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TWEET「不二の高嶺は」

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  以下、昨日 叔父からのメールに添付されていた画像である。  湖西連峰(静岡県)の「神石山」(325m)の頂上から撮られたものである。  山並みの背後に見える富士の高嶺が、ご覧いただけるだろうか。   (拡大してご覧ください)  水墨画を見るかのようである。  富士の姿は神々しく、尊く、美しい。 「御神体」は、露わであるよりも、気配こそ似つかわしい、と思った。

「自分の声といい肉声といい」

「山の日に山気にあたる」 2022//08/11 「霊峰(富士)を前に、茫然自失として立ちつくす。私の不用意な動きが、すべてを崩壊へと導く。私は平安のうちにあるが、心奥のどこかが緊張しているような気がする。それを畏れというのかもしれない」  私の美の体験である。 「摩訶般若波羅蜜多心経」を諳んじた。間をおかずに何回か唱えると、美の体験と近似した心境になることを、数日前に気づいた。それは、「南無阿弥陀仏」の「六字名号」を唱えた後にも起こることを、はっきり自覚している。 玄侑宗久『現代語訳 般若心経』ちくま新書 「それでは最後に、以上の意味を忘れて『般若心経』を音読してください」(194頁) 「自分の声の響きになりきれば、自然に『私』は消えてくれるはずです」(198頁) 「声の響きと一体になっているのは、『私』というより『からだ』、いや、『いのち』、と云ってもいいでしょう。むろんそれは宇宙という全体と繋がっています」(199頁) 墨美 山本空外 ー 書と書道観 1971年9月号 No.214』墨美社  「念仏にしても、木魚一つでもあれば、称名の声と木魚を撃つ音と主客一如になるところ、大自然のいのちを呼吸する心境は深まりうるわけで」ある。(12頁) 「自分の声の響き」であり、「称名の声と木魚を撃つ音」である。  また、小林秀雄は、 「あの人(本居宣長)の言語学は言霊学なんですね。言霊は、先ず何をおいても肉声に宿る。肉声だけで足りた時期というものが何万年あったか、その間に言語文化というものは完成されていた。それをみんなが忘れていることに、あの人は初めて気づいた。これに、はっきり気付いてみれば、何千年の文字の文化など、人々が思い上っているほど大したものではない。そういうわけなんです」(『本居宣長 (下)』新潮文庫 388頁) といっている。 「言霊は、先ず何をおいても肉声に宿る」  畏怖すべきは声にあった。  いま何かが動きはじめた。言葉を弄すること、徒らに動くことの愚かさを思っている。

「大特集 富士山」

 2021/09/16日(木)〜17日(金) に、P教授と河口湖畔の「ニューブリッヂキャンプ場」に行く予定だったが、台風 14号の接近のため、2021/09/27日(月)〜28日(火)に延期した。急遽決定し、急遽延期した。いつものことである。  数年来の望みだった富士山の遥拝が、霊峰の懐に抱かれて夜を明かす希望が、唐突に降って湧いた。「小夜の中山」も視野に入っている。一夜の旅寝では納まらず、浮寝の旅に身をやつし、というのが私の願いである。  また、富士山に関する文学作品に触れようと、以下の書籍を注文した。   ◇ 千野帽子『富士山』角川文庫 「川端康成、太宰治、新田次郎、尾崎一雄、山下清、井伏鱒二、夏目漱石、永井荷風、岡本かの子、若山牧水、森見登美彦など、古今の作家が秀麗富士を描いた小説、紀行、評論を一堂に集めました。」 ◇ 久保田 淳『富士山の文学』角川ソフィア文庫 「日本人は富士山に何を感じ、どう心を動かされ、表現してきたのか。文学と自然との関わりに心を寄せる中世文学の泰斗が、『万葉集』『竹取物語』から、松尾芭蕉や小林一茶の俳句、夏目漱石や太宰治などの現代文学まで50作品余を解説する。想像の世界でその美しさを感じることのできた古えの人々と、文明の恩恵によって富士山を見られるようになった現代人。それぞれの心にある「富士山」にふれる、富士山文学鑑賞の決定版。」 ◇『富士山の歴史』晋遊舎ムック ◇ 空木哲生『山を渡る -三多摩大岳部録- 4』ハルタコミックス TWEET「大特集 富士山」 2019/10/16 予約しておいた、 ◇『山と溪谷 2019 No.1015 11』山と溪谷社 が昨日届いた。 「大特集 富士山」 「富士山」の「大特集」とあらば、読まねば日本人の沽券に関わると大仰なことを思い、予約した。何項かに目を通した。以降が楽しみである。  そして、これを呼び水に、「信仰の対象と芸術の源泉」である霊峰について思いを巡らせ、裾野を広げたいと思っている。  私には「新春特別号」のように思えてならない。  そして、 ◇ 信濃川日出雄『山と食欲と私 9(鮎美の富士山リベンジ編 ①~④)』新潮社 を注文した。 TWEET「大特集 富士山_登拝,遥拝」 2019/10/21 ◇『山と溪谷 2019 No.1015 11』山と溪谷社 の、「大特集 富士山」におよそ目を通し...

