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「山本空外『書道通観』_1/2」

今日の午後、 ◆『墨美 山本空外 ー 書と書道観(二)1973年6月号 No.231』墨美社 ◇ 山本空外「書道通観」 (17〜27節) を読み終えた。 ◆『墨美 山本空外 ー 書と書道観 1971年9月号 No.214』墨美社 ◇ 山本空外「書論序観」 (1〜16節) に続く論考であり、 「23〜26節」の「筆法・各論」、「執・使・転・用・結」について論じられているが、 書道と無縁な私にとっては、とりわけ不分明な内容となっている。 「 書論序観( 『墨美  』第214号 )に続いて書論通観の一角を論じていくうえに、古来東洋の書画の手本に、自然に乾いたあら壁の割れ目が力説されるゆえんが想起される。これ西洋文化には類を見ないところである。また古拓の絶品を目前にすると、そうしたあら壁の割れ目に窺える自然のいのちに通う心の開けるのを覚える。おそらくこれ以上の手本もなかろうから、中国書道でも「折(タク)壁の如し」と論断し、(董内直、書訣、『漢渓書法通解』巻第六、十三丁)、わが『本阿弥行上記』にも、「あら壁に山水鳥獣あらゆる物あり(中略)。 あら壁の模様をよき手本」云々と強調するのであろうか。簡言すれば自然のいのちともいえるものが筆端に動かなければ、東洋の芸術とはいい難いので、西洋美学に見るような概念化の、その奥に生動するいのちに迫るのが、東洋芸術のいわゆる「自然」なのである。それで全画面を塗りつぶす西洋画と相違して、空白が重視され、いな、時にはそれが画面以上にものをいう東洋画の面目もあるのであろう。書道文化にいたっては西洋芸術史上皆無のゆえんでもある」(2頁) 「空即是色」を思えば、「 あら壁の割れ目」は、自然のいのちの発現であり、これに伍することはあり得ても、これに優ることはないだろう。「 折(タク)壁の如し」。 このような文章に出会うとうれしくなる。 「すでに書祖、後漢の蔡邕が、「書は自然に肇(ハジ)まる」というのにも( 蔡邕石室神授筆勢、『書法正伝』巻五、二丁 )、そうした裏づけが予想されないであろうか。その肇筆を生かすゆえんの「自然」とは、われわれ一人ひとりが生きられるそのいのちの根源につながるもので、これが筆勢に生動して、はじめて書道が成立することになる。一筆ごとにそのいのちの根源に直通するのでなければならない。また手の動くのも全生命にもとづいてのことであるから、

「山本空外『書論序観』_2/2」

山本空外「書論序観」 『墨美 山本空外 ー 書と書道観 1971年9月号 No.214』墨美社 「僅か竹の一片ではあっても、その一本一本の竹質のさくさ、ねばさ、その他の加減等々を、そう削らなければ削りようもないほど、千変万化する竹質のそれぞれなりに生かしきっていく刀の冴えを拝見するわけである。それも名作は一応光ってはいるものの、その光に照らされるだけでなしに、自ら茶杓を削るなかに体験する悟入にもとづくのが本当のようである。また自ら行じなければ、何事でも半解に終るのではなかろうか。東洋の精神文化が行の文化として深まるゆえんを沈思しなければならない。  小刀と竹一本あっても茶杓は自ら作れるが、そのときただ自分勝手に削ったのでは、どうにもならないので、竹一本一本のもつ各各の性質を生かしきっていけるような刀の冴えかたのできるところに快心の作といえる。刀と竹の自他一如がそうした悟入の心の深さで支えられるわけで、前述の「無二性」にほかならない。あたかも筆と紙があれば書道は行ぜられるが、紙一枚一枚の新古各各の漉きかたにいたるまで生かしきっていく使筆でこそ無二的書道につながるので、その一点一畫の運筆のなかに無二的人間の形成が行ぜられること、茶杓を作る刀ごとにやはり無二的人間の形成が行ぜられるのと同様である。そこを拝見するわけで、席に入って始めに書幅を拝見しても、終りに茶杓の拝見しても、一貫してその作者の無二的人間の形成行に直参するところに本義があるとすれば、拝見する客自身もその拝見を通して無二的人間の形成を行ずるのでなければならない。そこに人生にも取りくめる本義が通ずるので、この本義から外れたのでは「道」でもなく、精神文化でもない。念仏にしても、木魚一つでもあれば、称名の声と木魚を撃つ音と主客一如になるところ、大自然のいのちを呼吸する心境は深まりうるわけで、いわばそうした心境において揮毫する場合にはこの筆、この紙の各各のいのちを生かすことになり、茶杓を作るときには、その竹のいのちを生かす刀の冴えかたが深まるわけである。ところが西洋人には竹の理解乏しく、古来筆紙も南無阿弥陀仏も木魚も考え出せなかった。  一人ひとりが一人ひとりなりに行じて、大自然を一人ひとりなりに生ていく文化、こうした精神文化の粋が書道なので、そこを白紙の上に墨一点にでも決めていくような精神文化は他に類がなかろう。し

