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「空外のうちに井筒を思う」

◆ 龍飛水編『いのちの讃歌 山本空外講義録』 無二会 ◆ 龍飛水編『廿世紀の法然坊源空 山本空外上人聖跡素描』無二会  いま上記二冊を併読している。  山本空外は、哲学者であり、 弁栄聖者(べんねいせいじゃ)の法系に属する浄土宗の僧侶である。上記二冊は「法話」ではなく、「講義録」であり、哲学の文章である。  空外は正確を期するために、そのつど原典にあたっている。たとえば、「般若心経」をサンスクリット語で読み、「新約聖書」は古代ギリシャ語で読んでいる。私の知るかぎり、空外は、サンスクリット語、中国語、ギリシャ、ラテン、 英・独・仏語に精通していた。空外にとって、語学の習得は抜き差しならぬ手段だった。   私は空外のうちに (三十数ヶ国語に通じていた)井筒俊彦を思う。  井筒は、 プラトンを論じ、「イデア論は必ずイデア体験によって先立たれなければならない」といい、またそれを、 「そっくり己れの身に引き受けて主体化」するという。 空外は自身の体験をいい、プロティノス( 新プラトン主義の始祖 )らに関しては井筒と同じ地平に立つ者である。 「要するに、神秘家たちの哲学的立場は、ヤスペルスの表現を使えば一つの「哲学的信仰」(philosophischer Glaube)であります。しかしここまでくれば、どんな哲学もそれぞれの「哲学的信仰」の基礎の上にうち立てられたものといわざるを得ません」 (  井筒俊彦『イスラーム哲学の原像』岩波新書  109頁)と井筒は書いているが、 信仰を広義にとらえたとき、世に信仰なき者はないといえよう。 「そっくり己れの身に引き受けて主体化」するとは、すなわち井筒の実存的体験であった。幾座もが連なる山脈(やまなみ)を踏破するなかで、井筒俊彦はしだいに透きとおっていった。 「彼(井筒俊彦)にとって、真実の意味における継承は深化と同義だった。  「唯識哲学の考えを借りて、私 (井筒俊彦) はこれ〔言語アラヤ識〕を意味的『種子(ビージャ)』が『種子』特有の潜勢性において隠在する場所として表象する」としながら、阿頼耶識の奥、「コトバ(実在、絶対的超越者、超越的普遍者、絶対無分節者)」が意味を産む場所を「言語アラヤ識」と呼び、特別の実在を与えた。「言語アラヤ識」と命名すべき実在に彼が遭遇し、それに論理の体を付与したとき、井筒は「東洋哲学」の伝統の継承者から、刷

「早坂暁,杉本苑子,栗田勇,村上三島『わがこころの良寛』春秋社」

昨夜深更に目を覚まし、未明には、 ◆ 早坂暁,杉本苑子,栗田勇,村上三島『わがこころの良寛』春秋社 を読み終えた。 「本書は、NHKテレビ人間大学特別シリーズ「わたしの良寛」として放映された番組を基に」「何の打合せもなく」、執筆されたものであり、重複した内容も各所にみられる。 学生時代、「シナリオ文学」ばかり読んでいた時期がある。 早坂暁については、 ◆ 早坂暁『山頭火 ― 何でこんなに淋しい風ふく』日本放送出版協会 ◆ 早坂暁『円空への旅』日本放送出版協会 ◆ 早坂暁『乳の虎・良寛ひとり遊び』 の三冊を読んだ記憶があるが、『 乳の虎・良寛ひとり遊び』 に関しては、シナリオが見つからず、 1993年放送の「 NHKテレビドラマ」を視聴したにすぎなかったのだろうか。  その検索中に本書と出会った。古書である。 『倉本聰コレクション』はいうにおよばず、 ◆ 山田太一『早春スケッチブック』新潮文庫 が、強く印象に残っている。倉本聰と山田太一は当代の双璧だった。 「文学は『言語』作品、落語は『ことば』作品」(西江雅之『「ことば」の課外授業 ― “ハダシの学者”の言語学1週間』洋泉社) 「言語」では「ありがとう」と一通りにしか表記することはできないが、「ありがとう」の「ことば」は無数にある。  当時もいまも、「言語」と「ことば」の関係には興味がある。  井筒俊彦は、「存在はコトバである」と措定した。近年では「コトバ」への関心が加わった。  言葉づくしである。 栗田勇「騰々、天真に任す」 早坂暁,杉本苑子,栗田勇,村上三島『わがこころの良寛』春秋社 ◆  荒井魏『良寛の四季』岩波現代文庫  前項では、「 本書には、仏道修行に励む良寛の姿がみられないが」と書いたが、その間隙を栗田勇が埋めてくれた。秀作である。  栗田は若き日の良寛を、「非常に繊細な、感受性の強い青年」(70頁)だった、「良寛の孤独感と苦悩はただごとではな」 (69頁 ) かったといい、良寛を「 ひとりの鋭い精神的な思想家」(69頁 )だった、と総評している。  栗田は、「大愚(たいぐ)」,「天真(てんしん)」,「任運(にんうん)」の三語の「良寛さんの言葉を手がかりに」して、良寛の境地の深まりを論述している。(69頁) 「任運」とは「任運自在」のことで、「天真」とは、「天真にして妙なり、迷悟に属さず」の意である。「

