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「H29年度以降の愛知県公立高校入試・問題例を解いた感想」

昨日中三生の女の子が、学校で配布された、 「平成29年度以降の愛知県公立高等学校入学者選抜 (全日制課程)における学力検査及び問題例について」 とのタイトルのプリントを持ってきてくれました。早速コピーして解いてみました。 調べてみると、インターネット上には  2016/05/19 にUP されていました。 「平成29年度以降の愛知県公立高等学校入学者選抜 (全日制課程)における学力検査及び問題例について」 国語の「文を推敲するために必要な要素を把握する問題」、英語の「自由英作文」、社会の、受験生泣かせの「正しいものを、すべて選ばせる問題」には新しい傾向がみられますが、数学や理科に関しては問題の形式こそ違え例年通りの出題です。例年通りとはいえ、理科の「フックの法則と浮力の融合問題」は例年通り難易度の高い問題、という意味です。 県内の多くの進学塾では、夏期講習に間に合うように、早速新入試制度への対策が講じられていることと思われますが、難易度の高い問題や記述問題が限られた試験時間内に解けるとはとても思えず、私はいたってのんびりと構えています。例年通りの仕上げ方をしよう、と思っています。北海道公立高校の過去問が参考になりそうな感じを持っています。 以下、追記です。 「H29年度以降の愛知県公立高入試・問題例を解いた感想_追記」

「小満の日に思う」

今日は「小満」の日です。 「小満」( 「日本の行事・暦」 より ) 陽気が良くなって、万物の成長する気が次第に長じて天地に満ち始めることから小満といわれています。 ようやく暑さも加わり、麦の穂が育ち、山野の草木が実をつけ始め、紅花が盛んに咲き乱れます。 梅の実がなり、西日本では、走り梅雨がみられる頃。田植えの準備を始める頃でもあります。  「走り梅雨」 本格的な梅雨に入る前のぐずつく天候のこと。通常は、この後晴れた日が続き、その後本格的な梅雨に入ります。 「梅雨の走り」ともいいます 。 季節は着々とめぐっています。「梅雨」とは梅の(花ではなく)実のなるころ、と知ったのはいつのころのことだったのでしょうか。当地では六月は「夜店」の季節です。屋台の並ぶ夏祭りです。 今日は定期テストの十日前です。十日後のテストにむけてカウントダウンしながら過ごす毎日のはじまりです。カウントダウンしながら過ごす毎日は、時の経過が早く、後にはあいまいな記憶が残るだけです。テスト週間は魔物です。

中井久夫「私の死生観」より 抜粋

中井久夫『隣の病い 中井久夫コレクション』ちくま学芸文庫 「私の死生観ー“私の消滅”を様々にイメージ」 (六十歳のときに執筆されたものです) 「人々みな草のごとく」  「ワン・オヴ・ゼム」であり、生理・心理・社会的存在である「自分」としては、私は、社会、職場、家庭、知己との関係の中で私なりに生きてきた。私は対人関係に不器用であり、多くの人に迷惑を掛けたし、また、何度かあそこで死んでいても不思議でないという箇所があったが、とにかくここまで生かしていただいた。振り返ると実にきわどい人生であった。知りし人が一人一人世を去っていく今、私は私に、遠くないであろう「自分」の死を受け入れよと命じる。この点では「人々みな草のごとく」である。 (253-254頁) 「そのときどきで満たされた『自己実現』」  昨年の三月ごろであったか、私はふっと定年までの年数を数え、もうお付き合い的なことはいいではないかという気になった。「面白くない論文はもう読まない。疲れる遠出はしない。学会もなるべく失礼する。私を頼ってくれる患者と若い人への義務を果たすだけにしよう。残された時間を考えれば、今の三時間は、若い時の三時間ではない」と思って非常に楽になった。 (254頁) 「死への過程をイメージできる自分」  しかし私は、睡眠中の死や一挙の死を望んでいないようである。「自分は死ぬのだ」と納得して死にたいようである。「せっかく死ぬのだから死にゆく過程を体験したい」とでも考えているのだろうか。また私にとって、生きているとは意識があるということである。植物状態を長く続けるのは全くゾッとしないようである。高度の痴呆で永らえることも望んでいないようである。これは自分の考えを推量していっているので、自分ながら「ようである」というのである。 (中略) また、長い痴呆あるいは植物状態を望まない主な理由は、経済的に家族を破綻させるからで、私はこれらの生命の価値を否定しているわけではない。また、所詮私の自由裁量の範囲を越えた問題である。私の中で育っているに違いない死の種子の、どれが一位を占めるかは、キリスト者ならば「御心のままに」というであろう。 (256-257頁) 「おわりに」  しかし私は、ときに愛する人の死のほうが、己れの死よりもつ

