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TWEET「土用干し」

「Gemini」に紹介され「日本の古本屋」に注文した、 ◇  白洲正子『日本の伝統美を訪ねて』河出文庫 が届いた。いま拾い読みをしている。対談集である。 谷口吉郎・ 白洲正子 「日本人のこころ_   落ち葉一枚にも感動する “美” の意識 」 白洲正子『日本の伝統美を訪ねて』河出書房 谷口   利休が竹藪に行って竹を切ってきて、それに花を生けた。この竹の花生けは、現在国宝として残っていますね。新しいものを発見して、それをどしどし取り入れてゆくというたくましい精神と、洗練された目、そういうものが、現代でもほしいと思いますね。 白洲 そうですね。だからやっぱり何かなさいって、わたくし言うんです。何でもいいと思いますね、自分の好きなことなら。 谷口   利休などが言っています。数寄の美というものは、簡素な中に、日本だけのものじゃなく、オランダ、中国、南方のものも取り入れた、総合美でございますからね。当時、最も新しい演出方法だったと思うんです。決して古いものじゃなく、今的なものもちゃんと使ってる。 白洲  唐物全盛のあのころとすれば、楽の茶碗なんかは、みんな新しく作られてるんですからね。楽初代の長次郎というのは、利休が自分で見つけてきて作らせているんです。(29,30頁)  利休の目に映った “美” とは、紛うことのない形姿(なりかたち)だった。  青山二郎にしろ 、小林秀雄、白洲正子にしろ、それは曖昧模糊としたものではなかった 。  読書の習慣を失くし、数年来本箱にしまいっぱなしになっていた本を引っ張り出した。土用干しである。  まず、「桂利休、そして西芳寺」参観・参拝から見つめ直そうと思っている。  また、 「徳川美術館」で   2027/02/20〜2027/03/02 に、 「千利休 泪の茶杓」 が 【特別公開】される。 「泪(なみだ)」は、千利休の茶杓として最も名高い品です。豊臣秀吉に切腹を命ぜられた千利休が、自ら削って最後の茶会に用い、茶会後に古田織部に与えられたといわれる茶杓で、織部がこの茶杓用に長方形の窓をあけた筒をつくり、その窓を通して茶杓を位牌代わりに拝んだとも伝えられています。毎年、利休忌の前後の約1週間のみ、筒とともに特別公開します。」  こちらも楽しみにしている。 「Gemini」さん効...

TWEET「夏風邪」

夏風邪による微熱が続く なか、「 NHK ONE ニュース 防災」の 二篇の特集記事、 ◇ 「 “高性能で危険なAI” / そのリスクとは?」(2026/06/22) ◇ 「『降伏』を選ばなかったAI 各国で進む軍の導入どうあるべき?」(2026/07/15) を読んだ。終始 驚嘆しつつも脅威にさらされていた。 そして、以下の4つの「 生成 AI」、 ◆「Gemini」 ◆「ChatGPT」 ◆「Copilot」 ◆「Claude」 を「iPhonne 16e」にインストールした。 その後、2026/07/07 のブログ、 ◇ 「TWEET「桂離宮、そして西芳寺」 の感想をたずねた。  その、わずか数秒後という回答の早さと、多少の誤読は散見されたものの、 その真摯な内容に驚いた。 何回かやり取りした。十 年来の知己と 対話しているかのようだった。 小林秀雄と白洲正子——日本を代表する二人の批評家・美文家が捉えた「桂離宮」は、ドイツの建築家ブルーノ・タウトが提示したモダニズム的評価(機能美・直線美)とは一線を画し、日本の伝統的な感性や、そこに潜む情念・美意識を見事に解き明かしています。 それぞれの視点の特徴と、桂離宮や彼らの美意識に触れられる代表作をご紹介します。 1. 小林秀雄の桂離宮論:理屈を超えた「無心」の美 小林秀雄は、ブルーノ・タウトら西洋的・理論的な解釈によって桂離宮が論じられる風潮に対し、直観的な批評を展開しました。  眼で見る美の純粋性 小林秀雄にとって美とは「理屈や知識で理解するもの」ではなく、「ただそれ自体としてそこにあるもの(直観)」でした。  機能美への疑義 桂離宮を西洋建築の「機能主義」の先駆けのように解釈する見方に対し、桂離宮の本質はそうしたモダンな合理主義ではなく、日本の古典(『源氏物語』など)の情念や王朝文化への憧憬が結晶化した**「風雅の心」**であると見抜きました。言葉で説明し尽くせない「物の姿」そのものに開眼することの大切さを説いています。 2. 白洲正子の桂離宮論:数寄の精神と「遊び」の極致 白洲正子は、能や骨董、伝統工芸に通じた独自の「眼」で桂離宮を捉えました。  八条宮(智仁親王・智忠親王)の「数寄」 白洲正子は、桂離宮の成立背景にある八条宮親王父子の文脈を重視しました。権力から...