「荒井魏『良寛の四季』岩波現代文庫」

山本空外の「書論」(「論書」,「書道哲学」) ◆『墨美 山本空外 ー 書と書道観 1971年9月号 No.214』墨美社 ◆『墨美 山本空外 ー 書と書道観(二)1973年6月号 No.231』墨美社 ◆『墨美 山本空外 ー 書論・各観 1979年7月号 No.292』墨美社  ◆『墨美「書と生命 一如の世界」<対談> 山本空外 / 森田子龍 1976年12月号 No.266』墨美社 「序観」,「通観」,「各観 」の三巻と「書と生命」 の読み書きに二十日あまりの時日を費やした。貴重な読書体験だった。やはり空外先生は大きすぎる。 「山本空外_良寛の書を語る」 「良寛和尚のごとき、外見はいかにも平凡のようでも、心は深く永遠の光に照らされている証拠をその墨蹟が物語っている」(『墨美 山本空外 ー 書論・各観 1979年7月号 No.292』墨美社 55頁) (「唐の懐素上人といい、わが弘法大師といい」)「良寛の書にしてもそのよさを一語にしていえば、そう(「空」を書くと)いえるようである。いな、極言すれば「空」を書かなければ、未だ書道の門前に立つにすぎないともいえないことはなかろう」 ( 『墨美 山本空外 ー 書論・各観 1979年7月号 No.292』墨美社 49頁)  良寛について知ることは、皆無にちかかった。気になるのは良寛についてのことばかりだった。そして一昨日、陽が西にかたむきかけたころ、 ◆ 荒井魏『良寛の四季』岩波現代文庫 を読み終えた。 荒井魏『良寛の四季』岩波現代文庫  人はこれほど「無一物」になれるものか。 「ぬす人に取り残されし窓の月」 良寛はこの期におよんでも風流である。良寛に印可を与えた、備中玉島 円通寺の大忍国仙和尚をして「大愚良寛」といわしめた所以の一端がうかがえよう。「一九九四年にパリの地下鉄内に世界各国の詩人の詩が掲示された。その時、この句が人気投票で一位に選ばれたというから」(138頁)、国際派である。 「古筆学の権威として知られる小松茂美さんは」「良寛書の魅力」を、 「独自のものだ、と思います。枯れた、寂(さび)た、わびた風情。言いがたい一つの線の美しさ…。いきなり真似て書いても、こんな字にならない。禅の修行による人間錬成の結果、無欲恬淡(てんたん)に至り得た境地からの自然な流露のままの字です」(126頁) という。 「良寛さんの書は、

