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TWEET「病気療養中につき_16」

 2023/03/10「Facebook」を書きはじめました。  同姓同名の方がいて、よく間違えられますので 、「Facebook」さんのお世話になることにしました。   2023/03/19 には、  私のブログ中の、洲之内徹さんの文章、また洲之内さんについての話題のすべてを載せました。  そして、小林秀雄 の文章、また小林秀雄に関する話題のすべてを載せようと思っていましたが、昨夜 途中で断念しました。  所詮、「Facebook」は、私の住めるような場所ではないことが、次第にわかってきました。  いまも微熱があり、寝たり起きたりの生活をしています。起きているときの手持ち無沙汰も手伝って、「Facebook」に文章を載せ続けてきましたが、それもこれで終わりにします。遅きに失した感を抱いています。  61歳になり、殊更 今年になり、虚弱体質になりました。加齢だけではすまないものを感じています。  TWEET「病気療養中につき」が続きます。 追伸:「お友達の要請」は、すべてお断りすることに決めました。悪しからず。

TWEET「病気療養中につき_10」

 今年になって訃報に接することが多くなりました。  帯状疱疹のため、通夜・葬儀はご遠慮し、後日 ご挨拶にうかがう、という不義理を重ねています。 「我ガ死ナムズルコトハ、今日ヲ明日ニツグニコトナラズ」  死に臨んだ、明恵上人の言葉です。  死とは殊更のことではなく、「生死一如」、生と死はひとつながりのものであり、個々の「いのち」は、「いのちの根源」,「永遠のいのち」に摂取される、と私は考えています。  故人の方々は、安らかに息をひきとり、いま自足した平安な内にあると、私は信じております。  女性飛行家の草分けである、アン・リンドバーグは、日本語の別れの言葉、「サヨナラ」の意味を、「そうならなければならないなら」と書いています。 「サヨナラ」、「そうならなければならないなら」ば、人事の、人の図らいの、およばないことであり、私たちは受け容れるしかありません。  アン・リンドバーグは、日本語の「サヨナラ」を、世界で最も美しい別れの挨拶であると述べています。  私は亡くなられた方々と、「サヨナラ」で、お別れしています。  ありがとうございました。 「サヨナラ」。

白川静「[ サイ]の発見」

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2021/02/11、P教授から、 ◇『別冊太陽 白川静の世界 漢字のものがたり』平凡社 の画像が添付されたメールが届いた。 表紙には、 文字があった。 文字は 神とともにあり、 文字は 神であった。 と書かれている。 見栄えのする表紙だった。 早速、Amazon に注文した。 そして、昨日(2021/02/15)、到着した。 また、裏表紙には、 白川静の日常。 時間は静かに流れ、 淡々と一日を終える。ただそれだけ。ただそれだけ。 それだけを繰り返し、生み出される仕事の確かさ。 また、明日。 また、あした。 と書かれている。 「泣く子も黙る『漢字』の泰斗の学問人生」 白川静著『回思九十年』(平凡社) 狐『日刊ゲンダイ匿名コラム 水曜日は狐の書評』ちくま文庫  白川静を読むには覚悟を要する。身のほどをわきまえないと、あっという間に投げ出したくなる。  当書評には、吉本隆明の文が引用されている。 「白川静、一九一〇年生まれ、字書三部作『字統』『字訓』『字通』によって、また『孔子伝』などの名著によって、泣く子も黙る文字学、古代学の泰斗である。  かつて吉本隆明もこう書いた。「彼の主著『説文新義』の数冊は、わたしの手元にあるが、いまだ手に負えないでいる。(略)かくの如き学徒は乏しいかな。彼の仕事を遠望するとき、流石に、少し泣きべそをかきそうになるのを、禁じえない」(2000・5・24)(116-117頁)  吉本隆明にしてこのありようである。理解のゆきとどかないところは目をつぶって、とにかく通読することにする。 白川静 監修,山本史也 著『神さまがくれた漢字たち』理論社 また、用意が必要になる。 白川 静「序文」 「第一章 初めの物語」 「第二章 からだの物語」 「第三章    (さい) の物語」 「序文」と各章を、 「漢字の「物語」がより克明に描かれるための準備は、ここをもって万全に整いました。」(70頁) と書かれた一文に至るまで熟読する。  準備をおろそかにして、徒手で白川静と対峙するのは向こう水である。  ちなみに、本書の内容紹介には、 「漢字を見る目を180度変えた、“白川文字学”のもっともやさしい入門書!」 との一文がある。理論社の児童書である。 「はじめに 『白川静』をフィールド・ワークする」 『別冊太陽 白川静の世界 漢字のものがたり』平凡...

