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「トイレットペーパーの摩訶不思議」

 トイレットペーパーを使う際、私はトイレットペーパーの端っこをつかんでホルダーから引き出し、その端を上にして二つ折りにしてから、カットしています。そして、もう一度折り返し、四枚重ねにしています。こんな風にする と、トイレットペーパーの裏面が表になって、専らトイレットペーパーの裏面ばかりを使うことになります。  幾重にするかは別として、多くの人はトイレットペーパーの裏面を表にして使っているような気がしてなりません。もしそうだとすれば、こんな馬鹿げた話はなく、トイレットペーパーは裏面を表にして芯に巻くべきだと、常々私は一人、厠で息巻いています。  こんなことを思う私は特異な存在なのでしょうか。  表と裏は、近いようでいて、決して交わることはなく、表裏の関係は、私にとっては切実な問題です。  朝から下世話のお話におつき合いしていただき、申し訳なく思っています。

「浴衣と白装束との切っても切れない関係」

 豊橋祇園祭は吉田神社の大祭です。豊橋三大祭の一つです。吉田神社は手筒花火発祥の地として知られています。  昨夜は一万二千発の打ち上げ花火が奉納されました。自宅から豊川河川敷の花火の発射地点までは1Kmとは離れておらず、その人いきれと喧騒たるや身のおきばもなく、今年もそそくさと遁走しました。  逃避行中の車窓から、何人かの浴衣姿の、高校生かと思われる女の子を目にしました。薄明時に見る白地に赤、白地に紺の図柄をあしらった浴衣はいかにも妖しくはかなげで、白装束そのものでした。今生の見納めと意を決して、死装束をまとっての、彼、彼氏との一世一代の花火見物と、そんな風に私の目には映りました。見れば顔色も悪く、足取りもおぼつかなく、年若き娘との死別を思ったとき、いたたまれない気持ちになりました。   ふりほどけぬままに、今も昨夕の浴衣姿が頭を占めています。白装束は死出の旅の正装です。彼女たちは私に、「死出の旅の準備を急げ」と告げているのでしょうか。もしそうだとすれば、若い娘たちからのこんなにありがたい忠告は他になく、早速 準備を急ぐことにします。

「七夕の日に」

  今朝、ご近所の七十四歳の畏友、小林宜央さんから、iPadの使い方を教えてほしいとのお電話があり、訪ねてきましました。小林さんにお会いするのは十数年ぶりのことでした。YouTube にUPされている2人の演歌歌手の動画が見たい、とのなんともかわいらしいご依頼でしたが、それがなかなか骨が折れ、苦戦しました。小林さんのお父さんと私の祖父は、豊和木工という名の会社を共同で経営し建具を作っていた時代があります。  小林さんはこの五年あまりの間に大病を患い、何度かの手術を受け、さすがに衰えは隠せませんでしたが、その勢いとでたらめぶりは昔のままで安心しました。 小林さんほど人生を愉快に遊びたおした人は珍しく、小林さんの、老・病・死は、いまだに考えられません。 障がいを抱えた方たちが営まれている近所の喫茶店で、三 時間をゆうにこえる長居を決め込み、 とんでもない話をしていました。別れ際には、「これから困ったときにはお母さんといっしょに、本多君のところへくるで頼むぞ」と脅迫されました。「居留守は使うなよ」とも脅されました。  とんでもない七夕の日を過ごしています。 会いたさ見たさがつのって、七夕は 一年に一度くらいがちょうどいいようです。

「もの忘れ」

年齢のせいもあってか、もの忘れがひどくなりました。 確かにしまっておいたものを見失い、不用意に置いたものを見失い、そこここと見失った眼鏡をさがしているうちに、眼鏡をかけていることに気づくこともあります。この頃では、こんなとき、見つけることとはさがさないこと、とわきまえ、見失ったものとの偶然の出会いを待つことにしています。 確と覚えておいた言葉を見失い、言葉にならず、オロオロすることも多くなりました。 人の道を見失っては一大事と思い、気をつけていますが、今のところはだいじょうぶなようです。 また、人生などというやっかいで、私の手にはおえないものは、ハナっから手にした覚えはなく、見失うにも見失いようもなく、唯一の救いとなっています。

