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4月, 2020の投稿を表示しています

「拝復 P教授様_『画禅入三昧』」

検索すると、 「悩める画家・前田青邨に釈宗演が与えた墨跡『画禅入三昧』東慶寺」 とありました。 「 釈宗演遠諱100年記念特別展 釈宗演と近代日本 ─若き禅僧、世界を駆ける─ 会場:慶應義塾大学 三田キャンパス 2018/06/04 → 2018/08/06」 でのことです。 「画禅」とは「画という禅修行」という意味なのでしょうか。それとも「画も禅もともに」という意味なのでしょうか。  青邨の作品は、豊橋市美術博物館で開催された、 「日本画にみる 富士と桜~富士の競作、桜の饗宴」 展 で、一点のみ拝見しました。  円覚寺といい東慶寺といい、釈宗演、漱石といい。小 林秀雄、 井筒俊彦といい。実朝といい、 「いざ鎌倉へ」というも、「ステイホーム週間」中につき、じっと我慢の子です。  ひき続き釈宗演について調べます。 どうもありがとうございました。 さらなる触発を、と願っております。 FROM HONDA WITH LOVE. 以下、ご参考まで。 「Art wiki 前田青邨」

TWEET「灯火管制中につき」

 2020/04/22 の夜更けに、突然自室の ペンダントライトの明かりが消えた。 すーっと消え入り、辺りがしんとした。 不要不急の外出は控え、以降ナツメ球の灯りだけで夜を過ごしている。  読み書きは諦め、専ら聞くことを心がけている。 小林秀雄最後の対談「歴史について」考える人 2013年 05月号 新潮社 音楽の美しさに驚嘆するとは、自分の耳の能力に驚嘆する事だ、そしてそれは自分の精神の力に今更の様に驚く事だ。空想的な、不安な、偶然な日常の自我が捨てられ、音楽の必然性に応ずるもう一つの自我を信ずる様に、私達は誘われるのです。ーー「表現について」よりーー(28-29頁)  今しばらくの間、「灯火管制」下の暗がりのなかで、音楽に保証された「もう一つの自我」へと向かう道を進もうと思う。

「病気見舞」

承知いたしました。 Y君の病状の改善、また一刻も早いご快癒をお祈りしております。 折からの感染症も手伝い、心労が絶えないことと拝察しております。 くれぐれもお大事になさってください。 ご自愛ください。 遠くないいつか、歓談また談笑できます日を楽しみにしております。 ご丁寧なご挨拶、どうもありがとうございました。 皆様にその旨、よろしくお伝えしてください。 FROM HONDA WITH LOVE.

「拝復 P教授様_『吾唯足知』」

おはようございます。 「言葉が言葉を生む」とは聞き捨てならず、いよいよ達人の域に達した感を抱いております。 ご一緒した龍安寺の、「吾唯足知」と刻まれた蹲(つくばい)を思い出しました。 「時代閉塞の現状」下の今こそ、自足する姿の美しさを思うべきですね。 読み書きはあきらめ、音楽ばかり聞いています。 今日も「モオツァルトのかなしさは疾走」しています。 「いの一番」、どうもありがとうございました。 くれぐれもお大事になさってください。ご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE.

「平等に漂える注意力」

「Bluetooth」では、「送る側で音声を圧縮し、データを軽くして送信した後、ヘッドフォン側でそれを解凍して音を出す仕組みが取られてい」ることを昨日知った。音質については、明らかに「有線接続」に分がある。 また、 ◆ Bowers&Wilkins ◇  「PI3」のコーデックは「apt-X」 ◇「PX5」のコーデックは「apt-HD」 と、それぞれ高品質であるが、送信側の Apple 製品が軒並み「AAC」方式であるため、片手落ちである。 「Bluetooth」接続のヘッドフォンやスピーカーに過度の音質を求めるのはあきらめたが、長所もあり、「適材適所で適時適切に」ということである。  ベッドに横たわって音楽を聞く時間が増えた。「ボーッと聴く」ことを心がけている。 「何もしないことが、力を生む」 「方向性を持たずに『ボーッと聴く』」 河合隼雄,谷川浩司『「あるがまま」を受け入れる技術 』PHP文庫  それにしても、集中力というのは難しいものですね。カウンセリングの現場でも、クライエントが来られて話を聴くでしょ。その時に、もちろん集中して聴くわけですが、その時の集中力というのは、何かひとつの方向に収斂(しゅうれん)していくような集中の仕方ではなくて、言ってみれば方向性を全部捨てた集中力なんですよ。精神分析学を始めたフロイトは、そのことを「平等に漂える注意力」と言っています。 (146-148頁)  うかつにも、ボーッとしすぎて寝入ってしまうことも多く、失態を繰り返している。 「PRO CABLE」 さんに、 ◇「BELDEN 88760(米)」(1.5m) を注文した。未明に 目を覚ました際の、夢現の ボーッとしての 買い物だった。「このケーブルこそ、真の無色透明です。ケーブルの存在を、全く、微塵も、感じさせません」と記されている。明日到着の予定である。  上質な音で聞く子守歌は良質な眠りを約束してくれるものと信じている。 「散散」の「散財」がいま生きている。「授業料」との認識であるが、「散散」な高額の「授業料」を、いたずらに払ったにすぎないのかもしれない。 「ボーッと聴く」とは、能面に変化(へんげ)したかのように聴くこと、と解釈している。「空(無)」が「妙有」へと転じた境涯である。晩年の河合隼雄の顔は能面のよう

