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9月, 2022の投稿を表示しています

TWEET「心急き」

 2022/08/01、父の入所している「介護老人保険施設」の相談員さんから、父の余命 幾許(いくばく)もなく、と告げられ、最期をどこで迎えられますか、と問われ、 心急き、生活が一変した。 TWEET「内向・外向」  2022/09/14  最近とみに、外出することが増え、人と合う機会が多くなった。気の流れが内に向かうのを常とする、私の気が外に向かって霧消している。やむを得ないことばかりで、仕方がないが、その結果、疲弊・消耗している。  活字離れ、多動。日々 症状は進行し、心身ともに、当所(あてど)もなく彷徨(さまよ)っている。こころの疲弊・消耗を、彷徨(うろつ)くことで補償しようと目論んでいるが、常にこころはついてまわり、いまの私にとって、彷徨するとは、右往左往することと同義語である。  しかし、死の予感とともにあり、身の置きどころのない、このやるせなさは、まだしも幸いである。  毎年 夕暮れを早く感じるのは、彼岸を過ぎたころからである。

北原白秋「落葉松」_我が「心の幽かなそよぎ」

 “白い秋 ” がやってきた。季節がひとつめぐった。野分の置き土産である。 「落葉松(からまつ)北原白秋(きたはらはくしゅう)」 は、昨年度改定された、光村図書出版『国語 2』(中学校二年生の国語の教科書)で、はじめて取り上げられた作品です。 「落葉松」は、「水墨集」抄 所収の一編です。 ◇ 北原白秋『白秋詩抄』岩波文庫(1984年12月20日 第51刷 発行)   落 葉 松         一     からまつの林を過ぎて、    からまつをしみじみと見き。    からまつはさびしかりけり。    たびゆくはさびしかりけり。        二      からまつの林を出でて、    からまつの林に入りぬ。    からまつの林に入りて、    また細く道はつづけり。        三     からまつの林の奥も    わが通る道はありけり。    霧雨(きりさめ)のかかる道なり。    山風のかよふ道なり。        四     からまつの林の道は    われのみか、ひともかよひぬ。    ほそぼそと通ふ道なり。    さびさびといそぐ道なり。        五    からまつの林を過ぎて、    ゆゑしらず歩みひそめつ。    からまつはさびしかりけり。       からまつとささやきにけり。        六    からまつの林を出でて、    浅間嶺(あさまね)にけぶり立つ見つ。       浅間嶺(あさまね)にけぶり立つ見つ。    からまつのまたそのうへに。        七    からまつの林の雨は    さびしけどいよよしづけし。    かんこ鳥鳴けるのみなる。    からまつの濡(ぬ)るるのみなる。           八     世の中よ、あはれなりけり。    常なけどうれしかりけり。    山川に山がはの音、    からまつにからまつのかぜ。 この清らかさはなんだろう。この「韻(ひびき)」は、なにに由来するものか、数日来考えています。 下記、 「小さな資料室_資料298 北原白秋「落葉松」 からの引用です。すてきなサイトです。 2. 上記の「落葉松」の出典は、『水墨集』(大正12年6月18日アルス発行)です。同詩集には、≪落葉松≫として「落葉松」「寂心」「ふる雨の」「啼く虫の」「露」の5篇が出ているようです。そして、≪落葉松≫の...

「山の上ホテル」_寿司とうなぎと天ぷらと

常盤新平『山の上ホテル物語』白水社  吉田俊男(「山の上ホテル」の創業者)が寿司でもなく鰻でもなく、天ぷらの和食堂をつくったのは、彼なりの考えがあったからだ。日付はないが、山の上ホテルの便箋に吉田は書いている。  〈天ぷら屋のご主人にもよくお目にかかったが、ケレンがなく、何となしに昔からの日本人の見本みたいな方々が多い。  職人の方は年齢的に二つに分れる。四十歳前の人達は何か天ぷらだけではものたりない様な顔をしている。  俺は今でこそ天ぷらだけだが、今に日本料理全般の名包丁人になってみせるぞと言った様な感じの人もかなりある。  それが四十を越した人達は善かれ悪しかれ「揚げ屋」の座に坐りきった感じがするのです。  これが実は一番大切なんではないかと思ふのです。徹し切るためには、失望であろうと失敗であろうと、何でもしてみて、結局俺の本職は旨い天ぷらを揚げることだと、観念しない中には、穴子も揚げすぎたり、かき揚げの中が生だったりする訳でせう。  兎も角東京中で恐らく何千軒となくある天ぷら屋、どこに入って食べても、一応レベル以下の店と言ふものはあまりありません。〉 (中略)   吉田俊男は天ぷらと鰻や寿司を比較して、「天ぷら裏話し」を便箋に書きしるした。 (中略)  〈天ぷら屋でもうけたという話しは聞かない。それよりも寿司屋の方が大通りに面しているし、又それよりもうなぎ屋の方が大通りの四つ角に近い。  だからお金をもうけようなどと山気のある者は天ぷら屋にはない。  ところで、天ぷらですが、現在の天ぷら屋程もうからぬ商売はありますまい。大通りに寿司屋はあっても、天ぷら屋を見つけることはむづかしい。四つ角にカバ焼きの煙りは立っていても、天ぷらの旨さにはぶつかりません。  総じて横町とか裏通りに細々と仕事を続けてゐるのがこの商売です。  例へばうちを例に取れば、今年の売り上げはやっと千五00万円位で、純益はたった六0万位でした。  利益が少ないからと言って、止める気にならないのも又天ぷら商売のたのしさでせうか。  例へば花むらさん、天國さんを始め私の知る限りでは、天ぷら屋さんのご主人には共通した個性があると思ふのです。寿司屋の持つあの威勢のよさとか、うなぎ屋さんにあるあの気むづかしさに対して、天ぷら屋さんに通じる性質とは、リチギな、地味な、それに何とか天ぷらを旨く食べて頂こうかと...

