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「正岡子規 生誕150年_まとめて」1/9

「夏目漱石 生誕150年_まとめて」 を書いた後、 「子規・漱石 生誕150年記念の取り組み 松山市ホームページ」 をみて、子規も生誕150年にあたることを知りました。  子規との馴染みはうすく、先日、 ◇ 司馬遼太郎『八人との対話』文春文庫 「師弟の風景 吉田松陰と正岡子規をめぐってーー大江健三郎」(123頁) を読み、 ◇ 司馬遼太郎『坂の上の雲』文春文庫 を冬季休暇に読むべく、古書を物色し、目星をつけたところでした。『坂の上の雲』は、司馬遼太郎が自作品中、第一に推す大作です。  昨夜、「師弟の風景 吉田松陰と正岡子規をめぐってーー大江健三郎」を読み直しました。そして、『坂の上の雲』を注文しました。  諸事情が重なり、はるかに『坂の上の雲』をのぞみながらの、「去年今年(こぞことし)」です。 下記、 「正岡子規 生誕150年_子規のリアリズム」 「正岡子規 生誕150年_郷党への愛」 「正岡子規 生誕150年_子規の学問」 「正岡子規 生誕150年_教育者とユーモア」 「正岡子規 生誕150年_継承」 「正岡子規 生誕150年_子規,漱石と文章日本語 「正岡子規 生誕150年_磁場としての『座』」 「正岡子規 生誕150年_教育を語る」 です。 また、下記、 高浜虚子「去年今年貫く棒の如ききもの」 です。

永井荷風「破蓮」3/5

永井永光,水野恵美子,坂本真典『永井荷風 ひとり暮らしの贅沢』新潮社 「破れた蓮の葉はひからびた茎の上にゆらゆらと動く。長い茎は動く葉の重さに堪へず已に真中から折れてしまつたのも沢山ある。揺れては触合ふ破蓮(やれはす)の間からは、殆んど聞き取れぬ程低く弱い、然し云はれぬ情趣を含んだ響が伝へられる。」(92頁) 荷風が見て取った、蕭条たる景色の美である。 以下、孫引きです。 「余韻が縹渺と存するから含蓄の趣を百世の後に伝ふるのであらう」(漱石『草枕』)

河合隼雄「私はこころの病ということばを絶対に使わない」

河合隼雄「私はこころの病ということばを絶対に使わない」 15 気働き文化の力 中井久夫『新版・精神科治療の覚書』日本評論社  精神科の病はこころの病である、とはいろいろな教科書や啓蒙書のはじめに書いてあることだ。あたりまえの言い草にきこえる。だが、はたしてそうだろうか。  こころとは何だろうか。そしてこころは病むようなものだろか。私はここで素人ふうの哲学論をくりひろげようとは思わない。ただ、この表現が誤解を生みやすいものであることをいっておかねばならない。  いみじくも、河合隼雄氏は、ある講演の中で、「私はこころの病ということばを絶対に使わない。たいていは周囲の人に“こころがけが悪いからなる病気だ”ととられて患者が叱られるのがオチだから」と、語られた。  私の心は病んでいるかと自問自答してみると、健康だ、と胸を張っていえる状態ではとてもないが、病んでいる、という実感はない。日常用法に即していえば、「こころが病む」という用法も「こころが疲れる」という用法もめったにない。われわれは、精密な定義を追求しさえしなければ、こころというものが分かっている。その証拠は、「こころ」と話相手にいわれた時に途方に暮れたりしないことである。ただ、「こころ」が「からだ」とは全く違ったあり方で“ある”(“存在する”ーーこのことばも同じ意味では「こころ」と「からだ」に使えないだろうが)ことも分かっている。「病い」という意味も当然同じではないだろう。身体の概念を軽々しく援用することが現に患者を追いつめるならば、慎まなければなるまい。いろいろな保健衛生の教科書や家庭医学書、それにこのごろつぎつぎに出る啓蒙書ではどうなっているだろうか。  ついでながら、こころはまず「傷つくもの」であるようだ。漱石の『こころ』はおそらく、いろいろな含みのある中で、第一に「傷つくもの」としてのこころ、だろう。長く長く、皮膚の下でうずきつづけたこころの傷である。(217-218頁)   本書はこころで始まって「気」に深入りしたが、「気」にあまりとらわれてはなるまい。「気づかい」と「心づかい」のような対をいくつか作ってみると、「気」と「こころ」の含みの違いが浮き彫りにされてきはしまいか。日本語で「こころ」と呼んでいるものは、傷はついても病むものではなさそうであり、「気」中心のビヘイヴィアより「こころ」中心のビヘイヴィアのほ...