「夜ふけの交差点での交感」

 夜、たとえば、近所の ある小さな交差点で、信号待ちをしている対向車のヘッドライトの光が目に入ってまぶしいとき、私は自分の車のヘッドライトを消すことにしています。きっと相手もまぶしいんだろうなという私なりの配慮であって、私もあなたと同じようにまぶしいおもいをしていますので、ヘッドライトを消していただけないでしょうか、というささやかな願いでもあります。私のささやかな願いがかなえられるのは、年に数回あるかないか程度のことで、年に数回程度のことですから、願いがかなったときには、うれしくもあり、ありがたくもあります。  インタラクティブ、双方向ということがいわれはじめて久しくなりますが、夜ふけの道路をはさんでの交感は、いつまでたってもワンウェイであり、一方通行であって、お互いのやりとりが成立するのはごくごく稀なことです。つらつらと考えれば、これも私の哀しきひとり遊びというだけのことなのかもしれません。

「小学生と交わす『おはようございます』という生きがい」

「小学生と交わす『おはようございます』という生きがい」 旧くからの家の多いなか、比較的最近になって越してきて、近所づき合いもさほどないかにみえる初老のご婦人が、毎朝通学路に立って、列をなして登校する小学生と、「おはようございます」の挨拶を交わしています。もう何年かになります。そのきっかけがなんであったのかはわかりませんが、たいへんな生きがいを見つけたな、と思いながら、小学生と毎朝交わし合う「おはようございます」の挨拶を聞いています。 はちきれんばかりの元気さで、ひときわ大きな「おはようございます」の声があります。小学校三・四年生くらいだろうと思われる何人かの男の子たちの声です。それは、何年経っても変わることなく、小学校三・四年生と思われる何人かの男の子たちの声で、サービス精神の旺盛な子はこの年代の男の子に多いのかな、と思って聞いています。 ありったけの声に、気持ちはこ れっぽっちも込められていませんが、微笑ましく、それでいっこうにかまわず、このご婦人の方ともどもそんな小学生たちを、陰ながら応援しています。

「社会の窓」

日本語俗語辞書より。 社会の窓とは男性が履くズボンの前部にあるファスナー(ジッパー、チャックともいう)のことである。これは1948年(昭和23年)~1960年(昭和35年)にNHKラジオが放送した番組『社会の窓』からきている。同番組は社会の内情を暴きだすという内容であった。これが大事なものが隠された場所という解釈になり、男性の大事な部分が隠されているズボンのファスナーを社会の窓と呼ぶようになった。なお、トイレ以外でファスナーが閉じていない状態を社会の窓が開いているという。  「社会の窓」とは「社会の内情」と触れ合う境界のことであって、すなわち「男性の大事な部分が隠されているズボンのファスナー」のことであり、ご子息様と「社会と内情」との接点のことである、ととらえた方がだんぜん面白いですよね。誰がいいはじめたのかはわかりませんが、とびっきりのセンスを感じます。  かねてから、私の「社会の窓」は小さく、そして知らぬが仏、また余命いくばくもないことを思ったとき、うかうかしているわけにはいかないと、ただでさえ小さかった窓枠を、昨年より、より小さなものにしつらえたために、「社会の内情」にはますますうとく、人との接触も限られていますが、かといってこれといった不都合もなく、必要にせまられて一日に何度かは「社会の窓」を開け閉めをしますが、ときには風通しがよすぎて情報過多となり、見ると、「社会の窓」が開けっぴろげになっており、あわてて閉めることもあります。

