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「今年最後の授業でした」

9:00〜12:00 の授業を最後に、今年の仕事納めとしました。愛知県公立高入試の英語の過去問とむき合いました。今日で六日目です。三十六時間 英語漬け、という暴挙が功を奏したのかどうか、一応に仕上がり、安心しました。 帰り際、「一年どうもありがとうございました。来年もよろしくお願いします」との挨拶をいただき、「急にあらたまって、いったいどうしたの」と聞くと、「お母さんにいうように言われました」とのことでした。 「よいお年をお迎えください」との挨拶を、それぞれの子どもたちと交わして、別れました。

「Dちゃん、ご成人おめでとうございます」

ご成人、おめでとうございます。 年が明けてから届けられるものとばかり思っていました。意外でした。日にちを読み違えました。 Dちゃんが、もう二十歳とは…。感慨深いものがあります。 つねに美しくあること、それが私の唯一の願いです。 早々のご丁寧なご挨拶、どうもありがとうございました。 さらなるご雄飛をお祈りしております。 よいお年をお迎えください。いい年になるといいですね。ぜひいい年にしてください。 では、では。 時節柄くれぐれもご自愛ください。 TAKE IT EASY! FROM HONDA WITH LOVE.

「ざっくばらんにも、第1回 マクドナルド総選挙です」

「第1回 マクドナルド総選挙」のポスターの誤字もしくは脱字が、数日前から気になっています。また、意地悪くも、その行方を楽しみにしています。しかし、知ってか知らぬか、今のところ放置されたままです。新しいポスターに貼りかえるには、莫大な費用がかかるのでしょう。あるいは年末ということもあるのでしょうか。何人の目で確かめたのかはわかりかねますが、正確を期することの難しさを思います。他人(ひと)のアラは、私に限っては殊更によくみえます。 以下、ポスターより、 「あなたの推しバーガーを、日本一に。」 「あなたの一推しバーガー」の間違いなのでしょうか。それとも、「あなたの推すバーガー」の誤りなのでしょうか。

「この寒空の下、P教授にすっ裸にされる」

胸の内を見透かされたかのような、P教授の鋭いご指摘に舌を巻いています。 「座談」の域から脱けだせない文章。 「タイトル倒れ」の内容。 来たる 年の課題として内に秘めていたことばかりです。この寒空の下、 P教授にすっ裸にされた格好です。 真摯に向き合います。どうもありがとうございました。 FROM HONDA WITH LOVE.

「今年最後のラブコール_高校入試ごときで 頑張りすぎないように、と祈るばかりです」

今日はどうもお疲れさまでした。また、お母さんからはご丁寧なご挨拶をいただき、恐縮しております。 H17A の英語の長文が、過去 最も難しかったように記憶しています。いずれコピーしてお渡しします。H21A の英文は、さほど難しくはないと思いますが、はたして(4)が解答できるか どうか、楽しみにしています。私のお気に入りの問題です。H21A について は、Pさんに、渡してもらうようにお願いした茶封筒 に入っていますので、解いてみてください。H18B も記憶に残っています。こちらもいずれコピーしてお渡しします。いずれもいずれも、入試問題としては、おしゃれです。 頑張り過ぎなように、と祈るばかりです。 よいお年をお迎えください。いい年になるといいですね。ぜひい い年にしましょう。 では、では。 時節柄くれぐれもご自愛ください。 TAKE IT EASY! FROM HONDA WITH LOVE. 追伸:ご返信ご不要です。また、ご心配ご無用です。次回は「どこに」おつき合いしていただこうか、思案中です。 ありがとうございました。三平方の定理のプリントで今日習ったところを一通りやりました。結構できました。 英語の長文早速明日やってみます! 早速プリントの問題を解かれたとは、驚いています。 以下の項に目を通しておいてください。解いていただかなくても結構です。眺めておけばじゅうぶんです。 ◇ 森圭示『塾で教える高校入試 数学 塾技100 』文英堂 塾技59 三角形の重心、塾技69、塾技79 、塾技80 例題、塾技55、塾技74、塾技77、塾技78 ◇『高校への数学増刊 図形のエッセンス 』東京出版 「6.1 中心角と弧・扇型」 ←S=lr/2 年が明けて5日からは、総括テストに向けて各自ワークを、という時間が多くなりますので、手が空きます。テスト前に一度 ご来塾されれば、と思っています。昨日の、黄道十二星座と金星の位置関係の問題は、天体のファイルにまとめて入れてあります。金星の太陽面通過の問題等々、愛知県入試の最もつらい ところです。いくつかのパターンがあります。もしわからないようでしたら、あまり時間をかけずに聞きにきてください。初対面では無理かと思っています。 次回の授業内容を決めま

