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「心をこめて」

今年もたくさん閲覧していただきありがとうございました。 すてきなお年をお迎えください。 FROM HONDA WITH THE BIGGEST LOVE!!

TWEET「君たちへ」

 子ども(塾生)たちのことを、いま、「あなた」と呼び、「あなたたち」と呼んでいる。年明けからは、「君」と呼び、「君たち」と呼ぶことにした。呼び名や呼称を変えるには、多少の勇気がいる。  「君はね」、「君たちがね」の方が断然あか抜けている。  「君がね」,「君たちはね」と、年明け早々から呼び習わされることになる子どもたちの心延えは如何にか、ぜひお聞きしたいものである。それが初春(はつはる)の僕の、「君たちへ」の願いである。

「拝復 P教授様_頑是ない話」

「一足早く新年を迎えました。私の暦の上でのことです。」 慶祝!慶賀!! 頌春!賀春!! FROM HONDA WITH LOVE. 「三が日から、がんがん仕事を追っかけています。 ミスター『仕事中毒』と呼んで下さい。」 おはようございます。 毎日8時間30分におよぶ冬期講習、また通常授業に追っかけられています。 ミスター「仕事中毒」と呼んで下さい。 FROM HONDA WITH LOVE. 「慶祝!、慶賀!!」 わーい!! FROM HONDA WITH LOVE.

「拝復 Dr.T様_NHK の心意気」

「白洲正子が愛した日本人 美の旅人 西行と明恵」のご連絡、どうもありがとうございました。 「ハイビジョン特集 白洲正子が愛した日本人 美の旅人 西行と明恵(初回放送:2007年)」 2018/12/22 午前2:05〜午前4:00 「日本の美」そして「日本の美を極めた人物」を生涯のテーマとした白洲正子。彼女が行き着いたのは、平安末期から鎌倉にかけて活躍した、西行と明恵という2人の僧だった。2人に共通していたのは“世捨て人”と呼ばれていたこと。彼らの生涯をたどりながら、なぜ正子は2人に魅了されたのかを考える。  PCでは見ることができないようですので録画します。  栂尾・高山寺には二回行きました。前回は時間がなく平等院を訪ねましたが、次回は高山寺と決めています。明恵上人については、学生時代、河合隼雄『明恵 夢を生きる』京都松柏社 を読んで知りました。美しい僧侶です。あの頃の河合隼雄は硬派でした。 ◇ 「白洲正子の本領_明恵,釈迦という人間に恋をした」 ◇  白洲正子「明恵上人」_まとめて ◇  白洲正子『西行』新潮文庫_まとめて   明日から冬期講習です。いただいたお歳暮が重宝します。どうもありがとうございました。Kさんにもその旨、よろしくお伝えしてください。 ご丁寧なご連絡、どうもありがとうございました。 時節柄くれぐれもご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE. 追伸:動く、話す、白洲正子を見るのははじめてのような気がしています。  まだ見ていませんが、よくこれだけの番組を企画したものだと、NHKの心意気に感心しています。 「彼岸で会いたい三人は?」の問いに、白洲正子は、西行、青山二郎、小林秀雄の名をあげています。白洲次郎とは、此岸で十分につき合ったから もういいわ、だそうです。 年明け早々に見ようと思っています。 「もういくつ寝るとお正月」 「はやく来い来いお正月」 ご丁寧なご挨拶、どうもありがとうございました。 時節柄くれぐれもご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE.

TWEET「世界でいちばんすてきな夜空の教室」

 昨日と一昨日には、「地球と宇宙」の分野に関する高校受験用の参考書を読んで過ごしました。教科書と六冊の参考書を座右に置き、 ◇ 湯村幸次郎『図でわかる中学理科 2分野[生物・地学]』文藝春秋 ◇ 神野泰司『塾で教える理科[生物・地球・宇宙]』文英堂 の二冊を読み了えました。「天体」は、受験生泣かせの難攻不落の分野だけに、しばしば長考・大長考におよびました。「天」は容易には理解を許しませんでした。  各書のいいとこ取りをすれば、必要十分な内容を盛り込んだ一冊の参考書ができることを思うと、 残念です。  明日は冬至です。冬期講習のはじまりです。そして、「世界でいちばんすてきな夜空の教室」の開講日です。 ◇ 多摩六都科学館 監修『世界でいちばん素敵な夜空の教室』三才ブックス ◇ 多摩六都科学館 監修『世界でいちばん素敵な宇宙の教室』三才ブックス

小林秀雄「散文の形とその純粋性」

井伏君の「貸間あり」 小林秀雄『考えるヒント』文春文庫 明らかに、これは、作家が、言葉だけで、綿密に創り上げた世界であり、文章の構造の魅力を辿らなければ、這入って行けない世界である。作者は、尋常な言葉に内在する力をよく見抜き、その組合せに工夫すれば、何が得られるかをよく知っている。彼は、そういう配慮に十分自信を持っているから、音楽からも絵画からも、何にも盗んで来る必要を認めていない。敢えて言えば、この小説家は、文章の面白味を創り出しているので、アパートの描写などという詰らぬ事を決して目がけてはいない。私は、この種の文学作品を好む。(35-36頁)  井伏君の初期作品には、極く普通の意味で抒情詩の味わいを持ったものが多かったが、恐らく、彼は、人知れぬ工夫に工夫を重ねて、「貸間あり」の薄汚い世界を得るに至った。彼の工夫は、抒情詩との馴れ合いを断って、散文の純粋性を得ようとする工夫だったに相違ない。なるほど、作の主題は、作者の現実観察に基づくものであろうが、現実の薄汚い貸間や間借人が、薄汚いままに美しいとも真実とも呼んで差支えない或る力を得て来るのは、ひたすら文章の構造による。これは、小説作法のいろはなどと言って片附けられるような事柄ではあるまい。むしろ、其処だけに作家の創造が行われる密室がある 事を思うべきである。 (39-40頁) だが、私は繰返して言いたいのだが、これは、極めて純粋な散文なのだ。そして、この事は、あんまり解り易い事ではない。この作品には、私に、面白い小説と言わせるより、純粋な散文と言わせるような或る力がある。私は、この或る力を、作者の制作の密室の方へ私を向き直させる或る力を感じているのである。 かつて、形というものだけで語りかけて来る美術品を偏愛して、読み書きを廃して了った時期が、私にあったが、文学という観念が私の念頭を去った事はない。その間に何が行われたか。形から言わば無限の言葉を得ようと努めているうちに、念頭を去らなかった文学が、一種の形として感知されるに至ったのだろうと思っている。私は、この事を、文学というものは、君が考えているほど文学ではないだとか、文学を解するには、読んだだけでは駄目で、実は眺めるのが大事なのだ、とかいう妙な言葉で、人に語った事がある。 それはともかく、私が、「貸間あり」が純粋な散文だというのは、その散

