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「前略 H君へ_『孤高』なること、また『高踏』たること」

GW ですね。 「社会に背を向け、社会からそっぽを向かれ」というのが常態の僕にとっては、いっこうにお構いなしですが、H にとっては、つらい時季なんだろうな、と拝察しております。 たとえば、模擬試験の結果、偏差値という不可解、不愉快極まる数字に一喜一憂するのは得策ではありません。「春に笑えば、それでいいだけのこと」です。予備校とタイアップして偏差値を操作している大学もあると聞いています。偏差値とにらめっこをして、進路を云々するのは、どう考えても賢明ではありませんよね。主客が転倒しています。わき目をふらず、前だけを見て、まっすぐに、ということです。 「孤高」ということ、また「高踏」たること。Hにとっては、今年がその元年です。はからずも好機の到来です。受験勉強ばかりの浪人生活に、彩りを添えることを考えてください。 では、では。 時節柄くれぐれもご自愛ください。 TAKE IT EASE ! FROM HONDA WITH LOVE. 追伸:ご返信ご不要です。また、ご心配ご無用です。

井筒俊彦「異文化間対話の究極的な理想像_3/3」

「文化と言語アラヤ識」 『井筒俊彦全集 第八巻 意味の深みへ 1983年-1985年』 慶應義塾大学出版会  異文化の接触とは、根源的には、異なる意味マンダラの接触である。我々が既に見たように、意味マンダラは、特にそのアラヤ識的深部(「言語アラヤ識」)において、著しく敏感なものだ。刻々に消滅し、不断に遊動する「意味可能体」は、それ自体において既に、本性的に、かぎりない柔軟性と可塑的とをもっている。まして、異文化の示す異なる意味マンダラに直面すれば、鋭敏にそれに反応して、自らの姿を変える。だから、異文化の接触が、もし、文化のアラヤ識的深部において起るなら、そこに、意味マンダラの組みかえを通して、文化テクストそのものの織りなおしの機会が生じることはむしろ当然のことでなくてはならない。文化の新生。新しい、より包括的でより豊富な、開かれた文化の誕生する可能性が成立する。そこにこそ、我々は、異文化接触の意義を見るべきなのではないか。そして、それこそ異文化間対話の究極的な理想像であるべきなのではないか、と私は思う。(181頁) 〈対談〉井筒俊彦 司馬遼太郎「附録 二十世紀末の闇と光」 司馬遼太郎『十六の話』中公文庫  当対談は、お二人が挨拶を交わされた後、 司馬遼太郎の、 「私は井筒先生のお仕事を拝見しておりまして、常々、この人は二十人ぐらいの天才らが一人になっているなと存じあげていまして。」 (399頁) の発言にはじまり、また司馬の、 「やっぱり哲学者は違うなあ(笑)。だから、われわれは世界に対して光明を求めあう。そういうことが今日の結論ですね。」 の言葉で幕を閉じた、井筒俊彦 生前最後の対談を思い出す 。  感動的であり美しくさえある帰結である 。 「深層意識的言語哲学」者である井筒俊彦の面目躍如である。 以下、 井筒俊彦「コトバの、また文化の圧制的側面_1/3」 「井筒俊彦が散文詩で綴った『言語アラヤ識』、そして『意味可能体_2/3』 です。ご参考まで。

井筒俊彦「コトバの、また文化の圧制的側面_1/3」

「文化と言語アラヤ識」 『井筒俊彦全集 第八巻 意味の深みへ 1983年-1985年』 慶應義塾大学出版会 コトバの意味作用の機構そのもののなかに、権力、強制が組み込まれている。コトバは、何を、いかに言うべきかを、人に強制する。そして(ロラン・)バルトは、コトバは、もともとファシスト的なものだ、という、一見、極端とも思えるような発言をする。 (中略)  私はこれに更に次の一言をつけ加えたい。すなわち、コトバは、何を、どう言うべきかを強制するだけでなくて、何をどう見るべきかをも強制する、と。コトバが分類様式であるならば、個々の言語(ラング)は、それぞれ特殊な(存在)分類のシステムでなくてはならない。それは、その言語を語り、その言語でものを考える人々に、ある一定の世界像を強制する。一つの言語は、一つの自然的解釈学の地平を提供する。我々はそれによって「世界」を見、それによって「現実」を経験する。経験するように強制されるのだ。(170頁) 一体、(ロラン・)バルトがコトバの本源的分類性について語り、コトバのファシスト的圧制を云々する時、彼は主としてそれの社会制度的表層を見ているのである。たしかに、独立した一つの社会制度としてのコトバ、すなわち各個別言語は、意味論的には、一定数の意味分節単位(いわゆる単語)の有機的連合体系であって、それらの意味単位は、それぞれ、本質的に固定されて動きのとれないようになっている。このようなレベルで働くコトバの意味形象機能は、当然、固定して動きのとれない事物、事象からなる既成的世界像を生み出す。出来合いの意味形象が描き出す出来合いの存在絵模様だ。無反省的な日常生活において、人は誰でもそんな出来合いの「世界」に生きているのである。  だから、もしコトバが、このような社会制度的表層レベルに見られるものだけに終始するものとすれば、そして、もし文化が、言語表層で形成される「現実」だけに基礎づけられているものだとすれば、文化は、社会制度的因襲によってかっちり固定され、力動的な創造性を喪失した紋切り型の思惟、紋切り型の感情、紋切り型の行動のパターンにすぎないことになるだろう。言い換えれば、文化は、決まりきった型にはまった、実存的に去勢された意味、人間生活の社会制度的表面にようやく生命を保つ、憔悴した意味のシステムであることだろう。(1