白川静_「泣く子も黙る『漢字』の泰斗の学問人生」

「泣く子も黙る『漢字』の泰斗の学問人生」 白川静著『回思九十年』(平凡社) 狐『日刊ゲンダイ匿名コラム 水曜日は狐の書評』ちくま文庫  白川静、一九一0年生まれ、字書三部作『字統』『字訓』『字通』によって、また『孔子伝』などの名著によって、泣く子も黙る文字学、古代学の泰斗である。  かつて吉本隆明もこう書いた。「彼の主著『説文新義』の数冊は、わたしの手元にあるが、いまだ手に負えないでいる。(略)かくの如き学徒は乏しいかな。彼の仕事を遠望するとき、流石に、少し泣きべそをかきそうになるのを、禁じえない」  一般書は六十歳になるまで書かなかった。それまでは専門の研究に徹することを自分に課していた。かつて学園紛争のころ、学生たちがバリケード封鎖していた立命館大学の中を、白川静だけはフリーパスで研究室に通っていたという伝説がある。思えば、まだ一般書は書いていない時代であった。白川静が来れば「どうぞ」と通していた学生たちも、なかなか眼力があったといわねばならない。  本書『回思九十年』は、エッセー「わたしの履歴書」と、江藤淳や呉智英をはじめとする面々との対談で編まれた。九十歳になる学者が自分の来歴を語ろうという一冊である。  「私の履歴書」には、やはり前述した「伝説」の時代のことが出てくる。封鎖された研究室棟では、夏など、白川静はステテコ姿で過ごしていたらしい。バリケードをかいくぐって訪ねてきた編集者は、てっきり小使いさんと思い込み、部屋を聞いたという。ステテコ姿の学者は、さらにキャンパスの騒音(学生のアジ演説や学内デモの怒号などであろう)を消すために、謡(うたい)のテープをかけていた。謡を流すと、それが騒音を吸収してくれて、静かに勉強できたそうである。たしかに「かくの如き学徒は乏しいかな」なのである。  作家・酒見賢一との対談で、あらゆる仕事を果たしたあとは、書物の上で遊ぼうと、「大航海時代叢書」全巻を買ってあると語っている。書物の中で大航海時代の世界を旅してみたい。それが先生の夢ですかと尋ねる酒見に、「うん。夢は持っておらんといかん。どんな場合でもね」と白川静は答えている。 (2000・5・24) (116-117頁) いま思えば、 ◇ 狐『日刊ゲンダイ匿名コラム 水曜日は狐の書評』ちくま文庫 との出会いは有意義だった。〈狐〉に化かされるのは幸いかな。