「山本空外『書論序観』_1/2」

昨夜、日付が変わるころ、 ◆『墨美 山本空外 ー 書と書道観 1971年9月号 No.214』墨美社 ◇ 山本空外「書論序観」 の初読・再読を終えた。  書道とは、「『自然の妙有に同じ』ところに直参しようとする心がけ」であり、「力運の能く成すところに非ず」。「『自然』との主体的一如 (不二) の心境」は、「永遠の今ともいえる『現実』」を「照ら」す、ここに「直入」することが書道といえるが、書論は書道哲学に終わるものではなく、各々が行ずるところに「書論の面目がある」、と空外は注意を換気している。  空外は書道を語りつつ仏教(主に「念仏」「禅」「般若心経」)におよび、仏教にふれつつ書道を語っている。書道と仏教とが渾然一体となっている。私の空外への関心は、空外の境地が書に表れているという証にある。それは西行の心中と歌との相関と同質のものである。とはいえ、私にそれらが判るはずもないが…。 「書論序観」は、紙数にしてわずか十五頁の作品であり、難解であるが、かといって手放すわけにはいかない。いまだに理解が浅く、概論風な作文も書けずに時を過ごしている。 「書道に達するには、自然のいのちが毫端に脈打つのほかになかろう」(8頁) 「無二的人間の形成が一点一畫に生動していかなければ、書道でもなく、書論も成立するわけがなかろう」(9頁) 「わたくしはこの無二的人間の形成を書論の根底に予想するものの、じつは東洋文化の基本とも考えるので、したがってその線で精神文化の粋としての書道が確立でき」よう。(9頁) 「坐禅や念仏のような三昧方法に出会いえているわれわれの幸せに想到せざるをえない」(5頁) 「定家卿のいはく、我筆道は一也。二聖三賢の跡をもしたはず、両公四輩の風をもねがはず、唯法而任運にして、柳はみどり花はくれなゐ、風雲流水のすがたおのづから不可説の道なれば、我師にあらずといふことなし。我手習にもれたる物なし。」(定家卿筆諫口訣、『続群書類従』第三十一輯下、巻第九一四、雑部六四 )(9頁) 「ここで「 二聖」とは 嵯峨天皇、弘法大師、「三賢」とは 道風、佐理、行成、 「 両公」とは 法性寺殿、後京極殿、「四輩」とは 文昌、保時、時文、文時、(生没年略)いずれも名だたる名筆なのに、そうした「 跡をもしたはず、風をもねがはず、 唯法而任運」の「自然に肇まる」ところに直入せんとするのであろう。そ

「空海著, 加藤精一編集『般若心経秘鍵 ビギナーズ 日本の思想』角川ソフィア文庫_新春に『四国遍路』を渉猟する」

昨夕、 ◆ 空海著, 加藤精一編集『般若心経秘鍵 ビギナーズ 日本の思想』角川ソフィア文庫 の初読・再読を終えた。 『般若心経 秘鍵』の〔原文 訓み下し〕はもとより、 〔口語訳〕についても、つたない理解に終始した。再読後 時が経過し 、『秘鍵』は、 『般若心経』の 「密教的意味」に則した 訳 でも、読みでもないことに気づいた。愚かだった。先入観の怖さを知った。  空海は『般若心経』を五つに分け 、詳細に論じている ( 五分判釈(ごぶんはんじゃく))。 『般若心経』の各句が、「仏教諸宗そして二乗教(南方仏教、小乗教)」の宗旨から成ることを、次々に判じ、 評釈していく。空海のその学識、またその手さばきはみごとである。  そしてついには、 「このように考えれば、仏教の各種の悟りの心境も内容も、各種の教えもその依りどころも一切合切がこの経(『般若心経』)に説きつくされており、漏れるものは一つとして無いのであります。欠けているもののあろう筈はありません」(82頁)と結論づけている。 『般若心経秘鍵』は、空海の入定前年の著であり、最晩年の作である。  これについて、 加藤精一は、 「すべての仏教徒が共に『心経』を読み、あるいは書写することによって、仏教徒たちは同じ土俵の上に乗ることができる。万人に共通の光を求めていた空海が『秘鍵』を著作したのはこのためだったと言える」(128頁)と書いている。  空海の果てしない夢である。  加藤精一は、『般若心経秘鍵 』を「般若心経の真意を読み解く秘密の鍵(かぎ)」(45頁)と口語訳している。それは、空海の心意であり、まったくの新釈だった。 『四国遍路』の渉猟を、 ◆ 川崎一洋『弘法大師空海と出会う』岩波新書 を嚆矢とし、 ◆ 空海著, 加藤精一編集『般若心経秘鍵 ビギナーズ 日本の思想』角川ソフィア文庫 で終えることができたのは幸運だった。  思いがけずも長期間におよんだが、それは『般若心経』のもつ深遠さに由来するものである。連作は終えるが、寄せる波は続くであろう。よく「持(たも)」つことを心がけたい。  新緑のころには、高野山へ、また東寺へと思っている。

TWEET「新春に『四国遍路』を渉猟する_鍵は開けられた」

2021/11/19,20 に「高野山」を参拝した。紅葉が盛りを過ぎたころだった。 「身は高野 心は東寺に おさめおく            大師の誓い 新たなりけり」 その後間もなく、 2021/11/26,27  には「東寺」を参拝した。 「へんろ笠」には、 「迷故三界城」(迷うがゆえに三界は城) 「何処南北有」(どこに南北があろうか) 「同行二人」 (遍路は自分一人でなくいつも弘法大師と一緒である) 「本来東西無」(本来東西は無く) 「悟故十方空」(悟るがゆえに十方は空) と墨書されている。 そして、 2021/12/06 から「師走に『四国遍路』を渉猟する」を書きはじめた。 この間(かん)のことは定かではないが、 ◆ 川崎一洋『弘法大師空海と出会う』岩波新書 を端緒とした。 ひと月半が経過した。いま「渉猟」の最後に、 ◆ 空海著, 加藤精一編集『般若心経秘鍵 ビギナーズ 日本の思想』角川ソフィア文庫 を読みはじめた。空海の入定前年の著である。最晩年に空海は「秘鍵」、秘された、匿された鍵によって、「般若心経」の扉を厳かに開けた。空海における「般若心経」に対する胸中が察せられる出来事である。

