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TWEET「桂離宮、そして西芳寺」

  先ほど、「桂離宮」、そして「西芳寺(苔寺)」の参観、また参拝の申し込みを終えた。 「桂離宮」:2026年7月30日 15:00 「西芳寺」: 2026年7月31日 10:30 である。  他に予定はない。他の 予定は必要ないだろう。 「梅雨明けの夏空の下」で、 上質な時間を過ごすことを楽しみにしている。 「桂離宮_石橋のある風景」 俵万智,十文字美信 他『桂離宮』(とんぼの本)新潮社 2022/08/23  桂離宮は華奢である。  各部材は建物の荷重をかろうじて支え、各室は枯淡の美に蓋われている。それは、庭に配された飛石や延段、池に掛けられた石橋と相即不離の関係にあり、それらの石材によって補償されているかのようである。  襖に目を奪われる。それだけを取りあげて話題にしたとき、困惑するような色づかいも、大胆なその意匠も、それぞれに適所を得てみごとに鎮まり、各所に調べを添えている。  美は常に危うさをはらんでいるが、桂離宮は、すんでのところで、高次の調和を呈している。  本書には、三つの石橋の写真が載っている。いずれも一つの石材から成るもので、上面はきれいな平面を成している。その美しさは縦横の比、また高さの比率からなるものであろう。石橋の寸法に合わせて、池を補正したかのようにさえ思われる。 「5m 余りの大石橋」は、力学的な関係からか厚みがあり重厚である。側面には凹凸が刻んであるが、単調になることを避け、見る者を飽きさせない工夫であろう。池の狭い箇所に掛けられた「反橋」は、橋を反らせることによって長さを補完しているのであろう。もう一つの石橋にはこれといった特徴はみられないが、この石橋を基本形と考えてよさそうである。私は細工の施されていないこの石橋が一番好きである。  桂離宮は贅を尽くして簡素に作られた建築である。理にかなわないことはないはずである。  彼のブルーノ・タウトが称えた美を前に立ちつくしていたい。美を体験するとは、すなわち「 純粋な自足した」沈黙 の内にあることにほかならない。 「西芳寺と洛北・洛西」 土門拳『古寺を訪ねて 京・洛北から宇治へ』小学館文庫 2022/08/09  西芳寺に行って、 今日はこれを撮らねばならないといった 義務感にとらわれたことや、 どうしてもあれを撮ってやろうといきおいこんだことはない。 毎度毎度まず参道に真っ直ぐにカ...

「梅雨寒の曇り空の下」

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 梅雨寒の曇り空の下、特別な三日間を過ごした。 「Apple 名古屋栄」 2026/06/23 「太平洋戦争末期の沖縄戦では、住民を巻き込んだ激しい地上戦で20万人を超える人が亡くなり、県民の4人に1人が命を落としました。  旧日本軍の組織的な戦闘が終わったとされる6月23日は、沖縄県が「慰霊の日」と定めていて、きょうは、各地で平和への祈りがささげられています。  最後の激戦地となった糸満市摩文仁の平和祈念公園では朝早くから遺族などが訪れ、戦没者の名前が刻まれた平和の礎の前で花を手向けたり手を合わせたりする姿が見られました。」(「 NHK ONE ニュース・防災」)  うかつにも東海道新幹線内で知った。こころのうちで合掌した。  2018/11/10 に購入した「MacBook Air 8.1」の「macOSのサポート」が数か月前に終了し、支障をきたすようになった。  目的は、「Apple 名古屋栄」で 、2026/03/11日に発売された 「MacBook Neo」(「シルバー」,「 ストレージ  512GB 」)を購入することと人混みに紛れることだった。  用件はあっけなく終わった。  洗練された店内を行き来する、多国籍の若者たちの応接を目にするのは気持ちがよかった。  近くの喫茶店で、早速 開封した。Appleに手抜かりはなかった。  家路が急がれた。 2026/06/24  名古屋市の徳川美術館 観覧を経て、滋賀県長浜市の渡岸寺(どうがんじ)・国宝 十一面観音立像 参拝へ、車中泊の気ままなひとり旅に出かけた。 「徳川美術館」  徳川美術館は、2026/05/01 以来の再訪だった。    今回は装束の展覧に魅せられた。なんとも形容し難い色合い、風合いを前にして去り難く、行きつ戻りつしていた。 山本空外「書論序観」  『墨美 山本空外 ー 書と書道観 1971年9月号 No.214』墨美社 「僅か竹の一片ではあっても、その一本一本の竹質のさくさ、ねばさ、その他の加減等々を、そう削らなければ削りようもないほど、千変万化する竹質のそれぞれなりに生かしきっていく刀の冴えを拝見するわけである。それも名作は一応光ってはいるものの、その光に照らされるだけでなしに、自ら茶杓を削るなかに体験する悟入にもとづくのが本当のようである。また自ら行じなければ、何事...