「山本空外_では書は信用であるか」

「書論各観の光はその心の深さにしか照応しない。したがって外観のよさと内面の心光とは、どこまでも混合してはならないし、あくまで別のものである。そのことを書ほどきびしく示すものが他にあるであろうか。書をかけば、そのことはまったく一目瞭然なのである。自己とは何かをいかに論議しても、またそれに関する研究書をどれほど読破しても、決まるものではない。わたくし自身その問題を東大の哲学科卒業論文(『カント及び現代のドイツ哲学における認識主観の意義』大正十五年三月)でも取りくんだし、以後今日まで約六十年も専攻し来ったが、それよりも書を見るほうが、よほどはっきりと書いたひとの心もわかり、自分の書を前にすれば自己の心を鏡に写したようなものと感ずる。生きた心の芸術として書以上のものはなかろう。終生自己の問題に哲学上取りくみ来ったわたくしは、心の宗教として念仏で一生をとおし、また自己の心を原点にする書芸術を久しく行ずるゆえんである」( 『墨美 山本空外 ー 書論・各観 1979年7月号 No.292』墨美社  39-40頁) 「良寛和尚のごとき、外見はいかにも平凡のようでも、心は深く永遠の光に照らされている証拠をその墨蹟が物語っている」(『墨美 山本空外 ー 書論・各観 1979年7月号 No.292』墨美社 55頁) 「良寛の道詠に   草の庵ねてもさめても申すこと   南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏 とあるが、良寛の筆致に見入るほどわたくしは「無縁の慈」の深みに感応する」 (『墨美 山本空外 ー 書と書道観(二)1973年6月号 No.231』墨美社 10頁) 「良寛の書のごときは、そうした「大慈悲」の書でもあり、この前に立つものをして、「無縁の慈をもって、もろもろの衆生を摂するなり」といえないであろうか。「仏心とは大慈悲なり」という、その仏心こそ主・客の無二を呼吸する、いのちのつながりの原点であるからである。その原点に立つ書論各観でなければ、生ける書とはいえない」 ( 『墨美 山本空外 ー 書論・各観 1979年7月号 No.292』墨美社 41頁) 「かの『淳化閣帖』中の蕭子雲の書(「歴代名臣法帖第四」)を見ていても、時のたつのも忘れて自然の心に迫って際限ないものに感応する」 『墨美 山本空外 ー 書論・各観 1979年7月号 No.292』墨美社 50頁) 「では美は信用であるか。そうで

「山本空外_木魚のある心象風景」

山本空外「ナムアミダブツこそは平等往生の観点から 世界文化の最高価値の民主的結晶である ー 法然上人 弁栄上人に学んで 念仏生活 ー」 「アミダさまとは大自然そのものであり、アミダさまによって永遠に人生を全うできるようにしてもらっていることに目覚めると、人間として生まれることができて、今、生きられるのは大自然のおかげであるとわかる。また死んでいってもアミダさまの世界である」 「人間は一息ごとに生きられているので、生きているということは、今のこの一呼吸でしかない、次の一呼吸もとはいえない」 「法然上人は生きていることの原点をナムアミダブツと一息でいえる言葉に見出した。今わたくしが生きている深い内容を一息でいえる言葉、一語で全仏教をおさめ得る言葉は、言語学の上からもナムアミダブツの他にない」 「法然上人は大小乗の全仏教を体系化して、念仏の一語にしぼり込んだのである。それは日本の宗派仏教で説く念仏ではない」 「もとのインド語のナムアミダブツは、人間のくらしの中で一方的に損とか得とか、善いとか悪いとか、つまるつまらぬということはないという意味だから、目先でいかなるマイナスとみえることの中にも、人間一人ひとりが生まれ甲斐を全うし、それぞれなりに人生を実らすことのできるかぎりないプラスがある。  目先の損得でうろうろせずナムアミダブツで大自然の息吹きにふれて永遠の今を生きよう」 (JOBK(NHK大阪第一放送)「こころの時代」抄録 一九九五年(平成七年)四月十一日〜十二日) (龍飛水編『廿世紀の法然坊源空 山本空外上人聖跡素描』無二会 137頁)  空外先生は、「ナムアミダブツ」は「 日本の宗派仏教で説く念仏ではない」と明言されている。それは前掲した、以下の引用からもうかがえる。 『墨美 山本空外 ー 書論・各観 1979年7月号 No.292』墨美社  「たとえば良寛和尚(1757-1831)のごとき、その書は禅僧として随一のこと周知のとおりであるが、さすがにいのちの根源ともいうべき阿弥陀仏と一如の生活に徹していたのであろう。道詠にも、  草の庵ねてもさめても申すこと 南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏  不可思議の弥陀の誓ひのなかりせば 何をこの世の思ひ出にせむ  我ながら嬉しくもあるか弥陀仏の いますみ国に行くと思へば などがある。これは曹洞宗の禅僧としては、むしろ当然でもあるとい