星野道夫「ハント・リバーを上って」

星野道夫「ハント・リバーを上って」 星野道夫『イニュニック [生命]』新潮文庫  私たちは、この土地を波のように通り過ぎてゆくカリブーの神秘さに魅かれていた。その上でニックは、一頭のカリブーの死は大きな意味をもたないと言う。それは生え変わる爪のように再び大地から生まれてくるのだと…。「追い詰められたカリブーが、もう逃げられないとわかった時、まるで死を受容するかのように諦めてしまうことがあるんだ。あいつらは自分の生命がひとつの繋ぎに過ぎないことを知っているような気がする」  僕はそんなニックの話を面白く聞いていた。個の死が、淡々として、大げさではないということ。それは生命の軽さとは違うのだろう。きっと、それこそがより大地に根ざした存在の証なのかもしれない。  僕は以前から気になっていたことを急に聞いてみたくなった。 「ニック、オオカミは殺しのための殺しをすると思うかい? つまり獲物を食べるのではなく、生命を奪うためだけのハンティングのことさ。一度そんな場面に出くわしたことがあるんだよ」  僕は何年か前、早春のツンドラで見た、生まれたばかりのカリブーの子を次から次へと殺しながら走るオオカミの姿を思い出していた。 「オレはあると思う。きっと、死はやつらにとって芸術なのさ。それは人間のもつ狭い善悪の世界の問題ではないんだ。そして、そのことは少しもオオカミの存在を低くするものではない。それがオオカミなんだ…」  クリアランス・ウッドは、「人々がまだ狩りをしながら動物のようにさまよっていた時代の、駆りたてられるような狩猟への思い」をもち、皆から「畏敬の念をもって」見つめられている「本物のハンター」,「本物の猟師」である。 「クリアランスが今ここにいたら、オレたちのことを不思議な生きものを観察するような目で見るだろうな。クリアランスには考えられないんだ、なぜそんなことを心配するのかと。そしてその目は、徹底的に相手を見下した眼差しなんだ。なぜだかわかるか?… クリアランスは今に生きているからなんだよ」  ニックが話していたように、一頭のカリブーを解体してゆくこの男の技はすばらしかった。そこに残酷さなど入り込む余地はなく、自分が殺した生きものをいとおしむかのようにナイフを入れてゆく、一人の猟師を僕は見つめていた。マイナス五十度まで下がる冬の狩りでは、クリアランスは凍えた手をカリブーの...

茂木健一郎 / 江村哲二『音楽を「考える」』ちくまプリマー新書(全)

茂木健一郎 『すべては音楽から生まれる』PHP新書   お読みになる際には、下記の順序でお読みください。 ◇ 茂木健一郎 / 江村哲二『音楽を「考える」』ちくまプリマー新書 ◇ 茂木健一郎 『すべては音楽から生まれる』PHP新書  下記、茂木健一郎 さんと江村哲二(作曲家)さんの対談集『音楽を「考える」』ちくまプリマー新書 の「目 次 ※ Contents」です。 まえがき ーー「聴く」ということ 江村哲二 〈第1楽章〉 音楽を「聴く」 世界には掛け値なしの芸術作品が存在している モーツァルトが抱えていた「闇」は創造の本質を物語る 世にも美しい音楽と数学の関係 「耳を澄ます」という芸術がある 自分のなかにある音を聴く《4分43秒》という思想 創造するとは、自分自身を切り刻むということ 「聴く」ことが脳に及ばす影響とは? 〈第2楽章〉音楽を「知る」 西洋音楽を考える基本要素 ー 楽譜中心主義 日本人としてのオリジナリティ 「頭の中で鳴る音楽」は自分だけのものか? 「作曲は自分の音を聴くこと』ー ジョン・ケージの問題提起 〈第3楽章〉 音楽に「出会う」 芸術とポピュリズムの狭間で 現代音楽入門 ー 無調・12音技法はなぜ生まれたか? クラッシックは「ブーム」たりうるか? 世にも不思議な「一回性」という麻薬 名演が生まれるとき、「迷演」となる?! 米国産「ミュージカル」は好きですか? クラッシック音楽の台所事情 〈第4楽章〉音楽を「考える」 クラッシックは日本に浸透するか?「1%」の高い壁 「お子様向けクラシック」を排除しよう! クラッシック音楽の多メディア的展開 「美しさ」の感知は、最初のインプットが肝心 美や真理は批評なくしては生まれない 日本にも辛口批評と野蛮人精神を 音楽の密度と思考の密度はイコールである 人生の転機はホメオスタシスの一部である そして、生命哲学の問いが、音楽と結びつく あとがき ー 音楽の精神からの「誕生」 茂木健一郎 「究極の指揮者はふらない」 江村  音楽の世界なら、バーンスタインが言っているけれども「自分が指揮者になれるか、自分に指揮者の能力があるかどうか、など考えたこともなかった。ただただ音楽が好きで好きで仕方なくて音楽をやっていた」と。実際にウィーン・フィルのコントラバス奏者から聞いたのですが、バーンスタインの振る指揮棒は、全然テクニッ...

滝川一廣『子どものための精神医学』医学書院

滝川一廣『子どものための精神医学』医学書院 「ぼくが若い頃だったら、さっそく買って読んだろうなぁ。」中井久夫氏推薦! 〈内容紹介〉  名著『看護のための精神医学』のなかで、著者の中井久夫氏は次のように書きました。 「本書では児童青年期という重要な時期の患者を独立にとりあげることはしていない。それは、良き著者を得て別の一冊が生まれるのを待っていただきたい」 ――中井氏に“指名"された著者による待望の書が、ようやく刊行される運びとなりました。  発達障害、知的障害、ADHD等々、診断名を解説する本はたくさんあります。しかし「発達のおくれとは一体何なのか?」そして「この子のために何ができるのか?」を、読めば分かるように書いてある本は、意外に少なかったのです。  本書は、熟達の児童精神科医による画期的基本書です。  2017/03/27 に発売された本です。Amazon では現在品切れの状態ですが、地方都市の書店にはおいてあることがままありますが、今回はありませんでした。  Amazon に出店の古書店が、税込み価格 2700円の本書を、3,650円(新品・最安値)で出品しています。頭のよろしい方々にはかないません。 〈著者について〉 滝川一廣(たきかわ・かずひろ) 1947年名古屋市生まれ。名古屋市立大学医学部卒業後、同大学精神医学教室(木村敏教授、中井久夫助教授)へ入局。青木病院、愛知教育大学障害児教育講座等を経て大正大学人間科学部教授。現在、学習院大学教授(文学部臨床心理専攻)。 「中井氏に“指名"された著者」は、中井久夫先生のお弟子さんでした。 とにもかくにも、一刻も早い増刷を待ち望んでいます。 追伸:紀伊國屋書店ウェブストア には、僅少ながら在庫がありました。複数冊の注文はできません。書店も頑張っていますね。見直しました。

