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10月, 2019の投稿を表示しています

「令成元年 秋空の下_行方定めぬ旅枕」

「2019/10/30 拝復 P教授様」 おはようございます。 いま「ホテル&リゾーツ 長浜」の喫茶室にいます。琵琶湖を正面に望んでいます。波立つ湖面を観光船が巡っていきます。出廷を見合わせています。凪ぐことばかりを祈っています。 40年後を見越しての、とは壮大ですね。 FROM HONDA WITH LOVE.

「令成元年 秋空の下_『神さま』の降臨」

2019/10/23   聖林寺 からの帰路、近鉄橿原線の車中で小林秀雄に似た年配の女性を拝見した。横顔しか分からなかったが、瓜二つだった。  突然「神さま」が降臨された。ようやく出会えた気がした。静かに拝顔させていただいた。乗り換えの平端駅では、心中で合掌しつつ、別れを惜しみつつ、席を立った。

TWEET「自由という名の修羅場」

「自由参加」の「 夏のやり残し講習」に困惑している、と幾人かの父兄がこぼしていることを耳にした。「自由」に盾を突いた格好である。と時を同じくして、通常授業を含めたすべての授業を「 自由参加」にした。また、遅刻、病欠はいっさい顧みず、と子どもたちに告げた。 「京都大学は自由という名の修羅場である」とは、石井完一郎 京都大学名誉教授の言である。「修羅場」をくぐることが通過儀礼であり、身にひき受けなければ自由の味わいが分からないとすれば、身にひき受けざるを得ないだろう。そうであれば早い時期に、修羅場をくぐるにこしたことはない。  顛倒している。  もちろん退塾は自由であるが、退塾勧告の裁量は私の掌中にあり、私の自由であることを改めて申し上げておく。  また、「自由参加の夏期講習」にいくと先生に叱られる、とは塾を休む口実 であって、私とは無縁であることを申し添えておく。  この地平に留まるのはやりきれず、今後委細かまわず、ということにさせていただく 。

「令成元年 秋空の下_合格祈願」

  聖林寺と渡岸寺で、合格祈願の御守りを三つずつ買った。 「この御守りは私の祈りであり、愛の賜物です」 と言って受験生諸君に渡した。  御仏にすがる思いをしているのは私だけで、受験諸君はいたって呑気である。思えば、私の願いさえかなえば、ということである。それにしても「合格祈願」とは、いかにも即物的である。

「令成元年 秋空の下_旅時の支度」

  道案内に時刻表、乗り換え駅に到着時間に、と「Google MAP」なしには成り立たない旅だった。  帰宅後早速、 ◇ エレコム「車載 スマホホルダー マグネット式【スマホリング付き】」 を注文し、つい今しがた取り付けた。   デイパックを背負っての旅だったが、「サコッシュ」または「ウエストバッグ」があれば、小物の出し入れに便利である。いずれも釣行時、冠婚葬祭用のもので代用が効く。  後は「ザックカバー」、 Bose のポータブルワイヤレススピーカー「SOUNDLink Mini」、「下着の替え!!」といったところか…。 「秋空の下」、試行錯誤を続けます。

「令成元年 秋空の下_『井筒俊彦ざんまい』を携えて」

 近江・奈良大和路の旅( 2019/10/23,24 )の前日には、 ◇ 若松英輔 (編集)『井筒俊彦ざんまい』慶應義塾大学出版会 が届き、また、 ◇ 信濃川日出雄『山と食欲と私 9(鮎美の富士山リベンジ編 ①~④)』新潮社 ◇ 塀内夏子 『おれたちの頂 復刻版』ヤマケイ文庫 ◇ 空木哲生『山を渡る -三多摩大岳部録- 1』ハルタコミックス の三冊の漫画を携えていったもののいずれも開かずに終わった。  帰宅後、『井筒俊彦ざんまい』を拾い読みし、いま『おれたちの頂 復刻版』を再読している。そして、「渡岸寺」また「国友鉄砲の里資料館」で耳にした、 ◇ 井上靖『星と祭り』角川文庫( Kindle版) を、絶版中につきダウンロードした。 なお、 ◇  本間順治『日本刀(復刻版)』岩波新書 については手に入らず、「重版」待ちである。  以上、私の貧しい「秋の読書週間・中間報告」でした。