「自分の声といい肉声といい」

「山の日に山気にあたる」 2022//08/11 「霊峰(富士)を前に、茫然自失として立ちつくす。私の不用意な動きが、すべてを崩壊へと導く。私は平安のうちにあるが、心奥のどこかが緊張しているような気がする。それを畏れというのかもしれない」  私の美の体験である。 「摩訶般若波羅蜜多心経」を諳んじた。間をおかずに何回か唱えると、美の体験と近似した心境になることを、数日前に気づいた。それは、「南無阿弥陀仏」の「六字名号」を唱えた後にも起こることを、はっきり自覚している。 玄侑宗久『現代語訳 般若心経』ちくま新書 「それでは最後に、以上の意味を忘れて『般若心経』を音読してください」(194頁) 「自分の声の響きになりきれば、自然に『私』は消えてくれるはずです」(198頁) 「声の響きと一体になっているのは、『私』というより『からだ』、いや、『いのち』、と云ってもいいでしょう。むろんそれは宇宙という全体と繋がっています」(199頁) 墨美 山本空外 ー 書と書道観 1971年9月号 No.214』墨美社  「念仏にしても、木魚一つでもあれば、称名の声と木魚を撃つ音と主客一如になるところ、大自然のいのちを呼吸する心境は深まりうるわけで」ある。(12頁) 「自分の声の響き」であり、「称名の声と木魚を撃つ音」である。  また、小林秀雄は、 「あの人(本居宣長)の言語学は言霊学なんですね。言霊は、先ず何をおいても肉声に宿る。肉声だけで足りた時期というものが何万年あったか、その間に言語文化というものは完成されていた。それをみんなが忘れていることに、あの人は初めて気づいた。これに、はっきり気付いてみれば、何千年の文字の文化など、人々が思い上っているほど大したものではない。そういうわけなんです」(『本居宣長 (下)』新潮文庫 388頁) といっている。 「言霊は、先ず何をおいても肉声に宿る」  畏怖すべきは声にあった。  いま何かが動きはじめた。言葉を弄すること、徒らに動くことの愚かさを思っている。

「山の日に山気にあたる_1/3」

 富嶽遥拝の旅を続けている。  静岡県掛川市の「小夜の中山峠」、富士宮市の「富士山本宮浅間大社」,「山宮浅間大社」、また「本栖湖」から遥かに仰いだ富士の高嶺は美しく尊かった。「人穴富士講遺跡」,「村山浅間神社」,「白糸の滝」、 また「道の駅 朝霧高原」,「静岡県富士山世界遺産センター」も忘れられない。  目を移せば、「伊吹山」、那智山中にかかる「那智の滝」、いずれも御神体である。  いま信仰の対象としての山に興味がある。  霊峰を前に、茫然として立ちつくす。私の不用意な動きが、すべてを崩壊へと導く。私は平安のうちにあるが、心奥のどこかが緊張しているような気がする。それを畏れというのかもしれない。  ブログ内を「ヤマケイ文庫」で検索すると、17の文章が表示された。 遠藤甲太「松濤明の遺書」 松濤明『新編・風雪のビヴァーク』ヤマケイ文庫 「一九四九年一月四日から六日にかけての「手記」。われわれはこの種の文章を、ひとつの文学作品として読むほかないのだけれど、私の知るかぎり松濤の遺書は、自衛隊員・マラソンランナー円谷幸吉の遺書と並んで、最も衝撃的な文学上の奇蹟である。円谷書が自死する哀しみの至純さにおいて言語を絶しているとすれば、松濤書はその対極。あくまで死と闘い、ついに倒れんとする瞬間の圧倒的な臨場感(リアリティ)において、やはり言語を絶している」(337-338頁) 「壮絶な手記を残して風雪の北鎌尾根に消えた松濤明」 萩原浩司『写真で読む 山の名著 ヤマケイ文庫50選』ヤマケイ文庫 『風雪のビバーク』は、戦前・戦後にかけて数々の初登攀記録を打ち立て、風雪の北鎌尾根に逝った希代のアルピニスト、松濤明の遺稿集である。松濤は一九四九(昭和二四)年一月に、奇しくも加藤文太郎と同じ風雪の槍ヶ岳北鎌尾根で遭難するが、遺体のかたわらで発見された手帳の壮絶な手記が耳目を集めた。そこには遭難に至った経緯が細かに記され、最後には岳友と共に死を受け入れてゆく過程と心情が描かれていた。(34頁) 「風雪のビヴァーク」 松濤明『新編・風雪のビヴァーク』ヤマケイ文庫 1月6日 フーセツ 全身硬ッテカナシ、何トカ湯俣迄ト思フモ有元ヲ捨テルニシノビズ、死ヲ決ス  オカアサン  アナタノヤサシサニ タダカンシャ. 一アシ先ニオトウサンノ所ヘ行キマス。  何ノコーヨウモ出来ズ死ヌツミヲオユルシ下サイ.  ...