「高神覚昇師『般若心経講話』_新春に『四国遍路』を渉猟する」

深夜 目を覚まし、 ◆ 高神覚昇師『般若心経講義』角川文庫 を読み終えた。「青空文庫」版で読んだ。 前述したように、 ◆ 中村元,紀野一義『般若心経・金剛般若経』岩波文庫 「『般若心経』解題」には、 「現在通俗的講義として特に有名なのは、  高神覚昇師『般若心経講話』(角川文庫)である」(172頁) との一文がある。 「1934年には、東京放送局より『般若心経講義』を放送し、人気を博す。」 との記載もあった。 「通俗的講義」の先がけである。    本書は「講話」というよりも、豊富なアフォリズムを引いた「お説法」である。それらの アフォリズム は膨大、広範におよび、ただ瞠目するばかりであるが、「お説法」は所詮、私の肌には合わず、何度もくじけそうになりながらも、読み通したことにいま達成感を覚えている。 「お説法」を除き、その内容を「般若心経」の解説・解釈に限れば、立派な一書の体をなすはずのものであるが、出自が「ラジオ放送」ということを鑑み、また「 人気を博」したことを思えば、私が口をはさむことではないだろう。 「因縁を知ることは仏教を知ることだ」 「釈尊は、因縁の創造者ではなくて、実にその発見者なのです。釈尊は、自ら因縁の真理を発見されて、まさしく仏となられました。しかし、それと同時に、この因縁の法を「教え」として、万人の前に説き示されたのが仏教です、因縁の教え、それが仏教です。真理の教え、それが仏教です」(34頁) 「それ(因縁の性質) は実に縦にも、横にも、時間的にも、空間的にも、ことごとく、きっても切れぬ、密接不離な関係にあるのです。ちょっとみるとなんの縁もゆかりもないようですが、ようく調べてみると、いずれも実は皆きわめて縁の深い関係にあるのです」 (34頁) 「私どもの世の中にある一切の事物は、みな孤立し、固定し、独存しているのではなくて、実は、縦にも、横にも、無限の相補的関係、もちつ、もたれつの間柄にあるわけです。すなわち無尽の縁起的関係にあるわけです。したがって現在の私どもお互いは、無限の空間と永遠の時間との交叉点に立っているわけです」(36-37頁)  この因縁(因縁生起)についての話題(真理)は興味深く、また、 「『空の背景』となり、『空の根柢』となり、『空の内容』となっているところの『因縁』という言葉からお話ししていって、そして自然に、空という意味を把

TWEET「新春に『四国遍路』を渉猟する_司馬遼太郎『風土的日本仏教の基本』」

「心と形」 一九九〇年五月 仙台市 東北大学医学部同窓会総会における講演の記録に、大幅な加筆をしたもの 朝日文庫『春灯雑記』から 『司馬遼太郎全講演[4] 1998(II)-1991』朝日文庫  さきに、家の宗旨についてのべましたが、私自身が属している宗教はありません。しかし、 「無宗教です」  というつもりはありません。宗教についてのこういう微妙な気分は、日本の多くの人々と私はおなじです。  しかし、あたらしい文明のなかに私どもはすでに入っていて、しかも臓器移植と他者への臓器の提供という生命の課題が、日常の“事務”としておこりつつある時代に私どもはいます。  生命は、科学が全能として扱うべきではないということも私どもは知っています。  さらには、科学・技術という強力な文明が地球を覆いはじめたために、私どもは、否応なしに、地球人にされています。地球人の基本倫理が、隣人への愛であることも、私どもは知っています。  この状況は、日本の古くからの宗教的風土についてゆけなくなっています。その風土に根ざした哲学的な合意が、“無宗教”的な私どもの間に、なんとかうまれて来ないものなのか、というのが、この話の結論です。  風土的日本仏教の基本を整理しきってしまいますと、宇宙は空であるとともに光であり、生命というただ一種類の体系であるということです。生命ということにおいて、植物や微生物にいたるまで、自分や人間一般とすこしのかわりもなく、平等に生命を、そのかけらを、共有しているものであります。  そこまでは、わかっています。しかもこれだけで十分だと思います。これ以上言えば、宗教や宗派になります。これだけの合意があれば、倫理については個々にまかせればいい、のではないでしょうか。(239-240頁)  司馬遼太郎のいう「 整理しきっ」た「 風土的日本仏教の基本」とは、まさに「空即是色」の風光である。 「風土的日本仏教」とは、「文化的無意識」の内に、生得的に規定された事象のことである、いま私は井筒俊彦を思っているのだが、それは、井筒俊彦と親しく対談もし、また弔辞も述べた司馬の、井筒を意識しての発言だろうと想像する からである。  それは宗教でもなく信仰でもなく、民俗である。 「文化的無意識」内でのことであれば、「合意」し、そこに立脚するしかあるまい。  司馬遼太郎は、「 倫理については個々に