中井久夫「私の死生観」より抜粋

「私の死生観ー“私の消滅”を様々にイメージ」 中井久夫『隣の病い 中井久夫コレクション』ちくま学芸文庫 六十歳のときに執筆されたものです。 「人々みな草のごとく」  「ワン・オヴ・ゼム」であり、生理・心理・社会的存在である「自分」としては、私は、社会、職場、家庭、知己との関係の中で私なりに生きてきた。私は対人関係に不器用であり、多くの人に迷惑を掛けたし、また、何度かあそこで死んでいても不思議でないという箇所があったが、とにかくここまで生かしていただいた。振り返ると実にきわどい人生であった。知りし人が一人一人世を去っていく今、私は私に、遠くないであろう「自分」の死を受け入れよと命じる。この点では「人々みな草のごとく」である。(253-254頁) 「そのときどきで満たされた『自己実現』」  昨年の三月ごろであったか、私はふっと定年までの年数を数え、もうお付き合い的なことはいいではないかという気になった。「面白くない論文はもう読まない。疲れる遠出はしない。学会もなるべく失礼する。私を頼ってくれる患者と若い人への義務を果たすだけにしよう。残された時間を考えれば、今の三時間は、若い時の三時間ではない」と思って非常に楽になった。(254頁) 「死への過程をイメージできる自分」  しかし私は、睡眠中の死や一挙の死を望んでいないようである。「自分は死ぬのだ」と納得して死にたいようである。「せっかく死ぬのだから死にゆく過程を体験したい」とでも考えているのだろうか。また私にとって、生きているとは意識があるということである。植物状態を長く続けるのは全くゾッとしないようである。高度の痴呆で永らえることも望んでいないようである。これは自分の考えを推量していっているので、自分ながら「ようである」というのである。 (中略)  また、長い痴呆あるいは植物状態を望まない主な理由は、経済的に家族を破綻させるからで、私はこれらの生命の価値を否定しているわけではない。また、所詮私の自由裁量の範囲を越えた問題である。私の中で育っているに違いない死の種子の、どれが一位を占めるかは、キリスト者ならば「御心のままに」というであろう。(256-257頁) 「おわりに」  しかし私は、ときに愛する人の死のほうが、己れの死よりもつらく悲しいのではないかと思う。そのように悲しい人のことを「愛する人」というのだろうか。(2...

河合隼雄「私はこころの病ということばを絶対に使わない」

河合隼雄「私はこころの病ということばを絶対に使わない」 15 気働き文化の力 中井久夫『新版・精神科治療の覚書』日本評論社  精神科の病はこころの病である、とはいろいろな教科書や啓蒙書のはじめに書いてあることだ。あたりまえの言い草にきこえる。だが、はたしてそうだろうか。  こころとは何だろうか。そしてこころは病むようなものだろか。私はここで素人ふうの哲学論をくりひろげようとは思わない。ただ、この表現が誤解を生みやすいものであることをいっておかねばならない。  いみじくも、河合隼雄氏は、ある講演の中で、「私はこころの病ということばを絶対に使わない。たいていは周囲の人に“こころがけが悪いからなる病気だ”ととられて患者が叱られるのがオチだから」と、語られた。  私の心は病んでいるかと自問自答してみると、健康だ、と胸を張っていえる状態ではとてもないが、病んでいる、という実感はない。日常用法に即していえば、「こころが病む」という用法も「こころが疲れる」という用法もめったにない。われわれは、精密な定義を追求しさえしなければ、こころというものが分かっている。その証拠は、「こころ」と話相手にいわれた時に途方に暮れたりしないことである。ただ、「こころ」が「からだ」とは全く違ったあり方で“ある”(“存在する”ーーこのことばも同じ意味では「こころ」と「からだ」に使えないだろうが)ことも分かっている。「病い」という意味も当然同じではないだろう。身体の概念を軽々しく援用することが現に患者を追いつめるならば、慎まなければなるまい。いろいろな保健衛生の教科書や家庭医学書、それにこのごろつぎつぎに出る啓蒙書ではどうなっているだろうか。  ついでながら、こころはまず「傷つくもの」であるようだ。漱石の『こころ』はおそらく、いろいろな含みのある中で、第一に「傷つくもの」としてのこころ、だろう。長く長く、皮膚の下でうずきつづけたこころの傷である。(217-218頁)   本書はこころで始まって「気」に深入りしたが、「気」にあまりとらわれてはなるまい。「気づかい」と「心づかい」のような対をいくつか作ってみると、「気」と「こころ」の含みの違いが浮き彫りにされてきはしまいか。日本語で「こころ」と呼んでいるものは、傷はついても病むものではなさそうであり、「気」中心のビヘイヴィアより「こころ」中心のビヘイヴィアのほ...