西行「虚空の如くなる心」

つい 今し方、 ◆ 白洲正子『西行』新潮文庫 を読み終えた。  2022/07/05 から読みはじめた。一冊を、これだけの長い時間をかけて読むのは異例のことである。精読したからではない。あらぬ方から横槍が入ったからである。  三読目だったが、消化不良に終わった。西行の和歌の心映えが解らず、にも関わらず、努力を怠ったからである。またそれは、西行が漠々としてとらえどころがないことにも起因している。  西行は、大峯修行をし、熊野三山を詣で、 空海を遠く仰ぎ、 高野山に草庵を結び、生誕の地 讃岐に長逗留した。また、伊勢 の「二見の浦」で侘び住まいをし、その後 鎌倉を経て、平泉に向かっている。  これらは西行の仏道への精進の表れではなく、西行の天性の数寄心の軌跡である。   明恵(上人)の遺訓の中に、このような言葉がある。 「心の数寄(すき)たる人の中に、目出度き仏法者は、昔も今も出来(いでく)るなり。詩頌(しじゅ)を作り、歌・連歌にたづさはることは、あながち仏法にてはなけれども、かやうのことにも心数寄たる人が、軈(やが)て仏法にもすきて、智恵もあり、やさしき心使ひもけだかきなり」(16-17頁)  「 東(あづま)の方(かた)へ修行(すぎやう)し侍りけるに、富士の山をよめる  風になびく富士の煙(けぶり)の空に消えて  ゆくえも知らぬわが思ひかな 」(268頁)  西行は、「これぞわが第一の自讃歌」と述べている。西行は天来の数寄心によって、数寄、和歌によって救われた。西行 69歳のときの歌である。  白洲正子『西行』は、   そらになる心は春の霞にて   世にあらじともおもひ立つかな の歌からはじまっている。 「うわの空なって落着きのない心は、春の霞さながらである」(岩波古典文学体系)(22頁)  西行の凄みは、この年になるまで、「そらになる心」,「いかにかすべき我心」から眼を離すことなく保ったことにある。  また、白洲正子の成果は、西行の「そらになる心」から、「虚空の如くなる心」に至るまでの心の内の変遷を、常に歌に寄り添う格好で明らめたことにある。 ◆ 久保田淳,吉野朋美校中『西行全歌集』岩波文庫 を注文した。これで、西行の歌の理解が進むであろう。 次は、 ◆ 白洲正子『明恵上人』講談社文芸文庫 です。「小夜の中山 浮世絵美術館 夢灯」さんまで携えていきましたが、それどこ...