「山本空外『書論・各観_2/2」

一昨夜、 ◆『墨美 山本空外 ー 書論・各観 1979年7月号 No.292』墨美社 ◇ 山本空外「書論・各観」(28〜39節) の再読を終えた。「書論序観」,「書道通観」,「書論・各観 」、「三観」の最後をなすものである。 「屋漏痕の如し」(董内直「書訣」、『漢渓書法通解』巻第六、十三丁)。「屋根から雨が漏った「水滴の一点」を書いてこそ「点」にもなる書道」(42頁)とは、いかにも他意なく無作為である。 「点のことを「側」と」いうが、 30,31 節では、 「いわゆる『永字八法』」の「はじめの「側」点について」、「点之祖」(『書法正伝』巻二、五丁)」から「二十三に限定」し、「側法異勢」( 『漢渓書法通解』巻四 )「と比較補足し」つつ解説している。が、もとより「細説していけば際限」のないものであり、私の手には負えず走り読みした。  32 節以降では、「書法」がとり あげられているが、これとて際限のないものであり、山本空外は、もっぱら  六朝(梁)の蕭子雲(486-548)書の「十二法」 について述べている。 「点之祖」と同様に「十二法」も走り読みか、と危惧していたが、それは「人間形成に対する十二法」といった内容のもので、興味深く、今回は、立ち止まりつつ、あるいは行きつもどりつしながら、味読した。巷間にあふれている「人生論」とは、品・格、広・深ともに比較の対象にならないものである。 「十二法」とは、「潔・空」,「整・放」,「因・改」,「省・補」,「縦・収」,「平・側」である。かぎ括弧で括った二法は、それぞれ相対・相補の関係を成し、アウフヘーベン(止揚)し、相照らし合って優位にたつものである。  一例をあげれば、 「『潔・空』二法のうえにはじめて「整・放」の弁証法が生きてくる。「整」と「放」とは対概念ともいえる。また相関概念とまで解してよいであろうか。両者相まって書の生命も躍如たるものがあるようであり、書にかぎらず、われわれの生活一般にしても同様であろう。「放」なき「整」も、「整」なき「放」も生命に乏しく、屍に類する。 (中略) こうした書体の各画にいたるまでの整合の書風に偏するのを他方に不可として、その解放を説くのが「放」の本意なのである。どこまでも正常に書かんとする「整」の書法ももとより当然ではあるが、といってその形式にとらわれたのでは書の生命は失われるから、「整」へ

