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TWEET「唐招提寺 御影堂特別公開」

「開山鑑真大和上の命日(6月6日)にちなんで」「 開祖・鑑真大和上を偲び、国宝鑑真和上坐像を収めた厨子の扉が特別に開かれ、そのお姿を拝観することができ」る。  また、東山魁夷の 「 御影堂障壁画(全六十八面が)特別(に)開扉」される。  期間は、6月4日から6日までの3日間である。  また、 1時間当たり250枚の整理券は、当日の配布である。 「奈良大和路行_いのちの律動の調べ」 2023/08/09  2023/06/05 心中穏やかならず、奈良大和路行を決めた。喪中に旅は不埒か、私にはそのような了簡はなかった。  まず唐招提寺を目指した。  金堂ののびやかな甍を仰ぎ、参拝・拝観後 本堂へ向った。その際、 「国宝 鑑真和上坐像 / 東山魁夷画伯障壁画 / 御影堂特別公開」 と書された立札を前にして目を疑った。6月6日は鑑真和上の命日だった。  平成14年(2002)2月に「唐招堤寺金堂平成大修理記念『国宝 鑑真和上展』」(名古屋市博物館)で鑑真和上坐像を拝見したが、今回参拝した鑑真和尚像は、所在を得て祈りの対象そのものだった。  東山魁夷の障壁画はみごとだった。紺青の、また水墨の淡彩で描かれた『山雲』,『黄山暁雲』を前に茫然と立ちつくした。  出口に向かうころ、般若心経を耳にし、廊下に座し唱和した。それは、いのちの律動の調べを彷彿とさせるような、ゆったりとした調子の読経だった。鑑真和上感得の、伝来の音調のような気がしてならなかった。  それ以降 般若心経の唱え方が一変した。 「意味から響きへ、理解から感応へ。262文字のこころを体感する」(玄侑宗久『現代語訳 般若心経』ちくま新書,「帯」) これらはいのちの脈動に和すればこそ、かなうことどもであろう。たいへんな体験をした。  その後 開山御廟にお参りに行った。供えられたまっ赤なお線香が印象的だった。  ぜひ参拝・拝観したいと思う。  しかし、先週から今週にかけ、をちこちの方たちに振り回され、疲労・疲弊・消耗している。また、台風6号の北上も気になる。  無理だけはしないように、と思っている。

「伊勢・熊野_巡拝の道行き」

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2026/05/10 ◇「椰子の実」歌碑 「歌碑」には、島崎藤村の「椰子の実」の詩が刻まれていた。 「椰子の実」歌碑 (拡大してご覧ください)  また裏面には、その由来が刻まれていた。 「明治三十年の夏 伊良湖に 逗 畄 (留)した 柳田國男氏が この 磯に 漂着した 椰子の実 を拾い 東京に持ち帰り 親友 島崎藤村氏に 見せて この 詩が 生れたことは 昭和二十七年十月 柳田氏の 随筆 海上の道で 明かにされたものである。         昭和三十六年 陽春         記念のため これを 建てる 昭和三十六年 丑之歳 陽春 建立」  さらに作曲者「大中寅ニの碑」があった。 「椰子の実」は、佐々木信綱作詞の「夏は来ぬ」とともに、私にとって大切な歌である。土居裕子さんの歌で聞いている。 ◇「伊良湖オーシャンリゾート(旧伊良湖ビューホテル)」 「ランチビュッフェ&日帰り入浴」  目の前には、太平洋、恋路ヶ浜(こいじがはま) が広がっていた。  その後 15:20 発の「 伊勢湾フェリー」で鳥羽に向かった。 潮風に吹かれ、船首波の綾なす彩りを見つめていた。   ◇「瀧原宮(たきはらのみや)」 「別宮」である。  夕闇迫るころ参拝した。 「御手洗場(みたらしば)」である、 「頓登川(どんとがわ)」 「頓登川」の清らかな谷川の水を しばし見つめていた。 ◇「道の駅 奥伊勢木つつ木館」 「瀧原宮」と目と鼻の先にある。  車中泊。 2026/05/11 ◇「瀧原宮」  今回 二度目の参拝だっだ。早朝の「瀧原宮」には人気がなく、清々しかった。 「瀧原宮 (たきはらのみや) 」,「瀧原竝宮(たきはらのならびのみや)」,「若宮神社」,「長由介(ながゆけ)神社(川島神社)」の「順にお参り下さい」と書かれた「立て札」が立っている。いずれもかわいらしいお社である。 「瀧原竝宮,瀧原宮」 「瀧原宮」 「瀧原宮」 司馬遼太郎『この国のかたち 五「神道」』文春文庫 「古神道というのは、真水(まみず)のようにすっきりとして平明である。  教義などはなく、ただその一角を清らかにしておけば、すでにそこに神が在(おわ)す。  例として、滝原の宮(瀧原宮)がいちばんいい。  滝原は、あ...

