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TWEET「大野晋に “御足労”を乞う」

「御足労」,「御苦労」の混同・誤謬を、時折 見かける。 昨日も眼にした。  以下、「御足労」の意である。 『精選版 日本国語大辞典_iOS アプリ』 ご‐そくろう ‥ソクラウ【御足労】 〘名〙 (「ご」は接頭語) 相手を敬って、その人にわざわざ来てもらったり、行ってもらったりすることをいう語。 *錦木(1901)〈柳川春葉〉九 「然うでしたか、其は何とも御足労ゴソクラウでした」 これを機に、以下、「再掲」です。 TWEET「精選版 日本国語大辞典_iOS アプリ」 2022/08/01  もう10年ほど前になるのだろうか。興味本位で電子辞書を買ったが、一覧性に欠け、不自由で、間もなくさしあげてしまった。  カシオの電子辞書には、 ◆「 精選版 日本国語大辞典」小学館  が収録されていて、魅力的だったが、購入するまでにはいたらなかった。  2017/01/17 に、 ◆「精選版 日本国語大辞典」(iOS アプリ) が、リリースされた。発売当初には破格のお値段だった、と知り、また購入したのは、2020/02/23 のことだった。8000円だった。だいぶ出遅れた感を抱いた 。 ◆ 『精選版 日本国語大辞典(紙)』小学館 は、3分冊の大部な辞書で、各冊 16500円の定価がついている。 なお、 ◆『日本国語大辞典(紙)』小学館 は、13巻と別巻1冊からなり、 各巻 16500円である。  その後、間もなく、 ◆「日本語シソーラス 第2版」 (iOS アプリ) ◆「角川類語辞典」 (iOS アプリ) ◆「三省堂 類語新辞典」 (iOS アプリ) をインストールした。作文には、言葉をさがし、言葉を言い換えるために、類語辞典(シソーラス)が不可欠である。  なお、上から三つのアプリは、「物書堂」さんの仕事であり、同じアプリ(「辞書 by 物書堂」)内に移動すれば、横断検索ができ、便利である。  コレクションとして購入したが、 意外にも、使用頻度が多く、重宝している。  また、ネット上の「コトバンク」さんの急進ぶりには、目を見張っている。際限なく成長し、どこ を目指しているのか、不気味な存在である。ただ、不愉快な広告が多いのには、閉口している。 当然、 ◆「精選版 日本国語大辞典」  も表示されるが、やはりダウンロードした「 iOS アプリ」に分がある。  ご自身...

洲之内徹「絵が絵であるとき」

  「男が階段を下るとき」 洲之内徹『人魚を見た人 気まぐれ美術館』新潮社 「批評や鑑賞のために絵があるのではない。絵があって、言う言葉もなく見入っているときに絵は絵なのだ。何か気の利いたひと言も言わなければならないものと考えて絵を見る、そういう現代の習性は不幸だ」(166頁) 「今年の秋」 洲之内徹『人魚を見た人 気まぐれ美術館』新潮社 「汗をかきながら興奮して撮影を続けていたMさんは、終ると、その間傍でただ呆んやり煙草をのんで眺めていた私に、 『取材はもういいんですか』 と、けげんそうに言った。そのとおりで、取材なんて面倒なことは、私は全然する気にならないのであった。美しいものがそこにあるという、ただそれだけでよかった」(90頁) 「秋田義一ともう一人」 洲之内徹『人魚を見た人 気まぐれ美術館』新潮社 「最近では、九月に、旅行の帰途ふとその気になって倉敷へ寄ったとき、時間がなくて大原美術館だけ、それも本館と新館とを三十分ずつ駈足で見て廻ったが、こういう見方にも思い掛けぬ面白さがあって、特に日本人の画家のものを並べた新館では、その一人一人の画家について従来いろいろと語られている美術史家や批評家の言葉を超えたその向こうに、その画家の存在はあるのだということを、なぜかしらないが、私は強く感じた。 (中略)  私は更に、日本人の油絵は、岸田劉生だろうと萬鉄五郎だろうと小出楢重だろうと安井曾太郎だろうと川口軌外だろうと鳥海青児だろうと松本竣介だろうとその他誰であろうと、みんな共通して、われわれ日本人のある切なさのようなもの、悲しみのようなものを底に持っている、と思った」(296頁) 「いまなぜ洲之内徹なのか」 下記の白洲正子の文章が発端となった。 「さらば『気まぐれ美術館』洲之内徹」 白洲正子『遊鬼』新潮文庫 「小林(秀雄)さんが洲之内さんを評して、「今一番の評論家だ」といったことは、週刊誌にまで書かれて有名になったが、 (中略)  だが、小林さんの言葉は私がこの耳で聞いたから確かなことなので、一度ならず何度もいい、その度に「会ったことないの?」と問われた。  変な言いかただが、小林さんは「批評」というものにあきあきしており、作者の人生と直結したものでなくては文学と認めてはいなかったのである。小林さんだけでなく、青山二郎さんも、「芸術新潮では洲之内しか読まない」と...