「井筒俊彦が散文詩で綴った『言語アラヤ識』、そして『意味可能体_2/3』」

「文化と言語アラヤ識」 『井筒俊彦全集 第八巻 意味の深みへ 1983年-1985年』 慶應義塾大学出版会   だが、実は、言語は、従って文化は、こうした社会制度的固定制によって特徴づけられる表層次元の下に、隠れた深層構造をもっている。そこでは、言語的意味は、流動的、不動的な未定形性を示す。本源的な意味遊動の世界。何ものも、ここでは本質的に固定されてはいない。すべてが流れ、揺れている。固定された意味というものが、まだ出来上っていないからだ。勿論、かつ消えかつ現われるこれらの意味のあいだにも区別はある。だが、その区別は、表層次元に見られるような固定性をもっていない。「意味」というよりは、むしろ「意味可能体(「意味種子」)」である。縺れ合い、絡み合う無数の「意味可能体」が、表層的「意味」の明るみに出ようとして、言語意識の薄暮のなかに相鬩(せめ)ぎ、相戯(たわむ)れる。「無名」が、いままさに「有名」に転じようとする微妙な中間地帯。無と有のあいだ、無分節と有分節との狭間(はざま)に、何かさだかならぬものの面影が仄かに揺らぐ。「意味」生成のこの幽邃な深層風景を、『老子』の象徴的な言葉が描き出す。曰く、(後略)(172頁)  このような観点から見られたアラヤ識は、明らかに、一種の「内部言語」あるいは「深層言語」である。辞書に記載された形での語の意味に固定化する以前の、多数の「意味可能体」が、下意識の闇のなかに浮遊している。茫洋たる夜の闇のなかに点滅する無数の灯火にでも譬えようか。現われては消え、消えては現われる数かぎりない「意味可能体」が、結び合い、溶け合い、またほぐれつつ、瞬間ごとに形姿を変えるダイナミックな意味関連の全体像を描き続ける。深層意識内に遊動するこの意味関連の全体が、日常的意識の表面に働く「外部言語」の意味構造を、いわば下から支えている。我々の経験的「現実」の奥深いところでは、「意味可能体」の、このような遊動的メカニズムが、常に働いているのである。(178頁)

「『言語アラヤ識』を索めて 2/2_井筒俊彦 読書覚書」

 私は、2018/04/23 のブログ、 「『言語アラヤ識』を索めて 1/2_井筒俊彦 読書覚書」  にて、以下のように書いた。  井筒俊彦『意識と本質 ー 精神的東洋を索めて ー 』岩波文庫 の「Ⅵ」章 には、 「さきに私が、『言語アラヤ識』と呼びたいと言ったものがそれだ。」(130頁) の一文がある。この一文を端緒に、私の「言語アラヤ識」探しがはじまった。井筒俊彦の措定した「言語アラヤ識」の出自がどうしても知りたかった。 (中略)  「さきに私が」の言葉、また「唯識思想」,「阿頼耶識」,「種子 (ビージャ) 」の語を手がかりにして、130頁までを、そして全頁を何往復かしたが、いまだに出自不明のままである。若松英輔の引用箇所も不明である。  時系列順に、以下の四種類の『意識と本質』が発行されている。 ◇「意識と本質 ー 東洋哲学の共時的構造化のために ー  」 (『思想』岩波書店,論文) ◇ 井筒俊彦『意識と本質 ー 精神的東洋を索めて ー 』岩波書店 ◇ 井筒俊彦『意識と本質 ー 精神的東洋を索めて ー 』岩波文庫 ◇  「意識と本質 ー 東洋的思惟の構造的整合性を索めて ー  」(『井筒俊彦著作集』第六巻 中央公論社,決定版)  「論文」か「決定版」に当たれば解決するのだろうか。相当な時間を費やした。週末は変則的な読書に明け暮れた。深層意識内の真相は、私には不分明ということなのであろうか。 『井筒俊彦全集 第六巻 意識と本質 1980年-1981年』 慶應義塾大学出版会 を求め、昨日 早速調べた。 『井筒俊彦全集』には、巻末に「解題」と「索引」が付されている。ありがたい配慮である。 「その(「アラヤ識」の)議論を始めるさいに言及される 「さきに私が、「言語アラヤ識」と呼びたいと言ったもの」(一二三頁一一行)は、おそらく( 『思想』 )連載第二回(1980年7月)の「言語意味的アラヤ識」を指すものと思われる。(463頁) 「用語の統一はいささか不徹底に終わった、ということのようである。」 (464頁)  なお、 「岩波書店版(1983年1月)」を発行する際には、 「言語意味的アラヤ識」は、 「意味的アラヤ識」(46頁)に訂正され、以下の一文が新たに加えられた。 「言語アラヤ識」という特殊な用語によって、