河合隼雄「こころとからだの中間の病気です」

中井久夫,山口直彦『看護のための精神医学 第二版』医学書院 「こころ」と「からだ」 ーー考えすぎないための資料として ●たんなる「こころの病気」ではない  精神科医療を〈こころ〉の病気だという際の最大の副作用は、家族や隣人、ときには本人までが、「こころがけが悪いからなった病気である」と考えることである。これは有害な誤解である。むしろ、もう少しこころがけが悪くなってほしい患者のほうが多いくらいだ。  では、どこの病気であるのか。河合隼雄氏は、「こころとからだの中間の病気です」と答えるようにしているそうだ。(12頁) ●〈こころ〉と〈からだ〉のあいだには  〈こころ〉と〈からだ〉のあいだには、それでは何があるのか。ここで心身問題がでてくる。心身問題とは、昔から哲学者や医者を悩ませてきた「こころとからだの関係はどうか」という問題である。これはあまり考えすぎるとわけがわからなくなるので、「考えすぎないための資料」を記す。 1. 二つは別々に離れているわけではないのに、〈こころ〉から始めるといくら行っても〈からだ〉に達せず、〈からだ〉(脳)から始めるといくら行っても〈こころ〉に達しない。 2.(前略)もっと単純に、脳とこころとは紙の表と裏のようなもので、二つに分けることもできないが、同時に両方を眺めることもできないようなものだと考えてもよい。酒が少し入るだけでこころに大きな変化がおこるのだから、生理と心理とは文字どおり表裏一体なのだが、「表裏一体」ということは同時に両方から眺められないことでもある。(12-13頁)

中井久夫「マッサージ師はお客さんの病気をいただくのか、命が短いのです」

「私たち(マッサージ師たち)はお客さんの病気をいただくのか、命が短いのです」 中井久夫『こんなとき私はどうしてきたか』医学書院 (114頁)  マッサージ師にかかっている医療者がじつに多いですね。ただ、これは相性が重要です。お客さんが即効性を要求するからでしょうが、一般にマッサージが強すぎます。私の名古屋時代のマッサージ師はじつに私に合っていて、「今日はむずかしい患者を診てこられましたね」などと当てたものです。施術の後にぬるいお茶を一杯くださって、ちょっと離れた畳部屋で十五分寝かせてくれました。わかっている人だなと思いました。マッサージでは一般にノドが渇きますから。また、終わってすぐお金を払って出て行くと、それまでのくつろぎが吹き飛びます。特に人ごみの中へ戻るのでは。  私がむずかしい患者と連日取り組んでいたときですが、この方は、一回マッサージをした後、三週間休まれました。再開してから「センセイの身体をもんでから何か妙な感じがして働けなくなりました」と言われました。  一年後に亡くなられて息子さんの代になりましたが、息子さんは「私たちはお客さんの病気をいただくのか、命が短いのです。父のようなことはできません」と言われ、そのとおりの施術でした。  これは、患者の自己身体イメージと実際の身体を測る研究のきっかけにもなりました。 (中略) ところが、論文を二、三書いただけでこの研究を切り上げたのは、研究者が先のマッサージ師と同じ反応を起こして診療にも日常生活にも差し支えるに至ったからです。タフな男を選んだのですが。いや、タフだったから、かえってよくなかったのかもしれません。 (114頁)

中井久夫「日本の文化とは『気ばたらき』の文化である」

15 気働き文化の力 中井久夫『新版・精神科治療の覚書』日本評論社  わが国の現在はこういうタイプの「働きカルチュア」である。ただの「働きカルチュア」ではない。極端にいえば、労働量よりも何よりも「気ばたらき」がわれわれのいう「はたらき」である。課長が入室すれば、仕事の手をやすめて(目礼しないまでも)課長の入室をそれと認めるしぐさをすることが大事である。他国の多くでこういうことがぜんぜん起こらないとはいわないが、重視されはしない。  たしかに、「気ばたらき」の巧みな人をみていると、一種の美を感じる。「甲斐甲斐しい」という感じである。「気ばたらき」には独特の美学がある、といってよいかもしれない。外国の彫刻家が働く人体に認めた美とはまたちがった美である。集団の美ともちがう。一斉にオールをそろえてボートを漕ぐ美やマス・ゲームの美ではない。(220-221頁) 「働く」という意味がわが国において、このようなものであることを指摘したい。たしかに「気ばたらき」があまり重視されない職種もある。しかし、そういう職種は低くみられがちなのが、わが「働きカルチュア」の一特質である。ノルマの何倍を果たすかが問題となるソ連のスタハノヴィズムからは実に遠い。「なりふりかまわず働く」ことは、そうせざるを得ない境遇にあれば同情されるが、一般には、働きの美学からはあまり評価されない。「一人でこつこつやる人」は、ある程度の敬意を表されるが、「手を休めずに」というところに注目されるようだ。「しばしも休まず槌打つひびき…」という“森の鍜治屋”である。ある種の長期的な仕事は、だらだらやってゆくことが一つのこつなのだが、それはまったく評価されないといってよいだろう。(221頁)  「気ばたらき」が軽業(かるわざ)であるのは、また、過ぎれば「世話やき」「おせっかい」「他人の仕事にくちばしを入れる」「うるさい」奴に堕する。その微妙な一線をたえず意識していなければならない点にもある。ふつうの、業績原理による、達成度評価という一方の努力ではなく、二方向の努力の調整活動、まさに平衡をたえず回復する綱渡りである。  これが一般にあまり精神衛生によくないらしいことは、「肩こり」が日本人の国民病であることからもしれよう。(223頁)

中井久夫「日本の文化とは『気疲れ』のする文化である」

中井久夫,山口直彦『看護のための精神医学 第二版』医学書院 ●「気疲れ」ということば 3.〈こころ〉と〈からだ〉とは、眠っているときは区別があやしくなる。 4.〈こころ〉と〈からだ〉は、文化によって分け方が違う。  欧米では、〈こころ〉と〈からだ〉の二つである。ドイツの精神科医ベランケンブルクによると、健康なドイツ人は「精神の疲れ」と「身体の疲れ」の区別がわかる。しかし統合失調症になるとわからなくなるそうだ。ところが日本の患者に聞くと、話が違う。患者でなくともよい。日本では、疲れは、 ・あたまの疲れ(たとえばむずかしい数学をやったあとの疲れ) ・気疲れ ・からだの疲れ(長い道を歩いたあとの疲れ) の三つである。  このなかで「気疲れ」がいちばん苦しく、尾を引く。精神科の患者は、皆が皆、 「自分の疲れは気疲れである」 「あたまの疲れやからだの疲れは1日眠れば治るが、気疲れはそうはいかない」 「気疲れが高(こう)じて病気になってしまった」 と言う。患者でなくても、日本人は「気疲れ」がどういうものかがよくわかっている。いちばん治りが遅いことも知っている。欧米の人に説明するのに「対人関係に関係した疲れである」と言うといちばんわかる。アメリカの精神科医サリヴァンは「精神医学は対人関係の学である」と言っているのを思い合わせたい。(13-14頁)

