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TWEET「濱口竜介 監督・脚本『ドライブ・マイ・カー』」

 いくつもの残忍な死の描出があった。哀しみに哀しさが上書きされてゆく。沈黙にまさる表出のないことを改めて思った。 ◆ 濱口竜介 監督・脚本『ドライブ・マイ・カー』 が評価される、映画界の健全さを思う。

TWEET「村上春樹『ドライブ・マイ・カー』」

2022/03/27 に、 アカデミー賞 国際長編映画賞を受賞された、 濱口竜介 監督・脚本 「 ドライブ・マイ・カー」 の原作である、 ◆ 村上春樹『女のいない男たち』文春文庫 ◇「ドライブ・マイ・カー」 を読んだ。短編小説である。  女の内には闇が潜んでいる。また、闇と闇の疎通は成立するらしく、闇はいよいよ深まる。 女を理解するには、女の翻訳が必要なようである。  闇が女の性ならば、闇に呑まれるのは男の性か、ここに文学が生まれる。  神さまの悪戯(いたずら)をみる思いがした。 追伸:いまから映画を見に出かけます。20:35 開演です。3時間の大作です。今日中の帰宅は困難か、と思っています。

「富嶽遥拝の旅_小夜の中山_薨(みまか)る?」

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2022/03/27  見ごろをむかえた桜の花が、青空に映えていた。「まん延防止等重点措置」が解除された、はじめての日曜日だった。人出は覚悟の上で、10時半過ぎに出立した。遅い出発だった。 ◆「EXPASA 浜名湖(上り)」  風が吹き、湖面はざわついていた。  湖岸の、一面 芝生の広場には、いたるところで、春を、花の開花を楽しむ姿が見られた。皆 明るく開放的だった。健康という言葉を思った。 ◆「道の駅 掛川」  今回は、よそ目に先を急いだ。 「Google Maps」の示す道順がいつもと違った。交通渋滞を鑑みての判断だったのだろうか。素直にしたがった。 ◆「小夜の中山」  駐車場には 3台の車しかなかった。 「小夜の中山公園」前の、仕舞屋(しもたや)とばかり思っていた、峠の茶屋「末広荘 扇屋」さんが店を広げていた 。江戸時代からつづく老舗である。「佐夜中山 名物 子育飴」とミネラルウォーターを買った。手作りの 「子育飴(水飴) 」は、 瓶に入っていた。杉箸のような棒にからめ取られた飴を、いわれるままに、「れろれろ」と口の中で転がした。 淡い甘味が広がった。「れろれろ」し ながらお話をうかがい、またリーフレット、 ◇ 掛川市観光交流課「東海道 小夜の中山峠 周辺案内」 をいただいた。 「2022/03/27_子育飴」 霊峰は雲隠れされたか? 薨られたか? 一時間あまり過ごしたが、雲は動く気配がなかった。 「2022/03/27_富嶽遥拝」 「2021/12/09_富嶽遥拝」  帰り際に、 「掛川茶」をいれていただいた。ほんのり甘かった。「扇屋」さんは、土・日・祝日のみの営業とのことだった。  駐車場わきの、アトリエとばかり思っていた「夢灯」さんは、 浮世絵美術館だった。こちらも、土・日・ 祝日のみの開館とうかがった。  休日の再訪が約された。 ◆ 「葛城 北の丸」 今日は、ご予約のお客様のみでの営業です、とのことで、花を眺めながら、辺りを散歩した。手入れのゆきとどいた青松と桜花との対照がまばゆかった。 ◇ 掛川市観光交流課「東海道 小夜の中山峠 周辺案内」 は、誠によくできたリーフレットである。  14の歌碑・句碑の案内図が載っている。 『奥のほそ道』の冒頭には、 「古人も多く旅に死せるあり」 「(風雅の道に生涯をささげた)昔の人々の中にも、旅の途中で死んだ人が多い