「井筒俊彦との明け暮れに、五日遅れの穀雨に、です」

〈対談〉井筒俊彦 司馬遼太郎「附録 二十世紀末の闇と光」 司馬遼太郎『十六の話』中公文庫  当対談は、お二人が挨拶を交わされた後、 司馬遼太郎の、 「私は井筒先生のお仕事を拝見しておりまして、常々、この人は二十人ぐらいの天才らが一人になっているなと存じあげていまして。」 (399頁) の発言にはじまり、また司馬の、 「やっぱり哲学者は違うなあ(笑)。だから、われわれは世界に対して光明を求めあう。そういうことが今日の結論ですね。」 の言葉で幕を閉じている。 『井筒俊彦全集 第八巻 意味の深みへ 1983年-1985年』 慶應義塾大学出版会  「存在はコトバである」ことへの、また「空海」への関心から、昨日、 ◇ 「言語哲学としての真言」 ◇ 「意味分節理論と空海 ー 真言密教の言語哲学的可能性を探る」 を読み、今日、 ◇「文化と言語アラヤ識 ー 異文化間対話の可能性をめぐって」 を読んだ。  「異文化間の対話は可能か」という題目に、井筒俊彦は “  深層意識的言語哲学者 ”  として、見事な回答を寄せた。それは感動的で、美しくさえあった。  その後、思うところあって、 〈対談〉井筒俊彦 司馬遼太郎「附録 二十世紀末の闇と光」 司馬遼太郎『十六の話』中公文庫 を読み直した 。思うところあってとは、上記の司馬遼太郎の井筒評を、共にしたかったからである。「異文化間の対話」の問題といい、対談で扱われている「民族問題」,「民族紛争」の話題といい、いずれも「コトバ」に収斂することを理解した。『空海の風景』が広がった。見通しがよくなった。  理解のおぼつかないままに、脈絡もなく井筒俊彦の著作を読みふけっている。それが、井筒俊彦を繙く一番の近道だと感じている。感慨はあるが、それは後日ということにさせていただきたいと思う。  いま私の上には「穀雨」が降りしきっている。「穀雨」が止まないことを祈るばかりである。

「『言語アラヤ識』を索めて 1/2_井筒俊彦 読書覚書」

  井筒俊彦『意識と本質 ー 精神的東洋を索めて ー 』岩波文庫  の「Ⅵ」章 には、 「さきに私が、『言語アラヤ識』と呼びたいと言ったものがそれだ。」( 130頁) の一文がある。 この一文を端緒に、私の「言語アラヤ識」探しがはじまった。井筒俊彦の措定した「言語アラヤ識」の出自がどうしても知りたかった。 第九章『意味と本質』 若松英輔『井筒俊彦―叡知の哲学 』慶應義塾大学出版会  「種子」は、すなわち意味であると井筒はいう。彼は(仏教の)唯識思想を単に焼き直し、踏襲しているのではない。その伝統に彼もまた参与しているのである。彼にとって、真実の意味における継承は深化と同義だった。  「唯識哲学の考えを借りて、私はこれ〔言語アラヤ識〕を意味的『種子(ビージャ)』が『種子』特有の潜勢性において隠在する場所として表象する」としながら、阿頼耶識の奥、「コトバ(実在、絶対的超越者、超越的普遍者、絶対無分節者)」が意味を産む場所を「言語アラヤ識」と呼び、特別の実在を与えた。「言語アラヤ識」と命名すべき実在に彼が遭遇し、それに論理の体を付与したとき、井筒は「東洋哲学」の伝統の継承者から、刷新者の役割を担う者となった。(380-381頁) 「言語アラヤ識」とは、井筒俊彦が命名した「実在」である。 「イデア論は必ずイデア体験によって先立たれなければならない」(「神秘哲学」)、それはプラトンのイデアの実相を言い当てているだけでなく、彼(井筒俊彦)が自らの信条を表現した一文だと思ってよい。根本問題を論じるときはいつも、実存的経験が先行する。むしろ、それだけを論究したところに井筒俊彦の特性がある。」(378-379頁)  「さきに私が」の言葉、また「唯識思想」,「阿頼耶識」,「種子(ビージャ)」の語を手がかりにして、130頁までを、そして全頁を何往復かしたが、いまだに出自不明のままである。若松英輔の引用箇所も不明である。  時系列順に、以下の四種類の『意識と本質』が発行されている。 ◇「意識と本質 ー 東洋哲学の共時的構造化のために ー  」 (『思想』岩波書店,論文) ◇ 井筒俊彦『意識と本質 ー 精神的東洋を索めて ー 』岩波書店 ◇ 井筒俊彦『意識と本質 ー 精神的東洋を索めて ー 』岩波文庫 ◇  「意識と本質 ー 東洋的思惟