「おばあさんの知恵袋_二題」

「衣類についてしまったチューインガムの始末」  灯油を含ませた布でふけばキレイに取れます。  ハゼ釣り仲間の、戦後間もなく吉祥寺のクリーニング店に勤めていたという、出所不明?の、また小指をつめたと思われる痕跡の残る青木さんからおうかがいしました。  不用意に川の堤防の階段に腰を下ろすと、そこにはガムが吐き捨てられており、早速青木さんにおうかがいをたてると的確な回答が返ってきました。  昨日は父が裏口の門扉の下で、吐き捨てられたばかりと思われる、まだ温もりの感じられるガムを踏みました。青木さんのご伝授のおかげで難なくやり過ごすことができましたが、不愉快さだけはやり過ごすことができず、尾を引きました。 「ナメクジの退治法」  こちらは、家庭教師先のおばあちゃんからおうかがいしました。  コップにビールを半分ほど入れ、ナメクジの出没しそうなところに仕かけておくと、やがて ビール飲みたさに集まってきた ナメクジさんたちは、酩酊しご乱行の末( ?)ビールの海の中で溺れ、なんとも幸せな最期をとげる、というからくりです。  梅雨時にナメクジが大発生した年がありました。その際にはとても重宝しました。 お二人とも亡くなられましたが、私の記憶の中では今も確かに息づいております。

「5月15日_15日前」

今日が、第一テスト(一学期中間テスト)の15日前でした。 ◇受験対策について ◇夏休み前の定期テストの重要性 夏休み前に2回の定期テストがあります。年に5回行われる定期テストのうち、夏休み前に行われる2回の定期テストは、全体の 2/5=40% を占めます。夏休み前に受験生の自覚をもって定期テストにのぞんでいるのは、上位校を目指している子どもたちだけです。受験は夏休み前からはじまっています。後になって後悔するのは決まってこの時期のことです。実力は後で何とでもなりますが、内申点は動かしようがありません。注意が必要です。 受験生の自覚をうながすために、私が中三生の子どもたち(女の子 仲良し三人組)に向かって、口やかましく言うために、今年は昨日(16日前)から子どもたちが塾にやってきました。授業は組んでありませんでしたので、私は別室にいることが多く、子どもたちは静かに自習をしていました、と言いたいところですが、三人はもっぱら対人関係の悩みを口にし、日頃のフラストレーションの解消に一生懸命でした。中学生の女の子たちの人間関係はいつも大変です。しばらくすると、落ち着いたのか、笑い声が聞こえるようになってきました。こんなに楽しそうにおしゃべりをしている子どもたちに、勉強するように言えるはずもなく、私は聞くともなしに聞いていました。 この週末の定期テスト対策は、私の十分に納得のいくものでした。「セーカイセーカイダイセーカイ」( 「正解正解大正解」)でした。今の中学生に息つく暇はありません。「踊り場」が必要です。子どもたちもうすうす感じていると思っています。

「札幌南高等学校 野球部の皆さん方へ」

三年生最後の夏に向けて団結するのが、札幌南高校 野球部の強さだと心得ています。 最後の夏を制するのが、札幌南だと信じています。 夏に期待しています。

TWEET「近況です」

2015/05/14 より「塾・ひのくるま」の HP を書きはじめました。一年を迎える前にと思い、先日見直しました。また、 2015/08/03 からブログ上で自己主張をはじめました。これまでに 842個のブログを書きました。ありがたくも、 閲覧数が4.0053件になりました。08/03 をめどにブログの校正をしようと思っています。鼻につく表現、よけいな形容は容赦なく削除するつもりです。長丁場になりそうです。長く続けるコツは休み休みすることだと心得ています。苦戦を強いれるものと覚悟しています。 懸念の、改訂された中学校の教科書の閲覧は、各学年夏休み前の範囲まで、ということにしました。無味乾燥としたうるおいのない時間を過ごす毎日は過酷です。 夕方には雨も上がり薄日がさしました。雨上がりにはきまって風が出ます。日没後外に出ると、蕭条たる風が吹いていました。秋の到来を感じました。雨の日が多くなってきました。梅雨入りも間近です。少し肌寒いくらいの、不快指数の低い梅雨を祈るばかりです。