TWEET「新春に『四国遍路』を渉猟する_いま、芭蕉がおもしろい」

いま、 ◆ 高神覚昇師『般若心経講義』角川文庫 を「青空文庫」版で中ほどまで読んだ。 「通俗的講義」には「通俗的講義」なりの良さがある。しかし、「般若心経」を借りての「通俗的」なお説教には嫌気がさす。「般若心経」の品格を貶(おとし)めるばかりである。「般若心経」は、お節介とは無縁である。  重複して読んだ話題がいくつかある。皆さん、 高神覚昇師の話題を、我がお手柄のように借用していますね。 「いま、芭蕉がおもしろい」 「俳聖芭蕉(ばしょう)のいわゆる 「見るところ花にあらずということなし、おもうところ句にあらざるなし」(吉野紀行) というのはまさしくこの心の眼を開いた世界です。心の耳をすまして聞いた世界です。つまり観察するという心持でもって、大自然に対した芸術の境地であります」(32-33頁) 「芭蕉は、俳句の心は「無心所着」といっていますが、この「心に所着なし」という境地が、生滅を滅し已るという世界で、ものにこだわり(執着心)のない日本人の明朗性も、ここにあるのです」(86頁) 「『花屋日記』の作者は、私どもに芭蕉翁の臨終の模様を伝えています」 「支考(しこう)、乙州(いっしゅう)ら、去来(きょらい)に何かささやきければ、去来心得て、病床の機嫌(きげん)をはからい申していう。古来より鴻名(こうめい)の宗師(そうし)、多く大期(たいご)に辞世(じせい)有り。さばかりの名匠の、辞世はなかりしやと世にいうものもあるべし。あわれ一句を残したまわば、諸門人の望(のぞみ)足りぬべし。師の言う、きのうの発句はきょうの辞世、今日の発句はあすの辞世、我が生涯言い捨てし句々一句として辞世ならざるはなし。もし我が辞世はいかにと問う人あらば、この年ごろいい捨ておきし句、いずれなりとも辞世なりと申したまわれかし、諸法従来、常示寂滅相(つねにじゃくめつのすがたをしめす)、これはこれ釈尊の辞世にして、一代の仏教、この二句より他はなし。古池や蛙(かわず)とび込む水の音、この句に我が一風を興せしより、はじめて辞世なり。その後百千の句を吐くに、この意(こころ)ならざるはなし。ここをもって、句々辞世ならざるはなしと申し侍るなりと」 「ほんとうの遺言状まことに、昨日の発句は、きょうの辞世、今日の発句こそ、明日の辞世である。生涯(しょうがい)いいすてし句、ことごとくみな辞世であるといった芭蕉の心境こそ、私

TWEET「新春に『四国遍路』を渉猟する_堕地獄と明らめる」

いま、 ◆ 高神覚昇師『般若心経講義』角川文庫 を「青空文庫」版で読んでいる。 「弘法大師」は、 「真言(最後の般若の四句の呪文)は不思議なり。観誦(かんじゅ)すれば無明(むみょう)を除く。一字に千理を含み、即身に法如(ほうにょ)を証す」 と説かれた。 「般若の真言こそ、まことに不思議です。これを誦(とな)えただけでも無明の煩悩(まよい)をとり除いて、悟(さと)りを開くことができるのです。『即身(そくしん)に法如 (ほうにょ) を証す』とは、そのままに、すみやかに、成仏するという意味です」(279頁) 「わからなくていいんです。意味は気にしないよう、何度も申し上げたでしょう」( 玄侑宗久『現代語訳 般若心経』ちくま新書 174頁) 昨夜には、気色ばみ、性懲りもなく、 ◆ 空海著, 加藤精一編集『般若心経秘鍵 ビギナーズ 日本の思想』角川ソフィア文庫 を注文した。いま到着を待っている。今日配達の予定である。 どうしても「仕立て上げた『私』」が障碍になる。 「堕地獄」と明らめた。 追伸: 「真言は不思議なり 観誦すれば無明を除く 一字に千理を含み 即身に法如を証す」 の一文は、 ◆ 空海著, 加藤精一編集『般若心経秘鍵 ビギナーズ 日本の思想』角川ソフィア文庫 の 111頁に記載されていました。

TWEET「新春に『四国遍路』を渉猟する_高神覚昇師『般若心経講話』」

◆ 中村元,紀野一義『般若心経・金剛般若経』岩波文庫 「『般若心経』解題」には、  現在通俗的講義として特に有名なのは、  高神覚昇師『般若心経講話』(角川文庫)である。(172頁) との一文がある。  検索するrと「角川文庫」本と「彩図社文庫」本がみつかった。さらには「青空文庫」でも読めることを知った。 「1934年には、東京放送局より『般若心経講義』を放送し、人気を博す。」 との記載もあった。 「通俗的講義」の先がけである。  紙で読もうか、電子書籍で読もうか、と迷っている。電子書籍で傍線を引くことは、付箋をはさむことは可能なのだろうか、と時代錯誤なことを考えている。  紙への思いはいまだに強い。お金には換えられないものがある。 高神覚昇師『般若心経講義』角川文庫 「第一講 真理(まこと)の智慧」(23頁)まで、「Apple」の「ブック(iBooks)」アプリで読みました。複数の行にわたって、たくさんの傍線(ハイライト)を引きながらの私の読書には適さず、消耗するばかりでした。「Apple Pencil」を使用して自在に、との「書き込み」もありましたが、やはり「紙」ということに落ち着きました。  しかし、せっかくの機会ですので、「まっさら」のままに聴講することにしました。ただし、簡便なブックマーク(しおり)だけは使用します。 「わからなくていいんです。意味は気にしないよう、何度も申し上げたでしょう。」(  玄侑宗久『現代語訳 般若心経』ちくま新書  174頁) どうしても 「仕立て上げた『私』」 が障碍になります。 さらに、気色ばみ、性懲りもなく、 ◆ 空海著,   加藤精一編集『般若心経秘鍵 ビギナーズ 日本の思想』角川ソフィア文庫 を注文しました。「堕地獄」覚悟の必須の一冊です。

「新春に『四国遍路』を渉猟する_『空外記念館』」

「空外記念館」 の所在を知った。山本空外先生を敬慕し、帰依する方たちの呼びかけによって設立されたものだろう。  空外先生のいわれる「無二性」とは、主客一如、「南無阿弥陀仏が南無阿弥陀仏する」、また、「私」が「いのち」に溶融した境地である、と理解している。 「弁栄聖者(べんねいせいじゃ)のご信心は一から十まで法華経に基づいています」( 紀野一義『「般若心経」講義』PHP研究所 51頁 )と空外先生はいわれる。空外先生は、 弁栄聖者の法系に属しておられたが、 「南無阿弥陀仏」に拘泥するような狭量な心持ち はなかった、と信じている。  茶杓を、また直筆の書を目にする機会がある。図書の出版・販売もなされている。  朗報に接した。  空外先生は、見るとは、 「その拝見を通して無二的人間の形成を行ずる」」ことである、という。  懸案は私の境涯にある、といえよう。 以下、覚書です。  紀野一義『「法華経」を読む』講談社現代新書 「道元は、さとりについての彼の私的な、そしてきわめて哲学的なコメントである『正法眼蔵』を書いているが、そのほとんどは法華経のすばらしいイメージに触発されて書かれたものだと私は考えている。」(83頁) また、 「鎌倉時代に出た詩人哲学者道元禅師」(60頁) という言葉もある。