正岡子規「藤(ふじ)の花ぶさみじかければ」

藤の花が咲きはじめました。 玉城 徹(たまきとおる)「短歌を味わう」 光村図書出版『国語 2』 (平成18年発行の中学校二年生の国語の教科書) 瓶(かめ)にさす藤(ふじ)の花ぶさみじかければたたみの上にとどかざりけり   正岡子規 「瓶にさしてある藤の、その一つ一つの花の房は、ただ力なくだらりと下がるのではない。命をもった花の房が、空中にその力を結び止めるのである。」 「正岡子規は、病床の低い視線から瓶にさした藤の花を見やって、その美しさを、このようにとらえたのである。」 玉城徹のすてきな解釈である。みごとに「生」を「写」しとっている。ヘリコプタは、ホバリング(停止飛行)時に、最も多くのエネルギを消費します。私は、こんな例をあげ、この句の解説をしていました。

「稗田阿礼の『声』と本居宣長の『肉声』と、また小林秀雄と井筒俊彦と」

小林秀雄『本居宣長 上』新潮文庫 宣長の述作から、私は宣長の思想の形体、或は構造を抽き出そうとは思わない。実際に存在したのは、自分はこのように考えるという、宣長の肉声だけである。出来るだけ、これに添って書こうと思うから、引用文も多くなると思う。(24頁) 『本居宣長をめぐって』 小林秀雄 / 江藤 淳 小林秀雄『本居宣長 下』新潮文庫 小林  それでいいんです。あの人(本居宣長)の言語学は言霊学なんですね。言霊は、先ず何をおいても肉声に宿る。肉声だけで足りた時期というものが何万年あったか、その間に言語文化というものは完成されていた。それをみんなが忘れていることに、あの人(本居宣長)は初めて気づいた。これに、はっきり気付いてみれば、何千年の文字の文化など、人々が思い上っているほど大したものではない。そういうわけなんです。(388頁) (中略) 江藤  宣長は『古事記』を、稗田阿礼が物語るという形で、思い描いているのですね。『古事記』を読んでいる宣長の耳には、物語っている阿礼の声が現に聞えている。(391頁)  また、『本居宣長』は、小林秀雄の「肉声」が、活字の体裁をとったものである。 本居宣長は、 稗田阿礼の「声」を聞き、小林秀雄は、本居宣長の「肉声」を聞いた。そして、語った。これらはひと続きの口承である。  「言霊」の意味することが自覚できるようになったのは、ひとえに「井筒俊彦」に因る。緒に就いたばかりのおぼつかない読書ではあるが、前後では明らかさが違う。「読書百遍義自ずから見(あらわ)る?」、「義自ずから見る」まで読もうと思っている。 そして下記、小林秀雄による「深層意識的言語観(哲学)」待望論であり、またその口惜しさである。 若松英輔『叡知の詩学 小林秀雄と井筒俊彦』慶應義塾大学出版会 「私の感謝」と題する小林(秀雄)への追悼文で遠藤(周作)は、この批評家の営みは畢竟、「言語アラヤ識」の世界を歩くことだったといい、次のように書いた。 (中略) 言霊の働きはやがて人間の言葉をこえたものを目指す。仏教の唯識論の言葉でいえば言語的な阿頼耶識にぶつかるのだ。私は言語的阿頼耶識をあの「本居宣長」に感じ、今後の小林さんがその信じる認識をどの方向におむけになるか、心待ちに待っていたのである。 (中略) 『意識と本質の』読者である彼 (遠藤

