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石垣りん「挨拶 ー 原爆の写真によせて」

  石垣りん「挨拶 ー 原爆の写真によせて」 あ、 この焼けただれた顔は 一九四五年八月六日 その時広島にいた人 二五万の焼けただれのひとつ すでに此の世にないもの とはいえ 友よ 向き合った互の顔を も一度見直そう 戦火の跡もとどめぬ すこやかな今日の顔 すがすがしい朝の顔を その顔の中に明日の表情をさがすとき 私はりつぜんとするのだ 地球が原爆を数百個所持して 生と死のきわどい淵を歩くとき なぜそんなにも安らかに あなたは美しいのか しずかに耳を澄ませ 何かが近づいてきはしないか 見きわめなければならないものは目の前に えり分けなければならないものは 手の中にある 午前八時一五分は 毎朝やってくる 一九四五年八月六日の朝 一瞬にして死んだ二五万人のすべて いま在る あなたの如く 私の如く やすらかに 美しく 油断していた ◇ 光村図書『国語 3』104-106頁(平成二十四年二月五日発行) 中学校3 年生の国語の教科書に掲載されている、石垣りんさんの詩です。  広島に原爆が投下され 81年 になります。  原爆はいまだに “抑止力としての核” として使用され続けています。  私は “政治的手法” という手段に嫌悪感を抱いています。政治にキリスト教的な倫理観を求める愚は承知していますが、海千山千の世界は 所詮私の住めるところではありません。  “政治的手法” という言葉の内に、すべての人・もの・ことが姿をくらまし、これほど便利な言葉を私は知りません。 『殺人狂時代』といい、『独裁者』といい、チャップリンの名作はいまなお新しく、身につまされます。「永遠のいま」を描いたチャップリンは、やはり天才だったといえば、平和な世界を希求したチャップリンへの最大級の侮蔑である、と思っています。

中原中也「今日も小雪のふりかかる」

「汚れつちまつた悲しみに……」 中原中也『山羊の歌』より 汚れつちまつた悲しみに 今日も小雪の降りかかる 汚れつちまつた悲しみに 今日も風さへ吹きすぎる 汚れつちまつた悲しみは たとへば狐の革裘(かはごろも) 汚れつちまつた悲しみは 小雪のかかつてちぢこまる 汚れつちまつた悲しみは なにのぞむなくねがふなく 汚れつちまつた悲しみは 倦怠(けだい)のうちに死を夢む 汚れつちまつた悲しみに いたいたしくも怖気(おぢけ)づき 汚れつちまつた悲しみに なすところもなく日は暮れる…… 「汚れちまつた悲しみ」に明け暮れすれば、悲しみに絡めとられ、身体感覚も怪しくなり、寄るべなき者として生を享けたことに、中也の天才があったのだろう。  三十歳という若さで、この世を去った中也は、夭折だったのか、生を全うしたのか。神の計らいに間違いはなかったものと信じている。

「北原白秋_言葉の音楽的生動」

「北原白秋_言葉の音楽的生動」  人・ものみな 眠る 元日の深更に、白秋二題 「薔薇二曲」 北原白秋『白金之独楽』       一    薔薇ノ木ニ       薔薇ノ花サク。    ナニゴトノ不思議ナケレド。       二    薔薇ノ花。    ナニゴトノ不思議ナケレド。    照リ極マレバ木ヨリコボルル。    光リコボルル。 「落葉松」 北原白秋 『水墨集』        一    からまつの林を過ぎて、    からまつをしみじみと見き。    からまつはさびしかりけり。    たびゆくはさびしかりけり。        二      からまつの林を出でて、    からまつの林に入りぬ。    からまつの林に入りて、    また細く道はつづけり。        三     からまつの林の奥も    わが通る道はありけり。    霧雨(きりさめ)のかかる道なり。    山風のかよふ道なり。        四     からまつの林の道は    われのみか、ひともかよひぬ。    ほそぼそと通ふ道なり。    さびさびといそぐ道なり。        五    からまつの林を過ぎて、    ゆゑしらず歩みひそめつ。    からまつはさびしかりけり。     からまつとささやきにけり。        六    からまつの林を出でて、    浅間嶺(あさまね)にけぶり立つ見つ。       浅間嶺(あさまね)にけぶり立つ見つ。    からまつのまたそのうへに。        七    からまつの林の雨は    さびしけどいよよしづけし。    かんこ鳥鳴けるのみなる。    からまつの濡るるのみなる。        八     世の中よ、あはれなりけり。    常なけどうれしかりけり。    山川に山がはの音、    からまつにからまつのかぜ。 ≪ 落葉松 ≫ の初めに、次の文が書かれています。 「落葉松の幽かなる、その風のこまかにさびしく物あはれなる、ただ心より心へと伝ふべし。また知らむ。その風はそのささやきは、また我が心の心のささやきなるを、読者よ、これらは声に出して歌ふべききはのものにあらず、ただ韻(ひびき)を韻とし、匂を匂とせよ」(「小さな資料室_資料298 北原白秋「落葉松」)  吉田精一氏の『鑑賞現代詩 I 明治』には、また「ある作曲家に」(『詩と音楽』創刊...