「BGM は早くも『第九』です」

MacDonald's 23号 新栄店 にいます。早くも「第九」が流れています。 聴くに耐えない薄っぺらな音ですが、雰囲気はじゅうぶんに伝わってきます。 アップテンポの「第九」のなかに身をおいていると、いつもと変わらぬ時の流れが、なにかにせきたてられているかのように、性急になり、いけません。すっかり落ち着きをなくし、パブロフの犬と化しています。今日から一気に冷えこんだことも手伝って、どうしようもなく年の瀬です。

Anniversary「閲覧数が 60000 件を超えました」

前略  閲覧数が 60000件を超え、60120 件になりました。不覚にもつい今しがた気がつきました。皆々様方のおかげです。どうもありがとうございました。少しずつ検索にも引っかかるようになってきました。なかでも、 五木寛之講演「見て知りそ 知りてな見そ」 の閲覧数が群を抜いています。 今後ともよろしくお願い申しあげます。                                       草々

「今年最後のラブコールです」

「今年最後の休日」の予定でしたが、急遽お声がかかり今から一対一の授業です。 「相似な図形と三平方の定理の融合問題」「天体」あたりが授業の中心になるかと思いますが、あなたまかせの授業ですので、その行方はわかりません。 南風が吹きつけ、窓が雨に洗われています。温かな雨です。暖冬は私にとっては願ったりかなったりですが、他への影響が懸念されます。 以来ずっと  司馬遼太郎 『十六の話』中公文庫 を読んでいます。 『十六の話』との邂逅は、かけがえのない読書体験になりそうです。各方面に波及、展開していくのは間違いのないことです。司馬遼太郎から視界が開けるとは思ってもみないことでした。

「この先の行きつく地平」

二十日の夕方、従兄弟が急逝し通夜式、告別式に参列しました。 思いもかけず、人の死と出会い、神職の詞と出会いました。 司馬遼太郎 『十六の話』中公文庫「対談 司馬遼太郎 井筒俊彦 付録 二十世紀末の闇と光」(397-441頁) を繰り返し読むなかで、 巡り巡って、行きついた先 は、 学生時代に描いていた地平です。振り出しにもどりました。

「今年最後の積読 全5冊+3冊+2冊です」

井筒俊彦を「この人は二十人ぐらいの天才らが一人になっているな」と称し、大野晋を「先生は、抜き身の刀のような方ですね」と語った、司馬遼太郎がいま気になります。トリは文句なしに司馬遼太郎で決まりです。 「梅雨晴の間に間に_大野晋『日本語練習帳』のことども」 「井筒俊彦という巨匠と井筒俊彦が師事した巨星」 ◇司馬遼太郎 『十六の話』中公文庫 ◇司馬遼太郎『日本語の本質―司馬遼太郎対話選集 2』文春文庫 ◇司馬遼太郎『 人間というもの』 PHP文庫 ◇司馬遼太郎 『対談集 日本人への遺言』朝日文庫 大学時代キャンパス内で、司馬遼太郎さんの講演をお聞きしたと思うのですが、定かな記憶はなく、頼りは、 司馬遼太郎 『司馬遼太郎全講演(全5冊)』朝日文庫 だけです。記憶をたどります。 そして、最後は、 ◇柴田光滋『 編集者の仕事―本の魂は細部に宿る』新潮新書 です。編集者の手を経ることによって、文章はどう変わるのでしょうか。「編集者の仕事」に興味が尽きません 。 また加えて、 ◇司馬遼太郎 『 司馬遼太郎対談集 日本人を考える 』文春文庫 ◇司馬遼太郎 『 司馬遼太郎 ドナルド・キーン 日本人と日本文化 』中公文庫 です。 さらに、やはり日本語のことが気になり、 ◇藤原正彦『祖国とは国語』新潮文庫 です。帯には、 齋藤孝絶賛 「ああ、この人に文部科学大臣になってもらいたい」 と書かれています。 また、性懲りもなく、 司馬遼太郎 『十六の話』中公文庫「対談 司馬遼太郎 井筒俊彦 付録 二十世紀末の闇と光」(397-441頁) を繰り返し読むなかで、対談中に何度か話題にのぼっている、以下の二冊、 ◇司馬遼太郎『 韃靼疾風録〈上・下〉』中公文庫 ◇司馬遼太郎 『空海の風景〈上・下〉』中公文庫 は、はずすわけにはいかず、「今年最後の積読」に加えることにしました。 『空海の風景』は、学生時代以来の積読であり年季がはいっています。『韃靼疾風録』は今回購入しました。井筒俊彦の著作は、何冊かを読み、何冊かは積読中です。読み直す時期が巡ってきたようです。年明けには「今年はじめの積読」を予定しています。 以下、 「井筒俊彦という巨匠と井筒俊彦が師事した巨星」 です。ご参考まで。