瀬尾まいこ『そして、バトンは渡された』文春文庫

現在 育休教諭の Nさん ご推薦の、 ◆ 瀬尾まいこ『そして、バトンは渡された』文春文庫 を、一昨夜 読み終えた。現代小説を読むのは、 ◆  小川糸『ツバキ文具店』幻冬舎文庫 以来のことだった。二年ちかくの歳月が経っている。  まる 二日間にわたっての読書だった。「そして、 バトンは渡された」のを見届けた。 「そして、今、バトンは渡された。この本を読んだあなたに。ここからどんな道をどんなふうに走って、次は誰にバトンを渡すことになるのだろう。今までもこれからも、このリレーはずっと続いていく」(上白石萌音「解説」425頁)  いまバトンは私の手元にあるらしい。 「 さらさら、さらさら流れていくこの文体の正体を見極めようと読み進めたが、その余裕もなく、さらさら、さらさら流されるままに読み終えた」 「豊富な 話題からなり、あまりにも唐突な出来事に、本を伏せたこともあった」 「読者の興味を魅く、この軽やかな筆の運びと、その意外性が人気の秘訣であることは確かである」 上記は、 ◆ 小川糸『ツバキ文具店』幻冬舎文庫 を読んでの私の感想であるが、これはまた、本書についての感想でもある。  深刻な話題はうまく回避されている。これは現代文学(?)の禁忌事項かのようでさえある。しかしその結果、薄っぺらな内容になることからは免れず、娯楽作品の域を出ない。  カバーには、「2021 年間ベストセラー 文庫部門第1位 2019年本屋大賞受賞作 累計120万部突破! 令和最大のベストセラー映画化 大ヒット上映中 92.8% が泣いた」と賑やかな文字が踊って いるが、本書は映像作品にちかく、あえて映画館に足を運ぶ 必要はあるまい。 「 92.8%」という数字に関しては、皆でそろって涙することで、一刹那のこととは知りつつも、感傷 をともにしたいという切なさを覚える、といえばあまりにも辛辣か。  14の付箋を入れた。そのうちの7つが、「早瀬君」のピアノの演奏に関する記述である。いずれも散文詩である。  また、この小説の主人公は、「優子さん」ではなく、「梨花さん」のような気がしてならない。「梨花さん」は、バトンさばきの名手である。   読み終えてみれば、幾つのも伏線があった。娯楽作品を娯楽作品として読めば楽しく、すっかり本屋大賞受賞作に脱帽した格好である。  作中にある、中島みゆきの「時代」,「糸」,「

山本空外「速やかに生死を離れんと欲わば」

ほんのつい今し方、 ◆ 龍飛水編『いのちの讃歌 山本空外講義録』無二会 を読み終えた。 628頁からなる大部の講義録である。最終章は、「湿原の散策」の合間の読書だった。  仏教に対する理解が進んだ。誤解が正され、認識を新たにした。 「極楽に往生したのを、『往った』というのだから、過去のことかというと違う。(中略)こうして話をしている『今』のことです。 お経は『今』のことしか考えない。仏教に限らず宗教はみなそうです」(573頁)  極楽といい浄土といい、地獄というも、「永遠の今」のことである。死後のことではない。  法然上人の主著『選択(せんちゃく)本願念仏集』「一巻が十六章もあって長いから、略してほんの二、三行にまとめて(『略選択』)、『速(すみ)やかに生死(しょうじ)を離れんと欲(おも)わば』と書いておられる。」(602頁)「速やかに」とは「今すぐに」 のことであり、「仏教とは、宗教とは、 生死を離れるということです。サトルことです。(中略)  すみやかに生死を離れること、『速欲離生死」この五文字で仏教はまとまり、サトレルと決まっているのに、それが今までわからないのは、本当に『選択集』を読んだ方がおられなかったからでしょう。」 (566-567頁) 『速欲離生死」。 やはり この五文字が最も気になる。「 サトレルと決まっている」とも空外先生は話されている。「生死」では二元論に陥る。「生死 一如」,「生即死」で納まりがつく。ましてや「 速やかに」とも言われている。  要は、『般若心経』中の文言でいえば、「行」を「行ずる」ことである。  が、これ以上書くのは控える。人のこころの最も “やわらかな” 部分に立ち入るのは、私の信条に反する。  他にも興味深い話題はたくさんある。これらについては、後日あらためて、ということにさせていただきます。 いまから、現在 育休教諭の Nさんご推薦の、 ◆ 瀬尾まいこ『そして、バトンは渡された』文春文庫 を読むことにします。現代小説を読むのは、 ◆  小川糸『ツバキ文具店』幻冬舎文庫 以来のことです。 二年ちかくが経っています。文学に飢えています。

