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11月, 2017の投稿を表示しています

「草紅葉照る湿原を行く」

カヤの茎、またササの葉の黄葉に薄ら日が射し、思いのほか明るい湿原でした。草紅葉に照る湿原をはじめて目にしました。冬枯れの湿原ばかりを想像していただけに意外でした。移りゆく季節の片隅にそっとたたずんでいたいと思っています。

小林秀雄「井伏君の『貸間あり』」

「小林秀雄と骨董 青柳恵介 [古美術評論家] 」 白洲信哉 [編]『小林秀雄 美と出会う旅』 (とんぼの本) 新潮社  最後に、『考えるヒント』に収める「井伏君の『貸間あり』」に見える次の文章を読んでいただきたい。  「かつて、形というものだけで語りかけて来る美術品を偏愛して、読み書きを廃して了った時期が、私にあったが、文学という観念が私の念頭を去った事はない。その間に何が行われたか。形から言わば無限の言葉を得ようと努めているうちに、念頭を去らなかった文学が、一種の形として感知されるに至ったのだろうと思っている。私は、この事を、文学というものは、君が考えているほど文学ではないだとか、文学を解するには、読んだだけでは駄目で、実は眺めるのが大事なのだ、とかいう妙な言葉で、人に語った事がある」  この文章は冒頭に引いた昭和十七年の「『ガリア戦記』」から、そのまま続いているのである。  以降、どうしようもなく「貸間」のことが気になり、早速、 「井伏君の『貸間あり』」(「小林秀雄『考えるヒント』文春文庫 34-43頁) を読み、「貸間あり」が収められている、 『井伏鱒二全集〈第11巻〉』筑摩書房 を、古書店に注文した。  「貸間あり」「貸間あり」「貸間あり」。不動産業者にでもなったかのような妙な気がしている。 (106頁)

「前略 Nさんへ_いよいよ先が見えましたね」

おはようございます。 研究授業、どうもお疲れさまでした。 一昨日お父さんとのメールのやり取りで知りました。 先が見えましたね。 「明日は、しっかりお別れをしてきてください」と、卒業式を明日にひかえた子どもたちには、毎年いっています。 お疲れのことと拝察いたします。 くれぐれもご自愛ください。 TAKE IT EASY! FROM HONDA WITH LOVE. 追伸: 以下、「TWEET『咳(しわぶ)き一つ』」です。 https://jukuhinokuruma.blogspot.jp/2017/11/tweet_29.html 父が、右の第6,7肋骨を骨折しました。 アレルギー性鼻炎による、十数余回におよぶ「くしゃみ」が原因とみられます。 「なんでまた、どうしたものか」と思っています。

TWEET「咳(しわぶ)き一つ」

 右胸上部に痛みを訴える父のつき添いで、昨日整形外科にいきました。 右の第6,7肋骨、 骨折との診断でした。レントゲン写真には、骨折を示す二本の斜線が写っていました。 夜トイレに起きた際の、アレルギー性鼻炎による、十数余回におよぶくしゃみが原因とみられます。 全治三週間とのことでした。痛み止めのテープと錠剤が出ました。次回の診察は、12/12です。  「咳 き一つ」と書きましたが、書いてみたかっただけのことで、実際には「くしゃみ」であり、「 十数余回」です。 今、「苦沙弥先生」のことを思っています。 2017/01/24  司馬遼太郎「漱石が発明した文章語」 より。 昨年が漱石の没後百年、今年が生誕百五十年にあたることを、うかつにも昨年の暮れ、新潮文庫のキャンペーンではじめて知りました。それは奇しくも、司馬遼太郎の「文学から見た日本歴史」を読んだ直後のことでした。 「太平の逸民」には、やはり「咳き」よりも「くしゃみ」が相応しく、病因には、「くしゃみ」よりも「咳き」が相応である。 「呑気と見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする」(夏目漱石『吾輩は猫である』) などと愚にも付かないことを思いつつ、早一年、今年も暮れようとしています。 以下、 山村修『増補 遅読のすすめ』ちくま文庫(全) です。

「シリーズ授業_サイクロンとダイソンの深い関係」

中一生との授業でのこと、地理の教科書に「ハリケーン」の記載がありました。  「日本では、『台風』『typhoon』。じゃあ、インドではなんていうの?」 との私の問いかけに、間髪を入れず、  「ダイソン」 またしても、あのMさんのご発言に、私は感心しつつも大笑しました。調べると、確かに「ダイソン」のウェブサイトには「サイクロンの技術」という言葉がみられます。今回の笑いは高尚すぎたのか、残る三人の女の子たちは、私がなぜ笑っているのかわからないようで、静まりかえっていました。  「竜巻は、トルネード」 というと、  「あっ、トルネードソフトクリームってあるよね」 というご返事。やはり今どきの中学生は、抜け目なく、容赦なく、強敵です。

