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「法華堂_東大寺域」

2023/06/14  まもなく拝観時間(8:30〜16:00)が終わりを告げようとしていた。私は、「東大寺・法華堂(三月堂)」に設(しつら)えられた台座の、「 不空羂索観音像」の正面に腰をかけ、ひとりくつろいでいた。ようやく訪れた平安だった。  そんな折もおり、4人の中学生が私の目の前を突っ切った。 「人の前を通るときは会釈くらいしろ」 「そこに座り合掌しろ」 私は中学生を叱咤した。中学生たちは素直に従った。と、そのとき職員がやって来た。 「大きな声がするので来た。 中学生にはなにをいっても仕方ない」 といわれた。そういうものかと思い、 「申し訳ありませんでした」 と、私は謝罪するほかなかった。 「 不空羂索観音像」の前に畏まり、私は合掌・一拝し外に出た。  外には私を待ち受けている女性がいた。 「お水取りでいただいた炭を納めに参りました。母は「法華堂」が好きなんです」 その「法華堂」で、私の狼藉の一部始終を目にしたのであろう。しかし、私にはまったく覚えがなかった。 「あの子たちには忘れられない思い出になったでしょうね」 さりげない女性の言葉に、私は救われた思いがした。  その後、「東大寺」または「東大寺ミュージアム」においてある、 ◇ 森本公誠編『善財童子 (ぜんざいどうじ)求道の旅』朝日新聞社 を読むように勧められた。  また、昨年末来病気がちであること、父を亡くして日が浅いことを告げると、「 東大寺」もしくは「東大寺ミュージアム」で、「薬湯」を購入し、災厄を払うようにいわれた。  彼女は、高野山に参拝し、 また 四国八十八ヶ所霊場の幾 ヶ 寺かを拝観していることを知り、「女人高野 室生寺」を、また「大野寺」を訪ねることを勧めた。その際には、 ◇ 土門拳の四分冊になっている『古寺を訪ねて』小学館文庫 を紹介した。土門拳についてはよく知っているようだった。  また、 ◇ 岡潔『岡潔対談集_司馬遼太郎,井上靖,時実利彦,山本健吉』朝日文庫 についてお話しし、 ◇ 河合隼雄『明恵 夢を生きる』京都松柏社 ◇ 白洲正子『明恵上人』講談社文芸文庫 ◇ 白洲正子『西行』新潮文庫 についても、話題にした。  今夜は京都に宿泊し、明日は「伊勢神宮」を訪れる とのことだった。明日の夜には、黒田清子(くろださやこ)様が、 天皇陛下の御言葉を読まれます、直接その場に立ち会うことはで

ファラデー著,竹内敬人訳『ロウソクの科学』岩波文庫

 周到な用意と、その巧みな配列。矢継ぎ早に繰り広げられる実験群を、聴衆の少年少女たちは身をのり出すようにして見入ったことであろう。  ロウソクの灯りは毎日目にしている。  燃えているロウソクの上部は「お椀」状になり、その「お椀」が溶けたロウを支える。また 、そのロウは芯を伝って燃焼する。炎は静かで安定しているが、炎の輝きは依然として頼りない均衡の内にある。  ロウソクの精細な作りは、ロウソク職人の創意と工夫の歴史を担っている。 「私は、ロウソク以上に、その働きの最後の瞬間まで、一つの部分がお互いに他の部分の役に立つように条件が調整される見事な例を思いつきません」(33頁)  ロウソクは脈々として継承された伝統のなかで培われ完成形をみた。ファラデーは順を追って実験を重ねることによって、その内容を解き明かした。  初読後、間をおくことなく再読した。盛んに炎を上げるロウソクと実験との相関を見失った 。再読後には明らかになったが、6回にわたった講演のすべてを理解したわけではない。かといって、私はなんの不自由も感じていない。  私は、ファラデーによって明かされた帰結をここに披瀝しようとは思わない。結論は二次的であり副次的でさえあるからである。ファラデーは少年少女に、科学的な思考法とそれを立証する手立てを示したかった。科学においては一つの誤ちがすべてをだいなしにする。虚偽を見ぬく子どもたちの嗅覚は鋭い。一つの誤ちがファラデーへの信頼を失墜させる。ファラデーは地歩を固めつつ一歩ずつ前に進んだ。ファラデーが見はるかす道を歩きえたのは、少年少女の、また来るべき 科学の行方に夢を託していたからである。私はファラデーの科学者としての矜持とこの心意気に感服する。  ファラデーは講演の最終項で、動植物による地球上の二酸化炭素の循環について語っている。それは過不足のない自然の摂理を、少年少女が身近に感得するには格好の話題であった。見事にファラデーは掉尾を飾った。  以上の文章はロウソクの「科学」について述べたものではない。興味のある方は、実際に手に取って読んでいただきたいと思う。第一講は概論風の話題となっているので、第一講だけ読まれても、ロウソクのその精緻な作りの一端をうかがうにはじゅうぶんであろう。