「神さまの声は耳に痛く」

「棟方志功で思い出すのは、漱石の『夢十夜』「第六夜」である。  極度の近視だった棟方志功は、顔を、舐めるかのように版木に近づけ、彫刻刀を版木を自在に操りながら、物に憑かれたかのように作品と対峙していた。そこには微塵の躊躇(ためら)いもなく、その姿は我もなく汝もなくといった風だった。中学校の美術の時間に見た映画の、その印象はいまも鮮やかである。」  ここ何日かの間、 「井伏君の『貸間あり』」(小林秀雄『考えるヒント』文春文庫) を繰り返し読んでいる。文庫にして 10頁ほどの文芸批評である。小林秀雄による 「散文指南」,「散文読本」のつもりで読んでいる。  その間(かん)には、2015/09/03 に書いた、 「夏目漱石『夢十夜』第六夜 と棟方志功」 の閲覧があり、読み返し、血の気がひいた。四文だけの文章ともいえない文章の推敲に手を拱いている。こころが変調をきたした。発症しないように、とおよび腰である。年を越しそうな勢いである。 「せいぜい悩むがいい」といった神さまの声が聞こえる。 下記、 「小林秀雄「井伏君の『貸間あり』」 である。

TWEET「保護者会後に」

 「数学の文章題、応用問題」につきましては、解けるようになるまでには相応の時間を要します。いまの中二生の子どもたちが、少し解けるようになってきたかな、と思ってながめています。  中学校の先生方は、保護者会(三者面談)とはいえ、これといって話すことはなく、苦しまぎれに、当たり障りのないことを言って、お茶を濁しているだけのことだと思っています。  また、英語は相変わらず平易です。 時節柄くれぐれもご自愛ください。 GOOD LUCK! FROM HONDA WITH LOVE.

TWEET「我が圧力団体_P君の入塾に際して」

「私たち勉強遅れない?」 おはようございます。 学年順位が50番くらいといっても、実力にはばらつきがありますし、当塾の子どもたちの成績としては決して悪い方ではありませんが、お断りしておきます。中途で入塾してくる子どもたちとは、どうしても重複した内容の授業をやらざるをえず、時間を割かれ、ご迷惑をおかけすることになります。 その旨、Yさんによろしくお伝えしてください。 ご丁寧なご連絡、どうもありがとうございました。 また、ご返信が遅れ申し訳なく思っております。 時節柄くれぐれもご自愛ください。 TAKE IT EASY! FROM HONDA WITH LOVE.  「成績のかんばしくない子どもたちとは、もう一生分(ぶん)おつき合いしてきた」と、公言しています。「後は若い先生方の情熱に期待している 」ともいっています。  塾内での特に女の子の人間関係、最近に到っては保護者間の関係まで絡んできますので厄介です。あれこれと注文をつけてきますが、そんななか私の懐具合に目配りのきく親御さんは皆無です。互助の精神に欠けます。片手落ちです。

「拝復 P教授様_捨ててこそ」

「『捨ててこそ育つ』、教育の原点です。」  「捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」と、打ち捨ててみたところで、今のこの時代、お金さえ出せば拾ってくれる他者がいくらでもあり、悲しいかな真意は伝わらず元の木阿弥です。かくいう私も共犯者です。転ばぬ先の杖はつかない、と息巻いてみたところで、時間がなく間に合いませんので、転ばぬ先の先に杖をついているのが現状です。子どもたちは、教えてくれる誰かが隣にいなければ勉強できないと信じているかのようです。  質の悪い業社がはびこっています。その微に入り細に入った手管は巧妙です。彼らには教育の一端を担っているという自負はないのでしょうか。猜疑の眼でみられるのも仕方のないこととあきらめています。  「解ることと苦労することは同じことなんですよ」と、小林秀雄は学生に向かって話していたように記憶しています。 時節柄くれぐれもご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE.

「拝復 H君へ_三者三様に怪物です」

おはようございます。 早起きですね。  W大模試での「空間表現(デッサン)」の点数が、11/40 というすてきな成績だったとのことですが、 「11点」の端数の「1点」の意味することが、なぜかとても気になっています。美大の受験生は、デッサンを描いた画用紙を積み重ねると自分の背丈ほどにもなる、と聞いています。  ピカソのデッサンの数にはただあきれ、その力量にはただ目をみはるばかりです。小林秀雄、梅原龍三郎、ピカソ、そろいにそろって、三者三様に怪物です。 ◇ 小林秀雄「梅原さんの言葉は絵なんだ」 ◇ 「小林秀雄、梅原龍三郎とピカソの腕力を語る」 上手く仕上げてくださいね。 ご丁寧な、ご挨拶どうもありがとうございました。 くれぐれもご自愛ください。 TAKE IT EASY! FROM HONDA WITH LOVE. 追伸: 私の懐にあるのは、いたいけな子どもたちの親から巻き上げた不浄のお金です。 また、最後は神頼みの世界です!?  渡岸寺(どうがんじ)さんの御守に優るものはなく、ごゆるりと、どうぞ!!

「大雪の日の翌日に_in an Emergency」

  台風24号による停電を教訓にして、 イワタニ「カセットガスストーブ ポータブルタイプ "マイ暖"」 イワタニ「カセットガスストーブ ハイパワータイプ "デカ暖"」 を購入しました。燃料はカセットガスです。何かにつけて手軽です。カセットガスの使用期限はおよそ7年と長く、手持ちの、 岩谷産業「カセットガス ジュニアコンパクトバーナー」 との併用も可能です。  「ポータブルタイプ "マイ暖"」を常用しています。「暖かさを持ち運」んでいます。 「連続燃焼時間:約3時間20分( 標準モード運転時)」との記載があります。この数字をどう考えるか、が問題です。  師走の冬空の下、 無為な 時間を過ごすことを心がけています。    ここ数十年間 走った記憶がありません。5年前に買ったランニングシューズは、専らトレッキングシューズとして使用しています。師走には毎年、来たる年も「不可走」と決意を新たにし、走らないことになぜか意固地になっています。が、昔から逃げ足だけは速く、いまも健在であると信じています。

TWEET「異例ずくめで、センシティブです」

 昨日の昼前には、「楽天モバイル」の「通話 SIM」が届き、つい今しがたまで弄ばれていました。ダーウィンよろしく、ガラパゴス諸島(ガラパゴス・ケータイ)での独自の進化を目のあたりにしてきた私にとって、新大陸に吹く風は冷たく、相応の時間を要しました。  「伝言メモ」の機能がなく、有料の「留守番電話サービス」に申し込みました。  列島は懐かしく、外来種としては異例ずくめで、センシティブです。

「拝復 Nさんへ_陸に沈む」

「北海道コンサドーレ札幌」の最終戦、残念でしたね。帰路、 三人そろって悪酔いしたの でしょうね。 子どもたちには、「好きなように生きればいい」と、口癖のようにいっています。 「iPhone SE」が、3.3000円、「楽天 SIM」が、1480円/月 です。ドコモの携帯電話よりもお値打ちです。 電話番号はごく少数の人にしか教え ないつもりです。過去を清算します。陸に沈むことを考えています。が、現塾生たちには教えざるをえず、困惑しています。 以下、 TWEET「過去はもう沢山だ!」 です。 ご丁寧なご挨拶、また細やかなお心配り、どうもありがとうございました。 札幌はもう真冬ですね。くれぐれもご自愛ください。 TAKE IT EASY! FROM HONDA WITH LOVE.