TWEET「曇り時々晴れ」

すべてはここに端を発した。以下、2021/06/03 の季節外れのブログである。 TWEET「野分立つ」  野分立ち、今夜半から荒れ模様の予報である。 『風立ちぬ』、秋草は風に吹かれるままに、葉擦れの音が聞こえる。  春愁秋思といえば、一休かと思い、 ◇ 水上勉『一休』中公文庫 を手にし、また良寛かと思い、 ◇ 水上勉『良寛』中央公論社 をしばし手に取ったが、読むまでにはいたらず。   気象も手伝ってか、迷宮入りした。 追伸:『徒然草』を読むことにしました。秋の夜長に古典事始めです。  気まぐれで書いた追伸から駒が出た。そして、いまに至っている。 通読を旨とする、また初読後に間もなく再読という読書習慣が身についた。この間(かん)の読書体験は貴重だった。 ◇ 兼好法師,小川剛生訳注『新版 徒然草 現代語訳付き』 角川ソフィア文庫 ◇ 世阿弥,竹本幹夫訳注『風姿花伝・三道 現代語訳付き』 角川ソフィア文庫 ◇ 清少納言,島内裕子訳校訂『枕の草子 上,下』ちくま学芸文庫 ◇ 兼好,島内裕子校訂訳『徒然草』ちくま学芸文庫 ◇ 高田祐彦訳注『古今和歌集  現代語訳付き』 角川ソフィア文庫 ◇ 井上靖『本覚坊遺文』講談社文芸文庫 ◇ 白洲正子『西行』新潮文庫 ◇ 白川静『初期万葉論』中公文庫 ◇ 中西進『古代史で楽しむ 万葉集』角川ソフィア文庫 ◇ 二宮敦人『最後の秘境 東京藝大: 天才たちのカオスな日常』新潮文庫 ◇ 小林秀雄『本居宣長 (上,下 )』新潮文庫 ◇ 小林秀雄『モオツァルト・無常という事』 新潮文庫 ◆「実朝」,「西行」,「平家物語」 ◇ 高田祐彦訳注『古今和歌集  現代語訳付き』 角川ソフィア文庫 を読み終えるまでに 7日かかり、 ◇ 小林秀雄『本居宣長 (上,下 )』新潮文庫 の初読、また再読には 25日を要した。  脳内で落ち着くまでには多少の時間が必要だろう。 「曇り時々晴れ」、晴れ間がのぞく時間帯があってよかった。「雨読」はやりきれない。 山村修『増補 遅読のすすめ』ちくま文庫 「緒方洪庵の塾で、塾生たちには昼夜の区別がなく、蒲団をしいて枕をして寝るなどということは、だれも一度もしたことがない。読書にくたびれて眠くなれば、机に突っ伏して眠るばかりだったと、『福翁自伝』に書かれていたのを思い出す。これが書生の読書である。」  ...

TWEET「Kindle Direct Publishing_『本多勇夫 / も一つ 折々の記_08』: 〜白川静編〜」

◆ 2021/04/13、未使用の「お絵かき帳」状態から抜け出し、「Kindle」で読むことができるようになりました。「 頑是ない私の歌」です。 ぜひご覧くださいませ。長い道のりでした。 ◆ 懇切丁寧に教えていただき、原因は解ったのですが、いまだ非表示・白紙状態、「お絵かき帳」状態になっております。いましばらくお待ちください 。 つい今し方、 ◇ 「本多勇夫 / も一つ 折々の記_08」: 〜白川静編〜 を、「Kindle Direct Publishing」にアップしました。 上梓されました。早速購入しました。  本編には、はじめて上梓した、「本多勇夫 / 折々の記_01」と重複している内容が相当数含まれています。試行編と思い、当初はたいした考えもなく、 ◇ TWEET「寒夜の明月」(2020/12/31 ) から、 ◇ TWEET「Kindle Direct Publishing」(2021/03/11 ) までの、総数 40のブログを載せました。その内に白川静先生についての叙述が少なからず含まれていた、ということです。  私にとって、「白川静」先生の書名のない連作は考えられず、今回、「も一つ」に乗じて、「『本多勇夫 / も一つ 折々の記_08』〜白川静編〜」を上梓させていただきました。  白川静は神々との交通の整理役に徹した。その旗振りはみごとだった。白川は意のままにペンを走らせた。長年月にわたる白川の、神々との交際が結実した。神々は、「字書三部作」の偉業をさぞお慶びになられていることだろう。  神々に愛された人、白川静はやはり大き過ぎる。