「小林秀雄_その言葉の配列の妙味」

 小林秀雄の文章のおもしろさは、内容の如何はいうにおよばず、言葉の配列の妙味にある。文章を読みつつ、次におかれた言葉を予測することはほとんど不可能である。破格な言葉づかいもあれば、難解な言葉が配されることもある。また、その一語から景色が一変することもある。  自在であり適材適所であって、小林秀雄の切実さのあらわれである。言語での果敢な挑戦であって、他の芸術に比肩するものである。 以下、 「小林秀雄の文章の美しさ」 です。

TWEET「異 能」

 つい今しがた、歯を磨いている最中に「異能」という言葉がふと頭にうかんだ。思えば、いま私は専ら、「異能」の持ち主の方たちとばかりおつき合いをしている。たとえ「異能」の持ち主といえども、そこに共通項がなければ理解することは不可能である。それは僅差のようにも思うが、その差異を埋めるためには如何せんと思えども、如何ともし難く、おつき合いさせていただけるだけで光栄に思っている。  歯磨き中の出来ごととしては異例のことであった。異例ずくめとなり茶飯事になるのか、楽しみにしている。

TWEET「『とんぼの本』_どこか不自由で窮屈です」

2017/11/14  先週末 新潮社の「とんぼの本」を四冊買いました。傍らにはいつも 白洲信哉 [編]『小林秀雄 美と出会う旅』があります。あとは白洲正子のものと司馬遼太郎のもの。そして、荷風が今日届く予定です。  「とんぼの本」は、誠によくできた本ですが、その便利さゆえに、 どこか不自由で窮屈な感じがします。手っとり早いことの危うさを感じています。やはり、「君子危うきに近寄らず」ということなのでしょうか。

TWEET「湿原に咲く花」

  『野に咲く花(山溪ハンディ図鑑)』山と溪谷社 のアプリを購入した。そこには、求めていた「湿原に咲く花」の記載はなかった。勇み足だった。  その後『尾瀬みっけ!〜おふらいんで使える尾瀬の花図鑑〜』をダウンロードしたが、おのずから植生が異なっていた。   吉田豊『花かおる 葦毛湿原』ほおずき書籍 の購入が適当なのは、はじめからわかりきったことであったが、Amazon の古書店では、1.6498円の値段がつけられており、高嶺の花である。たとえ購入したとしても、著者に印税が入るわけでもなく、健全な価格を待って、毎日ウォッチングしています。 追記:山と溪谷社の月刊誌『山と溪谷』を、『山と広告』と揶揄した人の諧謔は、的を射ており、痛快です。

「拝復 P教授様_溺死寸前です」

「陣中お見舞い申し上げます。 必ず、30分でも自分の時間、内省の時間をもつように心がけて下さい。 『塾の為に生きるより、塾と共に生きる』」  陣中見舞い、また貴重なご提言、どうもありがとうございました。  午前中には三時間、中二生の国語の授業をしました。多くの中学生にとって日本語は荷が重く、溺死寸前です。字面を追うことさえままなりません。 村上春樹「僕の作品は誤読の集合」 の、さらに上をいくものです。  活字を遠ざける子どもたちにとっては、自学自習も読書も何も満足にできず、気の毒です。 「塾との心中は、御免こうむりたく存じます」 では、では。 すてきな週末をお過ごしください。 また、 時節柄くれぐれもご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE.

「拝復 P教授様_『薫習』という遺失物」

「『薫習』という言葉を拾いました。」 「薫習」、確かに身にひき受けました。持ち主には気の毒ですが、自家薬籠中の物として、いただいておきます。  週明け早々に定期テストが組まれています。明日、明後日の授業の準備に追われています。自転車操業です。 ご返信が遅れて、申し訳なく思っております。 くれぐれもおだいじになさってください。 ご自愛ください。 TAKE IT EASY! FROM HONDA WITH LOVE.

「『いま最も気になる、坂本睦子』という名のブログ」

2017/07/10 に掲載したブログ、 「いま最も気になる、坂本睦子という女性」 の閲覧数が多く「気になって」います。毎日のようにいくつかの閲覧があります。 検索結果の上位に位置するようになれば、自ずから閲覧数が多くなり、それが好転を繰り返すのはネット上の必然です。これは、 五木寛之講演「見て知りそ 知りてな見そ」 (2016/03/04) についても同様のことがいえます。しかし、五木寛之講演「見て知りそ 知りてな見そ」は、いまだに孫引きのままの、未完成のできそこないで、それが「本家」より上位に位置しているのは心安らかではありません。 閲覧数1のロングテールを、毎日楽しみにしています。なかには忘却のかなたにあるブログもあります。 「ロングテール その一」 「ロングテール その二」 かなりの数の引用文を載せました。ブログは私のスクラップブックでもあります。再読を、また遅読をする際には、ブログが最優先、という図式が出来あがりつつあるのは、うれしくもあり頼もしくもあります。

