では、昭和文学史の裏面に生きた女といってもいい程で、坂本睦子をヌキにして、彼らの思想は語れないと私はひそかに思っている。」 白洲正子『いまなぜ青山二郎なのか』新潮文庫(118頁) 坂本睦子は、自死という形で数奇な人生の幕を引いた。「神々に愛される」ということは、ときに非情です。 「いま最も気になる、坂本睦子という女性」_参考文献 ◇「銀座に生き銀座に死す」 白洲正子『行雲抄』(34-53頁) ◇ 「ある回想」 野々上 慶一『ある回想―小林秀雄と河上徹太郎』新潮社  (9-33頁) ◇『ある回想』を読んで 白洲正子『名人は危うきに遊ぶ』新潮社(181-186頁) ◇白洲正子『いまなぜ青山二郎なのか』新潮文庫(111-123頁) ◇ 「ある回想」 野々上 慶一『ある回想―小林秀雄と河上徹太郎』新潮社  (9-33頁) は、この夏一番のお薦めです。「大人の友情」です。「高級な友情」です。 以下、 小林秀雄「河上(徹太郎)の方が大事なんだ」 白洲正子「美神は常に嫉妬深い」 です。

TWEET「私の『早春スケッチブック』」

 どうしようもなく、山田太一の『早春スケッチブック』が読みたくなり、早速注文しました。古書です。  昨日 五六歳になりました。  私の「早春スケッチブック」の一頁目には、なにを描(か)こうか。なにを描くのが適当か。いっそのこと 白紙のままがいい、とそんなことを思いつつも、 時は 容赦なく、私の 「 早春スケッチブック」 に、私の 今を描(か)きこんでゆきます。時は非情です。 「ありきたりなことをいうな。お前らは、骨の髄までありきたりだ」 「いつかは自分自身をもはや軽蔑することのできないような、最も軽蔑すべき人間の時代がくるだろう」(ニーチェ) 直截的な強い物言いを欲してのことです。

「慶祝!慶賀!!」

頌春 新春にふさわしく温かく、穏やかな日になりました。 司馬遼太郎 『空海の風景』とともに年を越し、 『空海の風景』とともに新しい年を迎えました。今年を『国語元年』(井上ひさし)と位置づけました。 皆様方のこの一年のご健康とご多幸、またますますのご雄飛をお祈りしております。 本年もかわらぬご厚情を、よろしくお願いいたします。

「おもしろうてやがて悲しき_ポッピン(ビードロ)」

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歌麿の「ポッピンを吹く女」を目にするたびに、ビードロばかりが気になり、 先日ひょんなことから、 オンラインショッピングで購入できることを知り、早速注文しました。 「長崎びーどろ幸瓶」 「ビードロは長崎を代表するアンティークなギフトとして喜ばれております。 長崎開港により長崎に移り住んだポルトガル人が始めたガラス細工は「びいどろ」と呼ばれ、ポルトガル語の『Vitreo(ガラス)』が語源といわれています。」 鎖国中にはポルトガルとの交易はありませんでしたので、ビードロは 安土・桃山時代の南蛮貿易で、ポルトガル人によってもたらされたものでしょう。 音を出すにはかなりの力がいります。かん高く大きな音がします。かそけく哀しい音色を想像していましたので、興ざめがしました。しかし、これしきのものではあるまい、と思い直し、試行錯誤しているうちに、ほおを膨らませぎみにして、口の中の圧力を高めて吹くと、容易に音が出ることがわかりました。吹いて、「ポッ」っと音がした後、止めた息をしばらくそのままにして、「ペン」っと鳴らすと、哀愁を帯びていい感じになります。 ポッピンを手に、時折、「ポッ」「ペン」と鳴らし、物思いにふける当時の女性たちのことを思ったとき、漱石先生ならば、きっと、 「呑気と見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする。」(『我輩は猫である』)とでもいったような気がしてなりません。 ビードロは、ガラス細工ですので透明感があり、華奢です。模様は異国情緒を感じさせます。 ポッピンを哀しきひとり遊びの玩具(おもちゃ)とするには、いま少し時間と工夫が必要なようです。

「今日はエイプリルフールですね」_ウソかマコトか?