「前略 H君へ_渡岸寺さんで合格祈願です」

テスト明けには毎回 各学年一日ずつお休みをもらっています。休日を利用して、滋賀県長浜市(湖北)にある、渡岸寺(どうがんじ)の十一面観音を拝観してきました。湖北は「観音の里」です。旅慣れた地です。 いよいよ藁にもすがりたい時期の到来ですね? 前回は失礼しましたが、今回は入念に、一日ならず二日間にわたって、十一面観音の御前(みまえ)にて、合掌してきました。私の最も好きな観音様の御前での合格祈願です。霊験あらたか、と信じています。その際には御守を求めましたので、近日中に郵送します。いま二つの御守が手元にあります。二つご入り用の際には、遠慮なくお申しつけください。早速送付いたします。相乗効果にあやかれるかもしれません。 受験生の実力は横一線です。後は神頼みです? 渡岸寺の十一面観音様の御加護に勝るものはないと確く信じて おります。来春には、お礼参りに行きましょう。 第一級の寒波の到来との予報ですね。 くれぐれもお大事になさってください。ご自愛ください。 GOOD LUCK! FROM HONDA WITH LOVE. 追伸: 「初冬をゆく」についてはブログをご覧になってください。乱雑を極めた旅です。 また、ご返信ご不要です。ご心配ご無用です。

「拝復 Dr.T様_後ほどブログ上にて」

テスト後には毎回 各学年一日ずつお休みをもらっています。 「初冬をゆく」には、まだ続きがあり、お手の物の車中泊、その後…。 後ほどブログ上にてお会いしましょう。 「ラーメンとカレーの詰め合わせ」、楽しみにしており ます。 Kさんにその旨、よろしくお伝えしてください。 初冬の旅を終え、来春受験が 終わ るまでは鳴りを潜めるしかないと、覚悟しています。 お便り、どうもありがとうございました。 真冬の気圧配置とのこと、くれぐれもご自愛ください。 TAKE IT EASY! FROM HONDA WITH LOVE.

TWEET「過去はもう沢山だ!」

 「iPhone SE」が、2018/10/24 に手元に届き、以来、「SIMなし」の状態で戯れていましたが、今日の午前中、「楽天モバイル」さんと「通話 SIM」の契約を交わしました。  近頃の「携帯電話」の誤作動、乱脈ぶりは目にあまり、「ドライブモード」に設定して、着歴だけを確認していました。  「過去はもう沢山だ!」とは、小林秀雄が青山二郎に吐いて捨てるようにいった言葉ですが、私も「過去はもう沢山だ!」とばかりに、 「MNP(携帯電話番号ポータビリティ)」にそっぽを向き、「新しい電話番号のアナウンス」を丁重にお断りしました。  しばらくは、何人かを除き隠蔽、陸に沈むことを考えています。押しかけ強盗よろしく、着歴が残り居留守も使えない非情な携帯電話への嫌悪感はつのるばかりです。

TWEET「初冬をゆく_湖北」

いま「長浜ロイヤルホテル」の喫茶室にいます。 渡岸寺の十一面観音を拝観してきました。 2018/10/13 に P 教授と拝観して以来です。 これを近々(きんきん)というのか、遠くというのか、私にはわかりかねますが…。 琵琶湖に背を向けています。 振り向けば、四囲を朱に染め、湖水に陽が沈むという構図です。 湖北では雪支度が急がれています。 FROM HONDA WITH LOVE.

TWEET「初冬をゆく_舘山寺温泉」

いま舘山寺にある「ホテル 九重」さんの喫茶室にいます。 北浜名湖の内浦を一望しています。 西風が絶え間なく吹き渡り、湖面にその跡を記しています。 ロープウェイのゴンドラが行き交い、時折 遊覧船が行き来しています。 波枕の旅の続編です。 明日は「今津か長浜か」? FROM HONDA WITH LOVE.

TWEET「初冬をゆく_伊良湖岬」

いま「伊良湖ビューホテル」の喫茶室にいます。 波風ともに強く、伊勢湾フェリーの乗船を見合わせました。 恋路ヶ浜の沖に見えるのが、三島の『潮騒』の舞台となった神島です。 柳田が伝え、藤村が作詞した、「椰子の実」の曲が流れています。 渡り鳥のシーズンです。サシバは、伊良湖水道を越え、はるか台湾、フィリピンへと向かいます。 次回は陸路、お伊勢さんへと向かう予定 です。 FROM HONDA WITH LOVE.

「禁を破っての 三浦哲郎『忍ぶ川』です」

 学生時代には、文キャンで講演をうかがう機会に恵まれ、十月の在京時には、 P教授の口の端に上った、『忍ぶ川』を読んだ。もう小説は読まない、という禁を破ってのことだった。  芥川賞受賞作である。三浦哲郎 二十九歳の作品である。  いつの頃からか、小説は冗長で我慢ならなくなった。登場人物の挨拶にはじまり、いくつかの伏線が敷かれ、感情の表出があり、情景の描写がある。それらが鼻もちならなくなった。うるさく感じるようになった。  六十になんなんとする私にとって、青春小説を読むことほど気恥ずかしいことはなく、時に逃げ出したくなるような気分にもなる。が、三浦哲郎は寡黙だった。  選者の川端康成氏は選評に「『忍ぶ川』は私小説だそうである。自分の結婚を素直に書いて受賞した、三浦氏は幸いだと思える」と述べている(奥野健男「解説」386頁)  が、一概にそうとばかり、呑気にかまえてもいられまい。  「うちつづく子らの背信には静かに耐え得た父母も、こんなささやかなよろこびにはかくも他愛(たあい)なくとり乱すのである」(56-57頁) の一文は悲痛である。  事実は小説より奇なり。小説より奇なる事実を書いたこの作家の将来が、気が気でならない。 もう小説は読むまい、そんな頑な気持ちから解放されたいま、次は、 ◇ 井伏鱒二『貸間あり』筑摩書房 である。 以下、 「小林秀雄「井伏君の『貸間あり』」 である。