「小雪の日に思う」

 紅葉が見ごろを迎えています。とりどりの葉は、「小雨」にぬれて明るく、つややかな秋の夕暮れでした。

「シリーズ授業_思わず口をついてでた『馬鹿』のひと言」

中一生の授業で、「三大穀物」の話をしていました。  「とうもろこしは主に何になるの」 との私の問いかけに、すかさず、  「ポップコーン」 とのお答がMさんから返ってきました。 我知らず、  「馬鹿」 のひと言が、思わず口をついて出てきてあわてましたが、後の祭りでした。  「飼料」との答を期待していました。私の問いかけが舌足らずだったことは認めますが、それにしても今どきの中学生は抜け目なく、容赦なく、強敵です。  「『馬鹿(板書)』っていうのは、馬も鹿も区別できない人のことを『馬鹿』っていうんです」  「私、馬鹿かもしれない」  ことさらに愉快なMさんの動向からは今後も目が離せず、トリックスターとしての大活躍に期待を寄せています。

TWEET「テスト週間です」

  今日からテスト週間です。 11/27,28 に定期テストが組まれています。 子どもたちにとっては御難であり、私にとっては御難続きです。  テスト週間という空白な時間の前後で、私の興味は一変します。死と再生を繰り返すことの是非を思います。  事前の準備ができない私にとっては、いつも突貫工事のやっつけ仕事です。今回も突貫工事のやっつけ仕事で急場をしのごうと思っています。

「秋の湿原を行く_枯野抄」

 16:00 時に間に合うように家を出た。休日のにぎわいだけは避けたかった。車から降りると、陽が西に傾いていた。初時雨が冷気をもたらした。一つ季節がめぐった。  初冬の湿原に渡された木道上を目を凝らして歩いた。時折遅咲きのスズカアザミとウメモドキの花を目にしたが、それらは冬の到来を告げるものだった。一日にして一変した。  編を改め、「冬枯れの湿原を行く」を書こうと思っている。

TWEET「初時雨」

 時雨ている。「初時雨」に「七・五」を、「七・五・七・七」がつけられるといいのだが、非才を恥じている。  芭蕉。時雨忌。芭蕉は時雨どきを好んで詠んだ。季節の変わりめに面白みがあるくらいのことは、私にもわかるが、時雨どきの朝な夕なを思ったとき、ことさらに句作の情があるのか、ないのか。  しかし、山頭火の、 「うしろすがたの時雨れてゆくか」 この哀しみは、どうだろう。

「秋の湿原を行く_ゆく秋を惜しむ」

 深まりゆく秋の湿原に行ってきました。やむにやまれぬ十日の日数(ひかず)を経ての湿原は、冬支度に余念がないことと思われ、ゆく秋を惜しんできました。  めぐる季節をうめしく思ってもしかたのないことですが、親しんだ季節には親愛の情があり、愛惜の情があります。  しばし木道上に立ちすくみ、感傷にひたっていました。

TWEET「東慶寺詣でが続きます」

 昨夜( 2017/11/13) 授業後、「縁切寺」から「東慶寺」を思い、「小林秀雄」を想いました。「東慶寺」のウェブサイトを訪れ、「小林秀雄」の石塔を拝し、「東慶寺」に咲く今ごろの花々をみながら時を過ごしました、とここまで書いたところで、薬効著しく眠りに引きこまれました。「ヤク」によって、昼夜の逆転からかろうじて免れています。  先週末 新潮社の「とんぼの本」を四冊買いました。傍らにはいつも 白洲信哉 [編]『小林秀雄 美と出会う旅』があります。あとは白洲正子のものと司馬遼太郎のもの。そして、荷風のものが今日届きます。  その後も「東慶寺」を詣で、「小林秀雄」の石塔を拝し、「東慶寺」に咲く折々の花々を鑑賞する日が続いています。「東慶寺」の境内に咲く花はとりどりです。ぜひ、すてきな写真群をご覧になってください。 2008/12 以降に掲載された投稿写真です。企画の勝利です。  東慶寺は何度か訪れました。なにをするともなくただたたずんでいました。貴重な時間でした。 以下、ご案内です。 「松岡山東慶寺」 → 「東慶寺ガイド」 →「 墓苑」 →「 東慶寺墓苑地図」 → 「それぞれの墓地をクリックすると、詳細がご覧になれます。」 「松岡山東慶寺」 → 「東慶寺ガイド」 →「 東慶寺フォトギャラリー」  なお、「小林秀雄」の墓石となっている「五輪塔」については、後日書かせていただきます。

「拝復 P教授様_お猿さんたちとは遠く距離をおく」

おはようございます。 「確固たる信念」をもってのぞまないと、余生がだいなしになります。だいなしにされてしまいます。お猿さんたちとは遠く距離をおくことにします。お猿さんたちにふりまわされないように気をつけます。 朝早くからのご心配、どうもありがとうございました。 時節柄くれぐれもご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE.