TWEET「桂離宮、そして西芳寺」

  先ほど、「桂離宮」、そして「西芳寺(苔寺)」の参観、また参拝の申し込みを終えた。 「桂離宮」:2026年7月30日 15:00 「西芳寺」: 2026年7月31日 10:30 である。  他に予定はない。他の 予定は必要ないだろう。 「梅雨明けの夏空の下」で、 上質な時間を過ごすことを楽しみにしている。 「桂離宮_石橋のある風景」 俵万智,十文字美信 他『桂離宮』(とんぼの本)新潮社 2022/08/23  桂離宮は華奢である。  各部材は建物の荷重をかろうじて支え、各室は枯淡の美に蓋われている。それは、庭に配された飛石や延段、池に掛けられた石橋と相即不離の関係にあり、それらの石材によって補償されているかのようである。  襖に目を奪われる。それだけを取りあげて話題にしたとき、困惑するような色づかいも、大胆なその意匠も、それぞれに適所を得てみごとに鎮まり、各所に調べを添えている。  美は常に危うさをはらんでいるが、桂離宮は、すんでのところで、高次の調和を呈している。  本書には、三つの石橋の写真が載っている。いずれも一つの石材から成るもので、上面はきれいな平面を成している。その美しさは縦横の比、また高さの比率からなるものであろう。石橋の寸法に合わせて、池を補正したかのようにさえ思われる。 「5m 余りの大石橋」は、力学的な関係からか厚みがあり重厚である。側面には凹凸が刻んであるが、単調になることを避け、見る者を飽きさせない工夫であろう。池の狭い箇所に掛けられた「反橋」は、橋を反らせることによって長さを補完しているのであろう。もう一つの石橋にはこれといった特徴はみられないが、この石橋を基本形と考えてよさそうである。私は細工の施されていないこの石橋が一番好きである。  桂離宮は贅を尽くして簡素に作られた建築である。理にかなわないことはないはずである。  彼のブルーノ・タウトが称えた美を前に立ちつくしていたい。美を体験するとは、すなわち「 純粋な自足した」沈黙 の内にあることにほかならない。 「西芳寺と洛北・洛西」 土門拳『古寺を訪ねて 京・洛北から宇治へ』小学館文庫 2022/08/09  西芳寺に行って、 今日はこれを撮らねばならないといった 義務感にとらわれたことや、 どうしてもあれを撮ってやろうといきおいこんだことはない。 毎度毎度まず参道に真っ直ぐにカ...

「梅雨寒の曇り空の下」

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 梅雨寒の曇り空の下、特別な三日間を過ごした。 「Apple 名古屋栄」 2026/06/23 「太平洋戦争末期の沖縄戦では、住民を巻き込んだ激しい地上戦で20万人を超える人が亡くなり、県民の4人に1人が命を落としました。  旧日本軍の組織的な戦闘が終わったとされる6月23日は、沖縄県が「慰霊の日」と定めていて、きょうは、各地で平和への祈りがささげられています。  最後の激戦地となった糸満市摩文仁の平和祈念公園では朝早くから遺族などが訪れ、戦没者の名前が刻まれた平和の礎の前で花を手向けたり手を合わせたりする姿が見られました。」(「 NHK ONE ニュース・防災」)  うかつにも東海道新幹線内で知った。こころのうちで合掌した。  2018/11/10 に購入した「MacBook Air 8.1」の「macOSのサポート」が数か月前に終了し、支障をきたすようになった。  目的は、「Apple 名古屋栄」で 、2026/03/11日に発売された 「MacBook Neo」(「シルバー」,「 ストレージ  512GB 」)を購入することと人混みに紛れることだった。  用件はあっけなく終わった。  洗練された店内を行き来する、多国籍の若者たちの応接を目にするのは気持ちがよかった。  近くの喫茶店で、早速 開封した。Appleに手抜かりはなかった。  家路が急がれた。 2026/06/24  名古屋市の徳川美術館 観覧を経て、滋賀県長浜市の渡岸寺(どうがんじ)・国宝 十一面観音立像 参拝へ、車中泊の気ままなひとり旅に出かけた。 「徳川美術館」  徳川美術館は、2026/05/01 以来の再訪だった。    今回は装束の展覧に魅せられた。なんとも形容し難い色合い、風合いを前にして去り難く、行きつ戻りつしていた。 山本空外「書論序観」  『墨美 山本空外 ー 書と書道観 1971年9月号 No.214』墨美社 「僅か竹の一片ではあっても、その一本一本の竹質のさくさ、ねばさ、その他の加減等々を、そう削らなければ削りようもないほど、千変万化する竹質のそれぞれなりに生かしきっていく刀の冴えを拝見するわけである。それも名作は一応光ってはいるものの、その光に照らされるだけでなしに、自ら茶杓を削るなかに体験する悟入にもとづくのが本当のようである。また自ら行じなければ、何事...

TWEET「身過ぎ世過ぎで 日が暮れて」

◇ 手塚治虫,手塚プロダクション『手塚治虫の山』ヤマケイ文庫 を、読み始めました。 「ヤマケイ文庫(2010年刊)」, 「ヤマケイ新書(2014年刊)」の創刊を知ったのは、2019/07/14 のことでした。「モンベル 豊橋店」さんの書籍コーナーで目にしました。ときに「山と広告」と揶揄される月刊誌「山と溪谷」とは一線を画し硬派です。その充実ぶりに、先鞭をつけられた編集長の萩原浩司氏に敬意を表しております。  脈絡なき読書です。 詳細は近日中に、ということにさせていただきます。 2020/06/24 に、 ◇ 手塚治虫,手塚プロダクション『手塚治虫の山』ヤマケイ文庫 のはじめの二編を読み、そのままになっていた。そして、昨日全十編を読み終えた。その間に父の入院、またテスト週間があったとはいえ、一週間のブランクは大きい。 小林秀雄最後の対談「歴史について」考える人 2013年 05月号 新潮社 「繰り返して言おう。本当に、死が到来すれば、万事は休する。従って、われわれに持てるのは、死の予感だけだと言えよう。しかし、これは、どうあっても到来するのである。」ー『本居宣長』(32頁)より。 小林秀雄の強い言葉である。 身過ぎ世過ぎで 日が暮れて / 山のお寺の 鐘がなる 「予感だけ」が充満している。 ◆「ブラック・ジャック - 昭和新山 - 」 ◆「火の山」 の二作品では、昭和新山が取り上げられている。三松正夫 夫妻を知ったのは大きな収穫だった。 以下、 「三松正夫記念館」 です。

