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3月, 2019の投稿を表示しています

TWEET「頓挫する」

   子規逝(ゆ)くや十七日の月明(げつめい)に 「と、(高浜)虚子が口ずさんだのは、」「子規が死んだ」「明治三十五年九月十九日の午前一時」を少し回った頃のことだった。空には、「十七夜の月があかあかと」かかっていた。(司馬遼太郎『坂の上の雲(三)』文春文庫、26-29頁) 時局は対露開戦が避けられない状況下にあり、逼迫している。 ◇ 司馬遼太郎『坂の上の雲(三)』文春文庫 を 160 頁まで読んだ。そして、次章、「開戦へ」と続く。  2019/03/23 の午後からはじめた読書であったが、蕭蕭とした風にさらされ、時代の趨勢とともに閉塞感にまとわれ、やり切れなさばかりがつのった。精神衛生上悪く、意を決し頓挫した。虚虚実実の世界、権謀術数を楽しむには、年を取り過ぎた。  何という幕引きか、予想だにしなかったことである。

TWEET「柿の芽吹き」

 庭の柿が芽吹きはじめました。柿の葉の成長は早く、気づけば、春の陽に照る若葉を目にするばかりといった失態を、毎春繰り返しています。今春も、見す見すまた過ぐの感を抱いています。迂闊ということです。 今夕、 ◇ 司馬遼太郎『坂の上の雲(二)』文春文庫 を読み終えました。  戦いは常に緻密です。戦略・戦術なき戦は負け戦です。「志操堅固」という言葉を覚えました。時折 登場する漱石の行方が気になります。

TWEET「書生っぽの読書」

山村修『増補 遅読のすすめ』ちくま文庫 「緒方洪庵の塾で、塾生たちには昼夜の区別がなく、蒲団をしいて枕をして寝るなどということは、だれも一度もしたことがない。読書にくたびれて眠くなれば、机に突っ伏して眠るばかりだったと、『福翁自伝』に書かれていたのを思い出す。これが書生の読書である」  これに対して、倉田卓次の読書は「社会に出ている人」、「特殊ではない一人の生活人の読書」である。「そこに生活人の読書の手本を見たように思った」 (111頁,144頁) ◇ 司馬遼太郎『坂の上の雲(一)』文春文庫 を読み終えた。まる二日かかった。  大学予備門(第一高等中学校、後の第一高等学校)へと進んだ正岡子規と秋山真之(さねゆき)の読書は、「書生の読書」を地で行くものだった。  それに比し、時ところを選ばず、読み散らかしている私の読書は、年甲斐もなく、「生活人」のそれではなく、「書生っぽの読書」とでもいえる亜流のものである。止むに止まれず、救いようのないものと諦めている。 以下、 倉田卓次_「四隅の時間」を惜しんで、「四上」の読書です。

TWEET「五月の蝿はうるさいか」

 来年度の中二生の授業日の件で、2019/03/16 から、父兄を巻きこんで乱戦・混戦状態が続いていました。私ひとり蚊帳の外とはいかず、やかましくて仕方がありませんでした。昨夜が期限でした。折り合いがつかず、私の手に優先権が移り、「解散」という応えを伝えました。子どもたちにとっては意外だったようですが、明解、と私自身は自負しております。 おはようございます。 「解散」というのが、私の出した応えです。去る者は追わず、ということです。再び入塾される際には、すべて納得済み、と考えさせていただきます。  ひとりで抱えこまずに、少し P さんに支えてもらえ ば楽になるように感じています。中学生の娘さんと話す ことでフラストレーションを解消しているな、と思われる母娘関係は珍しくなく、よくみかける風景です。持ちつ持たれつの関係で一向に構わない、持ちつ持たれつの関係がいい、と思っています。  P さんの言葉はありがたく もったいなく 恐縮しています。その旨 P  さんにはよろしくお伝えしてください。  ご父兄の高校入試に関する知識は浅薄です。思い違いも多く、特に第一子の受験の際には、それは顕著に認められます。何かの際には、ご遠慮なくご連絡ください。  おしゃべりが過ぎたのかもしれません。もし過ぎたようでしたら、申し訳なく思っております。 では、では。 すてきな休日をお過ごしください。 また。 くれぐれもご自愛ください。 TAKE IT EASY! FROM HONDA WITH LOVE.