「螢狩り」

「 螢 狩り」 2016/06/11 昨夜 P池に行ってきました。昨夜は釣り道具は持たずに空手で、螢狩りに行ってきました。 螢は山からのわき水が流れこんでくる辺りの、木の葉の茂みに集まっていました。ぽつり、ぽつりと間をおいて光っていました。ぽつり、ぽつりくらいがいいな、と思いながら眺めていました。なかには、高く舞い上がり光の尾を引いて遠方にまで出かける 螢 も何匹かいました。心にくい演出です。遠目には 螢 の発する光は、透明なひとしずくの露のように見えました。自然の発色です。人工の色ではなかなかこうはいきません。 「日々是活き生き 暮らし歳時記」 「ホタルの成虫は、腹部後方に発光器があり、発光物質が光ることで光が発生します。 この光は、蛍のラブコール。オスは光を発しながら飛び回り、メスは草や木の葉の上で弱く光ります。お互いを見つけて両方が強く光れば婚約成立です。 実は、蛍の成虫期間は約1~2週間。この間、エサを食べずに夜露だけで過ごしてパートナーを探します。そして、繁殖が終わると死んでしまいます。 また、蛍でも発光しない種類もあります。」 ホタルの「婚約成立」はわかりやすくていいですね。木の葉の茂みの中で遠慮しがちに明滅していたのは、メスのホタルだったのでしょうか。帰宅後に知ったことですので、雌雄のホタルの事情には無頓着でした。 命を継ぐ。生あるもの皆同じなんですね。精一杯の愛ですから美しくないはずがありません。命のかぎりの明滅ですから尊くないはずがありません。昨夜はうかつでした。覚悟に欠けていました。近日中に出直します。 帰りには一匹の 螢 が夜道を照らすかのように、私を先導してくれました。まじかに見る光は、ほのかに緑色を帯びていました。二十メートルほど、 螢 の明かりを頼りに歩きました。 螢 がとって返し、茂みにもどるのを見とどけて、家路を急ぎました。

「TAKE IT EASY!」

私は、メールの署名欄に、 GOOD LUCK! FROM HONDA WITH LOVE. と、記していました。 「仲間を励ますうえでの参考。「がんばれ」を通訳が米人野球選手に「Do your best」と訳したら、「ベストを尽くしていないというのか」と怒ったそうである。正しいことばは「Good luck!」だそうだ。」 中井久夫『看護のための精神医学』医学書院 (006頁) を読んでからのことです。 それ以前は、 FROM HONDA WITH LOVE. とだけ書いていました。 GOOD LUCK! は、ときには、 TAKE CARE! にかわることもあります。 英国留学中の卒塾生の女の子と電話で話した際に、イギリスでは、「TAKE IT EASY!」という、ということを聞きました。「気楽にいこうよ!」の方が直截的でいかにもくだけていていいなと思い、 それからは、 TAKE IT EASY! FROM HONDA WITH LOVE. と、署名しています。ただし、「 TAKE IT EASY!」を、相手がどのように受けとめているかは、私のうかがい知らぬことです。村上春樹は「僕の作品は誤読の集合」といっているそうですが、それはあなたまかせの世界です。 FROM HONDA WITH LOVE. の、「LOVE」を「恋愛感情としての愛」と勘違いされることがままあり、困惑しますが、我関せずという姿勢でのぞんでいます。 ときには、 FROM HONDA WITH THE BIGGEST LOVE. と書くこともあります。なかには、最大級のお取り違えをしていらっしゃる方がいないとも限りませんが、今のところ大過なく過ごしております。 では、では。 TAKE IT EASY! FROM HONDA WITH THE BIGGEST LOVE.

「食_食す」その一

一日の多くの時間を台所で過ごしていました。平成二一年のことです。ただひたむきにつくり、ひたむきに食していました。エンゲル係数の大きな生活をしていました。 「食」の手ほどきは、 團伊玖磨『パイプのけむり』シリーズ 朝日新聞社 で受けました。学生時代のことでした。今、 團伊玖磨『パイプのけむり選集 食』小学館文庫 が出版されています。 空腹が満たされればそれでよし、と心得ていた私にとっては新鮮な驚きでした。 文化人類学の講義で、「カニバリズム(食人俗)」の話題に話がおよんだときには、摩訶不思議な食生活をされている西江雅之先生は、 「私は『人を食ったことはない』が、『人を食った話』はする」 とおっしゃられていました。 「食べられる物」と「食べる物」の違い 「食べ物」は「食べられる物」のほんの一部 「食べ物」は「文化」である 「食べ物と制約」 こんな話もうかがいました。 そして、2012/11/19 には、 西江雅之『「食」の課外授業』平凡社新書 が出版されました。 鉢山亭虎魚『鉢山亭の取り寄せ 虎の巻』オレンジページ  三十代から四十代にかけて十年間、池波正太郎の膝下で男の生き方を学んだ。しかし、十年がかりの勉強で私が何とか身につけたと思っているのは、ただ一つ、 「必ず来る死に向かって、有限の時間を着実に減らして行くーーそれが人の一生だよ。ことに男はそうだ。女には子を生むことによって永遠の生命を生き続けるという特権がある。男にはそれがない。だから毎日、きょうという一日が最後と思って酒を飲め。そう思って飯も食え。 「食す」ことは人生の一大事であることを思いしらされた私は、一念発起しました。例によって形から入りました。「食」について書かれた本を読みあさり、調理器具や調味料、香辛料等々を一通りそろえ、実際に料理をし、食すまでには結構な時間がかかりました。