小林秀雄「国語伝統の底流」

小林秀雄『本居宣長 (上)』新潮文庫 「宣長が注目したのは、国語伝統の流れであった。才学の程が、勅撰漢詩集で知られるという事になっては、和歌は、公認の教養資格の埒外(らちがい)に出ざるを得ない。極端な唐風模倣という、平安遷都とともに始まった朝廷の積極的な政策が、和歌を、才学と呼ばれる秩序の外に、はじき出した。しかし、意識的な文化の企画には、言わば文化地図の塗り替えは出来ても、文化の内面深く侵入し、これをどうこうする力はない。生きて行く文化自身の深部には、外部から強いられる、不都合な環境にも、敏感に反応して、これを処する道を開いて行く自発性が備っている。そういう、知的な意識には映じにくい、人々のおのずからな知慧が、人々の共有する国語伝統の強い底流を形成している。宣長はそう見ていた」(321-322頁) 「言語伝統は、 其処に、音を立てて流れているのだが、これを身体で感じ取っていながら、意識の上に、はっきり描き出す事が出来ずにいる。言語は言霊という自らの衝動を持ち、環境に出会い、自発的にこれに処している。事物に当って、己れを験し、事物に鍛えられて、己れの姿を形成しているものだ。」( 322頁) 「言霊」という言葉は万葉歌人によって、初めて使い出されたものだが、「言霊のさきはふ 国」とか、「言霊のたすくる国」とかいう風に使われているので明らかなように、母国の 言葉という意識、これに寄せる歌人の鋭敏な愛着、深い信頼の情から、先ずほころび出た言葉である事に、間違いない。」 ( 322頁) 「言語は、本質的に或る生きた一定の組織であり、この組織を信じ、組織の網の目と合体して生きる者にとっては、自由と制約との対立などないであろう。この事を、彼(宣長)は、「いともあやしき言霊のさだまり」と言ったのだが、この言語組織の構造に感嘆した同じ言葉は、その発展を云々する場合にも、言えた筈である。」 ( 323頁)  宣長の見識を、小林秀雄が 達意の文で綴った 。それは以下の、 レオ・ヴァイスゲルバーが命名した、 「言語共同体の法則」と同等の内容のものである。 若松英輔『井筒俊彦―叡知の哲学 』慶應義塾大学出版会 「レオ・ヴァイスゲルバーは井筒俊彦が深い関心を寄せた二十世紀ドイツの言語学者である」(222頁) 「ヴァイスゲルバーは、人間と母語の関係に着目する。母語が世界観の基盤を形成し、誰もこ...

最相葉月「中井久夫『災害がほんとうに襲った時』 電子データの公開および無償頒布につきまして_02」

 2024/01/01 の能登半島地震後、以下のブログが、ぽつりぽつりと閲覧されるようになりました。情報を必要とされている、一人でも多くの皆様の目に留まることを願い、再掲いたします。 最相葉月「中井久夫『災害がほんとうに襲った時』 電子データの公開および無償頒布につきまして」 2021/01/17  1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災から26年が経ちました。「災害関連死」も含めて、6434人の方が亡くなられました。  中井久夫先生には、以下の著作があるのは承知していますが、そのままになっています。 ◇ 中井久夫『災害がほんとうに襲った時 ー 阪神淡路大震災50日間の記録』みすず書房 ◇ 中井久夫『復興の道なかばで ー 阪神淡路大震災一年の記録』みすず書房 負い目もあって検索していますと、 「阪神大震災のとき / 精神科医は何を考え、/ どのように行動したか」 「中井久夫「災害がほんとうに襲った時」 電子データの公開および無償頒布につき まして(最相葉月)」 と題されたサイトに出会いました。 http://lnet.la.coocan.jp/shin/shin00.html 以下、 中井久夫「災害がほんとうに襲った時」 http://lnet.la.coocan.jp/shin/shin01.html http://lnet.la.coocan.jp/shin/shinall.html http://lnet.la.coocan.jp/shin/mae.epub の無料頒布先です。 無料頒布は、 「まことに僭越と思いつつ無償配布のご提案を中井氏にいたしましたところ、「かまいません」と瞬時にご快諾いただきました。版元のみすず書房の担当編集者である守田省吾氏のご協力も得て、ここに公開させていただきます。一人でも多くの皆様に届きますよう、心当たりの方がおられましたらご案内いただけると幸いです。今、困難な任務に就いておられる皆様を心より応援いたしております。(2011年3月20日最相葉月)」 の経緯を経てなったものです。  26年目の今日、貴重な資料として大切に読ませていただきました。  震災でお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りしております。また、一刻も早い復興をご祈念しております。 本多勇夫