「浮世絵美術館 夢灯_小夜の中山」

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2022/07/08  17時に出立。「小夜の中山峠」までは 2時間もあれば行けるが、前日に出発した。読みかけの、 ◇ 白洲正子『西行』新潮文庫 を、旅先で読み了えるのが目的だった。折りしも「富士の煙」の章にさしかかり、「小夜の中山」の記述もみられる。 ◆「東京庵 豊川店」 「水車天ざる定食」をいただいた。 ◆「EXPASA 浜名湖(上り)」  仮眠後、うつらうつらした頭で、文庫を数十頁ほど読み、気分転換に浜名湖を見にいった。いまだ明けやらぬ湖である。湖(うみ)は凪いでいた。いつになく静かだった。 2022/07/09 ◆「道の駅 掛川」  人混みにまぎれるのがいやで、場所を変えた。「道の駅 掛川」から「小夜の中山」までは、ほんの10分ほどの距離である。車中で本を読んでいた。蒸し暑く、冷房が必要だった。 ◆「小夜の中山」  曇り空のもと、富士の高嶺は望めないことは分かっていたが、いつもの私の「遥拝所」に立たなければ気がすまなかった。  帰り際、夏アザミにとまるチョウを見つけた。チョウは羽を閉じたり開いたりし、息をついているかのようだった。チョウはギリシア語でプシケ、 “魂 ” を意味する。チョウは霊峰富士の使者か、と思った。 ◆「小夜の中山 浮世絵美術館 夢灯(ゆめあかり)」  開館の 10時を過ぎてもドアは開かなかった。 峠の茶屋「扇屋」さんを切り盛りしている女性が、先生はもうすぐ来ると思うよ、と声をかけてくださった。あきらめて帰る寸前だった。  今回のテーマは、 「袋井・見附の宿展」 だった。  はじめは私ひとりだったが、その後 女性二人組が来て、さらに男性ひとりが加わった。館長さんの、あちこちに気を配りながらの解説は、みていて気の毒だった。  私が探しにきた「緑色」は、松の緑でもなく、山の緑でもなく、今回は見つからなかった。  収集歴50年、収集のすべてを並べると、700m になるそうである。  髪の毛の生え際の、虫メガネで見なければ、それとは分からない細線、桜の版木の年輪が写った絵、後ろ手を組んだ人物の手のひらと手の甲の描き間違い、廣重と北斎の対比、幕府の検閲の印(いん)についての解説。私は疲れて中央に置かれていたソファに座りながら聞いていた。館長さんはいままでに際限なく同じ解説を繰り返し、しかし館長さんの関心は他のところにあるに違いなく、なんという辛抱強さ...

TWEET「浮世に色を求めて」

 小夜の中山峠(静岡県掛川市)を登りきったところに、「浮世絵美術館 夢灯(ゆめあかり)」さんはある、とは先日書いた通りである。  個人の収集である。一年を四期に分け、各テーマにそって浮世絵が展示されている。七月から、「袋井・見附の宿展」へと展示が変わった。  いつのころからか、緑色が好きになった。  浮世絵の色づかいには特徴がある。深みがあり、滋味がある。作品のうちの “緑” に会いたくて、「夢灯」さんを訪ねようと思っている。  土・日曜日と祝日のみの開館である。 「 年たけて又越ゆべしと思いきや   命なりけりさやの中山 」                                            西行 「 風になびく富士の煙(けぶり)の空に消えて   ゆくえも知らぬわが思ひかな 」                               西行  もちろん、霊峰遥拝の旅の途次である。巡拝の道行きである。 (315文字)