井筒俊彦「創造的誤読」

「読む」と「書く」 終章 書く 井筒俊彦と「生きる哲学」 若松英輔『生きる哲学』文春新書  厳密な文献学的方法による古典研究とは違って、こういう人達の読み方は、あるいは多分に恣意的、独断的であるかもしれない。結局は一種の誤読にすぎないでもあろう。だが、このような「誤読」のプロセスを経ることによってこそ、過去の思想家たちは現在に生き返り、彼らの思想は溌剌たる今の思想として、新しい生を生きはじめるのだ。 (『意味の深みへ』)  文中の「こういう人達」とは、先の(ロラン・)バルト(フランスの現代思想家、一九一五〜一九八〇)やジャック・デリダ(一九三〇〜二〇〇四)といった、「読む」こと自体に哲学的な意味を見出したヨーロッパの現代思想家を指す。 (中略)  伝統的な古典のテクスト注解のような文献学的に正しい読み方の探究とは別に、創造的誤読とも呼ぶべき営みがある、と井筒は言う。そればかりか、「誤読」によってこそ、歴史に刻まれた叡智は、今によみがえるというのである。(255頁)  それは著者の手柄か、読者の手柄か。それとも相乗効果か。いずれにせよ、「創造的誤読」とは、読者に用意があっての椿事である。 若松英輔『井筒俊彦―叡知の哲学 』慶應義塾大学出版会  の218頁には、  「バルトの『読み』はときに、正確でないばかりか、強引に過ぎると思われることもある。だが、そこに不備と不徹底を見出すだけなら、この特異の文筆家が発見した鉱脈を見失ってしまう。恣意的であり、また、偶然性に導かれた『誤読』は、かえって意味の深みへと私たちを導くこともある、と井筒はいうのである。」 との文もある。

「拝復 Nさんへ_『就職内祝』拝受いたしました」

◇ 2018/04/17 「就職内祝」、どうもありがとうございました。 いま父の食卓の上にのせてあります。 一週間の疲れは、この週末で解消したのでしょうか。気になるところです。 来春は、Dちゃんの「お祝い、まとめて」と、Hの「合格祝い」を、と張り切っています。 では、では。 時節柄くれぐれもご自愛ください。 TAKE IT EASY ! FROM HONDA WITH LOVE. ◇ 2018/04/18 おはようございます。 水曜日までは上り坂、水曜日からは下り坂。水曜日は頂上決戦。頂上からは先が見晴るかせ、カウントダウンのはじまりですね。水曜日を過ぎると気が楽ですね。 疲労回復には寝るのが一番だと心得ています。体の欲するままに、というのがいいですね。 GW の室蘭での焼き鳥、楽しみですね。 浪人生は、社会に背を向け、社会からそっぽを向かれ、ということですね。明快でいいですね。 当地では、新緑がまぶしく、初夏のよそおいです。 水泳部の子どもたちは、早くも泳いでいます。寒中水泳です。過酷です。皆さん嫌がっています。 お忙しい時間を割かれましてのご丁寧なご返信、どうもありがとうございました。 くれぐれもお大事になさってください。ご自愛ください。 TAKE IT EASY! FROM HONDA WITH LOVE.

「いま『ことば』の最中(さなか)にあって」

 「ことば」,「言葉」,「コトバ」といい、「声」といい、「肉声」という。また、「詩的言語」,「深層言語」,「絶対言語」といい、「言語アラヤ識」,「内心の呟き」,「意味『種子(ビージャ, しゅうじ)』」と呼ぶ。そして、井筒俊彦は、「東洋的なメタ・ランゲージ」,「哲学的なメタ・ランゲージ」の必要性を強く説く。  いま、『ことば』の渦中にあって、ひとり 溺死は不本意であるが、心中ならば本望である。  たとえ理解はおぼつかなくとも、一度目を通した本は感触が異なる。それは、活字が人目にさらされたことに起因するものなのか、全頁に空気がいきわたり、風通しがよくなったことに起因するものなのかは定かではないが、こなれている。  ひき続き、『ことば』の最中で右往左往しようと思っている。どうしようもなくて、天を仰いだとき、そこには青空が広がっているかもしれない。  

「強迫観念にかられた読書」

 仕事上、「教科書を読む」という、多分に強迫観念にかられた読書から、晴れて、11日ぶりに解放されて、清々してしています。「教科書を読む」とは、下線を引きながらの、書き込みをしながらの、要所要所で立ち止まりながらの、精読です。  「なんでも知っているような顔をして授業をしていますが、なにも解らないままに、教科書に書かれている内容を話しているだけのことです」と、子どもたちには常々話しています。  活字を読むことを厭わず、多少の我慢さえすれば、じゅうぶんに自学自習は可能なのですが、なかなか真意は伝わりません。自主自立といい、自学自習といい、「真意は伝わらない」ことを指して真意というのでしょうか。