「山本空外『書論・各観_1/2」

昨夜、 ◆『墨美 山本空外 ー 書論・各観 1979年7月号 No.292』墨美社  ◇ 山本空外「書論・各観」(28〜39節) の、「28,29 節」 の再読を終えた。手間どった。 「書論序観」,「書道通観」,「書論・各観 」、 「三観」の最後をなすものである。 「各観こそは各各性の行(ぎょう)観ともいうべきもので、まったく際限もないほど、書道を行ずるところにいかようにも取りくまれるし、掘りおこされもする。」「序・通二観を教門とすれば、各観は行門といえる。」(39 頁) 「色紙」や「桐箱」,「 肥松の盆」, 「つまり何に書くかによっても、その書の雅致を異にしてくるが、いかなる筆で書くかによっても、また古墨か新墨か、その新・古の各各のよさ、さらに濃・淡のすり方、したがって硯をも吟味せざるをえなくなる等々、それでわたくしはその各各の取りあわせを生かしきっていくところを重層立体的各各円成とも称して学術用語にもしている。」(39頁) 「中国・日本の仏教を通じて、八宗の祖と仰がれもするほどの印度仏教の代表的思想家、竜樹(150-250)が、仏教の根幹といえる『大品般若』を釈した『大智度論』の巻第四十三の一文を左に挙げて、そこにいわゆる「中道を行ずる」ことをくりかえし力説するのが、まさに筆跡に行ずる各観にあたるわけなのである。後述するが、その「中」とは価値のうえでは「極」、すなわち最高という意味になり、したがってこれ以上のないところを各人なりに生きる心証が筆致に生動する。各観に相応する人生をいかに論じてみたところで、けっきょく「般若波羅蜜」(「多」を付しても原語は同じで、この梵語は、「悟りの智慧で彼岸に到った」という意 )に帰するのほかない」 「40-41項)  竜樹の解釈 する「般若波羅蜜」の意味が理解できずに、繰り返し読んだ。私が読んだ「般若心経」の解釈とは、意を異にするものだった。ないがしろにするわけにはいかなかった。  たとえば、 「今は般若波羅蜜の体を明かす。何等かこれ般若波羅蜜なる。般若波羅蜜とは、これ一切諸法の実相にして、破すべからず、壊すべからず。(中略)  またつぎに常もこれ一辺、断滅もこれ一辺なり。この二辺を離れて、中道( 「極」,最高の意) を行ずる、これを般若波羅蜜となす。  またまた常と無常、苦と楽、空と実、我と無我等も、またかくのごとし。」(40-

「山本空外『書と生命 一如の世界(対談)』_2/2」

今日 昼すこし過ぎたころ、 ◆『墨美「書と生命 一如の世界」<対談> 山本空外 / 森田子龍 1976年12月号 No.266』墨美社 の再読を終えた。 本誌は、 「昭和五一年九月一二日放映 NHK教育テレビ ー 宗教の時間」 の筆記録である。時間的制約のなかでは、意をつくせず、時間的枠内のなかでこそ、最優先に伝えたい内容があり、私たち読者にとっても悲喜こもごもの対談となっている。  なお、森田子龍氏は 墨美社長である。 「そのまま          ー 煩悩即菩提 ー」 山 本  ここまで来て、人間というものについて考えをまとめてみたいのですが、先ず聖徳太子の   世間虚仮、唯仏是真 ということばが思い浮かんでまいります。  相対的・日常的な世界「世間」は、すべて虚仮であり迷妄である、とされ、そこを超えた一如の世界を「仏」としてとらえ、そこだけが真実だとされています。  相対次元と一如の世界とを明確に位置づけ、断固たる自信をもって評価を下されているわけです。(12頁) 「僧侶がいい書を残した」 山 本  でも空海にしても慈雲にしても良寛にしても日本の書道史では僧侶が手 本を示しておられるということはありがたいことだと思いますね。 森 田  書がいいということは、一如の人間に、先生のお言葉でいえば、主客を離れた無二的人間になっているから、つまり無礙自在に自分まるまるを生きているから、その人の書がいいということでしょう。それ以外に書がいいといえる理由はありえないと思うんです。 山 本  そうですね。(34頁) 「形を通し形を超えてその奥で          光るもの ー いのちの根源」 山 本  そうですよ。だから形式も大事だけれども、形式にとどまらずにもう一つ奥で光るというか動くというか、いのちの根源に取り組んで自分でなければ実らせないような人生を、書なら書のなかで、茶道なら茶道として、生かしてゆくことが本当の芸術とか文化といえるのではないでしょうかね。 森 田  そうだと思います。もう一歩を進めて今の形式的な問題、外側の問題をただ無視するのではなくて本当に外にとらわれない一如の自分が、そういう形式の意味を内から生かして出てゆく、それがないといかんわけですね。 山 本  そうですよ。わが国の書論の本に『鳳朗集』というのがありまして、「筆法は筆法にしておき、書くときは

