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2月, 2023の投稿を表示しています

TWEET「病気療養中につき_11」

「秋田義一ともう一人」 洲之内徹『人魚を見た人 気まぐれ美術館』新潮社 「これが年を取ったということかもしれないが、この頃、私は、物を考えるということをあまりしない。何か感じても感じっぱなしで、それを考えて行くということをしないのだ。 (中略)  そのゴッホの二枚目の絵の前に立ったとき、突然、私は、 「ただ絵を売るためだけなら、何も、こんないい絵を描くことはないんだよなあ」  と、思わず口の裡で呟いてしまった。そして、この、全く以ってお粗末至極な感想に呆れて笑ってしまったが、しかし、すぐに、待てよ、これはだいじなテーマかもしれないぞ、よく考えてみなきゃあ、と思った。  思ったが、それから半年以上たっても、私はそのことで何も考えていない」(295頁) 「これが靉光か!」 洲之内徹,関川夏央,丹尾安典.大倉宏 ほか『洲之内徹 絵のある一生』(とんぼの本)新潮社   「靉光(あいみつ)はかつてルオーの絵を見て、「やっちょるのお、手を抜いちょらんわい」と感心していたという。洲之内は、そんな靉光のひたむさが好きだったのだ」(88頁) 「靉光の死を見届けた人」  洲之内徹『気まぐれ美術館』新潮社  「とりとめもない話をする。靉光のことになると、きえさんはいつものように、自分は靉光の女房にはちがいないが、結婚生活といっても十年ほどだし、それに自分は毎日勤めに出、靉光は靉光で、二階の画室には人を寄せつけず、ときにはひと月もふた月もそこへ籠りきりで、だから、そんなときは顔を合わせることもあまりない、そういう具合ですからねと言い、たまに二階から降りてきたと思うと、何も言わずにあたしの頭をはたいておいて、また上って行ってしまったりするんですよ、と笑っている。 「夫婦喧嘩ですか」 「そうじゃないんですよ、仕事の緊張が続いて自分で耐えられなくなると、そうやって気を晴らすんでしょう」  黙って殴られている靉光夫人の姿に、私は感動した。なんという素敵な夫婦だろう」(150頁)

TWEET「病気療養中につき_10」

 今年になって訃報に接することが多くなりました。  帯状疱疹のため、通夜・葬儀はご遠慮し、後日 ご挨拶にうかがう、という不義理を重ねています。 「我ガ死ナムズルコトハ、今日ヲ明日ニツグニコトナラズ」  死に臨んだ、明恵上人の言葉です。  死とは殊更のことではなく、「生死一如」、生と死はひとつながりのものであり、個々の「いのち」は、「いのちの根源」,「永遠のいのち」に摂取される、と私は考えています。  故人の方々は、安らかに息をひきとり、いま自足した平安な内にあると、私は信じております。  女性飛行家の草分けである、アン・リンドバーグは、日本語の別れの言葉、「サヨナラ」の意味を、「そうならなければならないなら」と書いています。 「サヨナラ」、「そうならなければならないなら」ば、人事の、人の図らいの、およばないことであり、私たちは受け容れるしかありません。  アン・リンドバーグは、日本語の「サヨナラ」を、世界で最も美しい別れの挨拶であると述べています。  私は亡くなられた方々と、「サヨナラ」で、お別れしています。  ありがとうございました。 「サヨナラ」。