「富嶽遥拝の旅_富士宮巡拝」

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   天気予報とにらめっこをし、確信のもとに11時に出立した。しかし、私の確信ほど当てにならないものはなく、承知の上での道行きだった。 2022/05/17 ◆「東京庵 豊川店」 「水車天ざる定食」をいただいた。いきなりの腹ごしらえだった。いい気なものだった。 ◆ 「EXPASA 浜松(上り)」  さらにデザートに、「ソフトクリーム」をいただいた。 ◆「新富士 IC」  小雨が降りだし、あわてた。 ◆「富士山本宮浅間大社」  一日おいての参拝だった。帰宅したのが悔やまれた。 司馬遼太郎『この国のかたち 五』文春文庫  「古神道というのは、真水(まみず)のようにすっきりとして平明である。  教義などはなく、ただその一角を清らかにしておけば、すでにそこに神が在(おわ)す」(28-29頁) 「古神道には、神から現世の利をねだるという現世利益(げんぜりやく)の卑しさはなかった」(11頁)  以来、「卑しさ」とは手を切った。その「尊さ」, 「 辱(かたじけな)さ」に、ただ参拝するばかりである。 ◆「イオンモール富士宮」 ◇「倉式珈琲店」  さわやかな味わいの「東ティモール サンライズマウンテン」をいただく。気づくと寝ていた 。見苦しい寝姿をさらした。 「レストラン ステーキ DADA」 「極みステーキ 150g」をいただく。 ◆「マクドナルド 富士宮店」  若者の集まるマクドナルドでの車中泊には、一抹の不安がともなう。コンビニでの車中泊にしても同様である。が、寝てしまえばそれだけのことである。  今回は、モンベルの ◇「U.L.コンフォートシステムピロー」 「空気を入れやすい逆止弁付き空気注入バルブを備えた枕です。頭部にフィットするデザインで、枕の高さも空気量を調節することで簡単に変えられます。肌当たりの良い起毛地を使用したカバーが付属。カバーは速乾性に優れ、旅先でも容易に洗濯できます」 を忘れた。寝つきが悪く、睡眠の質にも関わる事故だった。  ちなみに私は、日常生活においても、 「U.L.コンフォートシステムピロー」のお世話になっ ている。 変幻自在の、 オーダーメイドのマイ枕である。 2022/05/18 ◆「富士山本宮浅間大社」  開門の5時と同時に参拝した。    待望の雄姿だった。  神田川の流れは、湧水(霊水)である。 「富士山本宮浅間大社」を巡...

「富嶽遥拝の旅_小夜の中山,富士山本宮浅間大社,本栖湖_梅雨のはしりの晴れ間に」

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   梅雨のはしりの晴れ間に、富嶽 遥拝に出かけた。8時に出立した。当日14時から翌日14時まで、快晴の予報だった。 2022/05/14 ◆「EXPASA 浜名湖(上り)」  雨が上がり風が出た。風雨が塵埃を一掃し、空気が澄んでいたのだろう。前回にもまして、対岸の景色がはっきりうかがえた。 ◆「道の駅 掛川」 ◇「山の坊」 「遠州そば」と「自然薯とろろ汁」をいただいた。 ◇「お茶処 東山」 「新茶 天與(てんよ)の雫」と「限定 新茶 生茶 大走り」をセットにして、二軒に送った。  試飲した「新茶 さえみどり」は、甘くまろやかだった。お手ごろなお値段で、自家用に購入した。 ◆「小夜の中山」  車を下りると、北西の風が吹いていた。富士の峰(ね)に向かって吹く風は、「天與の風」であることを前回学習した。期待が高まった。  白雲にふわりと包まれた霊峰は神々しかった。頂上付近の幾筋かの谷には残雪がみられた。  目前に広がった茶畑は、雨に洗われて美しかった。 「小夜の中山峠」は、「箱根峠」,「鈴鹿峠」と並ぶ、東海道三大難所の一つである。峠に立った旅人たちにとって、富士の高嶺は、格別に映ったことだろう。 ◆「小夜の中山 浮世絵美術館 夢灯(ゆめあかり)」  個人の収集である。一年を四期に分けて各テーマにそって展示されている。  今回のテーマは、「日坂(にっさか)・掛川の宿展」だった。40の作品が掲げられていた。 「廣重」,「北斎」のものが多く、そのほかには、 「豊國(とよくに)」,「爲信(ためのぶ)」,「巴水(はすい)」のものが散見された。  来館者は私ひとりで、館長さんにはつきっきりで解説していただいた。中学校の社会科の先生をされていたということで、丹念だった。  浮世絵は、絵師・彫師・摺師、三者の共同(分業)作品であるが、いまでは絵師の名が伝わるばかりである 。しかし、宿屋の前の幟(のぼり)に、 彫師や摺師の名前が忍ばせてあったりするから、おもしろい。また、絵師によっては下絵に色をつけず、ここは「青」と書くのみで、初刷を見た具合で、色を修正することもあった、というから呑気なものである。館長さんは、彫師を最も評価されていた。  私が、廣重の「大はしあたけの夕立」の雨脚のことを口にすると、「大盗人」の鬢(びん)の生え際を見るように、ルーペを渡された。髪の毛一本、一本が執...