「地下足袋で歩きながら、つらつらと」病相と病相のはざまで。

躁と鬱の病相が繰り返されます。それぞれの病相をきたすまでには移行期、境界期とでもいえる時期があり、私の場合、それははっきりと自覚されます。何度かの躁と鬱との病相を経験するなかで、病相の予兆を絶えず注視することが、いつしか習いになりました。 気分が高揚し、口数が多くなり、活動的になりました。浪費癖が首をもたげ、また十分な睡眠がとれていません、という典型的な躁状態を呈している私に、 「躁状態で、このよう にもの静かに話ができるとはとても思えません。まずは睡眠を確保しましょう」 と医師に言われたことがあります。 また、 「鬱の状態はみせてもらいましたが、躁の状態はまだみたことがありません」 と言われたこともありました。 医師の診断と私の感じ方の間には隔たりがあり、診断基準と照らし合わせた「病い」と、私の感じている極めて個人的な「病い」との間には懸隔があります。私の知覚過敏にすぎないのでしょうか。しかし、生活に支障をきたしているのはまぎれもない事実であって、「病人」と「非病人」のなんたるかもわからないままに、「病人」と「非病人」のはざまに身をおき、不安定な心の状態のままに揺らめいています。自分勝手な思い込みやとらわれのままに過ごすのは、やりきれず、あまりにもみじめです。 昨年末より低山を歩いています。運動量が圧倒的に増えました。歩くことによって、わだかまりやとらわれから解放され、心が、体が軽くなりました。歩くことの、また自然の中に身をおくことの効用を感じています。トレッキングをはじめるにあたっては、それなりの買い物もしました。これだけならばよかったのですが、合計すると睡眠時間が不足しているようには感じていませんが、最近になって睡眠が細切れにしかとれないようになってきました。早速私は、ここに「病い」の徴候を嗅ぎとっています。すると、疑心は暗鬼を生み、歩くことによってもたらされた効能の一切が、「病い」の徴候のように感じられ、落ち着かず、心の平衡を欠いています。 このような、いつしか習いになってしまった考え方は、「正常」の閾値を狭め、自縄自縛に陥り、精神衛生上不利に働くことは承知しているのですが、習い性となってしまっています。 私にとっては切実な問題です。経験知を積み重ねることによって、私なりに「病い」との折り合...

「山専ボトルとのはじめてのお出かけです」

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「山専ボトルとのはじめてのお出かけです」 サーモス創立111周年の記念に、との思いから購入した「山専用ステンレスボトル 500ml ライムグリーン」を、お気に入りの patagonia のワンショルダーバッグに詰め込んで、葦毛湿原に行ってきました。「山専ボトル」とのはじめてのお出かけです。 三度目の正直です。P池に遊ぶカイツブリを横目に、先を急ぎました。久しぶりの散策です。 一歩一歩が心身の脱落、と思いながら歩きました。 このまま歩き続ければ、何かが変わるような気がしてなりませんでした。 湿原は、思いもかけず、「大規模植生回復作業」中で、あちらこちらにそれぞれの区域に見合った、「 植生回復」の具体的な内容を記した掲示が掲げられていました。「冬枯れの湿原」の散策のつもりでしたが、木々は切られ、千草は刈られまた抜かれ、苔や表土ははがされ、地肌の露わになった殺伐とした風景を前にして言葉を失いました。 掲示のいちいちを読み、そのうちの幾つかを写真に収めました。土壌シードバンク、埋土種子、休眠種子、非休眠種子、…。たくさんの言葉との出会がありました。 「イヌツゲの森を伐採し、表土を剥いで湿地を復元したところ、20年以上前の埋土種子からシラタマホシクサが復活しました。春にはミカワバイケイソウが150株ほど発芽しました。(平成25年9月2日撮影)」(画像略) 詳細は、下記のサイトをご覧になってください。 「葦毛湿原の植生回復作業」 「葦毛湿原」 2015/12/27_足ふきマット_葦毛湿原 ここまで気を配る必要があるんですね。 ロマンチックな実験です。行方が気になります。 今後が楽しみです。 足繁く通うつもりです。 その後脇道にそれ林道を登り、いつもの岩の上に座って、山専ボトルを取り出して コーヒーブレイク。山専ボトルの実力にしばし感心。 しばらくの間 ボーッとして家路につきました。1時間20分の行程でした。歩く楽しみを思い出しました。 追伸:その際には、「山専ボトル 専用ポーチ」も買いました。また「水筒 真空断熱ケータイマグ 0.35L エスプレッソ」も合わせて購入しました。こちらは専ら自宅で、淹れたてのコーヒーを注いで飲んでいます。「ケータイマグ」と謳われているだけあって、...