「へたれでお天気屋の秋の湿原行」

 「くもりのち雨」の予報の土曜日には、雨に降られたら一大事と、駆け足で湿原を一巡し、日曜日には、休日のぎわいを思い逡巡し、秋雨のそぼ降る月曜日には考える余地はなく、へたれでお天気屋の自分を思います。  小春日和の今日、湿原には枯れ草色が目立ち、晩秋がただよっていました。風に吹かれたのか、秋草のなぎ倒された場所が散見されました。繊細でかぼそい秋の千草は、狼藉にはひとたまりもなく、草紅葉を楽しみにしている私にとっては困りものです。  小さな白い花をつけたウメバチソウが満開でした。思いがけなくも、白い花弁のヤマラッキョウを目にしました。  木道上で微動だにせず、私を威嚇し私の行くてをはばむ、勇敢な二匹のカマキリに男気を感じました。

TWEET「五十有五歳 荷風老人」

 昨夜深更帰宅し、沓脱ぎで、右足に「オリーブ色に赤を基調とした靴ひものトレッキングシューズ」、左足に「黒ずくめのウォーキングシューズ」を履いてることに気づき、あわてました。とんだ履き違えでした。老化はいよいよ進行し、ついに末期症状か、と覚悟しました。  かぞへ見る日記の巻や古火鉢       五十有五歳 荷風老人            『断腸亭日乗』より  荷風は、「五十有五歳」にして「老人」を名乗り、「五十有六歳」になる私はもう立派な老人のお仲間入りか、などと感慨にふけっていた矢先の一撃でした。  まあ、笑ってすますに如くはなく、今回はのん気に陽気に笑ってすますことで落着しました。

「Nさんへ_父への手紙のご返礼に」

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おはようございます。 父へのお手紙、どうもありがとうございました。一昨日の夕方、ポストに投函されていました。 当地では、紅葉が見ごろを迎えました。以下、市内の「葦毛(いもう)湿原(東海のミニ尾瀬)」で見つけた、千草の間に隠れるように咲いた小さな花々です。七日間にわたっての散策の成果です。お手紙へのご返礼です。お便りへの深謝です。 「スイラン」 「スズカアザミ」 「ホソバリンドウ_1/2」 「ホソバリンドウ_2/2」 実習中、ご無理だけはなさら ないようにと祈るばかりです。くれぐれもご自愛ください。 TAKE IT EASY! FROM HONDA WITH LOVE. 追伸: 眠気覚ましにコーヒーを口にし、髪の毛はのび放題。なりふりかまわずに受験勉強をするHは、 すてきです。でも、ちょっと愉快ですね!! 三人は三様でそれでいい。それがいい。

「『TWEET(小鳥のさえずり)』だって文学たり得る時代です」

 「手紙」が文学たり得れば、「日記」が文学たり得るならば、「メール」はいうにおよばず、「小鳥のさえずり」だって、文学たり得る時代です。音楽たり得る時代です。

「拝復 P教授樣_秋の夜長に荷風を読む、書く、歩く」

「先週末 新潮社の「とんぼの本」を四冊買いました。傍らにはいつも 白洲信哉 [編]『小林秀雄 美と出会う旅』があります。あとは白洲正子のものと司馬遼太郎のもの。そして、荷風が今日届く予定です。」 「やっと小林秀雄を肩の力を抜いて読める年齢になったと喜んでいます。 荷風も楽しみですね。 塾長の上京時には、荷風の足跡を訪ねる 散策を楽しみにしております。 10月ショックを経た今、「これまで」と「これから」を定点観測中です。」 「 早々のご丁寧なご返信、どうもありがとうございました。文学散歩、楽しみにしております。 小林秀雄『人生について』中公文庫 「年齢のせいに違いないが、年をとっても青年らしいとは、私には意味を成さぬ事とも思われる。」(「お月見」177頁) 中井久夫先生はその著書『こんなとき私はどうしてきたか』のインタビュー記事の中で、  「こんなこと言うでしょ?『若いときは病気はわかるけど病人はわからない。中年くらいになってくると病人がわかってくる。年を取ってくると、病気も病人もわからないけど、なぜか患者さんはよくなる』って。まあそれくらいのことは私も言えるかもしれないですけどね。」 とおっしゃられています。そして、この言葉を最後にこのインタビュー記事は終わっています。 年をとるのもまんざらではないと、時折思うことがあります。 今から父の耳鼻科受診のつき添いです。受診ラッシュのはじまりです。 時節柄くれぐれもご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE.」

「拝復 Dr.T さんへ_どちらをみても容赦なしです」

Hの担任の先生の受験指導は、今回も容赦なしですね。(センター試験が)間近にせまってきましたね。手が届くといいのですが。 Nさんの教育実習も容赦なしですね。現実とはいえ(障がいをかかえた子どもたちを)直視するのはつらいですね。 その後、(アレルギー性鼻炎と思われる)父につきそい井澤(医院)さんを受診、受診後食事をして、つい今しがた帰宅しました。今日の受診をかわきりに、テスト週間の前後には、こちらも容赦なく、受診ラッシュです。 お便り、どうもありがとうございました。 時節柄くれぐれもご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE.