TWEET『坂の上の雲』

 司馬遼太郎の自選の著である、 ◇ 司馬遼太郎『坂の上の雲(全八巻)』文春文庫 を、今日の午後から読みはじめました。  自選の書は、『竜馬がゆく』とばかり思っていましたので、それを知ったときには意外な印象を受けました。十年以上も寝かせたままにしてあった文庫です。  次は、 ◇ 司馬遼太郎『十六の話』中公文庫 「附録 二十世紀末の闇と光」 〈対談〉井筒俊彦 司馬遼太郎 で話題にのぼった、 ◇ 司馬遼太郎『韃靼疾風録(上・下巻)』中公文庫 となるのでしょうか。  春寒(はるさむ)の候は、ぬくぬくした部屋で読書を、と引きこもりを決めこみました。いつになく眠気に誘われるのが、この時季の読書です。子守歌がわりの読書です。主客の別なく、と考えております。 「司馬遼太郎の博覧、古書店主の強記」 芸術新潮編集部 [編]『司馬遼太郎が愛した「風景」』(とんぼの本)新潮社 「雑木の森の光 司馬遼太郎記念館設計にあたって  安藤忠雄[あんどう・ただお 建築家]」 かつて、神田の古本屋街から、ある特定のテーマの書籍類が忽然と姿を消すということが、しばしばあったという。それは、司馬さんが新しい小説の執筆のために買い集めたからだという話が伝説のように語り継がれている。彼が一回に取り寄せる書籍の量は、ダンボール箱十個分にもおよんだという。(116頁) 「世界一の“物学び”のまち 神田・本郷界隈[東京都千代田区 / 文京区]」 店主の高山富三男(ふみお)さん……私は三十年来、この人の厄介になっている。  ……古本屋さんというのは商品知識だけがいのちである。  たとえば、明治時代のなんという博士のどういう著作はどの程度の価値があって、世間にどれほどの冊数が流通しているかを知らねばならない。……  高山さんの専門である歴史関係の本だけでも、何万種類もある。この人はみな親類のように熟知している。……  かといって高山さんが何万点を精読したかというと、そんなぐあいでもない。……  ともかくも、高山さんの頭がどうなっているのか、ふしぎなような気がする。私が電話でなにかの本を注文すると、ときに、 「ああ、それはお持ちになっています」  という。あわてて自分の書棚をみにゆくと、なるほど持っている。二十年前に高山さんから買ったものである。(「神田

「北原白秋_言葉の音楽的生動」

身辺が最近とみにやかましく、おもしろくなく、「しん」とした時間に浸りたくて、 ◇  北原白秋「落葉松」_我が「心の幽かなそよぎ」 ◇ 「春の湿原にスミレをさがしに_スミレはスミレ」 以上のブログに記した二編の白秋の詩を読みました。 北原白秋「薔薇二曲」 『白金之独楽』           一    薔薇ノ木ニ        薔薇ノ花サク。    ナニゴトノ不思議ナケレド。       二    薔薇ノ花。    ナニゴトノ不思議ナケレド。    照リ極マレバ木ヨリコボルル。    光リコボルル。   北原白秋「落葉松」 『水墨集』        一     からまつの林を過ぎて、    からまつをしみじみと見き。    からまつはさびしかりけり。    たびゆくはさびしかりけり。        二      からまつの林を出でて、    からまつの林に入りぬ。    からまつの林に入りて、    また細く道はつづけり。        三     からまつの林の奥も    わが通る道はありけり。    霧雨(きりさめ)のかかる道なり。    山風のかよふ道なり。        四     からまつの林の道は    われのみか、ひともかよひぬ。    ほそぼそと通ふ道なり。    さびさびといそぐ道なり。        五    からまつの林を過ぎて、    ゆゑしらず歩みひそめつ。    からまつはさびしかりけり。     からまつとささやきにけり。        六    からまつの林を出でて、    浅間嶺(あさまね)にけぶり立つ見つ。       浅間嶺(あさまね)にけぶり立つ見つ。    からまつのまたそのうへに。        七    からまつの林の雨は    さびしけどいよよしづけし。    かんこ鳥鳴けるのみなる。    からまつの濡るるのみなる。        八     世の中よ、あはれなりけり。    常なけどうれしかりけり。    山川に山がはの音、    からまつにからまつのかぜ。 ≪落葉松≫の初めに、次の文が書かれています。  落葉松の幽かなる、その風のこまかにさびしく物あはれなる、ただ心よ