「Find the beauty in Math.」

中学校の数学の教科書、 『未来へひろがる 数学1,2,3』啓林館 の表紙には、 「Find the beauty in Math.」 と書かれています。二年前の改訂時に記載されました。うかつなことに一昨日はじめて気づきました。  時折発する、「数学は美しい」との私の声は、むなしくこだまするばかりで、中学生の子どもたちは、いっこうに「美」に無頓着です。 藤原正彦「なぜか美しい」 藤原正彦『祖国とは国語』新潮文庫 実はこの世のどんな現象にも数学がつまっている。しかもなぜか美しい。この不思議を、神を持ち出さずにうまく説明した人はまだいない。 (116頁) 「ビュフォンの針」とよばれる確率の問題についての随筆で、以上は、その掉尾の三文です。その確率は 1/π になるそうです。 藤原正彦は、 「何の関係もありそうもない円周率が登場するのも意外だが、π 分の一という簡潔さが実に美しい。」 と記しています。 中学校二年生の教科書『未来へひろがる 数学2』啓林館(151頁)に、「数学展望台 ビュフォンの針」と題された読み物が載っています。子どもたちは、数学に美を感じるのでしょうか。執筆者の願いは通じるのでしょうか、という以前に、はたしてどれくらいの子どもたちが読むのでしょうか。はなはだ疑問です。

「一週間遅れの晴明の日に」

 「清々しく、明るく、明らかに」とは、まことに結構なお話ですが、日がな一日 中学校の教科書と向き合い、不健康で非社会的な生活を送っております。九日目にしてようやく先が見えてきました。  この先の行き着く地平は、「清々しく、明らか」です。  はじめに、小林秀雄の遺作となった、 「正宗白鳥の作について」 を読み、次に、 若松英輔『叡知の詩学 小林秀雄と井筒俊彦』慶應義塾大学出版会 を再読します。  また、 『小林秀雄講演 第7巻 ー ゴッホについて / 正宗白鳥の精神』新潮CD講演 にて、小林秀雄の名調子に触れたいところですが、なにぶんにもお高く、逡巡しております。

「拝復 Nさんへ_57歳です。馬齢を重ねるばかりです」

ご丁寧なご挨拶、どうもありがとうございました。 57歳です。馬齢を重ねるばかりです。 北海道へのお誘い、どうもありがとうございました。Nさん持ちの、北海道での豪遊、楽しみにしています。豊橋にもまたお越しください。父が喜びます。また、その際には張り切っておもてなしをいたします。 すっかり葉桜になり、雨が降り、以来肌寒く、朝晩には暖房を入れています。ぬくぬくして気持ちがよく、眠くなり、春眠を貪っています。 車選びをしているんですね。新車ですね。「オンボロ」で「ボロボロ」「ぼろぼろ」とはいえ、「ラパンちゃん(Nさんの自動車) 」とのお別れは名残り惜しいですよね。華の二十代を乗せて走る車です。派手にいきましょう!! 知的障害の予備知識もなにもなく、どんな授業風景なのかもさっぱりわかりませんが、ご無理だけはしないように、と祈るばかりです。 お便り、どうもありがとうございました。 くれぐれもお大事になさってください。ご自愛ください。 下記、 「中井久夫の流儀は『希望』を処方することだった」 です。 『中井久夫の臨床作法』日本評論社 (2015/09/09 に出版されたばかりのムックです。) 「精神科医・中井久夫が患者と家族に接する流儀は、絶望の淵にある人びとの治療への士気を高め、「希望」を処方することだった ─ その卓越した治療観から学んだ人びとによる中井流対人作法のエッセイ決定版!」 中井久夫『看護のための精神医学』 医学書院 「看護できない患者はいない」 「看護という職業は,医者よりもはるかに古く,はるかにしっかりとした基盤の上に立っている。医者が治せる患者は少ない。しかし看護できない患者はいない。息を引き取るまで,看護だけはできるのだ。  病気の診断がつく患者も,思うほど多くない。診断がつかないとき,医者は困る。あせる。あせらないほうがよいと思うが,やはり,あせる。しかし,看護は,診断をこえたものである。「病める人であること」「生きるうえで心身の不自由な人」──看護にとってそれでほとんど十分なのである。実際,医者の治療行為はよく遅れるが,看護は病院に患者が足を踏み入れた,そのときからもう始まっている。」(2頁)