「言い訳ともつかぬ言い訳、そして希望」

今までずいぶんたくさんの引用をしてきました。ブログは私の備忘録でありスクラップブックです。感想を書きこもうかとも思うのですが、せっかくの文章を汚してしまいそうで、いつも引用のしっぱなしです。読者にあずけた格好をとっています、といえば格好がいいのですが…。 インターネット上にさまざまな情報が蓄えられていくのは、ありがたくもありうれしくもあります。そのほんの一助になれば、と思っています。 引用文には、著者名、書名、出版社名、頁数を書くことがネチケットとなるといいですね。わずかこれだけのことで情報の質がずいぶん変わると思います。卒論の指導時には、「引用した際には作者にきちんと挨拶をするように」と再三いわれました。 追記: 「エチケット」という今ではもう死後にちかい言葉にあやかって「ネチケット」。「エチケット」をよそに、「ネチケット」はひとり歩きしているのでしょうか。それとも日の目を見ることもなく瀕死の状態にあるのでしょうか。学校教育では使われているような気もしていますが、どうなのでしょうか。

「ある確信」

二階の南の間で寝起きをし、一日のほとんどの時間をその部屋で過ごしていましたが、二月の暮れ から一階にある応接間で過ごすことが多くなりました。音楽を聞きながら、という単純な理由からです。 一階にいることと二階でいることの間にはおよそ隔たりがあります。おなじ椅子にかけているにしても、一階では自分の体重を床にあずけ、かわりに床から力をもらっているという確かさがありますが、二階では宙を舞っているような感じがします。一階の調度品は座りがよく落ち着いています。一階の空気は心なしか濃やかですが、二階の空気は希薄です。 「文学者といわれる人たちの書斎は二階にあった」(早稲田大学 清水茂先生)というお話を学生時代にうかがいました。「皆浮世離れしている」とのことでした。二階は世間から遠く、外の気配に注意が向かなくなります。景色を俯瞰し、人を窓越しに見下ろす格好になります。階段をはさんで心持ちが、情景がずいぶんとかわります。 前回のブログで、中井久夫さんの以下の発言を引用させていただきました。 「建物というのは、人間と呼吸し合いながら生きていますよ。僕は、実感としてそう思ってる。書斎でも、一週間もいないと荒れてしまう。空気がザラザラして来るという感じがします。」 中井久夫『「伝える」ことと「伝わる」こと 中井久夫コレクション』ちくま学芸文庫 「都市、明日の姿(対談者・磯崎新)」 「生きられる建築と都市」(121頁) 応接間にいるときには絶えず音が鳴っています。私の鼓動とともに音が部屋の空気を震わせています。部屋は確かに音楽を聴いているはずです。私よりもはるかに純一に無心に音楽を受けとめているはずです。応接間は間違いなく変わるものと思っています。応接間の変遷が楽しみです。

中井久夫「建物は人間と呼吸し合いながら生きています」

一昨年の九月に北の間から南の間に引っ越しました。寝起きをし、一日の多くの時間をこの二階の南の間で過ごしています。明るい日差しがさしこみ快適です。 いつの頃のことか、住人を失った北の間が、生気なく、陰鬱で、索漠としているのに気がつきました。そう思って辺りを見やると、机や椅子や本棚、本棚に並べた本、床や壁、天井、照明器具までもが、自らの殻に閉じこもって頑なに沈黙を守っているかのように感じられました。この殺伐とした風景をどう受けとめればいいのかわからないままに、毎日北の間の窓の、カーテンの開け閉めをし、また南の間から北の間の沈痛な姿を見やっていました。人のいることといなくなること。人の気配。人の温もりがあることとなくなることの差異、そんなことを考えていました。 そして、昨日。 磯崎  都市も建築も、人が住まなくなった瞬間に、本当に寒々しいものになりますね。だれも使わずに放置していると、二、三年で廃屋になって、崩れ落ちてしまうし、人のいなくなった都市はすぐに廃墟になってしまう。それが、中に人がいると違うんですね。中に住んでいる人間と呼吸がつながっていて、生き延びているんじゃないかと思うんです。 中井  建物というのは、人間と呼吸し合いながら生きていますよ。僕は、実感としてそう思ってる。書斎でも、一週間もいないと荒れてしまう。空気がザラザラして来るという感じがします。住宅公団でも、一週間に一回、空き家の風通しをやるために人を雇ってるそうですね。 磯崎  それは絶対に必要なことですね。 (後略) 中井久夫『「伝える」ことと「伝わる」こと 中井久夫コレクション』ちくま学芸文庫 「都市、明日の姿(対談者・磯崎新)」 「生きられる建築と都市」(121頁) 「建物というのは、人間と呼吸し合いながら生きてい」る、ということには思いがいたりませんでした。北の間は呼吸停止の瀕死の状態にあります。応急の手当てとその後の適当な処置が必要なようです。 独立した一個の部屋という空間が、私の呼吸のリズムに呼応するようにして息づいているのか、私が空間の呼吸に合わせるようにして呼吸のリズムを刻んでいるのか。そんな風に考えたとき、私と息の合った居心地のいい空間があり、私とは息の合わない空間があることに納得がいきます。空間は個性的です。主の個性を