TWEET「Kindle Direct Publishing_『本多勇夫 / まだまだ 折々の記_07』: 〜夏目漱石編〜」

◆ 予期せぬ不具合の発生により、非表示状態、白紙状態、「お絵かき帳」状態になっております。ただいま交渉中です。親身になっていただいております。いましばらくお待ちください 。 つい今し方、 ◇ 「本多勇夫 / まだまだ 折々の記_07」: 〜夏目漱石編〜 を、「Kindle Direct Publishing」にアップしました。 上梓されました。早速購入しました。 此の憂誰(た)れに語らん語るべき一人の君を失ひし憂 寺田寅彦「思ひ出(いづ)るまゝ」 十川信介 編『漱石追想』岩波文庫(128頁)

TWEET「Kindle Direct Publishing_『本多勇夫 / 又々 折々の記_05』: 〜司馬遼太郎編〜」

◆ 予期せぬ不具合の発生により、未出版状態のままになっております。申し訳ありませんが、復旧までいましばらくお待ちください 。 つい今し方、 ◇ 「本多勇夫 / 又々 折々の記_05」: 〜司馬遼太郎編〜 を、「Kindle Direct Publishing」にアップしました。 上梓されました。早速購入しました。  司馬遼太郎の「歴史小説」について書いた文章ではないことをはじめにお断りしておきます。  司馬遼太郎が是とした「すがすがしさ」。 「すがすがしさ」とは漢字で表記すれば「清々しさ」であって、換言すれば、司馬遼太郎は「美しくあること」をもって是とした、と私は解釈しています。「すがすがしくあること」、また「美しくあること」は、行住座臥、あらゆる方面についてまわる試金石です。明恵上人の「阿留辺畿夜宇和(あるべきようは)」を思い出します。  宗教を哲学として平易な言葉で語っていただけたことのありがたさ。歴史に生身の人間が息づいていることへの歓心。歴史を見はるかす目の確かさ、またその明晰さ。いましばらく、博覧強記にして言葉を自在にあやつる司馬遼太郎の史観に沈潜したいと考えております。

白川静「[サイ]の発見」

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2021/02/11、P教授から、 ◇ 『別冊太陽 白川静の世界 漢字のものがたり』平凡社 の画像が添付されたメールが届いた。 表紙には、 文字があった。 文字は 神とともにあり、 文字は 神であった。 と書かれていた。  ドトールコヒーでおくつろぎの様子だった。政治学者にして白川静とは粋人 である。  見栄えのする表紙だった。  返信をする前に、Amazon に注文した。  そして、昨日(2021/02/15)、到着した。 また、裏表紙には、 白川静の日常。 時間は静かに流れ、 淡々と一日を終える。ただそれだけ。ただそれだけ。 それだけを繰り返し、生み出される仕事の確かさ。 また、明日。 また、あした。 と書かれている。 「泣く子も黙る『漢字』の泰斗の学問人生」 白川静著『回思九十年』(平凡社) 狐『日刊ゲンダイ匿名コラム 水曜日は狐の書評』ちくま文庫  白川静を読むには覚悟を要する。身のほどをわきまえないと、あっという間に投げ出したくなる。  当書評 には、吉本隆明の文が引用されている。 「 白川静、一九一〇年生まれ、字書三部作『字統』『字訓』『字通』によって、また『孔子伝』などの名著によって、泣く子も黙る文字学、古代学の泰斗である。  かつて吉本隆明もこう書いた。「彼の主著『説文新義』の数冊は、わたしの手元にあるが、いまだ手に負えないでいる。(略)かくの如き学徒は乏しいかな。彼の仕事を遠望するとき、流石に、少し泣きべそをかきそうになるのを、禁じえない」 (2000・5・24) (116-117頁)  吉本隆明にしてこのありようである。理解のゆきとどかない ところには目をつぶって、とにかく通読することにする。 白川静 監修,山本史也 著『神さまがくれた漢字たち』理論社 また、用意が必要になる。 白川 静「序文」 「第一章 初めの物語」 「第二章 からだの物語」 「第三章  (さい)の物語」 「序文」と各章を、 「漢字の「物語」がより克明に描かれるための準備は、ここをもって万全に整いました。」(70頁) と書かれた一文に至るまで熟読する。  準備をおろそかにして、徒手で白川静と対峙するのは向こう水である。  ちなみに、本書の内容紹介には、 「漢字を見る目を180度変えた、“白川文字学”のもっともやさしい入門書!」 との一文がある。理論社の児童書である。 「...