TWEET「『柿ピー』という名の新手の」

「柿ピー」がフラストレーションの解消になることを知った。以来、「柿ピー」ばかり頬ばっている。 「柿ピー」を求めての深更のお使い、連夜の散歩は、外気に触れる貴重な時間である。  依存症である。口内が荒れている。毒を以て毒を制する。獅子身中の虫退治である。 「緊急事態宣言」発令下での新手(あらて)の対症療法と なっている。

TWEET「iPhone SE(第二世代)の発表」

 2020/ 04/15「iPhone SE(第二世代)」が発表された。私が知ったのは、2020/04/16 00:08(カリフォルニア時間 2020/04/15 08:08)のことだった。Apple のウェブサイトで知った。  数日前からいくつかの記事に目を通していた 。それらは根も葉もない噂話ではなく、予告だった。先行発表かのようだった。「Apple watcher」の方たちの実力を今回も思い知らされた恰好である。 「iPhone SE(第一世代)」は、 2016/03/31 に発売された。古びた、 とばかり思っていたが、四年あまりの年月しか経っていないことに、この業界の長足の進歩がうかがえる。 TWEET「思いがけなくも晴れて iPhone デビューです」  京都国立博物館で開催されている「京(みやこ)のかたな」展に出かける数日前から、携帯電話が誤作動を繰り返すようになり困惑しています。昨日ドコモショップに行きましたが、時代錯誤もはなはだしい料金体系にあきれ、さっさと帰ってきました。  帰宅後早速、「iPhone SE」を注文しました。明日の午前中には届く予定です。しばらくの間、「SIM」無しで遊ぼうと思っています。  思いがけなくも晴れて「iPhone デビュー」です。スマートフォンにするならば、スティーブ・ジョブズの面影が見え隠れする 4インチの「iPhone SE」と決めていました。「SE」とは「Steve Jobs's Edition」の略称と、勝手に決めこんで、一人悦に入っています。眠れぬ夜を過ごしそうです。(2018/10/23) さて、如何せん? 如何せん? 「後継機種」も「初代」と同様に末長く愛され続けるだろう。購入は、「初代」のご機嫌をうかがいながら、と思っている。もし買うならば、発売記念として、 ◇「iPhone SEレザーケース(PRODUCT)RED」 も、と考えている。

TWEET「春光」

二日間雨に閉じ込められた。 人事のことを知ってか知らぬか、今日は春の陽射しに恵まれた。 春の光をただうれしく思う。

「いま最も気になる『無常という事』」

白洲正子「吉越立雄_梅若実『東岸居士』3/4」  羯鼓(かっこ)の小さな桴(ばち)を握り、大きく両手を掲(あ)げた、梅若実は仏さまのようである。「そのうつろな眼」、障るところのない形姿(なりかたち)は、宙をたゆたうようである。我が舞うのか、彼が舞わせるのか。 それは、劇中のことではなく、心中の問題である。 「この世は無常とは決して仏説という様なものではあるまい。それは何時如何(いついか)なる時代でも、人間の置かれる一種の動物的状態である。現代人には、鎌倉時代の何処かのなま女房ほどにも、無常という事がわかっていない。常なるものを見失ったからである。」(小林秀雄「無常という事」) 「室町時代という、現世の無常と信仰の永遠とを聊(いささ)かも疑わなかったあの健全な時代を、史家は乱世と呼んで安心している。  それは少しも遠い時代ではない。何故なら僕は殆(ほとん)どそれを信じているから。 (中略) 肉体の動きにの則(のつと)って観念の動きを修正するがいい、前者の動きは後者の動きより遥(はる)かに微妙で深淵(しんえん)だから、彼(世阿弥)はそう言っているのだ。不安定な観念の動きを直ぐ模倣する顔の表情の様なやくざなものは、お面で隠して了うがよい、彼が、もし今日生きていたなら、そう言いたいかも知れぬ。」(小林秀雄「当麻」)