「永井荷風_破蓮」

 『曇天』 永井永光,水野恵美子,坂本真典『永井荷風 ひとり暮らしの贅沢』新潮社 「破れた蓮の葉はひからびた茎の上にゆらゆらと動く。長い茎は動く葉の重さに堪へず已に真中から折れてしまつたのも沢山ある。揺れては触合ふ破蓮(やれはす)の間からは、殆んど聞き取れぬ程低く弱い、然し云はれぬ情趣を含んだ響が伝へられる。」 (92頁) 荷風が見て取った、蕭条たる景色の美である。 以下、孫引きです。 「余韻が縹渺と存するから含蓄の趣を百世の後に伝ふるのであらう」(漱石『草枕』)

TWEET「インフルエンザ 蔓延の、兆候の報に接し」

 百閒先生に倣いて、玄関先の入り口に制札を貼ろうか、と考えている。 「予防接種を受けられたあなたへ 吾 保菌者との接触を好まず。 また、流行を追わず」 破蓮(やれはす)敬白 いかがなものであろうか?

「とにかく一ケタ違った本多勝一_その2」

 父の相続の手続きで、昨年末来 毎日 数字を眺めている。「三ケタ区切り」の数字は「不合理」で、その都度 ケタ数を目で追うのは不都合である。「植民地的」であり、「愚挙」である。 以下、2015/08/29 のブログ、 「とにかく一ケタ違った本多勝一」 の改訂編です。 「四ケタで点を打つ運動」 ( 158-160頁) 本多勝一『しゃがむ姿勢はカッコ悪いか?』朝日文庫 「ここでとりあげる『数字表記の際の点(コンマ)の打ち方』もまた、明白に不合理なまま強引な “慣習 ”として 一般化を押しつけられている例であろう。」 「たとえば 100,000,000 という数字表記を見て、もし一目で読める日本人がいれば、それは銀行マンや会計係のような、こういう表記になれた特別な職業の人とみてよいだろう。普通の人は、いちいちマルを数えないとわかりにくい。これでは何のために点を打ったのかわからなくなる。」 「なぜか。日本語は四ケタごとに(万、億、兆と)呼称単位が変わる万進法だからである。 」 「◆ 123,4567,8912,3456 例えば、「四ケタずつ」に区切られた上記の数字は、「123 兆  4567 億  8912 万  3456」と簡単に読むことができます。」 「なお、欧米は三ケタごとに「thousand(1,000)」,「million(1,000,000)」,「billion(1,000,000,000)」と呼称単位が変わる「千進法」ですから、「三ケタずつ」に区切られた下記の数字は、 ◆12,345,678,912 「12 billion 345 million 678 thousand 912」 と容易に読むことができます。」 「遠山啓(ひらく)氏(数学者)の言葉を借りれば、(中略)日本語は四ケタでないと不合理だし、使いにくい。三ケタ区切りは明治の欧化政策で直輸入したまま一般化したもので,物まねの典型といえます。」 「『植民地的三ケタ法』とも『 植民地的愚挙』とまでもいっています。」 ◆ 2015/08/15 本多勝一の著作で、いま 私の手元にあるのは、 ◇『日本語の作文技術』朝日文庫 ◇『山を考える』朝日文庫 ◇『カナダ=エスキモー』朝日文庫 ◇『植村直己の冒険』朝日文庫 ◇『北海道探検記』集英社文庫 の五冊の文庫本だけです。  では、私は「日本...