「プー太郎は暇そうだけど、気苦労もありますか?」

「プー太郎は暇そうだけど、気苦労もありますか?」 とのP教授からの問いに、 「呑気と見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする。」 と応えておきました。 山村修『増補 遅読のすすめ』ちくま文庫  先日、漱石の『吾輩は猫である』を読んでいると、ほとんどラストに近いあたりで、次の一行が目にふれた。  呑気と見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする。  この小説を読むのは三度目である。一度目は高校生のころ、二度目は二年ほどまえのこと。一度目の高校時代ははるかな昔のことで、みごとなくらい内容の記憶は失われているから除外するとして、二度目に読んだとき、この一行には気がつかなかった。 (中略)  前回は気がつかなかった。そのときはたぶん、右の痛切ともいえる一行は目をかすめただけである。読んで感銘を受けたけれども忘れてしまったというのではない。目には映っているが印象をとどめない。なぜだろうか。答えはきまっている。速く読んだからだ。(11-12頁) 下記、 山村修『増補 遅読のすすめ』ちくま文庫(全) です。

「見覚えのある景色だった」

◇  松岡享子さく,加古里子え『とこちゃんはどこ』福音館書店 を書いている途中、必要にかられ、 「本の名前」で検索すると、たくさんの「本の部分の名称」を記した画像が表示された。それらの間を一羽のかもめが羽を広げて飛んでいた。見覚えのある景色だった。 「かもめ来よ天金の書をひらくたび」 山村修『増補 遅読のすすめ』ちくま文庫  北村薫も「いかにも蛇足ですが」といって天金の説明をしているが、装丁法の一で、書物を立てたとき上方になる切り口すなわち天に、金箔をつけたものを指す。 (中略)  その須永朝彦による読みに、北村薫は「目を開かされました」と書いている。さらに重ねて、「いえ、開かされたというより、くらくらさせられました」と書いている。北村によれば、須永朝彦はこの句の発想が、手に開いた本をそのまま目の高さに据え、地の切り口のほうから水平に見た一瞬にあったのではないか、と記しているという。  そのとき読んでいた北村薫の本を、私もそのように、まんなかあたりで開いたまま目の高さに上げてみた。そして地の切り口から水平に見た。瞬間、さすがに胸がさわいだ。  たしかにかもめが見える。さらに一ページずつ繰っていくと、次々に白いかもめが翼をひろげて飛んでくる。  北村薫は「もとより句は、謎々でも頭の体操でもありません。理屈がついて、なーんだと小さくなってしまうのでは仕方がない。ここにあるのは理以上の理です。」と書いている。むろん句をつくった三橋敏雄が、須永朝彦の考えた通りに発想したのかどうか確証はない。しかし、これはそれこそ気づくか気づかぬかであって、いったん気づいてしまったら、ほかの発想はもはや考えられなくなる。  須永朝彦によれば、三橋敏雄がこの句をつくったのは早くて十五歳、遅くとも十八歳くらいの時期とのことだ。三橋は一九二0(大正九)年の生まれだから、一九三0年代後半の作ということになる。 (中略)  一つの発見が、こうしてあたかも本から本へ、白い翼をひろげたかもめが渡るように、私のところまで伝わってくる。  私にはそれがうれしい。いままさに本を手にしている、その本を読んでいるー、そういう思いがわいてくる。うれしいときは、なぜか時間もまた茫洋とわきたつような気がする。現実にはほんのいっときであっても、時間は果てしなくわきおこり、ひろがり、みちるー、...