「春分の日の今日、漱石山房原稿用箋を携えて」

 入試の最中のこととて、啓蟄(2019/03/09)を知らず、知らぬままに、昨日春の湿原へ 向かいました。   WEXLEY「URBAN BACKPACK_DARK GRAY」 を背負って行きました。「URBAN BACKPACK」にとっては、野外活動、事始めでした。 「漱石山房原稿用箋」 をしのばせていきました。この頃ではどこへ行くにも漱石先生といっしょです。 掲示には、  「木道わきにもショウジョウバカマの花が見られるようになってきました。  湿原内にはアズマヒキガエルの卵が産み落とされています。これがオタマジャクシになる頃になるとヘビが出てきて、ヘビが出てくる頃になると捕食者として鷹のサシバが帰ってきます。 (後略)」 と、記されていました。早春の、巧みに配された食物網の趣をみる思いがしました。  そして、掲示は、 「金子みすゞの声が聞こえてきそうな気がします。 『見えないけれども あるんだよ』」 の一文で結ばれており、あまりにも唐突な出会いに、思わず漱石先生と目を見合わせました。 「Apple」のアプリ「ヘルスケア」を開くと、歩数 1000 歩前後、歩行距離 500m 程度の日が目立ち、さすがにあわてました。この散策を手がかりに、春の湿原の移ろいを堪能したいと思っています。  いま雨が降っています。穏やかな雨です。やわらかに降っています。 以下、 「漱石山房原稿用箋を前にして」 です。

TWEET「誰彼にともなく」

 是々非々でいかせていただきます。いつそちらに火の粉が降りかかるかは、予断を許さないものとお考えください。政治的手法です。私にとっては倫理観を超えたゲームです。私のもっとも不得手とする分野です。

TWEET「そこのけそこのけお馬が通る」

「そこのけそこのけお馬が通る」ー いまの私の心境です。ただそれしきのことです。悪しからず!!

新渡戸稲造「吾人はこれを余裕と呼ぶ」

 新渡戸稲造 著,矢内原忠雄 訳『武士道』岩波文庫 の「第四章 勇・敢為(かんい)堅忍の精神」を読んだ。何の気なしに読んだ。 「ーー吾人はこれを「余裕」と呼ぶ。それは屈託せず、混雑せず、さらに多くをいるる余地ある心である。」(48頁) 「混雑せず」とは、おもしろい表現である。英文和訳に由来するものだろう。矢内原忠雄の意図したものかどうかは、原文に当たっていないので定かではないが、翻訳の妙味であることにかわりはない。 「上杉謙信は十四年の間、武田信玄と戦ったが、信玄の死を聞くや「敵の中の最も善き者」の失(う)せしことを慟哭(どうこく)した。謙信の信玄に対する態度には終始高貴なる模範が示された。信玄の国は海を距(へだた)ること遠き山国であって、塩の供給をば東海道の北条氏に仰いだ。北条氏は信玄と公然戦闘を交えていたのではないが、彼を弱める目的をもってこの必需品の交易を禁じた。謙信は信玄の窮状を聞き、書を寄せて曰く 、聞く北条氏、公を困(くるし)むるに塩をもってすと、これ極めて卑劣なる行為なり、我の公と争うところは、弓箭(ゆみや)にありて米塩にあらず、今より以後塩を我が国に取れ、多寡(たか)ただ命(めい)のままなり、と。」(50頁) 簡潔な文章で意を尽くしている。さらさらと流れ、障るところがない。偶然手にした『武士道』の、内容如何にもまして、まず文体に感心した。新渡戸稲造の手になるものか、矢内原忠雄の翻訳に因るものかは不明であるが、変則的な読書に味をしめた。しばらくの間、気ままな読書に耽けることにする。