「令成元年 秋空の下_ホテル&リゾーツ 長浜」

  ホテル&リゾーツ 長浜(旧:長浜ロイヤルホテル) で、朝食にトーストセットをいただいた。琵琶湖を眺めながら優雅なひと時を過ごした。喫茶室のトーストは絶品だった。 「日帰りプラン」があることを知り、一人息巻いている。

「令成元年 秋空の下_旅装を解かず」

「拝復 Dr.T様_旅装を解かず」 おはようございます。 返信されたメールを見失い、たいへん遅ればせながらも…。 琵琶湖での舟遊びは、来週の、また再来週の 水・木曜日を逸すると、今シーズンは絶望的かと思っています。旅装を解かずに、天気とにらめっこしています。防寒着については、「モンベル 豊橋店」さんで適当に見繕ってもらいました。 雪の降りしきる、雪の降り敷く湖北の地を夢見ています。列車を乗り継いでの旅の予定です。 FROM HONDA WITH LOVE.

「令成元年 秋空の下_覚書き」

淡青色に染まった狭霧に包まれ、 満々と水を湛えた 朝ぼらけの 琵琶湖のある風景は、殊に美しかった。 2019/10/23 ◇ 奈良県桜井市 聖林寺「十一面観音」 はじめての拝観だった。高邁な御姿を、畏まり仰ぎ見ていた。繊美な指の表情に目を凝らしていた。 ◇ 奈良県奈良市五条町 唐招提寺 「天平の甍」を望み、「鑑真大和上御身代り像」に見え、「鑑真和上御廟」で合掌した。 2019/10/24 ◇ 滋賀県長浜市高月町 渡岸寺「十一面観音」 今春来の再会だった。去り難く名残は尽きなかった。 ◇ 滋賀県長浜市国友町 「国友鉄砲の里資料館」 いまも変わらぬ国友の町の心意気を感じた。清潔な町だった。司馬遼太郎の『街道をゆく 24』で知った。

TWEET「とんだお笑い種」

「(父が死んだ際には)相続税を納めることができるかどうか、楽しみにしています」 と、先日塾生の父兄から誠に有難いお言葉をいただき、世の中にはずいぶんいろいろな楽しみがあるものだ、と感心しきりでした。 「存分にお楽しみください」 としか申し上げようがなく、もし納めることができないようでしたら、とんだお笑い種ですが、それはそれでいっこうに構わず、と観念しております。鴻鵠の心延えは、私の如き燕雀には理解し難く、以来秋思に暮れております。 「小鳥のさえずり」が続きます。

TWEET「大特集 富士山_登拝,遥拝」

◇ 『山と溪谷 2019 No.1015 11』山と溪谷社 の、「大特集 富士山」におおよそ目を通した。 「大特集」だった。 「登拝(とはい)」,「遥拝」という言葉を知った。「登拝」はとうていかなわないとしても、P教授から招待券をいただいた、「白洲正子のライフスタイル 暮らしの遊(すさ)び展」の往復には、車窓から、ぜひ「遥拝」したいものである。 以下、 TWEET「大特集 富士山」 です。

TWEET「見透かされる」

「楽天市場」の「売れ筋アイテムランキング」を見るとはなしに見ていると、 ◇ 本間順治『日本刀』岩波新書 が目に留まった。今月「復刊」されたばかりの新書である。早速注文した。   京都国立博物館で、 「 京(みやこ)のかたな 匠のわざと雅のこころ」展 を見たのは、 2018/10/12  のことだった。 「内容紹介」には、 「日本刀の研究にかけては当代随一であった著者が,その蘊蓄を傾け,基礎的知識を平易明快に説いた書.日本刀の歴史,特色,鍛錬,研磨,鑑定,取扱い,保存まで多岐にわたり解説,国宝・名物等にも論及.1939年刊.」 とある。  また、 「 京(みやこ)のかたな」展  前後には、井筒俊彦の著作に耽っていたが、そうこうしているうちに、 ◇  若松英輔 (編集)『井筒俊彦ざんまい』慶應義塾大学出版会 を Amazon が提示してきた。こちらは 2019/10/12 に発売されたばかりの新刊である。好悪の別はさておき、Amazon さんの演出は心憎く、見透かされ、いつも痛いところをついてくる。  秋の読書週間 事始め、とします。 以下、 「前略 H君へ_やはり気になるのは、東大・仏文科です」