「富嶽遥拝の旅_小夜の中山_高嶺の花」

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2022/05/08  寝つけずに、時計を見やると 3時をまわっていた。いまから寝ると、起きるのは昼ちかくになるだろうと思うと、やりきれなかった。GW の最終日、混雑はないものと信じ、「小夜の中山峠」に向かった。5度目の「小夜の中山」詣でだった。晴れやかな春の高嶺を遥拝したかった。 ◆「EXPASA 浜名湖(上り)」  北東の空が朱に染まっていた。空気が澄んでいたのだろう、対岸の舘山寺温泉のホテル街が、いつになくよく見えた。陽は湖面から昇ることはなかった。寒い夜明けの時間を過ごした。 ◆「道の駅 掛川」  8時前だった。農家の方たちが丹精こめて作った作物を、忙しく店内に並べる姿が見られた。 「お茶処 東山」 さんで、初摘みの「掛川茶」を求めようと思ったが、開店前だった。 ◆「小夜の中山」  霊峰の姿はなかった。所詮 私にはすぎた、高嶺の花だった。そっと合掌した。  初老の夫婦連れがやって来た。二番茶を摘む支度である。二番茶を摘む際に、新緑の葉に古参の葉が紛れないように、のびた葉を刈り取っていた。一番茶は、八十八夜の前日 05/02 に摘んだそうである。一番茶、二番茶、最番茶(番茶)、最番茶とは若葉にひと冬を越した葉が混ざったお茶をいうそうである。 「今日は見えないよ。光化学スモッグがかかってるし、風もない。あきらめて帰った方がいいよ」 とそっけなくいわれた。私は光化学スモッグを春霞と勘違いしていたのだろうか。あり得る話だけに悲しかった。今ごろ「不二の山」は咳き込んでいるのだろうか。風は「不二」に向かって吹く、北西の風が吹かないと見えないそうである。  峠の茶屋の「扇屋」さんの開店前に、浮世絵美術館「夢灯」の開館を待たずして、「葛木 北の丸」さんに寄ることもなく、 9時を前にして踵を返した。 「EXPASA 浜名湖」で寝むことばかりを思っていた。 「2022/05/08_光化学スモッグ?」 「2021/09/29_高嶺の花」 ◆「EXPASA 浜名湖(下り)」  ひと眠りする前に、「浜太郎」さんの浜松餃子をいただいた。美味しく、タレなしでほうばった。  ボードセーリングを楽しむ、浜名湖の午後の陽射しは夏だった。  叔母にお土産を買った。どこのサービスエリアも、当地のまた他所の地の、土産物がところ狭しと並ぶ、土産物のデパートである。  帰路、叔母にお土産を届け、夕方帰宅...

「富嶽遥拝の旅_小夜の中山_薨(みまか)る?」

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2022/03/27  見ごろをむかえた桜の花が、青空に映えていた。「まん延防止等重点措置」が解除された、はじめての日曜日だった。人出は覚悟の上で、10時半過ぎに出立した。遅い出発だった。 ◆「EXPASA 浜名湖(上り)」  風が吹き、湖面はざわついていた。  湖岸の、一面 芝生の広場には、いたるところで、春を、花の開花を楽しむ姿が見られた。皆 明るく開放的だった。健康という言葉を思った。 ◆「道の駅 掛川」  今回は、よそ目に先を急いだ。 「Google Maps」の示す道順がいつもと違った。交通渋滞を鑑みての判断だったのだろうか。素直にしたがった。 ◆「小夜の中山」  駐車場には 3台の車しかなかった。 「小夜の中山公園」前の、仕舞屋(しもたや)とばかり思っていた、峠の茶屋「末広荘 扇屋」さんが店を広げていた 。江戸時代からつづく老舗である。「佐夜中山 名物 子育飴」とミネラルウォーターを買った。手作りの 「子育飴(水飴) 」は、 瓶に入っていた。杉箸のような棒にからめ取られた飴を、いわれるままに、「れろれろ」と口の中で転がした。 淡い甘味が広がった。「れろれろ」し ながらお話をうかがい、またリーフレット、 ◇ 掛川市観光交流課「東海道 小夜の中山峠 周辺案内」 をいただいた。 「2022/03/27_子育飴」 霊峰は雲隠れされたか? 薨られたか? 一時間あまり過ごしたが、雲は動く気配がなかった。 「2022/03/27_富嶽遥拝」 「2021/12/09_富嶽遥拝」  帰り際に、 「掛川茶」をいれていただいた。ほんのり甘かった。「扇屋」さんは、土・日・祝日のみの営業とのことだった。  駐車場わきの、アトリエとばかり思っていた「夢灯」さんは、 浮世絵美術館だった。こちらも、土・日・ 祝日のみの開館とうかがった。  休日の再訪が約された。 ◆ 「葛城 北の丸」 今日は、ご予約のお客様のみでの営業です、とのことで、花を眺めながら、辺りを散歩した。手入れのゆきとどいた青松と桜花との対照がまばゆかった。 ◇ 掛川市観光交流課「東海道 小夜の中山峠 周辺案内」 は、誠によくできたリーフレットである。  14の歌碑・句碑の案内図が載っている。 『奥のほそ道』の冒頭には、 「古人も多く旅に死せるあり」 「(風雅の道に生涯をささげた)昔の人々の中にも、旅の途中で死んだ人が多い...