TWEET「天変といい地異といい」

 未明には暴風雨のため何度か目を覚ました。それは台風が最接近したかのような荒れようだった、とはいえ確かな記憶とてなく、いまとなっては確かめようもない。  天変といい地異といい、ただ「オロオロ」するばかりの身の上には、身を慎むくらいの心がけしか処する術を知らない。  鎮まることを祈るばかりである。

TWEET 「祭礼」

 豊麻神社では祭礼が行われている。神事以外の予定はすべて中止された。陰鬱な春になった。  時折聞こえてくる和太鼓の音に粛然として行われている祭儀を思う。今年は花期が長く桜花だけが彩りを添えている。

TWEET「禁断症状」

 活字離れはやはり面白くなく、かといってまとまったものを読む気力もなく、ブログ内に書き留めた引用文を読むことにしました。アンソロジーの類は好みではありませんが、今回は特例です。  読書歴の軌跡を追う、という読書です。禁断症状からの解放です。

TWEET「まんざらでもなく_その二」

2020/04/05 「『小鳥のさえずり』のファンです」 という卒塾生がいて、 「本文もぜひ読んでください」 と伝えておきましたが、まんざらでもなく、「TWEET」が続きます。 2020/04/11 「おはようございます。 ちゃんと本文も読んでますよ。」 「おはようございます。 では、安心して本文も書かせていただきます。 「完璧主義は病気の温床だと思っています。「いい加減な」「適当な」勉強法を身につけてください。捨てる教科は潔く捨てる。総合点、総合順位は一切関係ありません。『お父さんの観察日記』をつければ比較的容易か、と思っております」 とお伝えしてください。 塾は各学年週一回にしました。休眠することも視野に入れています。 お便り、どうもありがとうございました。 くれぐれもお大事になさってください。ご自愛ください。 また。 すてきな休日をお過ごしください。 いたずらに「TWEET」を重ねることなく、真面目に本文と向き合うことにします。 FROM HONDA WITH LOVE.」

TWEET「小池都知事の発言をめぐって」

下記は、2020/04/10/ の、 ◇ 「NHK NEWS WEB」「特設サイト 新型コロナウイルス」 からの引用である。 「東京都内で新型コロナウイルスの感染が急速に広がるなか、小池知事は10日午後2時から記者会見を開き、感染拡大を防ぐため、都が基本的に休業を要請する6つの業態や施設を公表しました。」 「小池知事は『危機管理の要諦は最初に大きく構えて、状況がよくなると緩和していくことだ。様子を見てから広げるのではなくて、最初に広げてだんだん縮めていくのがふつうの危機管理ではないか』と述べました。」 社会から遠ざかることを旨としている私にとって、小池都知事の発言は新鮮に映りました。戦術・戦略、また決断。説明責任ということに思いをいたしております。

TWEET 「その後のことでいい」

 新型コロナウイルスの記事を10分ばかり読むと悪寒がし、頭痛がする。感染したかのような錯覚が発症を促す。その際には、あわてて遠ざかり、暖を取ることにしている。「ウイルスへの脅迫観念」が、といった方が正確かもしれない。  原因究明も反省も後悔も終息後のことでいい。批評も批判もその後のことである。「新型」については対症療法を繰り返すほかないだろう。試行錯誤の内に時折見え隠れする政争は見苦しく、病的であることを申し添えておく。

TWEET 「書は世につれ」

◇ カミュ『ペスト』新潮文庫 が売れていることを知った。 そして、 ◇ 小林多喜二『蟹工船』新潮文庫 が、不況時(2008年)に脚光を浴びたことを思い出した。小林多喜二没後75年にあたる年だった。  二作品とも 「ロングテール」 に位置する純文学であり、異例の売り上げを記録しているのは、情報社会とあいまって、ということだろう。情報が瞬時に世界を駆け巡る時代の一過性の所産、ブームとしての読書である。   「ロングテール」 の最中(さなか)にあって、細々とながらも息づいているのは「古典」であって、他には真似のできない芸当だと思っている。  いまのこの状況が終息に向かうことを願っている。