「高野往還」1-4

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「高野往還」 2021/11/16(火) 未明に出立した。 ◆「伊吹山 PA (下り)」より「伊吹山」を望む。 ◆「 Hotel & Resorts NAGAHAMA(喫茶室)」 琵琶湖をぼんやり眺めていた。湖畔にたたずみ、さざ波の音に耳を凝らしていた。 ◆「渡岸寺(どうがんじ)」 美しく、慈愛に満ちた観音さまである。永劫を生きるお姿は不動だった。 「長浜市高月町 渡岸寺」 土門拳「考える臍」  2021/02/09 「薬師寺 金堂 日光菩薩立像腹部」 土門拳『古寺を訪ねて 奈良西ノ京から室生寺へ』小学館文庫  まるまるとふくらんだ下腹、指を突っ込んでくすぐりたくなるような大大としたお臍(へそ)、ここには飛鳥、白鵬の仏像には見られなかった肉体への目ざめが見られる。仏教流伝以来三百年、もはや仏菩薩を神秘的な「蕃神(ばんしん)」として、遠くから畏るおそる伏しおがむ段階は終ったのである。仏菩薩の存在そのものを信ずる心が、その像容の上にも、より確かな触覚的なものを期待しないではいられない欲求を、信仰する側に芽生えさせたことがわかる。(34頁) 「向源寺 十一面観音立像腹部」 土門拳『古寺を訪ねて 東へ西へ』小学館文庫  薬師寺金堂日光菩薩(やくしじこんどうにっこうぼさつ)の臍(へそ)には、指を突っ込んでくすぐりたくなるような触覚的な要素が芽生えていたが、そこにはなお古代的な、大々とした造形感覚が息づいていた。 (渡岸寺の)この十一面のそれになると、そういう呑気(のんき)な、古代的な造形感覚は影をひそめてしまっている。一層実人(じつじん)的、写実的になったことはもちろんだが、それ以上に鋭い思想性が脈打つようになった。透鑿(すきのみ)のこまやかな刀法がうかがえるこの臍は、いわば考える臍である。(132-133頁) 「向源寺」はいま「渡岸寺(どうがんじ)」と呼ばれている。拝観券を兼ねたリーフレットにも「渡岸寺」と記されている。  幾度となく「渡岸寺」を訪ねた。そのたびに何度となく観音さまのお臍を拝見しているはずだが、いっこうに記憶にない。 うかつだった。  昨夜 臍が語る深遠な仏教史のお話をはじめてうかがった。  プロ、アマを問わず、カメラマンの方たちがファインダー越しに見つめている景色が気になる。傍にお邪魔することも、時には尋ねることもある。訓練された眼の行方...

「浄瑠璃寺(九体寺(くたいじ))」

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「浄瑠璃寺と石仏」 土門拳『古寺を訪ねて 斑鳩から奈良へ』小学館文庫 こんな山の中に美しい大伽藍をつくったのは、 どういう考えだったのであろうか。 そして京から奈良から、 野越え山越え浄土信者たちは詣でたのであろうか。 その道のりの遠さは、 彼岸への遠さと似ていたのであろうか。 浄瑠璃寺境内に雨におもたくぬれるさくらは、 ものうく、あまく、人の世のさびしさ、 あわれさをいまさらのように考えさせている。 「 浄瑠璃寺(九体寺(くたいじ))」 2022/11/25 開門前に ◆ 井上靖監修,大岡信編『古美術読本 六 仏像』知恵の森文庫(光文社) ◇ 井上靖「浄瑠璃寺の九体仏」 を読み直した。  開門の 9時にあわせて何台かの車が山道を登ってきた。  紅葉がみごとだった。 「創建時のご本尊が薬師仏であった事から、その浄土である浄瑠璃世界が寺名の由来とされている」。  九体阿弥陀如来坐像は2018年7月から5か年計画で2体ずつ修理に出されている。一列に端座した「七体仏」を一望できる場所を探したが見当たらなかった。  障子越しに射すやわらかな光に照らされた、 堂内の不思議な静けさのなかに長い間身をしのばせていた。  秋季特別展のため、「秘仏  吉祥天女立像」 を拝観することができたのは幸運だった。「 吉祥天女立像」は彩色がよく保存されていて、ふくよかだった。  はじめての拝観時には好悪の別はつくが、仔細はわからない。再訪を約して浄瑠璃寺を後にした。 「九体阿弥陀堂」 「三重塔」 「鐘 楼」