小林秀雄「宣長の言霊」

第十二章 言葉について 木田元『なにもかも小林秀雄に教わった』文藝新書 『本居宣長』の「言霊」  小林秀雄は、最後の大仕事『本居宣長』においては、この「古代の戯れ」を「言霊(ことだま)」と呼んでいる。『本居宣長』は全篇言語論のようなものであるから、どこから採ってもよいのだが、たとえば次のようなくだりをご覧いただきたい。 ここでも、宣長の言語感と小林のそれとを区別する必要はあるまい。  言葉には「言霊」が宿っているという古人の思想の意味するところを、宣長ほど、深く考えた人はいなかった。言葉は言霊という己れ自身の衝動を持ち、世の有様を迎えて、自発的にこれに処している。事物に当たって、己れを験(ため)し、己を鍛えて、生きている。 (「全作品」28『本居宣長(下)』所収「本居宣長補記 Ⅱ」、三七一 ー 三七二ページ) 「言霊」というこの言葉は万葉の歌人の使いはじめたものであり、「言霊のさきはふ国」という言い方からも明らかなように「母国の言葉」という意識、これに寄せる鋭敏な愛着や深い信頼から「ほころび出た言葉」だと、小林は言う( 「全作品」27『本居宣長(上)』、三00ページ )。この「言霊の営み」、働き方を明らかにすることはできないが、それが和歌の歴史を一貫して規定していると宣長は直観していたにちがいない、と枕をふった上で彼はこう続けている。  言語は、本質的に或る生きた一定の組織であり、この組織を信じ、組織の網の目と合体して生きる者にとっては、自由と制約との対立などないであろう。この事実を、彼(宣長)は、「いともあやしき言霊のさだまり」と言ったのだ……。(同前(「全作品」、三0一ページ)  ランボオが「千里眼」によって透視しようとしていたものも、つまり「原始性」であり、「古代の戯れ」であり、言葉そのものの自己分節であり、自己組織化であるものがそのまま存在の自己分節になり自己組織化になるような、そうした「言葉の錬金術」と、宣長のいう「言霊の営み」とを、小林秀雄が重ね合わせて考えようとしていることは明らかであろう。  私にはこの小林の言語観と、先ほど見たハイデガーのそれとに深く通い合うものがあるように思えてならないのだ。(187-189頁)   木田元「小林秀雄の言語観」 と重複したくだりが多くなったが、小林秀雄のいう「宣長の