「玄侑宗久『現代語訳 般若心経』ちくま新書_新春に『四国遍路』を渉猟する_2/2」

今日の午前中、 ◆ 玄侑宗久『現代語訳 般若心経』ちくま新書 を読み終えた。三度(みたび)目の読書だった。 「本書はあくまでも解説ではなく、『般若心経』の訳のつもりである」(214頁) 「今回も原稿段階で臨済宗妙心寺派教学研究委員の皆さんに厳正な校閲を頂戴した」(219頁)そして、その後には八名の方の芳名が連なっている。   宗久さんの 真摯な執筆態度は、明らかに自覚されるが、雲、「空(くう) 」をつかむような話が散見され、行きつ戻りつしたものの、ついには覚束ないままに通読した。 「わからなくていいんです。意味は気にしないよう、何度も申し上げたでしょう」(174頁) 「それでは最後に、以上の意味を忘れて『般若心経』を音読してください」(194頁) 「自分の声の響きになりきれば、自然に『私』は消えてくれるはずです」(198頁) 「 声の響きと一体になっているのは、『私』というより『からだ』、いや、『いのち』、と云ってもいいでしょう。むろんそれは宇宙という全体と繋がっています」(199頁) 後になり、先になり、意味が執拗に追いかけてくる。いまそれを云々しようとは思わない。 よく「持(たも)」つことだけを心がけている。 追伸:今日の夕方、山本空外先生関連の図書、 ◆ 山本空外著,龍飛水編集『いのちの讃歌』無二会 ◆ 龍飛水『二十世紀の法然房源空 山本空外上人聖跡素描』無二会 ◆『墨美 山本空外 ー 書と書道観 1971年9月号 No.214』墨美社 ◆『墨美 山本空外 ー 書と書道観(二)1973年6月号 No.231』墨美社 ◆『墨美 山本空外 ー 書論・各観 1979年7月号 No.292』墨美社 ◆ 森田子竜『書:生き方の形』日本放送出版協会 全6冊がそろいました。 ◆ 森田子竜『書:生き方の形』日本放送出版協会 は、はじめて 「日本の古本屋」 で購入しました。またはじめて、 ハードカバーの 「 日本放送出版協会」の書籍を手にしました。初めてづくしの「本書」から読むことにします。勝手知ったる「浮気」しながらの読書です。

「新春に『四国遍路』を渉猟する_空外著を漁る」

 2021/12/06 以来、「四国遍路」を渉猟してきたが、ついに精魂尽き果て、不甲斐なくも、昨日は一日中横になっていた。  なかでも山本空外先生との邂逅は大きな収穫だった。白川静と同様に大きすぎ、手にあまる。しかし、著作を身辺にそろえておくことは不可欠である。いつ何時、何かがはじまらないともかぎらない。一文の理解に眼を開かされることもある。 以下の6 冊が、数日中にそろう。 ◆ 山本空外著,龍飛水編集『いのちの讃歌』無二会 ◆ 龍飛水『二十世紀の法然房源空 山本空外上人聖跡素描』無二会 ◆『墨美 山本空外 ー 書と書道観 1971年9月号 No.214』墨美社 ◆『墨美 山本空外 ー 書と書道観(二)1973年6月号 No.231』墨美社 ◆『墨美 山本空外 ー 書論・各観 1979年7月号 No.292』墨美社 ◆ 森田子竜『書:生き方の形』日本放送出版協会 分をわきまえない、大それた買い物である。

「紀野一義『ラビ・シャンカルを語る』_新春に『四国遍路』を渉猟する」

『ラビ・シャンカルを語る」 紀野一義『「般若心経」講義』PHP研究所 (インドの天才的なシタール奏者)ラビ・シャンカルが昭和五十年に日本にやってきて、シタールの演奏で多くの日本人の心を魅了した。その時私も彼の名演奏を聴いた。ステージに坐(すわ)っていながら、インドの草原に坐って風の響きに耳を傾け、風のささやきに和して演奏しているような自然な姿を見せてくれた。  ラビ・シャンカルは、その自伝的な著『わが人生わが音楽』の中でこう言っている。  古い書物を読むと、音には二つの種類 ー 一つは天空の、または天空に近い、いっそう澄んだ大気の振動、もう一つは地に近い、より低い大気の振動である。  天空の振動については、ピタゴラスが紀元前六世紀に書き表した天球の音楽と同様なものだと考えている人もある。これは常に存在し、変わらない宇宙の音である。この音は何ら物理的な衝撃によって生まれたものではないので、アナハタ・ナーダすなわち「無為の音」とよばれている。もう一種類の音は常に物理的な衝撃によっているところから、アーハタ・ナーダすなわち「有為(うい)の音とよばれる。後者の場合には、ある瞬間に振動が与えられると音が作り出され、振動が止むと同時に音も消える。  無為の音はヨーギにとってはたいへん重要なものだ。それは彼らが内面から聞きたいと求めている永遠の音で、長年にわたる思索とヨーガの鍛錬を経て、はじめて達成可能となるのである。(162-163頁)  天上にあって、人間の耳にはきこえない音が鳴っているのを、大乗仏典では「諸天、天鼓を撃つ」と言っている。インドでは昔からそういう音に気づいていたのである。(163頁)  ラビ・シャンカルは、音楽の最も高い目標は、宇宙が映し出しているその本質を示すことであり、音楽を通して神に到達することも可能なのである、と言っているが、武満徹は、「これを、西欧音楽の在り方とは本質的に異なることであるように思われる。それはまた、わたしたち日本音楽とも異なるのである」と言っている。(164頁) 「Itunes Store」または、「Amazon Music」内を検索し早速購入しようと思っている。圧縮音源であるが、便利さにはかえられない。CD を購入するかどうかは「試聴」後のことである。