「拝復 Dr.T様_めでたくも、57歳です」

ご丁寧なご挨拶、どうもありがとうございました。 だいぶ「進行」し、いよいよ「めでたく」なってきました。 以下、 洲之内徹「それは、あなた、めでたくなったのよ」 です。 「私の顔ーあとがきに代えて」 洲之内徹『絵のなかの散歩』新潮社 麻生三郎氏に私の顔を描いてもらったこのデッサン(略)を、ある婦人雑誌の女性記者が見て、イタリアの神父のようだと言い、  「イタリアの神父なんていうのには悪いのがいるんですってね、あっちこっちに子供を作ったりして……」  と言った。デッサンがすごくリアルなだけに、気になる一言である。  新潮社の人はさすがにそんな「はしたない」ことは言わないが、  「推定年齢八十歳くらいですね」  と、これまた、私の胸を抉るようなことを言った。  八十にはまだちょっと間があるが、この頃私は、絵を見れば絵がますます面白く、本を読めばどの本もみな面白く、女の人に会えばどの人も美しく、可愛らしく、まことに仕合せな心境に在る。先日、佐藤碧子さんと話していて、そう言ったら、佐藤さんは私の顔をつくづくと見て、  「それは、あなた、めでたくなったのよ」  と言った。私は、あまりめでたくない気分になった。(昭和四十八年春)(304頁) くれぐれもご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE.

TWEET「力まかせの読書です_読書覚書」

2018/04/04 に、 越知保夫「好色と花           ーエロスと様式」(339-370頁) 越知保夫「すき・わび・嫉妬」(371-381頁) 若松英輔(編集)『新版 小林秀雄 越知保夫全作品』慶應義塾大学出版会 を読み了え、翌日には市内の中学校の入学式と始業式があり、以来、中学校の教科書ばかり読んでいます。力まかせの読書です。力づくです。一気にトーンダウンしました。色褪せました。早くも今日で五日目。無理強いをし短時日で仕上げようと思っておりますが、なかなか厄介です。

「拝復 Nさんへ_たくさんの笑顔に囲まれて」

2018/04/05 お手紙、どうもありがとうございました。 父に届けにいくと就寝中でした。17時前のことです。 整形外科受診に4時間かかり、疲れたのだと思います。 昨日、お父さんからメールがあり、早々から手荒い洗礼を受けていることを知りました。だいじょうぶでしょうか。 以下、 「拝復 Dr.T様_春風は駘蕩か」 です。 明日、あらためてご連絡させていただきます。 くれぐれもお大事になさってください。ご自愛ください。 TAKE IT EASY! FROM HONDA WITH LOVE. 2018/04/06 お手紙拝見させていただきました。 どうもありがとうございました。 慶祝!慶賀!! いよいよ今日からなんですね。 子どもたちのたくさんの笑顔に囲まれて、 たくさんの子どもたちから先生と呼ばれて、 はじめの一歩ですね。 どんな出会いが待っているのか、楽しみですね。 けっして無理だけはしないでくださいね。 応援もし、また楽しみにもしております。 では、では。 くれぐれもお大事になさってください。ご自愛ください。 週末はゆっくりしてくださいね。 TAKE IT EASY! FROM HONDA WITH LOVE.

「拝復 Dr.T様_春風は駘蕩か」

 「一日の疲れは一日でとれるの、とれますか」と聞くことがよくありますが、多くの場合、「とれない、とれません」とのお答えが返ってきます。  春風は駘蕩であってほしいと願っていますが、そうとばかりもいかず、なかなか厳しいですね。親の見守りが必要、ということなのでしょう。   Nさんにとっては、まず GW までを目標に、自転車創業、その日暮らし、行き倒れは困りますが、成り行きまかせでいっこうにかまわないと思っています。  Dちゃんはマイペースで、Hについては、「焦らず、たゆまず、怠らず」ということでしょうか。 葉桜が目立つようになり、市内の中学校では今日入学式が行われました。 井筒俊彦といい、越知保夫といい、いま「三田文学」界隈の方たちの著作を読んでいます。壮麗な「東洋哲学一覧・一望」であり、明らかな「小林秀雄論」です。悪戦していますが、敗退、退散するわけにはいきません。 お便り、どうもありがとうございました。 時節柄くれぐれもご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE.