TWEET「楽譜が大事と思いたい」

 伯父の通夜式、告別式を通じ、経を音曲を聞くように聞いていた。音曲に人品が反映されないはずは なく、終始意地悪な、場違いなことばかり考えていた。  「楽譜」か「演奏」か。「楽譜」が大事と思いたい。

TWEET「私は貝になりたい」

◇ 白洲正子『西行』新潮文庫  の帯には、 能あるものは、 そっと黙っていよ。 -----ゲーテ と記されていますが、能なき私は…。 「とかくに、人の世は住みにくい」 「人の世」が「住みにく」ければ、「人で無し 」として生きる他ないだろう、と諦めた。 「 三十六計逃げるに如かず」 固く口を閉ざし、雲隠れすることに決めた。 一人がいい一人でいい。

TWEET「ご破算」

  伯父が急逝し、テスト明けの 近江・奈良大和路への旅がご破算になりました。旅路で訃報に接することを思えば、と納得しています。  冥福を祈るばかりです。

TWEET「大特集 富士山」

予約しておいた、 ◇ 『山と溪谷 2019 No.1015 11』山と溪谷社 が昨日届いた。 「大特集 富士山」 「富士山」の「大特集」とあらば、読まねば日本人の沽券に関わると大仰なことを思い、予約した。何項かに目を通した。以降が楽しみである。  そして、これを呼び水に、「信仰の対象と芸術の源泉」である霊峰について思いを巡らせ、裾野を広げたいと思っている。  私には「新春特別号」のように思えてならない。

「拝復 P教授様_吹く風も野分めいて」

お心づかいに感謝しております。 郵送していただいた、「白洲正子のライフスタイル 暮らしの遊(すさ)び展」の「招待券」を無駄にしないようにと、カレンダーとにらめっこしております。 上京のときがきたようです。 どうもありがとうございました。 小林秀雄の読み書きが、いつしか白洲正子の読み書きに化けてしまいました。 「吹く風も野分め」く候、くれぐれもご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE.

TWEET「テスト明けに_聖林寺 十一面観音像」

週末には、近江、奈良大和路へと思っている。脈絡のない乱雑な旅です。 「聖林寺から観音堂へ」 白洲正子『十一面観音巡礼』講談社文芸文庫  はじめて聖林寺をおとずれたのは、昭和七、八年のことである。当時は今とちがって、便利な参考書も案内書もなく、和辻哲郎氏の『古寺巡礼』が唯一の頼りであった。写真は飛鳥園の先代、小川晴暘氏が担当していた。特に聖林寺の十一面観音は美しく、「流るる如く自由な、さうして均衡を失わない、快いリズムを投げかけてゐる」という和辻氏の描写を、そのまま絵にしたような作品であった。聖林寺へ行ったのは、それを見て間もなくの事だったと記憶している。 (中略) お寺へ行けばわかると思い、爪先上りに登って行くと、ささやかなお堂につき当った。門前には美しいしだれ桜が、今を盛りと咲き乱れていた。  案内を乞うと、年とったお坊さまが出て来られた。十一面観音を拝観したいというと、黙って本堂の方へ連れて行って下さる。本堂といっても、ふつうの座敷を直したもので、暗闇の中に、大きな白いお地蔵さんが、座っていた。「これが本尊だから、お参り下さい」といわれ、拝んでいる間に、お坊さまは雨戸をあけてくださった。さしこんで来るほのかな光の中に、浮び出た観音の姿を私は忘れることが出来ない。それは今この世に生まれ出たという感じに、ゆらめきながら現れたのであった。その後何回も見ているのに、あの感動は二度と味えない。世の中にこんな美しいものがあるのかと、私はただ茫然とみとれていた。(7-8頁)  十一面観音は、三輪神社の神宮寺に祀ってあったのを、明治の廃仏毀釈の際に、ここへ移されたと聞いている。住職は当時のことをよく覚えていられた。発見したのはフェノロサで、天平時代の名作が、神宮寺の縁の下に捨ててあったのを見て、先代の住職と相談の上、聖林寺へ移すことにきめたという。その時住職は未だ小僧さんで(たしか十二歳と聞いた)、荷車の後押しをし、聖林寺の坂道を登るのに骨が折れたといわれた。三輪には、観音様といっしょに、地蔵菩薩も祀ってあり、一旦はここに移したが、聖林寺には本尊がいられるので、そちらの方は先代住職の兄弟弟子がひきうけ、法隆寺へ移転した。 (中略)  住職は、フェノロサのこともはっきり覚えていられた。穏やかなおじいさんで、観音様を移した時