「大特集 富士山」

 2021/09/16日(木)〜17日(金) に、P教授と河口湖畔の「ニューブリッヂキャンプ場」に行く予定だったが、台風 14号の接近のため、2021/09/27日(月)〜28日(火)に延期した。急遽決定し、急遽延期した。いつものことである。  数年来の望みだった富士山の遥拝が、霊峰の懐に抱かれて夜を明かす希望が、唐突に降って湧いた。「小夜の中山」も視野に入っている。一夜の旅寝では納まらず、浮寝の旅に身をやつし、というのが私の願いである。  また、富士山に関する文学作品に触れようと、以下の書籍を注文した。   ◇ 千野帽子『富士山』角川文庫 「川端康成、太宰治、新田次郎、尾崎一雄、山下清、井伏鱒二、夏目漱石、永井荷風、岡本かの子、若山牧水、森見登美彦など、古今の作家が秀麗富士を描いた小説、紀行、評論を一堂に集めました。」 ◇ 久保田 淳『富士山の文学』角川ソフィア文庫 「日本人は富士山に何を感じ、どう心を動かされ、表現してきたのか。文学と自然との関わりに心を寄せる中世文学の泰斗が、『万葉集』『竹取物語』から、松尾芭蕉や小林一茶の俳句、夏目漱石や太宰治などの現代文学まで50作品余を解説する。想像の世界でその美しさを感じることのできた古えの人々と、文明の恩恵によって富士山を見られるようになった現代人。それぞれの心にある「富士山」にふれる、富士山文学鑑賞の決定版。」 ◇『富士山の歴史』晋遊舎ムック ◇ 空木哲生『山を渡る -三多摩大岳部録- 4』ハルタコミックス TWEET「大特集 富士山」 2019/10/16 予約しておいた、 ◇『山と溪谷 2019 No.1015 11』山と溪谷社 が昨日届いた。 「大特集 富士山」 「富士山」の「大特集」とあらば、読まねば日本人の沽券に関わると大仰なことを思い、予約した。何項かに目を通した。以降が楽しみである。  そして、これを呼び水に、「信仰の対象と芸術の源泉」である霊峰について思いを巡らせ、裾野を広げたいと思っている。  私には「新春特別号」のように思えてならない。  そして、 ◇ 信濃川日出雄『山と食欲と私 9(鮎美の富士山リベンジ編 ①~④)』新潮社 を注文した。 TWEET「大特集 富士山_登拝,遥拝」 2019/10/21 ◇『山と溪谷 2019 No.1015 11』山と溪谷社 の、「大特集 富士山」におよそ目を通し...