「2016年 高校入試 冬期講習」

昨日から冬期講習をはじめました。さほど疲れは感じませんが、一日六時間しゃべると気分が高揚し、落ち着きを失くします。脳内を鎮めるには寝るしかありません。しゃべりすぎは身の毒です。気がぬけます。人間が浅薄になります。 高校入試対策講座「英語_苦肉の最短コース編」 「戦いにはストラテジーが必要です。それは受験とて同じことです。戦略なき戦いは負け戦です。冬休みに腰を据えて英語の過去問と向き合うことが、私のストラテジーであり、戦略です。」

「冬至の日に思う」

当地では青空が広がり、暖かな冬至の日になりました。南に面した八畳の間は温室さながらです。が、三時をすこし過ぎた頃には、早くも夕闇の気配がただよいはじめ、冬の愁にかられます。物思う冬の夜を過ごしています。

「拝啓 P教授様_『此頃塾ニハヤル物』です。」

「此頃塾ニハヤル物」、 子どもたちの失礼、欠礼、 粗野、粗暴、 横柄、横暴、窃盗と枚挙にいとまがなく、 私は、自分の裁量で、子どもたちを辞めさせることができますが、P教授においてはかなわず、心中を察するに余りあります。 子どもたちには、塾を辞めさせられた理由がわからないらしく、先生がキレた、という噂だけが一人歩きをし、すぐに辞めさせる塾、として界隈では評判とのことですが、仕方のないこととあきらめています。中学生のご機嫌をとるような器用なまねは、私にはできません。 くれぐれもお大事になさってください。ご自愛ください。 FROM HONDA WITH THE BIGGEST LOVE.

「教育の浄化と再生_教師の言い草、子どもの言い分」

「塾で教えてもらえばいいか」 教師の言い草、子どもの言い分。 「塾で教えてもらえばいいや」 子どもの怠慢、教師の怠惰。

「拝復 P教授様_覚悟の問題です」

安心しました。 初稿ができあがるまでのご苦労を思います。 受験は覚悟の問題、と常々私は子どもたちに言っていますが、ご無理だけはなさらないようにと、祈るばかりです。 くれぐれもお大事になさってください。ご自愛ください。 TAKE CARE. FROM HONDA WITH LOVE.

「ラブコール_いかに迷うか」

正解にいたるまでの私の迷い方をぜひみにきてください。数学の問題を解くとは、いかに迷うかということです。迷い方の問題です。 いよいよ考えが煮つまってしまったら、いったんその問題から離れて、時間をおいてから解くとあっけなく解けることがあります。よそ事をしているときにひらめくこともあります。ふて寝から覚めたときに思いつくこともあります。いずれにしても時間をおく際には、当面している問題を忘却の彼方に追いやってしまうのではなく、頭の片隅に把持したまま、つかず離れずの状態で時間を過ごすことが大切です。散歩をしたり掃除をしたりするのも一興です。そんなこんなを繰り返しているうちに、解き方の勘所がわかってくるようになります。

藤原正彦「なぜか美しい」

「この世は数学だらけ」 藤原正彦『祖国とは国語』新潮文庫 実はこの世のどんな現象にも数学がつまっている。しかもなぜか美しい。この不思議を、神を持ち出さずにうまく説明した人はまだいない。 (116頁) 「ビュフォンの針」とよばれる確率の問題についての随筆で、以上は、その掉尾の三文です。その確率は 1/π になるそうです。 藤原正彦は、 「何の関係もありそうもない円周率が登場するのも意外だが、π 分の一という簡潔さが実に美しい。」 と書いています。 中学校二年生の教科書『未来へひろがる 数学2』啓林館(151頁)に、 「数学展望台 ビュフォンの針」と題された読み物が載っています。子どもたちは、数学に美を感じるのでしょうか。執筆者の願いは通じるのでしょうか、という以前に、はたしてどれくらいの子どもたちが読むのでしょうか。はなはだ疑問です。