今日はエイプリルフールですね。人を煙(けむ)に巻くにはもってこいの日ですね。 実は、 2016/03/20 に、今シーズンはじめてブラックバスを釣りに出かけました。「 2016年 開幕シリーズ」の幕開けです。向かった先は、例によって「立ち入り禁止」、「釣り禁止 」の禁断の P池です。夜間に釣行しました。 昨秋からの一連の「池干し」騒動で、 『Silent Spring』 ( レイチェル・カーソン『沈黙の春』新潮文庫 ) 「"Silent spring” means"a spring without life”」 「生命なき春」 か、との懸念を払拭することができずに、のぞんだ開幕戦でした。 まっ先に命に触れたくて 、ダウンショットでピンポイントをねらいましたが、池の底に群生するオオカナダモにはばまれて、ワームを動かすことができずに敗退しました。底が取れないならばと、サーフェース、サブサーフェースへとねらいを変え、 Stroud 43R-F イトウカラー を投げると、早速 アタリが ありました。命は息づいていました。生命 に触れ、命の躍動を感じたことで胸をなでおろしました。 そのまま Stroud を投げ続けること数投目にして、 Stroud に 今季初のバスが飛びついてきました。Stroud をくわえたちびっ子バスは、春まだ浅き、ということなのでしょうか、 凍てついたような寒々とした乳白色をしていました。その後、 BAVY PENCIL にアタリが1 、WAVY 50S  チャートバック オレンジベリー で釣果2、 というでき過ぎの開幕戦でした。 真冬の衣装を着込んでのぞんだもののまだ寒く、手の冷たさには閉口しました。 帰路暖をとるためにマクドナルド一号線殿田橋店さんに駆け込み、一人反省会をしました。 以降、昨日で10戦の「 2016年 開幕シリーズ」をこなしました。すべてが夜間、または深夜釣行です。12日間で10戦です。ハードです。過密です。 「釣り」が目的というよりも「ベイトリールのセッティング」が主目的です。セッティングには、今しばらく時間がかかりそうです。元気に今夜も出かけます。頑張って明晩も釣行する予定です。 夜な夜な足繁く通い詰めます。 ウソかマコトか? 今日は...

「弥勒菩薩 京都 廣隆寺」

もう十回にもなろうかと思います。廣隆寺を拝観すれば、その逗留時間はいつも長く、弥勒菩薩の御前にしつらえられた長椅子に腰を下ろし、居眠りをすることも珍しいことではありません。安らけく寝ませていただくために訪れているのかもしれません。 菊池正浩「取材ノート 悩む『美しい青年』」 「なぜ、これほどまでに魅力的なのか」(46頁) NHK取材班『NHK 国宝への旅〈1〉』NHK放送出版協会  広隆寺の弥勒菩薩は、もともと専門家のあいだでは、“仏像鑑賞第一課”とよばれていたときく。それほど多くの人々が、この仏像をきっかけとして仏像の魅力にとりつかれ、多くの仏像を鑑賞しては、また、この仏像にまいもどってくるということをしめしているのだろう。 (中略)  仏師は、造形を探り、哲学者は、ことばを選ぶ。戦後、ここを訪れたドイツの哲学者のヤスパースのことば。  「この広隆寺の仏像には、本当に完成され切った人間実存の最高の理念が、あますところなく表現されています。それは、この地上におけるすべての時間的なるものの束縛を超えて達し得た、人間存在の最も清浄な、最も円満な、最も永遠な姿の表徴であると思います」   仏師の西村公朝さんは、次のような分析をしている。 「身体の不均衡的な弱さに対し、明るい笑みをたたえた顔の表情に特殊な魅力があり、しかも胴部の角柱に近い大きな面取りによる立体感や、ギリシャ鼻風に通る鼻筋などには、われわれをして近代彫刻を想わしめるような美的効果のあること」  哲学者がこの仏像に“人間実存の最高の理念の表現”をみ、仏師は“近代彫刻を想わしめるような美”をみるところに、この仏像が永遠の生命をもって人々に働きかける秘密の一つが隠されているようである。