「拝復 P教授様_『バカヤロー解散』再びです」

講演中の一コマの画像といえども、たくさんの情報が盛りこまれ、あらましを知るよすがとなりました。 同志は、ありがたいですね。 「ダメゾウ」の名誉回復に、大暴れしてください。 添付記事、どうもありがとうございました。 今朝、三浦哲郎『忍ぶ川』を読み終えました。帰豊後、すぐに Amazon に注文したものです。ブログ上でお会いできれば幸いです。 今日も当地は小春日和です。 FROM HONDA WITH LOVE. 追伸:一昨日の午前中、父が119番通報し、消防車が来てあわてました。もちろん父の誤認です。認知症の兆候かと、おののいています。その後 父とは冷戦状態です。「バカヤロー解散」です。伊勢詣でに、赤信号が灯っています。

「転ばぬ先の杖はつかない」

 子どもたちと接する際には、「転ばぬ先の杖はつかない」ように心がけているが、時間がないことに託(かこ)つけて、「転ばぬ先の先に杖をつく」失態を繰り返している。「待つ」ことの大切さくらいの心得はあるものの、「猶予もなく」というのが実状である。  「私のカウンセリングの考え方の基本は『無為』ということです。『何もしない』ということですね。それも『何もしないことに全力を傾注する』」 とは、河合隼雄の発言である。  カウンセリングの場面と私の立ち位置と は、自ずから意を異にするが、かといって全く別の世界のできごとでもない。折り合いのつけどころを忖度し、機に応じて子どもたちと向き合うこと、いまの私にいえることはこれしきのことでしかない。 以下、 河合隼雄「何もしないことに全力を傾注する」 です。

「拝復 P教授様_数こそ質である」

「数こそ質である」ことを実感しています。 30代の講師時代、ゼミで「バカヤロー解散」をしました。 教師の伝家の宝刀です。少しの後悔もしていません。 人生は楽しいですね! 金がものを言う、金にものを言わせる世界はかないませんが、数がものを言う世界はすてきです。 今春より、「バカヤロー解散」二回、諭旨退塾処分  二名。節度なき者はお断りです。 当地は今日も小春日和です。 FROM HONDA WITH LOVE. 追伸: 明日でテストが終わります。今回はお伊勢詣でかと思っています。お伊勢さんから南に下って南紀白浜、ご一緒した熊楠記念館まではずいぶん距離がありますね。

「立冬を知らず、小雪みすみすまた過ぐ」

 「立冬」を知らず、「小雪」みすみすまた過ぐ、とは情けない時間の過ごしようをしたものである。  台風24号による塩害で、今秋当地では紅葉がみられなかった。木の葉は枯れて落ち、風に吹かれてカラカラと舞うばかりだった。季節感を逸した一因かもしれない。  週末には師走を迎える。情趣もなく風に吹かれて舞うばかりか。

「拝復 Dr.T様_謝礼です」

「ふらの野菜の里 野菜・果実ミックスジュース」を送っていただき、ありがとうございました。Kさんによろしくお伝えしてください。 父にはその旨伝えておきます。 見ると、温室内は空き缶であふれ、部屋には痕跡もありませんでした。うかつでした。 夏には、「 ふらの野菜の里   」 と「マルセイバターサンド」、また「白い恋人」を、Amazon とオンライン・ショップで検索しましたが、送料が高く意欲を失ないました。 今は、「マルセイバターサンド」と「白い恋人」の類似品をセブンイレブンで買っています。毎日結構食べています。 今日からテストです。テストがはじまってしまえば気が楽です。対策授業云々よりもプリント類の準備に時間がかかります。 数学と理科の計算問題のほぼすべてを個別にみるのは御免蒙りたいところですが、仕方のないことと諦めています。手のかかり過ぎそうな子は、入塾時にお断りするように心がけているのですが、どうしても何人か紛れてしまいます。一対一でみたところで、結果が出るのは稀なことで、前回の中二の女の子の数学の点数は、P点でした。 ご丁寧なご挨拶、また 細やかなお心配り、 どうもありがとうございました。 「 ふらの野菜の里  」 の到来を、 楽しみにしております。 では、では。 時節柄くれぐれもご自愛ください。 TAKE IT EASY! FROM HONDA WITH LOVE.

シリーズ授業「バカヤロー解散です」

 昨夜中一生の子どもたちをにべもなく一掃しました。「バカヤロー解散」です。子どもたちに足蹴にされた格好です。このままでは、塾生が一人もいなくなる勢いですが、中学生におもねる気持ちはさらさらなく、それもまた良しと高をくくっています。節度なき者はお断りです。  学生時代に読んだ 池田潔『自由と規律 ー イギリスの学校生活』岩波新書 が思い出されます。古き良き時代のでき事ではなく、ましてや懐古趣味でもなく、ただ今の問題だと心得ています。

シリーズ授業「ひとへに風の前の塵に同じ」

 今日の午前中には、中二生と『平家物語』の冒頭部分を読みました。註を参照し、原文と現代語訳を照らし合わせながら読み進めるといった、「仏教の無常感」についての、ごくつまらない授業に終始しました。が、今時のお子様たちとのおつき合いには、すべてを負って立つといった覚悟が必要です。  その時々に頭に浮かんだ言葉を、中学生の理解できる言葉に、いちいち翻訳しなければなりませんが、とっさに上手い訳語がみつかるはずもなく失語症に陥ります。  「ひとへに風の前の塵に同じ」には、痛く感じ入りました。自分を塵芥の類と思えば、平安が訪れますが、「塵」」のすぐ後には、「塵にも五分の魂」と続きますので厄介です。 小林秀雄『平家物語』 小林秀雄『モオツァルト・無常という事』 新潮文庫 「成る程、佐々木四郎は、先がけの勲功を立てずば生きてあらじ、と頼朝の前で誓うのであるが、その調子には少しも悲壮なものはない。勿論(もちろん)感傷的なものもない。傍若無人な無邪気さがあり、気持ちのよい無頓着さがある。人々は、「あっぱれ荒涼な(大口をたたく意)申しやうかな」、と言うのである。頼朝が四郎に生食(「いけずき」という名の名馬)をやるのも気紛(きまぐ)れに過ぎない。無造作にやって了(しま)う。」(143-144頁) 「(『平家物語』の)一種の哀調は、この作の叙事詩としての驚くべき純粋さから来るのであって、仏教思想という様なものから来るのではない。「平家」の作者達の厭人(えんじん)も厭世(えんせい)もない詩魂から見れば、当時の無常の思想の如(ごと)きは、時代の果敢無(はかな)い意匠に過ぎぬ。鎌倉文化も風俗も手玉に取られ、……」(147頁)  その際には、小林秀雄の「無常という事」についての二、三の発言が思い浮かびましたが、余計なことは口にしませんでした。私の翻訳能力をはるかに超えたものですし、翻訳なぞはもってのほか、というくらいの心得は私にもあります。 追伸: 対策授業の準備を終え、三連休を迎えました。あとは授業をするだけですので気が楽です。 以下、 小林秀雄「無常の思想の如きは、時代の果敢無(はかな)い意匠に過ぎぬ」 です。