TWEET「地元の古社寺巡り」

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 長い年月にわたって気になっていた、主に地元の古社寺を巡った。  玉石混交の道行きだった。 2026/04/28 ◇「舘山(かんざん)寺(静岡県浜松市)」 「西行岩」に目をひかれた。 「西行法師が舘山寺参拝の折に、この岩の上で休息し、詩歌を詠んだ事から西行岩と呼ばれる。山の東端に位置し波打ち際にそびえる高さ10m の大岩」 「舘山(たちやま)の 巖(いわ)の松の 苔むしろ 都なりせば 君も来て見む」  巌根に登ると、眼の前に奥浜名湖の景色が広がった。 2026/04/29 ◇「三河國一之宮 砥鹿(とが)神社 奥宮(愛知県豊川市)」 ◇「 三河國一之宮  砥鹿神社 里宮(愛知県豊川市)」  何回か参拝したことのある「 三河國(の) 一之宮」である。 「奥宮(おくみや) 」が「本宮(ほんぐう)」である。 「奥宮」では「御本殿」の他に「健歩健脚の守護神」である 「荒羽々気(あらはばき)神社」 .「岩戸神社」,「守見殿神社」を参拝し、「天の磐座(いわくら)(国見岩)」,「御神木」を拝観した。 2026/04/30 ◇「西斬寺(さいぜんじ) (愛知県豊川市) 」  平安時代作と推定されている、63cm のかわいらしいい 「聖観音菩薩立像」の参拝が目的だったが、暗い厨子の内に安置されていて、繊美な手指はうかがうことはできたが、 全体像を見ることはできなかった。  ご住職さんと長い時間、お話できたのは幸いだった。ご住職さんの収集である円空仏が三体あった。 2026/05/01 ◇「熱田神宮 (愛知県名古屋市) 」  三種の神器のひとつである「草薙剣( くさなぎのつるぎ)」がお祀りされており、また「日本三大神社」のひとつに数えられるが、騒然、雑然としていて落ち着きを欠き、興醒めがした 。 2026/05/02 ◇「徳川美術館 (愛知県名古屋市) 」  洗練された美術館だった。  茶室が展示されていて ー山本空外先生がよく引き合いに出された茶杓ー 三つの茶杓の展示があったが、よくわからないままに終わった。  再訪を促されている。 ◇「渡岸寺(どうがんじ)(滋賀県長浜市)」 「徳川美術館」から「渡岸寺」まで、車で一時間圏内であることを知り、急遽「渡岸寺」を参拝することにした。  何度 参拝しても「国宝 十一面観音像」は美しく、尊い。 永劫を生きるお姿は不動だった。  参拝者の方...

TWEET「ゴッホ展 名古屋」

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  2026/03/18 愛知県美術館に「ゴッホ展 名古屋」を見にいった。  10時を少し回ったころ(9:30 開館)入館した。混雑していて、常に 第三列から のぞき見するような格好で一巡した。 “ゴッホの絵のある風景” にたたづんでいるようなあり様(よう) だった。  受付で尋ねると、16時以降には空くと思います、とのことだっだ。  栄の町をぶらぶらしながら、16時を待った。 「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」 「拝啓、星になった兄さん」 「約10年の短い画業の間に油彩や素描など2,000点余りの作品を残したフィンセント・ファン・ゴッホの死後、生前に売れた1点を除く大半の作品は、兄の生活を支えその芸術の良き理解者であった弟のテオドルス(通称テオ)が保管しました。しかしテオも兄の死の半年後に生涯を閉じ、テオの妻ヨハンナ(通称ヨ一)が膨大なコレクションを管理することとなります。ヨーは、義兄の名声を高めることに人生を捧げ、作品を展覧会に貸し出し、販売し、膨大な手紙を整理して出版しました。その息子フィンセント・ウィレムは、コレクションの散逸を防ぐため、フィンセント・ファン・ゴッホ財団をつくり、美術館の設立に尽力します。 本展では、ファン・ゴッホ美術館の所蔵品を中心とするファン・ゴッホの作品30点以上にくわえ、貴重なファン・ゴッホの手紙4通なども展示し、家族が画家に抱き続けた深い愛と敬意をご紹介します」  16時過ぎには混雑はみられなかったが、長い時間、一枚の絵と向き合っているのは、ためらわれた。  しばらくの間  眺めていると絵の中心が見てとれた。また、絵の中に “日差し” を感じた。  河合隼雄風にいえば、見るともなく、見ないともなく、ただボーッとして、飽くことなく 一枚の絵と 対峙していなければ、絵は黙したままで何も語ってくれない。  展覧会での絵の鑑賞は難しい。

TWEET「お茶発祥の地_高山寺 明恵上人」

 その後 をちこちの方たちに振り回され、謝意を抱くのは、その場かぎりの一過性の もので、後は ポイと捨てられるままに捨てられ、顧みられることもなく、いまに至っています。「ざっくばらんが大きらい( 梅棹忠夫) 」ということです。  2026/03/17 「出し殻」以来のブログです。  書き初めです。 お茶といえば、明恵上人のことを記さないわけにはいきません。 「茶の発祥地といわれる高山寺で、現在も営まれている茶園です。 開祖・明恵上人が、建仁寺の栄西禅師より中国から持ち帰った茶種を賜り、栂尾の地で茶を栽培しました。 高山寺の茶は、当時は本茶と呼ばれるほど品質がよく、これを宇治へと移植したのが、宇治茶の起こりです。 このご縁から代々宇治の茶業組合の皆様が茶園を管理してくださっています。 現在も毎年5月に茶摘みを行い、11月8日には開山堂にて明恵上人への献茶式が行われます。(栂尾 高山寺 HP) 」   以下、 「日本最古の茶園」 です。