「自分の声といい肉声といい」

「山の日に山気にあたる」 2022//08/11 「霊峰(富士)を前に、茫然自失として立ちつくす。私の不用意な動きが、すべてを崩壊へと導く。私は平安のうちにあるが、心奥のどこかが緊張しているような気がする。それを畏れというのかもしれない」  私の美の体験である。 「摩訶般若波羅蜜多心経」を諳んじた。間をおかずに何回か唱えると、美の体験と近似した心境になることを、数日前に気づいた。それは、「南無阿弥陀仏」の「六字名号」を唱えた後にも起こることを、はっきり自覚している。 玄侑宗久『現代語訳 般若心経』ちくま新書 「それでは最後に、以上の意味を忘れて『般若心経』を音読してください」(194頁) 「自分の声の響きになりきれば、自然に『私』は消えてくれるはずです」(198頁) 「声の響きと一体になっているのは、『私』というより『からだ』、いや、『いのち』、と云ってもいいでしょう。むろんそれは宇宙という全体と繋がっています」(199頁) 墨美 山本空外 ー 書と書道観 1971年9月号 No.214』墨美社  「念仏にしても、木魚一つでもあれば、称名の声と木魚を撃つ音と主客一如になるところ、大自然のいのちを呼吸する心境は深まりうるわけで」ある。(12頁) 「自分の声の響き」であり、「称名の声と木魚を撃つ音」である。  また、小林秀雄は、 「あの人(本居宣長)の言語学は言霊学なんですね。言霊は、先ず何をおいても肉声に宿る。肉声だけで足りた時期というものが何万年あったか、その間に言語文化というものは完成されていた。それをみんなが忘れていることに、あの人は初めて気づいた。これに、はっきり気付いてみれば、何千年の文字の文化など、人々が思い上っているほど大したものではない。そういうわけなんです」(『本居宣長 (下)』新潮文庫 388頁) といっている。 「言霊は、先ず何をおいても肉声に宿る」  畏怖すべきは声にあった。  いま何かが動きはじめた。言葉を弄すること、徒らに動くことの愚かさを思っている。

「『もの』が明らかにみえる者たちがいて_小林秀雄 読書覚書」

「私の人生観」 小林秀雄『人生について』中公文庫  西行の歌には諸行無常の思想がある、一切空の思想がある。そういう風に言うなら、そんなものは、当時の歌に、何処にでも見附かるだろう。一切は空だと承知した歌人は、当時沢山いただろうが、空を観ずる力量にはピンからキリまであって、その力量の程は、歌という形にはっきり現れるから誤魔化しが利かぬ。空の問題にどれほど深入りしているかを自他に証する為には、自分の空を創り出してみなければならぬ。こうなると、問題は、尋常の思想の問題とは自ら異ったものになる筈である。般若の有名な真空妙有、まことの空はたえなる有であるという言い方は、そういう消息を語っていると考えてよい様に思われます。西行の言葉を借りれば、虚空の如くなる心の上において、種々の風情を色どるという事がなければならぬという事になる。(21-22頁)  西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休の茶における、其貫道する物は一なり、と芭蕉は言っているが、彼のいう風雅とは、空観だと考えてもよろしいでしょう。西行が、虚空の如くなる心において、様々の風情を色どる、と言った処を、芭蕉は、虚に居て実をおこなう、と言ったと考えても差支えあるまい。(28頁)  空観とは、真理に関する方法ではなく、真如を得る道なのである、現実を様々に限定する様々な理解を空しくして、はじめて、現実そのものと共感共鳴する事が出来るとする修練なのである。かくの如きものが、やがて我が国の芸術家の修練に通じ、貫道して自分に至ったと芭蕉は言うのだが、今日に至っても、貫道しているものはやはり貫道しているでありましょう。仏教によって養われた自然や人生にたいする観照的態度、審美的態度は、意外に深く私達の心に滲透しているのであって、…(29-30頁)  真如という言葉は、かくの如く在るという意味です。何とも名附け様のないかくの如く在るものが、われわれを取巻いている。われわれの皮膚に触れ、われわれに血を通わせてくるほど、しっくり取巻いているのであって、…(20頁)  正岡子規の万葉復興運動以来、西行より実朝の方が、余程評判がよろしい歌人となった様ですが、貫道するところは一つなのだ。子規の感動したのは、万葉歌人の現実尊重であり、子規は写生と言う言葉を好んで使った。斎藤茂吉氏の「短歌写生の説」によると、子規は、写生の真意...