土門拳「西芳寺と夢窓疎石」

  「西芳寺と夢窓疎石」 土門拳『古寺を訪ねて 京・洛北から宇治へ』小学館文庫 「延べ十年にわたり、何十日かは苔寺に通っているにちがいない」(69頁)ぼくは「西芳寺(苔寺)をあくまで夢窓疎石(むそうそせき)の庭として撮ってきたつもりである」(72頁) という土門拳の頭に「一つの疑問が去来」した。  西芳寺は何回もの災禍に遭い、浸水の憂き目に見舞われた。「果たして、この一尺四方石は夢窓の据えたものだろうか。あるいは池中の石は暦応(りゃくおう)二年(一三三九)の夢窓作庭以来、浮沈移動なく現在に至っているのであろうか。苔はどうだろうか、竹はどうだろうか」(72頁) 「ここに至ってぼくの写真に夢窓の庭、あるいは夢窓自身が写っているのだろうかとの疑問にいきついたわけである。極論すれば、明治のあるいは昭和の庭師の手になる庭を撮り、読者の目にさらすへまをやっているのではないか、ということである。」(73頁)  この疑問は深刻である。疑問は疑問を呼び、疑心は暗鬼を生ずる。土門は着地点を見いだせるのか。結論いかんによっては、土門は撮りためた写真を反故にするのにやぶさかでないことは容易に察しがつく。土門が撮りたかったのは「夢窓の庭」であり、「夢窓自身」であった。  土門の後ろ姿に、ひとりのストイックな求道者を見る思いがする。岡潔風にいえば、土門は、情緒が深まれば、写真が濃やかになる体の写真家だった。  かつて、私は、「土門拳は被写体の生気を撮った写真家だった」と書いたが、「土門拳は被写体の霊性を撮った写真家だった」と書き換えておく。  「真贋」 小林秀雄『モオツァルト・無常という事』 新潮文庫 「では美は信用であるか。そうである。」(233頁)  ひと言でいえばこれが土門が出した結論だったといえよう。

土門拳「三徳山 三仏寺 投入堂」

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「三徳山 三仏寺 投入堂」 「三徳山(みとくさん)三仏寺(さんぶつじ)投入堂 (なげいれどう) 」については、以下の公式サイト、 ◇ 「三徳山 三佛寺」 をご覧ください。また、ぜひ動画をご覧ください。すてきです。 サイトには、 「現在、参拝登山が可能です」 と書かれているが、 「投入堂へ参拝をされる際には、必ず二人以上、また両手が使えて運動のしやすい格好でおこしください」 との断り書きがあり、安全確保のために、とは承知しているものの、足枷となっている。適当な同行者がみつからず、「一人で心ゆくまでがいい、二人ではもう窮屈である」とは、私の我儘なのだろうか。 「西仏寺と西国 投入堂登攀記」 土門拳『古寺を訪ねて 東へ西へ』小学館文庫  気の遠くなるような急傾斜な地形に即応する懸造(かけづくり)の構造法をとり、同時に空から降ってきたような、あるいはまた、空からエイッとばかりに岩の窪みに投げ込んだように、天空海闊(てんくうかいかつ)な設計で投入堂は建てられている。  細身の角材を、さらに大面取(おおめんど)りして、細く軽快に見せている柱、垂木(たるき)、 軒桁(のきげた)など、懸造の高架建築は、美しさは日本一といってよく、悠然たる断崖に張りつけられている発想自体、これをつくった人々の天才的な閃(ひらめ)きを感じさせるものである。  木造建造物を水や湿気から守るために、急傾斜な地形に即応する懸造の構造法をとる。 (中略)  昔は堂舎三十八宇、寺三千軒と伝えられる三仏寺には、懸造の高架建築はさらにいくつもあったことであろう。三仏寺に拠る平安時代の初期修験者集団は、いわば懸造の高架建築に偏執狂的に憑かれていたのではないか。 (140-141頁)  元結掛堂(もとゆいかけどう)の岩端をまわると、眼前に数十メートル先に豁然と奥の院投入堂が姿をあらわす。あっと息をのむような美しさである。 奈良、京都と古寺巡礼を続けて、数十の名建築を見てきたが、投入堂のような軽快優美な日本的な美しさは、ついに三仏寺投入堂以外には求められなかった。わたしは日本第一の仏像は? と問われれば、銅造ならば薬師寺東院堂(やくしじとういんどう)の聖観音立像(しょうかんのんりゅうぞう)、木造ならば神護寺金堂(じんごじこんどう)の薬師如来(やくしにょらい)立像をあげることは予(かね)てからの持論だが、日本第一の建築は?...