五木寛之講演「見て知りそ 知りてな見そ」

学生時代キャンパス内で、二年連続二回にわたって五木寛之さんの講演をお聴きする機会に恵まれました。 五木寛之さんは、その都度、 柳宗悦の、 「見テ 知リソ 知リテ ナ見ソ」 についての お話しをされ、強く印象に残っています。 古典文法で「な〜そ」は禁止の意を表すことを、高校時代に教わった記憶があります。 下記、 「見テ 知リソ 知リテ ナ見ソ」★「心偈(こころうた)」 さんのサイトからの 孫引きです。近日中に出典にあたりたいと思っています。 「見テ 知リソ 知リテ ナ見ソ」は、 柳宗悦の『心偈(こころうた)』の中の言葉だと記されています 。『心偈』の「自偈自注」の中には、 「『ナ見ソ』とは『見るな』という否定語。ここで『見(けん)』といふのは、直觀の意味である。『知』といふのは概念のことである。先づ直觀を働かせて得たものを、後から概念で整理せよと云うものである。(中略)『知るより前に見よ』『知ることを先にして、見ることを後にしてはしけない』」 と、 書かれて いるとのことです。 小林秀雄さんの「直覚と分析」について思いをめぐらせています。次回は、「直覚と分析」です。 以下、 小林秀雄「直覚と分析」 です。 下記、余談 です。 講演で、「遊郭の話をしてもよろしいでしょうか」との五木寛之さんの事前の打診に対して、東大では「それは困ります」と丁重にお断りされたそうですが、早大では「結構です」との寛容なお答だったそうです。「人は信ずるに足る」という結構なお話でした。

小林秀雄「本当に、死が到来すれば、万事は休する。」

小林秀雄最後の対談「歴史について」考える人 2013年 05月号 新潮社 (32頁) 「繰り返して言おう。本当に、死が到来すれば、万事は休する。従って、われわれに持てるのは、死の予感だけだと言えよう。しかし、これは、どうあっても到来するのである。」 ー「本居宣長」より 昨年よりインターネット上で自己主張をはじめました。それからというもの、残された時間について、死について思うことが多くなりました。当年とって五十五歳。人生の折り返し地点をとうに過ぎ、少なからぬ危機感を抱いています。焦燥感にまとわりつかれています。身辺の整理を、優先順位をつける必要を感じています。

TWEET「校正」

卒塾生で、私大で 入試業務を担当している女の子がいます。来塾された折、校正について聞くと、 「大学案内の原稿には、四人の職員が目を通していますが、一年後に間違いに気づくこ ともあります。一番怖いのは、入学金や授業料などの数字の間違いです。」 と言っていました。 写真館にお勤めの女の子は、 「卒業アルバムの、個人写真の名前を間違えないように細心の注意をはらっています」 と話していました。 校正とは字面を追う作業ですので消耗します。 誤字脱字は、ハナからあきらめています。自分が書いた文章を、自分一人で校正するのはどだい無理なお話です。いたし方のないことです。誤字で最も多いのは漢字変換の誤りです。はじめに変換された漢字で確定してしまうことがままあります。直筆の文章ではありえないことです。 追記: 写真館にお勤めの女の子の、かぶれてかゆそうな手が気になりました。聞くと、着物を着つける際に、着物についたホコリが原因でかぶれます、とのことでした。介護士の女の子は、ゴム手袋に手を通す際に、手の滑りをよくするために、手袋の内側に塗布された粉末でかぶれます、と話していました。痛々しい手を目の当たりにして、かけてあげる言葉も見つからないままに、立ち尽くしていました。