TWEET「病気療養中につき_09」

 2023/02/17「まひろ皮ふ科クリニック」さん受診時には、 「ぜんぜんいいですね」 と真弘(まひろ)先生に笑顔で言われました。 8回目の受診時でのことです。( 帯状疱疹が) 快方に向かっていることは自覚しているものの、いぜん 軟膏を塗布する際には、塗り薬をつけたガーゼが患部に触れると、刺すような痛みが走る箇所が幾つかあります。  いつ完治するのでしょうか。桜の花ころか、新緑の季節か、と思っています。  最近、せっかくの覚書きである、ブログを読んでいる。たとえば、検索窓に「良寛」と入れて検索すると、ブログ内を横断し、「良寛」に関する項が串刺しにされて現れる。横断的読書法である。書き散らしたブログがひと所に集約される。  重複した文も多くみられるが、一話完結のブログにあっては仕方のないことである。  以下、覚書きの覚書きである。 白洲正子『現代日本のエッセイ 明恵上人』講談社文芸文庫 「仏法に能く達したりと覚しき人は、いよいよ(くの字点)仏法うとくのみなるなり」(「遺訓」124頁) 「我れ常に志ある人に対していふ。仏になりても何かせん。道を成じても何かせん。一切求め心を捨てはてて、徒者(いたづらもの)に成り還りて、ともかくも私にあてがふことなくして、飢え来たれば食し、寒来れば被(かぶ)るばかりにて、一生はて給はば、大地を打ちはづすとも、道を打ちはづすことは有るまじき」(125頁) 『墨美 山本空外 ー 書論・各観 1979年7月号 No.292』墨美社 「(竜樹の説くように)仏教要語のすべてにわたって、これを一辺としか認めず、したがって仏・菩薩・菩提・般若波羅蜜までもこれを一辺として、どこまでも『無量般若波羅蜜の相』に迫らなければやまない」( 41頁)  明恵上人の言葉にしろ、竜樹の、また空外先生の言葉にしろ、ともに味わい深い。  喉もと過ぎれば、それらは方便にすぎなかった。  真理とは身辺にあった。明恵上人にとって、それは生活信条だった。  行き着く先を、私たちはよくわきまえておく必要があると思っている。 白洲正子「吉越立雄_梅若実『東岸居士』2/4」 「吉越立雄(たつお)能の写真」 白洲正子『夢幻抄』世界文化社 「変ないい方だが、お能はお能にも執着してはならないのだ」(120頁) 井筒俊彦『イスラーム哲学の原像』岩波新書 「しかし考えてみれば、自我が無化したと

TWEET「病気療養中につき_08」

 丁重な応接、ご丁寧なご説明に、最近はっとすることが間々(まま)ある。我と我が身をふり返れば、4月には 62歳になり、年寄りあつかいされてもおかしくはない年齢になった。  それで思い出すのは、佐藤碧子さんの言葉である。 「私の顔ーあとがきに代えて」  洲之内徹『絵のなかの散歩』新潮社  麻生三郎氏に私の顔を描いてもらったこのデッサン(略)を、ある婦人雑誌の女性記者が見て、イタリアの神父のようだと言い、   「イタリアの神父なんていうのには悪いのがいるんですってね、あっちこっちに子供を作ったりして……」  と言った。デッサンがすごくリアルなだけに、気になる一言である。   新潮社の人はさすがにそんな「はしたない」ことは言わないが、   「推定年齢八十歳くらいですね」  と、これまた、私の胸を抉るようなことを言った。   八十にはまだちょっと間があるが、この頃私は、絵を見れば絵がますます面白く、本を読めばどの本もみな面白く、女の人に会えばどの人も美しく、可愛らしく、まことに仕合せな心境に在る。先日、佐藤碧子さんと話していて、そう言ったら、佐藤さんは私の顔をつくづくと見て、   「それは、あなた、めでたくなったのよ」  と言った。私は、あまりめでたくない気分になった。(昭和四十八年春)(304頁)  私もいよいよめでたくなったのかも知れない。

TWEET「病気療養中につき_07」

 歩く際には(帯状疱疹による)痛みをともなうものの、我慢できる程度にまで回復した。しかし、軟膏を塗布するとき、塗り薬をつけたガーゼが、患部に触れると刺すような痛みが走る。  足元には、手の届くところに、 ◇  井上靖『美しきものとの出会い』文藝春秋 があるが、手を伸ばす気がしない。  以下の、2022/12/25 に写した「目次」を見れば、私の処処での「美しきものとの出会い」、また美の体験が思い出される。 井上靖『美しきものとの出会い』文藝春秋 「目次」 「室生寺の五重塔」 「浄瑠璃寺の九体佛」 「秋の長谷寺」 「東大寺三月堂」 「法隆寺ノート」 「渡岸寺の十一面観音像」 「東寺の講堂と龍安寺の石庭」 「鑑真和上坐像」 「日本の塔、異国の塔」 「水分神社の女神像」 「漆胡樽と破損仏」 「タジ・マハル」 「バーミアンの遺跡」 「扶余の旅、慶州の旅」 「飛鳥の石舞台」 「十一面観音の旅」   美は直覚されるが、よく見ることは難しい。たとえば、私が井上靖の文章を読み、また土門拳の写真を見るのは、私の眼には映らないものがみたいからである。しかし、土門拳の写真をよく見ることは難しい。  最後に付言しておけば、小林秀雄の文章はどんな媒体にもひけをとらない。それは自ら発明した文体によるものである。文章には力があることを知らされる。