土門拳「走る仏像」

土門拳「走る仏像」  土門拳「走る仏像」 土門拳『土門拳 古寺を訪ねて―京・洛北から宇治へ 』小学館文庫 「仏像は静止している。伽藍は静止している。もちろん境内の風景は静止している。と、誰しも思うだろう。仏像や建築や山や木というものは、写真の対象のうちでは、スタティックな被写体に属するはずである。わたしも長い間そう思っていた。ところがある日、宇治の平等院へ撮影に行った帰り、鳳凰堂に別れを告げようとして振り返ってみたら、茜雲を背にたそがれている鳳凰堂は、静止しているどころか、目くるめく早さで走っているのに気がついた。しばし呆然としたわたしは、思わず「カメラ!」とどなった。すっかり帰るつもりでいた助手たちは、げっそりした顔でカメラの組み立てにかかった。その間にも鳳凰堂は逃げるように、どんどん、どんどん走っている。「早く。早く。」とわたしはじだんだ踏んだ。そして棟飾りの鳳凰にピントを合わせるのももどかしく、無我夢中で一枚シャッターを切った。たった一枚。そしてもう一枚と思って、レリーズを握ったわたしは、シャッターを切るのをやめた。さっきまで金色にかがやいていた茜雲は、どす黒い紫色になり、鳳凰堂そのものも闇の中に姿を消していたからである。それは全くどこかへ逃げ去ったとでもいうほかない早さで、姿を消していた。」 「それにしても、茜雲の平等院以後、わたしには、仏像も建築も風景も、疾風のような早さで走るものになってしまったのには閉口である。」 「京のかたな 匠のわざと雅のこころ」展 2018/10/12  いま京都に遊んでいます。「京(みやこ)のかたな 匠のわざと雅のこころ」展を見て、京都国立博物館前のホテル「HYATT REGENCY KYOTO」の喫茶室でくつろいでいます。  宙に浮き、質量感を欠いた「かたな」は、光でした。  その後、平等院鳳凰堂へ向かいました。「ミュージアム鳳翔館」に展示されていた “雲中供養菩薩像 ” は端正な顔立ちをされていました。また、「初代鳳凰像」の体躯は引きしまり、輪郭の厳しさ ばかりが目につきました。  日没を待ちましたが、雲におおわれた夕空は、朱に染まることはなく、「走る仏像」は、次回に期すことにしました。