「 たとえ理解は行き届かなくとも_越知保夫 読書覚書」

つい今しがた、 越知保夫「好色と花           ーエロスと様式」(339-370頁) 越知保夫「すき・わび・嫉妬」(371-381頁) 若松英輔(編集)『新版 小林秀雄 越知保夫全作品』慶應義塾大学出版会 を読んだ。 「好色と花」 は、1963年に筑摩書房から刊行された、越知保夫の遺稿作の書名になっている作品であり、期待して読んだ。 「すき・わび・嫉妬」 は、 「好色と花 ーエロスと様式」 を補完するものである。  越知保夫は、日本文学史の流れは古今和歌集によって極まった、といい、それは、「世界の様式化であり、有情化である」(340頁)というが、多分に逆説的である。いかにそれが逆説的であるにせよ、日本文学史の流れが極まった、ということは、日本人のこころのありようが決定づけられた、ということである。  たとえ理解は行き届かなくとも、大変なことが書かれていることだけは解った。早速再読を促されている。  私における「読書覚書」とは、「再読覚書」であって、「再掲覚書」である。  なお、若松英輔は越知保夫の範疇の人であり、越知保夫は若松英輔の意中の人であることに間違いはない。

「『もの』が明らかにみえる者たちがいて_越知保夫 読書覚書」

昨日、 越知保夫「近代・反近代        ー 小林秀雄『近代絵画を』読む」(63-74頁) 越知保夫「小林秀雄の『近代絵画』における「自然」」(75-88頁) 越知保夫「ルオー」(89-102頁) 若松英輔(編集)『新版 小林秀雄 越知保夫全作品』慶應義塾大学出版会 を読んだ。  「もの」が明らかにみえる者たちがいて、かの者たちが描(か)き、また書く。そして、その明らかさに沈黙する。  私の立つ地平は、副次的でさえありえず、三次的、四次的である。私の前には常に仲だちをする者があり、活字がある。

「越知保夫『小林秀雄論』_越知保夫 読書覚書」

昨日、 越知保夫「小林秀雄論」(3-62頁) 若松英輔(編集)『新版 小林秀雄 越知保夫全作品』慶應義塾大学出版会 を読んだ。  出版社の見識、出版人としての矜持ということを思った。そして、「銭金じゃあねえから、何とかせい」という言葉に思いをいたした。  「読書覚書」という便利な言葉に頼るようになってから、ブログが安易で浅薄になっている。しかし、いまは読むことに時間をさこうと思っている。  依然「三田文学」畑で遊んでいる。遊ばせていただいている。 白洲正子「銭金じゃあねえから、何とかせい」 白洲正子『日本のたくみ』新潮文庫 「水晶のふる里―朝山早苗」 今度の朝山さんの作品は、細工師が上部の波型の部分を切ったが、やはりはじめは断ったので、今沢さんが「銭金じゃあねえから、何とかせい」と、無理やりおしつけて成功したという。(145-146頁)  「たくみ」の世界とは、目的意識とか、ときに無欲という欲も無心という心さえ障りのある世界であることを知った。実に多くの裏方さんたちの「愛情と努力」よって支えられている世界だった。

「井筒俊彦『意識と本質 ー精神的東洋を索めてー』岩波文庫_井筒俊彦 読書覚書」

早朝に目覚め、 ◇  井筒俊彦『意識と本質 ー精神的東洋を索めてー』岩波文庫 を読み了えた。  「意識」といい、「本質」といい、理解のおぼつかない私にも、大切なことが、大変なことが書かれていることだけは解った。  私にとって「休む」とは「寝む」ことである。「寝み寝み」の読書だった。切迫すると「ふて寝」を決めこんだ。「ふて寝」ばかりの十日あまりを過ごした。 書名の副題には、 ◇ 井筒俊彦『意識と本質 ー 精神的東洋を索めて ー 』岩波文庫 とあり、目次(論文)には、 ◇「意識と本質 ー 東洋哲学の共時的構造化のために ー  」 と、記されている。また、決定版である『井筒俊彦著作 集』には、 ◇  「意識と本質 ー 東洋的思惟の構造的整合性を索めて ー  」 とある。  井筒俊彦のいう「精神的東洋」とは、「ギリシア以東」のことであり、「索めて」と は、字義通り、「 ひもをたぐるように、手がかりから探す」、いちいち原典に当たり、「 一度そっくり己れの身に引き受けて主体化し、その基盤の上に、自分の東洋哲学的視座とでもいうべきものを打ち立てていくこと」(後記,411頁) という意味であろう。そして、「 東洋哲学の共時的構造化のために 」とは、この先の行方に関する井筒俊彦の明言であり、「 東洋的思惟の構造的整合性を索めて」とは、その姿勢である。  井筒が、「生涯ただひとりの我が師」と仰いだ 西脇順三郎に端を発した水脈は、井筒俊彦にしてはやくも本流となった。  奔流にのまれた格好での読書だった。     早速読み直すことにする。座右の書となった。