「自己本位といい、他己本位といい」

 青山二郎といい、小林秀雄、白洲正子といい、「青山学院」と呼ばれ、「昭和の文壇を華やかに彩った文士たち」は、超然として「自己本位」の境地に遊んだ。  井筒俊彦においては、これらは「コトバ」の自己分節であって、関心の埒外の出来事であったに違いない。意識の深みに「実在」を索め、その階層構造を明らかにし、ついには自身の深層言語学的哲学を展開するにいたった井筒にとって、表層意識への関心は希薄であったといえよう。  一方 漱石はといえば、「利己か利他か」に生涯執着し、その撞着が漱石に小説を書かせた、といえるかもしれない。安易な解決を許さなかった漱石は強靭な精神の持ち主だった。  さて、長らく「他己本位」という劇中の最中(さなか)にあって、いま私は躊躇することなく「自己本位」に触手を伸ばす。それには多少の荒療治が必要かと感じている。  残された限られた時間、「悪しき道徳教育の、18歳の残滓」の虜になっている暇はない。 「拝復 P教授様_悪しき道徳教育の、18歳の残滓です」 2018/07/31 おはようございます。 我慢する、我儘は許されない、また反省する。 いずれもいずれも悪しき道徳教育の、18歳の残滓ですね。 この際きっぱりとお別れすることにします。 我慢しない。我儘に生きる。「反省なぞしない」。 無頓着で、無造作な、鷹揚で、無邪気な生活を心がけます。 盛夏です、酷暑です。容赦なしです。 くれぐれもご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE. 追伸: 小林秀雄さんが、座談会にて、 「僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか」(『近代文学』昭和二十一年二月号) と話されています。

「漱石先生、ない智慧をしぼる」

下記のサイト、 「漱石と隻腕の学生」 からの孫引きです。近日中に 江藤淳『漱石とその時代 第三部』にあたります。 「懐手事件」  夏目漱石が東京帝国大学で講師をしていた時に、隻腕の学生に対してそうと知らずに小言を言ってしまうという小事件があったらしい。江藤淳「漱石とその時代 第三部」で引用されている、森田草平「漱石先生と私 上」からの孫引き(くの字点を使わないようにするなど、一部、仮名遣いを改めた。他の引用部も同様)。  明治38年11月10日ごろのこと。講義を突然中断した漱石は、教室の中ほどの席につかつかと歩み寄ると、そこにいた学生に説教を始めた。前列の席にいた森田には、最初は漱石が何を言ってるのかよくわからなかった。 が、だんだん聞いてゐると、その学生は毎も懐手をして頬杖を突いたまゝ、先生の講義を聴いてゐる。それが毎々のことだ。何うでもいゝやうな事ながら、それでは余りに師に対する礼を失しはしないか。ちやんと手を出したらよからうと注意してゐられるものらしい。然るにその学生は、いくら云はれても、俯向いて黙つてゐるばかりで、返辞もしなければ手を出さうともしない。先生の声がだんだん高くなる。見兼ねて、隣席の学生が「先生、この人は元来手がないのです」と注意した。その時先生はさつと顔を赧くされた。何とも言葉が出ない程の衝撃を受けられたらしい。そのまゝ黙つて教壇へ引返されたが、暫くは両手を机に突いたまゝ、顔を上げられなかつた。教室内も水を打つたやうに鎮まり返つてゐた。学生一同も、何うなることかと一寸気を呑まれた形である。が、やつと顔を上げると、先生は「いや、失礼をした。だが、僕も毎日無い智慧を絞つて講義をしてゐるんだから、君もたまには無い腕でも出したらよからう。」かう云つて、直ぐさま後の講義を続けて行かれた。 「漱石」の名は、「漱石枕流(そうせきちんりゅう)」に由来するもので、自分の間違いを認めず、屁理屈を並べる、「負け惜しみ」,「こじつけ」というほどの意である。 (註)  中国の故事に由来し、本来「石に枕し、流れに漱ぐ(枕石漱流)」と言うべきところを、 「石に漱ぎ、流れに枕す(漱石枕流)」と言い間違え、さらに「石で口をすすぐのは歯磨き、流れで耳を洗うためだ」と 孫楚(そんそ)が 屁理屈を言った ことに由来する。    「漱石先生、ない智慧をしぼる...