土門拳「古寺を訪ねて_小品群_まとめて」

四分冊になっている、 ◇ 土門拳『古寺を訪ねて』小学館文庫 の各章の扉には、折々の写真とともに、土門拳の文章が引かれている。この感性、この知性、この筆力にしてこの写真であることを彷彿とさせる小品群である。看過するにはいかにも惜しく、納めさせていただくことにした。  各寺で読むのを楽しみにしている。 土門拳『古寺を訪ねて 斑鳩から奈良へ』小学館文庫 「法隆寺と斑鳩」 金堂にせよ、五重塔にせよ、 振り仰いだときの厳粛な感銘は格別である。 古寺はいくらあっても、 その厳粛さは法隆寺以外には求められない。 それは見栄えの美しさというよりも、 もっと精神的な何かである。 そこに飛鳥を感じ、聖徳太子を想い見る。 いわば日本仏教のあけぼのを 遠く振り仰ぐ想いである。 「東大寺と平城京」 東大寺の伽藍の中で、創建のままに残って、 天平の壮大なロマンチシズムを今に伝える建造物は、 転害門一棟だけなのである。 千二百年来、大屋根をどっしりと支える檜の円柱、 その円柱を受ける花崗岩の礎石。 その円柱と礎石を見ているだけで、 こころの安らぎを覚えるのである。 「浄瑠璃寺と石仏」 こんな山の中に美しい大伽藍をつくったのは、 どういう考えだったのであろうか。 そして京から奈良から、 野越え山越え浄土信者たちは詣でたのであろうか。 その道のりの遠さは、 彼岸への遠さと似ていたのであろうか。 浄瑠璃寺境内に雨におもたくぬれるさくらは、 ものうく、あまく、人の世のさびしさ、 あわれさをいまさらのように考えさせている。 土門拳『古寺を訪ねて 奈良 西ノ京から室生へ』小学館文庫 「薬師寺」 薬師寺東塔は、 日本の塔の中で、最も奇抜な、 変化に富んだ、剛柔繁簡かねそなわった、 見れども飽かぬ美しい塔であるとぼくは思う。 今に残る白鳳時代唯一の建築として 貴重なばかりでなく、 その豪壮雄偉な建築美において、 日本一の塔といってよい。 「唐招提寺」 唐招提寺の諸仏や諸堂には、 厳粛、重厚、壮大の感じがみちている。 大陸的なおおらかさがあふれている。 造営に当たった大部分の人が 中国人だったからだろうといってしまえば、 あまりに簡単であるが、 鑑真和上その人の宗教的な気宇の大きさ、はげしさ、 きびしさが全体を支配しているからだと、 ぼくは思う。 「飛鳥の里と南大和の寺」 千二百年の昔、飛鳥の里は、 日本文化のあ...

「2022/05/31_渡岸寺行」

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「渡岸寺往還」 2022/04/01  小雨のそば降るなか、2:30 に出立した。起き抜けのことだった。花冷えで寒い夜だった。 ◆「Hotel & Resorts NAGAHAMA(喫茶室)」 強風が湖面を吹き渡り、琵琶湖はいつになく荒れていた。 「2022/04/01_琵琶湖(長浜)」 琵琶湖を眺めながら、一昨夜見た、 ◇  濱口竜介 監督・脚本 「 ドライブ・マイ・カー」 のことを思っていた。 ◇  濱口竜介 監督・脚本 「 ドライブ・マイ・カー」 を払拭するために、衝動的に家を出た。文学はもうたくさんだった。 ◆「渡岸寺(どうがんじ)」 「2022/04/01_渡岸寺」  美しく、慈愛に満ちた観音さまである。永劫を生きるお姿は不動だった。  観音堂は鎮まっていた。文学の沈黙とは自ずと異なる寂静がここ にはあった。救いがあった。 御前のベンチに座り 、うつらうつらしていた。 年度のはじめの、私なりの “お祀り ” だった。 ◆ 「伊吹山 PA (上り)」 「伊吹山 PA (上り)」より、薄っらと残雪 を戴いた霊峰を望んだ。 「2022/04/01_伊吹山」 京都・奈良大和路への旅は、コロナ禍のため今回は断念した。 ◆ 「養老の滝」  帰途  孝子伝説で知られる「養老の滝」を訪れた。小学生のときに家族と行って以来、50年近くの歳月が経っている。全くの気まぐれだった。  桜が満開だった。  道が登りにさしかかった辺りに位置する「吉田商店」さんで、養老の天然水「龍泉の雫」を買い、口をうるおしながら 30分ほど登った。 「2022/04/01_養老の滝」  落差 32m、幅 4m の滝は水量も多く、みごとだった。しばらくの間 飛沫を浴びていた。  スマートフォンで写真に収めると、間もなく踵を返す方たちが目立つ。落ち着きを欠き、忙しない旅の形態が広がっている。 ◆ 「ひょうたんらんぷ館」  帰路、再び「吉田商店」さんにお邪魔した。隣接して「ひょうたんらんぷ館」が建っている。 「自家栽培のひょうたんに / 穴をあけて / らんぷを作りました / その光は やわらかで / それぞれが 違った輝きを持っています / 手作りの灯りを / 心ゆくまで ご覧ください」(ー 岐阜県 養老郡 ー ひょうたんらんぷ館) 「吉田商店」の奥さまが「ひょうたん...