「ラブコール_H宛の高校入試対策プリント」

Hへのプリントは、私の祈りであり、執念です。 IRさんより H君へのプリントは、私の祈りであり、愛の賜物です。 GOOD LUCK! FROM IR WITH LOVE. FROM HONDA WITH LOVE. 以下、 「自学自習に向けて、当塾の教材の公開」 です。私の祈りです。執念です。愛の賜物です。

齋藤孝「人生は動詞で変わる」

齋藤孝「人生は動詞で変わる」 日本文藝家協会『ベスト・エッセイ 2013』光村図書出版  動詞は、その人の生きる姿勢に投影されやすい。たとえば包容力のある人は、「包む」身体性を持っている。どんな形状のものもうまいこと「包み込んでしまう」風呂敷(ふろしき)のような柔軟さを持っている。この意見だけが正しいとか、これでなければダメだ、という考え方をしない。自分とは見解が違っても人の話に耳を傾けて「聞く」ことができ、相手を「受け容(い)れる」ことができる。行動や考え方に「包む」という動詞のもつ特徴が自然にあらわれて、その人のひとつのスタイルになっている。  「名は体(たい)をあらわす」という言葉があるが、私はむしろ「動詞は体をあらわす」と考える。自分のスイッチになる「動詞」をたくさん持っている人は、自分のからだをベースにして心地よく生きる術(すべ)を知っている人だ。生き方のスタイルは動詞で変わる。人生は動詞次第だ ー。 以上、『2017年度受験用 愛知県公立高等学校 予想テスト』英俊社(58-59頁)からの孫引きです。近日中に確認します。 以下、 「地下足袋で歩きながら、つらつらと」動詞を大切にする。 です。ご参考まで。

「ラブコール_高校受験数学 図形編」

ご質問の6題の数学を解きました。受験数学には受験数学の解き方があります。ある程度の数の解法のパターンを暗記し、自在に使いこなすことができるようになれば、見晴らしのいい立ち位置から、解にいたるまでの道筋を見てとれるようになります。ただやみくもに力ずくで、という解き方では、先行きが見えず不安で、時間を浪費 し、結局は解けずに終わることが多いと思います。美しく、シンプルに、スマートに解くのが(受験)数学です。受験数学への取り組み方を修正する必要があるかと思っています。ただし、2題の「平面図形 解き方の見当がつかない問題」は別です。「解き方の見当がつかない」ような問題は、試験当日解けなくても、解かなくてもいい問題です。試験時間内に解けるような類の問題ではありません。 天体のすべての問題にも目を通しました。補足しなければならないことがいくつかあります。解説に誤りもあります。心配です。また、英語の後置修飾のプリントもみておきました。とてもよくできていて、驚いています。さすがですね。 早い時期の ご来塾を、またその際には時間にゆとりをもって、おこしください。相応の時間が必要です。 では、では。 時節柄くれぐれもご自愛ください。l TAKE IT EASY! FROM HONDA WITH LOVE. 以下、 「自学自習に向けて、当塾の教材の公開」 です。

「今年最後の積読 全5冊+3冊です」

井筒俊彦を「この人は二十人ぐらいの天才らが一人になっているな」と称し、大野晋を「先生は、抜き身の刀のような方ですね」と語った、司馬遼太郎がいま気になります。トリは文句なしに司馬遼太郎で決まりです。 「梅雨晴の間に間に_大野晋『日本語練習帳』のことども」 「井筒俊彦という巨匠と井筒俊彦が師事した巨星」 ◇司馬遼太郎 『十六の話』中公文庫 ◇司馬遼太郎『日本語の本質―司馬遼太郎対話選集 2』文春文庫 ◇司馬遼太郎『 人間というもの』 PHP文庫 ◇司馬遼太郎 『対談集 日本人への遺言』朝日文庫 大学時代キャンパス内で、司馬遼太郎さんの講演をお聞きしたと思うのですが、定かな記憶はなく、頼りは、 司馬遼太郎 『司馬遼太郎全講演(全5冊)』朝日文庫 だけです。記憶をたどります。 そして、最後は、 ◇柴田光滋『 編集者の仕事―本の魂は細部に宿る』新潮新書 です。編集者の手を経ることによって、文章はどう変わるのでしょうか。「編集者の仕事」に興味が尽きません 。 また加えて、 ◇司馬遼太郎 『 司馬遼太郎対談集 日本人を考える 』文春文庫 ◇司馬遼太郎 『 司馬遼太郎 ドナルド・キーン 日本人と日本文化 』中公文庫 です。 さらに、やはり日本語のことが気になり、 ◇藤原正彦『祖国とは国語』新潮文庫 です。帯には、 齋藤孝絶賛 「ああ、この人に文部科学大臣になってもらいたい」 と書かれています。