中井久夫「もし精神科医のごときものにも一言弁明が許されるとすれば」

「思春期患者とその治療者」 『思春期の精神病理と治療』所収、岩崎学術出版社、一九七八年 中井久夫コレクション『「思春期を考える」ことについて』ちくま学芸文庫  もし精神科医のごときものにも一言弁明が許されるとすれば、私はしばしば、揺れて止まない大地の上に家を建てることを求められ、強風の中に灯をともすことを命じられているように感じている。われわれが全面的に臨床に目を向けるようになってから日の浅いことは蔽うべくもなく、なお経験を積み、新しい可能性に目が開かれることを努めつつ時を待つべきであろうが、しかし、時に私は、ビルマ戦線に仆れた若き英国詩人アラン・ルイスのことばをゆくりなくも思い出す。  ーー「われわれの悲劇は何が善であり悪であるかにあるのではない。何が良く、何が悪であるかがわからないのにしかも決断し行動せねばならないことだ」ということばを。  「詩人はただ警告するだけだ」ーーこれは第一次大戦に仆れた、やはり英国の詩人ウィルフリド・オウエンのことばであるが、精神科医がただ警告するだけで足りるならばこれほど幸福なことはない。しかし医師たるものは、技術者一般と異なり技術それ自体の成熟を待つことができない。患者の存在自体が「とりあえず」問題に立ち向かうことを強いる。それはかつてもそうであったし、これからもおそらくいつもそうであろう。けれども、思春期の精神医療に立ち向かわざるを得ない時、単に思春期というのではなく、一九七〇年代にたとえば十四歳であること、十七歳で、二十歳であることの重さ、をとくに感じないわけにはゆかない。(48-49頁)

中井久夫「秘密を守ることの意義」

「秘密を守ることの意義」 「精神科医からみた学校保健衛生」 中井久夫コレクション『「思春期を考える」ことについて』ちくま学芸文庫 」  成人の場合には、治療を拒む権利がある。実は精神障害の場合にはその権利は法的には大幅に制限されているのだが、しかし、いやそれだけいっそうに医者は患者と治療についての合意を得る努力を放棄してはよくないだろう。実際にもこの努力自体が患者の治癒可能性を大幅に増大する。精神科医の腕のほんとうの見せ所の一つだと私は考えている。  未成年の場合にもこれが手抜きされてはならないと思う。なるほど、未成年に対しては親の権利と義務がある。学校の先生にも責任がある以上発言権がある。しかし、できるだけ、本人抜きの決定は避けたいところである。子どもは、大人は皆通じあっているという感じを持つものである。たしかに経験はそれを証明しがちである。母に打ち明ければ翌日にもう父が知っている。親に話せばあっという間に先生に伝わっている。先生に訴えれば父兄会で親が聞いて帰ってくる、など。実際は、大人といえども自分ひとりで打ち明けられた秘密を荷うのは重いから分担してもらおうと話してしまうのだが、子どもは失望し、また警戒心を強める。  精神科医は子どもとの対話の秘密を親や先生に対しても守るのが治療的である、と私は考えている。子どもが芯からこの医者は秘密を守ってくれると実感しなければ、治療はそもそもはじまらない。この辺は、よく話せば理解してもらえることなので、精神科医はもっとちゃんとこういったことを親や先生に告げて了解してもらう努力が必要だ、と自戒をこめて記しておく。似た事情は、しばしば、面接の内容を、親がいっしょに帰る途中に子どもから聞き出そうとする場合に起こる。この親の行動は自然なのだが、精神科の面接の場合には、せっかく面接の場で得られたものの気が抜けてしまう。ひそかな“発酵”が起こらなくなる。こうして全く無駄になるだけでなく、同じ内容の面接は二度行うことができないから、しばしば治療全体を流産させてしまう。このことも、医者からあらかじめーー初診の時にーー親に了承してもらわねばならないことである。「気が抜けますから」と話すとわかってもらえることが多い(その代わり家族面接を準備する必要が起こる)。しばしば面接の緊張を下水に流そうとして患者のほうから話したがるので、親に了承してもらう...

中井久夫「『踊り場のない階段』から巧みにオロしてあげる」

「精神科医からみた学校精神衛生」 中井久夫コレクション『「思春期を考える」ことについて』ちくま学芸文庫 「生理学者遠藤四郎氏の言では、踊り場のない階段ほど人を疲労させるものはない、という。たとえ、エスカレーターのように人間が受動的に運ばれて行く場合でも、踊り場のない長いエスカレーターは非常に疲労させるとのことである。とすれば、これは脚の問題でなく、神経の問題である。私には現在の教育が「踊り場のない階段」に見えてくる」(82-83頁) 「3 踊り場(中間休止)のない現代社会」 「私は時として思春期の子どもに話して休学をすすめることがあります。こういう踊り場をつくるということです。その子にとって、何かのめぐり合わせで踊り場が必要な時期に来ているという必要性を感じて、積極的に休学をすすめるわけです。休学中の過し方をどうするかというのは、また別の問題ですが、私の知っている、いま大学生の患者が、中学二年の頃が一番楽しかったといいましたが、思春期の中で一年しか明るい日がさしている時期がなかったというのは非常にいたましい気がします」(25-26頁) 「思春期患者とその治療者」 『思春期の精神病理と治療』所収、岩崎学術出版社、一九七八年 「思春期の人たちは、例の渦巻構造※の中で、一方では、片時でも立ち止まれば、世の中に、同級生に、とにかく無形の何かの流れに、おくれをとると感じている。たしかに一刻の遅れでも、取り戻すのは予想外に困難である。誰しも、遠足で、靴の紐を結び直している間に見る見る隊伍が遠ざかる心細い体験を持っているだろう。しかし他方では、思春期の人たちが内外の衝迫によって「踊り場のない階段」を駆け上がるように強いられていることはまぎれもない事実であり、この憩いなき登りから「オリる」ことは彼らの秘かな、しかし単独では現実化しえない願望である。医師が、「オリる」ことを保証することが一般に必要だし、一、二年を「支払った」後、「自分は自分だ」という自覚が生まれることもないわけではない。もっとも、むやみに「オロ」そうとすれば患者は当然「踊り場のない階段」の方にしがみつく。ある意味では、精神科医とは「巧みにオロしてあげる」者でなければならない。ここで「巧みに」とは安全感を失わずにということであり、そのためには十分な間接的アプローチ、すなわち根まわし地固めが必要である。しかし時には端的な...

