司馬遼太郎,大江健三郎「教育を語る」

司馬遼太郎『八人との対話』文春文庫
「師弟の風景 吉田松陰と正岡子規をめぐってーー大江健三郎」

 大江 独りぽっちで考えるのではなく、グループでものを考える。対話をする。(中略)また、どんな悲惨な状況にいても、グループを通じての話し合い、対話というものはユーモアを生じるもののようですね。(後略)
 司馬 (前略)ユーモアというものは、松陰、子規両方に共通していたと思います。
大江 若いグループの中に入りこんで語りかけて、対話を通じてものごとを明らかにしていく上で、彼らのユーモアが生じてくる、というように思われます。(138-139頁)

 司馬 (前略)教育の場でユーモアのない人は、やっぱり教育をするのに向かないし、される方も、ユーモア感覚のある人間が教育されやすいかも知れませんね。(140頁)

 司馬 人格がある姿として記憶に残るのは、やっぱり温度のあるユーモアが介在する場合が多いんでしょうね。
 大江 そうじゃないでしょうか。現代の作家で世界中でいちばん教育的なのはサルトルだったと思います、(中略)
 彼は死ぬまで若い人をいつまでも、教育したいと思っているんですね。そして彼は、自分は生まれてこの方、人に対して、微笑しながらでなければ命令することはできなかったと書いています。子どものときから、笑いながらでなければ何かをしようと言えなかったと言っているんですが、その通りだろうと思います。
 そして、正岡子規にしても吉田松陰にしても、やはり笑いながら、微笑しながら命令するタイプだったんじゃないかと、僕にはそういう気がします。
 司馬 それは共通しているようですね。(141-142頁)


 大江 僕はいちばん最初に言ったように、教える側には一度もならなくて、もっぱら教わる側でしたが、自分が教育にかかわる何かができるとすれば、具体的にあの人は、松陰は、子規は、あるいは渡辺一夫は、吉川幸次郎は、このように実際の振舞いとして、実際のパフォーマンスとして教育したということを、自分も学びたいし、それを次の人に伝えたいわけです。
 具体的にこういう教育家のイメージがあり、また実際の振舞いがあって、ここに教育というものの流れがある、ということを基本に置かなければ、教育について何か言ったりすることはもっとも危険だと思うんです。
 司馬 そうですね。先生のパフォーマンスというのは、教育を受ける側にしてみればほぼそれだけを覚えていくものでしょうが、それは教育する側が自然にパフォーマンスになっていくからで、それはおそらく大変な緊張の結果、ーー緊張というのは複雑な意味なんですがーーできるわけですね。だから職業としての教育はむろん存在しなければならないものでしょうが、職業意識というものはあまり教育にふさわしくないですね。松陰も子規も職業で周囲の人たちを教えていったわけではないのですから。教育者はある意味でどうしても職業的にならざるを得ないでしょうが、職業をはずして教育とは何かを考えてみると、いつもどこかで二律背反の緊張があるという必要があるかも知れませんね。
 子どもっていうのは、僕らのようなバカな子どもでも、不思議に先生の優劣、精神の高低がわかるんですね。この先生はダメだっていうのがわかる。一つの教室にレントゲン撮影機が何十個もいるわけで、そんなことを思うと、教育は人間の社会の中でいちばんこわいテーマですね。(157-158頁)