夏目漱石「頭かくして」

松岡筆子「父 漱石」 十川信介 編『漱石追想』岩波文庫  まだ小さな時のことでございますが、私たちがいろは歌留多(かるた)を取って居ると父が時々入れて呉れと言って入って来ました。父はいつも『頭かくして』という札を後生大事にねらっているのでございます。それをどうかすると私たちに取られてしまいます。その時は両手で頭をかかえて参ってしまうのでございました。(378頁) (註) 松岡筆子は、漱石夫妻の長女である。

漱石の「則天去私」

漱石の「則天去私」 (「塾・ひのくるま」のHPより) 学生時代、 「雨が降ったら雨が降ったと書けばいい。 余計な形容をするから文章が駄目になる」 と、漱石先生は仰られているとのお話をうかがいしました。 「則天去私」は生き方の問題ではなく、文章を書くための作法である」 との解釈もおうかがいいたしました。 早稲田大学の清水茂先生の日本近代文学の講義でのことです。 清水茂先生の厚みのある心地よい声を今懐かしく思い出します。

夏目漱石「Do you see the boy」

「Do you see the boy」 山村修『増補 遅読のすすめ』ちくま文庫  これで漱石が「 the boy」 を「ゼ・ボイ」と発音したという私見(倉田卓次)に納得して貰えただろうか。  なぜ、そんなことにこだわるのか。  もうお分かりになったかたも多いと思うが、そう読まなければ、「猫」のあの英文の一行の存在価値(レーゾンデートル)がなくなってしまうのである。  「づうづうしいぜ、おい」  「ドウユーシーゼ、ボイ」  こう並べ読んでこそ、打てば響くような日英語の語呂合わせであって、落語を愛した江戸っ子漱石らしい洒落になる。「ザ・ボーイ」でなく「ゼ・ボイ」である最大の証拠は、実はこの二行の対応かも知れない。 (中略)  それにしてもあざやかな読みだ。この文章を収録した『裁判官の書斎』の刊行が一九八五年、小林信彦『小説世界のロビンソン』の刊行は一九八九年。それを考えると、もしも倉田卓次がこの文章を書かなければ、一九九三年に出たあたらしい漱石全集(岩波書店)の第一巻『吾輩は猫である』に、「 Do you see the boy」 の注解が設けられ、「前行の『づう~しいぜ、おい』の音を英語にもじったもの。漱石は ‘the’ を『ゼ』と表記することが多く…」などと記されることはなかったのではないかと思う。(146-148頁)

夏目漱石「呑気と見える人々も」

夏目漱石「呑気と見える人々も」 山村修『増補 遅読のすすめ』ちくま文庫  先日、漱石の『吾輩は猫である』を読んでいると、ほとんどラストに近いあたりで、次の一行が目にふれた。 「呑気と見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする」。  この小説を読むのは三度目である。一度目は高校生のころ、二度目は二年ほどまえのこと。一度目の高校時代ははるかな昔のことで、みごとなくらい内容の記憶は失われているから除外するとして、二度目に読んだとき、この一行には気がつかなかった。 (中略)  前回は気がつかなかった。そのときはたぶん、右の痛切ともいえる一行は目をかすめただけである。読んで感銘を受けたけれども忘れてしまったというのではない。目には映っているが印象をとどめない。なぜだろうか。答えはきまっている。速く読んだからだ。  本書では、山村修さんが遅読中にも、さらにゆっくり読んでいるところ、立ち止まり、行きつもどりつしつつ、感慨にふけっている場面が、山村修さんの鑑賞文とともにふんだんに紹介されています。読書家 山村修の面目を再認識させられます。本書は「遅読のすすめ」であって、恰好の「図書案内」であって、「鑑賞の指南書」であって、私にとっては「作文のお手本」であって、「作文の作法」です。  引き続きまして、遅読を実践します。