「拝復 P教授様_小林秀雄の石塔を拝すです」

2017/11/13 畏友のKさんに、「今後は距離をおかせていただくことにします」と伝えることによって、ご近所の十人ちかくの方たちとの交際がなくなり、さっぱりしました。従兄弟の一周忌の法要を欠席することにしました。たび重なる愚にもつかないメールと、高校入試をひかえた息子さんの、家庭教師のボランティア活動の話にうんざりしてのことです。 今後も、ご教授のもと、「縁切り」にいそしみます。自宅を「縁切寺」に見立て、鉄壁を築きます。 「限りなく少なく豊かに」生きることを心がけます。 くれぐれもおだいじになさってください。ご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE. 2017/11/14 おはようござます。 もったいないお言葉に接し恐縮しております。 昨夜授業後、「縁切寺」から「東慶寺」を思い、「小林秀雄」を想いました。「東慶寺」のウェブサイトを訪れ、「小林秀雄」の石塔を拝し、「東慶寺」に咲く今ごろの花々をみながら時を過ごしました、とここまで書いたところで、薬効著しく眠りに引きこまれました。「ヤク」によって、昼夜の逆転からかろうじて免れています。 先週末 新潮社の「とんぼの本」を四冊買いました。傍らにはいつも 白洲信哉 [編]『小林秀雄 美と出会う旅』があります。あとは白洲正子のものと司馬遼太郎のもの。そして、荷風のものが今日届く予定です。 11/27.28 には定期テストが組まれています。テスト前9日間に5日の休日があります。たいへんな時代になりました。 では、では。 くれぐれもおだいじになっさてください。ご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE.

「Nさんへ_陣中お見舞い申し上げます」

教育実習中のNさんへ、手みじかに。 陣中お見舞い申し上げます。 慣れない環境下での心労を思います。 気苦労がしのばれます。 一日の疲れは、一日でとれていますか。 くれぐれもご自愛ください。 ご返信ご不要です。ご心配ご無用です。 TAKE IT EASE ! FROM HONDA WITH LOVE. 教育実習は明日からだったんですね。とんだフライングでした。 世の中には、そういった教育現場(発語のない四人の子どもたちを、三人の先生方が担任されている学級)で頑張られている先生方がいらっしゃることを知り驚いています。 一人でたくさんのことを抱えこまないようにしてくださいね。 ご丁寧なご返信、どうもどうもありがとうございました。 TAKE IT EASY! FROM HONDA WITH LOVE.

「地下足袋でつらつらと、秋の湿原を行く」

 木枯らしがほおに冷たい一日でした。  今日は地下足袋で歩きました。七足ある地下足袋コレクションのうち、ゴム底のいちばん薄いものを手に出かけました。足の裏ばかりに注意が向き、あとのことは上の空でした。踏み出した足をふわりと受けとめてくれる、腐葉土のつもった道の、心地よい感触がいまも足に残っています。  地下足袋履きは物珍しいのか、よく足下を見られます。値踏みされます。

「秋の湿原を行く_花の命は短くて」

 一昨日には、 ヤマラッキョウの 淡紅色の花がいたるところで観察された。意気軒昂としていた。しかし、それも一日だけのことで、昨日には生気なく花期の終わりを告げていた。ミミカキグサは花弁を散らし、ホソバリンドウの花は盛りをすぎていた。  「花の命は短くて」とは実感をともなうものの、「苦しきことのみ多かりき」とはいかがなものであろうか。  目前の景色を目にし、人は心に情景を描く。情景は彩られたものであり、人それぞれであるが、景色は何ものでもなく、眼前の一つの事実である。草花は無心であり、無表情であり続ける。  自生する湿原の千草に色づけし、色分けし、「苦しきことのみ多かりき」と解釈する人間とは、ずいぶん身勝手な存在のようにも思われる。

TWEET「あわてて立ち去る」

 風のない日だった。たいそうな数の欅の紅葉が、重力のままに間断なく降りしきっていた。しばらくながめていたが、そのまま見つめ続けると、精神に異常をきたしそうな気がして、あわてて立ち去った。

