永井荷風「余も其時始て真の文豪たるべし」
永井永光,水野恵美子,坂本真典『永井荷風 ひとり暮らしの贅沢』(とんぼの本)新潮社(35-36頁)
司会者から「この頃露伴全集を読んでいるようですね」と話を向けられると荷風は「文章がうまいですね。とてもわれわれじやあれだけ書けませんよ」と答え、谷崎も「どこを開けてみても、たいがい退屈しないな、『露伴全集』だったら。鷗外さんもだけれども、露伴、鷗外だね、退屈しないのは。どいうわけかな」と続ける。特に、荷風は鷗外の熱心な読者というだけに留まらなかった。信奉者ともいえるほど心酔し、鷗外の居住まいや精神、すべてにおいて崇拝していた。自分の一生を終えるなら鷗外の命日、七月九日に死にたいとまで口にした。
大正十一年七月十九日。
帝国劇場にて偶然上田敏先生未亡人令嬢に逢ふ。上田先生の急病にて世を去られしは七月九日の暁にて、森先生の逝去と其日を同じくする由。〈中略〉余両先生の恩顧を受くること一方ならず、今より七年の後七月の初にこの世を去ることを得んか、余も其時始て真の文豪たるべしとて笑ひ興じたり。
荷風の亡骸の傍らには、鷗外作品の中でも最も熟読した『澀江抽斎』のページが開かれたままになっていたという。
文学者にならうと思つたら
大学などに入る必要はない。
鷗外全集と辞書の言海とを毎
日時間をきめて三四年繰返し
て読めばいゝと思つて居ります。
『鷗外全集を読む』より