TWEET「早春の湿原をゆく_一輪のタチツボスミレ」

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 葦毛(いもう)湿原の駐車場に、 16時半過ぎに 到着した。自宅から 9km、29分の道のりである。  長尾池のほとりに立つ、白木蓮が開花するのを躊躇(ためら)っている。「咲くのも散るのもただ潔く」 とは、こと木蓮に関してはいえないようである。木蓮には木蓮の事情があるのだろう。  今日は湿原を尻目に、まず 急登から登山道の分岐まで登った。半ほどまで登り、昨日と同じ岩に腰をおろした。しだいに森閑にまぎれていった。身動きもせず、木像になったかのようだったが、体は弛緩し、温もりを感じていた。脳裏 に「かつ消えかつ結」ぶ物思いから、次第に放たれていった。 まばたきが気になり目を閉じた。  今日は 分岐を左に折れ、登山道を登った。 ゆっくりした歩調で、静かに歩を進めた。 「一息峠」を目指した。「一息峠」から「神石山」 (標高 325m)の頂上までは近い。次回には頂上に立つ予定である。  日没を過ぎ、ヘッドライトの明かりを頼りに下山した。勝手知る道で平気だったが、不案内な道ではそうはいかない。野宿をして朝を待つしかないだろう。それには、それなりの装備が必要になる。  明日は荒天の予報であり、明後日からは三連休である。雨はレインウェアでしのげるものの、人出は避けようがなく、四日間の歩行訓練後の四日間の休日、とは豪勢である。  湿原の入り口の木道脇で、一輪の「タチツボスミレ」を見つけた。 「2022/03/17_タチツボスミレ」 「スミレ」と見聞きすれば、岡潔さんの風采が脳裏に浮かぶ。 「奈良市の自宅での執筆風景。岡 65歳の頃」 「奈良の自宅の前で思索にふける。65歳の頃」 ただ者ではない。ただ事ではない。

TWEET「早春の湿原をゆく_ドラミング」

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 16時半に葦毛(いもう)湿原の駐車場に到着した。  長尾池のほとりに立つ、白木蓮の花が、いまにもほどけそうだった。 「2022/03/16_白木蓮」 「THERMOS 真空断熱ケータイマグ 0.35L」に珈琲を入れ、デイパックにしのばせていった。  昨日と同じ道順をたどった。目を凝らし湿原を一巡し、その後 脇道に分入った。行きづまりでは、昨日は見られなかった幾株かのショウジョウバカマが花をつけていた。  その後、急登から登山道の分岐まで登った。半ほどまで登ったところで、岩に腰をおろし休憩した。辺りは鎮まっていた。突然 静寂が訪れた。うかつだった。はじめて知った。私の不用意な動きが四囲に伝わり、ざわめき立ちそうで、息をひそめ、鳴りをひそめていた。時間の感覚がなかった。いつまでもこうしていたかった。  ゆっくりした歩調にかわった。静かに歩を進めた。  湿原を出てすぐの、広場のベンチに座り、余韻にひたっていた。コゲラだろうか、時折 ドラミングの音が聞こえた。  駐車場までの林間につけられた道は、早夕闇だった。ヘッドライトを点けて歩いた。  東の空にかかった月が明るかった。三日後には満ちる。  書店の文房具売り場で、「丈夫なアルミ製 抜き差ししやすい! スリット加工 鉛筆(えんぴつ)キャップ 4本入り」を二つ買って帰宅した。帰宅後、珈琲の存在を思い出した。  時間の感覚があやふやで、いまもうつろのなかにある。