TWEET「『STAEDTLER karat aquarell』でアンダーラインを引く」

 私は、 「STAEDTLER karat aquarell(ステッドラー  カラト アクェレル)」 「2 red」 「29 carmine」 の二色を使い、アンダーラインを引いています。「柔らかな芯」、「なめらかな書き味」は、格別です。  2015年の 「銀座・伊東屋 創業111周年」 に便乗し、その記念として、それぞれ二本ずつの「 STAEDTLER  karat aquarell」を買いました。以来のおつき合いです。  が先日、紙面に落ちたしずくをぬぐい、その上にアンダーラインを引くと、紙面に鮮紅色が広がり、あわてました。「 カラト   アクェレル」は、 水彩色鉛筆かもしれないと思い調べると、やはりそうでした。  「 karat aquarell」とは、 karat:  宝石の質量の単位。 1 カラットは 200 ミリグラム。記号 K ,  car ,  ct   aquarell: 水彩絵の具、水彩画 を意味するものでした。  うかつでしたが、これもなにかのご縁かと思い、「ウォーターブラシ」を各種そろえ、秋の夜長水彩画に挑戦しようか、と思う間もなく、画才のない私には無縁なことと、きっぱりあきらめました。  アンダーラインを引くには、 「 カラト   アクェレル」以外の色鉛筆は考えられないことですが、アンダーラインに彩られた本が、水びたしなった際の悲惨さを思わないわけではありません。

「秋の湿原を行く_私のへんろ道です」

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 「秋の湿原を行く」こと、四日目にしてようやくゆっくり歩くことをおぼえた。「早足」には練習や訓練が、「遅足」には鍛錬が必要である、といったとりとめのないことを思いつつ、土の感触を感じながらゆっくりと歩を進めた。  昨日の秋雨に洗われ、ほどよく湿気を含んだ木道の感触が足に心地よかった。地下足袋で来るべきだったと後悔した。今思えば、裸足になって歩けばよかったと思う。  湿原に自生する秋の千草は皆繊細で、湿原に分け入るにはそれなりのたしなみが必要である。つつしみのないところに自然はけっして応えてくれない。  歩くにつれ、身体のこわばりが消え、体に明るさがもどった。わだかまりがなくなり心が軽くなった。宙を歩いているかのような軽やかさだった。身心が脱落したかのような錯覚を覚えた。あてもなく木道をさまよった。空中散歩を楽しんだ。ホソバリンドウやミミカキグサについては一瞥しただけで、他日を期すことにした。  湿原への入り口前の広場には、「草もみじの季節がもうすぐやってきます」と書かれた掲示板がつるされていた。 「葦毛湿原の入り口にて」

「雨上がりの秋の湿原を行く_紫を手にしたくて」

 今日の予報は「雨のち曇り」。   ホソバリンドウの花の高貴な紫をどうしてもカメラにおさめたくて、昨夕来 光の加減のことばかりを思っていました。「雨のち曇り」の天気については思ってもみないことでした。これで秋の陽光への気づかいはなくなりました。  「秋雨のそぼ降る湿原を行く」のも一興です。時機をみはからっています。  駐車場に着くころには雨はあがりました。山の谷あいからは雲がわき、あたりはいつになく静まりかえっていました。  ぬかるみを避け、今日はいつもとは違う入り口から湿原に入りました。頭に順路を描きながら、秋雨にぬれた木道上を慎重に歩きました。雨に洗われた秋の千草は、あるいは穂をつけ、あるいは花を、あるいは結実し、それぞれが光彩を放ち、匂いたつばかりでした。  お目当てのホソバリンドウを目の前にして立ちすくみました。ホソバリンドウは、アサガオのつぼみのように、かたく花弁を閉じていました。予想だにしなかったことにあわてました。月の明るい夜には花を開くのでしょうか、そんなことを思いました。出直しです。  が、思いがけなくも、鮮やかな黄色の花をつけたいく株かのミミカキグサを見つけ、目を見張りました。数年来の願いがかないました。生あるものの発色は鮮明です。血が通っているからでしょう。  昨日は里山のとっつきまで行ったものの、列をなして下山してくる登山者に恐れを覚え踵を返しましたが、今日は人の気配はなくとっつきから急登し、登山道を下りてきました。途中いく筋もの水の流れを目にしました。湿原の生命線です。  下山後には、かたく口を閉ざしたホソバリンドウとまばゆい黄色の花をつけたミミカキグサを確かめ、帰路につきました。  今しばらく、「秋の湿原を行く」を続けます。

TWEET「体重56kg、偏差2という数字」

 父の入院の影響があったのかなかったのか、不節制がたたってのことか、理由は定かではありませんが、夏以降体重が 8kgほど減りました。「56kg、偏差2」というのが、私の理想とする体重です。今は具合よくその範疇におさまっています。  祖父母に買ってもらった成人式のスーツ、また礼服。22歳の冬に買ったお気に入りのブレザーとステンカラーコート。大学の入学式に着た弟のお下がりのブレザー、教育実習時のスーツ等々が、「偏差2」におさまれば、着用可能になります。無事現役復帰です。いっぺんに衣装もちになりました。    私が掲げる「体重56kg、偏差2」とは、たかだかこの程度のたわ言で、別段深刻なものではありません。健康を思ってのことではなく、むしろ不健康なものです。身にしみついた不健康で非社会的な生活はやむにやまれず、平均値は算出できず偏差ばかりが大きく、常に脳天気でお気楽な生活を送っております。