木田元「小林秀雄の言語観」

第十二章 言葉について 木田元『なにもかも小林秀雄に教わった』文藝新書 ランボオの「千里眼」 ランボオの言語観がそのまま小林秀雄のそれだということにはならないであろうが、その傾倒ぶりからすれば、いちおうそう考えておいてもよいのではなかろうか。(183頁) 然(しか)し、彼(ランボオ)自身が否定しようがしまいが、彼の「言葉の錬金術」からは、正銘の金が得られた。その昔、未だ海や山や草や木に、めいめいの精霊が棲んでいた時、恐らく彼等の動きに則(のっと)って、古代人達は、美しい強い呪文を製作したであろうが、ランボオの言葉は、彼等の言葉の色彩や重量にまで到達し、若(も)し見ようと努めさえするならば、僕らの世界の至る処に、原始性が持続している様を示す。僕等は、僕等の社会組織という文明の建築が、原始性という大海に浸っている様を見る。「古代の戯れの厳密な観察者」ーー厳密という言葉のマラルメ的意味を思いみる がよい。(同前(「全作品」15『モオツァルト』所収)、一三九ページ)(184-185頁) 『本居宣長』の「言霊」   小林秀雄は、最後の大仕事『本居宣長』においては、この「古代の戯れ」を「言霊(ことだま)」と呼んでいる。 (中略) ここでも、宣長の言語感と小林のそれとを区別する必要はあるまい。(187頁)  言語は、本質的に或る生きた一定の組織であり、この組織を信じ、組織の網の目と合体して生きる者にとっては、自由と制約との対立などないであろう。この事実を、彼(宣長)は、「いともあやしき言霊のさだまり」と言ったのだ……。(同前(「全作品」28『本居宣長(下)』所収「本居宣長補記 Ⅱ」、三0一ページ)  ランボオが「千里眼」によって透視しようとしていたものも、つまり「原始性」であり、「古代の戯れ」であり、言葉そのものの自己分節であり、自己組織化であるものがそのまま存在の自己分節になり自己組織化になるような、そうした「言葉の錬金術」と、宣長のいう「言霊の営み」とを、小林秀雄が重ね合わせて考えようとしていることは明らかであろう。  私にはこの小林の言語観と、先ほど見たハイデガーのそれとに深く通い合うものがあるように思えてならないのだ。(188-189頁)   小林秀雄「モオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない」

TWEET「とは云ふものの」

 S病院の S院長のゆきとどいた診察と薬剤師の Iさんの濃やかなお心配り、また(前述の S病院とは別の、はじめて訪れた)S病院の受付の女性の応対と医療ソーシャルワーカーの男性の応接には、感心もし、また心温まるものも感じました。  が、帰宅後がいけませんでした。すっかり相殺された格好になってしまいました。 「世の中に人の来るこそうるさけれ     とは云ふもののお前ではなし」(蜀山人) 「世の中に人の来るこそうれしけれ     とは云ふもののお前ではなし」(亭主) 「面会謝絶」(亭主) 「春夏秋冬 日没閉門」(亭主)  どうやら百閒先生の玄関先よろしく、制札が必要なようです。ひとえに快眠のため、とだけ書き添えておきます。 以下、 「百閒先生の寝姿_はじめに」 です。

TWEET「時差ぼけ」

「22 時差の計算」 中村充博『高校入試実力メキメキ合格ノート 中学地理 改訂版』文英堂  15題の時差の問題を解きました。誤りが多く、24時制から48時制にかえました。すると時差ぼけが解消しました。いよいよ本物かと、一時はあわてましたが、時差ぼけ程度の症状で、安心しました。  人はいま、48時間のサイクルで世界を飛び回っているような気がしてなりませんでした。生体はこの事態に悲鳴をあげていることと思われます。私の心身(からだ)はやわにできていますので、なにかと泣き言をいいます。その泣き言に耳を傾けることと、放っておくこと。泣き言をいわぬ心身、その是非を私が忖度できるはずもありませんが、生体にとっていまは御難の時代であることに間違いはなさそうです。 追伸:「時差の問題」には「飛行機の問題」も含まれます。「フライト時間」を考慮する問題です。

TWEET「どこか悲しい音がする」

2019/03/08 TWEET「山師稼業」  Aグループ(03/07,08)の愛知県公立高入試を今日終え、週明けには、Bグループ(03/11,12)入試が行われます。愛知県では二校、受験可能です。二日目は面接試験です。  相も変わらず、出題予想に勤しんでいます。山師稼業もすっかり板に付きました。伸るか反るかの大博打、といきたいところですが、どうもせせこましくっていけません。息苦しくってなりません。 2019/03/14 TWEET「 どこか悲しい音がする」  的を射たものもあった。かすめただけのものもあった。大きくそれたものもあった。しかし、概観すれば、私の今年度の出題予想は、上出来だったと自負している。  山師といい、私といい、「浮遊層」に属する者たちである。ただ、山師は、白黒がつけば一旦着地するが、私の場合には着底するということがない。さすれば、山師の身過ぎ世過ぎは、私のそれよりも健全で地に足がついたものといえよう。私の常態は、山師以上に山師ということになろう。こんなくだらないことを真面目に考えていること自体、山師の上をいく者といえるかもしれない。  今回の山師稼業を通して感じたのは、  「呑気と見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする。」(夏目漱石『我輩は猫である』) ということである。 やはり、漱石先生は偉いもの である。 以下、 山村修『増補 遅読のすすめ』ちくま文庫(全) です。