山村修『増補 遅読のすすめ』_鑑賞の指南書

山村修『増補 遅読のすすめ』ちくま文庫  先日、漱石の『吾輩は猫である』を読んでいると、ほとんどラストに近いあたりで、次の一行が目にふれた。 呑気と見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする。 この小説を読むのは三度目である。一度目は高校生のころ、二度目は二年ほどまえのこと。一度目の高校時代ははるかな昔のことで、みごとなくらい内容の記憶は失われているから除外するとして、二度目に読んだとき、この一行には気がつかなかった。 (中略) 前回は気がつかなかった。そのときはたぶん、右の痛切ともいえる一行は目をかすめただけである。読んで感銘を受けたけれども忘れてしまったというのではない。目には映っているが印象をとどめない。なぜだろうか。答えはきまっている。速く読んだからだ。 本書では、山村修さんが遅読中にも、さらにゆっくり読んでいるところ、立ち止まり、行きつもどりつしつつ、感慨にふけっている場面が、山村修さんの鑑賞文とともにふんだんに紹介されています。読書家 山村修の面目を再認識させられます。 本書は「遅読のすすめ」であって、恰好の「図書案内」であって、「鑑賞の指南書」であって、私にとっては「作文のお手本」であって、「作文の作法」です。 引き続きまして、遅読を実践します。

山村修『増補 遅読のすすめ』ちくま文庫(全)

山村修『増補 遅読のすすめ』ちくま文庫 勝間和代さんが時の人となる少し前、彼女のその読書量に驚き、速読術について真剣に考えた時期がありました。しかし、時を待たずして、斎藤孝さんの本に「頭で読む本」、「心で読む本」と書かれているのを読んで、「頭で読む本」を読む習慣のない私は、いつもの自分のペースの読書にとどまりました。そして、今回は、山村修さんの「遅読」です。霜月に入って最初の一冊です。 山村修『増補 遅読のすすめ』ちくま文庫 (「狐」は、山本修さんのペンネームです。)  先日、漱石の『吾輩は猫である』を読んでいると、ほとんどラストに近いあたりで、次の一行が目にふれた。  呑気と見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする。  この小説を読むのは三度目である。一度目は高校生のころ、二度目は二年ほどまえのこと。一度目の高校時代ははるかな昔のことで、みごとなくらい内容の記憶は失われているから除外するとして、二度目に読んだとき、この一行には気がつかなかった。 (中略)  前回は気がつかなかった。そのときはたぶん、右の痛切ともいえる一行は目をかすめただけである。読んで感銘を受けたけれども忘れてしまったというのではない。目には映っているが印象をとどめない。なぜだろうか。答えはきまっている。速く読んだからだ。(11-12頁)  一度、真昼ごろ、野原のまんなかで、古ぼけた銀のランプに陽の光がはげしく射すころおい、小さな黄色の布カーテンの下から、あらわな手が一つ出て、千切れた紙ぎれを投げた。それはひらひらと風に散って、その向うに今をさかりと咲いている赤爪草(あかつめぐさ)の畑へ、白胡蝶のように舞いおりた。 フローベール,伊吹武彦,訳『ボヴァリー夫人 (上)』岩波文庫 (中略) いや、なんであっても、白い紙が蝶のようにひらひら舞うという、そのことだけで、馬車という密室での官能的なできごとが露わになっている。  三度目に読んだとき、ようやくその一節に感動した。もとよりうかつなたちである。一度目も二度目もゆっくりと読んではいるのだが、十分にゆっくりではなかったのだ。十分にゆっくり読むと、神ぎれが頭のなかでかたちをなしてくる。馬車の窓から紙ぎれが投げられて風にひらひらと舞うのが、官能の映像として見えてくる。...