TWEET「早春の湿原をゆく_一株のショウジョウバカマ」

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 16時過ぎに葦毛(いもう)湿原の駐車場に到着した。  目を凝らし湿原を一巡し、その後  脇道に分入った。行きづまりで、一株のショウジョウバカマを目にした。のびやかな立ち姿だった。 「2022/03/15_一株のショウジョウバカマ」  この辺りは、木道という足枷(あしかせ)から解放された、「花見の名所」であり、対象にいくらでも近づくことができる。心ない人たちによって荒らされないことを祈るばかりである。  デイパックを背負っていった。ミネラルウォーターとヘッドライトの他、数点の登山用品を詰めこんだ。急ごしらえの荷造りだった。肩にかかる荷重はないに等しかった。内容より外見(そとみ) 、久しぶりにデイパックを背負ったことがうれしかった。  計画していた、急登から登山道の分岐までの登攀を試みた。登れるところまで登り、あとはひき返せばいい、と思っていた。しかし、息切れすることもなく、小休止することもなく、登りきった。加齢により疲れを感じない体になってしまったのだろうか。感じるのは訝(いぶか)しさばかりだった。その後、林間につけられた小さな登山道を伝って下山した。  駐車場脇の、長尾池のほとりに立つ、白木蓮のつぼみがほころびかけていた。秘められた力を感じた。明日には咲きはじめるだろう。   西の空が朱に染まっていた。 一時間半あまりの散策だった。

TWEET「早春の湿原をゆく_ショウジョウバカマ」

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 今日も花曇りの天気だった。生温かさに纏(まと)わりつかれ、ふやけ、すっかり気勢をそがれた。  15時過ぎに葦毛(いもう)湿原の駐車場に到着した。一年あまりぶりの湿原だった。このような日には散策が適当か、と思った。 「クラッグステッパー」を履いていった。 足が優しくホールドされ心地よかった。 「mont-bell 豊橋店」さんの店長さんに、 「四国遍路」用に適当なシューズを、とお願いし、購入したトレッキングシューズだった。「へんろ道」ははるかに霞み、靴だけがひとり歩きをしている。  道の感触を感じながら歩いた。湿原のとっつきまでの ごろた石の転がった道、木道、やはり腐葉土からなる道は、歩行がやんわりと受けとめられ、ふくよかだった。  ハルリンドウが目当てだったが、時期尚早だった。  ショウジョウバカマが咲いていた。 「2022/03/14_ショウジョウバカマ」   いのちに照らされた色どりは格別である。湿原に咲く可憐な花がいい。清楚な花がいい。  一時間ほどの散策だった。歩くことを続ければ、しだいに足が伸びるだろう。今日は空手だったが、次回はデイパックを背負って行こうと思っている。不要不急の装備だが、パッキングする楽しみがある。 岡潔『春宵十話』角川文庫 「よく人から数学をやって何になるのかと聞かれるが、私は春の野に咲くスミレはただスミレらしく咲いているだけでいいと思っている。咲くことがどんなによいことであろうとなかろうと、それはスミレのあずかり知らないことだ。咲いているのといないのとではおのずから違うというだけのことである。私についていえば、ただ数学を学ぶ喜びを食べて生きているというだけである。そしてその喜びは『発見の喜び』にほかならない。」(29頁) スミレはスミレである。 いま、心地よい疲れを感じている。