司馬遼太郎「漱石が発明した文章語」

 昨年が漱石の没後百年(2025年)、今年が生誕百五十年にあたることを、うかつにも昨年の暮れ、新潮文庫のキャンペーンではじめて知りました。それは奇しくも、司馬遼太郎の「文学から見た日本歴史」を読んだ直後のことでした。 「文学から見た日本歴史」 司馬遼太郎『十六の話』中公文庫  明治は、革命による流血こそすくなかったのですが、徹底的な旧日本否定ということで、文化という意味では、フランス革命よりは過激だったかもしれません。  革命は、それ以前の文章、文体まで消してしまうというはげしい働きをします。スタンダール(Stendhal 一七八三~一八四二)がナポレオン民法の文章を刺激剤として自分の文体を模索したように、明治の作家たちは、あたらしい文章日本語を創り(つく)りだすために、一人一人が苦心しました。  十九世紀末の明治の作家たちの文章は、じつにまちまちで、手作りの織物の展覧会を見るような気がします。  たとえば、泉鏡花(いずみきょうか)が手作りした文章は男女の恋を語ることができても、EC の問題を語ることができません。プラティナのようなかがやきをもっているとしても、弱々しいひとすじの針金(はりがね)にすぎないのです。  また明治期の代表的な評論家である徳富蘇峰(とくとみそほう)が手作りした文章では、政治や歴史を語ることができても、男女の機微を語ることができません。  それらのすべてを文章を語ることができる文章は、むろん天才の出現を待たねばなりません。同時に、社会の成熟をも必要とします。  一八六八年の明治維新で過去のほとんどをすてた日本の社会は、三十四余年後にほぼ第一期の成熟期をむかえました。  そのとき出現したのが、作家夏目漱石(なつめそうせき)(一八六七~一九一六)でした。  漱石によって、大工道具でいえば、鋸(のこぎり)にも鉋(かんな)にも鑿(のみ)にもなる文章ができあがるのです。ということは、たれでも漱石の文章を真似れば、高度な文学論を書くことができるし、また自分のノイローゼ症状についてこまかく語ることができ、さらには女性の魅力やその日常生活をみごとに描写することもできます。  やがて社会が、漱石の文章を共有するようになります。  漱石は、日常語としては、歯切れのいい江戸弁をつかうことができる人でした。その基礎的な教養の中身には、すでに過去のものになった漢文が、...

「永井荷風_破蓮」

 『曇天』 永井永光,水野恵美子,坂本真典『永井荷風 ひとり暮らしの贅沢』新潮社 「破れた蓮の葉はひからびた茎の上にゆらゆらと動く。長い茎は動く葉の重さに堪へず已に真中から折れてしまつたのも沢山ある。揺れては触合ふ破蓮(やれはす)の間からは、殆んど聞き取れぬ程低く弱い、然し云はれぬ情趣を含んだ響が伝へられる。」 (92頁) 荷風が見て取った、蕭条たる景色の美である。 以下、孫引きです。 「余韻が縹渺と存するから含蓄の趣を百世の後に伝ふるのであらう」(漱石『草枕』)