「山本空外『書と生命 一如の世界(対談)』_1/2」

今朝 明けやらぬころ、 ◆『墨美「書と生命 一如の世界」<対談> 山本空外 / 森田子龍 1976年12月号 No.266』墨美社 を読み終えた。  以下、2018/11/06 のブログに引用した文章である。以来、「道具茶」について不審を抱いていた。 白洲正子『いまなぜ青山二郎なのか』新潮文庫 「『道具茶』といふ言葉は偶像崇拝の意味だらうが、茶の根源的な観点は空虚にある様に思はれる。真の意味で、道具の無い所に茶はあり得ないのである。一個の道具はその道具の表現する茶を語つてゐる。数個の道具が寄つて、それらの語る茶が連歌の様に響き合つて、我々の眼に茶道が見えるのである。何一つ教はらないのに、陶器に依(よ)つて自得するのが茶道である。」(青山二郎『日本の陶器』) 「何一つ教はらないのに」といっているように、青山さんは茶道のことなんか、何一つ知らなかった。ひたすら陶器に集中することによって、お茶の宗匠の及びもつかぬ茶道の奥儀を極めたのだ」(83頁) 「書 論(書道哲学)」 『墨美「書と生命 一如の世界」<対談> 山本空外 / 森田子龍 1976年12月号 No.266』墨美社 山 本 (前略)書道哲学のことを書論といいます。厳密には論書といいますが、中国のも日本のもあらまし取り組みまして、そうすると本当に、書をかくなかに自己を見出すといいますか、自己が自己になっていくといいますか、自己が自然の大きないのちのなかに接する、そういう重点に気がつき出して、そうしてまた茶道といっても、茶席に入って一番に床にかけられた、大体は書です。絵というのは例外みたいなもので、書に頭を下げる。形式的に下げて結構ですといったらそれですむかもわからんけれども、それでは茶道でもなんでもないですね。取り組むからには結構ですといえる自分にはっきりしていなければならん。書道と茶道というものはそこで離すことのできないものです。そのほかにも、あるいは釜、あるいは水差、茶盌、棗(なつめ)、茶杓など、複合的な取り合わせの美ですね。ちょうど書道もそうです。書をかくのには筆、また硯、墨ですね、紙などに書くのですが、それぞれ何十通り、何百通り、何千通りとあるんです。その取り合わせでございまして、茶道でも掛けものと花生とが取り合わないと自然ではない、不自然になる。またそれらと釜も水差も茶盌も棗も茶杓もというように複合的なと

「山本空外_良寛の書を語る」

「良寛の道詠に   草の庵ねてもさめても申すこと   南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏 とあるが、良寛の筆致に見入るほどわたくしは「無縁の慈」の深みに感応する」 (『墨美 山本空外 ー 書と書道観(二)1973年6月号 No.231』墨美社 10頁) 「江戸期に相次いだ二大書家、いな二大仏者というべきであろうが、慈雲尊者(1718-1804)と良寛和尚(1758-1831)のごとき、いずれもそうであって、(各各一人ひとりのいのちの根源に迫って、その内面化において自己も悟入し、周囲をも照らす自・他平等の自由が深まる)そうした根源に帰入しなければ、いかに臨書しても、外形に終り、したがって書道でなく、書き方でしかない。  したがって極言すれば、良寛の書を終日臨書するよりも、和尚の晩年を追想できる越後、長岡国上山の五合庵を訪ねたほうがむしろましではなかろうか。当時ほど不便ではないが、それでも和尚の生活を深めた自然の趣を追跡できるからである。書は人なりといっても、その人間も心も形成されるのは生活と自然によるのであり、その生活も自然のなかでしかない。五合庵にいたる奥まった上下する細道を托鉢のために往来すること十四年(1804-1818)、途上の大木に問いかけて、去にし模様を聞かして欲しい気持をおさええないような環境でもある。そこで暫く乞食生活でもすれば、少しは良寛の書を理解できる道も開けるかもしれないが、現代人には至難のことであろう」 (『墨美 山本空外 ー 書と書道観(二)1973年6月号 No.231』墨美社 5頁) 現地におもむき、当地でふれ合えば「感応」することもあるだろう。「五合庵」、また一つ行き先がふえた。 「たとえば良寛和尚(1757-1831)のごとき、その書は禅僧として随一のこと周知のとおりであるが、さすがにいのちの根源ともいうべき阿弥陀仏と一如の生活に徹していたのであろう。道詠にも、   草の庵ねてもさめても申すこと  南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏  不可思議の弥陀の誓ひのなかりせば 何をこの世の思ひ出にせむ  我ながら嬉しくもあるか弥陀仏の いますみ国に行くと思へば などがある。これは曹洞宗の禅僧としては、むしろ当然でもあるというのがわたくしの見解でもある。 (中略) やはり心の芸術の奥にはいのちの原点に一如の光が照らさなければ、真実の深みはあらわれようがなかろう。書