「紀野一義『「般若心経」講義」PHP研究所_師走に『四国遍路』を渉猟する」

昨日の午前中に、 ◆ 紀野一義『「般若心経」講義』PHP研究所 を読み終えた。 紀野一義 三作 目の「般若心経講義」である。 一話完結の 40の節から成っていて、話題は各種 豊富である。  本書でも、「私事(わたくしごと)」が一人歩きし、思わせぶりと相俟って、 気障りである。沽券に関わる。「般若心経」を、また仏道 を説く者に悖(もと)る由々しき問題でり、誰か進言する者はいなかったのか、と訝しく思っている。  (十二因縁の)最初の「無明」と「行」とは同じ根源的な力だと考えてよいと思う。  仏教学者で「無明」と「行」とは同じものだ、という大胆な発言をした人は、私の知る限りでは鈴木大拙先生ただ一人である。  真宗の著名な学匠曽我量深先生の米寿を記念して『法蔵菩薩』という本が限定出版された時、鈴木先生は「始めに行ありき」という異例の序文を書かれた。その中にこのことが次のように書かれている。 「始めに行ありき」は、ゲーテの『ファウスト』にある言葉で、もとはヨハネ伝の 「始めに道(ロゴス)ありき」に対するのである。「道」とは分別の意味である。仏教では十二因縁の始めに無明あり、それから行、それから識と発展する。この識はヨハネ伝の「道」に当たり、無明は無分別の義である。この無分別と行とは同一物であると見てよい。  ゲーテは、ここでは、どんな意味で「行」を使って居るか、わからぬが、この「行」はロゴスの出る以前のもの、即ち分別識のまだ展開せぬところを指すのである。木が木で、犬が犬である所以は、ただ、それぞれ「行」であるだけで、木と犬と何れも無分別である。(中略)木、殊に犬には分別があるようで、実は無分別、即ちその生活は無意識的行為である。ただ行為の世界を生きて行くだけで、犬も木もこの点では一つである。或る意味では、彼等は無垢用(むく ゆう)の行者である。遊戯三昧(ゆげざんまい)の生活に浸っている。 (152-153頁) 「仏教学者で「無明」と「行」とは同じものだ、という大胆な発言をした人は、私の知る限りでは鈴木大拙先生ただ一人である」 「無明は無分別の義である。この無分別と行とは同一物であると見てよい」 一作目の、 ◆ 紀野一義『「般若心経」を読む』講談社現代新書 では、歯切れの悪い表現に終始したが、鈴木大拙の信任の下、本書では、水を得た魚のようであり、その後、紀野は「行」ついて自在

「紀野一義『山本空外を語る 2/2』_新春に『四国遍路』を渉猟する」

紀野一義「山本空外を語る 2/2」 紀野一義『「般若心経」講義』PHP研究所  山本空外は、弁栄聖者(べんねいせいじゃ)の法系に属する浄土宗の僧侶であり、書家であり、また新プラトン主義の始祖 プロティノスを研究する哲学者でもあった。下記は空外先生の文章である。 「茶人は茶杓も作り、茶筌も作る。」(55頁) 「僅か竹の一片ではあっても、その一本一本の竹質のさくさ、ねばさ、その他の加減等々を、そう削らなければ削りようもないほど、千変万化する竹質のそれぞれなりに生かしきっていく刀の冴えを拝見するわけである。それも名作は一応光ってはいるものの、その光に照らされるだけでなしに、自ら茶杓を削るなかに体験する悟入にもとづくのが本当のようである。また自ら行じなければ、何事でも半解に終るのではなかろうか。東洋の精神文化が行の文化として深まるゆえんを沈思しなければならない」(「墨美 二一四号」「山本空外 ー 書と書道観」墨美社)(54-55頁) 「空外先生の文章を読んでいて感ずることは、竹にも、木にも、筆にも、紙にも、木魚にも、そして人間一人ひとりにも「いのち」というものが生きているということである。  竹のいのちを生かすためには刀が冴えていなければならない。  その刀を作り出すことも、研ぐことも、自在に使うことも、ひとつひとつが人間の修行である。  紙の上に墨一点を記すことも、その筆をえらぶことも、その筆を作ることも、たとえ自ら作らずとも、どう作られているか知ることも、人間の行である。」(54-55頁) 「先生は毎回ギリシャの哲学者のプロティノスのお話をなされ、難解なので参会者は皆寝てしまうそうである。それでも先生はいささかも動ぜず、「面白いですねえ、面白いですねえ!」を連発なさるそうである。これをきいて私は「これこそ自受用三昧だな」と思った。  名人達人は大方、自受用三昧である。人に教えようとか、分かってもらおうとかいうようなケチな料簡はない。自ら語り、自ら楽しむ、人が分かろうが分かるまいがどうでもいいのだ。そういうところに空外先生がいられると分かってとうとう法蓮寺まで先生にお目にかかりに行った。」(50頁) プロティノスについては、 ◆ 井筒俊彦「事事無礙・理理無礙 ー 存在解体のあと」 ◆『井筒俊彦全集 第九巻 コスモスとアンチコスモス』 慶應義塾大学出版会 で知った。井筒俊彦