「教育の浄化と再生_なによりも日本語、現場の教師に託されたもの」

川上二郎「大野晋さんの遺言」 「日本は戦争に負けて、頭の中までアメリカの植民地になっちゃったんだね」と言われるようになったのは、そのころからである。カタカナ英語の氾濫に加え、テレビのコマーシャルで「メイク・イット・ポッシブル・ウィズ・キャノン」と、宣伝の文章がそっくり英語になったことに注目され、「このままいくと百年後には、今書かれている日本語のわかる人は、日本にいなくなるかもしれない」と言われた。 「では、私たちはどうすればいいのでしょう」とお聞きすると、「実はね、僕は申し訳ないことをしたと思っているんだ」と、思いもかけない言葉が返ってきた。それはこういうことだった。自分は学生の時に「日本とは何か。日本語はどこから来たのか」という設問を自らに課し、答えを見つけることに一生を捧げた。そして結論を出すことができた。しかしそうしている間に、この国は壊れた。最大の原因は、戦後の国語教育にあったと思う。  中学校で国語と英語の授業時間を同じにしてしまえば、植民地化が進むのは避けようがない。日本人にとって国語は母語である。母語は、意志や気持ちを伝える道具ではなく精神の土台だ。それなのに、土台造りを怠ってきた。  日本のあちこちで起こっている問題の原因は、国語力の低下で説明がつく。精神の土台が崩れ、考えや判断するのに不可欠な国語の能力が落ちれば、問題は起きるし、解決の知恵も出なくなる。  日本語の能力の基礎は小学校の三、四年生までに築いておかなければいけない。しかし助詞の「は」と「が」の違いをわかりやすくきちんと教えられる先生が、日本に何人いるのか。 「そう考えるとね、自分の研究は半分位にして、半分は国語をしっかり教えられる人材の育成に当てるべきだった。申し訳なかったなと、思っているんだよ」  3・11以降、筆者は政治家や官僚の発言を見聞きするにつけ、大野晋さんの〝遺言〟を思い出すことが多くなった。 (「考える人」2012年春号掲載) 「教育の浄化と再生_齋藤孝氏のイライラ」 齋藤孝,梅田望夫『私塾のすすめ ー ここから創造が生まれる』ちくま新書(74-75頁) どの層に伝えたいかというと、現実を変えるために、教師の方たちにがんばってもらわなきゃ、という思いはあります。子どもたちについては、全体を底上げすることに使命感をもっています。だから、小学校の国語の教

司馬遼太郎「なによりも国語」

「なによりも国語」 司馬遼太郎『十六の話』中公文庫(369-371頁) 「日本人は英語がへただから、多くを語らず、主張もひかえ目にする」  という人があるが、そういうことはありえない。国語がへたなのである。英語など通訳を通せばなんでもない。いかに英語の達人が通訳してくれても、スピーカーの側での日本語としての国語力が貧困(多くの日本人がそうである)では、訳しようもない。  国語力は、家庭と学校で養われる。国語力にとっての二つの大きな畑といってよく、あとは読書と交友がある。  国語力を養う基本は、いかなる場合でも、 「文章語にして語れ」  ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境(つまり単語のやりとりだけで意志が通じあう環境)では、国語力は育たない。  ふつう、生活用語は四、五百語だといわれる。その気になれば、生涯、四、五百語で、それも単語のやりとりだけですごすことができる。ただ、そういう場合、その人の精神生活は、遠い狩猟・採集の時代とすこしもかわらないのである。  言語によって感動することもなく、言語によって叡智を触発されることもなく、言語によって人間以上の超越世界を感じることもなく、言語によって知的昂揚を感ずることもなく、言語によって愛を感ずることもない。まして言語によって古今東西の古人と語らうこともない。  ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、何をいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。 「なぜ水が欲しいの?」  と、問いかけてみる。 「のど、かわいた」  子供は、あたり前のことをいう。これでは、国語力とはいえない。 「運動もしないのに、どういうわけか、のどがかわくのです。気分はわるくありません」  と、自分の現状を、ちゃんと言語化できるように、子供をしつけてやらねばならない。  明治維新で江戸期の言語(話し言葉・書き言葉の両方とも)が御破算になり、あらたに日本語が出発した。その後、まだ百数十年しか経っておらず、さらにいえばさきにのべたような意味での“国語はいかに人間にとって大事か”という考え方については、ごく最近はじまったばかりである。  学校の現場は、国語建設の現場でも