TWEET「螢狩り_恋慕の情」

 いつもの池のほとりの、いつもの場所に座し、目を凝らしていたが、十分ほどの間(ま)をおいては繰り返される明滅を、目にするばかりだった。「ほのかにうち光て行く」景色は望めなかった。  時季外れの恋慕の情を目にした格好だった、と簡単に文を結んでしまうのは不憫で、逡巡していると、アン・モロー・リンドバーグの「サヨナラ」を思い出した。 アン・モロー・リンドバーグ「サヨナラ」 A・M・リンドバーグ『翼よ、北に』中村妙子訳、2002年、みすず書房 「サヨナラ」を文字どおりに訳すと、「そうならなければならないなら」という意味だという。これまでに耳にした別れの言葉のうちで、このようにうつくしい言葉をわたしは知らない。…けれども「サヨナラ」は言いすぎもしなければ、言い足りなくもない。それは事実をあるがままに受けいれている。人生の理解のすべてがその四音のうちにこもっている。ひそかにくすぶっているものを含めて、すべての感情がそのうちに埋み火のようにこもっているが、それ自体は何も語らない。言葉にしない Good-by であり、心をこめて手を握る暖かさなのだ ー 「サヨナラ」は。  日本には「サヨナラ」があった。これに優る言葉は思い当たらず、「サヨナラ」を結びの語とすることにした。 以下、 アン・リンドバーグ「サヨナラ」 です。

TWEET「書生っぽの読書」

山村修『増補 遅読のすすめ』ちくま文庫 「緒方洪庵の塾で、塾生たちには昼夜の区別がなく、蒲団をしいて枕をして寝るなどということは、だれも一度もしたことがない。読書にくたびれて眠くなれば、机に突っ伏して眠るばかりだったと、『福翁自伝』に書かれていたのを思い出す。これが書生の読書である」  これに対して、倉田卓次の読書は「社会に出ている人」、「特殊ではない一人の生活人の読書」である。「そこに生活人の読書の手本を見たように思った」 (111頁,144頁) ◇ 司馬遼太郎『坂の上の雲(一)』文春文庫 を読み終えた。まる二日かかった。  大学予備門(第一高等中学校、後の第一高等学校)へと進んだ正岡子規と秋山真之(さねゆき)の読書は、「書生の読書」を地で行くものだった。  それに比し、時ところを選ばず、読み散らかしている私の読書は、年甲斐もなく、「生活人」のそれではなく、「書生っぽの読書」とでもいえる亜流のものである。止むに止まれず、救いようのないものと諦めている。 以下、 倉田卓次_「四隅の時間」を惜しんで、「四上」の読書です。

「こんなときにこそ,『四隅の時間』を惜しんで『四上の読書』です」

 2018/06/25,26,27 に第二テストが行われます。今日が、13日前にあたります。2018/05/28,29 に行われた第一テストから、体勢を立て直すことができないままに、二週間が経ちました。  福沢諭吉『学問のすゝめ』岩波文庫 を100頁ほど読み、そのままにしてあります。読書らしき読書といえば、それだけです。数の内には入りません。 「本を読む場所」 (41-50頁) 倉田卓次『裁判官の書斎』勁草書房  「私の読書法」 (131-140頁) 倉田卓次『続 裁判官の書斎』勁草書房   今回は「四隅(しぐう)の時間」を惜しんで、「四上(しじょう)」の読書です。裁判官時代の倉田卓次の一日の「四隅の時間」は、「平均四十分」であって、「平均四十分」にしてこの豊かさですので、驚きもし、また考えさせられもします。  なお、「四隅の時間」とは、「旅行鞄にものを詰めるとき、もう入らぬと思っても、四隅にはまだ小物をつめるスペースは必ずある。余暇利用も、休暇をまとめて取ることばかり考えず、この四隅の小さな時間の利用を心掛けよという教え」のことであって、「四上」とは、「 文章を練るに適するとして古く人が勧めた場所で」 「『馬上枕上厠上(しじょう)』のいわゆる『三上(さんじょう)』」に、「馬を車に改めた上、『路上』を加えて『四上』とし」た、と倉田卓二は書いています。 私に欠けているものは、寸暇を惜しんで、ということです。 以下、 夏目漱石「Do you see the boy」 P教授曰く「文章がやせ細るだろ」_「四隅の時間」を惜しんで「四上」の読書です。