「紀野一義『山本空外を語る 1/2』_新春に『四国遍路』を渉猟する」

紀野一義「山本空外を語る 1/2」 紀野一義『「般若心経」を読む』講談社現代新書  山本空外は、弁栄聖者(べんねいせいじゃ)の法系に属する浄土宗の僧侶であり、書家であり、また新プラトン主義の始祖 プロティノスを研究する哲学者でもあった。下記は空外先生の文章である。 「小刀と竹一本あっても茶杓は自ら作れるが、そのときただ自分勝手に削ったのでは、どうにもならないので、竹一本一本のもつ各各の性質を生かしきっていけるような刀の冴えかたのできるところに快心の作といえる。刀と竹の自他一如がそうした悟入の心の深さで支えられるわけで、前述の「無二性」にほかならない。あたかも筆と紙があれば書道は行ぜられるが、紙一枚一枚の新古各各の漉きかたにいたるまで生かしきっていく使筆でこそ無二的書道につながるので、その一点一畫の運筆のなかに無二的人間の形成が行ぜられること、茶杓を作る刀ごとにやはり無二的人間の形成が行ぜられるのと同様である。そこを拝見するわけで、席に入って始めに書幅を拝見しても、終りに茶杓を拝見しても、一貫してその作者の無二的人間の形成行に直参するところに本義があるとすれば、拝見する客自身もその拝見を通して無二的人間の形成を行ずるのでなければならない。そこに人生にも取りくめる本義が通ずるので、この本義から外れたのでは「道」でもなく、精神文化でもない。念仏にしても、木魚一つでもあれば、称名の声と木魚を撃つ音と主客一如になるところ、大自然のいのちを呼吸する心境は深まりうるわけで、いわばそうした心境において揮毫する場合にはこの筆、この紙の各各のいのちを生かすことになり、茶杓を作るときには、その竹のいのちを生かす刀の冴えかたが深まるわけである。ところが西洋人には竹の理解乏しく、古来筆紙も南無阿弥陀仏も木魚も考え出せなかった。  一人ひとりが一人ひとりなりに行じて、大自然を一人ひとりなりに生ていく文化、こうした精神文化の粋が書道なので、そこを白紙の上に墨一点にでも決めていくような精神文化は他に類がなかろう。 (「墨美・二一四・山本空外」一二ページ)」(98-99頁) 「日本人の南無阿弥陀仏は、木魚をうつことによって称えられる。木魚をうつのはただ拍子をとるためばかりではない。うつ人と、木魚と、南無阿弥陀仏とひとつになるのである。そこに大自然に生かされている念仏というものがある。」(99-100

「紀野一義『岡潔を語る』_新春に『四国遍路』を渉猟する」

岡潔「宗教と数学」 岡潔『春宵十話』角川文庫 「終戦の翌年宗教に入り、なむあみだぶつをとなえて木魚をたたく生活をしばらく続けた。こうしたある日、おつとめのあとで考えがある方向へ向いて、わかってしまった。このときのわかり方(数学的発見)は以前のものと大きくちがっており、牛乳に酸を入れたときのように、いちめんにあったものが固まりになって分かれてしまったといったふうだった。それは宗教によって境地が進んだ結果、物が非常に見やすくなったという感じだった。だから宗教の修行が数学の発展に役立つのではないかという疑問がいまでも残っている。」(35-36頁) 「文化の型を西洋流と東洋流の二つに分ければ、西洋のはおもにインスピレーションを中心にしている。 (中略) これに対して東洋は情操が主になっている。 (中略) 木にたとえるとインスピレーション型は花の咲く木で、情操型は大木に似ている。  情操が深まれば境地が進む。これが東洋的文化で、漱石でも西田幾多郎(にしだきたろう)先生でも老年に至るほど境地がさえていた。」(36頁) 紀野一義『「般若心経」を読む』講談社現代新書 「岡潔先生は、幕末から明治にかけて浄土宗に現れた弁栄聖者(べんねいせいじゃ)という人を最も尊敬していた。(中略)弁栄聖者には『無辺光(むへんこう)』という、すばらしい、啓示的な名著がある。 (中略)  そこに書いてあることを要約していえば、宇宙の中心は一大心霊(しんれい)(一大観念)であり、この一大心霊が、自己を客観化して世界をあらしめ、その世界の中に自然界や動物界や人間をあらしめた。そして、自己が主観となってこの世界を眺めるのである。人間には、一大心霊と同質の「心」というものが与えられ、人間は、その心によってこの世界を見るのである。その「心」は「一大心霊」と同一のものであるから、世界を眺めるとき、その世界は人の心の中にあると感得されるはずである。」(52-53頁) 「(朝比奈宗源老師の)不生不滅の世界は、(盤珪禅師の)不生にして霊明なる仏心の世界である、弁栄聖者は、宇宙の中心にある一大心霊が自己を客観化してこの世界を造ったというのだから、不生も不滅もない、一大心霊そのまんまである。」(145頁)  岡潔の宗教的背景が明らかになった。 「日本人の南無阿弥陀仏は、木魚をうつことによって称えられる。木魚をうつのはただ拍子を