TWEET「内向・外向」

 最近とみに、外出することが増え、人と合う機会が多くなった。気の流れが内に向かうのを常とする、私の気が外に向かって霧消している。やむを得ないことばかりで、仕方がないが、その結果、疲弊・消耗している。 中井久夫「睡眠のリズムと夢作業」 中井久夫『看護のための精神医学』 医学書院   睡眠は、精神健康を維持する基礎である。人間の精神活動は、眠らないでいると、しだいに乱れてくる。睡眠は、ちょうど昼間に主人が散らかしたものを夜中に忍びこんで、そっと片づけてゆく童話の小人たちのようだ。 ● 2日で収支を合わせる 1日不足した分を翌日補って睡眠の収支を合わせれば、精神健康を保てる。 ● 睡眠は「有能で老練な助手」 睡眠は、看護にも治療にも必要な「有能で老練な助手」である。精神だけでなく、免疫力をはじめ、病への抵抗力が向上する。(34頁)  眠い時には、体が欲するままに眠ることを心がけている。社会の人として生きるのは、私には荷が重い。「小人たち」、また 「有能で老練な助手」の助力が必要である 。

中井久夫「なぜか患者さんはよくなる」

「なぜか患者さんはよくなる」 中井久夫『こんなとき私はどうしてきたか』医学書院   中井久夫先生は当書のインタビュー記事の中で、 「こんなこと言うでしょ?『若いときは病気はわかるけど病人はわからない。中年くらいになってくると病人がわかってくる。年を取ってくると、病気も病人もわからないけど、なぜか患者さんはよくなる』って。まあそれくらいのことは私も言えるかもしれないですけどね」(200頁) とおっしゃられています。そして、この言葉を最後にこのインタビュー記事は終わっています。 ◇「こんなこと言うでしょ?」の一文には「?」が付されています。 ◇「年を取ってくると、病気も病人もわからないけど、なぜか患者さんはよくなる」って。 ◇「まあ『それくらいのこと』は『私も言える』『かもしれない』『ですけどね。』」 「年を取ってくると」、「病気」の一々や「病人」の一々がわからなくても「なぜか患者さんはよくなる」と中井先生はおっしゃられています。  しかし、いったい、 「なぜ」 「患者さんはよくなる」のでしょうか。 「中井久夫という全体」が「全身全霊」を傾けて、患者さんの「つらさ」「悲しみ」「苦しみ」のまるごとを、そのままに受け容れるから、「患者さんはよくなる」のでしょうか。大切したい言葉です。このことにつきましては、「思いついた分」だけ、またの機会に書かせていただきたいと思っております。急ぐ必要はないと思っています。 追伸:「何もしないから治る」のかもしれません。が、「何もしない」ことは一大事です。 追記:河合隼雄さんは、京都大学の最終講義で、 「余計なことをしない、が心はかかわる」 とおっしゃられています。 河合隼雄『こころの最終講義』新潮文庫 講義名は、「コンステレーション ー 京都大学最終講義」でした。 中井久夫「なぜか患者さんはよくなる」ことの因るところ ◇ 中井久夫「なぜか患者さんはよくなる」 「こんなこと言うでしょ?『若いときは病気はわかるけど病人はわからない。中年くらいになってくると病人がわかってくる。年を取ってくると、病気も病人もわからないけど、なぜか患者さんはよくなる』って。まあそれくらいのことは私も言えるかもしれないですけどね」(200頁) 茂木健一郎 / 江村哲二『音楽を「考える」』ちくまプリマー新書 江 村 音楽の世界なら、バーンスタインが言っているけ...

「いまなぜ中井久夫なのか」

  精神医学とは縁もゆかりもない一般読者である私が、「いまなぜ中井久夫なのか」といえば、それは、中井久夫先生の患者さんに対する眼差しであり、姿勢であって、患者さんご本人やそのご家族、また医師や看護師、さらには職員の方々への「言葉」です。お心配りであってご配慮です。文章であってその巧みな比喩表現です。そして何よりも、中井久夫先生の著書を拝読していると、気持ちが楽になります。  須賀敦子さんの「トリエステの坂道」を読みたくて、中央図書館に行き、女性職員の方を目にし、中井久夫先生のことを思い出し、何を期待するわけでもなく検索すると、リクエストしておいた中井久夫先生の書籍が、思いがずも三二冊も入っており、一番のお目当てだった『中井久夫の臨床作法 』を借りてきて早速読んでいます。偶然の出会いを大切にしています。私の頭の片隅にはいつもコンステレートという言葉があります。  私は、2015/08/06 に 「聴くということ」 のなかで、下記のように書きました。 「今仮に映画やテレビ・ラジオドラマ等のシナリオ、演劇の台本等々の書き言葉(台詞)を「言語」。声色や顔の表情・身振り手振り等を含めた、書き言葉(台詞)が実際に発語された際の話し言葉を「ことば」とするならば、「言語」と「ことば」の関係は、音楽でいう「楽譜」と「演奏」の関係とよく似ている。「演奏」は一回限りのものであり、指揮者の数だけ解釈があり、演奏者の数だけ曲がある。「ことば」は意味の乗り物であると同時に感情の乗り物でもあり、「言語」が「ことば」の形をとったとき、そこには無数の感情の表出がある。  中井久夫先生の「話しことば」に思いを巡らすことがあります。中井久夫先生の「ことば」をお聴きしたいな、と思うことがよくあります。  しばらくの間、中井久夫著の本を読みたいと思っています。私の「中井久夫読書週間」です。偶然の賜物です。  なお、ブログのタイトルは、白洲正子『いまなぜ青山二郎なのか』新潮文庫 から拝借いたしました。