「双眼鏡を携えて」

「双眼鏡を携えて」  昨夜双眼鏡のメンテナンスをし、一通りの使い方をマスターしましたので、今日は双眼鏡の視野にカイツブリの姿を鮮明にとらえることができました。×7の倍率はすてきです。  ダイビング後にブラックバスをくわえているカイツブリの姿は認めらず、意外な感じもし、またがっかりもしました。カイツブリの影におびえたバスは藻の奥深くに身をひそめるか、逃げ惑うはずです。俊敏さにおいてはバスはカイツブリの比ではなく、カイツブリに捕食されるバスがそうそういるとはとても考えられません。カイツブリは群れをなして行動していますが、バスの捕食には個体で行動する方が圧倒的に有利です。そう考えたとき、頻繁に採餌行動を繰り返すカイツブリの挙動が不思議に思えてなりませんでした。カイツブリが、いつもいつもお目あてのバスに逃げられ、徒労を重ねているとはとうてい考えられません。死活問題です。ひょっとすると、カイツブリは繁茂するオオカナダモをついばんでいるのかな、と思いました。もしかすると、カイツブリは草食なのかな、とも考えました。  カイツブリ・ウォッチングにいったんキリをつけ、車にとって返し、カイツブリの食性を調べました。 そして、 餌生物 主に魚類、甲殻類、水生昆虫、貝類などの動物質の餌を採るほか、水草も採餌する。雛にはフナ、タナゴなどの魚類、ヤゴ、トビケラなどの水生昆虫、アメリカザリガニ、ヌマエビなどの甲殻類、貝類などが給餌される。雛が小さいときは親は餌を細かくしたり、固い部分を除いたりして給餌する。 (2010.11.19._川口(RFC)_リバーフロント整備センター編(1996)川の生物図典)  と書かれたサイトを見つけました。  「水草も採餌する」と、厄介なことが書かれていました。年内に、P池でブラックバスの姿を確認しようと意気込み、カイツブリの採餌行動を頼りにしていたのですが、振り出しにもどってしまいました。来春実釣するまでは真相は闇の中のような気がしています。  ひき続き、カイツブリ・ウォッチングを続けます。  週末の今日は、湿原の散策や湿原を通って低山へと向かうトレッキングを楽しむ人たちでにぎやかでしたので、冬枯れの湿原の散策は今...

「双眼鏡を片手に」

「双眼鏡を片手に」  もう四十年あまり前にもなるのでしょうか、父が買った双眼鏡があることを思い出し、家探しをし、その双眼鏡を持ってP池に向かいました。小学生のころ、観光地の展望台には、きまって有料の双眼鏡が並んでいました。そんな折には、父の双眼鏡はひと際精彩をはなっていました。革のケースにはカビが生え、四つのレンズのカバーは劣化していましたが、レンズはだいじょうぶそうでした。  強風が吹きすさび、水面は波立っていましたが、カイツブリは今日も盛んにダイビングを繰り返していました。期待を胸に早速双眼鏡をのぞきました。しかし、あろうことか、ピントリングが固着していて動きませんでした。ピンボケでは確かめるべくもなく、今日も完敗でした。再度出直しです。  池干しの憂き目にあったP池が、思いもよらず水をたたえており、生命なき池とばかり思い込んでいたP池に、カイツブリが飛来し盛んに採餌行動を繰り返し、P池に行くたびに状況が好転しています。  帰宅後 双眼鏡のメンテナンスをし、使い方をマスターしました。近日中にカイツブリのダイビングの先にあるものを見極めたいと思っています。  のん気な年末を過ごしています。 追伸: 父の双眼鏡と同じ型番の、 Nikon プリズム双眼鏡 J-B7 7x35 7.3 USED品 が、ヤフーオークションで 5,250円 で落札されていました。 7倍。双眼鏡の倍率ってこんな程度なんですね。拍子抜けしています。