TWEET「病気療養中につき_06」

「悩みは飽きない」と誰某(たれがし)かがいい、ぼくは「痛みは飽きない」といおう。  と、いくら気取ってみたところで、悩みや痛みは懲り懲りで、飽き飽きしている。

TWEET「病気療養中につき_05」

「私のPCオーディオ」 「iPhone」や「 iPad」,「Mac」等々と「AirMac Express」(発売中止)を「Wi-Fi」で接続し、 「AirMac Express」の「アナログおよび光デジタル・オーディオ・ステレオミニジャック」に「ヘッドホンケーブル」をつないで、私は音楽を聞いている。   「Wi-Fi」接続では情報の欠落は なく、情報は 100%  伝送 される。もし情報の欠損があったとすれば、たとえば 「Wi-Fi」で結ばれている「プリンター」からプリントアウトされる印刷物は、使用に耐えない代物になってしまう。  問題は、「ヘッドホンケーブル」、また「ヘッドホン」である。  音は何をしてもしなくてもかわる、と思っている。 「ヘッドホンケーブル」、また「ヘッドホン」を取っ替え引っ替えして 、鳴る  “音” に耳を澄ませていた。 いつ果てるともしれない作業だった。 「Bowers & Wilkins」の ◇「PX5」 は、「Bluetooth」と「有線」の両方を兼ね備えたオンイヤーのヘッドホンである。 「Bluetooth」接続で聞くと、明るい音にまず気づく。気になるのは、高音域が尾をひき宙に漂うことである。  前項にも書いたが ◇「PX5」 ◇「BELDEN 88760」 の組み合わせは、端正で上品な音がする。  一般的には「Bluetooth」で聞く場面が多いだろう。相応の情報の欠落は免れないが、利便性が先に立つ。  適材適所である。  ただいえることは、 ◇「PX5」 は、高性能なヘッドホンであり、その潜在能力はうかがいしれない、ということである。  私が ◇「PX5」 の能力を、余すことなく活用しているとはとても思えない。  同様にまた、私は、ステレオ装置の「アンプ」と 「AirMac Express」をステレオ接続し、音楽を楽しんでいる。  情報の抜け落ちた曲は、どうしても浅薄に聞こえる。「音」を聞くのか、「音楽」を聞くのかということにもなるが、ある程度の「音」で聞かないと楽しみが半減する。 「AirMac Express(第1世代・第2世代)」は中古で手に入ります。またケーブルは、私は、良くも悪しくも 「PRO CABLE」  さんで購入しています。

TWEET「病気療養中につき_04」

 2023/02/01「まひろ皮ふ科クリニック」さん受診後、会計時に受付の女性に、 「通院はこれで終わりです」 と、唐突にいわれ、戸惑いました。  調剤薬局の薬剤師の方に うかがうと、 「2週間分の薬が処方され、その後は自然に治癒するということだと思います」 とのお答えが返ってきました。  治らなければ当然 再受診しますが、専門医の見立て ですから、そうあることを願っています。   (帯状疱疹による) 痛みは半減しました。   しかし、いまだにかなりの痛みがあり、一昨日は鎮痛剤を2回服用しました。患部以外のところに痛みが移ってきました。後遺症の帯状疱疹後神経痛ということでしょうか。  2022/12/30 にはじめて受診して以来。6 回目の受診時でのことでした。   2023/01/18 に音楽を聞きはじめ、しばらくしたころ、禁忌事項だった “音” へと興味が移った。とめどもない世界である。連日飽くなき音の比べっこをしていた。 ヘッドホン  ◇「AKG K240 Studio」 と、ヘッドホンケーブル ◇「BELDEN 88761」 ◇「BELDEN 82761」 を購入した。  新しい音の風景が広がった。解像度が高く衝撃的だった。  しかし、多少解像度は落ちても、 ◇「PX5」(Bowers & Wilkins) ◇「BELDEN 88760」 の組み合わせの方が、端正で上品な音がする。 「PROCABLE」さんからの「商品説明書」 ◆ 万人が好きな普遍的な音 「そこには音の好みというものは、存在するようで、ほとんど存在しません。  あくまでも生音が基準で、それに最も近いものを良しとしますから、好みの問題とは別の次元になります。とても生々しく、聴くというよりは、目前に見えている音になります。本当の音は、目の前に、実体として、見えます。  生音に近いものを良しとする理由は、「音」というものが、「生音」に近い場合、はじめて本当のバランスや音質が、人間の耳に、より正確に判断できるからです。レコーディングは仕事ですから、完璧さを要求されるがゆえです。そしてその音は、怖いくらいに美しく、普遍的な音です」 「本当の音は、目の前に、実体として、見えます」 「そしてその音は、怖いくらいに美しく、普遍的な音です」  上記の二文から、青山二郎を思った。ただし、上記の文は、「音