TWEET「沈潜するところ」

 昨日入試を終え、お祭り騒ぎが終わり、いま沈潜するところを探っている。波風が立たず、微動だにせず、沈思するところ。行き着くところ、還るところ。  とき、ところを過たず、といつになく慎重である。

TWEET「枯れ木で賑わった」

 愛知県公立高校の推薦入試では、「自己の特性」について一分間程度で述べる、という自己表現が課せられています。「特性」という言葉づかいには多分に違和感を覚えていますが…。  二年前に私は、「自己の特性」について思うところを書き、また三つの文例をブログ上に載せました。  入試前には多くの閲覧がありましたが、それもつかの間のことで、みごとな終息をみせました。  山は賑わった。やはり枯れ木で賑わった、と思っています。

TWEET「意のままに」

 愛知県公立高校の Bグループ入試が、明日から二日間にわたって行われる。昨日の午前中には対策授業を終えた。今年度にかぎっては、Bグループ入試は消化試合である。  入試に目処(めど)がつき、突如、こころが虚ろになった。  高校入試とは、非社会的な私が、嫌が応にも現実と向き合わざるを得ない年中行事である。私の性向とは相容れない方向に向かっていたものが、急に揺り戻されたのだから、一度は立ち止まらざるを得ない。  昨日の午後から脳内は相当に混乱をきたしているものと思われる。鎮もるためには体の欲するままに寝むことだと心得ている。  いつ覚めるのか。覚めるのか、覚めないのか、そんなこんなも含めて、意のままに、ということにしておく。

TWEET「遊興費」

 つい今しがた、お約束の「遊興費」を速達でお送りしました。「明日の午後以降には到着します」との、局員さんの回答でした。  わずかばかりの金額ですが、羽を伸ばす足しにしてください。  お祝いは、Dちゃんの分とまとめて別便でお送りさせていただきます。  「遊興費」です。浪費してください。流用しないでください。「無駄づかい」しないでください。  人は遊んでいる間に育つ、と心得ています。が、「遊ぶ」ことは一大事です。  都で、また当地を起点として、いっしょに遊びましょう。せっかく遊ぶからには「遊鬼」と化しましょう。 FROM HONDA WITH LOVE. 以下、 平成29年度のはじめに_白洲正子「遊鬼」 白洲正子『遊鬼 わが師 わが友』新潮文庫_まとめて です。

「H君へ_サイタ サイタ サクラ ガ サイタ」

合格おめでとうございます。 悲願をかなえ、悲願がかない、みごとな浪人生活でしたね。 大岡山での青春、存分に謳歌してください。 お父さん、お母さんと三人で在京中ですね。 都での「お部屋さがし」、しまっていこうぜ!! 早々のご丁寧なお電話、どうもありがとうございました。 いつになく興奮し、思えば三河弁丸出しでした。 GOOD LUCK! FROM HONDA WITH LOVE. 追伸: 早稲田を蹴ったことに胸が痛みませんか? お怪我をされなかったことを、と祈るばかりです!! 「拝復 Dr.T様_慶祝!慶賀!!」 合格発表の場面が目に浮かびます。 不安ですよね。ドキドキしますよね。興奮しちゃいますよね。 入試の時間割だけみても、並大抵ではないことがうかがえます。立派ですね。 今後 東京で、また豊橋を起点にHと遊びます。 お支度、たいへんですね。余力を残して帰札してください。 また。 Kさんによろしくお伝えしてください。 ご丁寧なご挨拶、どうもありがとうございました。 FROM HONDA WITH LOVE.