TWEET「冬ごもりの前ぶれ」

 来週末の三連休明けに定期テストが組まれています。非情な仕打ちです。御難続きです。今日から準備にかかります。引きこもりのはじまりです。冬ごもりの前ぶれです。

TWEET「鼻つまみ者」

 平等院から宇治駅までの道すがら、紫煙をくゆらせながら歩いていた。と、若者がすれ違いざまに両手で口をふさいだ。気づいたころには、すでに遅かった。  こんな場合、口をふさぐよりも鼻をつまむのが正解のように思えてならなかった。鼻つまみ者に、鼻つまみ者呼ばわりされるのは心外だったのだろうか。鼻持ちならない、という言葉もあり、分が悪いのはどうしても若者ということになりそうである。

「眼鏡研究社 玉垣さんへ_病気見舞いと感謝の意をこめて」

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 2018/10/12 には、京都国立博物館で「京(みやこ)のかたな」展を見学し、その後平等院へ向かいました。夕日に染まる平等院を望むことが本意でしたが、あいにくの曇り空でかないませんでした。ミュージアム鳳翔館には、土門拳の一枚の写真が掲げられていました。朱に染まった甍が印象的でした。  在京中には、「眼鏡研究社 玉垣」さんで眼鏡を誂えようと思い、出立前に検索しました。するとそこには、【閉店のお知らせ】が記されており茫然としました。  はじめてうかがったのは、 1995/09/24  のことでした。以来、事あるごとにお電話をし、同じ形の眼鏡ばかりを計9点とテンプルを2組拵えていただきました。 「眼鏡研究社 玉垣」  9点の内2点が現役で、3点がなんとか体裁を保っています。    眼鏡はいうにおよばず、メガネケースやメガネ拭き、「 眼鏡のお取扱い説明書」や「お客様控」、そして茶色の紙袋にいたるまで、すべてにおいて手抜かりなくお洒落でした。 ◇2013/06/08 「眼鏡研究社 玉垣 」←【遠近両用】(現在使用中) ◇2012/06/16 「眼鏡研究社 玉垣」 ← ×2点 ◇2010/05/06 「眼鏡研究社 玉垣」 ←【テンプル】×2組 ◇2008/10/18 「眼鏡研究社 玉垣」 ← ×2点 ◇2005/07/28 「眼鏡研究社 玉垣」 ←【偏光グラス】(現在使用中) ◇1998/10/02 「眼鏡研究社 玉垣」 ◇1998/09/10 「眼鏡研究社 玉垣」 ◇1995/09/24 「眼鏡研究社 玉垣」 ←【会員証】の発行 残念でなりませんが、 くれぐれもお大事になさってください。 ご自愛ください。 一刻も早いご快癒をお祈りしております。 また、いままでのご厚意 に感謝しております。

「百閒先生の寝姿_はじめに」

 理由(わけ)もなく、ただ百閒先生の「寝姿」が気になり、手持ちの文庫に当たりました。そして、「居睡」(内田百閒『百鬼園随筆』福武書店)と「又寝」(内田百閒『蜻蛉玉 内田百閒集成15』ちくま文庫)の二つの作品を読みました。  さすがに百閒先生の「寝姿」は、美しく愉快でした。 「玄関の入口の面会謝絶の札のわきに、蜀山人の歌が貼ってある。    世の中に人の来るこそうるさけれ     とは云ふもののお前ではなし」(「又寝」220頁)  調べると、 「世の中に人の来るこそうるさけれ     とは云ふもののお前ではなし」(蜀山人) 「世の中に人の来るこそうれしけれ     とは云ふもののお前ではなし」(亭主) 「面会謝絶」(亭主) 「春夏秋冬 日没閉門」(亭主) と、内田家の玄関先は常ににぎやかだったようです。  百閒先生に倣いて、私も制札を貼るべきか否か、目下沈思黙考中です。ひとえに快眠のためです。

TWEET「MacBook Air」

「Apple Special Event 2018年10月30日」で発表された、 「MacBook Air 8.1」 を購入しました。「シルバー」で「256GBストレージ」のモデルです。  軽やかなキータッチに、文体が左右されるかが目下の最大の関心事です、とつまらないことを考えています。  各種アプリをインストールし、バックアップ等のシステムを組むためにしばらく時間がかかりそうです。厄介でもあり、楽しみでもあります。  以上、「MacBook Air」より第一信でした。

白洲正子「小林秀雄と骨董と文章と」

「小林秀雄の骨董」 白洲正子『遊鬼 わが師 わが友』新潮文庫 「当麻(たえま)」という作品の中に、次のような言葉がある。  「美しい〈花〉がある、〈花〉の美しさといふ様なものはない」   これは世阿弥(ぜあみ)の「花」について語ったもので、その前に、「物数を極めて、工夫を尽して後、花の失(う)せぬところを知るべし」という花伝書の一節があるのだが、この美しい「花」を、「物」に置き換えてみれば、小林さんが美についてどういう考えを持っていたか、知ることができる。  ーー「美しい物がある、物の美しさという様なものはない」そこには叩(たた)けばピンと鳴る手応(てごた)えがあるだけで、あいまいなものは何一つ認められない。物の美しさについて、人はきりなく喋(しゃ)べることができようが、美しい物は沈黙を強いる。小林さんは終始、そこだけに焦点をしぼって書いた作家である。相手は骨董でも文学でも絵画でも変りはなかった。沈黙したものを対象に、無理に口を開かせようとはせず、我慢に我慢を重ねてつき合った後、向うが自然に秘密を明かす時まで待つ。小林さんはいつか私に、自分はある時期ものが書けなくなって、数年間黙っていたことがあるといった。何時(いつ)のことだか私は知らないが、それが骨董に熱中していた期間ではなかったであろうか。(60-61頁) 「無常といふ事」が出版されたのは昭和二十一年だが、この連載を書いたのは戦争中(昭和十七年 - 文學界)で、あきらかにそれ以前の作品とは違っている。 (中略) そのことが直接骨董と関係があるとは言い切れないが、それまでの難解で、硬質な文体とは打って変わって、李朝の陶器に見られるような、えもいわれぬ優しさと、そこはかとない悲しみに満ちており、多くの読者をとらえたのは事実である。少しも感傷的なところのない、それ故(ゆえ)にいっそう人の心を打つ優しさと悲しみは、後に「モオツァルト」の tristesse allante に受けつがれ、「本居宣長(もとおりのりなが)」の物のあはれに開花して、小林さんの文学の主調音となった。  小林が骨董をやっていなかったら、どうなっていただろう、と青山(二郎)さんはしばしばいい、私は青山さんの自慢話だと思って聞き流していたが、今はそうは思わない。フランス文学に育(はぐ)くまれた明晰(めいせき)この上ない