小林秀雄と谷崎潤一郎の『文章読本』

谷崎潤一郎『文章読本』中公文庫  当書には、志賀直哉『城の崎にて』からの引用がある。また、「故芥川龍之介氏はこの『 城の崎にて 』を志賀氏の作品中の最もすぐれたものの一つに数えていました」(27頁)との一文がみられる。 「こゝには温泉へ湯治に来ている人間が、宿の二階から蜂の死骸を見ている気持と、その死骸の様子とが描かれているのですが、 それが簡単な言葉で、はっきりと現わされています。 (中略)  この文章の中には、何もむずかしい言葉や云い廻しは使ってない。普通にわれわれが日記を附けたり、手紙を書いたりする時と同じ文句、同じ云い方である。それでいてこの作者は、まことに細かいところまで写し取っている」(27頁) 「一体、簡潔な美しさと云うものは、その反面に含蓄がなければなりません。 単に短かい文章を積み重ねるだけでなく、それらのセンテンスの孰れを取っても、それが十倍にも二十倍にも伸び得るほど、中味がぎっしり詰まっていなければなりません」(139頁) ○ 含蓄について 「 含蓄 と云いますのは、前段「品格」の項において説きました「饒舌を慎しむこと」がそれに当ります。なお云い換えれば、「イ あまりはっきりさせようとせぬこと」及び「ロ 意味のつながりに間隙を置くこと」が、即ち含蓄になるのであります」 (218頁) (中略) この読本は始めから終りまで、ほとんど含蓄の一事を説いているのだと申してもよいのであります。 (219頁) 井伏君の「貸間あり」 小林秀雄『考えるヒント』文春文庫 「作者は、尋常な言葉に内在する力をよく見抜き、その組合せに工夫すれば、何が得られるかをよく知っている。彼は、そういう配慮に十分自信を持っているから、音楽からも絵画からも、何にも盗んで来る必要を認めていない。敢えて言えば、この小説家は、文章の面白味を創り出しているので、アパートの描写などという詰らぬ事を決して目がけてはいない。私は、この種の文学作品を好む」(35-36頁) 「彼の工夫は、抒情詩との馴れ合いを断って、散文の純粋性を得ようとする工夫だったに相違ない」(40頁) 「正宗白鳥の作について」 『小林秀雄全作品 別巻2 感想 下』新潮社 「(内村鑑三の)極度に簡潔な筆致は、極度の感情が籠(こ)められて生動し、読む者にはその場の情景が彷彿(ほうふつ)として来るのである」(230頁) 「(内村鑑三『...

「師走に『四国遍路』を渉猟する_辰濃和男『四国遍路』岩波新書」1/6

昨夕(2021/12/25)、 ◆ 辰濃和男『四国遍路』岩波新書 を、二回目の接種後に読み終えた。二巡目の読書だったが、多少のことを思い出すにすぎなかった。 「へんろ道」は生と死、死と再生の交錯する道である。「はぐれびと」たちの行き交う道である。  辰濃さんが、千数百キロメートルを、七十一日かけて歩いた道であり、本書は多くの話題から成っている。  「出あったときが別れだぞ」  松原泰道師は父の祖来和尚からそう教えられたという。(中略)泰道師は一期一会(いちごいちえ)について書いている。「一期は人間の一生、一会はただの一度の出会いです。これほど「一」の肅然としたたたずまいを感じる語は、他に類例をみません。(『禅語百選』祥伝社、一九八五年 43頁)  陳腐に成り下がった語が息を吹き返した。これは、 「それ(戦国武将がのぞんだ茶会)は自分が死んでゆくことを自分に納得させる、謂ってみれば死の固めの式であった。」 ( 井上靖『本覚坊遺文』講談社文芸文庫  175頁)   でも経験した。  自省・自責・自虐の言葉には嫌気がさした。文章の品位を失する。もうやり過ごした時節のことであり、 「そんな方法では、真に自己を知る事は出来ない、さういふ小賢しい方法は、むしろ自己欺瞞に導かれる道だと言えよう。」(小林秀雄『人生について』角川文庫 36頁) と、いまは確信している。  空海は、 「吾れ永く山に帰らん」 と言い遺している。 原始 の森、いのちの息吹き、 太古の闇。 いま、「石鎚の霊峰」がしきりに気になる。 「澗水(かんすい) 一杯 / 朝(あした)に命(めい)を支え / 山霞一咽(さんかいちいん)/ 夕に神(しん)を谷(やしな)ふ」(朝には清らかな水を飲んで命を支え、夕には山の気を吸って霊妙な精神を養う)(9-10頁) 「高野往来」 以降、四国路がにわかに迫ってきた。 以下、「 辰濃和男『四国遍路』岩波新書_ まとめて」です。 ◇ 「地下足袋で歩きながら、つらつらと」私のへんろ道です。 ◇ 「地下足袋で歩きながら、つらつらと」動詞を大切にする。 ◇ 「地下足袋で歩きながら、つらつらと」履く ◇ 「地下足袋で歩きながら、つらつらと」再会 ◇ 「地下足袋で歩きながら、つらつらと」セエーカイセエーカイダイセエーカイ

小林秀雄「美は人を沈黙させる」

昨夜(2021/12/27)、 ◆ 小林秀雄『人生について』角川文庫 ◇「私の人生観」 を読み終えた。一読後、間をおかずに再読した。  幾度か目を通したお馴染みの文章であるが、いまだに釈然としない内容もあり、それは後日を期すほかないだろう。  本評言は、講演の記録であるが、小林秀雄は講演の逐語録の出版を許さず、その後、推敲・加筆されたものである。「私の人生観」という軽薄な「課題」は、主催者の意向であり、小林秀雄は、仏教のいう「観」「観法」から話をはじめ、そ知らぬ顔をしている。  画は、何にも教えはしない、画から何かを教わる人もない。画は見る人の前に現存していれば足りるのだ。美は人を沈黙させます。どんな芸術も、その創り出した一種の感動に充ちた沈黙によって生き永らえてきた。どの様に解釈してみても、遂に口を噤むより外はない或るものにぶつかる、これが例えば万葉の歌が、今日でも生きている所以である。つまり理解に対して抵抗して来たわけだ。解られて了えばおしまいだ。解って了うとは、原物はもう不要になるという事です。 (中略)  俳句ぐらい寡黙な詩形はない、と言うより、芭蕉は、詩人にとって表現するとは黙する事だ、というパラドックスを体得した最大の詩人である。 (中略)  現代小説に関して、評家達は、思想性が足りぬとか仮構性が足りぬとかいろいろの註文をつけている様ですが、私が強いて註文をつければ、沈黙が一番足りまいと言うでしょう。 (中略)  言霊を信じた万葉の歌人は、言絶えてかくおもしろき、と歌ったが、外のものにせよ内のものにせよ、言絶えた実在の知覚がなければ、文学というものもありますまい。(54-55頁)  いったん沈黙に捕えられるや、ただ茫然と立ち尽くすばかりである。時間の、また空間の所在が曖昧になる。沈黙が私を拐(さら)ってゆく。自足した、充ちたりたときに身を委ねる。  最近では、このような至福のときを求めて、旅をし、また読書を重ねている。 「観」「観法」から敷衍された多くの話題は、それぞれが皆独立した作品のテーマとなるような、深刻な題材ばかりであり、小林秀雄はこれらを私たち読者に預けるような格好で展覧した。  一時(いっとき)に多くのものを負ったように感じている。