「冬枯れの湿原」

 昨日もP池に行ってきました。P池は葦毛湿原の入り口に位置しています。「東海のミニ尾瀬」と呼ばれていますが、草花の種類やら規模からして、尾瀬とはおよそ比較の対象にはなりません。「ミニ尾瀬」と呼ばれるほど、湿原は希少ということなのでしょうか。駐車場には観光バスが駐まっていることもあります。サギソウとシラタマホシクサの咲く夏の終わりの湿原が好きです。シラタマホシクサの白い花は、みごとなまでに白い玉です。サギが星々のうかぶ宇宙空間を飛翔しているかのようです。ハルリンドウの季節も好きです。昨日は冬枯れの湿原の散策が目的でした が、…。  数えると、P池には40羽をこえるカイツブリがいました。一昨日には見られなかった光景です。あちらでもこちらでも、バチャバチャ、バチャバチャと、ダイビングをし、採餌行動を繰り返していました。何を捕食しているかを知りたくて、バードウォッチングを決めこみました。 冬枯れの湿原行きに 大ブレーキがかかってしまいました。決して短くはない時間目を凝らしていましたが、遠目にはよくわかりませんでした。iPod touch で写真を撮り、拡大してみましたが、「ブラックバスなのかな?」程度のことしかわかりませんでした。もしバスを捕食しているとしたら、こんなにうれしいことはないのですが、あの勢いでバスをついばんでいたら、たちまちのうちにバスは底をついてしまいそうです。  明日は双眼鏡を持って行こうと思っています。おもちゃの双眼鏡ですから間に合うかどうか心配です。  結局冬枯れの湿原の散策はおあずけになってしまいました。入り口のP池で、カイツブリの採餌行動に釘づけになり、足が先に向きませんでした。  なにかとP池のブラックバスのことばかりが気になった、クリスマスイブでした。 以下、ウィキペディアより、 「シラタマホシクサ」 です。 「一面に群落していると白いホタルが乱舞しているように見える。」 「花期は8月下旬-10月。晩秋になるまで白い金平糖のような花が見られ『金平糖草』とも呼ばれる。」 の言葉が印象的です。

「ハクモクレンの冬芽」

「ハクモクレンの冬芽」 昨日 P池に行ってきました。近くまで出かけましたのでのぞいてきました。2015/12/11 には紅葉の盛りでしたが、昨日はすっかり冬景色に変わり、曇り空の下 蕭蕭たる風が水面を波立たせていました。寂寞とした木々のなかで、ハクモクレンが冬芽をつけていたのが印象的でした。 冬に芽吹き春を待つことの、その優位さが私にはわかりませんが、当然故あってのことですよね。 帰宅後、早々 Google の検索窓に、「冬芽 なぜ」と入れると出てきました。ありがたいですね。 「冬 芽」 「それは春、暖かくなったら出来るだけ早く生育を開始するためです。 芽や花を作るためにはエネルギーが必要になります。 しかし、冬は低温で活動が低下、もしくは休眠しているので光合成が出来ません。 なので春から準備を始めるためには、冬越しのための蓄えのほかに、芽をつくるための栄養も蓄えておかないといけなくなります。 夏ならば活発に光合成をしてエネルギーをつくり出せるので、前年の夏ごろに冬芽をつくって次の年に備えているのです。」 「すでに回答されているとおり、前年の夏には次の芽ができていて、春に一斉に芽吹くわけですが、もう1つ生理的な性質として、花芽の場合、冬の寒さにあわなければ開花しないものがあることです。数年前、鹿児島のソメイヨシノの開花が、西日本の他の地域より遅れたことがありましたが、暖冬の影響と言われています。」 もう夏から準備がはじまっていたんですね。春に向けて着々と準備しているんですね。一冬を過ごす以上に、芽吹きには、開花にはエネルギーが必要なんですね。「種の保存」は、どんな生物にとっても一大事なんですね。命がけですね。 追伸:P池には水がたっぷりありました。予想外でした。