「老後無事」

 父の相続の手続きであたふたしている。年をまたぎ、その煩雑さの内に明け暮れしている。 Amazon に、 橘慶太『ぶっちゃけ相続「手続大全」 相続専門 YouTuber 税理士が「亡くなった後の全手続」をとことん詳しく教えます! 』ダイヤモンド社 を注文し、2024/01/08 に届いた。  多少の知識とわずかばかりの理解が役に立つ。  それにつけても思うのは、自らの老後のことばかりである。 「老後無事」 河上肇『閉戸閑詠』 捨て果てし身の なほもいのちのあるまヽに、 飢ゑ来ればすなはち食ひ、 渇き来ればすなはち飲み、 疲れ去ればすなはち眠る。 古人いふ無事是れ貴人。 羨む人は世になくも、 われはひとりわれを羨む (茨木のり子『詩のこころを読む』岩波ジュニア新書)  満ち足りた、自足した者の詩(うた)である。 白洲正子『現代日本のエッセイ 明恵上人』講談社文芸文庫 「仏法に能く達したりと覚しき人は、いよいよ(くの字点)仏法うとくのみなるなり」(「遺訓」124頁) 「我れ常に志ある人に対していふ。仏になりても何かせん。道を成じても何かせん。一切求め心を捨てはてて、徒者(いたづらもの)に成り還りて、ともかくも私にあてがふことなくして、飢え来たれば食し、寒来れば被(かぶ)るばかりにて、一生はて給はば、大地を打ちはづすとも、道を打ちはづすことは有るまじき」(125頁) 「生涯此の如く徒者に成り還らば豈(あに)徒(いたづら)なることあらんや」(「遺訓」 125-126頁)  喉もと過ぎれば、それらは方便にすぎなかった。真理とは身辺にあった。明恵上人にとって、それは生活信条だった。  良寛また然りであった。  私たちは、 行き着く先を、よくわきまえておく必要があると思う。    私ごとき者のために、人の手を煩わしたくない。死期を知りたいと思う。息をひき取ると同時に雲散し、霧消することを願っている。 以下、 「拝復 P教授様_河上肇『老後無事』」 「明恵上人における徒者(いたづらもの)」 です。

「奈良大和路行_いのちの律動の音調」

 2023/06/05 心穏やかならず、奈良大和路行を決めた。喪中に旅は不埒か、私にはそのような了簡はなかった。  まず唐招提寺を目指した。  金堂ののびやかな甍を仰ぎ、参拝、拝観後 本堂へ向った。その際、 「国宝 鑑真和上坐像 / 東山魁夷画伯障壁画 / 御影堂特別公開」 と書さ れた立札を前にして目を疑った 。6月6日は鑑真和上の命日だった。  平成14年(2002)2月に名古屋市博物館で「唐招堤寺金堂平成大修理記念『国宝 鑑真和上展』」 で鑑真和上坐像を拝見したが、今回拝した鑑真和尚は、所在を得て祈りの対象そのものだった。  東山魁夷の障壁画はみごとだった。紺青の、また水墨の淡彩で描かれた『山雲』,『黄山暁雲』を前に茫然と立ちつくした。  出口に向かうころ、般若心経を耳にし、廊下に座し唱和した。それは、 いのちの律動の調べを彷彿とさせるような、ゆったりとした調子の読経 だった。鑑真和上感得の伝来の、音調のような気がしてならなかった。  それ以降 般若心経の唱え方が一変した。 「意味から響きへ、理解から感応へ。262文字のこころを体感する」( 玄侑宗久『現代語訳 般若心経』ちくま新書,「帯」 ) これらはいのちの脈動に和すればこそ、かなうことどもであろう。たいへんな体験をした。  その後 開山御廟にお参りに行った。供えられたまっ赤なお線香が印象的だった。 紀野一義「空を語る」 紀野一義『「般若心経」を読む』講談社現代新書 「『色即是空』が、くるりと転換して『空即是色』になる。この時の『空』は、大きな、深いひろがりとしての空、われわれをして生かしめている仏のいのちのごときものである。そういうものの中に私たちひとりひとりの『色(しき)』がある。存在がある」(126頁) 「『空』は、仏のいのちであり、仏のはからいであり、仏の促しであり、大いなるいのちそのものである。  そういうものがわれわれをこの世に生あらしめ、生活せしめ、死なしめる。死ねばわれわれは、その『空』の中に還ってゆくのである」(131-132頁) 「これ(「般若心経」)を唱えることは、大宇宙の律動を自分のものにすることになる。この真言とひとつになれば、自分が大宇宙そのものになる。そして、すばらしい輝きを発することになる。そう考えると、心が湧き立つようではないか」(63頁) 「盤珪禅師」 「それからの盤珪(...