「今年最後の積読 全5冊です」

井筒俊彦を「この人は二十人ぐらいの天才らが一人になっているな」と称し、大野晋を「先生は、抜き身の刀のような方ですね」と語った、司馬遼太郎がいま気になります。トリは文句なしに司馬遼太郎で決まりです。 「梅雨晴の間に間に_大野晋『日本語練習帳』のことども」 「井筒俊彦という巨匠と井筒俊彦が師事した巨星」 ◇司馬遼太郎 『十六の話』中公文庫 ◇司馬遼太郎『日本語の本質―司馬遼太郎対話選集 2』文春文庫 ◇司馬遼太郎『 人間というもの』 PHP文庫 ◇司馬遼太郎 『対談集 日本人への遺言』朝日文庫 大学時代キャンパス内で、司馬遼太郎さんの講演をお聞きしたと思うのですが、定かな記憶はなく、頼りは、 司馬遼太郎 『司馬遼太郎全講演(全5冊)』朝日文庫 だけです。記憶をたどります。 そして、最後は、 ◇柴田光滋『 編集者の仕事―本の魂は細部に宿る』新潮新書 です。編集者の手を経ることによって、文章はどう変わるのでしょうか。「編集者の仕事」に興味が尽きません 。

「冬の月」

昨夜は満月が、今夜は十六夜の月が明るく空にかかっています。冬の月です。冬には冬の趣があります。

司馬遼太郎「日本仏教の到達点」

矢沢永一「余白に」 司馬遼太郎『人間というもの』PHP文庫(229-230頁)  司馬さんは日本歴史の急所となっている問題をあまねく解明してゆくのだが、我が国にのみ独自に発生した宗教意識をはじめて明快に解きあかした。『尻啖え孫市』の一節である。 「その如来は、どこにいる」 「十万世界(宇宙)にあまねく満ち満ちていらっしゃいます。満ち満ちて、わたくしどもが救 われたくないと申しても、だまって救ってしまわれます」 「救いとはどういうことだ」 「人のいのちは、短うございましょう? そのみじかいいのちを、永遠の時間のなかに  繰り入れてくださることでございます」 「念仏(南無阿弥陀仏)すれば、か」 「いいえ、お念仏をとなえようと、唱えまいと、繰り入れてくださいます。それが、極楽へ参れる、という境地でございます」 「わからぬことをいう。さすれば、念仏は、その極楽(きょうち)に生まれるためのまじないか、関所手形のようなものではないのか」 「ちがいます。さきほども申しましたように弥陀の本願によってたれでも救われるのでございますから、南無阿弥陀仏をとなえる者だけが極楽に生まれるというものではございませぬ。たれでも、生まれさせて頂けます。お念仏は、そういうありがたさを感謝する讃仏(さんぶつ)のことばにすぎませぬ」 これが日本仏教の到達点であったと理解すべきであろう。

「今年最後の運だめし」

昨夜、『平成29年春 愛知県公立高校入試 予想問題』教英出版 を購入しました。密封されていて、内容を確かめることができず、迷いました。 愛知県では来年度から入試制度が改変され、それに際しては、以下の「問題例」が 2016/05/19 にインターネット上にUP されました。 「平成29年度以降の愛知県公立高等学校入学者選抜 (全日制課程)における学力検査及び問題例について」 迷いましたが、県教委発表の「問題例」をふまえた予想問題が欲しく、出版年をレジで尋ねると、 2016/11/20 とのことでしたので、「今年最後の運だめし」と思い購入しました。1296 円でした。開封すると、理科を除く、四教科二回分、計八つの予想問題のうち、 新入試制度形式の問題は、「 第二回」の国語・数学・英語の三教科だけでした。3/8 の割合でした。個々の問題に当たったわけではありませんので、内容の如何についてはわかりませんが、密封せざるを得なかったお家の事情がよくわかりました。もとより信頼するに足る 出版社ではありませんし、「 今年最後の運だめし」などと一人いい気になって、勢いあまって購入したのが運の尽きでした。 『 2017年度受験用 愛知県公立高等学校 予想テスト』英俊社(定価 1620円) も手元にあります。割合は、やや高く 5/8 です。こちらは内容を確認し、納得したうえで購入したものですから、この場で云々するのはさしひかえさせていただきます。 ちなみに、2006年度の入試対策として購入した『愛知県公立高校入試予想問題集』秀英予備校 には、炭素による酸化銅の還元に関するグラフ問題(過不足)が載っていました。はじめて目にする問題でした。そして、当日出題されました。これに気をよくした私は、次年度も注文しようと思いましたが、「もしかすると使いまわしているかもしれない」と思い、秀英予備校さんにお電話をし、「今年度の予想問題は、昨年度の予想問題と同じ内容のものですか、それとも違う内容のものですか。はっきり答えてください」とお訊きすると、「昨年度と同じものです」とのはっきりしたお答えが返ってきました。が、どうしたことか、入試では三年間続けて、同じタイプのグラフ問題が出題され、ことこの問題に関するかぎり、三年間もの長きにわたって秀英予備校さんの予想は見事に的中したわけで