「富嶽遥拝の旅_小夜の中山_春霞に烟(けぶ)る」

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早朝に目が覚めた。快晴、四月中旬なみの陽気との予報だった。躊躇(ためら)いはなかった。 2021/12/09 に行ったきりの、 小夜の中山ゆきを決めた。富嶽遥拝、初詣だった。 2022/03/11 夜が白々と明けるのを待って出立した。 ◆「EXPASA 浜名湖」  春の湖(うみ)が広がっていた。水ぬるむ春、無数のいのちが誕生し、はかり知れない数のいのちが育まれる。  微風が 水面(みなも) を渡り、湖面は震えていた。陽光を反射した光の粒がまぶしく、玉のようだった。  陽だまりのベンチに座り、結構な時間を過ごした。  対岸の舘山寺温泉をのぞみ、2021/10/31 をもって営業を終了した、「ホテル 九重」さんのことが気になった。 ◆「道の駅 掛川」  写真を撮るのが目的だった。時刻を留めておきたかった。旅の覚書きである。 ◆「小夜の中山」  歌枕を訪ねての旅だった。三度(みたび)目の小夜の中山峠だった。  春霞が立ちこめ、富士の雄姿こそ認められなかったものの、これが霞立つ春に似つかわしい、富士の遠景かもしれないと思った。しばらくすると、霞を透かして富士の輪郭が眼に映った。それは「気配」を感じた、というほどの心細さだった。  時折現れては消える「気配」を偏光グラス越しに見た。乱反射が一掃され景色が一変した。それはまぎれもない富士の高嶺だった。  以下の写真は、私が目視していた富士の形姿である。「気配」だけでも感じていただければ幸いである。眺めることより、霊峰の在ることの、どれほど尊いことか、を思う。 「2022/03/11_富嶽遥拝」 「2021/09/29_富嶽遥拝」  霞は濃くなるばかりで、一時間あまりを過ごし峠を下った。 昨年の夏、 ◆ 小林秀雄『モオツァルト・無常という事』 新潮文庫 ◇「西行」 を再読し、 ◆ 白洲正子『西行』新潮文庫 を再読した。 再掲である。これほどの文章は、何度読んでもかまわないであろう。 「「彼(西行)は、歌の世界に、人間孤独の観念を、新たに導き入れ、これを縦横に歌い切った人である。孤独は、西行の言わば生得の宝であって、出家も遁世(とんせい)も、これを護持する為に便利だった生活の様式に過ぎなかったと言っても過言ではないと思う。」(小林秀雄「西行」100頁) 「『山家集』ばかりを見ているとさほどとも思えぬ歌も、『新古今集』のうちにばら撒(

「宗久さんに救われる」

 龍飛水編『いのちの讃歌 山本空外講義録』無二会 は、628頁からなる大部の書籍である。空外先生のお話は融通無碍であり、仏教の要語をそのときどきの話題如何によって意訳される。 そして、ついに混乱をきた した。この乱脈ぶりを鎮めるために、 ◆ 玄侑宗久『現代語訳 般若心経』ちくま新書 を再読した。信頼にたる図書が身近にあることは心強い。 「本書はあくまでも解説ではなく、『般若心経』の訳のつもりである」(214頁) 「今回も原稿段階で臨済宗妙心寺派教学研究委員の皆さんに厳正な校閲を頂戴した」(219頁)そして、その後には八名の方の芳名が連なっている。玄侑さんは、どこまでも真摯である。  四度(よたび)目の読書だったが、はじめて目にしたような内容もあり、誤読にも気づき、あきれた。理解は進んでいるが、「読む」ことの難かしさを実感している。 「玄侑宗久『現代語訳 般若心経』ちくま新書_師走に『四国遍路』を渉猟する」 2021/12/20  昨夜、 ◆ 玄侑宗久『現代語訳 般若心経』ちくま新書 を再読し終えた。  本書は「般若心経のすゝめ」であり、またその実践法である。  一切が無化されていくなかで、ひとり「私」が、とり残された格好である。依然障りある身の「私」が、いつまでも残る。「仕立て上げた『私』」は、執拗でありその根は深い。  意味を問うことなく、誦んじて読む「般若波羅蜜多(心経)」は、「呪文」であり「真言」であり、その声の響きは、「からだ」や「いのち」、はては「宇宙という全体」と直接つながっていると、玄侑宗久さんは説く。そしてまた、「呪文」を「実践」し、よく「持(たも)」つことによって、「仕立て上げた『私』」という殻は「溶融」し、次第に薄くなる、「その薄くなった殻を透かして、私たちは『空』という」「実在」「に気づいてゆく」、という。  師走も半ばを過ぎ、一条の光明が射した。「命なりけり」である。ひと続きの命の不思議さを思う。  座右の書となった。座右の書ばかりが増え、身辺が雑然としてきた。うれしい悲鳴である。  龍飛水編『いのちの讃歌 山本空外講義録』無二会 については、読み急ぎ過ぎている。集中講義には向かない内容である。週に一コマが適当であろう。  平静をとりもどした。宗久さんに救われた。