「立冬の日に、秋の湿原を行く_失くしたものをさがして」

 昨日の入り口から、記憶をたどりつつ同じ道順で、木道上をゆっくり歩きました。昨日に比べ、花々の数が増えたように感じたのは気のせいだったのでしょうか。  十分も経ったころ、 ホソバリンドウとの再会をはたしました。紫はむずかしい色です。湿原に咲くホソバリンドウの紫、ハルリンドウ、スミレの紫は高貴です。幾葉かの写真におさめましたが、日に透けた淡い紫にしか写りませんでした。数えると十(とお)をこえる花が咲いていました。昨日より確実に増えていました。  明日は違う時間帯に「秋の湿原を行く」ことにします。テーマは、「紫を手にしたくて」です。

「立冬の日を前に、秋の湿原を行く」

 ホソバリンドウ 、キセルアザミ 、スズカアザミ、スイラン 、 ヤマラッキョウ 、 カラタチバナ、 シラタマホシクサ  昨日、葦毛湿原でみつけた花々です。千草の間(ま)に隠れるように咲いた秋の花々です。湿原を抜け登山道をトレッキング後、ホソバリンドウの紫を確かめたくて、木道上をさまよいましたが、みつかりませんでした。  今日のテーマは、「秋の湿原を行く_失くしたもの をさがして」です。宝さがしのはじまりです。 以下、 「ようこそ、『東海のミニ尾瀬』 葦毛湿原へ」 です。ご参考まで。

「シリーズ授業_秋の夜長」

「秋になり、夜が長くなり…。秋の夜長、人はいったいなにをするの?」 と、私。 「ゲーム」 「テレビをみる」 「漫画の本を読む」 「……」 と、中学生の子どもたち。 「秋の夜長、することがないから、あちらの家でもこちらの家でも子どもが誕生するんです」 と、私。 「?」 「?」 「?」 「事実です!!」 と、私。

「曽祖母が信条とした三猿」

 「見ざる、聞かざる、言わざる」。曽祖母が信条とした三猿。弟が中学校の修学旅行で日光東照宮を訪れ、曽祖母へのお土産に買ってきた三猿の置物。  曽祖母は知ってか、知らぬか。いま『私は貝になりたい』。

「マーティン・ツェラーの奏でるバロックチェロ」

J.S.Bach:6 Suites a Violoncello Solo senza Basso Vol.one / Suites 1,2,3 Martin Zeller:Violoncello M.A Recordings については、2010/04/22 に出版された『PCオーディオ fan No.2』共同通信社 で知りました。PCオーディオに興味をもちはじめ、PCオーディオの何たるかが少しわかりかけてきたころのことです。このムックには、 「ハイレゾルーションサウンドの魅力 タッド・ガーフィンクル録音選 M.A Recordings HiRez Sampler」 とのタイトルのDVDが付録としてついていました。  マーティン・ツェラーがバロックチェロで奏でる、 「J.S.Bach:無伴奏チェロ組曲 第1番 ト長調 (BWV 1007)より プレリュード、アルマンド、クーラント」 を聴き、その音色に魅せられ、早速注文しました。チェロに比し、滋味ともに豊かで、ふくよかです。 仲秋のいま、私の内では、第一に、 ブルーノ・ワルター ベートーヴェン 交響曲第6番『田園』 コロンビア交響楽団 第二に、 マーティン・ツェラー 「J.S. バッハ・無伴奏チェロ組曲 Vol.1」 M.A Recordings の順位がついている。 以下、CDの帯からの引用です。 「J.S. バッハ・無伴奏チェロ組曲 Vol.1」88.2kHz ワンポイント録音 マーティン・ツェラー(バロック・チェロ)使用楽器・ヤコブ・シュタイナー 1673年製  スイスのチェリスト、マーティン・ツェラーによる名器シュタイナー唯一の楽器で、世界で初めて録音された J.S. バッハ・無伴奏チェロ組曲。絹を撫でるような、魅力的な音色で奏でられ、かつてない感動に包まれる演奏です。 使用楽器はドイツ・チロルの名器、ヤコブ・シュタイナーの1673年製。現在、使用できる形で保存されている唯一の楽器です。ヤコブ・シュタイナー(1621~1683)は、クレモナの製作者たちが有名になる以前、音楽家たちに最も注目されていた製作家。膨らみが大きく、甘く、柔らかい音色が特徴的です。 また、解説には、  二十世紀初頭以来、6つの無伴奏チェロ組曲があらゆるチェロ奏者にとって必須のレパートリーとなっているのは、パ