岡潔「ある刹那、とっさに一切が」

山本健吉 岡潔「連句芸術」  岡潔『岡潔対談集_司馬遼太郎,井上靖,時実利彦,山本健吉』朝日文庫 山本  先生にとっては、数学と道元・芭蕉というのは一つのものなんですね。 岡  数学の方が浅いです。こんなものは二代やろうとは思いません(笑)。西洋のもののうちではいちばん深いのでしょうけれども。西洋は、すべて時間・空間というわくのなかに入っているのを知らない。(184頁) (それに対し、東洋は時空を超えることを体験的に知っている) 「身心脱落」  岡潔『一葉舟』角川ソフィア文庫  「私は(道元)「正法眼蔵」の上巻を、なんだかよい本と思って買ってきて座右に置いた。なんだかすばらしい景色のように思えるのだが、春霞(はるがす)みの中の景色である。そんな日々が長く続いた。十三年目に私にある刹那があった。その後この本のどこを読んでもすらすらわかる。それから、十七、八年になるが今でもそうである。しかしこの本は実は絵のようなものであるから、言葉で説明しないほうがよい。  身心脱落とは真如の月が雲を排して出るようなものである」(194-195頁) 「絵画」  岡潔『春風夏雨』角川ソフィア文庫  「ところが近ごろまでその(良寛の書を見る)機会を得なかったのだが、近ごろその写真版四冊を見ることができた。  第一冊を見ると、表紙に「天上大風」と大きな字で書いて署名している。字の配置は正方形の四隅に一字ずつ書いているのである。  私はそれを見ると、直ぐわかった。とっさで、何がどうわかったのかわからないが、一切がわかってしまったのであろう。良寛の書がいわば真正な書であることを、少しも疑わないようになったから。  じっと見ていると、何だかこせこせした心の中のもやもやが吹き払われて、心が段々清々しくなり段々ひろびろして行くような気がする。翌朝もう一度その四字を見ると、字の姿から見て、横に右から左に強い風が吹いているのである。  このはじめのわかり方を「信解(しんげ)」というのである。たとえば『正法眼蔵』に「智ある者若し聞かば即(すなわ)ちよく信解せん」という句が引いてある。  これにならって、第二のわかり方を「情解(じょうげ)」、第三のわかり方を「知解(ちげ)」といえばよいと思う。  人が芸術品について語るさい、まず知解を詳細にのべ、少し情解に及んで...

TWEET「私は貝になりたい」

◇ 白洲正子『西行』新潮文庫 の帯には、 「能あるものは、 そっと黙っていよ。 -----ゲーテ」 と記されていますが、能なき私は、 「とかくに、人の世は住みにくい」 「人の世」が「住みにく」ければ、「人で無し」として生きるほかないだろう、と諦めた。  木星が、十六夜の月に寄りそっている。夜空は美しい。

TWEET「結界を設ける」

「栂尾 高山寺」で買った、『鳥獣戯画』の一場面が描かれた、緑色の暖簾(のれん)をつるした。その上に、漱石自書のコピー、「則天去私 漱石」と書かれた “お神札 ” をピン留めした。  結界が完成した。これで二階の八畳一間と六畳一間が聖域になった。  私はもっぱら南に面した八畳間で籠城を決めこんでいる。 ベッドの横には長テーブルが置いてあり、その長テーブルが私の机であり、ベッドのマットレスが私の椅子である。足元には、幾つもの本の山があり、無造作に足を動かす と山崩れが起こる。テーブルの上には雑多な物が置いてあるが、占有率が高いのはやはり書籍である。また、ダブルベッドの右半分は、書籍と衣類で占められ、私は一人用のテントの半分のスペースで寝起きしている。しかし、不自由を感じたことはない。一度ベッドから落ちたことがあるが、事情を理解するまでに時間がかかった。とにかく、本の背表紙を眺めて暮らさないと、落ち着かない。かといって、これ以上 書棚を置く余地はない。  他にも症状がある。  郵送されてきた郵便物を開封することに嫌悪感を覚える。「重要」,「親展」 と朱書されていようが、「矢印の方向へゆっくりはがしてご覧ください」と記入されていようが、お構いなしである。年に数回、まとめて開封するが、時すでに遅く、そのままゴミ箱行きである。郵便物が私の部屋を汚(けが)す一因になっている。  内田百閒は、やはり郵便物嫌いだった。百閒先生は、その都度  郵便物を鞄に入れ、 鞄がいっぱいになると、その鞄ごとゴミ箱に捨て、新しい鞄を買う、ということを繰り返されていたという。所詮 私の適う相手ではない。  結界を張った以上は、聖域は清浄にしておくべきであることは承知しているが、 この蒸し暑い最中(さなか)に、汗みずくになって動くのは気が滅入るなどと思っているうちに、この為体(ていたらく)である。  結界を設けてから、五日目の今日、愚にもつかないことを考えながら、いま西陽に照らされている。(812文字) ◆ 内田百閒『蜻蛉玉 内田百閒集成 15』ちくま文庫 ◆ 内田百閒『百鬼園随筆』福武文庫 百閒先生の話題は、上記の二冊の、 どちらかの随筆集に載っていた、と記憶しているが、行方不明である。