「『空こそ色なれ』,そして『空外』」

 龍飛水編『いのちの讃歌 山本空外講義録』無二会(150-152頁)には、『空外漢訳心経』と『空外梵本心経和訳』が載っている。いずれも、山本空外による、サンスクリット原典からの漢訳であり、邦訳である。  日本では、玄奘三蔵漢訳の『般若波羅蜜多心経』が、「古来最もよく知られ、読まれている」が、訳本に異同が認められるのは、いわずもがなのことである。なお、 「八世紀後半」に 「法隆寺に伝わった『般若心経』サンスクリット写本」が、現存する世界最古のものである。 「あの小さい ( 玄奘三蔵漢訳 )の お経に「無」が二十一遍も出ている。サンスクリット原典の『般若心経』にあって 漢訳本で略している「無」が、もう七つある。また「空」は、漢訳本に七通りありますけど、さらにサンスクリット原本では五遍たさないといけない。」(587頁) 玄奘三蔵の漢訳は読誦することを目的としていて、声調を念頭においたものに違いないが、それにしても意外だった。  玄奘訳の「舎利子。色不異空。空不異色。色即是空。空即是色。 受想行識亦復如是。」の、「 舎利子」の後に、空外訳には、「於此世界 色空空色」の文句がある。そしてそれは、「この世界においては 色は空にして 空こそ色なれ」と邦訳さ れている。 「漢文では「空こそ」の「こそ」が表わせない。それで「空色」と書いてある。漢文では無理ですけれども、日本語なら「空こそ色」と訳せるでしょう。それでわたくしが『般若心経』を訳しかえた。」(578-579頁) 「『空・おかげでないと、色ではない』というのが『般若心経』の考え方です。」(305頁) 「おかげでないものはひとつもない。それを『空こそ色なれ』というのです。 だから、『 空こそ色なれ』という『般若心経』の一句は、世界を照らすような光です。」(342頁)  また、空外訳ではその後、「空不異色色不異空」と続くが、玄奘訳の「色不異空。空不異色。」とは、順序が逆になっている。そして空外先生は、「空は色に異らず 色は空に異らず」と邦訳している。原典では、いずれの場合も、「空」が重視され、強調されている。 「空外とは、『般若心経』にいう「空(くう)こそ色(しき)」という意味」(578頁)であることをはじめて知った。「空こそ色なれ」とは、空外先生の思いの丈の表れである。 「空」とは、「 簡要にいえば、生きられていることへのおか