「中井久夫先生のすごさとすごみ」

中井久夫『いじめのある世界に生きる君たちへ - いじめられっ子だった精神科医の贈る言葉』中央公論新社  はじめは、いわさきちひろさんの絵を懐かしく思いながらながめていましたが、本文を読み進めるうちに、そんなのん気な気分は一掃され、何度も戦慄が走りました。戦慄を覚えるたびにつらくなり、休み休み読み終えました。 「このような文を書くと、(いじめの)対策はどうなのだという質問がさっそくでてきそうです」(77頁)  中井久夫先生のこの質問に対するお答えは、この一文に続く12行、視点をかえて数えれば、それはわずか 6行のみです。そして、それは以下の文へと続きます。 「これ以上の対策をあれこれあげることは、実行もせずに絵空事を描(えが)くことになり、かえって罪なことになります。その場に即(そく)して有効な手立てを考え出し、実行する以外にない世界です。わたくしのように初老期までいじめの影響に苦しむ人間をこれ以上つくらないよう、各方面の努力を祈ります。  ひょっとすると、この文章は、いじめられっ子に、他の誰よりもよく理解してもらえるのではないかという気がします。あえてわたくしごとを記しました」(79-80頁) 「これ以上の対策をあれこれあげることは、実行もせずに絵空事を描(えが)くことになり、かえって罪なことになります」  この謙虚さ、このわきまえ方、実際にいまいじめの問題と向き合っている誠実な方たちへのご配慮は、臨床家として、常に「わたくしごと」の域を越えないという中井久夫先生の「すごさ」です。 神田橋條治「ボクにとっての中井久夫先生」 『中井久夫 精神科医のことばと作法』KAWADE 夢ムック 文藝別冊 河出書房新社    (『中井久夫著作集 第II期 精神医学の経験』パンフレット 創元社) 「すいせんの言葉」の中心に「仁」と「義」を置いたのは、先生の身の処し方に、高倉健が演じる任侠映画の匂いを嗅ぎ取ったからです。  数年前、阪神・淡路大震災の回想を書かれているのを読みました。先生は当時、関東大震災の際に流言飛語に煽られて起こった朝鮮人虐殺の歴史を想起されて、今度も同じことが起こったら、「私には覚悟がある、と思っていた」と書いていらっしゃいました。そのコトバに出会って、からだの芯が震えました。しばらくして気がつきました、先生は硬派ボクは軟派、月とスッポンの差はあれど、大...

TWEET「私は貝になりたい」

◇ 白洲正子『西行』新潮文庫 の帯には、 「能あるものは、 そっと黙っていよ。 -----ゲーテ」 と記されていますが、能なき私は、 「とかくに、人の世は住みにくい」 「人の世」が「住みにく」ければ、「人で無し」として生きるほかないだろう、と諦めた。  木星が、十六夜の月に寄りそっている。夜空は美しい。

小林秀雄「実朝の無邪気さ」

 実朝は自分の死を予知していた。そして、二十八歳で横死した。「公暁は、実朝暗殺の最後の成功者に過ぎない。」(116頁) 小林秀雄「実朝」 小林秀雄『モオツァルト・無常という事』 新潮文庫 「いかにも独創の姿だが、独創は彼の工夫のうちにあったというより寧(むし)ろ彼の孤独が独創的だったと言った方がいい様に思う。自分の不幸を非常によく知っていたこの不幸な人間には、思いあぐむ種はあり余る程あったはずだ。」(124頁) 「彼は確かに鋭敏な内省家であったが、内省によって、悩ましさを創(つく)り出す様な種類の人ではなかった。確かに非常に聡明(そうめい)な人物であったが、その聡明は、教養や理性から来ていると言うより寧(むし)ろ深い無邪気さから来ている。僕にはそういう様に思われる。」(136頁) 「彼の内省は無技巧で、率直で、低徊(ていかい)するところがない。」(134頁) 「青年にさえ成りたがらぬ様な、完全に自足した純潔な少年の心を僕は思うのである。それは、眼前の彼の歌の美しさから自(おの)ずと生れて来る彼の歌の観念の様に思われる。」(140頁) 「金槐集」は、凡庸な歌に充(み)ちているが、その中から十数首の傑作が、驚くほど明確で真率な形と完全な音楽性とを持って立現れて来る様は、殆ど奇蹟(きせき)に似ている。「君が歌の清き姿はまんまんとみどり湛(たゝ)ふる海の底の玉」、子規には、実朝を讃(たた)えた歌はいくつもあるが、僕はこの歌が一番好きである。子規は素直に驚いている。奇蹟と見えたなら、驚いているに越した事はあるまい。実朝は自分の深い無邪気さの底から十余りの玉を得たのだが、恐らく彼の垂鉛が其処(そこ)までとどいていたわけではなかったのである。(139頁) (註) 垂鉛:深さを測る器具の錘(おもり)となる鉛のこと。 「彼の歌は、彼の天凛の開放に他ならず、言葉は、殆ど後からそれに追い縋(すが)る様に見える。その叫びは悲しいが、訴えるのでもなく求めるのでもない。感傷もなく、邪念を交えず透き通っている。決して世間というものに馴(な)れ合おうとしない天凛が、同じ形で現れ、又消える。彼の様な歌人の仕事に発展も過程も考え難い。彼は、常に何かを待ち望み、突然これを得ては、また突然これを失う様である。」(141頁) 西行の『山家集』を思えば、実朝の『金槐和歌集』が気になり、四年ぶりに再読三読した。...