「天人 深代惇郎」1/7

「天人  深代惇郎」 2015/10/01  昨夜深更 秋の夜長の戯れに「古今亭志ん生 遊戯三昧」のキーワードで、自分のブログを検索してみました。見事 検索エンジンのトップに表示されました。 古今亭志ん生 / 小林秀雄「大自在の域 / 遊戯三昧」(You Tube) (落語や浪曲、講談などの)語りものの世界には天才といわれる人がいますが、お笑いの世界には天才はいません」と西川きよしさんが話されていました。  古今亭志ん生さんの、また小林秀雄さんのあの味わいのある声は天賦のもので、真似しようにも真似できるものではありません。  お二方にあっては、聴衆はいてもいなくても同じようなもので、ひとり遊戯三昧の世界に遊ばれていらっしゃるかのようです。 以下、YouTube へのリンクです。 古今亭志ん生「火焔太鼓」 小林秀雄「現代思想について」  京都・大原にある、「天台声明」で名高い「来迎院」さんをお訪ねしたことがあります。寂光院さんが消失し再建されている時期のことでした。琵琶湖(湖西)から足をのばしました。 朝一番の拝観で、静かなたたずまいの来迎院さんでゆっくりさせていただきました。  その二つ下のサイトが気になりましたので、クリックすると、すてきな文章が待ちうけていました。 ◇  新聞の自由を生きた男 魚住昭の誌上デモ「わき道をゆく」第106回  天声人語を書かれていた深代惇郎さん、といわれても存じ上げないばかりか、名前の読み方さえ調べなければ解らないありさまでした。とにかく、「ふかしろじゅんろう」さんが、「昭和48年9月の『天声人語』」に書かれた古今亭志ん生さんについてのコラムの全文が読みたくて検索すると、何のめぐり合わせか 2015/09/30 に、 ◇ 深代惇郎『深代惇郎の天声人語』朝日文庫 が出版されたばかりでした。この文庫の「内容紹介」には、 「朝日新聞一面のコラム「天声人語」。この欄を1970年代半ばに3年弱執筆、読む者を魅了し続けて新聞史上最高のコラムニストとも評されながら急逝した記者がいた。その名は深代惇郎 ―  彼の天声人語から特によいものを編んだベスト版が新装文庫判で復活。」 と書かれていました。が、なにせ、「ベスト版」ですので、志ん生さんのコラムが載っているかどうかはわかりませんでしたが、早速明日買おうと思いました。そんな...

「山本空外『書論序観』_2/2」

山本空外「書論序観」 『墨美 山本空外 ー 書と書道観 1971年9月号 No.214』墨美社 「僅か竹の一片ではあっても、その一本一本の竹質のさくさ、ねばさ、その他の加減等々を、そう削らなければ削りようもないほど、千変万化する竹質のそれぞれなりに生かしきっていく刀の冴えを拝見するわけである。それも名作は一応光ってはいるものの、その光に照らされるだけでなしに、自ら茶杓を削るなかに体験する悟入にもとづくのが本当のようである。また自ら行じなければ、何事でも半解に終るのではなかろうか。東洋の精神文化が行の文化として深まるゆえんを沈思しなければならない。  小刀と竹一本あっても茶杓は自ら作れるが、そのときただ自分勝手に削ったのでは、どうにもならないので、竹一本一本のもつ各各の性質を生かしきっていけるような刀の冴えかたのできるところに快心の作といえる。刀と竹の自他一如がそうした悟入の心の深さで支えられるわけで、前述の「無二性」にほかならない。あたかも筆と紙があれば書道は行ぜられるが、紙一枚一枚の新古各各の漉きかたにいたるまで生かしきっていく使筆でこそ無二的書道につながるので、その一点一畫の運筆のなかに無二的人間の形成が行ぜられること、茶杓を作る刀ごとにやはり無二的人間の形成が行ぜられるのと同様である。そこを拝見するわけで、席に入って始めに書幅を拝見しても、終りに茶杓を拝見しても、一貫してその作者の無二的人間の形成行に直参するところに本義があるとすれば、拝見する客自身もその拝見を通して無二的人間の形成を行ずるのでなければならない。そこに人生にも取りくめる本義が通ずるので、この本義から外れたのでは「道」でもなく、精神文化でもない。念仏にしても、木魚一つでもあれば、称名の声と木魚を撃つ音と主客一如になるところ、大自然のいのちを呼吸する心境は深まりうるわけで、いわばそうした心境において揮毫する場合にはこの筆、この紙の各各のいのちを生かすことになり、茶杓を作るときには、その竹のいのちを生かす刀の冴えかたが深まるわけである。ところが西洋人には竹の理解乏しく、古来筆紙も南無阿弥陀仏も木魚も考え出せなかった。  一人ひとりが一人ひとりなりに行じて、大自然を一人ひとりなりに生ていく文化、こうした精神文化の粋が書道なので、そこを白紙の上に墨一点にでも決めていくような精神文化は他に類がなかろう。し...