TWEET「台風19号_問題の風です」

〈18:32〉 雨が上がり、風が出ました。問題は風です。屋根瓦が飛ばされないことを祈っています。

「前略 H君へ_野分見舞いです」

おはようございます。 都は今年 台風の当たり年ですね。都人 一年目の試練ですね。 台風の影響でこの三連休に、試験対策の授業ができずに弱っています。天災には勝てるはずもなく、受験生さえ仕上がれば、と腹をくくっています。 ラグビーはいいですね。やはり英国発祥のスポーツに限りますね。これを機に、米国とサヨナラしてはいかがですか!? では、では。 台風接近中にて、くれぐれもご用心ください。 FROM HONDA WITH LOVE. 追伸:ご返信ご不要です。ご心配ご無用です。 大学祭の中止はつらいですね。 台風にはいつも、肩透かしを食っていますので、いたって呑気にかまえています。いまマクドナルドで授業の準備をしています。 ご丁寧なご挨拶、どうもありがとうございました。 台風接近中にて、くれぐれもご用心ください。 FROM HONDA WITH LOVE. 以下、 「拝復 Dr.T様_対サモア戦後に」 です。

「そして,その翌々日には_仏の御手に抱かれて」

 そして、その翌々日には、途中、信長が鉄砲 500丁をあつらえたと伝えられる鉄砲鍛冶の町 国友を訪ね、湖北に位置する渡岸寺の観音さまを拝観しようと考えています。  あわよくば、観光船で竹生島へ、とも思っています。  旅の終わりには、伊吹 PA から伊吹山を望み、帰路につきます。  旅程といえばこれしきのことで、頼りなく、とはいつものことです。 「湖北の旅」 白洲正子『十一面観音巡礼』講談社文芸文庫  早春の湖北の空はつめたく、澄み切っていた。それでも琵琶湖の面には、もう春の気配がただよっていたが、長浜をすぎるあたりから、再び冬景色となり、雪に埋もれた田圃の中に、点々と稲架(はさ)が立っているのが目につく。その向うに伊吹山が、今日は珍しく雪の被衣(かずき)をぬいで、荒々しい素肌を中天にさらしている。南側から眺めるのとちがって、険しい表情を見せているのは、北国の烈風に堪えているのであろうか。やがて、右手の方に小谷山が見えて来て、高月から山側へ入ると、程なく渡岸寺の村である。  土地ではドガンジ、もしくはドウガンジと呼んでいるが、実は寺ではなく、ささやかなお堂の中に、村の人々が、貞観時代の美しい十一面観音をお守りしている。私がはじめて行った頃は、無住の寺で、よほど前からお願いしておかないと、拝観することも出来なかった。茫々とした草原の中に、雑木林を背景にして、うらぶれたお堂が建っていたことを思い出す。(265頁) 「伊吹の荒ぶる神」  白洲正子『近江山河抄』講談社文芸文庫  近江に十一面観音が多いことは、鈴鹿を歩いた時にも気がついたが、特に伊吹山から湖北へかけては、名作がたくさん残っている。中でも渡岸寺の十一面観音は、貞観時代のひときわ優れた檀像で、それについては多くの方々が書いていられる。こういう観音に共通しているのは、村の人々によって丁重に祀られていることで、彼らの努力によって、最近渡岸寺には収蔵庫も出来た。が、私がはじめて行った時は、ささやかなお堂の中に安置されており、索漠とした湖北の風景の中で、思いもかけず美しい観音に接した時は、ほんとうに仏にまみえるという心地がした。ことに美しいと思ったのはその後ろ姿で、流れるような衣紋のひだをなびかせつつ、わずかに腰をひねって歩み出そうとする動きには、何ともいえぬ魅力がある。十一面観音は