TWEET「ほんの手遊びとはいえ」

 過去3か月間に、 木坂 涼「魚(うお)と空」の閲覧が、5101 回あった。また、過去30日間に、 3049 回の閲覧があった。そして、いまもなお読まれ続けている。 2018/06/26 木坂 涼「魚(うお)と空」 光村図書出版『国語 1』(70-71頁) 急降下。 鳥が 翼(つばさ)で 海を打つ。 鳥は もう摑(つか)んでいる。 波は 海のやぶれ目を ごまかしている 魚は 海を脱(ぬ)けでる 初めて そして たった一度だけ。 空の高見(たかみ)で もうひとつの空へ のまれる  「海のやぶれ目」の意味が解らない子どもたちが結構います。「もうひとつの空」とは、「彼岸」という意味なのでしょうか。  釣り上げた「ちびっこ(ブラック)バス君」を宙づりにすると、「キョトンとした顔つき」をしてぶら下がっていることがあります。はじめてふれた世界に何が起きたのかわからないのでしょう。「ちびっ子バス君」たちにとっては、手荒い洗礼です。水面とは、水中と空中を分かつ一枚のフィルムです。釣りとは、一枚のフィルムをはさんでの攻防です。 2018/09/03 「詩一篇_木坂 涼『魚(うお)と空』の閲覧数について」  2018/06/26 に、手遊びに書いた、 詩一篇_木坂 涼「魚(うお)と空」 の閲覧数が 100を越え、意外に思っています。   光村図書出版『国語 1』からの引用です。中学生諸君の閲覧なのでしょうか。毎日のように 読まれています。 過去 閲覧数の最も 多いブログは、 「小林秀雄が解釈する、本居宣長『敷島の大和心を人問はば 朝日に匂ふ山桜花』」(2017/04/02) で、 総閲覧総数 32348 と、他を圧倒している。第2位が急伸の、 詩一篇_木坂 涼「魚(うお)と空」( 2018/06/26) で、 総閲覧総数 9944 .。第3位が、 小林秀雄「中原中也の思い出」(2017/08/110) で、 総閲覧数 1859 。第4位が同じく小林秀雄の、 中原中也「ああ、ボーヨー、ボーヨー」(2017/08/11) で、 総閲覧数 1821  となっている。  閲覧数上位のブログを、つらつらと眺めていると、硬派なブログで占められていることが見て取れる。私のブログ中の “古典” である。  しかし、「 詩一篇_木坂 涼『魚(うお)と空』」だけは解せない。ほんの “ 手遊び ”...