土門拳「渡岸寺 十一面観音立像_考える臍」

「向源寺 十一面観音立像腹部」 土門拳『古寺を訪ねて 東へ西へ』小学館文庫  薬師寺金堂日光菩薩(やくしじこんどうにっこうぼさつ)の臍(へそ)には、指を突っ込んでくすぐりたくなるような触覚的な要素が芽生えていたが、そこにはなお古代的な、大々とした造形感覚が息づいていた。 (渡岸寺の) この十一面のそれになると、そういう呑気(のんき)な、古代的な造形感覚は影をひそめてしまっている。一層実人(じつじん)的、写実的になったことはもちろんだが、それ以上に鋭い思想性が脈打つようになった。透鑿(すきのみ)のこまやかな刀法がうかがえるこの臍は、いわば考える臍である。(132-133頁) 「向源寺」はいま「渡岸寺(どうがんじ)」と呼ばれている。拝観時にいただくリーフレットにも「渡岸寺」と記されている。  幾度となく「渡岸寺」を訪ねた。そのたびに何度となく観音さまのお臍を拝見しているはずだが、いっこうに記憶にない。 うかつだった。  昨夜 臍が語る深遠な仏教史のお話をはじめてうかがった。  プロ、アマを問わず、カメラマンたちがファインダー越しに見つめているものが気になる。傍にお邪魔することも、時には尋ねることもある。訓練された眼の行方が気になる。  臍は口ほどに物を言った。仏師に手抜かりはなかった。土門拳のお手柄である。  高遠なお話に耳を傾けながら、我が臍はと眺めれば、曲がっているのが目につくばかりで、いたって脳天気な姿をさらしていた。私がみごとに反映されていた。

「聖林寺 『十一面観音立像』参拝,また三輪山」

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土門拳「聖林寺 十一面観音立像 蓮華座」 2019/10/23 聖林寺の十一面観音立像については、 ◇ 白洲正子『十一面観音巡礼』講談社文芸文庫 の口絵の、右側面から撮られた白黒の写真が圧巻である。撮影者は不明である。「単行本」や「愛蔵版」では同じ構図のカラー版が表紙を飾っている。  闘い終え、満身に創痍を負った勇者が、傷を癒すために深い瞑想に入っているかのように見える。表情は厳しく体躯は剛健そのものである。また、頭上の化仏(けぶつ)は、勇士に捧げられた守護神さながらである。  2019/10/23 に聖林寺を訪れた。はじめての参拝だった。観音堂には私ひとりしかおらず、何時間かを過ごした。高邁な御姿を畏まり仰ぎ見ていた。繊美な指の表情に目を凝らしていた。 しかし、 ◇ 土門拳『古寺を訪ねて 奈良 西ノ京から室生へ』小学館文庫 に掲載されている、 ◆「聖林寺 十一面観音立像蓮華座(れんげざ)詳細」 の記憶がすっぽり抜け落ちている。細部ではなく蓮華座全体の記憶がない。 「上を上へと指向し幾重にも重なり合った花弁は、蓮華座を嵩高にしている。肉薄の花弁は、黄葉した葉を寸分のすき間もなく生けたかのような格好である」(112-113頁)  覚えがないとは重篤である。再起を待って聖林寺へ、そして寺域から神と崇められている三輪山をと思っている。 「三輪山を垣間見る」 2022/11/24 「大和は 国のまほろば たたなづく 青垣山ごもれる 大和し 美し」 「聖林寺全景」  十一面観音立像は、2022年(08/01 から公開された)に完成した 「 新観音堂」に安置されていた。ぐるりを一周することができ、後ろ姿を見(まみ)えることができるようになった 。  今回も長い時間を過ごした。高邁な御姿を畏まり仰ぎ見ていた。繊美な指の表情に目を凝らしていた。また、蓮華座に目を奪われた。  参拝後 寺庭にある「聖林茶館」さんでコーヒーをいただいた。以下の写真は「聖林茶館」さんの窓ごしに撮ったものである。山腹が光ってみえる山が三輪山である。 「三輪山」 「三輪山は、奈良盆地をめぐる青垣山の中でもひときわ形の整った円錐形の山です。古来、大物主大神(おおものぬしのおおかみ)が鎮まる神の山として信仰され、『古事記』や『日本書紀』には、御諸山(みもろやま)、 美和山、三諸岳(みもろだけ)と記されています。高...