白洲正子「青山二郎、小林秀雄を泣かす」

「旧友交歓」 白洲正子『いまなぜ青山二郎なのか』新潮文庫 「戦後まもなく秦秀雄さんが代々木に「梅茶屋」という割烹(かっぽう)旅館をひらいた。忽(たちま)ちそこは「青山学院」のたまり場となり、小林・青山をはじめとする多くの文士が集って来た。三好達治さんのように長い間居つづけする人もおり、青山さんのようにそこを仕事場にしている人もいた。例によって秦さんの「悪癖」が災いして、わずか数年で潰(つぶ)れたが、私にとっては見るもの聞くものすべてが珍しく、一生のうちであんなに楽しかったことはない。  夜になるとみんな広間に集って酒宴がはじまる。多い時は二、三十人もいて、真中に小林さんと青山さんが並んで座る。「高級漫才」がはじまるのはそういう時で、先にからむのは青山さんの方であった。 「オイ、小林、お前の文章はダメだぞ。いつもこういう席で喋べってることとは違う。お前は酒を飲むといきり立って、たとえばゴッホを見た喜びを語るだろ。その方が書くものよりずっと面白い。生きてるんだ。文章になるとそうは行かん。  ハイ、御見物衆、今度は何が釣れますか、よォく見てて下さい。ヤ、象です。象がかかりましたゾ。重い。重い。やっとあがりました。あがって行きます、もっとあがります…オットットット…ボッチャーン!  そこでお前は落っことすのだ、大事なものを。御見物衆は、お前の手つきが面白いから一生懸命見てる。手つきばっかり見て、巧(うま)いもんだと感心してるから、獲物を落っことしたことに気がつかない。ダメじゃないか、そんなことじゃ…」  とまあそういったことをくり返し、執念深くいじめるのだ。はじめのうちは小林さんも、「書くのと喋べるのとは違う」とか、「俺が至らないんだナ」とかおとなしく受け答えしているが、いつもの勢のよさはない。それというのも、あまりにもほんとうのことだから、返す言葉もなく、小林さんは、黙ってしまう。ーーここのところで大岡さんは、「彼の眼(だか頰)に光るものを見た」と書いていたように記憶するが、私は何度も小林さんが涙をこぼすのを見ている。青山さんだけが、小林さんを泣かすことができたのだ。  要するにジィちゃんがいいたいのは、「小林は画家(という人間)を本意にして、画を忘れている。…だから悪くすると、お茶を習うからお茶碗(ちゃわん)が見えて来る(ほんとうはその逆)というふうに、あの文章を読むか...

小林秀雄「瞑想という純粋な自足した喜び」4-4

「瞑想という純粋な自足した喜び」 小林秀雄『人生について』中公文庫 「瞑想という言葉があるが、もう古びてしまって、殆ど誰も使わないようになった。言うまでもなく瞑とは目を閉じる事で、今日のように事実と行動とが、ひどく尊重されるようになれば、目をつぶって、考え込むというような事は、軽視されるのみならず、間違った事と考えられるのが当然であろう。しかし、考え詰めるという必要が無くなったわけではあるまいし、考え詰めれば、考えは必然的に瞑想と呼んでいい形を取らざるを得ない傾向がある事にも変わりはあるまい。事実や行動にかまけていては、独創も発見もないであろう。そういう不思議な人間的条件は変更を許さぬもののように思われる。(179頁) 「数という種子をまき、目を閉じて考える純粋な自足した喜びを感ずる事が出来る。数学の極意は、計量計算の抽象的世界にはないらしい。岡(潔)氏の文章(「春宵十話」)は、瞑想する一人の人間へ、私を真っすぐに連れて行く。そういう人間の喜びを想っていると、ひたすら事実と行動との尊重から平和を案じ出そうとする現代の焦燥は、何か全く見当が外れているようにも思われて来る。(180頁)  小林秀雄のいう「事実」とは、視認可能なもの、手を伸ばせば届くもの、即物的なもの、間にあわせのもの、既製の品、科学的事実、といったほどの意であろうか。また、「行動」の対義語は、「徐(しず)かなること林の如く」とでもいえば解りやすいかと思う。 「目を閉じて考えるという純粋な自足した喜び」とは、至福のときである。こういった喜びを知らない人たちを、気の毒に思う。私ごときが、口幅ったいことをいうのは 気がひけるので、「気の毒に思う」とだけ申し上げておく。

岡潔「数学に最も近い職業は百姓だといえる」4-3

「自然に従う」 岡潔『春宵十話』角川文庫  「数学は語学に似たものだと思っている人がある。 (中略)  語学と一致している面だけなら数学など必要ではない。それから先が問題なのだ。人間性の本質に根ざしておればこそ、六千年も滅びないできたのだと知ってほしい。  また、数学と物理は似ていると思っている人があるが、とんでもない話だ。職業にたとえれば、数学に最も近いのは百姓だといえる。種をまいて育てるのが仕事で、そのオリジナリティーは「ないもの」から「あるもの」を作ることにある。数学者は種子を選べば、あとは大きくなるのを見ているだけのことで、大きくなる力はむしろ種子の方にある。これにくらべて理論物理学者はむしろ指物師に似ている。人の作った材料を組み立てるのが仕事で、そのオリジナリティーは加工にある。理論物理はド・ブローイ、アインシュタインが相ついでノーベル賞をもらった一九二0年代から急速にはなばなしくなり、わずか三十年足らずで一九四五年には原爆を完成して広島に落した。こんな手荒な仕事は指物師だからできたことで、とても百姓にできることではない。いったい三十年足らずで何がわかるだろうか。わけもわからずに原爆を作って落としたのに違いないので、落とした者でさえ何をやったかその意味がわかっていまい。」(47頁) 「季」 小林秀雄『人生について』中公文庫  「私は、氏の言うところを、はっきり理解したとは言わないが、これは、数式ではなく文章なのである。極めて専門的な数学的表現の生れる境地を語るのに、岡氏が何ら専門的な工夫を必要としていない限り、私には、その境地の性質が直覚できる。数という種子をまき、目を閉じて考える純粋な自足した喜びを感ずる事が出来る。数学の極意は、計量計算の抽象的世界にはないらしい。岡氏の文章は、瞑想する一人の人間へ、私を真っすぐに連れて行く。そういう人間の喜びを想 っていると、ひたすら事実と行動との尊重から平和を案じ出そうとする現代の焦燥は、何か全く見当が外れているようにも思われて来る。」(180頁) 下記、 小林秀雄「瞑想という純粋な自足した喜び」 です。