「老後無事」

 父の相続の手続きであたふたしている。年をまたぎ、その煩雑さの内に明け暮れしている。 Amazon に、 橘慶太『ぶっちゃけ相続「手続大全」 相続専門 YouTuber 税理士が「亡くなった後の全手続」をとことん詳しく教えます! 』ダイヤモンド社 を注文し、2024/01/08 に届いた。  多少の知識とわずかばかりの理解が役に立つ。  それにつけても思うのは、自らの老後のことばかりである。 「老後無事」 河上肇『閉戸閑詠』 捨て果てし身の なほもいのちのあるまヽに、 飢ゑ来ればすなはち食ひ、 渇き来ればすなはち飲み、 疲れ去ればすなはち眠る。 古人いふ無事是れ貴人。 羨む人は世になくも、 われはひとりわれを羨む (茨木のり子『詩のこころを読む』岩波ジュニア新書)  満ち足りた、自足した者の詩(うた)である。 白洲正子『現代日本のエッセイ 明恵上人』講談社文芸文庫 「仏法に能く達したりと覚しき人は、いよいよ(くの字点)仏法うとくのみなるなり」(「遺訓」124頁) 「我れ常に志ある人に対していふ。仏になりても何かせん。道を成じても何かせん。一切求め心を捨てはてて、徒者(いたづらもの)に成り還りて、ともかくも私にあてがふことなくして、飢え来たれば食し、寒来れば被(かぶ)るばかりにて、一生はて給はば、大地を打ちはづすとも、道を打ちはづすことは有るまじき」(125頁) 「生涯此の如く徒者に成り還らば豈(あに)徒(いたづら)なることあらんや」(「遺訓」 125-126頁)  喉もと過ぎれば、それらは方便にすぎなかった。真理とは身辺にあった。明恵上人にとって、それは生活信条だった。  良寛また然りであった。  私たちは、 行き着く先を、よくわきまえておく必要があると思う。    私ごとき者のために、人の手を煩わしたくない。死期を知りたいと思う。息をひき取ると同時に雲散し、霧消することを願っている。 以下、 「拝復 P教授様_河上肇『老後無事』」 「明恵上人における徒者(いたづらもの)」 です。

TWEET「Kindle Direct Publishing_『本多勇夫 / なおなお 折々の記_10』: 〜岡潔編〜」

つい今し方、 ◇ 「本多勇夫 / なおなお 折々の記_10」: 〜岡潔編〜」 を、「Kindle Direct Publishing」にアップしました。 上梓されました。早速購入しました。  まずはじめに、岡潔,小林秀雄『人間の建設』は、紙数の都合上、本編に分類した。  「数学は語学に似たものだと思っている人がある」。「語学と一致している面だけなら数学など必要ではない。それから先が問題なのだ。人間性の本質に根ざしておればこそ、六千年も滅びないできたのだと知ってほしい」。  「数学史を見ても、生きてバトンを渡すことはまずない。数学は時代を隔てて学ぶものだと思う」。後進による問題の解決を、飽くことなく待つ「数学という学問体系」の楽観には感心する。 「よく人から数学をやって何になるのかと聞かれるが、」「私についていえば、ただ数学を学ぶ喜びを食べて生きているというだけである。そしてその喜びは『発見の喜び』にほかならない」。  岡潔の話は、私の抱いていた数学観とはずいぶん異なるものだった。また、たいへんな思索家でもあり、それが「情操」「情緒」の境地を深めることになった。  対談では、「初対面の二人が、延々十一時間しやべり続けて、一度も中座しなかつた」という。息の合った天才たちの対話は稀有な出来事であり、傾聴に値する。直接当書に当たってほしいと思う。本編がそのきっかけとなれば幸いである。

TWEET「留守と知れ」

るす 高橋新吉 留守と言へ ここには誰も居らぬと言へ 五億年経ったら帰って来る 死出の旅といい、行き倒れといい、また野ざらしというも、我ひとりの道行きである。 留守と知れ ここには誰も居らぬと知れ 亡き者と思へ 邪魔立てはするな 人は食い物ではない お願いですから、ひとりにしてください。