青山二郎「道具茶」

白洲正子『いまなぜ青山二郎なのか』新潮文庫 「『道具茶』といふ言葉は偶像崇拝の意味だらうが、茶の根源的な観点は空虚にある様に思はれる。真の意味で、道具の無い所に茶はあり得ないのである。一個の道具はその道具の表現する茶を語つてゐる。数個の道具が寄つて、それらの語る茶が連歌の様に響き合つて、我々の眼に茶道が見えるのである。何一つ教はらないのに、陶器に依(よ)つて自得するのが茶道である」(青山二郎『日本の陶器』) 「 何一つ教はらないのに」といっているように、青山さんは茶道のことなんか、何一つ知らなかった。ひたすら陶器に集中することによって、お茶の宗匠の及びもつかぬ茶道の奥儀を極めたのだ」(83頁)

「京(みやこ)のかたな_会心の一振」

  2018/10/12  に京都国立博物館で、 「京のかたな」展をみた。その際に誂えた「図録」が届いた。『特別展 京(みやこ)のかたな 匠のわざと雅のこころ』と題された「図録」は、「A4変形判」で 276頁、と大部で持ち重りのするものである。「図録」では二百件の刀剣が紹介されている。  「表紙と小口の部分を開くと」、「吉光」と銘打った短刀の全体像があらわれる。「図録」を調べると下記の短刀であった。 重要文化財 四三 短刀 銘 吉光 (名物秋田藤四郎) 一口 鉄 鍛造 平造 三ツ棟 鎌倉時代 十三世紀 京都国立博物館(71頁) 第Ⅲ章 京のかたなと吉光(鎌倉時代前期ー中期)  十三世紀初頭頃から京都・粟田口周辺に居住した刀工群を粟田口派と呼び、中でも後鳥羽上皇の御番鍛冶と伝える国友・国安を含む久国・国清・有国・国綱の六人がつとに知られています。地鉄の精緻さや焼刃の古雅さといった山城鍛冶の特徴とみられる作風の多くはこの粟田口派の作品を基準として語られる場合が多く、粟田口派の作品こそが京刀の典型と言えます。粟田口派は鎌倉時代を通して活躍し、国友の子とされる則国や彼に連なる国吉を経て、ついに稀代の名工・吉光が生まれます。吉光は山城鍛冶の一つの到達者であり、神妙無類の地鉄はここに極まり、その品位の高さは後に豊臣秀吉さえも虜にしました。  この章では粟田口派の代表工全員の作品と吉光の傑作を紹介し、その抜きん出た技量と作品の放つ品格を堪能していただきます。(56-57頁) 吉光の会心の一振が、「図録」の表紙の中央を横断する格好で描かれている。そして、その部分部分は、表・背・裏表紙の意匠として具合よくおさまっている。

「前略 Nさんへ_ラベンダーの香りに包まれて」

「ファーム 富田」 の「アロマディッシュセット」と「フェイスタオル」、どうもありがとうございました。早速 車内に置き、運転中には、ラベンダーの香りに包まれています。  教育現場は異常です。職員室の人間関係は複雑です。正常でないと知りながら、改善しようとしないのもまた教育現場です。保身、事なかれ主義の権化です。私は教育に不信感を抱き続けています。とうの昔にあきらめています。 ご無理だけはなされないように、と祈るばかりです。 くれぐれもお大事になさってください。ご自愛ください。 よろしければ、息抜きにまたご来豊ください。大歓迎です。 FROM HONDA WITH LOVE.

梅原龍三郎「春に送る」

「北京の空は裂けたか 梅原龍三郎」 白洲正子『遊鬼 わが師 わが友』新潮文庫 「小林秀雄さんは梅原先生の一番の理解者であった。」 「どういう縁でか、小林さんが慶応病院で亡(な)くなった時、梅原さんも一階上の病棟で呻吟(しんぎん)していられた。そんな時に、年下の友人を失うことは、さぞかし辛(つら)いことであろう」 「先生の深い悲しみは、小林さんの葬儀の際の弔電によく現れていた。」 「梅原さんでなくてはいえないような、直截(ちょくせつ)で、簡明な表現だった。」    美しき春を迎えし時に    悲しき報(しら)せを聞き    在りし日の    君を想うとき     哀しみは      限りなし 「これを聞いて感銘をうけぬ参列者はいなかった。」(189頁) (「新潮」追悼号)

白洲正子「三月一日の夜半すぎ」

「小林秀雄の骨董」 白洲正子『遊鬼 わが師 わが友』新潮文庫  三月一日の夜半すぎ、電話を貰(もら)って私は雨戸をあけた。空には十六夜(いざよい)の月がかがやき、梅の香りがただよっていた。私たちが病院へ駆けつけた時、小林さんは、既に亡(な)く、二、三の家族だけが静かに最期(さいご)をみとっていた。その死顔は穏やかで、やっと俺も休むことができると、呟(つぶや)いているようであった。私は、「涅槃(ねはん)」ということの意味をはじめて知った心地がして、思わず手を合わせた。(67-68頁) (「新潮」昭和五十八年四月臨時増刊号)

「拝復 P教授様_ご講演、また『びわ湖 長浜 / KANNON HOUSE』」

ご講演会の立派なポスターに、眼を見張っています。 これを機に、 白洲正子『遊鬼 わが師 わが友』新潮文庫 「瞽女(ごぜ)の唄(うた)」 を読み直します。「小林ハル」の名も見うけられます。 すてきな添付ファイル、どうもありがとうございました。 FROM HONDA WITH LOVE. おはようございます。 「びわ湖 長浜 / KANNON HOUSE」 展覧会ではなく、 常設の観音堂なんですね。長浜の観音さまが上京された際の定宿ですね。粋な図らいですね。 情報のご提供、どうもありがとうございました。 FROM HONDA WITH LOVE. 追伸:「iPad mini 3」「the 6th iPod touch」の再インストールをしています。自虐的で す。