「出版社たるものの矜持は各社各様」

この数日間で、愛知県公立高入試の「天体分野」、十数年間分と何冊かの参考書、問題集に目を通しました。 「天体」は私の不得手な分野で、愛知県公立高入試で出題された程度の問題でしたら、なんとか対応できるものの、それ以上のレベルの問題となるとなかなか難しく、保留にした問題も何問かあります。右も左も、東も西も、上も下もわからず、ひとえに私の想像力の欠如のいたすところです。 解説は各社各様で、過去問に限っていえば、『声の教育社』さんの解説が懇切丁寧で解りやすく抜きんでていますが、H24年度以降は出版されていません。解説が誤っているものや、言葉足らずで要領を得ないもの、そして当地域の中学校がこぞってご推薦の、中学校を通じて販売される過去問にいたっては、難問の解説は上手く回避され、お手上げです。 受験生が何社もの過去問を所持しているとはとても考えられず、気の毒になります。P教授の言葉を拝借すれば、 「出版人たるもの、出版人たるものの矜持はないのでしょうか」 「出版社たるもの、出版社たるものの矜持はないのでしょうか」 ついでに書き添えておけば、 古賀伊織『高校入試 塾で教わる 理科の考え方・解き方(佐鳴予備校の合格講座)』 KADOKAWA/中経出版  (273頁)には、 「3月のしし座は、太陽と真逆の方向なので、真夜中に南に見えます。」 との一文があります。活字の「真逆(まぎゃく)」には、はじめてお目にかかり、目を疑いました。

「正面に座られると困るんですが」

たとえば、マクドナルドで、私が座っているテーブル席のすぐ前のテーブルに、私と向かい合う格好で座る人たちが少なからずいます。何人か連れのグループではなく、一人で、他に空いている席があるにもかかわらずに、です。 真正面に座を占められると、目障りで、気味が悪く、落着きをかき、急に居心地が悪くなります。そんな折には、早速席を立ち、他の席に移ることにしています。年代を問わず、男性客に限られます。この夏以降のことです。 何が彼らにその場所を選ばせるのでしょうか。不思議でなりません。彼らを見ていると、うつ向いてスマートフォンをいじっていることが多く、顔を見あわせることがないので、近距離で他人(ひと)と正対していても不都合はなく、平気なのでしょうか、と思いをめぐらせても納得がいかず、人との間のとり方や個人が占める空間に対する感覚が変わってきたような気がしてなりません。 彼らを避けて、さっさと私が席を立つことよって、逆に彼らは気分を害しているのでしょうか。思えば埓の開かないことで、他人(ひと)の迷惑は顧みず、「わがままに」とさせていただいております。

「ラブコール_美しくありたいと願う」

テーマを決めてのぞんでいただかないと、前回、前々回等々のような、あれもこれもといったとり散らかした乱雑な授業になってしまいます。それでさしつかえな ければ、それで一向に構わないのですが…。 天体しかり、円周角・三平方の定理しかり、教科書の内容、学校の授業内容では追いつかず、受験では圧倒的に不利になるかと思われます。そこを補いたいと思っています。 美しい授業を、と心がけていますが、それもこれも子どもたち次第で、 降りかかる火の粉も浴びれば、泥もかぶります。すべてがあなたまかせの授業です。美しくありたいと願うのは、私には過ぎたことなのでしょうか。 以下、 「自学自習に向けて、当塾の教材の公開」 です。