TWEET「秋月はたなびく雲と化した」

「如何せん如何せん。夜もすがら、如何せん。『名月』をいただいて、如何せん」  ゆえあって、昨夜は満月をよそ目に早く床についた。覚めた際には月を愛で、朝まで寝入ってしまえば、それはそれで致し方のないこと、と。 これがものぐさな私の出した答だった。  深夜0時過ぎに見た月は南の空に高くかかり光彩を放っていた。小ぶりな月だった。  明け方5時半 月は西の空にあった。東の空が白みはじめていた。東西が見わたせる川岸まで歩いた。岸辺を打つ波音を聞きながら、西の空を見つめたり、東の空を見やったり、寝ぼけまなこで寒さに震えていた。西の空には薄雲がたなびいていた。秋月は膨れ、またかすみつつ、たなびく雲と化して、跡形もなく姿を消した。雲散霧消したのは明月だった。今朝は雲に分があった。  またとない願ったりかなったりの、目覚めの時だった。

TWEET「月影さやかに」

満月が煌々と照っています。その姿は孤り高く、神々しくさえあります。 午後には、小春日和が一変し、暗雲が立ちこめ、にわか雨にみまわれました。女心と、ということなのでしょうか。以後気温が下がり、強風が吹き荒れ、今にいたっています。月の出を心配していましたが、強風が空中に浮遊する細塵を掃き清めたのでしょうか。月影さやかな満月をのぞんでいます。 「山のはにわれもいりなむ月もいれよなよな(表記は「くの字点」です)ごとにまた友とせむ」。 明恵上人の歌です。 およそ三時間後に南中します。 名月や池をめぐりて夜もすがら /芭蕉 「名月」とは「中秋の名月」をさすとのことですが。 如何せん如何せん。夜もすがら、如何せん。「名月」をいただいて、如何せん。

TWEET「連日の小春日和のなかで」

 野分きが秋雨前線を追いやり、連日の小春日和の中で思うことは、虫干し、衣替え、大掃除、整理整頓。そしてなによりも、失くしてしまった読書の習慣の復権。なにをするにつけしないにつけ、体力不足を痛感している。  秋の湿原をぬけ里山へ。いつもの道を、いつもの頂へ。十日ほどの歩行訓練が必要か、と思っています。  真新しいトレッキングシューズで、愛着のある登山靴で、あるいは七種類の地下足袋を履き分け、いくつかのデイパックをザックを取っ替え引っ替え。「山より道具」派ならではの私の楽しみです。  「秋の湿原を行く」シリーズのはじまりです。私の「へんろ道」です。

TWEET「『ざっくばらん』は増長す」

「旧制三高」 深代惇郎『深代惇郎の天声人語』朝日文庫(337頁) 京大教授の梅棹忠夫さんが「きらいなもの」を聞かれ、「ざっくばらんが大きらい」と答えているのも面白い。ざっくばらんとは、つまり野蛮なのだろう。 「ざっくばらん」は増長します。私の時間を食い物にします。たび重なるあまりのことに、昨夜ついに 「今後は距離をおかせていただきます」と告げました。相手が相手なだけに、私の婉曲的な表現をどう受け止めたのかが気になります。次回は直球勝負です。 「あまざかる鄙」の明け暮れは、もの言わず腹ふくるることばかりです。

TWEET「中学生におもねるつもりはありません」

「僕は君たち中学生におもねるつもりは毛頭ありません」 「僕は君たち中学生にこびるつもりはとんとありません」 「僕は君たち中学生をお客様あつかいするつもりはさらさらありません」 私の塾生に対する一貫した態度です。それが気に入らなければ、塾をやめていただければそれでいっこうにかまいませんし、やめていただいたことも解散したことも何度かあります。信頼関係なくして、授業も受験もありません。ただ、「おもねる」といっても、「毛頭」といっても、通じないのが中学生の怖さです。

TWEET「インクブルー」

 「黒色」に指定した文字が「インクブルー」に突然変異した。昨日気づいた。一夏中プリンターにはふれていなかった。日焼けしたのだろうか。修復を試みているがうまくいかない。  「インクブルー」は私の好きな色だ。京都の「眼鏡研究社」さんで作っていただいたお気に入りのフレームに、「インクブルー」の偏光レンズを入れた。一見すると「黒色」のようだが、日に透かして見ると、「インクブルー」であることがはっきり見てとれる。日射しがまぶしく、夏季よりも今の時季に、サングラスの使用頻度が多いのは私に限られたことなのだろうか。  「インクブルー」の印字でもいっこうにさしつかえない。原稿を(モノクロの)コピー機で複写した際に、支障なく読むことさえできれば、望むところである。

TWEET「夕闇の気配」

 四時の空にはもう夕闇の気配が感じられ、冷気がただよいはじめる。西の空が朱に染まり、帳が下り、闇が用意される。  日暮れて道遠し。  太陽の運行に障りはなく、容赦なく、無常である。  毎夕繰り返されるこの天啓とどう対峙するのか、悠長に構えてばかりはいられぬ秋の夕暮れである。