TWEET「山師稼業」

 Aグループ(03/07,08)の 愛知県公立高入試を今日終え、週明けには、 Bグループ(03/11,12)入試が行われます。愛知県では二校、受験可能です。二日目は面接試験です。  相も変わらず、出題予想に勤しんでいます。山師稼業もすっかり板に付きました。伸るか反るかの大博打、といきたいところですが、どうもせせこましくっていけません。息苦しくってなりません。

TWEET「ながめせしまに」

 ただながめていればいい、と私はよく子どもたちにいう。  勉強する(学ぶ)とは、ながめることだと心得ている。  暗記科目についていえば、頁を繰りつつ繰り返しながめることに尽きる。頑張る必要などなく、筆記するにいたっては論外である。また、数学や理科の思考力を要する分野にいたっては、殊更ながめることが大切になってくる。ながめていなければ解らないことがある。「徐(しず)かなること林の如く」,「動かざること山の如し」ということである。  静観することに耐えられないいまの子どもたちは、常に他人(ひと)に頼らざるを得ず、気の毒である。自学自習など望むべくもなく、不憫である。  とはいえ、我と「わが身」をふり返れば、「いたづらに」「世にふる」ばかりで、惨めである。 小林秀雄,岡潔「『わかる』ことと『苦労する』こと」 「『わかる』ということと『苦労する』ということは同じ意味なんです」(『小林秀雄講演 第3巻―本居宣長』新潮CD)

TWEET「ずつない」

 明日からはじまる公立高入試にむけての、二十日間にわたった直前対策講習を、今日の午前中に終えた。ずつない(術ない)ものに終始した。私の専らの関心は出題予想の当否にあり、合否は埒外のことである。  自分が大事だと思いたい、といま思う。

TWEET「先手必勝_その二」

 高校入試を終えても、誰からもおほめの言葉をいただけるはずもなく、ただ自賛するばかりです。今年は、一足早く自分への贈り物です。 ◇  WEXLEY「URBAN BACKPACK_DARK GRAY」 ベルギー生まれの、15インチまでのPCが収納可能なバックパックです。 ◇  THE NORTH FACE「グローブトレッカージャケット」 ◇  patagonia「ウェーダー・ワーク・ステーション」  先手を打ちました。果報は寝て待つことにします。次なる一手を考えています。

「慶祝!ご卒業!!」

慶祝!ご卒業!! 晴れの門出に、乾杯! ご卒業おめでとうございます。 三年間楽しませていただき、ありがとうございました。 希望を胸に旅立ちの春ですね。 新天地でのご健康とさらなるご雄飛をお祈りしております。 ご家族の皆様方によろしくお伝えして下さい。 とびっきりの笑顔でのまたのご来塾、楽しみにしております! GOOD LUCK! FROM HONDA WITH LOVE. 慶祝!ご卒業!! 晴れの門出に、乾杯! ご卒業おめでとうございます。 三年間楽しませていただき、ありがとうございました。 「どこかで春が…♪♪♪」 もうひと頑張りに期待しています! ご家族の皆様方によろしくお伝えして下さい。 GOOD LUCK! FROM HONDA WITH LOVE.

TWEET「春 弥生、三月月立(つきたち)」

 春 弥生、三月月立。早朝に目を覚まし、いつものように、体が覚醒するまで、ぼやっとしていた。  不意に、「struggle」という単語が頭に浮かんだ。調べると、やはり、「もがく、あがく」という意味だった。おそらく40年も前、高校時代に憶えた単語である。  03/07 からはじまる公立高入試をひかえ、閉塞感のなかにある。こんな面持ちが長く続けば症状になる。  「もがく、あがく、努力する、戦う、争う、取り組む、苦心して押し分けていく、苦心してもたらす(得る)、もがき、身もだえ、努力、苦闘、闘争、戦闘」  和訳したとき、英単語は多義的である。そのことが、いまうれしい。