「意外なジョギングのお話」

「意外なジョギングのお話」 一人になりたいがためにジョギングをする人たちがいるそうです。確かに走っている間は一人になることができます。その進化形は、音楽を聴きながらジョギングをすることなのだそうです。音楽を耳にしながら走れば、周囲の喧騒からも解放され自分の世界に入ることができます。一人になることが難しくなった時代を思います。 「我々が一人でいる時というのは、我々の一生のうちで極めて重要な役割を果たすものなのである。或る種の力は、我々が一人でいる時だけにしか湧いてこないものであって、芸術家は創造するために、文筆家は考えを練るために、音楽家は作曲するために、そして聖者は祈るために一人にならなければならない。」 須賀敦子『遠い朝の本たち』ちくま文庫 (113頁) 一人でいることと、歩きながら、また走りながら一人になることとの間には、およそ懸隔があります。歩きながら、走りながらでは読むことや書くことができないのは、決定的な痛手です。長時間にわたって走り、歩くこともできませんし、同じ思索にふけるにしてもその内容には自ずから差異が生じることと思います。一人でいることと、一人になりたいがために何かをしなければならないこととは、一人であることの意味が違います。 塾でイヤフォンやヘッドフォンをして、音楽を聴きながら自習している子どもたちがいます。一人になりたいんだな、と思って眺めています。私ならば、ヘッドフォンで耳を覆うことはしても、音楽は流さないだろうな、と思うことがあります。それでは、耳せんをすればいいのかというと、耳せんでは周りの子どもたちをあまりにもあからさまに遠ざけているようで気がひけます。と、あれこれ考えるならば、自宅で一人静かに勉強すればいいのですが、そう簡単にはいかないようです。 目下 公認会計士を目指して浪人中の卒塾生に、耳せんに関する蘊蓄を聞いたことがあります。されど、耳せんです。感心しきりでした。 こんなサイトがすぐに見つかりました。 耳せん屋.com 二年あまり前にランニングシューズを購入しました。初志はどこへやら、一度も走ることなく今はスニーカーとして履いています。足を心地よく包んでくれます。しかし、そのホールド感は夏には少々暑苦しく、もっぱらスリーシーズン用のスニーカーとして着用して...

一番すてきな「ありがとう」に会いたくて(全)

一番すてきな「ありがとう」に会いたくて はじめに、「言語」と「ことば」について ◆2014年度 K大学 人間福祉学部 人間科学科 ◇以下、代筆した「人間福祉学部専願の理由」より、抜粋です。  今仮に映画やテレビドラマ、ラジオドラマのシナリオ、演劇の台本等の書き言葉(台詞)を「言語」、声色や抑揚、顔の表情、身振り手振り等々を含めた、書き言葉(台詞)が実際に発語された際の話し言葉を「ことば」とするならば、「言語」と「ことば」の関係は、「楽譜」と「演奏」の関係とよく似ている。「演奏」は一回限りのものであり、指揮者の数だけ解釈があり、演奏者の数だけ曲がある。「ことば」は意味の乗り物であると同時に感情の乗り物でもあり、「言語」が「ことば」の形をとるとき、そこには無数の感情の表出がある。 「文学は『言語』作品、落語は『ことば』作品」 西江雅之『「ことば」の課外授業―“ハダシの学者”の言語学1週間』洋泉社  「言語」では「ありがとう」と一通りにしか表記することはできませんが、「ありがとう」の「ことば」は無数にあります。  一番すてきな「ありがとう」に会いたくって、いつも「ありがとう」の「ことば」に注意を払っています。 一番すてきな「ありがとう」に会いたくて_その二  「ありがとうございまぁ~す」と、語尾が間のびしては、感情の移入は困難です。鼻にかかった、鼻声での「ありがとうございました」は、雲行きがあやしく透明感に欠けます。「ありがとう」のことばはコンビニによって千差万別です。そして、同じコンビニの店員さんたちは、たいてい同じ「ありがとう」のことばを使っています。鼻声のコンビニで、卒塾生の女の子がアルバイトをしていましたので「どうして鼻声でありがとう、って言うの?」と聞くと、本人には自覚がなく、無意識のうちに鼻声で「ありがとう」と言っているとのことでした。店長さんの、または上位に立つ人の「ありがとう」のことばを無意識のうちにまねているようです。ことばは伝播し伝染します。  「こんばんは」を「こん」を高く「ばんは」と次第に低く発語しているコンビニがあります。この「こんばんは」は、いかにも不自然で、いかにもかけ離れていて、いかにも特異ですので、伝播し伝染し、無意識のうちに発語しているとはとても思えません。意識して右...