「紀野一義『空を語る』_新春に『四国遍路』を渉猟する」

紀野一義「空を語る」 紀野一義『「般若心経」を読む』講談社現代新書 「『色即是空』が、くるりと転換して『空即是色』になる。この時の『空』は、大きな、深いひろがりとしての空、われわれをして生かしめている仏のいのちのごときものである。そういうものの中に私たちひとりひとりの『色(しき)』がある。存在がある。」(126頁) 「『空』は、仏のいのちであり、仏のはからいであり、仏の促しであり、大いなるいのちそのものである。  そういうものがわれわれをこの世に生あらしめ、生活せしめ、死なしめる。死ねばわれわれは、その『空』の中に還ってゆくのである」(131-132頁) 「これ(「般若心経」)を唱えることは、大宇宙の律動を自分のものにすることになる。この真言とひとつになれば、自分が大宇宙そのものになる。そして、すばらしい輝きを発することになる。そう考えると、心が湧き立つようではないか。」(63頁)   玄侑宗久さんと同様のことをいっている。「 意味を問うことなく、誦んじて読む」ことが肝要であることを再認識した。 「盤珪禅師」 「それからの盤珪(ばんけい)はいつでも『不生の仏心ひとつ』で押し切った。」 (140頁) 「見ようの、聞こうのと、前方より覚悟なく、見たり聞いたりいたすが不生でござる、見よう、聞こうと存ずる気の生じませぬが、これ不生でござる。不生なれば不滅でござる、不滅とは滅せぬでござるなれば、生ぜざる物、滅すべきようはござらぬ。ここが面々の( 不生にして霊明なる )仏心そなわりたる所でござる。」 (141頁) 「盤珪は、人間が先入感によって気を動かしたり、気に特定の癖をつける気癖(きぐせ)というものを起こしたりすることを極力戒めた。そんなことをするから、犬の声が犬の声と聞こえなくなるのだという。  仏心を愚痴にし変えるな、仏心を畜生にし変えるな、大事の親の生みつけた仏心を、我が欲の汚なさに軽々しく修羅にし変えたりするな、我欲で仏心に気ぐせをつけるな、と盤珪は戒める。」 (141-142頁) 「朝比奈宗源老師」  円覚寺の朝比奈宗源老師の説法も、仏心ひとつであった。老師はいつも、  「人は仏心の中に生まれ、仏心の中に生き、仏心の中に息をひきとる」と言われた。朝比奈老師は盤珪禅師を殊の外尊崇しておられた。 (中略)  老師の「仏心」は、不生不滅の仏心であり、盤珪の「不生にして霊

「紀野一義『これ、如来の最後のことばなり』_新春に『四国遍路』を渉猟する」

今日西日が射すころ、 ◆ 紀野一義『「般若心経」を読む』講談社現代新書 を読み終えた。理解のゆきとどかない項もあり、行きつ戻りつの読書だった。 ◆ 紀野一義『「法華経」を読む』講談社現代新書 の読後感と同様に、 「私事(わたくしごと)」が目にあまり、俗気を感じた。こう いった方面には思いがいたらない方らしい。今回は、「 講演の筆記録のような風合いの内容」「エピソード 般若心経」と心得てのぞんだ読書だったので、不足はなかった。高尚な話題の展覧はみごとだった。 「釈尊の最後の言葉」 「大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)」は、釈尊が亡くなられる時のようすを、克明に書いたお経である。これは、パーリ語で書かれている。この経典の一番最後に、次のようなことばがある。   「『比丘(びく)らよ、汝等に告げん。諸行は壊法(えほう)なり。不放逸(ふほういつ)によりて精進せよ。これ、如来の最後のことばなり。』  (パーリ語略)  ヴァヤダンマー・サンカーラー  アッパマーデーナ・サムパーデートゥハ」  こう言って、釈尊は亡くなられた。こういうことばというのは、わりあい正確に伝わっていると思う。」(174頁)  釈尊の弟子たちも、よってその漢訳も、「諸行壊法(諸行無常)」と解釈したが、紀野一義はそれに異を唱えている。そして、「お釈迦さまの遺言を正しく伝えたのは法華経」(177頁)である、という。本書には、原語であるパーリ語によるその異同が詳細に記述されているが、それは読んでいただくしかない。  十二因縁の「行」と「識」を、紀野は、「行(こころ)」「識(心)」と訳している。 「『行』(こころ)のあとに『識』(心)というのが来る。この識は、行とくっついている。行の世界から識の世界へ行ってしまうと、今度は、考えすぎるのである。この『識』のことを、『分別』という。ふつう『分別がある』などというと、物事の道理がよくわかっている人という。ところが仏教では、分別というのはいけない。一番いいのは『無分別』である。分別というのは、(中略)主体と客体がいつもある。」(182頁) 「そのことをお釈迦さまはおっしゃったのではないか。おまえたちは、ずっと修行をしてきた。識という世界では、いろんなことを勉強してきている。こんど一番大切なのは、行から識へ行きすぎると、修行も人間も死んでしまう。だから、行という世界、仏さ

「新春に『四国遍路』を渉猟する」

頌春 新春のお慶びを申し上げます。 辰濃和男『四国遍路』岩波新書  この寺(五十八番霊場「 仙遊寺」)には阿坊(あぼう)仙人の話が残っている。  養老年間というから八世紀のはじめだが、それほどの昔の昔、阿坊仙人という僧がいて、ここで修行し、諸堂を整えた。四十年ほどこの地にいたというからかなりの歳月だ。石鎚山をのぞみ、かなたに瀬戸の海を見るこの地は、当時は人里をはるか離れた仙郷であったろう。そしてある日、阿坊さんは雲と遊ぶかのように忽然と姿を消した。(165頁)  遊ぶとは生半なことではない。一大事である。一時(いっとき)の気まぐれな戯れとは様相を異にしている。遊戯三昧の境地からすれば、雲と遊び、雲と消えることなど如何ほどのことでもないだろう。 「ご住職」の「小山田憲正(おやまだけんしょう)さん」は、「このごろ、人に頼まれて字を書くときは『遊べ』と書くそうだ。」(辰濃和男『歩き遍路―土を踏み風に祈る。それだけでいい。』海竜社 212,215頁)   いまはもう消えてしまったらしく、見つけることができなかったが、昔、四十三番明石寺(めいせきじ)にこんな立て札があった。「悟りは迷いの道に咲く花である」(141頁) (四十二番霊場)仏木寺(ぶつもくじ)は銀木犀(ぎんもくせい)の香りに包まれていた。茅葺きの鐘楼がいい。「悟りの花はどこに咲く。悩みの池の中に咲く」と書かれた立て札があった。それを見ていた団体遍路のおばさんが「ほんとじゃろか」と笑っていたのがおもしろかった。(129頁) 「ほんとじゃろか」 「おばさん」はたくましく、たくましい「おばさん」に与(くみ) するに如くはなく、と思っている。