TWEET 「十六夜の月をのぞみ」

 夜がこんな風に静かだったとは、私の思い過ごしなのでしょうか。  粛々として、 「月のころはさらなり」 とだけ書き留めておきます。

TWEET 「襟を正す」

 ひときわ明るい満月が南の空高くにかかっている。  畏(かしこ)きものが美しくあることに襟を正した。

「拝復 P教授様_ぼく,わたしは勉強しませんという体質」

「仕事の道楽化は、努力の娯楽化から生まれる。」 おはようございます。 「努力」「一生懸命」「頑張る」としか表現できない中学生とのおつき合いは退屈です。 不用意にも、喫茶室での不要不急の籠城を繰り返しています。 娯楽です。 娯楽化から道楽への道のりです。 FROM HONDA WITH LOVE. 「必要に迫られたときに、頑張れる子、逃げない子であって欲しい」 と子どもたちには話しています。 「ぼく,わたしは、勉強しません」 という体質に拍車がかかったように感じております。 FROM HONDA WITH LOVE.

「拝復 Pさんへ_春眠を決めこむ」

 ご町内で感染者が、とは聞き捨てならず慌てています。  ご存知の通り、私にかぎっていえば、そうそう火急な用事があるはずもなく、このまま春眠を決めこむことにしました。 あなた泣かせの妹さんに、 「解らないことがあるようでしたら遠慮なくお越しください」 とお伝えしてください。  自学自習を旨とする子どもたち の(強い?)味方でありたいと思っています。 もちろん手慣れた奉仕活動の一環です。 臨時休校が二週間延長され、塾も各学年 週一回にしようと考えています。 またの有意な情報のご提供、よろしくお願いいたします。 FROM HONDA WITH LOVE.  中二生の女の子たちも同じようなことをいっていました。すべてにおいて明らかな、陰翳を失くした社会の浅薄さ、 ということについて思いを馳せています。要は閑人ということです。  寮生活にも慣れ、ということをうかがい安心しました。また、デニーズの件 承知いたしました。 度々の有意な情報のご提供、どうもありがとうございました。 くれぐれもご自愛ください。 TAKE IT EASY! FROM HONDA WITH LOVE.

TWEET 「戸別訪問」

「組長」の役が回ってきた。不得手なご近所づき合い、また不慣れな奉仕活動である。  旧年度中に二回の会合がもたれ、そして今年度早々には、「町自治会会員名簿」作成のための戸別訪問、という辛酸を嘗めた。役柄と思い事務的に、とは思ってみたものの、足取りは重かった。次には「町費」を頂きにという、アポイントメント無しの戸別訪問が控えている。再びの個別訪問とはいえ、こればかりは慣れるはずもなく、兢々(きょうきょう)としている。 「組長」とは聞き捨てならず、デリケートでセンシティブな者は免除するくらいの配慮はできないものだろうか。もっとも、私が「堅気」かどうかは、 はなはだ疑問ではあるが…。 「村八分」はかまわないが、「五人組」とあらば、くらいの良識はもち合わせている。

TWEET「まんざらでもなく」

「『小鳥のさえずり』のファンです」 という卒塾生がいて、 「本文もぜひ読んでください」 と伝えておきましたが、まんざらでもなく、「TWEET」が続きます。

TWEET「スミレはスミレ」

 朝起きると髪の毛が大変なことになっていた。外出時には帽子をかぶり、ぼろ隠しをすることにした。 TWEET「散財もまたよし_その二」 ◆ patagonia ◇ スプーンビル・キャップ 新作です。専ら琵琶湖での舟遊び用です。 「ボートに乗るときやフィッシングに最適なリサイクル・ナイロン製の軽量な帽子。日差しを遮る大型のつばと、吸湿発散性を備えたキャプリーン素材のヘッドバンド付き。つばはリサイクルした漁網から作ったブレオ社の追跡可能なNetPlus素材を使用。フェアトレード・サーティファイドの縫製を採用」 「大型のつば」は日差しを遮り、人目をはばかり、果ては浮世を凌ぐのに好都合なことに気づいた。行き着く先は「目出し帽」かと思っている。  陽の傾くころ、「春の湿原にスミレをさがしに」と思っている。 岡潔『春宵十話』角川文庫 「よく人から数学をやって何になるのかと聞かれるが、私は春の野に咲くスミレはただスミレらしく咲いているだけでいいと思っている。咲くことがどんなによいことであろうとなかろうと、それはスミレのあずかり知らないことだ。咲いているのといないのとではおのずから違うというだけのことである。私についていえば、ただ数学を学ぶ喜びを食べて生きているというだけである。そしてその喜びは『発見の喜び』にほかならない。」(29頁)  ただし、風が止んだら との条件付きである。どこ吹く風、吹く風に誘われてとはいかず、どこまでも「へたれ」は「へたれ」である。