「霜降から六日後の今日」

京都国立博物館で、「京(みやこ)のかたな」展を見た 2018/10/12 以来、読んだ本は、 ◆ 司馬遼太郎『十六の話』中公文庫 ◇〈対談〉井筒俊彦 司馬遼太郎 「附録 二十世紀末の闇と光」 ◇「アラベスク ー 井筒俊彦氏を悼む」 ◆『井筒俊彦全集 第八巻 意味の深みへ』慶應義塾大学出版会 ◇「言語哲学者としての真言」 ◆白洲正子『いまなぜ青山二郎なのか』新潮文庫 と、わずかですが、座右に書があることの幸せを思います。  が、 白洲正子『いまなぜ青山二郎なのか』新潮文庫 「戦後まもなく秦秀雄さんが代々木に「梅茶屋」という割烹(かっぽう)旅館をひらいた。忽(たちま)ちそこは「青山学院」のたまり場となり、小林・青山をはじめとする多くの文士が集って来た。三好達治さんのように長い間居つづけする人もおり、青山さんのようにそこを仕事場にしている人もいた。例によって秦さんの「悪癖」が災いして、わずか数年で潰(つぶ)れたが、私にとっては見るもの聞くものすべてが珍しく、一生のうちであんなに楽しかったことはない。  夜になるとみんな広間に集って酒宴がはじまる。多い時は二、三十人もいて、真中に小林さんと青山さんが並んで座る。「高級漫才」がはじまるのはそういう時で、先にからむのは青山さんの方であった。 「オイ、小林、お前の文章はダメだぞ。いつもこういう席で喋べってることとは違う。お前は酒を飲むといきり立って、たとえばゴッホを見た喜びを語るだろ。その方が書くものよりずっと面白い。生きてるんだ。文章になるとそうは行かん。  ハイ、御見物衆、今度は何が釣れますか、よォく見てて下さい。ヤ、象です。象がかかりましたゾ。重い。重い。やっとあがりました。あがって行きます、もっとあがります…オットットット…ボッチャーン!  そこでお前は落っことすのだ、大事なものを。御見物衆は、お前の手つきが面白いから一生懸命見てる。手つきばっかり見て、巧(うま)いもんだと感心してるから、獲物を落っことしたことに気がつかない。ダメじゃないか、そんなことじゃ…」  とまあそういったことをくり返し、執念深くいじめるのだ。はじめのうちは小林さんも、「書くのと喋べるのとは違う」とか、「俺が至らないんだナ」とかおとなしく受け答えしているが、いつもの勢のよさはない。それというのも、あまりにもほんとうのことだから、返す言葉もな

「拝復 P教授様_研究室でこつこつと執筆活動」

「今日も、研究室でこつこつと執筆作業。 日々の時間を活字という形にして残せる仕事は、幸せです! 時間と思考を活字に封じ込める仕事は、更に幸せです!」 詩の世界の住人になられたのは、いつの頃の出来事だったのでしょうか。 すっかり置いてきぼりを食った格好です。 ひき続きまして、すてきな週末をお過ごしください。 FROM HONDA WITH LOVE.

TWEET「執着の心延え」

 予定通り、三日前の午前中に「iPhone SE」が届きました。「32GB」の「ピンクゴールド」です。とりあえず、第6世代の「iPad touch」内のアプリと同じアプリを入れました。「SIMなし」ですので、単体では通話もインターネットも敵いません。外出時には「携帯電話」と「iPhone SE」,「モバイル WI-FI ルーター」の三台持ちです。  昨日不覚にも、「iPhone SE」をアスファルトの上に落とし、前面の右下が瑕つきました。手荒い洗礼に寒々とし、たちまちのうちに熱情から冷めました。執着(しゅうじゃく)の心延(ば)えは、悪さをします。奈落への道標ですので救われました、といえば格好もつくというものですが、明日届くケースが首尾よく瑕を覆ってくれないものか、と依然情けないことばかり考えております。

「A very Merry Xmas And a happy New Year!」

A very Merry Xmas And a happy New Year!  祝祭 の前倒しです。常に「追われる」より「追う」側に与(くみ)したいものですね。  早春に、Nさんと 「葛城 北の丸」 さんに食事にうかがった際には、財布を忘れ、後日取りにいきました。分厚く ポケットに納まらない財布は、手で持ち歩くことが多く、運良くことなきを得たものの、忘れ物が常態化していました。  これを機に財布を新調しました。 「PORTER / PORTER CURRENT / WALLET」 は、Nさんのご来豊記念です。  Hに同じものをお贈りしました。おそろいです。 「降誕祭」と「初春(はつはる)」の、今日の佳き日を機に、新たな気持ちでのぞんでいただければ幸いです。 FROM HONDA WITH LOVE.

「拝復 P教授様_独往の人 會津八一」

「昨日、新宿の中村屋サロン美術館で開かれている『會津八一展』を覗いてきました。 “獨往”のひと言に尽きます。」 おはようございます。 「獨往」のひと言、どうもありがとうございました。  孤高、また自足。己が心の内には土足厳禁、独立独歩の人というほどの意でしょうか。     都には華があり、羨望の眼差しを向けています。 お便り、どうもありがとうございました。 FROM HONDA WITH LOVE. 以下、 「独往(どくおう)の人 會津八一展  ー自分の道を、信じて進むー」 です。

TWEET「思いがけなくも晴れて iPhone デビューです」

 京都国立博物館で開催されている「京(みやこ)のかたな」展に出かける数日前から、携帯電話が誤作動を繰り返すようになり困惑しています。昨日ドコモショップに行きましたが、時代錯誤もはなはだしい料金体系にあきれ、さっさと帰ってきました。  帰宅後早速、「iPhone SE」を注文しました。明日の午前中には届く予定です。しばらくの間、「SIM」無しで遊ぼうと思っています。  思いがけなくも晴れて「iPhone デビュー」です。スマートフォンにするならば、スティーブ・ジョブズの面影が見え隠れする 4インチの「iPhone SE」と決めていました。「SE」とは「Steve Jobs's Edition」の略称と、勝手に決めこんで、一人悦に入っています。眠れぬ夜を過ごしそうです。

「拝復 P教授様_『書評』という名の一編の『学術論文』」

「 『いの一番』です。『書評』のたたき台です。『校正用 C』です。」  新阪急ホテルでお見かけした、あの大部な専門書を丹念に読まれ執筆されたことが、明らかに見てとれました。「書評」という名の「論考」ですね。「決定稿」に至るまでの校正の軌跡を、楽しみにしております。 FROM HONDA WITH LOVE. 「もう一つの『いの一番』を添付しました。」  つい今しがたミスタードーナツから帰宅しました、と同時に服薬しました。二信目の原稿は、午睡後に拝読させていただきます。原稿の効用が薬効を上回り、寝過ごすことを恐れています。 FROM HONDA WITH LOVE.  午睡後、早速ファイルを開きました。自分の早合点にあきれ、すっかり目が覚めました。  新道は「掘削」されたんですね。「瞽女」という言葉を目にし高橋竹山を思いました。ご講演でのひと暴れに期待しております。 以下、「第二稿」です。 「書評」という名の、一編の「学術論文」を執筆されていらっしゃるんですね。 では、では。 くれぐれもご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE. 追伸:いまマクドナルドに陣取っています。いつものテーブル、いつもの椅子です。

「前略 H君へ_静謐の秋です」

模擬試験、どうもお疲れさまでした。一息いれてください。  湿原の散策に行き、つい今しがた帰宅しました。  掲示に図示 されている、サワギキョウとホソバリンドウの花がどうしても見つかりませんでしたが、三日目の今日、ホソバリンドウを見つけました。 たそがれ時のホソバリンドウは、花弁を閉じていました。高貴な紫を纏ったホソバリンドウの花はすてきです。早速 明日出直します。  湿原に咲く秋草を見やれば、季節が一つ巡ったことが、はっきり見てとれました。     静謐の秋です。 GOOD LUCK! FROM HONDA WITH LOVE.