『徒然草』_「第二二0段 何事も、辺土は賤しく」

TWEET「『徒然草』_原文の姿を知らず」 2021/06/05 ◇ 兼好法師,小川剛生訳注『新版 徒然草 現代語訳付き』 角川ソフィア文庫 を現代語訳で読んだ。原文の味わいを知らず、素っ気ない読書に終始した。 「 第二一九段 四条の黄門」, 「第二二0段 何事も辺土は」の二編は 特に面白かった。いずれも楽器の音についての話題である。 「第二二0段  何事も、辺土は賤 しく」 島内裕子校訂訳『兼好 徒然草』ちくま学芸文庫 「何事も、辺土は賤(いや) しく、頑な(かたく)ななれども、天王寺の舞楽のみ、都に恥ぢず」と言へば、天王寺の 伶人 の申し侍りしは、「当寺の楽(がく)は、良く 図 を調べ合はせて、物の音のめでたく調(ととの)ほり侍る事、外よりも勝(すぐ)れたり。故は、太子の御時(おんとき)の図、今に侍るを博士とす。所謂(いはゆる)、六時堂(ろくじどう )の前の鐘なり。その声、 黄鐘調 (わうしきでう)の最中(もなか)なり。寒・暑に従ひて、上がり下がり有るべき故に、二月、涅槃会より聖霊会(しょうりょうえ)までの中間を、指南とす。秘蔵の事なり。この一調子を以(もち)て、いづれの声をも、調(ととの)へ侍るなり」と申しき。   凡(およ)そ、鐘の声は、黄鐘調なるべし。これ、無常の調子、祇園精舎の無常院の声なり。西園寺の鐘、黄鐘調に鋳らるべしとて、数多度(あまたたび)鋳替へられけれども、叶はざりけるを、遠国(をんごく)より尋ね出だされけり。浄金剛院(じやうこんがうゐん)の鐘の声、また黄鐘調なり。 ◇ 伶人:楽人。 ◇ 図:図竹。調子笛のこと。 ◇ 黄鐘調:おうしきじょう。 「寒・暑に従ひて、上がり下がり有るべき故に」「 お釈迦様の入滅された二月十五日の 涅槃会から、 聖徳太子の命日である二月二十二日の聖霊会 までの期間の鐘の音を、基準としているのです」。  鋭敏な耳の持ち主を以って “ 伶人 ” というのか 、この兼好法師との分り合いの世界は、すてきである。 「祇園精舎の鐘の声」は 黄鐘調の音(ね)であり、 黄鐘調の音であってこそ、「諸行無常」と響くことを知った。 土門拳『古寺を訪ねて 斑鳩から奈良へ』小学館文庫 「法隆寺と斑鳩」 金堂にせよ、五重塔にせよ、 振り仰いだときの厳粛な感銘は格別である。 古寺はいくらあっても、 その厳粛さは法隆寺以外には求めら...