フルトヴェングラー「バイロイトの第9」1951年7月29日

ヴィルヘルム・フルトヴェングラー「ベートーヴェン:交響曲第9番《合唱つき》[バイロイトの第9 / 第2世代復刻]」 1951年7月29日 delta classics  EMI盤でしか聴いたことがありません。今日中には手元に届きます。デルタ社さんの「バイロイトの第九」、とても楽しみにしています。   マスタリング、リマスタリングは、臆することなくいえば「記録芸術」です。いかに技術が長足の進歩を遂げようとも、ゆきつくところは人の感性であって、創造力です。 私には遠くおよびもつかない、かけ離れた世界のできごとです。   演奏の一回性ということを思います。後世に遺そうという企図は 作品を変えずにはおきません。まず、時が、ところが圧倒的に違います。これは、文化や自然全般についていえることです。本来の姿をそのままに遺すことは不可能です。人の手が加わります。後には擬似的なものが遺るだけです。自然は不自然なものになります。逆説めいた宿命です。 トップカスタマーレビュー 5つ星のうち 5.0 名演奏!!!名復刻!!! 投稿者 jimi-lee 投稿日 2007/1/28 形式: CD 素晴しい復刻である!!!  ここ数年バイロイトの板起しのリリースが続き、食傷ぎみではあったが、このディスクは素晴しい音質である。オーボエ・フルートなど高音部は伸びやかになり、コントラバス・ティンパニなど低音部は膨らまずに引き締まり、リアルで熱気を帯びた音がスピーカーから突き出して来る。  かと言って、変なデフォルメのない、自然でノーブルな美しい音色が聴かれる。  他社既発売のものに比べ、更についたてを一枚取りはずしたような、眼前に迫って来る音像となっている。まさに、オーケストラの直前で聴く臨場感がある。  元々音が良くないと思っていたバイロイトとは信じられない!!  また、デルタ独自のノイズ除去により、レコードのトレースの際の物理的雑音は驚異的な少なさである。また、その処理による音質への影響は全く感じられない。 (当然、聴衆の雑音は残っている、また咳などのリアルなこと・・・)  正規CD、レコードからの板起しにかかわらず、現在入手できるメディアの中で、トップクラスの音質である事は間違いない。  迷うことなく、当デ...

フルトヴェングラー「第五交響曲」1947年5月27日

ヴィルヘルム・フルトヴェングラー「ベートーヴェン:交響曲第5番」 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 ユニバーサル ミュージック クラシック を購入し、聴いています。歓喜に満ちています。  聴くということと指揮をするということ、演奏を することの近さ に思いをいたしております。よく聴くということは至難であって、創造の世界です。マスタリング、リマスタリングの世界も然りだと思っております。 私には遠くおよびもつかない、かけ離れた世界のできごとです。   演奏の一回性ということを思います。後世に遺そうという企図は、かつて成功した試しがありません 。まず、聴き手が聴く、時が、空間が圧倒的に違います。これは、文化や自然一 般についてもいえることです。保存とは、人の手の入った擬似的な形を遺すことでしかありません。逆説めいた宿命です。 小林利之「フルトヴェングラーの『第5』録音」(ジャケットより)  1947年、ようやくベルリン・フィルハーモニーを指揮できる状況になり、5月25日から29日にかけて、前後4回の演奏会の指揮台にフルトヴェングラーは立つ事になった。廃墟のままのベルリン、戦後のおそろしいほどの衣食住の窮乏が続いていた時代である。1枚の入場券のために幾日も前から行列に並んだ人や、当時、貨幣なみに通用していた貴重な配給のコーヒーやタバコ、中には大切にしていた自分の靴を差し出す人もあったという。ティタニア・パラストの舞台に「フルトヴェングラーが現れると、ホールをうずめた2000の聴衆はまるで狂気にかられた様だった。立ち上がり、拍手し、大声で叫ぶ。オーケストラの楽員たちも起立した。ーー(中略)フルトヴェングラーは《エグモント》序曲、《田園交響曲》および、第5を演奏した。演奏が終わったとき、喝采は何時はてようともしなかった。もう聴衆はこのホールから出て行かないのか、と思われるほどの場面が長くつづいた」(クルト・リース『フルトヴェングラー、音楽と政治』より)。  このCDに聴く「第5」と《エグモント》序曲は、歴史的なフルトヴェングラーのベルリン・カムバック・コンサートの第3日目にあたる1947年5月27日の演奏である。 ヴィルヘルム・フルトヴェングラー「ベートーヴェン:交響曲第5番」 5つ星のうち 5.0 ...