TWEET「私は貝になりたい」

◇ 白洲正子『西行』新潮文庫 の帯には、 「能あるものは、 そっと黙っていよ。 ----- ゲーテ」 と記されていますが、能なき私は、 「とかくに、人の世は住みにくい」 「人の世」が「住みにく」ければ、「人で無し」として生きるほかないだろう、と明らめた。

TWEET「眠れぬ夜は」

 いま 忌明け後にやることを、忌明け前にやらされています。当地を離れるしかなく、そのタイミングを見計らっています。  あいにくにも台風 2号が近づきつつあり、また北朝鮮がミサイルを発射したらしく、この先の行方は不明です。 ◆ 青色の文字列にはリンクが張ってあります。クリック(タップ)してご覧ください。 小林秀雄「国語伝統の底流」

TWEET「喪中につき_03_1/2」

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「ゆでたまご」 向田邦子『男どき女どき』新潮文庫  私にとって愛は、ぬくもりです。小さな勇気であり、やむにやまれぬ自然の衝動です。「神は細部に宿りたもう」ということばがあると聞きましたが、私にとっての愛のイメージは、このとおり「小さな部分」なのです。 マザーテレサ『生命あるすべてのものに』 講談社現代新書  愛の反対は憎しみと思うかもしれませんが、実は無関心なのです。  憎む対象にすらならない無関心なのです。 『ぼくたち地球っこ ― 田沼武能写真集』朝日新聞出版 「いつかお父さんはおっしゃった、誰かを愛する唯一の理由は、理由が無いという事だと。」  福田恆存訳のシェイクスピアの言葉です。  田沼さんは、『田沼武能写真集 ぼくたち地球っこ』の「あとがき」をタゴールの言葉で結んでいらっしゃいます。 「子どもたちはみな『神はまだ人間に失望していない』というメッセージを神さまからもらい、この世に生まれてきた。」 ラビーン ドラーナ・タゴール 『ぼくたち地球っこ ― 田沼武能写真集』朝日新聞出版

TWEET「病気療養中につき_34」

「小林秀雄『本居宣長 (下)』_生死の問題」 「私達は、史実という言葉を、史実であって伝説ではないという風に使うが、宣長は、「正実(マコト)」という言葉を、伝説の「正実(マコト)」という意味で使っていた(彼は、古伝説(イニシヘノツタヘゴト)とも古伝説(コデンセツ)とも書いている)。「紀」よりも、「記」の方が、何故、優れているかというと、「古事記伝」に書かれているように、ーー「此間(ココ)の古ヘノ伝へは然らず、誰云出(タガイヒイデ)し言ともなく、だゞいと上ツ代より、語り伝へ来つるまゝ」なるところにあるとしている。文字も書物もない、遠い昔から、長い年月、極めて多数の、尋常な生活人が、共同生活を営みつつ、誰言うとなく語り出し、語り合ううちに、誰もが美しいと感ずる神の歌や、誰もが真実と信ずる神の物語が生まれて来て、それが伝えられて来た。この、彼のいう「神代の古伝説」には、選録者は居たが、特定の作者はいなかったのである。宣長には、「世の識者(モノシリビト)」と言われるような、特殊な人々の意識的な工夫や考案を遥かに超えた、その民族的発想を疑うわけには参らなかったし、その「正実(マコト)」とは、其処に表現され、直かに感受出来る国民の心、更に言えば、これを領していた思想、信念の「正実(マコト)」に他ならなかったのである」(145頁)  最終章「五十」は、生死(しょうじ)の問題についての話題である。 「既記の如く、道の問題は、詰まるところ、生きて行く上で、「生死の安心」が、おのずから決定(けつじょう)して動かぬ、という事にならなければ、これをいかに上手に説いてみせたところで、みな空言に過ぎない、と宣長は考えていたが、これに就いての、はっきりした啓示を、「神世七代」が終るに当って、彼は得たと言う。ーー「人は人事(ヒトノウへ)を以て神代を議(はか)るを、(中略)我は神代を以て人事(ヒトノウへ)を知れり」、ーーこの、宣長の古学の、非常に大事な考えは、此処の注釈のうちに語られている。そして、彼は、「奇(アヤ)しきかも、霊(クス)しきかも、妙(タヘ)なるかも、妙(タヘ)なるかも」と感嘆している。註解の上で、このように、心の動揺を露わにした強い言い方は、外には見られない。  宣長が、古学の上で扱ったのは、上古の人々の、一と口で言えば、宗教的経験だったわけだが、宗教を言えば、直ぐその内容を成す教義...