ブラックバス「コンストレーション」

ブラックバス「コンストレーション」 2015/10/24 バス釣りに連夜通いつめ、突然の幕切れを経験したことが過去に二回あります。そして今回が三度目になります。Rapala での釣りに熱をあげていた頃、池に立ち込み遠投してようやく釣れるようになった矢先、そして今回。サッカー界で、「sudden death」という言葉が使われなくなって久しくなりますが、不謹慎なことは承知のうえで、あえて言わせてもらうならば、三試合連続しての「sudden death」での負けを喫した選手のような気持ちがしています。今回に限っては、何かあるのかな、何があるのかな、と思いそれなりの心づもりはしていたものの、いざ突然にゲームの終了を告げるホイッスルを耳にすると、まさかの三度目だけに驚愕して言葉もありませんでした。背後にある何かの存在を疑いたくもなります。今回の事故(?)は、今月の一日から三週間あまりにわたって釣りに現を抜かしている間に、さまざまなことがコンステレート(布置)された結果の、あげくの果ての必然だったのでしょうか。北の夜空の天体ショーを眺めながら、コンストレーションという言葉を思いつつ釣りをしていました。そして、今思えば、前回も前々回も北の夜空を望みながらの釣りでした。

「事後処理、実名報道!!」

実は、Rapala の CDJ-7 レッドヘッド とともに 、クロキンも注文しました。しかし 、届いたのは、パールホワイトでした。インターネットで確認すると、画像はクロキンでしたが、商品名にはPWと書かれていました。画像だけを見て注文したので 、間違いが発生しました。もし注意深く見ていたならば、混乱し、ためらい、やめ、間違いは生じなかったと思います。が、Amazon さんの手落ちに間違いはなく、返品することにしました。過去に二度交換や返品をお願いしたことありますが、Amazon さんはうるさいことは一言も言いませんでした。また、Apple さんには、Magic Mouse が 初期不良だった旨を告げると、 保障期間を二年あまり過ぎていましたが、気持ちよく交換していただきました。それにひきかえ、SONYさんは、…。何度 電話をし、どれだけの言葉と時間を費やしたことか、そして最後には「もう結構です。今後 VAIOは買いませんし 、SONYさんとのおつきあいはいっさいしません」と言って電話を切りました。オペレーターの方は「もしもしお客さん、お客さん、お客さん」を繰り返していました。裁量権がなく、マニュアル通りの応答しかできないオペレターさんのお仕事はたいへんですね、と思いました。その後、しかるべき人が、録音された、オペレーターさんと私とのやり取りを聞き、判断を下しているのでしょうが、SONYさんから何の音沙汰もないのは、オペレーターさんの応接が適当であったことの証であり、そう考えた時 怒りのもって行き場がありませんでした。殿様商売は時代錯誤もいいところです。今でも思い出すと憤懣やるかたなく、不愉快な気分になります。たった一人のこととお考えかもしれませんが、たった一人のことでは済まなくなることもあるのは当然のことです。そうならないことをお祈りするばかりです。 SHARP さんに液晶テレビの修理に来ていただいた際に、SHARPさんが、サポートセンターに電話をかける 場面がありました。要領を得ない受け応えをしていました。電話を切った後、「あんな対応で大きな間違いがないといいんですが…。過ちをしないとわからないんですかね」とまるで他人事のように話していました。これもこれで、どうかと思いながら聞いていました。