「山本空外,青山二郎_『道具茶』再び」

今日の朝方、 ◆ 龍飛水編『いのちの讃歌 山本空外講義録』無二会 ◇「わたくしの地平を越えて」 ◇「三日の命」 を読み終えた。 「わたくしの地平を越えて」は、三日間 にわたって行われた「授戒会(じゅかいえ)」での「75分 × 9回」 の「講義録」である。しかし、ここにいたっては、「空外先生」,「空外上人」とよぼうが、「講義」,「講話」といおうが、差しつかえのないものである。 白洲正子『いまなぜ青山二郎なのか』新潮文庫 「『道具茶』といふ言葉は偶像崇拝の意味だらうが、茶の根源的な観点は空虚にある様に思はれる。真の意味で、道具の無い所に茶はあり得ないのである。一個の道具はその道具の表現する茶を語つてゐる。数個の道具が寄つて、それらの語る茶が連歌の様に響き合つて、我々の眼に茶道が見えるのである。何一つ教はらないのに、陶器に依(よ)つて自得するのが茶道である。」(青山二郎『日本の陶器』) 「何一つ教はらないのに」といっているように、青山さんは茶道のことなんか、何一つ知らなかった。ひたすら陶器に集中することによって、お茶の宗匠の及びもつかぬ茶道の奥儀を極めたのだ」(83頁) 「わたくしの地平を越えて」 「茶席へ行った場合はその器が大事です。」 「半分は器を見せて頂くことが茶席の仕事です。第一は、茶席に入ったら床の間の掛けものを拝見することです。わたくしは掛けものに書いてある「南無阿弥陀仏」を随分多く見ていますが、その殆(ほとん)どは、字になっていない。それは人間がなっていない証拠です。書は、心画だといいましたが、その方の心をずばり形に出すのです。人間はさとっているが字だけは迷っている、というような芸当はできない。字を書かせてみたら本物かどうか一発です。 (中略) 器だけではない、床の間に掛けてある字がわからなければいけません。主人の心づくしが掛けものにうかがえるからです。それから、釜でも水差でも茶碗(ちゃわん)でもです。茶杓(ちゃしゃく)はなおさら、茶入や棗(なつめ)でも、しかも、釜を掛けてある五徳がありますが、あれがまた大事です。だから、炭手前を拝見するときには、五徳を見るのが大切です。五徳の芸術がある。すばらしいです。ただ上に釜をのせればいいというものじゃない。 (中略)  お茶は中国あるいは中央アジアからきているけれども、それを茶道といえるところまで精励してまとめあげて

隈元忠敬「空外上人七回忌追恩講演 空外上人を偲んで」

昨日の昼過ぎ、 ◆ 龍飛水編『廿世紀の法然坊源空 山本空外上人聖跡素描』無二会 を読み終えた。 広島大学名誉教授 文学博士 隈元忠敬「空外上人七回忌追恩講演 空外上人を偲んで」 龍飛水編『廿世紀の法然坊源空 山本空外上人聖跡素描』無二会(141-167頁)  優れて立派な講演だった。この講演に際しての、隈元先生の周到な用意がうかがえる。本講では主に、ご自身の一筋の学究生活における、空外上人との交差が述べられている。「交差」と表現したのは、隈元先生が、空外上人から直接教えを受けられた期間は短く、もっぱら私淑された体の師弟関係だったからである。 「カント以前の哲学はすべてカントに流れ込んでいる。カント以後の哲学はカントから流れ出ている」といわれる、 カントの後継者である、「フィヒテの自我の根本について」の「講義録」ともいえる、格調の高い内容であり、 興味深かった。 「ヨーロッパ哲学の中でギリギリのところまで「自我」の根底を極めたのがフィヒテである。これが本当にわかるためには無著の『摂大乗論』を読まなければならない」と隈元先生は空外上人にいわれた。『摂大乗論』は大乗仏教の「最後の締めくくり」をなす経典であり、深層意識については、西洋哲学では追いつかない、ということであろう。 仏教や漢文に不案内な隈元先生は、経典さがしからはじめられ、『国訳大蔵経』を参考にされながら、「読書百遍 義自ずから見(あらわ)る」ことをたよりに、 『摂大乗論』を 「丸二年がかりで百回読」まれたが、「その本の約半分に当たる最初の三章がなんとかほのかにわか」った程度だった。これを携えての広島哲学会での発表後には、「もうちょっと読まないといけません」と空外上人は隈元先生にいわれている。空外上人においては、「フィヒテの自我の根本」についての理解がゆきとどいていたことが予想される。後に隈元先生は、空外上人のもとで、文学博士の学位を取得されている。  師は寡黙だった。師の庇護のもとに自立した個性は育たない、とのお考えだったように感じている。  隈元先生は、空外上人への知恩、報恩の気持ちを忘れなかった。空外上人はそれに対して丁寧に応接された。そこには美しい師弟関係がみられた。 「フィヒテは、自我の内面を掘り下げ」、ついには、その「極点において絶対者である神に到達する。」しかしその後には、「キリスト教の神を否定する