TWEET「病気療養中につき_33」

本居宣長「息を殺して、神の物語に聞き入る」 小林秀雄『本居宣長 (下)』 「新潮文庫 「彼(本居宣長)にとって、本文の註釈とは、本文をよく知る為の準備としての、分析的知識ではなかった。そのようなものでは決してなかった。先ず本文がそっくり信じられていないところに、どんな註釈も不可能な筈であるという、略言すれば、本文のないところに註釈はないという、極めて単純な、普通の註釈家の眼にはとまらぬ程単純な、事実が持つ奥行とでも呼ぶべきものに、ただそういうものだけに、彼の関心は集中されていた。神代の伝説に見えたるがままを信ずる、その信ずる心が己れを反省する、それがそのまま註釈の形を取る、するとこの註釈が、信ずる心を新たにし、それが、又新しい註釈を生む。彼は、そういう一種無心な反復を、集中された関心のうちにあって行う他、何も願いはしなかった。この、欠けているものは何一つない、充実した実戦のうちに、研究が、おのずから熟するのを待った。そのような、言わば、息を殺して、神の物語に聞入れば足りるとした、宣長の態度からすれば、真淵の仕事には、まるで逆な眼の使い方、様々ないらざる気遣いがあった、とも言えるだろう」(197-198頁)  宣長にとって「神代の伝説」をよく知ることと、信仰の境地が深まることは同時進行だった。それは宣長にとって切実な問題であり、喜びでもあった。 「之を好み信じ楽しむ(好信楽) 」とは、宣長の学問に対する生涯変わらぬ態度だった。 「無心」とは「無私な心」と言い換えることができよう。 「小林秀雄」には、皆さん興味がないらしく、閲覧数が驚異的に少なくなり、すてきです。しかし私にとっては、「病気療養中」に「小林秀雄」の文章に触れることは、至福の時、自足の時間となっている。  今日、「佐井皮フ科」さんに行った。後遺症の帯状疱疹後神経痛が治るには、6か月かかるかもしれませんね、 梅雨時には痛くてつらいですよと、佐井先生にいわれました。  微熱が続いているため、叔父にさんざんいわれ、明日は、「杉浦内科」さんを受診する予定です。 「病気療養中につき」から、いつ解放されるのか、刺激的で、興味は尽きません。

TWEET「病気療養中につき_28」

 通読することを旨 とする。初読後、間もなく再読、と決めてから、積読するままになっていた大部の作品を読み、また理解するようになった。その代表例が、 ◇ 小林秀雄『本居宣長 (上,下)』新潮文庫 である。 初読、また再読に 25日を要した。特に初読は困難な道のりだった。立ち止まり、耳を澄ませて待つことを覚えた。貴重な読書体験だった。  ここに、四十四巻から成る、三十五年の歳月を費やし、意を尽くした、『古事記伝』の完成をみた。    九月十三夜鈴屋にて古事記伝かきをへたるよろこびの会しける兼題 披書視古    古事の ふみをらよめば いにしへの てぶりこととひ 聞見るごとし  また、小林秀雄は、『本居宣長』を、昭和四十(1965)年、六十三歳の夏から雑誌『新潮』に十一年あまりにわたって連載した。その後一年をかけて推敲し出版した。小林秀雄は、十二年を超える歳月をかけて、本居宣長と対峙した。  これらの歳月を思えば、25日はかすんで見える。恥いるばかりである。 「稗田阿礼の『声』と本居宣長の『肉声』と、また小林秀雄と井筒俊彦と」 小林秀雄『本居宣長 上』新潮文庫 「宣長の述作から、私は宣長の思想の形体、或は構造を抽き出そうとは思わない。実際に存在したのは、自分はこのように考えるという、宣長の肉声だけである。出来るだけ、これに添って書こうと思うから、引用文も多くなると思う」(24頁) 『本居宣長をめぐって』 小林秀雄 / 江藤 淳 小林秀雄『本居宣長 下』新潮文庫 小林  それでいいんです。あの人(本居宣長)の言語学は言霊学なんですね。言霊は、先ず何をおいても肉声に宿る。肉声だけで足りた時期というものが何万年あったか、その間に言語文化というものは完成されていた。それをみんなが忘れていることに、あの人(本居宣長)は初めて気づいた。これに、はっきり気付いてみれば、何千年の文字の文化など、人々が思い上っているほど大したものではない。そういうわけなんです。(388頁) (中略) 江藤  宣長は『古事記』を、稗田阿礼が物語るという形で、思い描いているのですね。『古事記』を読んでいる宣長の耳には、物語っている阿礼の声が現に聞えている。(391頁)  また、『本居宣長』は、小林秀雄の「肉声」が、活字の体裁をとったものである。本居宣長は、稗田阿礼の「声」を聞き、小林秀雄は、本居宣長の「肉声」...