「富嶽遥拝の旅_小夜の中山_春霞に烟(けぶ)る」

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早朝に目が覚めた。快晴、四月中旬なみの陽気との予報だった。躊躇(ためら)いはなかった。 2021/12/09 に行ったきりの、 小夜の中山ゆきを決めた。富嶽遥拝、初詣だった。 2022/03/11 夜が白々と明けるのを待って出立した。 ◆「EXPASA 浜名湖」  春の湖(うみ)が広がっていた。水ぬるむ春、無数のいのちが誕生し、はかり知れない数のいのちが育まれる。  微風が 水面(みなも) を渡り、湖面は震えていた。陽光を反射した光の粒がまぶしく、玉のようだった。  陽だまりのベンチに座り、結構な時間を過ごした。  対岸の舘山寺温泉をのぞみ、2021/10/31 をもって営業を終了した、「ホテル 九重」さんのことが気になった。 ◆「道の駅 掛川」  写真を撮るのが目的だった。時刻を留めておきたかった。旅の覚書きである。 ◆「小夜の中山」  歌枕を訪ねての旅だった。三度(みたび)目の小夜の中山峠だった。  春霞が立ちこめ、富士の雄姿こそ認められなかったものの、これが霞立つ春に似つかわしい、富士の遠景かもしれないと思った。しばらくすると、霞を透かして富士の輪郭が眼に映った。それは「気配」を感じた、というほどの心細さだった。  時折現れては消える「気配」を偏光グラス越しに見た。乱反射が一掃され景色が一変した。それはまぎれもない富士の高嶺だった。  以下の写真は、私が目視していた富士の形姿である。「気配」だけでも感じていただければ幸いである。眺めることより、霊峰の在ることの、どれほど尊いことか、を思う。 「2022/03/11_富嶽遥拝」 「2021/09/29_富嶽遥拝」  霞は濃くなるばかりで、一時間あまりを過ごし峠を下った。 昨年の夏、 ◆ 小林秀雄『モオツァルト・無常という事』 新潮文庫 ◇「西行」 を再読し、 ◆ 白洲正子『西行』新潮文庫 を再読した。 再掲である。これほどの文章は、何度読んでもかまわないであろう。 「「彼(西行)は、歌の世界に、人間孤独の観念を、新たに導き入れ、これを縦横に歌い切った人である。孤独は、西行の言わば生得の宝であって、出家も遁世(とんせい)も、これを護持する為に便利だった生活の様式に過ぎなかったと言っても過言ではないと思う。」(小林秀雄「西行」100頁) 「『山家集』ばかりを見ているとさほどとも思えぬ歌も、『新古今集』のうちにばら撒(...