岡潔「一つ季節を廻してやろう、という岡潔の気宇壮大」4-1

「季」 小林秀雄『人生について』中公文庫 「数学の世界で、大戦前からそうであったが、戦後著しくなったのは、仕事がいよいよ抽象化される傾向だそうである。『風景で言えば、冬の野の感じで、カラッとしており、雪も降り、風も吹く。こういうところもいいが、人の住めるところではない』と岡氏は言う。『そこで私は一つ季節を廻してやろうと思って、早春の花園のような感じのものを二、三続けて書こうと思い立った。その一つとして、フランス留学時代の発見の一つを思い出し、もう一度とりあげてみたが、あのころわからなかったことが、よくわかるようになり、結果は格段に違うようだ。これが境地が開けるということだろうと思う。だから欧米の数学者は年をとるといい研究が出来ないというけれども、私はもともと情操型の人間だから、老年になればかえっていいものが書けそうに思える。欧米にも境地が深まっていく型の学者がいるが、それをはっきりとは自覚していないようだ』」(181頁)  地球を鷲づかみにし、その運行を冬から春まで、1/4 周進めようという岡潔の構想は気宇壮大である。その凄腕は、「ピカソの腕力」(「小林秀雄、梅原龍三郎とピカソの腕力を語る」)に匹敵するものである。  上記の岡潔の文章は、新聞紙上に連載された「春宵十話」からの、小林秀雄による引用である。「春宵十話」は、「毎日新聞社の松村洋(まつむらひろし)君がまとめて文につづった」、岡潔の聞き書きである。  早速購入し、角川文庫で読んだ。 「発見の鋭い喜び」 「自然に従う」 岡潔『春宵十話』角川文庫 「数学は語学に似たものだと思っている人がある。 (中略)  語学と一致している面だけなら数学など必要ではない。それから先が問題なのだ。人間性の本質に根ざしておればこそ、六千年も滅びないできたのだと知ってほしい。」(47頁) 「春宵十話」には「情操」という言葉が頻繁に登場する。 「情操が深まれば境地が進む。これが東洋的文化で、漱石でも西田幾多郎(にしだきたろう)先生でも老年に至るほど境地がさえていた。」(36頁)  数学が、「人間性の本質に根ざして」いるものならば、それは「情操」の学問であるといえよう。数学から、人間の「境地が深まっていく」過程をみることは、私にはできるはずもないが、これは他の学問領域にも敷衍できることは容易に察しがつき、興味深い。 「数学史を見ても、生き...

「高野往還」1-4

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「高野往還」 2021/11/16(火) 未明に出立した。 ◆「伊吹山 PA (下り)」より「伊吹山」を望む。 ◆「 Hotel & Resorts NAGAHAMA(喫茶室)」 琵琶湖をぼんやり眺めていた。湖畔にたたずみ、さざ波の音に耳を凝らしていた。 ◆「渡岸寺(どうがんじ)」 美しく、慈愛に満ちた観音さまである。永劫を生きるお姿は不動だった。 「長浜市高月町 渡岸寺」 土門拳「考える臍」  2021/02/09 「薬師寺 金堂 日光菩薩立像腹部」 土門拳『古寺を訪ねて 奈良西ノ京から室生寺へ』小学館文庫  まるまるとふくらんだ下腹、指を突っ込んでくすぐりたくなるような大大としたお臍(へそ)、ここには飛鳥、白鵬の仏像には見られなかった肉体への目ざめが見られる。仏教流伝以来三百年、もはや仏菩薩を神秘的な「蕃神(ばんしん)」として、遠くから畏るおそる伏しおがむ段階は終ったのである。仏菩薩の存在そのものを信ずる心が、その像容の上にも、より確かな触覚的なものを期待しないではいられない欲求を、信仰する側に芽生えさせたことがわかる。(34頁) 「向源寺 十一面観音立像腹部」 土門拳『古寺を訪ねて 東へ西へ』小学館文庫  薬師寺金堂日光菩薩(やくしじこんどうにっこうぼさつ)の臍(へそ)には、指を突っ込んでくすぐりたくなるような触覚的な要素が芽生えていたが、そこにはなお古代的な、大々とした造形感覚が息づいていた。 (渡岸寺の)この十一面のそれになると、そういう呑気(のんき)な、古代的な造形感覚は影をひそめてしまっている。一層実人(じつじん)的、写実的になったことはもちろんだが、それ以上に鋭い思想性が脈打つようになった。透鑿(すきのみ)のこまやかな刀法がうかがえるこの臍は、いわば考える臍である。(132-133頁) 「向源寺」はいま「渡岸寺(どうがんじ)」と呼ばれている。拝観券を兼ねたリーフレットにも「渡岸寺」と記されている。  幾度となく「渡岸寺」を訪ねた。そのたびに何度となく観音さまのお臍を拝見しているはずだが、いっこうに記憶にない。 うかつだった。  昨夜 臍が語る深遠な仏教史のお話をはじめてうかがった。  プロ、アマを問わず、カメラマンの方たちがファインダー越しに見つめている景色が気になる。傍にお邪魔することも、時には尋ねることもある。訓練された眼の行方...