「法華堂_東大寺域」

2023/06/14  まもなく拝観時間(8:30〜16:00)が終わりを告げようとしていた。私は、「東大寺・法華堂(三月堂)」に設(しつら)えられた台座の、「 不空羂索観音像」の正面に腰をかけ、ひとりくつろいでいた。ようやく訪れた平安だった。  そんな折もおり、4人の中学生が私の目の前を突っ切った。 「人の前を通るときは会釈くらいしろ」 「そこに座り合掌しろ」 私は中学生を叱咤した。中学生たちは素直に従った。と、そのとき職員がやって来た。 「大きな声がするので来た。 中学生にはなにをいっても仕方ない」 といわれた。そういうものかと思い、 「申し訳ありませんでした」 と、私は謝罪するほかなかった。 「 不空羂索観音像」の前に畏まり、私は合掌・一拝し外に出た。  外には私を待ち受けている女性がいた。 「お水取りでいただいた炭を納めに参りました。母は「法華堂」が好きなんです」 その「法華堂」で、私の狼藉の一部始終を目にしたのであろう。しかし、私にはまったく覚えがなかった。 「あの子たちには忘れられない思い出になったでしょうね」 さりげない女性の言葉に、私は救われた思いがした。  その後、「東大寺」または「東大寺ミュージアム」においてある、 ◇ 森本公誠編『善財童子 (ぜんざいどうじ)求道の旅』朝日新聞社 を読むように勧められた。  また、昨年末来病気がちであること、父を亡くして日が浅いことを告げると、「 東大寺」もしくは「東大寺ミュージアム」で、「薬湯」を購入し、災厄を払うようにいわれた。  彼女は、高野山に参拝し、 また 四国八十八ヶ所霊場の幾 ヶ 寺かを拝観していることを知り、「女人高野 室生寺」を、また「大野寺」を訪ねることを勧めた。その際には、 ◇ 土門拳の四分冊になっている『古寺を訪ねて』小学館文庫 を紹介した。土門拳についてはよく知っているようだった。  また、 ◇ 岡潔『岡潔対談集_司馬遼太郎,井上靖,時実利彦,山本健吉』朝日文庫 についてお話しし、 ◇ 河合隼雄『明恵 夢を生きる』京都松柏社 ◇ 白洲正子『明恵上人』講談社文芸文庫 ◇ 白洲正子『西行』新潮文庫 についても、話題にした。  今夜は京都に宿泊し、明日は「伊勢神宮」を訪れる とのことだった。明日の夜には、黒田清子(くろださやこ)様が、 天皇陛下の御言葉を読まれます、直接その場に立ち会うことはで...

「奈良大和路行_はじめに」

2023/06/05〜 2023/06/10  2023/06/10 未明に帰宅 七・七日忌法要 その後 会食 2023/06/11  忌明け( 16:35   )   2023/06/12〜 2023/06/19   2023/06/18 「瀧原宮」, 「瀧原 竝宮」, 「 伊勢神宮・外 宮」 「せんぐう館・奉納舞台」 伊藤華野「祈りの舞 インド古典の舞」奉納時間11時30分より 「神宮会館」 2023/06/19 「瀧原宮」, 「瀧原 竝宮」 ,「 伊勢神宮・ 内宮」 伊勢湾フェリー(鳥羽→伊良湖) 帰宅 2023/06/21 〜 2023/06/29 2023/06/26 Dちゃん、Kさんの結婚式  於 「ジャルダン・ドゥ・ボヌール」 大和西大寺駅 → 京都駅 →「栂尾 高山寺」 「高山寺 石水院」    2023/06/28 「大野寺」 「室生寺」 「本居宣長記念館(松阪)」 TWEET「一連の旅の終わりに」 今日の夕方、三重県松阪市の、 「本居宣長記念館」 を訪ねた。 「鈴屋(すずのや) 」は薄暗く、鎮まっていた。  いま 紀勢自動車道の奥伊勢 PA(下り)に いる。十三夜月(じゅうさんやづき)が山の端に沈もうとしている。  明日「瀧原宮」, 「瀧原 竝宮」, 「外宮」,「内宮」の順にお参りし、今回の一連の旅を終えることにする。 2023/06/29 「瀧原宮」, 「瀧原 竝宮」, 「 外宮」,「 内宮」 伊勢湾フェリー(鳥羽→伊良湖) 帰宅  往復の日数を含め、計23日にわたる参拝の道行だった。 「唐招提寺 / 薬師寺・東院堂・聖観世音菩薩像、東塔 / 興福寺・南円堂、国宝館 / 東大寺・法華堂、東大寺ミュージアム / 氷室神社 / 大野寺 / 室生寺」  この間(かん)ごく限られた寺社を何遍となく巡った。時を忘れ仰ぎ見ていると、細部が姿を現わす。全般を知るには自ら刻むほかないと思った。  以降 体が明るくなった。「眼耳鼻舌身意」が変われば、「色声香味触法」が変わる。  たとえばいま、 「 七種鈴 (松坂万古)」( 2021/10/19に、 「本居宣長記念館」 , 「ミュージアムショップ 鈴屋」 で購入)が、鮮やかな音を立てて鳴り響いている。かつてなかったことである。不思議では...