「要はライントラブルを起こさないことです」

漁師さんが最も気をつかうことは「トラブル」を起こさないことなのだそうです。「トラブル」を起こさないようなシンプルな仕掛けを工夫するということでしょう。時に「ライントラブル」続きで釣りにならないことがあります。泣けてきます。

「立夏の日に思う」

今日は「立夏」です。夏の到来です。冬は「きっぱりと」やってきますが、夏は敢然としてやってきます。梅雨空の分厚い雲の向こうで、着々と力をたくわえた太陽は、梅雨明けとともに毅然とした気構えで姿を現わし、陽光を容赦なく四辺に照りつけます。灼熱の夏です。狂想曲のはじまりです。 五月一日は「八十八夜」でした。 夏も近づく八十八夜  野にも山にも若葉が茂る あれに見えるは茶摘みじゃないか あかねだすきに菅の笠 「茶摘み」のシーズンです。叔父・叔母から届く新茶が待たれます。 若葉 して 御目の雫 ぬぐはばや 芭蕉が唐招提寺を訪れ、鑑真和上坐像を拝したのは、ちょうど今頃の季節だったのでしょうか。 近頃、 奈良国立博物館『 国宝 鑑真和上展 唐招提寺金堂平成大修理記念 公式図録』をよく見ます。 平成九年三月に唐招提寺を訪れた季節、また 平成十四年二 月に名古屋市博物館で開かれた  「 唐招堤寺金堂平成大修理記念『国宝 鑑真和上展』」  で 鑑真和上坐像を拝した季節のことが思い出されます。

伊藤若冲 「千載具眼の徒を竢つ」

テレビを見る習慣をもち合わせていません。NHK特集「若冲 天才絵師の謎に迫る」の再放送を観たのは偶然の賜物です。こんな出会いを私は大切にしています。 ただならぬ風貌をしています。最新鋭の技術が若冲の作品の細部に迫り、若冲の絵を解き明かしていきますが、解明するまでにはいたらず、若冲の絵はいまだ「千載」の時を待っているかのようでした。 「千載具眼の徒を竢つ」 (千年の間作品を評価してくれる人を待つ) この言葉は若冲の心意気の表れであって矜持であるとともに、一つの作品にこめた創意と工夫、また気の遠くなるような時間に対して、若冲が観る者に、覚悟を促している言葉のようにも聞こえます。 ナレーションを担当しているのは素人の女子高生、とばかり思っていましたが、実力も実績もある二十歳の小松菜奈さんがやられていたんですね、とは書いたものの、私はいっこうに存じあげませんが…。いろいろとご批判の声もあるようですが、私は、ぎこちなく危なっかしいナレーションを面白いなと思って聴いていました。

「おもしろうてやがて悲しき_ポッピン(ビードロ)」

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歌麿の「ポッピンを吹く女」を目にするたびに、ビードロばかりが気になり、 先日ひょんなことから、 オンラインショッピングで購入できることを知り、早速注文しました。 「長崎びーどろ幸瓶」 「ビードロは長崎を代表するアンティークなギフトとして喜ばれております。 長崎開港により長崎に移り住んだポルトガル人が始めたガラス細工は「びいどろ」と呼ばれ、ポルトガル語の『Vitreo(ガラス)』が語源といわれています。」 鎖国中にはポルトガルとの交易はありませんでしたので、ビードロは 安土・桃山時代の南蛮貿易で、ポルトガル人によってもたらされたものでしょう。 音を出すにはかなりの力がいります。かん高く大きな音がします。かそけく哀しい音色を想像していましたので、興ざめがしました。しかし、これしきのものではあるまい、と思い直し、試行錯誤しているうちに、ほおを膨らませぎみにして、口の中の圧力を高めて吹くと、容易に音が出ることがわかりました。吹いて、「ポッ」っと音がした後、止めた息をしばらくそのままにして、「ペン」っと鳴らすと、哀愁を帯びていい感じになります。 ポッピンを手に、時折、「ポッ」「ペン」と鳴らし、物思いにふける当時の女性たちのことを思ったとき、漱石先生ならば、きっと、 「呑気と見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする。」(『我輩は猫である』)とでもいったような気がしてなりません。 ビードロは、ガラス細工ですので透明感があり、華奢です。模様は異国情緒を感じさせます。 ポッピンを哀しきひとり遊びの玩具(おもちゃ)とするには、いま少し時間と工夫が必要なようです。