「残暑中の作務」

 故あって、2022/08/26 から大掃除と草取りをはじめた。毎日汗みづくになっている。今日で13日目である。以降 見事に、読み書きがなくなった。今夏の事故であり事件である。  掃除には重曹とホワイトビネガー・クエン酸、炭酸水(窓拭き用)のみを使用している。  鋸鎌での切り傷が絶えず、前腕部はかぶれてれてかゆいが、幸いにも 乾燥肌用の塗り薬が効くからありがたい。切り傷の方は水洗いし、自然に治癒するのを待つだけである。 岡潔「自然に従う」 岡潔『春宵十話』角川文庫 「数学は語学に似たものだと思っている人がある。 (中略) 語学と一致している面だけなら数学など必要ではない。それから先が問題なのだ。人間性の本質に根ざしておればこそ、六千年も滅びないできたのだと知ってほしい。  また、数学と物理は似ていると思っている人があるが、とんでもない話だ。職業にたとえれば、数学に最も近いのは百姓だといえる。種をまいて育てるのが仕事で、そのオリジナリティーは「ないもの」から「あるもの」を作ることにある。数学者は種子を選べば、あとは大きくなるのを見ているだけのことで、大きくなる力はむしろ種子の方にある。これにくらべて理論物理学者はむしろ指物師に似ている。人の作った材料を組み立てるのが仕事で、そのオリジナリティーは加工にある。理論物理はド・ブローイ、アインシュタインが相ついでノーベル賞をもらった一九二0年代から急速にはなばなしくなり、わずか三十年足らずで一九四五年には原爆を完成して広島に落した。こんな手荒な仕事は指物師だからできたことで、とても百姓にできることではない。いったい三十年足らずで何がわかるだろうか。わけもわからずに原爆を作って落としたのに違いないので、落とした者でさえ何をやったかその意味がわかっていまい」(47頁) 小林秀雄「季」 小林秀雄『人生について』中公文庫 「私は、氏の言うところを、はっきり理解したとは言わないが、これは、数式ではなく文章なのである。極めて専門的な数学的表現の生れる境地を語るのに、岡氏が何ら専門的な工夫を必要としていない限り、私には、その境地の性質が直覚できる。数という種子をまき、目を閉じて考える純粋な自足した喜びを感ずる事が出来る。数学の極意は、計量計算の抽象的世界にはないらしい。岡氏の文章は、瞑想する一人の人間へ、私を真っすぐに連れて行く。そういう...

TWEET「作文屋」

 挨拶状を印刷していただこうと思い、「礼状制作部」なるところに電話した。 「書いてもってきていただければ、こちらで手直ししますから」 といわれたので、 「手直しされたら困る。私は作文屋や」 というと、相手は沈黙していた。  どうやら代書屋と作文屋の相違が分からないらしい。代書屋は生業(なりわい)であり、作文屋は 無一物という清貧な世界である。

「白洲正子 愛の明恵上人」芸術新潮

「白洲正子 愛の明恵上人」 芸術新潮 1996年11月号 「鎌倉時代が生んだ高僧達は、そういう荒野の中から咲き出でた花でしたが、明恵はその誰にも似ていない。道元や親鸞のように宗派もつくらず、一遍や空也のような聖(ひじり)の生活にも徹せず、重源(ちょうげん)のような事業家でも、文覚・日蓮のような荒行者でもなく、歌をよんでも西行には遠く及ばなかった。彼がほんとうに打込んだのは何であったか、次の詞はその心の内を明かしてくれるように思います。 『ワレハ天竺ナドニ生マシカバ、何事モセザラマシ。只五竺処々ノ御遺跡巡礼シテ、心ハユカシテハ、如来ヲミタテマツル心地シテ、学問行モヨモセジトオボユ』(却廃忘記)  古今に名僧は多くても、自分の信仰について、誰もこのような告白をした人はいない。極端なことをいえば、明恵が信じたのは、仏教ではなく、釈迦という美しい一人の人間だったといえましょう。この詞には、キリストの足に油を塗るだけで、何もしなかったマグダラのマリアを想わせるものがありますが、末世に生れた悲しさは、自分の力で、「一体の仏像を造る思い」に堪えねばならなかった。西行が歌の上に表現したことを、明恵は日々の生活の上で行なったといっていいのですが、「修行」という言葉は、彼の場合、そういう意味を持つので、それは経文に通じることでも、仏教の思想を研究することでもなかったのです。 (中略)  明恵が逃れたのは、俗世間だけでなく、仏教からも、宗派からも、「出家」しようとした。そこに彼の独創性はあると私は思っています」(24頁) 「それから二、三年、彼の病気は一進一退で、歓喜三年(一二三一・五九歳)、紀州施無畏寺の落慶供養から帰った後、「不食の病」に倒れ、今度はほんとうに死を覚悟せざるは得なかった。といっても、死は幼少の頃から身近なものであったので、そのために生活が変るということはありませんでした。遺言もしなければ、辞世の句も残さない。生死というものについて、明恵は人とは少し違う考え方をしていたのです。たとえば、 『近来の人は、何としたるらん。尋常なる定(じょう)、生死を出づると云ふばかりを以て、仏教と知りたり。…法滅といふは、仏法の欠失するを法滅と云ふにあらず。是体の事の興ずるを、法滅と云ふなり』(伝記)  また、別れを惜しむ人々に向っては、常にこういったということです。 『我ガ死ナムズルコ...

荒井魏「良寛の死」

荒井魏『良寛の四季』岩波現代文庫 「看病には貞心尼、弟子の遍澄らが当たった。だんだん衰弱が目立ってきた良寛さんは、薬も受け付けなくなる。貞心尼が嘆くと「うちつけに飯(いひ)絶つとにはあらねどもかつ安らひて時をし待たむ」と、詠んでいる。自然体の生き方そのままに、死の覚悟を固めたのであろう。 (中略)  与板から駆け付けた由之や貞心尼らが見守る中で、遍澄の膝を枕に亡くなったのは一月六日の午後だった。さほど苦しみはなく、眠るように息を引き取った、と伝えられている」(188頁) 『墨美 山本空外 ー 書論・各観 1979年7月号 No.292』墨美社  我ながら嬉しくもあるか弥陀仏のいますみ国に行くと思へば  生死一如、良寛に死への怖れはなかったであろう。安らけく、穏やかな最期だったことを思う。