「寒露の今日_夢は枯れ野をかけ廻る」

「大和は 国のまほろば たたなづく 青垣山ごもれる 大和し 美し」  その翌日には、聖林寺の十一面観音菩薩像を拝観し、そして『天平の甍』を望み、あわよくば東大寺へと欲張りなことを考えています。 「聖林寺から観音堂へ」 白洲正子『十一面観音巡礼』講談社文芸文庫 はじめて聖林寺をおとずれたのは、昭和七、八年のことである。当時は今とちがって、便利な参考書も案内書もなく、和辻哲郎氏の『古寺巡礼』が唯一の頼りであった。写真は飛鳥園の先代、小川晴暘氏が担当していた。特に聖林寺の十一面観音は美しく、「流るる如く自由な、さうして均衡を失わない、快いリズムを投げかけてゐる」という和辻氏の描写を、そのまま絵にしたような作品であった。聖林寺へ行ったのは、それを見て間もなくの事だったと記憶している。 (中略) お寺へ行けばわかると思い、爪先上りに登って行くと、ささやかなお堂につき当った。門前には美しいしだれ桜が、今を盛りと咲き乱れていた。  案内を乞うと、年とったお坊さまが出て来られた。十一面観音を拝観したいというと、黙って本堂の方へ連れて行って下さる。本堂といっても、ふつうの座敷を直したもので、暗闇の中に、大きな白いお地蔵さんが、座っていた。「これが本尊だから、お参り下さい」といわれ、拝んでいる間に、お坊さまは雨戸をあけてくださった。さしこんで来るほのかな光の中に、浮び出た観音の姿を私は忘れることが出来ない。それは今この世に生まれ出たという感じに、ゆらめきながら現れたのであった。その後何回も見ているのに、あの感動は二度と味えない。世の中にこんな美しいものがあるのかと、私はただ茫然とみとれていた。(7-8頁) 白洲正子の叙事、叙情、情景描写には、やはり見入ってしまう。 井上靖『天平の甍』   平成九年三月に唐招提寺を訪れた季節、また 平成十四年二月に名古屋市博物館で開かれた  「 唐招堤寺金堂平成大修理記念『国宝 鑑真和上展』」 で 鑑真和上坐像を拝した季節のことが思い出されます。また、 奈良国立博物館『 国宝 鑑真和上展 唐招提寺金堂平成大修理記念 公式図録』が手元にあります。  井上博道『東大寺』中央公論社 で、毎月六日には戒壇院千手堂にて、「鑑真講式(がんじんこうしき)」の法会が行われていることを知りました。 「鑑真講式」については、

「拝復 Dr.T様_対サモア戦後に」

「RUGBY WORLD CUP JAPAN 2019」  地元愛知県出身の、姫野選手情報、どうもありがとうございました。  ホームの豊田スタジアムでの初トライ、見事でしたね。  昨日、NHKの朝7時のニュースを偶然に目にし、中日新聞の一面を読み、そして今朝、インターネットで検索し、姫野和樹選手について、おおよそのことを知りました。たいへんな選手ですね。 「五郎丸歩」vs.「廣瀬俊朗」、両雄の解説者対決は、慶應さんに分がありそうですね。 廣瀬俊朗の母校 大阪府立北野高校の昨年度の大学合格者数は、 東工大 4 東大 3 京大 72 大阪大 58 神戸大 42 と、はじめて目にしたその偏向具合に戸惑いを覚えています。 札幌_北見間の往復で、お疲れのことと拝察いたします。 くれぐれもご自愛ください。 ご丁寧なご返信、どうもありがとうございました。 FROM HONDA WITH LOVE. 追伸: 授業のため、スコットランド戦は観戦できません。私にとっては、時差 -3時間ほどの国での開催が適当です。