「冬至十日前」

日暮れが最も早いのは「冬至十日前」という言葉を、子どもの頃よく耳にしましたが、あながち間違いではないようです。 気象予報士の伊藤みゆきさんは、東京おける日の入りの最も早い頃は「 11 月末~ 12 月上旬」で、その時刻は「 16 時 28 分」にあたります、と書かれています。 昔の人は冬至の日には、日が長くなったことを敏感に感じとっていたのでしょう。私が、日没が遅くなり、あたりにほのじろさを感じるのは、毎年きまって年の瀬のことです。冬期講習が終わる、午後五時。昔の人にとっても、私にとっても、日の入りの時刻に関心をよせるのは、その切実さゆえ、といえば、当たらずといえども遠からず、ということでしょう。

倉田卓次「馬上枕上厠上」

「本を読む場所」 倉田卓次『裁判官の書斎』勁草書房 (49-50頁) 「『馬上枕上厠上(しじょう)』のいわゆる『三上(さんじょう)』は、本来、 文章を練るに適するとして古く人が勧めた場所で」 と倉田卓次は書いています。 自動車を運転中の「車上」は、すてきな出会いに満ちています。が、時折 信号を無視し、信号を見落とし、道順を間違え、そして時には、立体駐車場の順路を誤って逆走したりもしています。決して他人(ひと)にはお薦めできませんが、私は覚悟のうえで(?)波乱に富んだ「車上」をとります 。 以下、 「P教授曰く「文章がやせ細るだろ」_「四隅の時間」を惜しんでの「四上」の読書です」 です。

「近づかないでください」

たそがれ時、セルフのガソリンスタンドで、給油をしていると、店番の男性が小走りにやって来て、 「洗車はいかがですか」 と声をかけられました。 「結構です」 とお答えしました。 さらに歩みよってきて、まだなにか言いたげなようすでした。 「近づかないでください」 という言葉が口をついて出てきて、あわてましたが、後の祭りです。 「近づかないでください」と言った人の気持ち。 「近づかないでください」と言われた人の気持ち。 「近づかないでください」と言わなければならなかった人の気持ち。 「近づかないでください」と言われなければならなかった人の気持ち。 「セルフ」とは「わがままに」と、私は解釈しています。

「あわてる」

セブンイレブン豊橋U店で、「Peace Super Light(煙草)」を三つ、計1380円の代金を、五千円札と四つの百円硬貨で支払い、お釣りを受けとり、精算しました。その際にはくじを一枚引いてください、と言われましたが、結構です、とお断りし店を出ました。 そして、何時間かを自宅で過ごし、財布の中を見ると、紙幣が一枚もなく、混乱しました。近頃とみにあやしくなった自分の頭を真っ先に疑いました。五千円札と千円札を間違えたのかもしれない。ありえないことではなく悄然とし、心あたりを探しましたが、見つかりませんでした。その頃にはお金はもうどうでもよく、気になるのは自分の頭のことばかりでした。そして、ご 迷惑とは重々承知しつつも、 疑いをはらすべく、セブンイレブン豊橋U店さんに確認のお電話をしました。 電話口には店長さんが出られ、ほっとしました。アルバイトの店員さんとのやりとりは、やっかいで、はかどりません。私の勘違いかもしれませんが、と前置きし、事情をお話しすると、 「何時頃、ご来店になられましたか」 と尋ねられましたので、 「九時から十時の間だと思います」 と答えると、 「いまビデオとレジを確認しますので、しばらくお待ちください」 とのご返事でした。数分後には、 「クジを引くのを、結構です、と断られた方ですか」 といわれ、予期せぬ言葉にあわてながらも、 「はい、そうです」 と返事をしました。 「確かに五千四百円おあずかりしましたが、二十円のお釣りしかお渡 していません。こちらの不手際で申し訳ございませんでした。あとの四千円をお返しいたしますので、都合のよいときにおこしください。よろしくお願いいたします」 とのことで、電話を切りました。 これほど容易に人物が特定できることに驚くとともに、脅威を感じました。それにしても、くじを引くのを断ったことが、幸いするとは思ってもみないことでした。 店長さんがいらっしゃるときに、と思い私は早速家を出ました。 「私どもが、お宅までお届けにまいるのが本当のところですが、わざわざ足を運んでいただき申し訳ありませんでした。担当のものにはよく注意しておきますから」 ということで、 「ご心配の頭の方はまだ捨てたものではなく、よかったですね」 と微笑んだ、 所在のわか