「北原白秋_言葉の音楽的生動」

身辺が最近とみにやかましく、おもしろくなく、「しん」とした時間に浸りたくて、 ◇  北原白秋「落葉松」_我が「心の幽かなそよぎ」 ◇ 「春の湿原にスミレをさがしに_スミレはスミレ」 以上の二編の白秋の詩を読みました。 北原白秋「薔薇二曲」 『白金之独楽』           一    薔薇ノ木ニ        薔薇ノ花サク。    ナニゴトノ不思議ナケレド。       二    薔薇ノ花。    ナニゴトノ不思議ナケレド。    照リ極マレバ木ヨリコボルル。    光リコボルル。   北原白秋「落葉松」 『水墨集』        一     からまつの林を過ぎて、    からまつをしみじみと見き。    からまつはさびしかりけり。    たびゆくはさびしかりけり。        二      からまつの林を出でて、    からまつの林に入りぬ。    からまつの林に入りて、    また細く道はつづけり。        三     からまつの林の奥も    わが通る道はありけり。    霧雨(きりさめ)のかかる道なり。    山風のかよふ道なり。        四     からまつの林の道は    われのみか、ひともかよひぬ。    ほそぼそと通ふ道なり。    さびさびといそぐ道なり。        五    からまつの林を過ぎて、    ゆゑしらず歩みひそめつ。    からまつはさびしかりけり。     からまつとささやきにけり。        六    からまつの林を出でて、    浅間嶺(あさまね)にけぶり立つ見つ。       浅間嶺(あさまね)にけぶり立つ見つ。    からまつのまたそのうへに。        七    からまつの林の雨は    さびしけどいよよしづけし。    かんこ鳥鳴けるのみなる。    からまつの濡るるのみなる。        八     世の中よ、あはれなりけり。    常なけどうれしかりけり。    山川に山がはの音、    からまつにからまつのかぜ。 ≪ 落葉松 ≫ の初めに、次の文が書かれています。 「落葉松の幽かなる、その風のこまかにさびしく物あはれなる、ただ心より...

中原中也「今日も小雪のふりかかる」

今日も小雪が舞っています。 「汚れつちまつた悲しみに……」 中原中也『山羊の歌』より 汚れつちまつた悲しみに 今日も小雪の降りかかる 汚れつちまつた悲しみに 今日も風さへ吹きすぎる 汚れつちまつた悲しみは たとへば狐の革裘(かはごろも) 汚れつちまつた悲しみは 小雪のかかつてちぢこまる 汚れつちまつた悲しみは なにのぞむなくねがふなく 汚れつちまつた悲しみは 倦怠(けだい)のうちに死を夢む 汚れつちまつた悲しみに いたいたしくも怖気(おぢけ)づき 汚れつちまつた悲しみに なすところもなく日は暮れる……  「汚れちまつた悲しみ」に明け暮れすれば、悲しみに絡めとられ、身体感覚も怪しくなり。寄るべなき者として生を享けたことに、中也の天才があったのだろう。  三十歳という若さで、この世を去った中也は、夭折だったのか、生を全うしたのか。神の計らいに間違いはなかったものと信じている。 以下、 中原中也「ああ、ボーヨー、ボーヨー」 下記、 小林秀雄「中原中也の思い出」 です。

長田弘「賀状」

「賀 状」 長田弘『深呼吸の必要』晶文社  古い鉄橋の架かったおおきな川のそばの中学校で、二人の少年が机をならべて、三年を一緒に過ごした。二人の少年は、英語とバスケットボールをおぼえ、兎の飼育、百葉箱の開けかたを知り、素脚の少女たちをまぶしく眺め、川の光りを額にうけて、全速力で自転車を走らせ、藤棚の下で組みあって喧嘩して、誰もいない体育館に、日の暮れまで立たされた。  二人の少年は、それから二どと会ったことがない。やがて古い鉄橋の架かった川のある街を、きみは南へ、かれは北へと離れて、両手の指を折ってひらいてまた折っても足りない年々が去り、きみたちがたがいに手にしたのは、光陰の矢の数と、おなじ枚数の年賀状だけだ。  元旦の手紙の束に、今年もきみは、笑顔のほかはもうおぼえていない北の友人からの一枚の端書を探す。いつもの乱暴な字で、いつもとおなじ短い言葉。元気か。賀春。

石川セリ「翼 武満徹ポップ・ソングス」DENON(全)