「富嶽遥拝の旅_小夜の中山_たなびく雲」

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晴れると信じていた。疑う余地は微塵もなかった。 2021/12/09 いまだ明けやらぬころ出立した。 ◆「EXPASA 浜名湖」  ひと眠りし、目を覚ますと、雲ひとつない青空が広がっていた。湖面は静まり、冬の陽光を反射して、まぶしかった。対岸には舘山寺温泉が見晴らせた。 観覧車の半円が小高い山の上から顔をのぞかせ、また一方の頂では、「浜名湖オルゴールミュージアム」がたたずんでいた。  幾度もお邪魔した 「ホテル 九重」 さんから見た景色を、ちょうど反対の位置に立って望んでいる格好だった。  2021/10/31 をもって、「ホテル 九重」さんは、営業を終了した。もう新たな思い出を紡ぐことはできず、過去の思い出だけが残された。  陽だまりのベンチに座り、去来する思いに身をまかせていた。 ◆「道の駅 掛川」  駅内の「山の坊」さんで、「遠州そば」と「自然薯とろろ汁」をいただいた。 ◆「小夜の中山」  再訪だった。前回は、2021/09/29 に訪れている。 「2021/09/29_富嶽遥拝」    あるべきはずの富士の嶺(ね)が見当たらず、あわてた。しばらくすると頂上の一角が見えはじめた。山全体をすっぽり覆っていた白雲が南西の風に吹かれ、右から左へとゆっくり動いていた。棚びく雲の切れ切れから、頂上が姿を現しはじめた。想像以上に雄大だった。その雄姿は神々しかった。 「2021/12/09_富嶽遥拝」   二時間ばかり見つめていたが、たなびく雲は間断なく続き、晴れわたることはなかった。 この夏、 ◇ 小林秀雄『モオツァルト・無常という事』 新潮文庫 ◆「西行」 を読み、 ◇ 白洲正子『西行』新潮文庫 を読んだ。 「「彼(西行)は、歌の世界に、人間孤独の観念を、新たに導き入れ、これを縦横に歌い切った人である。孤独は、西行の言わば生得の宝であって、出家も遁世(とんせい)も、これを護持する為に便利だった生活の様式に過ぎなかったと言っても過言ではないと思う。」(小林秀雄「西行」100頁) 「『山家集』ばかりを見ているとさほどとも思えぬ歌も、『新古今集』のうちにばら撒(ま)かれると、忽(たちま)ち光って見える所以(ゆえん)も其処にあると思う。」(小林秀雄「西行」91-92頁) 「  風になびく富士の煙の空にきえて行方も知らぬ我が思ひかな  これも同じ年(西行 69歳)の行脚のうちに詠...

「大特集 富士山」

 2021/09/16日(木)〜17日(金) に、P教授と河口湖畔の 「ニューブリッヂキャンプ場」 に行く予定だったが、台風 14号の接近のため、2021/09/27日(月)〜28日(火)に延期した。急遽決定し、急遽延期した。いつものことである。 この夏、 ◇ 小林秀雄『モオツァルト・無常という事』 新潮文庫 ◆「西行」 を読み、 ◇ 白洲正子『西行』新潮文庫 を読んだ。 「「彼(西行)は、歌の世界に、人間孤独の観念を、新たに導き入れ、これを縦横に歌い切った人である。孤独は、西行の言わば生得の宝であって、出家も遁世(とんせい)も、これを護持する為に便利だった生活の様式に過ぎなかったと言っても過言ではないと思う。」(小林秀雄「西行」100頁) 「『山家集』ばかりを見ているとさほどとも思えぬ歌も、『新古今集』のうちにばら撒(ま)かれると、忽(たちま)ち光って見える所以(ゆえん)も其処にあると思う。」(小林秀雄「西行」91-92頁) 「  風になびく富士の煙の空にきえて行方も知らぬ我が思ひかな  これも同じ年(西行 69歳)の行脚のうちに詠まれた歌だ。彼が、これを、自賛歌の第一に推したという伝説を、僕は信ずる。ここまで歩いて来た事を、彼自身はよく知っていた筈である。『いかにかすべき我心』の呪文が、どうして遂(つい)にこういう驚くほど平明な純粋な一楽句と化して了(しま)ったかを。この歌が通俗と映る歌人の心は汚れている。一西行の苦しみは純化し、『読人知らず』の調べを奏(かな)でる。」(小林秀雄「西行」106-107頁) 「 あづまのかたへ、あひしりたる人のもとへまかりけるに、さやの中山見しことの昔に成たりける、思出られて   年たけて又越ゆべしと思いきや   命なりけりさやの中山  」(白洲正子『西行』265頁) 「小夜の中山の歌と、富士の歌は、私にはひとつづきのもののように思われてならない。昼なお暗い険阻な山中で、自分の経て来た長い人生を振返って「命」の尊さと不思議さに目ざめた西行は、広い空のかなたに忽然(こつぜん)と現れた霊峰の姿に、無明(むみょう)の夢を醒(さ)まされるおもいがしたのではないか。そういう時に、この歌は、一瞬にして成った、もはや思い残すことはないと西行は感じたであろう。自讚歌の第一にあげた所以(ゆえん)である。(白洲正子『西行』270-271頁)  数年来...