「荒井魏『良寛の四季』岩波現代文庫」

山本空外の「書論」(「論書」,「書道哲学」) ◆『墨美 山本空外 ー 書と書道観 1971年9月号 No.214』墨美社 ◆『墨美 山本空外 ー 書と書道観(二)1973年6月号 No.231』墨美社 ◆『墨美 山本空外 ー 書論・各観 1979年7月号 No.292』墨美社  ◆『墨美「書と生命 一如の世界」<対談> 山本空外 / 森田子龍 1976年12月号 No.266』墨美社 「序観」,「通観」,「各観 」の三巻と「書と生命」 の読み書きに二十日あまりの時日を費やした。貴重な読書体験だった。やはり空外先生は大きすぎる。 「山本空外_良寛の書を語る」 「良寛和尚のごとき、外見はいかにも平凡のようでも、心は深く永遠の光に照らされている証拠をその墨蹟が物語っている」(『墨美 山本空外 ー 書論・各観 1979年7月号 No.292』墨美社 55頁) (「唐の懐素上人といい、わが弘法大師といい」)「良寛の書にしてもそのよさを一語にしていえば、そう(「空」を書くと)いえるようである。いな、極言すれば「空」を書かなければ、未だ書道の門前に立つにすぎないともいえないことはなかろう」 ( 『墨美 山本空外 ー 書論・各観 1979年7月号 No.292』墨美社 49頁)  良寛について知ることは、皆無にちかかった。気になるのは良寛についてのことばかりだった。そして一昨日、陽が西にかたむきかけたころ、 ◆ 荒井魏『良寛の四季』岩波現代文庫 を読み終えた。 荒井魏『良寛の四季』岩波現代文庫  人はこれほど「無一物」になれるものか。 「ぬす人に取り残されし窓の月」 良寛はこの期におよんでも風流である。良寛に印可を与えた、備中玉島 円通寺の大忍国仙和尚をして「大愚良寛」といわしめた所以の一端がうかがえよう。「一九九四年にパリの地下鉄内に世界各国の詩人の詩が掲示された。その時、この句が人気投票で一位に選ばれたというから」(138頁)、国際派である。 「古筆学の権威として知られる小松茂美さんは」「良寛書の魅力」を、 「独自のものだ、と思います。枯れた、寂(さび)た、わびた風情。言いがたい一つの線の美しさ…。いきなり真似て書いても、こんな字にならない。禅の修行による人間錬成の結果、無欲恬淡(てんたん)に至り得た境地からの自然な流露のままの字です」(126頁) という。 「良寛さん...

「自己本位といい、他己本位といい」

 青山二郎といい、小林秀雄、白洲正子といい、「青山学院」と呼ばれ、「昭和の文壇を華やかに彩った文士たち」は、超然として「自己本位」の境地に遊んだ。  井筒俊彦においては、これらは「コトバ」の自己分節であって、関心の埒外の出来事であったに違いない。意識の深みに「実在」を索め、その階層構造を明らかにし、ついには自身の深層言語学的哲学を展開するにいたった井筒にとって、表層意識への関心は希薄であったといえよう。  一方 漱石はといえば、「利己か利他か」に生涯執着し、その撞着が漱石に小説を書かせた、といえるかもしれない。安易な解決を許さなかった漱石は強靭な精神の持ち主だった。  さて、長らく「他己本位」という劇中の最中(さなか)にあって、いま私は躊躇することなく「自己本位」に触手を伸ばす。それには多少の荒療治が必要かと感じている。  残された限られた時間、「悪しき道徳教育の、18歳の残滓」の虜になっている暇はない。 「拝復 P教授様_悪しき道徳教育の、18歳の残滓です」 2018/07/31 おはようございます。 我慢する、我儘は許されない、また反省する。 いずれもいずれも悪しき道徳教育の、18歳の残滓ですね。 この際きっぱりとお別れすることにします。 我慢しない。我儘に生きる。「反省なぞしない」。 無頓着で、無造作な、鷹揚で、無邪気な生活を心がけます。 盛夏です、酷暑です。容赦なしです。 くれぐれもご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE. 追伸: 小林秀雄さんが、座談会にて、 「僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか」(『近代文学』昭和二十一年二月号) と話されています。