TWEET「病気療養中につき_27」

 2022/12/30 に、帯状疱疹で、「休日夜間急病診療所」を受診するまでは、愉快で呑気だった。そのおよそ2か月後 帯状疱疹の治療を終えたが、後遺症として帯状疱疹後神経痛が残った。また肺炎になり治療後、微熱が続くままに、いまにいたっている。なんらかの病の予兆か、無関心でいいものか、いまだに定かではない。  今年になり、記憶らしい記憶がない。帯状疱疹のあの痛みの記憶さえ遠のいてしまった。  長らく疎遠だった、死の予感を覚えている。  以下の二つの「TWEET」を読むと、忸怩たるものがある。  奇しくも明日、62歳の誕生日である。 TWEET「美は曇りなき眼が見つける」 2021/03/24  2021/04/09 に還暦を迎える。16日後に迫った。還暦の後先ということをしきりに考えている。焦燥感がある。準備の捗らないこともあり、おぼろげな行方しかみえないこともある。  今日の読書は、小林秀雄か井筒俊彦か迷った末に、井筒俊彦の著作を手にした。 そして、 ◇ 井筒俊彦『意識と本質 ー 精神的東洋を索めて ー 』岩波文庫 ◇ 井筒俊彦『意味の深みへ』岩波文庫 「意味分節理論と空海 ー 真言密教の言語的可能性を探る」 ◇ 井筒俊彦『コスモスとアンチコスモス:東洋哲学のために』岩波文庫 「事事無礙・理理無礙 ー 存在解体のあと」 の三作品のうちの、 ◇ 井筒俊彦『意味の深みへ』岩波文庫 「意味分節理論と空海 ー 真言密教の言語的可能性を探る」 を読んだ。  この世に生を享けたからには、この世の始源・淵源のことについて知りたいという欲求がある。そして、曇りなき眼で四囲を見つめたい。美は曇りなき眼が見つける。観想体験もなく、観照体験もなく、つい井筒俊彦の著作群に手が伸びる。読前・読後では明らかに差異が認められる。  はじめに「焦燥感がある」と書いたが、いままで書き留めたブログを、いかに整理して、 「Kindle Direct Publishing」に載せようかということであって、他愛もないといえば、他愛もないことである。 ◇ 井筒俊彦『意識と本質 ー 精神的東洋を索めて ー 』岩波文庫  上記以外の 3冊の岩波文庫本は、2019/02/15 から順次発刊されたもので、以前は、慶應義塾大学出版会の新しく編まれた全集本で読んでいた。私の嗜好するおよその作品は、岩波文庫本におさ...

TWEET「病気療養中につき_25」

 桜が葉桜になりつつあるこの時期に際し、平熱になりつつあります。処方された前立腺肥大の薬を中止したことが原因かどうかは、定かではありません。  いま、「武士道」です。 「おのが誠を咲くさくらかな」 明石康,NHK「英語でしゃべらナイト」取材班『サムライと英語』角川oneテーマ21 「新渡戸稲造の孫にあたる加藤武子さんの自宅に、新渡戸に関する様々な遺品や記録が残されている。その中の一枚の色紙に、次のような新渡戸の歌が書かれていた。 「見ん人のためにはあらで奥山に おのが誠を咲くさくらかな」 (中略)  新渡戸が『Bushido(武士道)』で説きたかった日本人の精神性をひとことで言い表した歌である」(221頁) 人さえ見れば出し抜こうと思う、見苦しい時代になったものである。誠心誠意ということに欠ける。 新渡戸稲造「吾人はこれを余裕と呼ぶ」 新渡戸稲造著,矢内原忠雄訳『武士道』岩波文庫   岩波文庫『武士道』の 「第四章 勇・敢為(かんい)堅忍の精神」 を読んだ。何の気なしに読んだ。 「ーー吾人はこれを「余裕」と呼ぶ。それは屈託せず、混雑せず、さらに多くをいるる余地ある心である。」(48頁) 「混雑せず」とは、おもしろい表現である。英文和訳に由来するものだろう。矢内原忠雄の意図したものかどうかは、原文に当たっていないので定かではないが、翻訳の妙味であることにかわりない。 「上杉謙信は十四年の間、武田信玄と戦ったが、信玄の死を聞くや「敵の中の最も善き者」の失(う)せしことを慟哭(どうこく)した。謙信の信玄に対する態度には終始高貴なる模範が示された。信玄の国は海を距(へだた)ること遠き山国であって、塩の供給をば東海道の北条氏に仰いだ。北条氏は信玄と公然戦闘を交えていたのではないが、彼を弱める目的をもってこの必需品の交易を禁じた。謙信は信玄の窮状を聞き、書を寄せて曰く、聞く北条氏、公を困(くるし)むるに塩をもってすと、これ極めて卑劣なる行為なり、我の公と争うところは、弓箭(ゆみや)にありて米塩にあらず、今より以後塩を我が国に取れ、多寡(たか)ただ命(めい)のままなり、と。」(50頁)  簡潔な文章で意を尽くしている。さらさらと流れ、障るところがない。偶然手にした『武士道』の、内容如何にもまして、まず文体に感心した。新渡戸稲造の手になるものか、矢内原忠雄の翻訳に因るものか...