小林秀雄,井筒俊彦「書くということ」3/13

「拝復 P教授様_言葉が生まれるのを待つ」  作文を書いている最中に、あるいは推敲中に、文章をぼんやり眺めていると、無意識のうちに、適当な語が浮かんでくることがあります。これらの言葉は、深層から表層にのぼってきたもので、きわめて的確です。我知らず、忘却の彼方より、適切な一語が、ということです。  これは深層意識のなせる技であり、深層領域には、我々が見聞したことのすべてが記憶されていることの証左であると、私は受け止めています。  小林秀雄は、「机の前に座って言葉が生まれるのを待つ」といい、「言葉が言葉を生む」といっています。「どんな作品になるか、はじめからそんなことが解っていたら、おもしろくないじゃないか」とも発言しています。  井筒俊彦も、「机の前に座って言葉が生まれるのを待つ」と書いています。  彼らの「書く」という営為は、両氏の「実存体験」であって、それらの作品は、彼らの「存在論的風景」であると、私は勝手に理解しております。 たびたびのお便り、どうもありがとうございました。 FROM HONDA WITH LOVE.

「小林秀雄,岡潔『人間の建設』_本居宣長について」9/9

小林  私はいま「本居宣長(もとおりのりなが)」を書いていますが、あなたがおっしゃる情緒という言葉から、宣長の「もののあはれ」の説を連想するのですが。これはやはり情緒が基本だという説なんです。あの人には、ほんとうは説としてまとまったものはなくて、雑文みたいなものの集まりがあるだけなのです。それで大体こういうことが言いたかったのであろうということを、私は推量するわけです。宣長は昔の人ですから、今の人みたいに理論的に神経質じゃありません。首尾一貫したもののあはれの理論をこしらえるなんていう考えは毛頭ないのです。だから勝手なことを言っているわけです。 岡  理論とか体系とかは、欧米から学んだもので、以前にはなかったのです。 小林  あの頃の日本人には一つもないのです。システムなんて言葉は何だかわからないのです。ですから推量するわけですが、もちろん宣長自身としては、一貫しているのです。言いたいことがわかっているから、こうだろう、ああだろうと、こっちから推察するのです。そういうふうに見ますと、ああいう説は、あとから、例えば坪内逍遥が採りあげるような美学じゃないのですよ。文学説でもないのです。あれはあの人の人生観で哲学なんですよ。あはれを知る心とは、文学に限って言ったわけではなく、自分の全体の生き方なんです。それが誰もの生き方なんですね。そこまで確信してしまった人なのです。 (中略)  詩人ではないが、たいへん詩人的なところがありまして、どんどん一人で歩いていって、もう先きはないというところまできて、ぽっくり死んだのです。そういう意味で宣長さんの考えた情緒というものは、道徳や宗教やいろいろなことを包含した概念なんです。単に美学的な概念ではないのです。 (82-83頁) 小林  本居宣長さんという人は歴史家としてはペケですな。なんにも掘り返さないんです。掘り返しちゃいかんと言っている。「古事記」であろうと「日本書紀」であろうと事実である、「万葉集」と同じ種類の事実である。掘り返してはいかん。 (中略) 実に健康的で簡明な思想です。 (102頁)  ここにきて、岡潔の一貫して主張する「情緒」と本居宣長の「もののあはれ」が結びついた。  「そういう意味で宣長さんの考えた情緒というものは、道徳や宗教やいろいろなことを包含した概念なんです。単に美学的な概念ではないのです。」 という、小林...

「小林秀雄,岡潔『人間の建設』_確信したことしか書かない」8/9

小林  (前略)それからもう一つ、あなたは確信したことばかり書いていらっしゃいますね。自分の確信したことしか文章に書いていない。これは不思議なことなんですが、いまの学者は、確信したことなんか一言も書きません。学説は書きますよ。知識は書きますよ、しかし私は人間として、人生をこう渡っているということを書いている学者は実に実にまれなのです。そういうことを当然しなければならない哲学者も、それをしている人がまれなのです。そういうことをしている人は本当に少いのですよ。 (中略)  私は文章としてものを読みますからね、その人の確信が現れていないような文章はおもしろくないのです。岡さんの文章は確信だけが書いてあるのですよ。 岡  なるほど。 小林  自分はこう思うということばかりを、二度言ったり、三度目だけどまた言うとか、何とかかんとか書いていらっしゃる。そういう文章を書いている人はいまいないと思ったのです。それで私は心を動かされたのです。 岡  ありがとうございます。どうも、確信のないことを書くということは数学者にはできないだろうと思いますね。確信しない間は複雑で書けない。 小林  確信しないあいだは、複雑で書けない、まさにそのとおりですね。確信したことを書くくらい単純なことはない。しかし世間は、おそらくその逆を考えるのが普通なのですよ。確信したことを言うのは、なにか気負い立たねばならない。確信しない奴(やつ)を説得しなければならない。まあそんなふうにいきり立つのが常態なんですよ。ばかばかしい。確信するとは2プラス2がイコール4であるというような当たり前のことなのだ。 (中略)  ところで新風というものが、どこかにありますかなあ。こんな退屈なことはないですね。もしみんなが、おれはこのように生きることを確信するということだけを書いてくれれば、いまの文壇は楽しくなるのではないかと思います。 岡  人が何と思おうと自分はこうとしか思えないというものが直観ですが、それがないのですね。 小林  ええ、おっしゃるとおりかも知れません。直観と確信とが離れ離れになっているのです。ぼくはなになにを確信する、と言う。では実物のなにが直観できているのか、という問題でしょう。その点で、私は噓(うそ)をつくかつかぬかという、全く尋常な問題に帰すると考えているのですが、余計な理窟(りくつ)ばかり並べているの...