須賀敦子「光と影、そして人々の祈り」

須賀敦子,松山巖,アレッサンドロ・ジェレヴィーニ,芸術新潮編集部『須賀敦子が歩いた道』(とんぼの本)新潮社

夢でないヴェネツィア。まるでアリジゴクに堕ちた小さな昆虫のように私はヴェネツィアの悲しみに捉えられ、それに寄り添った。「時のかけらたち」(64頁)

 
それでも、この階段がまるで一冊の本みたいに私の中に根をおろしているのは、いったいどういうわけなのだろう。まるでなつかしい友人をたずねるように、しげしげとあの階段を登っていたころが、じぶん自身をいちばん扱いかねていた時期と重なっていたことに繋がっているのだろうか。すぐうえにある教会のバンビン・ジェズの像が、がまんできないほど俗っぽいように、聖と俗がたえずいりまじるローマという言語体系の中で、もしかしたら、アラチェリの大階段だけが、思いがけない聖の表象として私のなかに刻みこまれたというのか。一段、一段、息をきらせて階段を登るという行為を、あのころはどちらをむいても虚像でしかなかった人生の代償として、私は、ほんとうの時間を埋めているつもりで、ただそれを摩滅させ浪費していたのではなかったか。「時のかけらたち」(32頁)


 そこには、カトリックの世界が広がっていた。数々の石造建築、石畳、教会内の壁画、彫像。光と影、そして人々の祈り。見慣れぬ世界をかいま見て、ときに違和感をおぼえることもあったが、そのなかにあって、須賀敦子の文章は、いまも美しく精彩を放っていた。