石川セリ「翼 武満徹ポップ・ソングス」DENON 中二生の二人の女の子たちが合唱コンクールで歌う自由曲を口ずさんでいました。聞くともなしに聞いていました。聞き覚えのある詞だなと思い、訊くとやはり谷川俊太郎さんの詩「春に」でした。 下記、谷川俊太郎さんの詩、「春に」です。一つ前の、光村図書出版の「国語 2」の教科書に載っていました。中学二年生になってはじめて学習する教材です。 春に この気もちはなんだろう 目に見えないエネルギーの流れが 大地からあしのうらを伝わって ぼくの腹へ胸へそうしてのどへ 声にならないさけびとなってこみあげる この気もちはなんだろう 枝の先のふくらんだ新芽が心をつつく よろこびだ しかしかなしみでもある いらだちだ しかもやすらぎがある あこがれだ そしていかりがかくれている 心のダムにせきとめられ よどみ渦まきせめぎあい いまあふれようとする この気もちはなんだろう あの空のあの青に手をひたしたい まだ会ったことのないすべての人と 会ってみたい話してみたい あしたとあさってが一度にくるといい ぼくはもどかしい 地平線のかなたへと歩きつづけたい そのくせこの草の上でじっとしていたい 大声でだれかを呼びたい そのくせひとりで黙っていたい この気もちはなんだろう 武満徹さんが 谷川俊太郎さんの詩に曲をつけられた、幾つかの歌が収録されている、 石川セリ「翼 武満徹ポップ・ソングス」DENON を思い出しました。 筑紫哲也さんがキャスターを務められていた 、 「NEWS 23」のエンディング・テーマに、石川セリさんが歌う『翼』が流れていた時期があります。調べると 1997年4月から1997年6月にかけてのことで、当時渡辺真理さんが第二部のサブキャスターを担当されていました。早速ヤマト楽器さんに、石川セリさんが歌う 「翼 武満徹ポップ・ソングス」 を買いにいったことを思い出します。開塾二年目の春のことでした。 武満徹さん「作詞」・作曲の歌を前にして、谷川俊太郎さん「作詩」・武満徹さん作曲の歌はかすんで見えます。谷川俊太郎さんは「詞」になることを想い「詩」を書いたわけではありませんから、それは当然のなり...

武満徹「◯と△の歌」

「◯(マル)と△(三角)の歌」 地球ハマルイゼ  林檎ハアカイゼ 砂漠ハヒロイゼ  ピラミッドハ三角ダゼ 空ハ青イ 海ハ深イ 地球ハマルイ  小サナ星ダゼ 地球ハマルイゼ  林檎ハアカイゼ ロシアハデカイゼ バラライカハ三角ダゼ 石川セリ「翼 武満徹ポップ・ソングス」

武満徹「翼」

翼 風よ 雲よ 陽光(ひかり)よ  夢をはこぶ翼 遥かなる空に描く  「希望」という字を ひとは夢み 旅して  いつか空を飛ぶ 風よ 雲よ 陽光(ひかり)よ  夢をはこぶ翼 遥かなる空に描く 「自由」という字を 石川セリ「翼 武満徹ポップ・ソングス」

武満徹「明日ハ晴レカナ曇リカナ」

「明日ハ晴レカナ曇リカナ」 昨日(キノウ)ノ悲シミ 今日ノ涙 明日(アシタ)ハ晴レカナ 曇リカナ 昨日ノ苦シミ 今日ノ悩ミ 明日ハ晴レカナ 曇リカナ 石川セリ「翼 武満徹ポップ・ソングス」

武満徹「小さな空」

小さな空 青空みたら  綿のような雲が 悲しみをのせて  飛んでいった いたずらが過ぎて  叱られて泣いた こどもの頃を憶(おも)いだした 夕空みたら  教会の窓の ステンドグラスが  赫(まっか)に燃えてた いたずらが過ぎて  叱られて泣いた こどもの頃を憶(おも)いだした 夜空をみたら  小さな星が 涙のように  光っていた いたずらが過ぎて  叱られて泣いた こどもの頃を憶(おも)いだした 石川セリ「翼 武満徹ポップ・ソングス」