「拝復 H君へ_「言い値」で結構です」

国の教育行政を文科省をあざ笑っているとしか思えない TITの入試制度は痛快ですね。 明日の駿台の TIT模試でのひと暴れに期待していおります。ただし、一喜一憂だけはしないでくださいね。春に笑えばそれでいいだけのお話です。 合格祝いを取りにご来豊ください。「言い値」で結構です!? ご丁寧なご返信、どうもありがとうございました。 TAKE IT EASY! FROM HONDA WITH LOVE. 追伸:塾生には「神様、仏様、本多様」と伝えてあります。

「前略 H君へ_上には上がいます。先には先があります」

司馬遼太郎『十六の話』中公文庫  をお送りしました。明日到着の予定です。 ◇〈対談〉井筒俊彦 司馬遼太郎 「附録 二十世紀末の闇と光」 ◇「アラベスク ー 井筒俊彦氏を悼む」 の二編を、この順に、受験勉強の合間の手遊びに読んでみてください。 京都大学特別教授で、ノーベル医学生理学賞の受賞が決まった本庶佑氏は、色紙に、 「有志竟成(ゆうしきょうせい)」 と自書するそうです。 「固い志をもつ者は、必ず目的を成し遂げることができる 」というほどの意味だそうです。  高校球児にとって「浪人」は、「通過儀礼(イニシエーション)」のようなものだと思っております。「元服」という「通過儀礼」を失った日本人は、ご覧のとおりの体たらくです。「元服」によって成人は、 武士としての美学に因ることを促されたのだと思っています。 明石康氏は、 ◇ 明石康,NHK「英語でしゃべらナイト」取材班『サムライと英語』角川oneテーマ21 のなかで、 「『見ん人のためにはあらで奥山に おのが誠を咲くさくらかな』 (中略)   新渡戸(稲造)が『 Bushido (武士道)』で説きたかった日本人の精神性をひとことで言い表した歌である。」(221頁) と書いています。  上には上がいます。先には先があります。 当地では、高く澄みわたったすてきな秋空が広がっています。お父さんに倣い、カヌーで水面に浮こうか、と考えています。 TAKE IT EASY! FROM HONDA WITH LOVE. 追伸:ご返信ご不要です。また、ご心配ご無用です。

「前略 P教授様_旅の終わりに」

 予想だにしなかった、すてきな旅行になりました。いまだに高揚しています。夢現です。  塾生たちは、無鉄砲な旅にあきれ顔をしています。私をはるかに上回る “貴人” の所在に、泰平の眠りを覚まされたようです。  さわやかなご弁舌、またご健啖。おみごとなご一喝。P教授の出前集中講座を今後に生かします。  これを機に「近江路散歩」を続けましょう。船出して「琵琶湖周航の歌」ごっこもいいですね。 次回からは、三人がいいですね。Yさんにその旨、よろしくお伝えしてください。 遠くないいつかお会いできます日を楽しみにしております。 よりいっそうのご雄飛をお祈りしております。 また。 くれぐれもご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE.

TWEET 「当て所なく」

 今回の京都、湖北を巡る小旅行では、思いがけなくも P教授との、およそ十年ぶりの再会という椿事に恵まれ、旅程が変わり、当て所(あてど)なく、突然 “行方不明” になりました。   いま財布の中には、「京都 → 米原」間の復路の切符が入っています。今回の顚末を語る記念切符です。旅の思い出とともに大切にしたいと思っております。

「前略 H君へ_やはり気になるのは、東大・仏文科です」

2018/10/12 いま京都に遊んでい ます。「 京(みやこ)のかたな 匠のわざと雅のこころ」展を見て、京都国立博物館前のホテル「HYATT REGENCY KYOTO」の喫茶室でくつろいでいます。 宙に浮き、 質量感を欠いた「かたな」は、光でした。 京は刺激に満ちています。 FROM HONDA WITH LOVE. 上記のメールをお父さんと東京在住のK大のP教授に送りました。お昼少し過ぎのことでした。間もなくP教授からお電話をいただき、19:00に、新大阪駅前の「新阪急ホテル」のロビーで待ち合わせることになりました。およそ十年ぶりの再会です。旅程が変わり、突然行方不明になりました。 その後、平等院へ向かいました。鳳翔館の「雲中供養菩薩像」は端正な顔立ちをしていましたが、「鳳凰」はすっ裸で、私の眼には貧相に映りました。日没を待ちましたが、雲におおわれた夕空は、朱に染まることなく、 「走る仏像」 は、次回を期することにしました。 新大阪駅のプラットホームで、何番出口から出ればいいのか、途方にくれていると、どうした巡り合わせか P教授と遭遇し命びろいしました。チェックイン後には、昭和を彷彿とさせる「いこい食堂」という名の居酒屋さんにて歓談、談笑。旧交を温めました。 大阪泊後、車を駐めてあった米原駅にもどり、二人で「鶏足寺」「渡岸寺」の十一面観音を拝観しました。湖北は「観音の里」です。美しく、尊く、ただ立ちつくしていました。 白洲正子,牧山桂子 ほか『白洲正子と歩く京都』(とんぼの本)新潮社 「仏像に関する知識などまるでないので、ぼんやり眺めているだけでしたが、やはりほんとうに美しい仏さまは、ただ美しいというだけで、自然に拝みたくなりました。これは当たり前のことでしょう」 ( 68 頁) 「当たり前のこと」を実感しました。 その後、彦根駅前の居酒屋「目利きの銀次 彦根西口駅前店」さん、また老舗の「彦一」さんへと場所を移し、今生の別れ(?)を惜しみました。P教授は新大阪で連泊後、学会へ。私は長浜 IC から高速にのり、10/14 の深更 2:30 に帰宅しました。 P教授のさわやかな弁舌を聞くにつけ、「京のかたな」、古寺・古仏を拝観するにつけ、思うことの多い旅でした。 最後に、