「山本空外_『空』を語る」

今日の朝方、 ◆『墨美 山本空外 ー 書論・各観 1979年7月号 No.292』墨美社  を読み終えた。 「書論序観」,「書道通観」,「 書論・各観  」、「三観」の最後をなすものである。もちろん再読を促されている。 空外先生は、 「空」とは難かしくいえば「縁起」のことで(竜樹『中論』四)、これを説明して、「無自性の故に空なり、空亦(また)復(また)空なり」といわれる(青目、長行釈)。自性がないということを詳論すれば際限もないほどになるが、簡要にいえば、生きられていることへのおかげのことで、何一つ自分のてがらといえるものがないという意味になる。そのことを心に決めて、その覚悟で書けば「空」を書くことになろう。それでわたくしも南無阿弥陀仏と称名中に揮毫している。(『墨美 山本空外 ー 書論・各観 1979年7月号 No.292』墨美社 49頁) と書かれている。 『空』とは、「 簡要にいえば、生きられていることへのおかげのことで、何一つ自分のてがらといえるものがないという意味になる」と、空外先生は書かれているが、格の違いを感じている。

「山本空外『書道通観』_2/2」

昨日 、 ◆『墨美 山本空外 ー 書と書道観(二)1973年6月号 No.231』墨美社 ◇ 山本空外「書道通観」(17〜27節) を再読した。  初読に比すれば、ずいぶん明らかになったとはいえ、いまだに保留にしたままの箇所がある。  なお、「23〜26節」の「筆法・各論」では、「執・使・転・用・結」について論じられているが、 書道と無縁な私にとっては、とりわけ不分明な内容となっている。が、 「しかし書道は思想というよりも、行(ギョウ)じていくうちにかかる書のかける人間になるところに重点があり、したがっていかに分けて述べていても、畢竟するに筆端に帰一せしめられて、その筆者の心の深さに支えられなければならない。(14頁) 「自然の妙有に同じ、力運の能く成すところに非ず」(15頁) 「意前筆後」(「意は筆前に在り、字は心後に居る」(李華))」 (15頁) と、空外は結論づけている。 「こうした書論ないし書道史をいくら詳述したところで、それだけでは噂のくり返しに終るまでである。ここでの重点はかかる形式論でなく、 鍾繇(しょうよう)『宣示表』などの古 榻(星鳳楼帖)や王羲之『天朗 帖』 の初拓 ( 『群玉堂』中零本、祝枝山旧蔵)などのごときを親しく前にしてはじめて、前掲書論の生動するところに感応する深まりにほかならない。いずれもわたくしの秘蔵で、こうした類の古拓に親しむだけで、臨書はしないのである」(20節 6-7頁) 本誌には、「鍾繇書」,「王羲之書」の古拓の図版が掲載されている。楷書で書かれた「 鍾繇」 の、整然と文字が並んだ書は気高く優美であるが、「 王羲之 」の、書体は不明であるが、書は殺気立ち真剣勝負になり、長時間の鑑賞には耐えられないものとなっている。 「血法」, 「いわば書から血の出るような生きた筆致」とは反対に、殺伐の気を感じる。 「わたくしが臨書をしないのは、「形似」の弊を思うからでもある。唐宋八家の一にえられる蘇軾(そしょく)(1036-1103)も、「画を論ずるに形の似るを以てするは、見、児童と隣りす。詩を賦するに此の詩を必ずとするは、定めて詩を知る人に非ず」と論じて、「詩・画本一律」の観点のもとに、「形の似るを以てする」のを童見に準ぜしめながら、「形似」を越えた心境を重視しており、これはもとより書論にも相通ずるが、その根ざすところをたださなければ、書