TWEET「病気療養中につき_21」

「ぜいたくなたのしみ」 白洲正子,牧山桂子 ほか『白洲正子と歩く京都』新潮社 この春はお花見に京都へ行った。あわよくば吉野まで足をのばしたいと思っていた。ところが京都へ着いてみると、ーー 私はいつもそうなのだが、とたんにのんびりして、外へ出るのも億劫になり、昼は寝て夜は友達と遊んですぎてしまった。花など一つも見なかったのであるが、お天気のいい日、床の中でうつらうつらしながら、今頃、吉野は満開だろうなあ、花の寺のあたりもきれいだろう、などと想像している気持は、また格別であった。 「皆さん同じことどす」といって、宿のおかみさんは笑っていた。二、三日前には久保田万太郎さん、その前日は小林秀雄さんが泊っていて、皆さんお花見を志しながら、昼寝に終ったというのである。  京都に住むHという友人などもっとひどい。庭に桜の大木があるが、毎年花びらが散るのを見て、咲いたことを知るという。千年の昔から桜を愛し、桜を眺めつづけた私たちにはこんなたのしみ方もあるのだ。お花見は見渡すかぎり満開の、桜並木に限らないのである。(「お花見」より抜粋)(70頁) 花に誘われ京へ、そして木も見ず森も見ず、「皆さん同じことどす」と、昼寝を決めこむとは、飛び抜けていて、すてきです。

TWEET「病気療養中につき_20」

「小林秀雄氏」 白洲正子『夢幻抄』世界文化社  そんなことを考えていると、色んなことが憶い出される。はじめて家へみえたとき、 ー その頃は未だ骨董の「狐」が完全に落ちてない時分だったが、「骨董屋は誰よりもよく骨董のことを知っている、金でいえるからだ」という意味のことをいわれた。私にはよくのみこめなかったが、少時たって遊びに行ったとき、沢山焼きものを見せられ、いきなり値をつけろという。 「あたし、値段なんてわかんない」 「バカ、値段知らなくて骨董買う奴があるか」  そこで矢つぎ早に出される物に一々値をつけるハメになったが、骨董があんなこわいものだとは夢にも知らなかった。その頃小林さんは、日に三度も同じ骨董屋に通ったという話も聞いた。  あるとき、誰かがさんざん怒られていた。舌鋒避けがたく、ついに窮鼠猫を嚙むみたいに喰ってかかった。 「僕のことばかし責めるが、じゃあ一体、先生はどうなんです?」 「バカ、自分のことは棚に上げるんだ!」  最近はその舌鋒も矛(ほこ)をおさめて、おとなしくなったと評判がいい。(15-26頁)   今日は、「エープリルフール」,「四月馬鹿」である。しかしこれは、いつの時も真実である。

TWEET「病気療養中につき_19」

「続 海辺の墓」  洲之内徹『帰りたい風景 気まぐれ美術館』新潮社   そういうことにならなかったのは、「あなたって、どうしてこんなに恋しいの」と手紙に書いてきたりした彼女が、一年半ほど経ったある日、突然また、「あたし、なんだかしんとしてしまったのよ、煮え立ったお鍋に水を注したときのように、急にしんとしてしまったのよ」と言ってきたからであった。つまり私は一旦振られたわけだが、振られながら、自分の心の状態をこんなに正確に、しかもなんのためらいもなく言ってくる彼女に、更めて感心してしまうのであった。(102頁)   今日は、「エープリルフール」,「四月馬鹿」である。嘘から出た真か、真から出た嘘か、嘘でも真でもかまわず、読むたびに、やはり「感心」してしまう。