「奈良大和路行_いのちの律動の音調」

 2023/06/05 心穏やかならず、奈良大和路行を決めた。喪中に旅は不埒か、私にはそのような了簡はなかった。  まず唐招提寺を目指した。  金堂ののびやかな甍を仰ぎ、参拝、拝観後 本堂へ向った。その際、 「国宝 鑑真和上坐像 / 東山魁夷画伯障壁画 / 御影堂特別公開」 と書さ れた立札を前にして目を疑った 。6月6日は鑑真和上の命日だった。  平成14年(2002)2月に名古屋市博物館で「唐招堤寺金堂平成大修理記念『国宝 鑑真和上展』」 で鑑真和上坐像を拝見したが、今回拝した鑑真和尚は、所在を得て祈りの対象そのものだった。  東山魁夷の障壁画はみごとだった。紺青の、また水墨の淡彩で描かれた『山雲』,『黄山暁雲』を前に茫然と立ちつくした。  出口に向かうころ、般若心経を耳にし、廊下に座し唱和した。それは、 いのちの律動の調べを彷彿とさせるような、ゆったりとした調子の読経 だった。鑑真和上感得の伝来の、音調のような気がしてならなかった。  それ以降 般若心経の唱え方が一変した。 「意味から響きへ、理解から感応へ。262文字のこころを体感する」( 玄侑宗久『現代語訳 般若心経』ちくま新書,「帯」 ) これらはいのちの脈動に和すればこそ、かなうことどもであろう。たいへんな体験をした。  その後 開山御廟にお参りに行った。供えられたまっ赤なお線香が印象的だった。 紀野一義「空を語る」 紀野一義『「般若心経」を読む』講談社現代新書 「『色即是空』が、くるりと転換して『空即是色』になる。この時の『空』は、大きな、深いひろがりとしての空、われわれをして生かしめている仏のいのちのごときものである。そういうものの中に私たちひとりひとりの『色(しき)』がある。存在がある」(126頁) 「『空』は、仏のいのちであり、仏のはからいであり、仏の促しであり、大いなるいのちそのものである。  そういうものがわれわれをこの世に生あらしめ、生活せしめ、死なしめる。死ねばわれわれは、その『空』の中に還ってゆくのである」(131-132頁) 「これ(「般若心経」)を唱えることは、大宇宙の律動を自分のものにすることになる。この真言とひとつになれば、自分が大宇宙そのものになる。そして、すばらしい輝きを発することになる。そう考えると、心が湧き立つようではないか」(63頁) 「盤珪禅師」 「それからの盤珪(

「奈良大和路行_はじめに」

2023/06/05〜 2023/06/10  2023/06/10 未明に帰宅 七・七日忌法要 その後 会食 2023/06/11  忌明け( 16:35   )   2023/06/12〜 2023/06/19   2023/06/18 「瀧原宮」, 「瀧原 竝宮」, 「 伊勢神宮・外 宮」 「せんぐう館・奉納舞台」 伊藤華野「祈りの舞 インド古典の舞」奉納時間11時30分より 「神宮会館」 2023/06/19 「瀧原宮」, 「瀧原 竝宮」 ,「 伊勢神宮・ 内宮」 伊勢湾フェリー(鳥羽→伊良湖) 帰宅 2023/06/21 〜 2023/06/29 2023/06/26 Dちゃん、Kさんの結婚式  於 「ジャルダン・ドゥ・ボヌール」 大和西大寺駅 → 京都駅 →「栂尾 高山寺」 「高山寺 石水院」    2023/06/28 「大野寺」 「室生寺」 「本居宣長記念館(松阪)」 TWEET「一連の旅の終わりに」 今日の夕方、三重県松阪市の、 「本居宣長記念館」 を訪ねた。 「鈴屋(すずのや) 」は薄暗く、鎮まっていた。  いま 紀勢自動車道の奥伊勢 PA(下り)に いる。十三夜月(じゅうさんやづき)が山の端に沈もうとしている。  明日「瀧原宮」, 「瀧原 竝宮」, 「外宮」,「内宮」の順にお参りし、今回の一連の旅を終えることにする。 2023/06/29 「瀧原宮」, 「瀧原 竝宮」, 「 外宮」,「 内宮」 伊勢湾フェリー(鳥羽→伊良湖) 帰宅  往復の日数を含め、計23日にわたる参拝の道行だった。 「唐招提寺 / 薬師寺・東院堂・聖観世音菩薩像、東塔 / 興福寺・南円堂、国宝館 / 東大寺・法華堂、東大寺ミュージアム / 氷室神社 / 大野寺 / 室生寺」  この間(かん)ごく限られた寺社を何遍となく巡った。時を忘れ仰ぎ見ていると、細部が姿を現わす。全般を知るには自ら刻むほかないと思った。  以降 体が明るくなった。「眼耳鼻舌身意」が変われば、「色声香味触法」が変わる。  たとえばいま、 「 七種鈴 (松坂万古)」( 2021/10/19に、 「本居宣長記念館」 , 「ミュージアムショップ 鈴屋」 で購入)が、鮮やかな音を立てて鳴り響いている。かつてなかったことである。不思議ではあるが、紛うことなき事実である。  この間(かん)のことについて綴るのは容易で