「動詞_詮索する」

「ミヒャエル・エンデ 『モモ』_キョンキョンはすてきです!!」 の閲覧が、一日に150 を越え、あまりにも唐突なことに、不思議に思っています。冬休みも残りわずかで、課題を手っとり早く、終わらせようということなのでしょうか。 夏休みの終わり近くには、 五木寛之講演「見て知りそ 知りてな見そ」 で、同様なことを経験しましたが、つまらない詮索はやめることにします。

TWEET「どこか悲しい音がする」

 昨日、玄関を出たすぐのところに、手すりをつけていただきました。  「工具はどこで買われるんですか」 と業者さんにきくと、 「専門店で」 とのお話でした。ホームセンターは安いが、やはりそれなりの物しかおいてないそうです。プロの使用には耐えないということなのでしょう。  ホームセンターに並べられている、1つ100円のコンクリートブロックを叩くと、建材店のブロックに比べて、高い音がするそうです。スカスカ、ということです。  このごろでは、叩いたことも、叩かれたこともありませんが、自分の頭を叩いてみれば、どんな音がするのか、興味津々です。「どこか悲しい音がする」といえば、間違いないように思っています。 下記、 夏目漱石「どこか悲しい音がする」 です。

夏目漱石「どこか悲しい音がする」

山村修『増補 遅読のすすめ』ちくま文庫  先日、漱石の『吾輩は猫である』を読んでいると、ほとんどラストに近いあたりで、次の一行が目にふれた。  呑気と見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする。  この小説を読むのは三度目である。一度目は高校生のころ、二度目は二年ほどまえのこと。一度目の高校時代ははるかな昔のことで、みごとなくらい内容の記憶は失われているから除外するとして、二度目に読んだとき、この一行には気がつかなかった。 (中略)  前回は気がつかなかった。そのときはたぶん、右の痛切ともいえる一行は目をかすめただけである。読んで感銘を受けたけれども忘れてしまったというのではない。目には映っているが印象をとどめない。なぜだろうか。答えはきまっている。速く読んだからだ。(11-12頁) 下記、 山村修『増補 遅読のすすめ』ちくま文庫(全) です。

夏目漱石「Do you see the boy」

山村修『増補 遅読のすすめ』ちくま文庫 「Do you see the boy」  これで漱石が the boy をゼ・ボイと発音したという私見(倉田卓次)に納得して貰えただろうか。  なぜ、そんなことにこだわるのか。  もうお分かりになったかたも多いと思うが、そう読まなければ、「猫」のあの英文の一行の存在価値(レーゾンデートル)がなくなってしまうのである。  づうづうしいぜ、おい  ドウユーシーゼ、ボイ  こう並べ読んでこそ、打てば響くような日英語の語呂合わせであって、落語を愛した江戸っ子漱石らしい洒落になる。ザ・ボーイでなく、ゼ・ボイである最大の証拠は、実はこの二行の対応かも知れない。 (中略)  それにしてもあざやかな読みだ。この文章を収録した『裁判官の書斎』の刊行が一九八五年、小林信彦『小説世界のロビンソン』の刊行は一九八九年。それを考えると、もしも倉田卓次がこの文章を書かなければ、一九九三年に出たあたらしい漱石全集(岩波書店)の第一巻『吾輩は猫である』に Do you see the boy の注解が設けられ、「前行の『づう~しいぜ、おい』の音を英語にもじったもの。漱石は ‘the’ を『ゼ』と表記することが多く…」などと記されることはなかったのではないかと思う。(146-148頁) 下記、 山村修『増補 遅読のすすめ』ちくま文庫(全) 「P教授曰く「文章がやせ細るだろ」_「四隅の時間」を惜しんで「四上」の読書です」 です。