TWEET「Kindle Direct Publishing_『本多勇夫 / 重ね重ね 折々の記_12』: 〜小林秀雄編〜」

つい今し方、 ◇ 「本多勇夫 / 重ね重ね 折々の記_12」: 〜小林秀雄編〜」 を、「Kindle Direct Publishing」にアップしました。 上梓されました。早速購入しました。   小林秀雄の文章の美しさは、語の配列の美しさにある。ときに配される、落ち着きを欠いた語に、はっとさせられる。破調の「美」である。「神さま」の適材適所に狂いはない。   小林秀雄の文章に真偽を問うのは愚かである。日本語が、これほど精緻な「美」を成すことにまず驚く。「美」は、詮索に堪えない。 『真贋』を読みつつ、「真贋一如」ということを思った。「真贋」は、相補的な関係にあり、混然一体となっているところにおもしろみがある。「贋」なくして「真」はたちまちのうちに姿を晦(くら)ます。これほどつまらない世界はない。 「では美は信用であるか。そうである。」   あまたの「西行論」のなかで、私は小林秀雄の繙(ひもと)く、懊悩する西行の「美」の変遷を「信用」する。「美」は真偽の判断を竢たない。ひとえに「信用」の問題である。

TWEET「Kindle Direct Publishing_『本多勇夫 / なおなお 折々の記_10』: 〜岡潔編〜」

つい今し方、 ◇ 「本多勇夫 / なおなお 折々の記_10」: 〜岡潔編〜」 を、「Kindle Direct Publishing」にアップしました。 上梓されました。早速購入しました。  まずはじめに、岡潔,小林秀雄『人間の建設』は、紙数の都合上、本編に分類した。  「数学は語学に似たものだと思っている人がある」。「語学と一致している面だけなら数学など必要ではない。それから先が問題なのだ。人間性の本質に根ざしておればこそ、六千年も滅びないできたのだと知ってほしい」。  「数学史を見ても、生きてバトンを渡すことはまずない。数学は時代を隔てて学ぶものだと思う」。後進による問題の解決を、飽くことなく待つ「数学という学問体系」の楽観には感心する。 「よく人から数学をやって何になるのかと聞かれるが、」「私についていえば、ただ数学を学ぶ喜びを食べて生きているというだけである。そしてその喜びは『発見の喜び』にほかならない」。  岡潔の話は、私の抱いていた数学観とはずいぶん異なるものだった。また、たいへんな思索家でもあり、それが「情操」「情緒」の境地を深めることになった。  対談では、「初対面の二人が、延々十一時間しやべり続けて、一度も中座しなかつた」という。息の合った天才たちの対話は稀有な出来事であり、傾聴に値する。直接当書に当たってほしいと思う。本編がそのきっかけとなれば幸いである。

TWEET「Kindle Direct Publishing_『本多勇夫 / まだまだ 折々の記_07』: 〜夏目漱石編〜」

◆ 予期せぬ不具合の発生により、非表示状態、白紙状態、「お絵かき帳」状態になっております。ただいま交渉中です。親身になっていただいております。いましばらくお待ちください 。 つい今し方、 ◇ 「本多勇夫 / まだまだ 折々の記_07」: 〜夏目漱石編〜 を、「Kindle Direct Publishing」にアップしました。 上梓されました。早速購入しました。 此の憂誰(た)れに語らん語るべき一人の君を失ひし憂 寺田寅彦「思ひ出(いづ)るまゝ」 十川信介 編『漱石追想』岩波文庫(128頁)