TWEET「特設サイト」

「『App Store』より、 『NHK ニュース・防災』 をダウンロードし、 「特設サイト 新型コロナウイルス」 を一日に何度か覗いています。」 と書いたのは、2020/03/23 のことだった。  以来、数字への関心が高まった。しかし、その多寡ばかりを目で追うのは心無く、今朝「特設サイト」を閉じた。 数字を弄ぶことのつれなさを知った。

TWEET「花見」

 陽の傾くころ、目と鼻の先にある豊麻神社と下地小学校に花見に行ってきました。  小学校の片隅にある「山桜花」は三分咲き程度でしたが、ソメイヨシノはどこも満開でした。参道に沿って咲く、たくさんのスミレの花が印象的でした。  境内は鎮まっていました。「時代閉塞の現状」を知ってか知らぬか、神は固く口を閉ざしているかのようでした。

井筒俊彦「「Ⅶ スーフィズムと哲学的思惟」

 『イスラーム哲学の原像』岩波新書 は、イスラームの神秘主義(スーフィズム)を代表する、イブン・アラビーの実在体験と、その後の哲学的思惟によってなった、「存在一性論」的形而上学についての論考を主題としている、といってしまえば簡単だが、内容はそんなに浅薄なものではない。  いま、「Ⅶ スーフィズムと哲学的思惟」にさしかかった。  話は、 「イスラームの神秘主義、スーフィズムはどのような点で哲学的思惟と結びついていくか」(104頁) におよぼうとしている。 「その最初の、そしておそらく最も偉大な代表者がイブン・アラビーとスフラワルディーの二人であります。」(104頁) との記述もみえ、佳境に入った感がある。  井筒俊彦の精緻な哲学の文章を繙くには相応の労力を要する。切迫した際には、寝むにかぎり、桜咲き華やぐ候、一人惰眠を貪っている。

TWEET「散財もまたよし_最終便です」

夕刻、「PROCABLE」さんから、 ◇「NEUMANN(独)」(1.5m) ◇「VITAL VAM-265(英)」(1.5m) の二種のケーブルが届きました。「散財」最終便です。 「ドイツ・グラモフォン」は、 ◇「NEUMANN(独)」(1.5m) で、 「EMI」は、 ◇「VITAL VAM-265(英)」(1.5m) にて、はじめは説明書き通りに、その後は「 適材適所で適時適切に」、国籍を横断しグローバルに、と考えております 。  「 散散」の「散財」でしたが、この頃では「散散」にも慣れ親しんだ感を抱いております。

「世界が沈黙する,この期に及び」

桜が五分咲きです。 ◾️おのが誠を咲くさくらかな 明石康,NHK「英語でしゃべらナイト」取材班『サムライと英語』角川oneテーマ21 新渡戸稲造の孫にあたる加藤武子さんの自宅に、新渡戸に関する様々な遺品や記録が残されている。その中の一枚の色紙に、次のような新渡戸の歌が書かれていた。 「見ん人のためにはあらで奥山に おのが誠を咲くさくらかな」 (中略)  新渡戸が『Bushido(武士道)』で説きたかった日本人の精神性をひとことで言い表した歌である。(221頁) 人さえ見れば出し抜こうと思う、見苦しい時代になったものである。誠心誠意ということに欠けている。

「哲学的信仰」

迷った末に、 ◇ 井筒俊彦『イスラーム哲学の原像』岩波新書 を手に取った。 「序」を読み、そして幾枚かの付箋がはさんである何頁かの文章を読んだ。数日前のことだった。 「要するに、神秘家たちの哲学的立場は、ヤスペルスの表現を使えば一つの「哲学的信仰」(philosophischer Glaube)であります。しかしここまでくれば、どんな哲学もそれぞれの「哲学的信仰」の基礎の上にうち立てられたものといわざるを得ません。」(109頁)  信仰を広義にとらえたとき、世に信仰なき者はないといえよう。私は井筒俊彦の解釈する「哲学的信仰」にしたがう。宗教、宗派、学派色からきっぱりと袖を分かった井筒による東洋「哲学的信仰」である。  新年度です。読書事始めです。