「上弦の月にこと寄せて」

明るい上弦の月が南の空にかかっている。 「あかあかやあかあかあかやあかあか(表記は「くの字点」です)やあかあかあかやあかあかや月」 「山のはにわれもいりなむ月もいれよなよな(表記は「くの字点」です)ごとにまた友とせむ」 明恵上人の歌です。縦書きで表記できないのが残念です。 また、 「名月や池をめぐりて夜もすがら」 芭蕉の句です。 「名月」とは「中秋の名月」をさすとのことですが。 如何せん如何せん。夜もすがら、如何せん。「名月」をいただいて、如何せん。

「白洲正子の本領_仲秋の名月」

明るい上弦の月が南の空にかかっている。 「ツキヨミの思想」 白洲正子『夕顔』新潮文庫 ただ詩歌の世界ではなくてはならぬ存在であり、月の運行、或いはその満ち欠けにによって、どれほど多くのことを我々の祖先は学んだか。古典文学だけではなく、日常の生活でも「十三夜」、「十五夜」は申すに及ばず、月を形容した言葉は枚挙にいとまもない。月を愛したことでは日本人にまさる人種はいないであろう。(234頁) 「幻の山荘 - 嵯峨の大覚寺」 白洲正子『私の古寺巡礼』講談社文芸文庫  いくつぐらいの時だったろうか、大沢の池に舟を浮べて、お月見をしたこともある。最近は仲秋の名月の夜に、鳴りもの入りで船遊びを行うと聞くが、そんな観光的な行事ではなく、極く少数の物好きが集まって、ささやかな月見の宴をひらいたのである。その夜のことは今でも忘れない。息をひそめて、月の出を待っていると、次第に東の空が明るくなり、双ヶ丘(ならびがおか)の方角から、大きな月がゆらめきながら現われた。阿弥陀様のようだと、子供心にも思った。やがて中天高く登るにしたがい、空も山も水も月の光にとけ入って、蒼い別世界の底深く沈んで行くような心地がした。ときどき西山のかなたで、夜鳥の叫ぶ声が聞えたことも、そのすき通った風景を、いっそう神秘的なものに見せた。(152頁)

TWEET「行方定めぬ 波枕」

 柿の枯葉がカラカラと音をたてて舞っていた。野分が残暑を一掃した。季節が巡った。  第三テスト(2019/10/16,17)明けには、琵琶湖で舟を浮かべようと思っている。水面に漂う木の葉でありたいと思っている。行方不明になろうと思っている。  その翌日には…。

「拝復 P教授様_宮沢賢治『なめとこ山の熊』」

「宮沢賢治の『なめとこ山の熊』は、マタギの第一級の資料です。」 「モンベル 豊橋店」で冬物のパンツを物色し、お隣のマクドナルドで遊び、つい今しがた帰宅しました。午睡後、「青空文庫」で 「なめとこ山の熊」 を読みます。久しぶりの宮沢賢治です。  彼らは死に対して鷹揚だった。小十郎と「なめとこ山の熊」たちにとって、死は観念ではなかった。殊更なことではなく、彼らは従容として死を受容し、ときに彼ら は粛々と自らの命を捧げることさえ厭わなかった。  小十郎は「旦那」の前では終始卑屈であり、「旦那」は常に横柄だった。「旦那」は、暇に飽かせて生死(しょうじ)を弄び、生死に弄ばれている者たちの象徴ように思えてならならなかった。  それにつけても、掉尾の「なめとこ山の熊」たちによる野辺の送りは美しい。小十郎と「なめとこ山の熊」たちとのすべてを物語っている。  宮沢賢治の力量である。  読書中には、雑司ヶ谷の下宿を懐かしく思った。今思えば、学生時代の四畳半での読書は貴重だった。